西宮市立大谷記念美術館

住宅地の中の静かなたたずまいという印象

日本庭園には外から回り込むことが出来る

公式HP

美術館規模 中

専用駐車場 有(無料)

アクセス方法

 阪神電鉄香櫨園から徒歩で8分

お勧めアクセス法

 電車の駅がマイナーなので車のほうが行きやすい。ただし人気のある展覧会の時は駐車場に入られない可能性有。こうなると駐車場が空くまで待つしかなくなる。「藤城清治展」の時にこれを経験。

コメント

 

展覧会レポート

 

「風景を描く−戦後関西の風景画−」 2006.10/28〜12/3

 戦後の芸術というと、妙に奇をてらった現代アートがメインになっているような印象があるが、その裏でも風景画のような地味な作品も描かれ続けてきている。本展は関西の画家による戦後の風景画を集めた展覧会である。

 作品は種々様々。黒田重太郎や金山平三など私が名前を知っている画家もいるが、大半は私には聞いたことのない名前である。展示の方も作家別というよりも場所別で分類されており、どちらかと言えば作品自体よりも、そこに描かれている風景に対するメランコリーがメインのような印象を受けた。

 となると、本展に興味を抱くのはかなり年齢の高い層か。どうやら私ではまだまだ若すぎた(笑)ようである。

 

「時間の庭へ・植松奎二展」 2006.6/10〜7/30

 植松奎二は神戸生まれで、ドイツと日本を拠点にした芸術家であるという。彼が得意とするのは感覚に訴える作品とのことで、本展では会場内に彼が制作した作品を点在させている。

 大体はオブジェのようなものだが、1つだけ壁面に水の流れを投影した映像作品があった。半面は普通に水が流れているのだが、もう半面は映像が逆回転になっているという趣向で、この作品がテーマである「時間の庭へ」というタイトルに一番合致しているような気がしたが、ネタ自体は誰でも思いつくようなごく平凡なものである。これ以外のオブジェは物体が空中に浮遊しているような感覚を抱かせるものがほとんどで、確かにそれなりに面白くはあるものの「これだとテーマは時間ではなくて、空間だろう」と思わずツッコミを入れてしまった次第。

 トータルとしてはやはり平凡な現代アートということで、あまり強い印象は残らなかった。

 

「パリを愛した画家 西村功展」 2006.4/15〜5/21

 西村功はパリに滞在して、その地の風景を描いた作品を多く残した画家として知られているが、その彼の初期作品から晩年までを一堂に展示した展覧会である。

 最初期は美術学校在籍時代に自らの画風を模索していたころから始まるが、その画風に方向性が表れるのが、駅を舞台に赤帽をモチーフにした一連の作品である。ただこの頃の作品は陰気くささが漂い、まだそう面白耳は感じない。やはり作品として面白味が出てくるのは、パリを舞台にした駅の風景などを描くようになってからである。色彩も豊かになった上に形態的な面白さも出る。

 佐伯祐三の場合もそうであるが、やはり油絵の具を厚塗りするタイプの画風は、パリの風景ぐらいしか似合わないとつくづく感じさせられるのだ。彼にしてもあのまま鬱々と大阪駅を描いていたのでは、そのまま終わってしまっていただろうと思わずにはいられない。パリ特化型の画家である。

 

「新春大谷コレクション 彩りの部屋」 2006.1/2〜2/12

 収蔵品を一同に展示してのいわゆる館蔵品展であるのだが、本展では作品の色彩に注目して、「青の部屋」「赤の部屋」「黒の部屋」「金の部屋」に分類して展示するという趣向になっている。展示作品は通常の絵画から抽象画、果ては立体造形までと脈絡がないが、全体的には現代アートに属する作品が多い印象である。

 展覧会の案内には「同じ青や赤といっても作品によって違う色彩があるということに注目して」などと書いてあるのだが、正直なところ色彩による分類に意味があるのかには首を傾げざるを得なかった。それでなくても没個性的な作品が多い現代アートの場合(皮肉なことに、作家が個性を出そうとすればするほど、総体としての現代アートは没個性的になっていっていると私には感じられる)、類似した色彩の作品での分類は没個性化に拍車をかけているようにしか思えなかった。

 本展では併せて「日本画の四季」と題して近代日本画作品を展示しているが、横山大観、上村松園、川合玉堂など名だたる画家の作品を一覧できて、こちらの方が楽しめた。一見すると個性がないように見える日本画だが、約束事がある中で、むしろかえって作家の個性が際だっているのである。

 

