東征編「東京スイートメモリーズ」
「東京よ、私は帰ってきた。」
実に7月の東京訪問以来4ヶ月ぶりである。先の東京訪問は灼熱の中でのものであったが、今度の東京訪問は全国で積雪まで始まっている寒波の中のものとなった。
例によって出発は早朝ののぞみ。高速バスもチラリと考えたが、もはや私の体力では高速バスは無理。交通費をせめて少しでも安くするために、新幹線の手配は「エクスプレス予約」を使用している。それにしても東京は遠い・・・時間にしたら3時間程度とはいえ、それ以上に予算的に遠い。せめて新幹線代がもう少し安かったら・・・。
9時過ぎぐらいに東京に到着するとただちに上野に移動。上野駅でトランクをロッカーに放り込むと直ちに第一目的地に向かう。この辺りはお定まりの東京巡回ルートであり、「通い慣れたる道」という気さえ起こってくる。
「ムンク展」国立西洋美術館で1/6までムンクと言えば、なんと言っても有名なのは「叫び」。不安が渦巻く世界を象徴した心理学的な感覚の絵画を主に描く画家である・・・というのが、実は私のムンクに対する認識だったのだが、実は本展によって、私はムンクという画家のことをほとんど知らなかったのだということを思い知らされたのである。
本展はオスロ市立ムンク美術館の収蔵品を展示したもので、「叫び」こそなかったが、「不安」「絶望」など一連のシリーズものが展示されており、初っ端から我々がイメージするとおりのムンクワールドが展開する。しかし実はこのタイプの絵画はムンクの作品においては初期の作品なのである。ムンクはその後、フリーズという装飾壁画に力を入れるようになり、初期のこれらの作品も「生命のフリーズ」と名付けられ、彼のアトリエにおいて何度も壁画としての構成の材料に用いられていたようである。
しかもその後の、最初からフリーズとして制作された作品の場合、初期の頃の不安漂う色彩が明確に変化するのである。タッチこそいかにもムンクらしい荒々しさが残っており、モチーフ自体も初期の作品に登場したモチーフが繰り返し使われるが、色彩が安定した健康的なものに変化しており、初期の作品に見られた言いしれぬ不安感が拭いされられているのである。
これをどう捉えるのかは難しい。同じモチーフを繰り返して使うのは、才能的に枯れてしまった芸術家が晩年によくやることだが、ムンクは才能的に枯れたようには見えない。明らかに彼に心境的変化があったのだろう。あくまでこれは私の個人的推測だが、これはこの間に彼が画家としてのポジションを確立できたことが大きく影響しているのではないだろうか。世間的な評価が安定してくると、若い頃のように不安がもろに正面に出てくることはなくなってくるのではなかろうか。
とにかく、ムンクと言えば「叫び」しかイメージできない者の場合、是非本展を見てみるべきだろう。「ムンクとはこういう画家だったのか」ということがよく分かる。これは貴重な体験である。
企画展の後は常設展をサクッと回る。すると展示スペースが大幅に縮小されていて驚かされる。どうやら新館が改装中で閉鎖されているらしい。現在「国立西洋美術館展」が各地を巡回中だが、これはそういう理由があったのかと初めて納得させれられる。こればかりは現地に来るまで全く考えもしなかった。
国立西洋美術館はなぜかクリスマスモード
国立西洋美術館の次は国立博物館に立ち寄ることにする。しかしどうも様子がおかしい。よく見ると表に「入場制限中10分待ち」との表示が出ている。どうもとんでもないことになっているようである。とにかく先を急ぐことにする。
展示館の回りを行列が取り囲む
チケット売り場に行列をして入場券を買うと、直ちに展示場の方に足早に急ぐ。前方を見ると数百人の行列が出来ており、時々刻々と行列が伸びて行っている状態である。慌てて最後尾につくが、その時点で「20分待ち」と告げられる。そうこうしている間に行列はさらに伸びていく。
全くの計算違いだった。私は「大徳川展」なんて地味な催しにこんなに入場者が集まるなんて予想もしていなかった。これは私の事前調査不足だった。しかし一体何がこんなに多くの人々を惹きつけたのだろうか? 私には理解できない。私としては、ムンク展に行列でも出来ていた方がよほど理解できるのだが。どうも最近、一般大衆の行動パターンが全く読めなくなってきている・・・。
