西国編2
先週の週末、広島及び尾道への西国遠征を実施した。今回の遠征は、尾道で「中村コレクションによるバルビゾンの巨星たち」展が実施されていたのでそれを見ようというのと、以前に広島に遠征した時の心残りを解消しておこうというものと、最近に衝動買いしたキャノンのkissデジタルN(当然ながら冬ボ一括払いである)の試し運転をしたいというような諸々の事情が重なり合ったものである。
実は尾道遠征は先月の半ばに企画していたのだが、体調不調により中止になったものであった。既に半ば諦めていたのだが、広島方面での別のイベントの方が発生したので、急遽それと組み合わせることになった。バルビゾン展の会期は11/13までだったので、今回がラストチャンスだったのである。移動には無理をせずに新幹線を使うことにした。というよりも、一日で広島と尾道を回ろうと考えると、移動には迅速さを要するために他の選択肢はなかったのである。そこで今回は移動費には目をつぶったリッチな企画(たかが新幹線を利用する程度で「リッチ」と言わざるをえない私の経済状況って・・・)である。
まずは早朝に広島に移動。大阪発のレールスターはかなりの混み具合であり、自由席は満席の状況であった(当然ながら私は自由席である)。広島に到着したのは9時前、朝食をとる暇もなく、ここから路面電車で第一の目的地に移動する。
「ニューヨーク・バークコレクション展」広島県立美術館バークコレクションとはニューヨーク在住のメアリ・バーク夫人による日本美術コレクションである。彼女は独自の審美眼によって収集作品を選んだようであり、コレクションは縄文土器や弥生土器から、仏像、絵画、工芸品など実に幅広い。しかしその中身は円山応挙や曾我簫白、伊藤若沖の絵画に快慶の手による仏像などレベルが高く、中には日本に存在すれば国宝になったのではというレベルの作品も含まれている。本展はこれらのコレクションの初めての里帰り展とのこと。
彼女の選択基準は非常にはっきりしている。明らかに芸術性の高い作品のみをチョイスしていることは一回りしただけでもよく分かる。技巧を凝らした工芸品は言うに及ばず、縄文土器に至るまですべてが非常に精緻で美しいものである。彼女は日本では工芸と芸術が不可分に結びついていることに感銘を受けたそうだが、この辺りにも彼女の嗜好が反映している。
単に資料価値だけでなく、一人のコレクターによって明確な意志の元に選択された逸品だけに、確かに感銘を受ける作品が多い。個人的興味としてはどうしても絵画がメインとなるが、中でも曾我簫白の「石橋図」は彼らしい破天荒な構図に唸らされた。なお仏像の方も慶派好きの私を満足させるものであったことは言うまでもない。
本展は前期と後期で展示替えがあり、私が見たのは後期の方である。これだけ素晴らし内容だと前期の方も見たかったところであるが、まさか広島となるとそんなに立て続けに遠征するわけにもいかないし・・・残念。
県立美術館で特別展と常設展を回った後は次の目的地に向かう。いつものことながらここで購入した図録の重さが肩に食い込む。移動はまたも路面電車。路面電車は岡山にもあるが、実際に利用してみると市街地の移動には非常に便利であることが分かる。多くの都市がこれを廃止してしまったことが、今更ながら惜しまれる。
「日本近代洋画(常設展)」ひろしま美術館ここでは特別展ではなく常設展である。しかしこれは特別展がたまたまなかったから常設展を見に来たのではなく、実は今回は最初からこれを狙って来たというのが事実である。この美術館のコレクションは西洋絵画と日本近代洋画の2つがあり、特に西洋絵画コレクションはそのレベルの高さが知られている。しかしこれらの西洋絵画はほぼ年間を通じて展示されているが、日本近代洋画の方はスペースの関係で特別展開催時はほとんど展示されないのがこの美術館の常であり、実のところこれを見られるのは特別展並みに限られた期間になってしまうのである。そこで今回は再び高レベルの西洋絵画コレクションを楽しむと共に、この館が所蔵する日本近代洋画も鑑賞しようと企画展の狭間のこの機会を狙った次第である。
展示されていたのは黒田清輝や岸田劉生、小出楢重などそうそうたる画家の作品である。日本洋画に造詣が深いとは言えない私には、全く聞いたこともない作家の作品もかなりあったが、一堂に展示されていると各作家の個性が分かって非常に面白かった。特に印象に残ったのは岸田劉生の「支那服を着た妹照子像」。作者は「固すぎる」とあまり気に入らなかった作品のようだが、ピンと張りつめたような空気がかえって美しく思える。そういえばこの画家の作品で「麗子像」以外の人物像は初めて見たような・・・。
