南国編

 

 この8/6に徳島の美術館を訪問してきたので報告する。

 以前より徳島訪問は懸案事項であったのだが、8/6とピンポイントで日を定めたのは実は理由がある。そもそも私の徳島訪問の主目的は大塚国際美術館の訪問なのだが、この美術館を見て回るのにはざっと1日はかかるという話を以前より聞いていた。しかし貧乏な上にケチである私としては「遠出をする時には目的地を1個所に限定しない」という原則は譲るわけにはいかなかったのである。そこで周辺で第2目的地を探したところ、徳島県立近代美術館で開催中の「黒田清輝展」がそれに最適であるという結論に至った。

 しかし詳細なプランを練っていく過程で(私は遠出の時は分刻みのスケジュールを立てる)、今回のプランの決定的な問題点が浮上した。それは両美術館の距離であった。鉄道がほとんど使い物にならない四国(とにかく本数が異常に少ない)では移動はバスに限られるのだが(旅費を最小限に抑えるということを至上課題にしている私のプランでは、マイカーで明石大橋を渡るなどというリッチな計画は問題外である)、両美術館間の移動は路線バスで2時間近くかかるということが判明したのである。9時30分−17時という美術館の開館時間を考えると、これでは肝心の観覧時間が不足することになる。私のプランは根本から崩壊することになったのである。

 だが事前リサーチは徹底的に行うものである。大塚国際美術館について耳寄りな情報が現れた。それはこの美術館では年に3回、今年は7/16、8/6、9/10の3日に限って、夜間開館として閉館時間が20時30分にまで延長されるというのである。これなら十分な観覧時間が確保できる。この中で黒田清輝展の開催期間と重なるのは7/16と8/6だが、既に7/16は過ぎていたことから、必然的に決行日が決定したのである。

 当日は早朝から出発し、高速バスで徳島まで渡るという計画になった(旅費を最小にするため、高い橋はバスで渡ろうということである)。まずは徳島駅まで移動、徳島市街にそびえ立つ眉山(まさに市街にそそり立っており、かつてはこの山頂には砦が築かれたのではと考える)を横目に見ながら、路線バスで40分ほどかけて徳島近代美術館に到着する。徳島近代美術館は市街からやや離れた山の麓にある施設で、博物館などとの複合建造物となっている。川をイメージしたと思われる大規模な噴水などがバブリーな雰囲気を漂わせる施設である。


「黒田清輝展」徳島県立近代美術館で9/4

 本展は明治の日本洋画の黎明期に、その中心的人物として活躍した黒田清輝の作品を集めた展覧会である。今回公開される作品は東京文化財研究所のコレクションであり、ヨーロッパ留学前の作品から、その最晩年の作品に至るまでを系統的に鑑賞することが出来る。

 黒田は一枚の作品を仕上げるために非常に緻密な設計をなしていたと言われるが、今回の展覧会ではそのことを証明する習作や部分スケッチが多く展示されていた。ただ肝心の完成作が消失してしまっているということが一番残念に感じられた。なお黒田の作品はその明るい外光表現で人々の心をとらえたと言われており、影を紫で表現することから、当時は「紫派」などとも呼ばれていたという。印象派などのきらびやかな光の表現に慣れている我々としては、黒田の作品が「明るい」と言われても今一つピンとこないが、当時のヨーロッパのアカデミズム派の薄暗い作品と比較したら、それは一目瞭然である。

 本展でやはり一番目を惹くのは、有名な「湖畔」と裸体画の三部作「智・感・情」であろうか。黒田としては珍しく勢いで描いたと言われている「湖畔」はタッチは荒く見えるにもかかわらず、やけに人物に存在感があるし、「智・感・情」については日本人的ではないモデルの等身が、妙に人工的に見えたのがインパクトとして強く残った。

 黒田のこれらの作品は東京のみで、しかもそう頻繁には公開されていないということを考えると、徳島くんだりまで出かけてきた価値は感じられた。


 この後は同じ建物内の博物館をざっと一回りしたが、考古学的展示から民俗学的展示、さらには歴史学展示に美術展示までとごった煮の内容がなかなか興味を誘い、急ぎ足で回らざるを得なかったのが少々勿体なかった。なおさすがに徳島だけあって、サヌカイトを実際に叩ける(実に金属的な音色がする)というのがなかなかな面白かった。

 ここを昼前に出ると、また路線バスで徳島駅に移動、駅前で昼飯をかき込んでから、大塚国際美術館まで1時間ほどをバスに揺られることになる。しかし徳島県内をバスで移動する人は少ないのか、美術館に近づくにつれてだんだんと乗客は減っていき、美術館で降りた時には私たった一人という状況である。大塚国際美術館は瀬戸内海の景観を意識して、その本体は大半が地下にあり、地上にはほとんど出ていないという。とりあえず入口を通り、見上げるようなエスカレータを上った先が地下三階の展示室になる。