「大徳川展」国立博物館で12/2まで徳川家ゆかりの物品などを展示した催し。国宝や重要文化財なども多数展示されており、その内容は多岐にわたる。
恐らく一般的に一番受けそうなのは、序盤に展示されていた鎧甲の類と、最後に展示されていた千代姫の豪華な嫁入り道具であろう。これらの明らかに目を惹く展示物に比べると、中盤は文書や茶道具など地味でマニアックなものが多い(私個人としては、その中に酒井抱一の絵画があったのは収穫だが)。
個人的に面白かったのは、最初に展示されていた南蛮鎧。これは西洋式の甲冑を日本風にアレンジしたものである。家康の時代になると合戦がそれまでの刀による一騎打ち形式から、銃を使用した団体戦形式に変更されており、それまでの甲冑では防御力が不足したため、それを補うために南蛮鎧が導入されたようである。従来の日本式甲冑がこの時代になると装飾が華美になり、実用性を感じさせないものが増えるのと対照的に、南蛮鎧は実用本位に徹している。展示されていた家康の南蛮鎧は、その防御力をテストするために実際に銃撃した跡が生々しく残っており、この辺りがこの鎧の性格を端的に示している。
終盤の千代姫の婚礼道具は絢爛豪華な工芸品であり、思わず目を奪われる。キンキラキンなのであるが、それが決して下品に見えないところはさすがであると感じさせられた。
場内も大混雑で、じっくり鑑賞するどころかろくに近寄れないものも多く、展覧会としては最悪のコンディションであった(先の京都での狩野永徳展よりもひどかった)。ただ一回りした印象としては、確かに貴重な品々なのだろうが、全体的にマニアックな展示が多く、これだけ多くの人々が押しかける理由がやっぱり理解できなかった。
で、首をひねりながら会場を出てくると、ここでまた絶句してしまった。入場の行列がとんでもないことになっていた。私が入場してから1時間も経っていないはずなのだが、私が並んでいた時の3倍以上の長さに行列が伸び、はるか向こうまで延々と続いている。行列の最後尾をのぞいたら、どうやら1時間待ちの模様。どうやら20分で入場できた私はまだラッキーだったらしい・・・。
この時点でもう昼を過ぎている。とりあえず昼食を摂ることにする。とはいうものの、私の東京行きは常に「遠征」であり、この場合の食事は単なる燃料補給にすぎない。
そもそも私は東京の飲食店には何も期待していない。今までの体験から、東京では「まともな料金ではまともなものを食べられず、まともなものを食べようと思うと、とんでもない料金を請求される」ということを痛感しているからである。現に私は今まで、東京に来るたびに「ここには二度と来ない」という店だけが増えていくのである。
それだけに、今度東京版を出したというミシュランガイドが「東京は世界一のグルメ都市」などと言っているのを聞いた時は苦笑せずにいられなかった。ちなみにメディアなどの情報によると、今回3つ星をもらっている店はことごとく、信じられないような料金をぼったくられる店ばかりだった模様。そりゃ金に糸目をつけなかったら何でも食べれるわな・・・。なお私はこれらの店とは全く縁がないのでよく分からないが、人によると「高いのは確かだが、果たして味がそれに見合っているかは疑問」な店が多いようだ。となると、ミシュランの調査員は味なんて分かっちゃいないということが露見してしまったわけである。これはミシュランガイドにとっては「終わりの始まり」になるかも。まあその方が、日本人が変な権威主義に振り回されなくて結構だが。
・・・話が大分横道にそれてしまった。どうも私は「根拠のない権威主義」というのが大嫌いなものだから、かなり厳しい批判になってしまったようである。まあそれはともかくとして、このように私は東京の飲食店には一切期待していないので、この日のランチが「ここは社員食堂だったっけ?」と思わせられるような代物に950円を請求されても、落胆することも驚くこともなかった。ただ分煙さえもしておらず、食事中に常にたばこの煙が漂ってきたのは勘弁願いたいところだ。これでは飲食店としての体を成していない。まあ何にせよ、私の「二度と来ない店リスト」にまた一軒が追加されただけである。
燃料補給の後は再び上野公園にとって返し、もう一カ所訪問する。
「色彩のファンタジー シャガール展」上野の森美術館で12/11までシャガールの版画作品を中心に展示した展覧会。またシャガールの当時の制作風景をとらえた写真なども併せて展示されている。