これ以外でも、裸婦像ばかりを並べていたコーナーなどがあったのが、いかにも洋画らしい。ズラリと見回すと、描写に力を尽くしているものから、抽象画の一歩手前まで行っているものなど、人物描写の個性の違いが分かって非常に面白い。全体として、本展は期待に違わずかなり楽しめたというのが正直な感想である。
人間の愚かさの象徴・原爆ドーム この後は原爆ドームへ移動した。時間がないので途中でラーメンを一杯かき込むと急ぎ足で地下を駆け抜けることになる。原爆ドームでカメラのテストを行った後、さらに平和記念公園に移動、慰霊のモニュメントに一礼してから原爆資料館に移動する。
実は前回の広島訪問での心残りというのは原爆資料館を訪れることが出来なかったことなのだ。私は以前から、日本人たるものは絶対にここを一度は訪れる必要があると考えていたので、今回はかなりきついスケジュールではあったが、なんとか原爆資料館訪問を組み込んだのである。
時間の制約で駆け足での見学にならざるをえなかったが、それでもやはり原爆資料館は鮮烈な印象を私に残した。被爆地に残されていた茶碗に土が完全に焼き付いていたのが、被爆時の高温を想像させて震撼した。そして意外にも胸に残ったのは、被爆前の広島と被爆直後の広島の模型を並べた展示。ごく普通の町が一瞬にして何もない廃墟になってしまっていることにショックを受けた。頭では分かっていても、ああいう形で示されると衝撃が強い。当然そこには多くの生活があったことが想像され、それが一瞬にして消え去ったことを考えると、知らない間に涙がにじんでいた。
この施設を見学して、それでも戦争は必要だとか、戦争をしたいと考える輩は明らかに人間として壊れていると言えるだろう。それだけに国民を私益のための戦争に駆り出したいと考えているブッシュなどはこの事実をひた隠しにしているし、同じく彼に同調して国民を戦争に駆り出したいと考えている小泉も、殊更に広島を無視しようとするわけである。私としては、いかなる理由があろうとも今後日本が戦争に荷担することがあっていけないということと、戦争という暴力に対しては抵抗を続けていく、たとえ理想論といわれようとも世界からの暴力追放を目指すとの決意を固める。
あの愚行は二度と繰り返させてはならない
この後は、時間がないためにタクシーで広島駅に急ぐ。正直なところ、タクシーを一度使用すると細かい旅費の節約努力など完全に吹っ飛んでしまうため、私はなるべくはこれを利用しないことにしている。しかし今回は当初から「リッチに」という構想であるのと(タクシーを利用するだけで「リッチ」と言わざるをえない私の経済状況って・・・)、スケジュール的に今回は速度優先であり、どうしても移動時間が限られるための選択である。それにしてもタクシー代って高い・・・。
尾道に到着したのは午後2時前、尾道に来たのは初めての私が、町を見渡して発した第一声は「マジっすか?!」というものであった。いつも出かける先の地理はゼンリンの地図で綿密にチェックする私だが、地図には決定的な要素が欠落していることをこの時に思い知らされた。それは高低差というものである。私は尾道が斜面の町だというのは知っていたが、こんな見上げるような絶壁にへばりついている町だとは思っていなかったのである。しかも道は曲がりくねったダンジョンのようで、急な坂道と石段が路地でつながっており、一体どこに向かえば目的地にたどり着けるのかさえ定かではない。結局私は、道に迷っているうちに、はからずしも当初の目的には全く含まれていなかった古寺巡りをする羽目に陥ったのである。
尾道にはこの手の古寺がが無数にある
ウロウロしているうちになんとかロープウェイの駅を見つけ、そこからすし詰めのゴンドラに乗って山頂に登ることとなった。ロープウェイで降りたところは展望台。尾道水道が見渡せる絶景である。ここでカメラのテストを兼ねながら、しばし風景を楽しんだ後に美術館へと移動する。
ロープウェイと千光寺公園から望む尾道水道の絶景
安藤忠雄デザインによるという美術館の建物は、現代建築であるにもかかわらず、意外と辺りの風景に溶け込んでいる。また建物自体はそう大きいものでもないにもかかわらず、内部は広く機能的に作られており、設計の良さを感じさせるものであった。
「ミレー、コロー バルビソン派の巨匠たち 〜魅惑の中村コレクション〜」尾道市立美術館本展は実業家・中村武夫氏の個人コレクションを公開したものである。中村氏はミレーの「晩鐘」に感銘し、その後バルビゾン派の画家達の作品を精力的に収集したという。本展ではそのコレクションから、ミレー、コローを初めてとしてルソー、トロワイヨン、デュプレからクールベなどの作品を合計106点展示している。
