展覧会遠征 大阪・滋賀編2
今週は大阪での仕事のついでにコンサートに出向くことにした。
木曜日の仕事を終えるとホールに直行。今日はザ・シンフォニーホールでの大阪交響楽団の公演を聴きに行く。ホールに到着したのがギリギリぐらいなので夕食を摂る暇がなく、途中のコンビニでおにぎりを一つ買って急場をしのぐ。今回わざわざこの公演に来たのは曲目がマーラーの交響曲第3番だからなのだが、同様の客が多いのか場内は結構の入りである。なお合唱団までステージ上に並べたのでステージの上はギチギチ。下手するとヴァイオリンがステージから落ちそうなぐらい。
大阪交響楽団 第225回定期演奏会
[指揮]寺岡清高
[アルト]福原寿美枝
[女声合唱]関西二期会合唱団/大阪響コーラス
[児童合唱]堺市少年少女合唱団・堺リーブズハーモニー
堺シティオペラキッズコーラス
清教学園中・高等学校合唱部
[合唱指揮]中村貴志
マーラー:交響曲 第3番 ニ短調
初っ端から増強してある金管陣がかなり派手な演奏を繰り広げる。金管はかなり元気だし、それに併せて木管もかなり元気。ただ14編成にまで拡大しているのにも関わらず弦楽陣、特にヴァイオリンが貧弱。おかげで管楽器だけが聞こえてきてブラスバンド状態。弦で聞こえてくるのはチェロやコントラバスのような低弦だけというアンバランスさ。第一楽章は終始そんな状態だったのだが、続く第二楽章でも弦の貧弱さがひびく。美しく旋律を奏でるべきところで音色は濁る上に響きがヒステリック。おかげでゆったりと落ち着くことが出来ない。
合唱はかなり頑張っていたのだが、オケに関しては最後までしっくりとこなかった。精彩を欠く弦に音が割れてしまっている木管と言った具合で、金管だけが孤軍奮闘(と言うか、皮肉にも頑張りすぎているのが全体のバランスの悪さに拍車をかけている)という状況のちぐはぐな演奏に終始した感がある。なお金管も細かい演奏では音程の揺れなどがあったり、斉奏の際に変な音が聞こえてきたりなど残念ながら全体を通じて技量の低さを痛感させられる場面は多々あった。
結局は技倆的にやはり今ひとつだなという印象を拭いきれなかったというところ。大阪交響楽団の限界が見えたような気がした。意欲的なプログラムは良かったのだが・・・。
公演を終えるとホテルに向かう前に夕食を摂っておくことにする。入店したのは「ラーメン人生JET」。で「鳥煮込みつけ麺の大盛り(980円)」を注文。ややこってりしたスープがなかなかに美味。空腹に染みいる感覚である。
夕食を終えるとホテルに向かう。今日の宿泊先は例のごとくに新今宮でホテルサンプラザ2ANNEX。ホテルに到着した時にはもう22時過ぎなので、この日はシャワーを浴びる気力もなくすぐに寝るだけになる。
☆☆☆☆☆
翌日も大阪で仕事。ホテルから直接に仕事場に向かう。
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今日の仕事はいろいろと手こずったのでやや遅めの終了となった。今日はコンサートの予定がなかったのが幸いなところ。
夕食は新世界で。久しぶりに「グリル梵」に立ち寄って「ビフカツ」を頂く。やはりここのビフカツは火の通り具合が絶妙。固すぎずそれでいてレアではないというミディアム具合が最高。最近はレアカツが流行のようだが、私はあれはビフカツとしてはあまり好みではない。やはり正しい関西のビフカツはここのようなものである。
夕食を堪能するとホテルへ。昨日は入浴していないので今日は大浴場でゆったりと入浴して疲れを抜く。風呂から上がると明日以降に備えてネット調査をしつつ一人戦略会議でこの日は終わる。
☆☆☆☆☆
翌朝は7時半に目が覚める。昨日買い込んでいたパンを朝食にとって準備。