実はこの展覧会の宣伝をHPで見た時は、シャガールの写真が主だと感じたので訪問予定には入れていなかった。だからほんの気まぐれで訪問したのだが、実際に訪問してみると、展示作の中心は版画類であり、予想以上に楽しめる内容であった。
版画については一連のシリーズになっているのだが、やはり「聖書」などの制約の多いネタよりも、サーカスなどの制約の少ないネタの方がシャガールらしい自由さが作品に現れており、私には魅力的に見えた。
これで上野地域は制圧完了である。上野駅に戻るとロッカーからトランクを取り出して移動である。これから夕方にかけての別地域に対する第二次攻略戦の前に、とりあえずトランクを宿に入れておくつもりである。宿泊予定地は水道橋、しかしその前にそこを通り越して飯田橋まで移動する。
わざわざ飯田橋に来たのには目的がある。私が前回の東京訪問の際にすっかり魅せられてしまった「神楽坂の紀の善」に行くためである。先に私は「東京にはまともな飲食店はない」と断言したが、この甘味処だけは例外である。前回の訪問時に、私はここの餡が完全にツボにはまってしまって、毎日通う羽目になったのである。
到着したのは2時頃、店の中には行列が出来ておりしばらく待たされることになる。やはりかなり人気のある店のようである。
私が今回注文したのは「栗ババロア」(840円)。栗のババロアにこしあんを添えてある。あっさり目のババロアに、やや甘めのこしあんがマッチして最高。また餡が加わることで栗の風味が引き立っている。こうして食べると、栗と小豆は相性がよいことがよく分かる。
甘ものを堪能して一息ついたので、とりあえず宿に入ることにする。今回の宿泊先はドーミーイン水道橋。東京ドームまで徒歩で20分ぐらいの距離にあるホテルである。私が泊まったのはプチシングルという一番安い部屋。角部屋で変形しているため、ベッドの幅が若干狭い(と言っても1メートルあるのだが)ために安くなっている部屋である。
部屋に荷物を入れると再度の攻略戦のために出陣である。次の目的地は乃木坂。実は次の展覧会が今回の東京遠征の主目的である。後楽園から地下鉄に乗る。
「フェルメール「牛乳を注ぐ女」とオランダ風俗画展 」国立新美術館で12/17まで出る頃には外は真っ暗
オランダ風俗画展と銘打ってはいるが、実態は「フェルメールとその他大勢展」というところ。フェルメールの「牛乳を注ぐ女」だけが別格扱いになっており、入場料の1500円のうちの1200円ぐらいがフェルメールの分というイメージである。確かに、まずまずと思える作品が3点ほどはあったものの、やはり他の作品は知名度のみならず技量的にもフェルメールとは大きな格差があることを認めざるを得ないのが現実である。
さてフェルメールの作品だが、まず高価なラピスラズリを使用しているという青の色が目に鮮やかに写る。そしてフェルメールらしい巧みな光の表現が画面全体を明るいものに感じさせる。また遠近法を完全に計算し尽くしているためか、作品の空間表現が図抜けており、平面な絵画に立体感のようなものまで感じさせるのである。徹底的に計算し尽くした絵画が、ここまで劇的な効果をあげるのかということに感心させられる。
結局は本展の評価はフェルメールに尽きるわけであるが、この絵を見るためだけでも東京に来たかいがあったと感じたのは事実である。これがすべてである。
これだけすごい作品になると、やはり作品からオーラが感じられて気圧される。「このプレッシャーは・・・。」思わず私の脳裏に閃く感覚があった。私もニュータイプに覚醒したか(笑)。それはともかくとして、実際にこの感覚は、この春に東京でレオ様にお会いした時以来である。
美術館を出た時にはもう真っ暗になっていた。真っ暗になると、この辺りはいわゆるライトアップがギラギラし始めて、むしろ昼よりも風景がけばけばしい。この後が本日の最後の目的地となる。
「鳥獣戯画がやってきた!」サントリー美術館で12/16まで鳥獣戯画に甲・乙・丙・丁の巻があり、それぞれ描いている内容も違えばタッチも全く異なるため、実は全く別の人物が描いているのではないかと言われている。一般的に一番有名で、今日の漫画の原点とも言われているのはそのなかの甲巻である。本展ではこれの各巻に併せ、複数の写本なども展示することで、鳥獣戯画の全貌に迫ると共に、この作品が後に与えた影響も考えようという主旨になっている。