個人的には、バルビゾン派と一括りにされている画家達が実はそれぞれ個性が違うのが、こういう場に集められることで分かって興味深かった。オランダ精密画の流れを汲んでいる画家もいれば、印象派につながる表現を行っている画家もいたりで、いずれも牛と藁と農民の絵ばかりにもかかわらず(笑)、よく見ていると各々表現が違うのである。
私としてはミレーの作品も面白かったが、写真のような趣のあるデュプレの作品が印象に残った。特に「干し草を集める女」は構図に動きがあることから、一瞬の風景を切り取った報道写真のような面白さを感じさせた。またこうして見ると、やはりコローって古典絵画に近いななどと改めて感じたりなど、考え込むことしきり。なかなかに楽しめた。
ところでこれは全く余談だが、この美術館は建物はリニューアルしたのだが、ホームページの方が全くである。未だにキチンとした公式ホームページが存在していないというのはいかなものか。全般的に尾道はネット情報が欠けているようである。尾道は町自体がレトロだが、ネットの世界でもレトロなようなのが気になるところである。この後は尾道で有名という千光寺を見学し、文学館などにも立ち寄った。この地は林芙美子や志賀直哉など多くの文学者のゆかりの地であり、それらのゆかりの品も多いという。ただ私としては美術品はともかく、文学者の遺品を見てもあまり興味が湧かないというのが事実だったりするのだが。
それにしてもこの町の路地の多さにはつくづく驚かされた。狭い路地が複雑に入り組んでいるために、どこがコースか分からず、1つ間違うと個人の家に入りそうになってしまう。だがこういったたたずまいは何やら郷愁の念を湧かせるのは事実である。大林宣彦監督が尾道を舞台にして三部作の映画を制作したことが有名だが、確かにこの町を舞台にすると私でも映画の一本ぐらいは作れそうだ(笑)。ほろ苦さのある青春映画と、SFチックなメルヘン映画、そして後は冒険活劇(笑)、ん、三本になってしまった(笑)。
なおこの町でさえ、目障りな高層建築がいくつか建っており、景観に悪影響を与えていた。どうも日本の町は景観保護といった観点が欠落しているようである。特にその集大成が古都・京都である。あの下品な駅ビルを始めとして、京都の景観は日本を代表する古都として誇れるものとはとても言えない。全く日本の都市計画はなっていないと考えさせられることしきり。
斜面を降りた後は、最後の目的地に向かう。しかしもう既にこの頃には足に相当ダメージが来ているのが感じられ、日頃の運動不足を考え合わせると、明日私がどういう状態になるかが想像され先が思いやられる。それにしても私って、この週末の美術館廻りが最大にして唯一の運動なのでは?
尾道白樺美術館ここは梅原龍三郎などの絵画作品を展示すると共に、志賀直哉などの白樺派のゆかりの作品を展示している美術館である。梅原龍三郎の邸宅を復元したという落ち着いたたたずまいの建物内に作品が展示されている。
私が訪問した時には武者小路実篤の書簡や志賀直哉の書簡や原稿などと梅原龍三郎の作品が展示してあった。ただ書に興味のない私としては、「フーン、やっぱり作家って原稿用紙にはかなり書きなぐるんだな」と妙なところに感心しただけである(笑)。なお梅原龍三郎については、正直なところ好みの画家ではないので「そうですか」で終わってしまった。
この後はバスで駅まで移動、福山から新幹線に乗って帰宅の途についた。電車に飛び乗ってからよくよく考えてみると、昼に広島でラーメンを食べただけで他には何も食べていないことに気づき、帰り道は空腹を抱えることになった。そういえば尾道ラーメンというものをよく聞くが、土産物屋には尾道ラーメンがたくさん並べられていたのにもかかわらず、町中にはラーメン屋を全く見かけなかったのはなぜ? 私がたまたまラーメン屋を避けてしまったいたのだろうか?それにしても広島焼も尾道ラーメンも食べず、結局食べたものは広島のわけの分からないラーメンだけとは、いつものことながら私の遠征は食べ物が軽視されすぎである(スケジュールが優先されるので、どうしても食事の時間がまともにとれない)。いつか一度グルメツアーでも企画しようか・・・・あっ、先立つものがない・・。
補足
翌日の私は恐れていた通り、自分の日頃の運動不足を痛感させられる羽目に陥りました。尾道に住んでいる人は、そのことだけで身体が丈夫になりそうです。なお千光寺に定期的にお参りをすると、少なくとも身体が引き締まったり心肺機能が強化されるという御利益はありそうです(笑)。
戻る