今日は西宮で開催されるプラハ交響楽団の演奏会が予定のメインだが、その前に堺まで足を伸ばそうと考えている。堺のアルフォンス・ミュシャ館でサラ・ベルナールの展覧会が行われているのでそれに立ち寄るつもり。しかし昨日、利晶の杜なる施設で島成園の展覧会が開催されといるとの情報を得たので、それも併せて立ち寄ろうと計画変更。ただそうなると時間的に結構余裕がないので、昨晩はそのルートを一人戦略会議で策定していたのである。
アルフォンス・ミュシャ館の開館が9時半なのでそれに併せて9時頃にホテルをチェックアウト。とりあえず重たいキャリーはホテルに預けての出発。新今宮から紀州路快速で堺市駅を目指すのだが、天王寺での乗り換えで案内看板の表示が不親切なせいで間違い、天王寺駅を南から北まで一往復する羽目になって目的の列車を逃してしまう。さすがに大阪ダンジョン、一筋縄ではいかない。初っ端から前途多難である。
とりあえず列車は予定より1本遅れたが、何とか堺市駅にたどり着く。目的とするミュシャ館はここから陸橋でつながった商業施設ビルの奥のマンションビルの4階にある。昔は与謝野晶子館と併設されていた記憶があるのだが、与謝野晶子館が移動してミュシャだけの施設になったようだ。おかげで以前よりも展示スペースが広がっている。
「サラ・ベルナールの世界展」堺アルフォンス・ミュシャ館で3/3まで
アール・ヌーヴォー時代のパリを代表する大女優で、ミュシャやロートレックなど様々な芸術家との関わりもあるサラ・ベルナールについて紹介。
サラ・ベルナールの写真なども展示されているが、芸能人には不可欠の強い目力を持つ女性であることが印象に残る。意外だったのは、ミュシャのポスターが話題になった頃は彼女は50を超えていて、既にベテラン女優になっていたこと。ミュシャが描いた彼女の姿があまりに若々しいので彼女がそこまで年配だとは思っていなかった。まあこの辺りは「女性を最も美しく描く」と言われたミュシャならではなのだろう。
さて彼女であるが、彼女自身も芸術の素養を有しており、彫刻や小説の執筆まで行っていたという(もっともそれらは悪趣味であると揶揄する者も少なくなかったようだが)。演劇舞台は役者や演出、衣装にセットなどあらゆる分野が融合した総合芸術であるが、それらに対して彼女自身がかなり深く関与していたらしい。そういう点で彼女はアール・ヌーヴォーの潮流に直接的に影響を与えたことになるようだ。
華やかにして伝説に満ちた彼女の生涯は、いかにもあの時代のパリに最もマッチしたと言えるものであったろう。そのような時代の空気まで感じられる展覧会だった。
展覧会の見学を終えるとここから南海堺駅行きのバスで利晶の杜を目指すことにする。ところで利晶って何だろうと思っていたのだが、どうやら利休と晶子の略らしい。与謝野晶子館はそちらに移動して、同じく堺ゆかりの千利休と合体した模様。
利晶の杜
バスは20分おきぐらいに出るのだが、生憎と私が美術館を出たのはバスが出た直後だったらしい。しかも次のバスは5分ほど遅れて到着。地味に時間を浪費。それにしても堺市はJR阪和線沿線、南海高野線沿線、南海本線沿線と市街の中心が分割されており、東西の連絡はバスに頼るという町の構造になっている。そういう点では意外と難儀な構造の町である。
利晶の杜には利休絡みの展示スペースと与謝野晶子絡みの展示スペース、さらにギャラリーかあってそこで今回は島成園が展示されている。利休絡みの展示スペースには利休ゆかりの茶器などの展示もあるが、一方でリーフデ号の模型など、一部は歴史博物館を兼ねている部分がある。