作品としての出来から言っても、内容の面白さから言っても、やはり甲巻が別格的に面白く、鳥獣戯画と言えばこの巻のみが云々されるのも分かるような気がする。実際、乙巻以降は特にこの作品でなくても似たような作品はいくらでもある。
鳥獣戯画の面白さは、単純な線で巧みに動きある画面を表現していること。この文化が土台にあったからこそ、後に日本の漫画文化が花咲いたなど言われると肯いてしまう。実際、日本の漫画は未だにこの線による表現がもっとも巧みであるからである。
なお興味深かったのは、河鍋暁斎による「鳥獣戯画」も展示されていたこと。いかにも彼らしい奇想に満ちた作品となっていた。
なおこの美術館は美人が多い。特に窓口にはかなりの美人がいた。大阪のサントリーミュージアムと言い、サントリーは明らかに顔で美術館担当を選んでいるように思われる。ただし美術館に美人を集めたからと言って、男性入館者が急に増えるということもないと思うのであるが。
それにしても前回の訪問時にも感じたが、ヒルズと言い、ミッドタウンと言い、とにかく私の感性にマッチしない施設である。根っからの貧民育ちの私は、こういうバブルっぽい成金施設には無条件に生理的反発を催すらしい。結局私は、学生街などのもう少し貧乏くさいところの方が性に合うようだ。ちなみにこの日の夕食は、こんな高そうな地域では食べる気もせず、後楽園駅に戻ってきてから、某トンカツチェーンの店に入った。
本日の攻略戦を終えて宿に戻ると、まずは風呂でくつろぐことにする。宿泊費的に見るともっと安い宿があるにもかかわらず(といっても、この宿の宿泊費も7000円ほどだが)、今回私があえてこの宿を選んだのはこの宿には大浴場があるからである。残念ながら天然温泉ではなく「準天然温泉」とのことで人工炭酸泉であるが、ユニットバスト違って手足を伸ばして入浴できるメリットは極めて大きい。また人工温泉にしては湯あたりも良く、カルキの臭いがプンプンする怪しい日帰り温泉施設なんかよりははるかに良質な湯である。ここで今日一日で2万歩も歩き回った疲れをじっくり癒す。
ドーミーインの経営母体は温泉施設なども運営している会社とのことで、風呂に対するこだわりが見える。ちなみに脱衣所に牛乳の自動販売機を設置しているのはさすがにツボを心得ている。風呂あがりはフルーツ牛乳一気飲みに限る。
風呂でくつろいだ後は大人の時間、夜のお楽しみである。大人の夜のお楽しみと言えば、夜のおやつと相場が決まっている。と言うわけで、紀の善で買い込んでいたおみやげを取り出す。私が買い込んでいたのは「抹茶ババロア」。この店の人気商品である。
栗ババロアがこしあんでやや甘めであったのに対し、抹茶ババロアは粒餡であり、餡の甘味が若干おとなしめになる。さらに抹茶のババロアがほのかな苦味を持っているので、これを組み合わせるとややあっさり目の味になる。ここで絶妙なのがクリームを添えてあること。これが加わることで味全体にコクが出て、さっぱりしすぎるのを防ぐことにもなる。正直、かなりクセになる味である。これこそまさに大人の夜のお楽しみに最適。こうして私の東京での甘い夜は過ぎていったのである・・・ん?何か間違ってるって?
夜のお楽しみの後は、テレビを見て時間をつぶす。出発前に録画しておいた「その時、歴史は動いた」をPCで見ているうちに昼間の疲れが出てきたのか、自然とうつらうつらとしてしまう。
2日目
翌朝、爽やかに朝を迎えた私だが、時計を見て慌てふためく。完全に寝過ごしてしまった。確か昨晩に7時過ぎに目覚ましをセットしていたはずなのだが、今の時刻は8時30分。疲れていたのか目覚ましを止めてそのまま寝てしまったようだ。
とにかく朝食の時間が9時までである。まずは慌てて朝食を摂りに食堂に。バイキング形式の和食をとりあえず腹に叩き込むと、部屋に戻って身支度をする。
慌ててホテルを飛び出すと、まずは地下鉄を乗り継ぐと本日の最初の目的地に。ここに来るのは何度目だろう。
「秋の彩り」山種美術館で12/24まで例によっての日本画の名品を集めた展覧会。目を惹くのはまず奥田元宋の「玄溟」と大作「奥入瀬」。いずれも元宋の赤がその神髄を発揮した作品である。また東山魁夷のまさに本展のタイトル通りの「秋彩」は赤・黄・青の三原色を組み合わせながら、それでいて下品になっていないという作品。これこそまさに東山ワールドである。