大塚国際美術館(鳴門市)

 この美術館はかの大塚食品が設立した美術館であるが、最大の特徴はすべての作品が陶板に絵画を焼き付けた複製画であるということである。これらの陶板は非常に耐久性があり、美術館によると「1000年経っても変化しない」とのことである。だからこの美術館では写真撮影どころか作品に触ることさえできるというのが、他とは異なる特徴となっている。

 美術館内は礼拝堂や棺の中を再現した環境展示と呼ばれる展示と、時代に沿って作品を並べた系統展示とに分けられる。このうちでやはり特にこの美術館らしいのは環境展示の方であり、目玉はミケランジェロの最後の審判が描かれているシスティーナ礼拝堂の復元である。巨大なホールに実寸大で復元された最後の審判には、そのスケールの大きさに思わず圧倒される。これ以外にもエル・グレコによる祭壇の復元だとか、とにかくやることなすことがべらぼうで、その馬鹿馬鹿しいまでのスケールには笑わされながらも感動させられる。

 

 システィーナホールの「最後の晩餐」。この規模には唸らされる。

 

 系統展示の方はどこかで見たことがあるような有名な絵画のオンパレードである。地下から順路に沿って回ればヨーロッパ絵画史を体感できるという仕組みになっており、学習には最適である。

 本美術館の作品はあくまで複製であるので、どうしても本物が持っているような迫力には欠ける。にじり寄って見ると筆のタッチは見えずに、印刷のような模様が見えてしまうのは少々興冷めではある。また陶板の大きさに制限があるのか、大判の絵の場合には陶板の継ぎ目が現れるのが、作品によっては気になったりする。このため、本美術館の作品はやや距離をおいて遠目で眺めるのが正解である。

 作品の撮影が自由というのが、この美術館が普通の美術館と違うところ。

 

  このように複製画(それも本物とは似てもにつかない陶板という素材)である故の限界は明らかであるが、それでも実物を目にすることはほとんどかなわない名画が実寸大で存在しているというメリットはなかなか大きなものがある。その真価が最大限発揮されるのは環境展示だが、系統展示においても単なる図録などとはことなる存在感があるのは事実である。

モネの睡蓮に至ってはなんと屋外展示

 

 なお私は事前にこの美術館を回るのには丸1日は必要だと聞いていたが、さすがに全長4キロに及ぶと言われるコースを回るのには、かなりの時間を要する。どちらかと言えばざっと見ていく方で、小規模の展覧会なら30分経たずに出てくることのある私が、この美術館では観覧にまる4時間かかってしまったことに、そのとんでもない物量が現れている。とにかく一回りするのに体力も必要なのがこの美術館である(それだけに各地に椅子は置いてあるが)。


 一回りを終えた時には夕方の5時になっていた。一旦美術館から出ると、10分ほど遊歩道を歩いて渦の道に渦潮鑑賞に出かける。鳴門大橋の直下から見る鳴門海峡の激流には圧倒されたが、この日は大潮が7時とのことで残念ながら渦潮はほとんど見られなかった。

 この後は再び美術館に戻り(再入場するには、出る時に手の甲に特殊インクのスタンプを押してもらう)、中のレストランで鯛茶をすすり、7時過ぎまでもう一回りした後、路線パスで鳴門まで戻ってから高速バスに乗り換えて夜遅くに帰宅した。

 なかなかに堪能できたが、とにかくやたらに歩いたというのが正直なところ、美術館巡りは意外と体力を使うと感じているが、こんなに歩いた美術館はとにかく初めてである。で、日頃から運動不足の私は、帰宅した途端にグロッキー状態になり、翌日はほとんど一日中寝ていたのは言うまでもない・・・。まだまだトレーニングが必要なようである。

 さて大塚国際美術館だが、その異常に高い入場料(大人3150円)には、これではまるでディズニーランドだと絶句したが、入ってみたら納得した。というのも、ここは美術館と言うよりはディズニーランドだった(笑)。この施設ははっきり言って、超巨大なアトラクションと考えた方が正解である。つまり楽しんだ者勝ちというところか。なおこの日は夜5時以降には浴衣を着てきた人は入館料が無料という粋なイベントを行っており、夕方になるとなかなかに艶やかな雰囲気になっていた。また阿波踊りのステージがあったりと、イベントの多さもやはり「ディズニーランド」である。

 ただ果たしてリピーターが来るかと言えば難しいところだろう。あまりの物量に回っているうちに「もう結構」という気持になったのは事実であり、私個人としては一人で再訪することはないだろうと思う。次に来るとすれば、家族か彼女(まだいないが)を連れてといったところか。というわけで、やはりここは「ディズニーランド」なのである。

 

 

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