リーフデ号模型 当時の日本地図 同じく世界地図 黒織部 志野 黒樂茶碗 与謝野晶子の方は、かつての晶子館から大幅拡張。彼女の執筆スペースや彼女の生家である老舗和菓子屋「駿河屋」の復元など大型展示があるが、果たしてそれがどれだけ意味があるのかは若干疑問。
島成園については小スペースに数十点を展示。初期のオーソドックスな日本画から、大正デカダンスの影響が濃厚に出た「無題」「伽羅の薫」などを経て、結婚後を経ての昭和時代のシンプルな作品まで一応全年台を網羅している。
彼女は「無題」などを発表して画家として生きていくことを決めた矢先に、父と兄から強く勧められた見合いで電撃結婚をしている。彼女の結婚相手は幸いにして画業を続けることには理解があったとのことだが、やはり家庭を抱えて多忙になったのか、そこから彼女の製作ペースは落ちると共に作品もオーソドックスかつ軽快なものに戻ってきている。彼女は結婚自体は本意ではなかったとのことなのだが、この時点で彼女に結婚を勧めた父兄の気持ちはよく分かる。あの当時に女性が画業で身を立てるなどは極めて困難であったし、時代の潮流に乗ってデカダンスにはまった(あの時期には北野恒富などまで柄にもないおどろおどろしい絵を描いていたりする)状態で突っ走れば、かなり感情的な部分があったという彼女の場合いずれ破綻するのが見えていた。身内としてはストップをかけたのだろう。私が身内でも多分同じことをすると思う。彼女自身が後に「濃厚な色彩で描くよりも、淡い色彩で描く方が自分に合っている」という趣旨のことを語っているらしいが、やはり彼女自身にも若気の至りのようなところもあったのだろう。「伽羅の薫」などはギョッとするようなインパクトはあるのだが、彼女の他の作品を見ているとやはり彼女の本領ではなかったような気がする。
それにしても、芸術を突き詰めればどうしても人間的には破綻の方向に向かうような気がする。やはり天才となんとかは紙一重で、狂気の果てに独創的芸術は登場するのか。実際にゴッホの作品なんかも、精神に変調を来してからの作品の方が面白いし。
利晶の杜の見学を終えると隣にある「梅の花」で昼食を摂ることにする。入店してみると思いの外に高級店イメージ。今日は仕事のついでなのでフォーマルスタイルで着ているが、これはいつものみすぼらしい格好なら気後れしたかも。
店内は実に落ち着いた雰囲気がある 落ち着いた部屋に通されると、ランチセットである雪ランチを注文。これに生麩の田楽と牡蠣フライを追加する。
最初に前菜的なものが運ばれてくるが、さすがに美味い。また豆腐料理店だけに野菜が豆腐に和えてありなど、随所に豆腐が入っている。しかしそれぞれ表情が違って多彩である。続いて運ばれてきた牡蠣フライも非常にに美味。
なかなかに美味であるのだが、一つ重要なことを忘れていることに気がついた。それは料理が運ばれてくるペースが非常にゆったりしていること。高級料理店の懐石形式の場合、料理は一気には運んでこない。しかし私が乗る予定のバスの時刻までとっくに1時間を切っており、そんなにゆっくりと食事をしている余裕はないのである。どっと出された料理を10分程度でかき込むという下品な生活をしている私にはこの時間感覚がなかった。仕方ないので店員に「申し訳ないが時間に余裕がないので、料理を持ってくるピッチを上げるように」と依頼する。
この後は、海老のシュウマイ、広島県産牡蠣と豆乳もちの揚げ出し、豆腐けんちん豚巻き揚げなどが次々と運ばれてくる。豆腐が随所に使われていて実に美味。特に揚げ出しなどは実に良い味をしている。
最後は生麩田楽とご飯類に湯葉の吸い物があってデザート。いずれも美味。特にやっぱり生麩は美味い。
昼食を終えるとバス停に急ぐ。幸いにして予定のバスには間に合う。南海堺駅に移動すると、ここから新今宮へ移動、ホテルでキャリーを回収してからJRと阪急を乗り継いで西宮のホールへ到着した時には開演の10分前ぐらいだった。
