展覧会遠征 東京・茨城編
さて年末もそこに見えてきたところだが、今年もここで秋の展覧会シーズンに合わせての東京遠征を企画することにした。東京でのコンサートスケジュールなども見合わせて設定したのはこの週末。木曜日に半ドンで東京に移動してから、東京地区のコンサートと展覧会を満喫しようという計画である。
予定通りに木曜の仕事を半ドンで終えると神戸空港に移動する。今回は移動コストを抑えるためにスカイマークで東京に飛ぶことにする。この曜日のこの時間帯の便なら料金は安い。
昼食は神戸空港でカツカレー。例によってCPが壮絶に悪い。毎度のことながら神戸空港には良い飲食店がない。もう少し時間に余裕があれば、三ノ宮で食事を済ませてくるところなのだが・・・。
1時間程度のフライトで羽田空港に到着すると、京急と地下鉄を乗り継いで南千住に移動。いつもの定宿ホテルNEO東京に荷物を置きに行く。チェックイン手続きを済ませ手荷物を部屋に入れると、そのまま直ちに外出。今晩の都響の公演のためにサントリーホールに移動することにする。
早めの夕食を摂ることにするが、遅めの昼食との時間間隔があまり空いていない。しかしコンサート中に空きっ腹を抱えるのも好ましくないところ。面倒臭いのでさっさと「杵屋」に入店してうどんとカツ丼のセットを注文。カツ丼にかぶりついたところで、昼食と被ってしまっていたことに気付く。カツ丼自体があまり美味しくなかったこともあり、結局はカツ丼は半分方残すことに。
手早く夕食を終えるとホールへ急ぐ。もう既に開場時刻を過ぎてホールへは観客が続々と入場している状態。私の席は二階席だが、ホール全体の入りは8割方というところか。結構入っている。
東京都交響楽団第866回定期演奏会
指揮:小泉和裕
ヴァイオリン:レイ・チェン
東京都交響楽団
ブラームス:
ヴァイオリン協奏曲?ニ長調?Op.77
交響曲第4番?ホ短調?Op.98
小泉はノリノリといった印象。毎度のように決して一線を踏み外すことはないのだが、それでもかなりのノリでガンガンと鳴らしてきている。一曲目はソリストとの絡みもあるのでそう無茶はしないが、二曲目のブラームスの4番ではかなり派手に鳴らしてきた。比較的こじんまりとまとまった演奏をしがちの都響としてはこれはなかなかの熱演。
レイ・チェンのヴァイオンリンは音色にやや硬質さが感じられるが、テクニック的には安定しており、決してクールなだけではない。オケともしっかりと絡んで安定した演奏を聴かせていた。
安定感のあるなかなかの演奏。都響は公務員的な演奏になることが結構多いのだが、今回はまずまずの熱演だったようである。とりあえず幸先がよい。ところでレイ・チェンという名を聞くと、セラムンファンの私はどうしても「レイちゃんと呼んでください・・・」って台詞が頭の中で反復されてしまうのである。
コンサートを終えるとホテルに直行、入浴してさっさと寝ることにする。今日は神戸から飛んでコンサートに行っただけなのだが、それだけで結構疲れている。しかし明日は今日よりもかなりハードな日になるのは間違いない。
☆☆☆☆☆
翌朝は8時前に目が覚める。上野地区の美術館の開館が9時半だからそれに合わせて行動することになる。昨日買い込んでおいたパンを朝食として摂ると、美術館の時刻を睨みつつ上野に移動する。
上野は相変わらず人が多い。例のパンダ騒動はやや一段落ついた感があるのだが(もう既に赤ちゃんパンダという状態ではなくなっている)、それでも平日の朝だというのに人が多い。また修学旅行の団体らしき連中がウロウロしているのも人が多い理由。
人混みをかき分けつつ最初に入館したのは駅から一番近くの美術館。ここで開催中の展覧会が本遠征の主目的の一つ。
「ルーベンス展−バロックの誕生」国立西洋美術館で1/20まで