これ以外では、先日に国立博物館で見た酒井抱一がここでも展示されていた。さすがにこの人はうまい。
ここから次の目的地へはタクシーで移動。しかしタクシーの運転手が目的地をよく知らなかったせいで道を間違えて遠回り(料金は変わらなかったが)、どうも最近は道を知らないタクシーの運転手が増えているようだ。
「日本彫刻の近代」国立近代美術館で12/24まで日本において昔から仏像彫刻などの木彫りの伝統があったが、明治以降はそこにヨーロッパの彫刻が流れ込んできた。これらを日本流に消化・吸収していく過程で各種葛藤や試行錯誤があった。その日本の近代彫刻の流れを概観する企画。
やはり目立つのは高村光雲と高村光太郎の作品。父の光雲は日本古来の木彫りの伝統を受け継いで、その流れの元に制作しているのに対し、息子の光太郎は西洋の流れも取り入れた新しい彫刻を作ろうとしているのがうかがえる。ただその流れが私にとって面白いかどうかは別物。私にはむしろ日本古来の仏像彫刻などの流れを受けた写実主義は非常に好ましいものに見える。光雲の「老猿」などは息を呑むような迫力がある。
あらゆる道が模索された近代彫刻だが、最終的には絵画と同様に「楽な方向」に向かっていっている。というわけで、後半部分は私にはお呼びでなかった。
この後は新宿まで移動。ただしその途中で乗り換えの飯田橋で昼食にする。と言ってもまたも「燃料補給」である。この時に入ったのは某ラーメンチェーンの店。先日の夕食に続き、面白味に欠ける選択ではある。
わざわざ飯田橋で降りたのはむしろこちらが主目的か。例によって紀の善に向かう。今日食べたのは「もちぜんざい」(840円)。
ぜんざいと言えば普通はもっと汁気のあるものだと思っていたが、ここのぜんざいはあんころ餅に近いイメージ。しかしやはりここの餡は絶妙。やや甘めであるが決して嫌みではない粒餡が、香ばしく焼き上がった餅と相まって最高。思わず「日本人で良かった」と呟きたくなる瞬間である。
一服するとJRで新宿に移動。次は今回の東京訪問の主要目的にカウントされている展覧会である。
「ベルト・モリゾ展」損保ジャパン東郷青児美術館で11/25までモリゾは印象派に属する女流画家で、マネの絵のモデルをつとめたこともあることで知られており、マネの弟のウジェーヌと結婚している。本展はそのモリゾの作品を集めたもの。
女性であるために美術学校で絵を学ぶことが出来なかったモリゾは、マネら印象派の画家との交流によって独自の画風を確立していく。初期にはマネの影響が顕著であったが、徐々に彼女独自の柔らかさと明るさを持った作風が確立して行ったようだ。なお彼女の場合、風景画よりも明らかに人物画の方が魅力的である。特に親密な人物(娘が多い)を描いた作品に良作が多い。
私が初めてモリゾの作品を見た時は初期の風景画が中心であり、その時には「やはりマネやモネよりは一歩劣る」という印象を受けたのだが、本展においてその後の人物画を見たことで印象は変化した。それが本展での最大の収穫である。
なお会期末が近いせいか、会場は結構混雑していたが、私が42階の美術館から降りてきた時は、エレベータ前に行列が出来ていた。この美術館は一台の直通エレベータて行き来するしかないので、これが事実上の入場制限になって、特別な誘導がなくても会場の異常な混雑が避けられる効果もあるようである。
美術館の中は満員 42階からの眺望は見事 この後は目黒経由で六本木一丁目に移動する。ここは先ほどの国立近代美術館でポスターを見て、急遽追加した訪問先である。
「児玉希望展」泉屋博古館分館で12/9まで児玉希望は川井玉堂の元で日本画を学んだ画家であり、その絶妙の表現力で知られる。しかし私が児玉希望について一番印象に残っているのは、その「芸風の広さ」。実は児玉希望は日本画家にもかかわらず、油絵なども描いている。私は彼の作品を奥田元宋・早由女美術館で見た時に、その作品のバリエーションに唖然とした記憶が残っている。
本展でもその彼の「芸風の広さ」はもろに現れている。一方の展示室には緻密で抜群のうまさを感じさせる日本画の秀作が展示されているのだが、その部屋の片隅に展示してあるのは意味不明な抽象画。実は彼は昭和30年頃から、抽象画のような作品を描き始めたのだという。
そしてもう一方の展示室には彼の油絵作品が展示されているのだが、これが同じ人物が描いたと思えないほど印象が違う。自由にサクッと描いている。