プラハ交響楽団
指揮:ピエタリ・インキネン
ヴァイオリン:樫本大進
管弦楽:プラハ交響楽団
ブラームス:ヴァイオリン協奏曲
ドヴォルザーク:交響曲第9番<新世界より>
一曲目のブラームスはプラハ交響楽団の音色がやけに硬質に感じられた上に、樫本のヴァイオリンも上手いが色気や茶目っ気に欠けるもの。やや仰々しい曲調も相まっていささか面白みに欠ける演奏になったように感じる。むしろ面白かったのは、インキネンがヴァイオリンを手にとって、二人で弾いたアンコールのバッハ。特にインキネンが叙情性たっぷりに弾いており、思いの外に心に染みる。
これで何となくインキネンの方向性が見えた気がしたが、次の新世界でそれがさらにハッキリする。この曲をチェコのオケでチェコの指揮者が演奏するとボヘミアの舞踏の旋律が正面に出てくることが多いのだが、インキネンは極めて対照的。とにかく全く踊らないのである。踊らずに謳わせて、この曲に秘められた舞踏の要素でなくて情景の方を赤裸々に描きあげている。彼の指揮にかかるとこの曲が持つ自然を描いた要素が在り在りと浮かび上がってくるのである。
これが最も端的にあられたのがアンコールのスラブ舞曲。これが見事に全く踊らない舞曲。これがチェコの指揮者、例えばアルトリヒテルなんかだったら、それこそ指揮そっちのけで自分自身が踊ってしまうのだが、インキネンは一貫して踊らず徹底的に謳わせる。そうするとまるでこの曲が自然をテーマにした交響詩に聞こえてくるから不思議。さらに徹底したことに、スラブ舞曲8番のようなアップテンポで誰でも踊るような曲でもこのアプローチ。するとこの曲が一瞬、シベリウスの交響詩のようにさえ聞こえたのには驚いた。これはやはりヴァイオリン出身という彼の経歴と、彼の中の北欧の血が大きく影響しているように思われる。
なかなかに異色な演奏であった。ただ問題点を挙げるなら、果たしてこの演奏が面白いかどうかである。この演奏には芸術性の高さは感じるのであるが、実のところ徹底的に踊る演奏の方が聴いている分には楽しさを感じたりする。この辺りにジレンマがある。
なかなか異色な演奏だった。これがインキネンのアプローチか。好き嫌いが結構分かれそうである。
コンサートを終えると阪急で京都に移動する。今日はいつものチェックインホテル四条烏丸で宿泊する。チェックイン手続きを済ませるといつもの超狭い和室へ。とりあえずシャワーで汗を流して一息つく。
しばしの休憩の後に夕食のために町に繰り出す。コートだと重装備なのでコートを脱いで出かけたのだが、さすがにこれだと京都の夜は寒い。と言うわけであまり遠くへはいかないことに。昼に高級で健康的な食事をしたので、夕食は安くて不健康なものにしようと考える。頭に浮かんだのはラーメン。しかし一風堂はいつも以上の大行列。そこで町中をウロウロしたところ、路地の奥に「京都北山元町らーめん」なる店を見つけたので入店する。
どうやら醤油ラーメンの店で、元は屋台だったらしい。京都のたまり醤油使用などと書いてある。要するに地産地消か。チャーシュー麺(900円)に高菜ご飯(+250円)を付ける。
真っ黒なラーメンである。かなり塩っぱい。もっとも関東の食事のように無意味にダダ辛いのでなく旨味もあるのであるが、残念ながらその旨味を乗り越えてしまうだけの塩っぱさ。インパクト勝負の屋台ラーメンならこれもありなのかもしれないが、店で出すラーメンとしてはどうだろう。幸いにして私は高血圧はないので良いが、高血圧のある者なら命取りだろう。これ以外に白醤油ラーメンなるものもあるらしいから、もしかしたらこちらの方が良いか?