17世紀のヨーロッパ絵画を代表する画家・ルーベンスの展覧会。本展ではルーベンスの作品及び、彼が親しんで研究した16世紀の絵画や彫刻など、さらにはバロックに属する作品等を紹介。
ルーベンスは16世紀の絵画を研究したとのことで、確かに色使い等にはその影響が見られる。ただ彼がそれまでの画家たちを一線を画しているのは絵に動きや躍動感があるということ。それは単に静的構図の絵から動的構図の絵に移ったというだけでなく、絵画のタッチにもスピード感がある。後の時代の絵画に比べると非常に緻密に描かれているように感じられるルーベンスの作品だが、近くでよく見ると意外にタッチが荒いというか、筆さばきに流れるようなスピード感があるのである。これは彼が工房で大量の作品をこなしていたということも一因かもしれないが、やはり動きを考えてのことでもあるのだろう。とにかく彼の作品はそれまでの落ち着いて退屈な作品とは違い、非常に大胆で表現がダイナミックであることを感じられた。
なかなかに見応えのある内容で、展覧会方面の滑り出しもなかなか上々のようである。気をよくしたところで次の美術館へ。次に向かうのは東京国立博物館。ここでは「大報恩寺展」と「デュシャン展」が開催中。ただ通常の特別展では平成館の2階をぶち抜きで全面使用する場合が多いのだが、今回はそれぞれの展覧会が2階を半分ずつ使うという形式。にも関わらず特別展×2の料金を取られるのはたまらない・・・と私のように考えるせこい人間も少なくないと思われ、そのためか両展を合わせたセット券2000円というのも発売されているのでそれを購入する。
「マルセル・デュシャンと日本美術」東京国立博物館で12/9まで
デュシャンと日本美術と銘打っているが、殊更にデュシャンが日本と関わりがあったとか、日本から何らかの影響を受けたという事実があるわけではなく、デュシャンのセンスに通じる感覚で日本美術を見るという意味。ただこの部分の展示は最後の所に付け足し的にあっただけで、正直なところデュシャンの作品だけではスペースがあまるので水増ししたという気がしないでもない。
さてデュシャンの作品だが、彼は最初は画家を目指していたらしい。そこでお約束のように印象派、キュビズムなどの流れに沿って影響を受けた作品が見られるのだが、正直なところ技術的にも感性的にも驚くような作品はない。そして彼自身も画家に見切りをつけて、新しい芸術を模索するようになる。その試行錯誤の果てに出てきたのがレディメイドの発想で、物議を醸した「泉」へとつながる。
本展ではそれに留まらず、デュシャンの遺作についても紹介されている。とにかく彼が常に新しい芸術の形態について考えていたことは覗える。
とは言うものの、デュシャンのレディメイドの発想は、彼の追従者にとってはあまりに真似が楽すぎて、結果としては多くの怠惰な自称芸術家を乱立させてしまうことになったのも事実である。この辺りが彼の功罪とも言えるのだが。
次はとなりの会場へ。今更仏像はパスしようかと思っていたのだが、快慶の名を上げられると行かないわけにも・・・というわけで見事に主催者の策略に嵌められている私。
「京都・大報恩寺 快慶・定慶のみほとけ」東京国立博物館で12/9まで
京都にある大報恩寺は鎌倉時代に建てられた寺院であり、安置されている仏像は当時の仏師が手がけたものである。それらの制作者は快慶やその弟子の行快、運慶の弟子であって行快と同世代の定慶といった慶派の仏師達である。彼らの手になる仏像を展示。
行快の手になる本尊の釈迦如来坐像なども趣があるが、やはり個人的には一番魅了されたのは快慶の手になる十代弟子立像。釈迦の高弟の像であるが、十人十色のそれぞれの性格までがその姿に現れていることを感じさせられるリアルな造形の像で(美形で知られるアーナンダなどは確かに美形に作ってある)、その辺りはさすがに快慶の表現力は抜群であることを感じさせられた。