日本画家から抽象画などに転身したと言えば、堂本印象を連想するが、児玉希望の場合はそもそもの日本画が堂本印象よりも桁違いにうまいだけに、その変化がより強烈に感じられる。とにかくよく分からない画家だ。
ここからまた移動である。最寄りの南北線の六本木一丁目駅から麻布十番で地下鉄大江戸線に乗り換え、上野御徒町で下車、そこから上野の不忍池沿いにブラブラと移動。この辺りはのどかな風景で、池に浮かんでいる白鳥ボートなんかを見ていると、東京も結構田舎だなと思えてくる。
やがて横山大観記念館にさしかかる。しかし既に閉まっている。現在4時10分。どうやらここは4時という信じられないぐらい早い時間に閉館するらしい(普通は5時だろ)。やむを得ず、東京大学周回ルートをしばらく歩く。かなり歩いたところで次の目的地となる。
弥生美術館、竹久夢二美術館レトロな雰囲気の漂う美術館。弥生美術館の方は1階には少年倶楽部などの付録類が展示されていた。戦艦三笠の大型紙模型などが時代を感じさせる。これだけの付録をつける側もすごいが、これを作っていた当時の子供もすごいと思う。かなり部品の数が多く、今時の子供なら間違いなく途中で放り出しそうである。2階は今度は少女誌の付録。こちらは昭和40年代の「りぼん」なども含まれており、かなり見覚えのあるようなものも。
夢二美術館の方は大正ロマンである。ただ私は個人的には竹久夢二の作品があまり好きではない。ましてやここの展示品のようにいかにも手軽にサクッと描いているものは。
これで今日の予定は終わりである。ここから最寄りの駅は南北線の東京大学前とのこと。結局私は、南北線の六本木一丁目からかなりの遠回りをして、再び南北線に行き着いてしまったというわけである。なんか、時間だけを無駄にしてしまったような気が・・・。無駄な遠回りをして時期を逃すというのは、まさに私の人生そのものではないか・・・。旅は人生の縮図とはよく言ったものだ。
この後は東西線で飯田橋まで移動、おみやげを買い込んでから水道橋に戻る。
夕食は水道橋の某中華屋でとった。注文したのは「アワビそば」1500円。中華そばの上に薄切りのアワビを散らしたという代物である。アワビ自体は良いのだが、料理のコンセプトとして中華そばにアワビを合わせた理由が今一つ不明。またアワビはともかく、一緒に入っている野菜の処理に今一つ工夫が感じられなかった。1500円は少々高いという印象。ただ正直言うと、このそばだけなら良かったのだが・・・一緒にとった炒飯が最悪。塩辛すぎて食えたものじゃない。一体何を考えて味付けしてるんだと言いたくなるぐらい。さすがにこれは少し手をつけただけで残してしまった。またデザートにとった杏仁豆腐は、レモンを効かせているのはよいのだが、なぜかその香りが爽やかさよりもトイレの消臭剤を連想させてしまう始末(合成香料を使っているのではないか)。結局はまた「二度と来ない店リスト」に一軒追加されることになってしまった。
宿に戻ると風呂でまったりと疲れをとる。やはり手足を伸ばして入浴できるのはありがたい。今日は昨日を超える2万1千歩を歩いている(やはり東大周回ルートが効いたようだ)。しっかり疲れをとっておかないと明日に響く。
風呂から上がった後はおみやげを取り出す。紀の善で仕入れた「あんみつ」である。
私は今まであんみつというものを美味しいと感じたことがなかったのだが、その考えを打ち砕いたのがここのあんみつだった。餡がうまいと味がないと思っていた寒天までうまくなるのである(もっともここは寒天も上質のものを使っているようだが)。この店の名物が、あんみつと抹茶ババロアと言われるわけも納得。
3日目
先日は完全に寝過ごしてしまったので、今朝は寝過ごさないように注意し、予定通りに7時過ぎに起床する。ただいささか身体に疲れがたまっていてだるい。とは言うものの本日が最終日、予定が目白押しである。気持ちを奮い起こして起きあがると、朝食、身支度を手早くすませ、8時30分にはチェックアウトをすませる。
まずは一端東京駅に移動、ロッカーにトランクを放り込むとここから京浜東北線に乗り込む。今日は埼玉方面に遠征する計画である。30分強で北浦和駅に到着、目的地は駅からすぐの公園の中にある。
「田園讃歌−近代絵画に見る自然と人間」埼玉県立近代美術館で12/16まで古来より人類は田園において生活してきた。当然ながら田園風景というものは、芸術にも大きく影響を与えているはずだ。その田園が近代絵画によってどのように描かれてきたかを、日欧の絵画によって考察する。