かなり口の中が辛くなったので、帰りにコンビニスイーツでも買っていこうかと思っていたら、同じ路地の中に「京都シャデレール」なるクレープ屋を見つける。路地の中にかすかに甘い匂いが漂ってくる。すると私はそれに誘われてフラフラと入店してしまう。
京の町家を改造したらしき和洋折衷なお洒落な店内。いかにも女性が喜びそうな店でいかにも私には不似合いだが、幸いにして店内に客が多くなかったので白い目で見られることはなかった。
ここのクレープはそば粉を使っておりガレットと言うようだ。そばのアレルギーがないかを事前に聞かれるが(これは極めて重要なことだ)、当然ながら私には問題ない。なおガレットはデザートだけでなく、食事メニューもある模様。私はカフェということで、シュゼットシトラスなるフルーツとクリームをトッピングしたガレットにダージリンティーをセットで注文する(1296円)。
紅茶は金属製のポットに入ってきて、砂時計が落ちるのをしばしお待ちくださいというスタイル。その後に出てきたガレットは見た目も華やかだし、味も良いしということでなかなかに堪能。こうして考えてみると、路地奥の塩っぱいラーメン屋とこのクレープ屋は京都特有のトラップであろうか。恐るべし京都人。さすがに公家の町は謀略に長けている。
塩っぱくなっていた口は見事に中和されたが、問題はカロリーは単純に加算されたであろうこと。私にはこちらの方がむしろ命取りだ。当然のことではあるが、店を出た後はコンビニに立ち寄ることなくホテルに直帰する。
この後は部屋で特にすることもなくブラブラすることになる。夜も更けてから突然にipadにアクチベーションロックがかかって文鎮化してしまうというトラブルが発生。AppleIDとパスワードを突然に求められ、てんやわんやすることに。しかもなぜか正しいはずのパスワードを受け付けない。結局はiPhoneの方からパスワードを変更して、それを入力することで何とか再起動に成功する。appleの方で何かトラブルがあったのではという気もするのだが真実はベールの向こうである。
☆☆☆☆☆
昨晩のてんやわんやで就寝がかなり夜遅くになってしまったので、翌朝8時に目覚ましで叩き起こされた時にはかなりの眠気がある状態。しばし布団から起き上がれずにウダウダしてからようやく起き上がると、目覚ましに朝食に出かける。朝食はいつものバイキング。
ようやく目が覚めたところで朝シャワーでさらに体に気合いを入れる。さて今日の予定だが、びわ湖ホールで開催されるプラハ国立劇場の「フィガロの結婚」を見に行くこと。ただこれだけだと時間がかなり余るので、その前に近代美術館に立ち寄ろうと考えている。
ホテルのチェックアウト時刻の11時直前まで部屋でウダウダと過ごすと、地下鉄で東山に移動する。美術館の前の道路は消防の出初め式があるとか何とかで規制がかかっていたりでドタバタしていたが、美術館の方はかなり閑散とした状態。
「世紀末ウィーンのグラフィック デザインそして生活の刷新に向けて」京都国立近代美術館で2/24まで19世紀末のウィーンにおいて、旧来の保守的な芸術界に反旗を翻して旗揚げしたのがウィーン分離派と呼ばれる一派。彼らは時代に応じた新しい芸術の形を提案し、他国の芸術と交流したり紹介したりなどの活動を行いながら総合的な芸術活動を目指していたようである。そのような時代の作品を紹介。
19世紀末と言えばアール・ヌーヴォーの潮流が逆巻いていた時代であるが、実際にかなり濃厚にその影響を受けている作品も多数見受けられた。一方、分離派を代表する画家であるクリムトに象徴されるのは耽美主義。本展ではそのクリムトの手になるが、残念ながら第二次大戦で焼失したウィーン大学大広間天井画の白黒写真も展示されている。