私は以前から鎌倉仏師による仏像は純粋に彫刻として好きなのであるが、肉体のリアルな実在感などなかなかに堪能できたのである。なおそういう点では、あえて肉体のリアルさを抑えて超人的な雰囲気を出す仏像よりも、漲る荒々しさをそのままに表現する鬼などの彫刻の方が面白かったりする。
いささか疲れた。美術館巡りは思いの外体力の消耗が激しい。疲れたのでいつもの鶴屋吉信で一息。こういう時に饅頭はありがたいが、あんまり食べ過ぎると太るのでそれも問題。
一息ついて少し回復したところで次の目的地へ。次は隣の東京都美術館。ここで開催中の「ムンク展」も本遠征の主目的の一つ。
しかし美術館に到着した途端、券売所の前の行列を目にしてガックリと疲れてしまう。ムンクってそんなに人気あったっけ? 当然のように館内も超満員であまりゆっくりと見られる雰囲気ではない。どうもこの美術館は鑑賞条件としては最悪に近いコンディションの場合が多い。
券売所の行列に気分が萎える
「ムンク展−共鳴する魂の叫び」東京都美術館で1/20まで
ムンクと言えば「叫び」が圧倒的に有名であるが、何も彼も最初から最後まであんな絵を描いていたわけではない。ムンクの作品を初期から晩期まで概観するのが本展。
ムンクも最初はもっと普通の絵を描いていたのだが、それでも色使いの独特さは目につく。この辺りは元々の彼の感性なのだろう。そして内面に渦巻く感情をぶちまけたのが「叫び」なのであるが、どうもあの作品はムンクが精神的に不安定になっていた時期とも符合するらしい。そういうことを考えると、やはり傑出した芸術作品とは正気の元では成立し得ないのかなんて感じてしまったりするのである。実際に彼のその後の作品はもっと落ち着いた雰囲気のものになっている。
「叫び」以外はあまり知られていないムンクの作品に触れることが出来る好機。彼の作品に流れる北欧独特の空気なんかも体感できるのが面白い。
この前で記念撮影できます・・・ってもね
白夜の北欧は、逆に冬になると日が昇らない極夜になるわけで、いわゆる冬鬱が発生しやすいと思うのだが、ムンクの芸術にはそういう環境も影響しているのかななんて考えも頭をよぎった。ちなみに私も毎年2月頃になると軽い鬱症状のようなものが出て、体調を崩したり仕事の能率が落ちたりするのに困っていたりする。
これで上野地区での今日の予定は終了。後は場所を移すことに。まずは東京駅へ。
「横山崋山」東京ステーションギャラリーで11/11まで
江戸時代後期に京都で活躍し、当時はかなり人気を博していたにもかかわらず、なぜか現在ではほとんど名が知られていない存在になってしまった横山崋山。その崋山を紹介する展覧会。
崋山は曽我蕭白に傾倒し、岸駒に入門した後には呉春に私淑するなど様々な流派の画法を身につけて自由な絵画を描いたという。どうもその辺りが現在では無名になってしまった理由かなど感じられた。河鍋暁斎などと同じで、幅が広すぎてつかみ所がないために結果として忘れられてしまうというパターンのように思われる。
作品自体は緻密な線でカッチリと描かれていたりするのだが、何となく楽しげで柔らかい絵が多い。彼の真骨頂は風俗画と言われているらしいが、本展で展示されている祇園祭を描いた絵巻では、とにかく表現の細かさに驚かされるのであるが、その一方でそこに描かれている人々が生き生きとして楽しげであることにも気付く。精緻な絵は往々にして冷たい絵になりがちなこともあるが、彼に関してはそういうことが全くない。この辺りは実に興味深い。
次はここから地下伝いで三菱一号館美術館へ。この辺りはいつもの巡回コースといったところ。ただこの頃から歩くのも辛いほどの強烈な疲労を感じ始めていた。何とか美術館までやって来たが、正直なところヘロヘロである。もう既に一万歩を超えてしまっており、体力がかなり尽きてきているのを感じる。このまま美術館に入ってもボーッとしてしまいそうなので、とりあえず喫茶店か何かで休憩をすることを考える。