「生誕100年 今竹七郎 大百科展」 2005.10/8〜11/27

 神戸出身の今竹七郎は、神戸大丸でグラフィックデザイナーとして活躍した後、大阪高島屋に移籍後、さらに活動の場を広げ、広告デザインやポスターなどで大活躍した人物である。本展ではその今竹七郎が手がけたポスターやパッケージなどを見ることが出来る。

 驚くのは会場に展示されている高等小学校時代のノートである。そこに残されているデッサンの正確さや、文字並びの美しさは、彼が幼少の頃より既にデザインのセンスを有していたことをうかがわせる。

 彼のデザインはこ洒落ていながら、それでいて妙に親しみを持てるものである。戦前のいかにもモダンなデザインから、戦後のシンプルなデザインへの移行なども時代を感じさせる。そういえばどこかで見たデザインばかりである。個人的にはオーバンドのパッケージが感涙ものだった(笑)。

 

「イタリア・ボローニャ国際絵本原画展」 2005.8/20〜9/25

 この美術館で毎年行われている絵本原画展である。本展はイタリアのボローニャで開催される絵本原画コンクールの入選作を紹介したものであり、84人の411点が展示されているという。

 この手のコンクールでは常に言えることだが、とにかく内容の幅が広いのが最大の特徴。作者の出身国が様々であるので、お国の違いによる文化の違いというものも出るが、何よりも作家個人による個性の違いが最も大きい。絵柄も様々であるが、ファンタジーを志向したもの、現代アート的色彩の強いもの、どちらかと言えば古典的表現のものから果ては精密メカ描写に近いものまで存在し、その多彩さには毎度のことながら唸らされる。

 当然ながら人によって評価はまちまちになるだろうが、私個人でも「これは絶対に子どもに見せる気にならない」という代物から、逆に是非とも子どもに見せたいと思うもの。さらには子どもではなく自分が読みたいと思うもの(笑)などまさに玉石混淆であった。

 ただ本展の主旨とは完全にずれるが、個人的には絵画の方はともかくとして絵本のストーリーの方がいずれもイマイチなのが気になった。中途半端にメルヘンに逃げているだけのまとまりのないものが多いのは、あまり感心しない。

 

「光・水辺の球−大久保英治展」 2005.7/9〜8/7

 大久保英治氏はランドアーティストとして世界的に活躍している人物で、80年代にイギリスで自身の作風を確立し、帰国後は東アジアを視点においた創作活動を展開しているとのこと。

 彼の作品は流木などの自然物の形をそのまま使っているのが特徴である。初期の作品に比べると、最近の作品の方が加工が少なくなっている傾向があるようである。ランドアーティストと言うことで本来は野外の作品がほとんどなのであるが、本展では展覧会向けの屋内作品を展示してある。展示内容は、現代アートのオブジェのような作品、木の枝を使った巨大な球体、彼の野外作品の写真をモチーフにしたパネルのようなものなどである。

 彼の作品の面白さは、自然の素材の持ち味をそのまま現しているところであり、例えば木の枝の自然な湾曲などがそのまま作品の湾曲に反映していたりする。そこからいかなるイメージが沸き上がるかは人によって違うのだろうが、作品自体はそう難しいという印象は受けない。また巨大な木製の球体などは、ただただ呆気にとられたが、まるで秘密基地のような愉快さがある。しかし正直なところ、私の抱いた感情は芸術作品に対する感慨と言うよりも、匠の建築に対する感嘆に近いのが本音であり、果たしてこれが芸術としての面白味があるかどうかは微妙なところである。

 

「藤城清治展−光と影のシンフォニー」 2005.5/21〜6/26

 藤城清治の名前にピンとこない人でも、NHKの番組やカルピスのCMなどに使用された彼の影絵作品は、まず間違いなく見たことがあるはずである。その精緻にしてきらびやかな作品は、影絵というものに対するイメージを一新するだけの強力なインパクトを持っている。本展では彼の初期のモノクロ作品から最新の作品まで100点ほどを一覧することが出来る。

 会場では彼の作品の持ち味を最高に表現するため、いずれも背後から蛍光灯で照らし出した形で展示されており、それがまさに光のパノラマの模様を呈しており、会場全体が光のパビリオンと化している。とにかく絶句するのは、作品の精緻さ。彼は片刃のカミソリでトレーシングぺーバーを刻んでこれらの作品を作っているとのことだが、不器用な私には想像のつかない世界である。またいずれの作品も構図が実に見事であり、卓越した構成力がうかがわれる。そのために作品が単なる工芸の域ではなく、芸術の域にまで昇華しているのである。