またこの時期には木版画がかなり注目されたとのことで木版作品も多数。これ以外にも家具調度の類いなど、かなり幅広い展示内容である。一貫性が今ひとつないと言えばそれまでであるが、このような雑多な雰囲気も含めて、当時のウィーンを取り巻く芸術界の状況を肌で感じることが出来る。
美術館の見学を終えた頃には昼過ぎだが、オペラの開演は15時からなので時間の余裕がある。このまま東山で昼食を摂ろうかと思ったが、朝食を遅めにガッツリ摂ったせいか食欲がイマイチ。食事よりはどちらかと言えばお茶をしたい気分だが、ピンとくる店がない。そうこうしているうちに東山駅まで到着してしまったので、とりあえずホール方面に向けて移動することにする。
地下鉄から京阪で浜大津方面へ。それにしても毎度のことながら地下鉄の4両編成の大型車両が路面を走行するのは一種異様でもある。ボーッと窓の外を眺めていたところ、浜大津の手前で「お餅のたべ處」という表示が見えて妙に心惹かれる。そこで浜大津で途中下車して、その店「三井寺力餅」立ち寄ることにする。
この土産物のきな粉餅を販売しているようだが、お茶とのセットを店内で頂くことが出来るようだ。そこでお茶ときな粉餅3本のセットを注文することにする。店内でめしあがりの場合は奥の部屋に通されるが、ここが趣のあるところ。
ああ青みのあるきな粉だが、青大豆を使用しているだろうと思われる。きな粉が甘すぎずで餅とのバランスも良くて実に美味。これを食べると口の中が少々パサパサするので茶と合わせるのがベストである。なかなかに気に入ったので土産にいくつか買い求めることにする。
軽くお茶をしたところでようやく腹が減ってきた。しかしこの周辺は見渡してもこれという飲食店がない。そこでホール近辺で店を探すことにして移動する。
ホールに到着するとクロークにキャリーを預けてから一旦外に出る。立ち寄ったのは西の公園周辺の飲食店が4軒並んでいるところ。その内の一軒「アンチョビ」に入店。びわ湖を望む洒落たイタリアン店である。「ムール貝ロッソ(1296円)」を注文する。
やや酸っぱいめのトマトソースにアルデンテのしっかりしたパスタを絡めてある。ムール貝が添えてあるが、これの風味は残念ながらあまり絡んでいないところ。パスタとしてはまずまずだが、CPはやや悪いか。
昼食を終えるとホールに戻る。その頃にはちょうど開場時刻となる。
プラハ国立劇場オペラ モーツァルト作曲:歌劇「フィガロの結婚」
指揮:エンリコ・ドヴィコ
演奏:プラハ国立劇場管弦楽団、合唱団
なかなか楽しい作品である。モーツァルトによる軽妙な音楽がこのドタバタ劇を巧みに盛り上げる仕掛けになっている。
さてプラハ国立劇場であるが、歌手に関しては圧倒的と感じさせるような者はいなかったという印象。ただ全体的に過不足なくバランスの取れたキャスティングである。演出面もバントマイム的な寸劇が入ったりなどというところは珍しいが、殊更に奇をてらった斬新系演出ではなくて無難なものであった。総じて安定感があって無難という印象の公演。取り立てての不満は出ないが、深く感動する類いのものでもないというところ。まあそれはこの作品自体がそういう作品であるわけでもあるが。
公演を終えるとホールからの直行バス(これがまた寿司詰めである)で大津駅に移動。もう7時前になっているので、大津駅前で夕食を摂ってから帰ることにする。あまり重いものを食べる気にもならないので「金亀庵」でそば(大盛り)と鳥天丼のセットを食べることにする。味的にはまずまずで不満はないが、特に印象に残るものでもなかった。
これでこの週末の予定は終了。大津よりはるばる帰宅となるのである。さすがに少々遠い。
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