どこか喫茶店でもないかとウロウロしたところ、「ラ ブティック ドゥ ジョエル・ロブション」なる小洒落たカフェがあるのでそこに入ることにする。腹は減っていないがとにかく疲れている。こういう時は甘いものか。「カスタードクリームのガレット」と紅茶を注文して一息つく。やはりこういう時は甘いものが一番ありがたい。
ここでしばらく休息してようやく体力が若干回復したところで向かいの美術館へ。
「フィリップス・コレクション展」三菱一号館美術館で2/11まで
アメリカの実業家でコレクターのダンカン・フィリップスが近代美術品を個人的に蒐集したのがフィリップスコレクション。彼はこれらの作品を私立美術館で展示していたという。個人が蒐集したコレクションだけに、明らかに蒐集者の一貫した趣味というのが現れているのが特徴。
展示作品はいわゆる印象派から現代絵画に近い辺りまで網羅されている。面白いのは、コレクションの前半部分を見ていると結構カッチリした具象系の絵画を好んでいるようにも思われるのに、しっかりとカンディンスキーなどの抽象絵画もコレクションしていること。なかなかに幅の広さを感じさせるコレクションである。
初期のフリップコレクション展示室の復元模型
もうかなり強烈に自覚できるぐらいヘロヘロ。しかしそれでもホールに行く前にもう一カ所。
「オルセー美術館特別企画 ピエール・ボナール展」国立新美術館で12/17まで
浮世絵的な装飾的画面の作品も製作し「日本かぶれのナビ」とも言われたボナールの展覧会。なかにはまさに浮世絵をモチーフにした作品もある。
元々彼の絵画は鮮やかな色使いをする特徴があるので、その辺りが浮世絵の感性と合致したのであろう。また立体感がなくて平面的な描き方というのも浮世絵に通じる特徴ではある。鮮やかな色彩ではあるが、ナビ派らしい親しみやすさというものも同時に感じさせるのが彼の絵画の特徴。
なお本展では彼が手がけたリトグラフなども展示されているのだが、これがいかにも当時のパリの空気を伝えるような作品。彼の芸術も、あの時代の空気があってこそ成立したものなのであろう。
そろそろ6時近くになってきた。今日のコンサートはサントリーホールで7時開演なのでホールへ移動。コンサート前に「和幸」で牡蠣フライとヘレカツのセットを夕食に。
日本フィルハーモニー交響楽団第705回定期演奏会
指揮:アレクサンドル・ラザレフ
日本フィルハーモニー交響楽団
グラズノフ:交響曲第8番?変ホ長調?Op.83
ショスタコーヴィチ:交響曲第12番?ニ短調?Op.112?「1917年」
一曲目のグラズノフは残念ながら曲自体はあまり面白くは感じられない。しかしラザレフのアプローチは見事。鳴らすべきところは徹底して鳴らし、抑えるところは徹底して抑える非常にメリハリの効いた演奏。しかもオケのアンサンブルがカッチリと決まっているから、いくらガンガン鳴らしても決してうるさくはならない。非常に緊張感のある好演。
二曲目のショスタコも同様のアプローチ。こちらの方はさらにメリハリが強く、鳴らすところでは狂気のような大騒ぎになるのだが、それが全く不快にならない。冒頭からオケに緊張感が漲っていて、それが最後まで途絶えない。今まで日フィルは何度か聴いたが、こんな演奏も出来るのだと非常に驚いた。今まで聴いた日フィルの演奏は常にどこかぬるさを感じるようなものが多かったので、これはラザレフの存在感の大きさなのだろうか。
今までとはひと味違う日フィルの演奏を聴いたという気がする。やはり、西本、コバケン、ヤマカズという指揮者ではどうしてもぬるめの演奏になってしまうのだろうか。
それにしても疲れた。歩数計を見てみると一万九千歩を超えている。これは限界越えどころの騒ぎではない。今のところは気が張っているから保っているが、気が抜けたら一気にガクッときてしまいそうだ。とりあえずホテルに戻らないといけないが、どうにも小腹が空いていてそれも力が入らない理由の模様。