 美しいというか、凄まじいというか、ほとんど奇跡のように思える作品を前に、しばし唖然としてしまったのが正直なところ。大人はもちろん、子供にも楽しめる内容なので、親子連れにも最適であろう。なお私の世代には、やはりどことなく懐かしさも感じさせられるのではなかろうか。

 なお私はたまたま初日に出かけたところ、偶然にも藤城氏のサイン会に遭遇した。御年80才をすぎるというのに、100人のファンに対して芸術的なサイン(これがまた本当に美しいのである)を書かれた氏のパワーに、このような創作の原動力を見た気がした。今後もさらなる活躍を期待したい次第である。

 

「新春美人画展」2005.1/8〜2/13

 「美人画」と言えば普通は浮世絵などの日本画を連想するところであるが、本展ではそのような伝統を受け継ぐ日本画のみならず、西洋画までもを含めてモデルに女性を用いての表現を行っている作品を広義の「美人画」と位置付けた上での展示を行っている。

 最初のコーナーは上村松園・池田蕉園・島成園のいわゆる三園や、伊藤深水などの伝統的日本画の系譜につながる作品を。次のコーナーでは橋本関雪・山下摩起・北野恒富などの洋画的日本画を展示しており、さらにローランサン、ルオー、ドラン、梅原龍三郎・児島善三郎の洋画など、実に多彩な構成となっている。

 新春らしいあでやかな企画であるが、個人的には洋画と日本画の技法の違いが類似した題材を扱っていることで際だっていて面白かった。さらに作家ごとの特徴もひときわ明確に現れているので、その点でも非常に楽しめる。

 なお併せて阪神大震災で生涯を終えた西宮の画家・津高和一の作品も展示されていたが、こちらについては平凡な抽象画であまり面白くはなかった。

 

「福田平八郎展」 2004.10/9〜11/14

 大分県立芸術会館所蔵の福田平八郎の作品を展示した展覧会。作品をほぼ年代順に並べると共に、下絵と本絵を並べて展示しているなど、福田平八郎の画風の変遷と、彼がどのようにして作品を構築していったかが分かる展示となっているのが特徴である。

 当初は伝統的な日本画を学び、比較的古風な題材を描いていた福田平八郎であるが、やがて彼は写実画家としての本領を発揮して、あらゆる題材を画に取り上げ始める。その中には蛤を盛っただけの鉢など、およそ普通の絵画ではわざわざ描かないであろう題材まで登場するのが面白い。

 さらに彼の写実へのこだわりは、やがて形態の誇張や色彩の爆発につながり一見するとまるで象徴主義絵画に見える作品にまでつながっていく(彼自身はあくまで写実画家であったというが)。この時期の水面を描いた作品などは実に秀逸であり面白い。とんでもない色を画面に配しているように見えるのだがよく見るとそれはまさに水面の「写実」そのものであるのが、彼の持ち味だと言えるのだろう。

 私はこの画家についての予備知識は皆無であったのだが、作品を通して見ることで彼の画風についてよく理解でき面白かった。「意外と楽しめた」というのが正直な感想である。

 

「イタリアボローニャ国際絵本原画展」 2004.8/21〜9/26

 ボローニャ国際イラストレーションコンクール入選作品による展覧会。絵本の原画展ということで多彩なイラストが展示されている。作者によって作風はまちまち。かなり古典的な印象のイラストから、いかにもモダンアート的なもの、果ては写真を使用しているものや、立体的になっているものなど、とても一括りには出来ようがない多彩さである。それだけに個人的にも趣味の合うものから、これはちょっと・・というものまで千差万別であり結構楽しめる。

 一回りすると、最近かなり行き詰まっているように見える芸術絵画の世界よりも、イラストの世界の方が活気があるように思えたのはいかなることであろうか。実際、美術館の方もかなりの観客が来ていて活況を呈していた。肩肘張った芸術はもう限界に来ているのだろうか。

 

「石原友明展i」 2004.7/3〜8/1

 かなり前衛を意識していることがうかがえる展覧会。いかにも新しい表現を求めているようである。やたらに点字を使っていたり、真っ暗な部屋に点字のボードだけを置いて、視覚を封じている作品があったり、かなり視覚にこだわっていたことは分かる。空間の作り方などには確かに面白いものを感じたのだが、作品からのインパクトは意外と弱い。NHKスペシャル・ナノスペースじゃないんだから、精子の顕微鏡写真を見せられてもな・・・。

 

 

戻る