などという主旨を掲げているようであるが、実のところはこの美術館の目玉であるモネの「積み藁」と山梨県立美術館のミレーを核にテーマを引き出そうとした時、田園というキーワードぐらいしか出てこなかったと言うことの方が正しいようである。展示作は別名「ミレー美術館」とも呼ばれる山梨県立美術館のミレーから始まり、トロワイヨンなどのいわゆるバルビゾン派の絵画から始まり、モネの「積み藁」を経て、ピカソなどに至る西洋近代絵画が前半、後半は浅井忠から始まる日本近代洋画、小野竹喬などの日本画などと多彩。最後は近代の農村風景を記録した写真まで登場する。
展示作がかなりバリエーションがあるので楽しめる。また冒頭のバルビゾン派の絵画の展示が結構気合いが入っており、なかなかの秀品もある。正直なところ本展にはあまり期待していなかったのであるが、想像をはるかに超えて興味深い展覧会であった。
常設展の方ものぞいたのだが、ドラクロワ、キスリング、パスキン、ルノワールなど結構秀品もあり興味深かった。所詮は田舎の美術館と高をくくっていたところがあった私であるが、これは失礼致しましたというところ。
次はJRで浦和駅まで一駅移動。浦和レッズ一色の繁華街を抜け、ホテルが入っているビルの1フロアに位置しているのが次の美術館。
「岸田劉生の軌跡」うらわ美術館で1/27まで岸田劉生と言えば、あの恐ろしげな「麗子像」があまりに有名すぎるが、彼は実は油絵だけでなく、水彩画や版画など実に幅広い作品を製作している。そのような作品を中心に展示したのが本展である。
「麗子像」のようなコテコテの厚塗りの油絵のイメージを持って本展に臨むと、あまりのイメージのギャップに拍子抜けすることは請け合いである。劉生の水彩画は明らかに日本画的志向で描いており、彼の洋画とは同じ人物の作品と思えないぐらい、即興的で自由にサクッと描いている。全くもってこの画家の得体の知れなさと言ったら・・・。やはり劉生の作品であると言うことを認識させられたのは、版画の中にも麗子像を用いたものがあったことからぐらい。言われなければ私にはとても劉生の作品だとは判断できなかった。
今回の遠征では先日に日本画家・児玉希望のあまりにイメージの違いすぎる油絵に唖然とさせられたが、今度は洋画家・岸田劉生のこれまたイメージが狂うような日本画に唖然とされられることになった。また彼の麗子像のイメージの使い回しは、先日のムンクが過去のモチーフを使い回していたことも連想させる。何やら各展が私の中で変な結びつき方をし始めた。
この時点でお昼である。適当に裏通りで見つけたトンカツ屋で昼食にする。私のアンテナでは「はずれか当たりかどちらかしかない」という感覚が感じられる微妙な店構えの店である。ロースカツ定食1200円を注文する。
店構えは微妙だが、出てきたトンカツ定食はあまりに平凡だった 結果ははずれではなかった。しかし当たりでもなかった。火を通すのに時間がかかるからと15分も待たされた割には出てきたのは至って普通のなんの変哲もないトンカツ。どうも関東の土地では、私の飲食店に対する勘まで狂ってしまうようである。
なんか拍子抜けする昼食だったが、とりあえず昼食をすませると、いよいよ本遠征の最終目的地となる。JRで西川口まで移動、そこからさらにバスで移動した住宅地のど真ん中にその建物は建っている。
「斜めから見た幕末・明治維新展」河鍋暁斎記念美術館で12月末まで江戸末期から明治期にかけての日本画の奇才・河鍋暁斎の作品を集めた美術館。遺族の元に大量に残っていた下絵を元に、海外に比して国内では極端に知名度の低いこの奇才の名を風化させてはいけないと開館されたとのこと(海外での評価は北斎に並ぶものがあるとか)。2ヶ月ごとに展示替えがあるとのことで、私が訪問した時には風刺版画を展示していた。
今年に入ってから私の心に強烈に刻まれていたのがこの画家の名である。以前に「ギメ東洋美術館展」を訪問した時、彼の釈迦の絵を見たのだが、釈迦と言うよりはキリストにも見えてしまうようなその奇妙な絵が、彼の名前と共に強烈に私の脳裏に刻み込まれてしまったのである。それ以来、本館の訪問を密かに計画していたのだが、ついに念願の訪問実現である。