結局は帰る途中で寿司でもつまもうかと上野のアメ横の回転寿司「江戸っ子」に立ち寄る。ここでホッキ貝(私の一番好きな貝なのだが、なぜか関西では滅多にお目にかかれない)、マグロ盛り合わせ、コチ、シマアジ、テッカマン・・・でなくて鉄火巻きをつまんでから帰ることに。これで支払が2000円未満なら、東京では上々な方か。
ホテルに戻ってきたらいよいよグッタリで、風呂に入る気力を振り絞るにも困難な状況。それでも何とか入浴だけは済ませて、この日は全く何も出来ずにバタンキューしてしまう。
☆☆☆☆☆
昨晩は完全にグロッキーだった。今朝は7時頃に一旦目が覚めるが体が動かない状況。こうなることもある程度想定して今日はスケジュールを大幅に緩めてあるので、そのまま9時頃までベッドでグッタリと半分眠った状態で過ごす。
今日の予定は基本的には2時からオペラシティで開催の東京交響楽団のコンサートに出かけること。後はその前に最寄りの新宿の美術館での展覧会を1つだけ残している。またコンサート終了後には上野でのフェルメール展に行くための時間指定チケットを購入している。
損保ジャパン日本興亜美術館の開館は10時だが、今日はこれの後に昼食を摂ってから14時開演のオペラシティに間に合えば良いだけなのであまり急がない。十分に部屋で休憩を取ってから新宿に移動する。
「カール・ラーション スウェーデンの暮らしを芸術に変えた画家」損保ジャパン日本興亜美術館で12/24まで
スウェーデンの画家であるカール・ラーションの作品と、彼の妻のカーリンによる作品と言っても良い彼らの家について紹介。
カール・ラーションは当時の画家のご多分に漏れず、まずは印象派の影響を受けたようである。その後はアール・ヌーヴォーの影響なども濃厚に現れているが、彼の真髄は家族などを描いた身近な絵画。温かみのある好ましい絵画である。
そしてその家を飾り立てたのが妻のカーリン。彼女自身が芸術の才能を持っていた(元々画家志望だったらしい)ことから、その室内装飾はいわゆる今日の北欧デザインにつながっているものであり、色使いなどに派手さがありつつもなぜか全体では落ち着いた雰囲気になっているというもの。日本人の感性から見ても好ましく一種の憧れを感じさせるものである。
北欧の空気に思いを馳せるのに最適な展覧会。日本人としてはなぜか共感しやすい。
ところでこの美術館は近々移転のための休館に入る模様だが、移転先は敷地の隣の下になるらしい。この美術館はアクセスのためのエレベータの混雑が一つのネックになっていたことを考えると妥当な移転先だろう。ただその代わりに、ここの売りの一つであったビルの42階からの眺望は失われることになるが。
展覧会の見学を終えるともう昼時。どこかで昼食を摂らないといけないが、店を考えるのも面倒臭いし、どうせ新宿界隈にはろくな店もないしということで、展覧会チケットがあればランチメニューが10%引きになるという隣のビルの展望レストランを訪ねることにする。入店したのは「桃里」。予約で一杯だったようだが、今から45分以内なら可ということで入店。そもそも私は昼食を摂るのに30分もかからない。メニューは週替わりランチを注文、メインは麻婆豆腐で。
やや辛味のある四川風麻婆が私好み。最初に出てきた青菜と玉子のスープが青菜にクセがないことに驚き。デザートの杏仁豆腐まで含めてすべてなかなかに美味い。これで10%引きの1530円なら良しとしておこう。
昼食を終えると京王新線で初台まで移動、目的のオペラシティはここからすぐ。しかし現地に到着した時にはまだ開場前。プラプラと待つのもしんどいので喫茶でもないかとウロウロしたところ、「椿屋珈琲」なる喫茶店を見つけたのでケーキセットで一息つくことにする。