あの作品を見た時から、「抜群にうまくて、滅茶苦茶に変な画家」という彼のイメージが確立されていたが、先日のサントリー美術館での鳥獣戯画でそのイメージは補強され、本美術館を訪問してそのイメージは確固たるものとなった。間違いなく彼のうまさは抜群である。しかし驚くほどに奇妙奇天烈。彼は妖怪絵も多数残しているようだが、それもさりなん。かなり自由なイメージを持っている画家のようである。それは風刺画にも現れている。
ちなみに彼の風刺画はあまりにも強烈に過ぎるため、幕末期に牢に入れられた経験もあるとか。それでも一向に筆が衰えるどころか、牢の中の光景まで作品に残しているというのだから、すごいというかなんというか。
彼の風刺画の中に幕末の物価高騰を皮肉ったものがあった。富士山の頂上に「米」「味醂」などと顔に書いた人物が登っており、どうやら頂上に近い位置にいる者ほど、高騰が激しいらしい。ちなみに麓の方を見ると「給金」と書いた奴が糊をこねている。そして富士山の横では、米俵を積み上げた閻魔が儲けを勘定しているという次第。これはいつの時代でも変わらないようだ。今日なら山の頂上には「ガソリン」が位置していて、山の脇ではブッシュが札束を数えているのだろう。
展覧会のタイトル通り、かなり世の中を「斜めに見ている」ことは明らかなのだが、痛烈な皮肉を込めつつも、技術には確かなものがあるので、単なる風刺画が一つの作品として完成してしまうわけである。やはりとんでもない画家であったということを再認識した次第。私の中では彼は、曾我蕭白、葛飾北斎と並ぶ日本画の奇才である。
なお本美術館で貴重な情報を入手した。来年の4/8〜5/11に京都国立博物館で「河鍋暁斎展」が開催されるようである。これは実に楽しみである。以前に「曾我蕭白展」が同博物館で開催されて、一躍曾我蕭白に対する社会的注目が高まったが、今度は河鍋暁斎に対する注目が高まるのではないかと期待される。
以上で今回の遠征はとうとう終わりである。後は東京にとって返すと飯田橋に直行、紀の善に立ち寄る。週末のせいかかなり客が多く、しばし待たされる。本日は「抹茶ババロア」(786円)をいただくことにする。これはいつ食ってもうまい。
それにしてもここは、私が東京で初めて出会った「何度でも来たくなる店」である(それどころか、私が飲食店の行列に並ぶというのは通常ではあり得ない)。ただ今でもかなり客が多いのに、これ以上客が増えたらたまらんなというのが本音。まかり間違っても、ミシュランみたいな馬鹿本で紹介され野次馬が殺到なんてことは御免蒙りたいところである。そう言えば「ミシュランがフランスの料理店を破壊している」と言っているフランス人もいたな。
私の経験則を一つ言うと「グルメ本などで野次馬が殺到した店は、早晩に潰れることになる」というものがある。ただその点で考えれば、ミシュランが一般人はとても行く気にならないようなボッタク店ばかりを紹介しているのは、方針としては正しいのか。味の分からない成金には、いくらでも散財してもらえば良いわけだし。
心ゆくまで甘ものを堪能した後は、W−ZERO3を取り出しエクスプレス予約で帰りの新幹線の座席をゲットする。さらにおみやげ用の抹茶ババロアを買い込み、夕食用の弁当を大丸で買い込んでから新幹線に飛び乗ったのであった。帰宅は夜遅くであった。
陣太鼓弁当950円
今回の遠征は当初の計画ではかなり訪問件数も少なく余裕綽々のプランであり、「もし時間が余って持て余したらどうしよう」と思っていたのだが、終わってみるとなぜか時間ギリギリでバタバタした遠征となっていた。どうもこれは私の遠征の宿命のようなものに思えてくる。
しかし今回の東京遠征も得るところが大きいものであった。今回の遠征でムンクやモリゾに対する認識を新たにしたし、日本の伝統の木彫りに対する興味も深まった。また河鍋暁斎に対する興味がさらに掻き立てられたし、酒井抱一という画家に対する興味も出てくることとなった。そしてフェルメールはまさに一期一会である。これは忘れがたい体験となるだろう。
そして今思い返すと、私に一番強烈な印象が残っているのは・・・紀の善の抹茶ババロア。え?実はお前はそれを食べるためにわざわざ東京まで繰り出したんじゃないかって? いや、それは断じて違う、絶対違う、多分違うと思う・・・・。
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