やや苦みのあるアイスコーヒーと、やけに薄切りのモンブラン(角度にして30度もないのでは)で一息つくと、開場時刻を見計らってホールに向かう。もう既に入口では大行列で入場中。結構入っているようだ。
東京交響楽団東京オペラシティシリーズ第107回
ジョナサン・ノット(Cond)
神尾真由子(Vn)
東京交響楽団
モーツァルト:セレナード第13番ト長調 K525「アイネ・クライネ・ナハトムジーク」
ストラヴィンスキー:ヴァイオリン協奏曲 ニ調
ベートーヴェン:交響曲第4番変ロ長調 op.60
アイネ・クライネは6−5−4−3−2という小編成で、東京チェンバーオーケストラといったところ。ノットは軽快に曲を展開、オケのアンサンブルもなかなかに決まっている。
二曲目はなかなかにややこしい曲なのだが、ここでも神尾のヴァイオリンはかなり雄弁。どう考えても謳いにくいこの曲で謳わせてくる。オケの演奏も神尾のヴァイオリンに絡んで色彩的に豊かな表現となった。
ベートーベンの4番は古典からロマン派への移行期のような曲なのだが、ノットの演奏はかなりロマン派寄り。12編成のオケでダイナミックにガンガンと鳴らしてくる。オケの方も必死でそれに応えている様子。ただところどころアンサンブルに甘さが見られたのはやや残念。
東京交響楽団はノットが指揮するとなかなかにキビキビした演奏をする。今回の演奏も全体的になかなか引き締まったものであった。場内もなかなかの盛り上がり。
満足してコンサートを終えると上野にとんぼ返りである。今日の最後の予定は上野の森美術館で開催中の「フェルメール展」。混雑緩和のためかチケットが事前販売の時間指定になっていて、私の買ったのは今日の17時からの入場分。それにしても前売り入場料2500円というのは、さすがにフジテレビ主催だけあってボッタクリ。以前からフジテレビが主催するこの手の行事はとにかく入場料が高いものが多い。ベルリンフィルの来日公演なんかもフジテレビが仕切るせいで異様に高いし。私の感覚ではフジテレビが仕切ると大体相場の1.5〜2倍の価格設定になる印象がある。
30分前に現地に到着したが、この時点で既に200人程度の待ち客が行列を作っている模様。時間指定チケットを販売しておいてこの行列って? しかもリアルタイムで行列は伸びていっており、入場時間の頃には行列の人数はさらに倍以上に伸びている。
前にも後にも大行列 時間が来ると前から順番に入場。途中で待たされたりして私が入場したのは10分ほど過ぎてから。入場規制がかかっているので会場内の混雑はまあ常識レベル。確かに何らかの規制をかけないと人の頭しか見えないことになりかねない。
「フェルメール展」上野の森美術館で2/3まで
貴重なフェルメールの作品が一挙に9点も展示されるというのが最大の売り。とは言ってもこれだけでは展覧会が成立しないので、内容的には「フェルメールとその時代展」である。こうした展示形態を行うとフェルメールだけが突出しているわけではなく、この時代のオランダ絵画はかなりレベルの高い作品も多いことがよく分かる。
フェルメール作品が一挙9点(私が訪問した時にはまだ8点だが)展示といっても、フェルメールの作品は今まで何らかの展覧会の度に目玉として加えられることが多かったから、実際にはその中で初めて見るのは2点。「赤い帽子の娘」と「ワイングラス」だが、残念ながらどちらもフェルメールの作品の中では強いオーラを感じさせるというほどでもない。また「マルタとマリアの家のキリスト」はフェルメールの作品の中でも初期に属するものらしいが、この作品は彼の作品には珍しく色使い等にやや未熟さを感じさせる部分もある。
個人的にはやはり桁違いのオーラを感じさせるのは、この展覧会の表題作のようにもなっている「牛乳を注ぐ女」である。構図の巧みさ、色使いの見事さ等あらゆる点で圧倒的である。
無料で音声ガイドがついていて、「ガッヅィーラ」の石原さとみがコメントとのことなのだが、この音声ガイドが見事なほどに中身がない。最初に彼女が「私の感想などを語ります」の類いのことを言っているのだが、話している内容があまりに見たままで今更何をというところ。全体的にボリュームも少ないし、さすがにフジテレビ。まあこの音声ガイドで金を取ったら客も怒るだろうから、無料でのおまけというのは正解。ただ本音を言えば、音声ガイドは不要なのでその分チケット価格を下げて欲しいところ。
これで今日の予定は完全終了。後は夕食を摂って帰るだけだが、上野界隈で夕食を摂るための店を探すだけの気力がない。結局は南千住に戻ってから店を探そうと考えたが、頭の中にあった店は閉まっていて、仕方ないので「塚田農場」に入店。鳥料理を数点頼む。
味は悪くないのだが、価格が少々高めなのと、いかにも宴会乗りの店の雰囲気が私には合わない。これは再訪はなしだな。
夕食を終えてホテルに戻ると、この日は洗濯と入浴をしてからさっさと寝るのだった。やっぱり疲れた。
☆☆☆☆☆
翌朝は7時頃に起床すると早めにホテルをチェックアウトする。最終日の今日はもう東京での予定はなく、茨城方面に移動して茨城地域の城郭巡りをする予定。
つくばエキスプレスでつくばまで移動、ここでレンタカーを借りる。貸し出されたのはカローラアクシオ。私はヴィッツのつもりでいたのだが、車のサイズがやや大きくなったのが気がかりである。
まず最初に立ち寄ったのは小田城。国の史跡に指定されており、最近になって発掘と復元がなされたという城郭である。
カーナビの案内に従って小田城を目指すが、ここで早速懸念していたことに直面する。小田城近くになってからかなり狭い路地に誘導されてしまって進退に苦しむことに。カローラアクシオの小回りがヴィッツよりもやや劣ることが災いして、角を曲がる時に道幅ギリギリ。ボディをこすらないかといきなりヒヤヒヤする羽目に。こういう時はヴィッツの前モデルは良かった(新モデルは図体がでかくなった上にパワーが落ちていて好きでない)。
どうにかこうにか路地を抜けると小田城の隣の案内所の駐車場に車を置く。案内所にはパンフレットなどがあると共に、小田城を紹介するビデオなども上映されており予習に最適。さすがによく整備されている。
「小田城」は鎌倉時代からの小田氏の居城であり、小田氏の祖である八田知家が1185年に常陸守護としてこの地に居館を置いたことから始まるという。その後、南北朝の騒乱などもあるが、戦国時代になると北条氏や上杉氏の進出に翻弄されることになる。この地域の小領主の悲しさで、北条が進出するとその支配下に、上杉が進出してくると今度はそちらの支配下になどと変転することになるが、1569年の小田氏治の時にとうとう小田城は佐竹氏に奪われることになり、1583年には小田氏自身が完全に佐竹氏に臣従することになってしまった。結局小田氏はそのまま小田城を奪還することは叶わず、小田城自体も佐竹氏の秋田移封に伴って廃城となったとのこと。何やら北関東地域の小領主の悲哀を感じずにはいられない話である。
小田城復元模型
このような経緯から、小田城は何回かに渡って整備されており、発掘調査の結果では初期の居館時代から戦国期に渡って徐々に城域が拡張されたことが確認されており、この時代の城郭建築を知る格好の遺跡だとか。
湿地の多かったこの地域の城らしく、小田城は広い外堀と土塁でしっかりと守られている。基本的には単郭構造だが、馬出などもあるようである。また土塁の数カ所は広く高くなっており、櫓でも構えていたのではないかと思われる。
左 堀はかなり幅広い 中央 北口側の土橋 右 石積みも見られる 左 東口方面を見る 中央 東口 右 東曲輪 左 内部はかなり広い 中央 北東方向の土塁が小高い 右 北虎口 北東の土塁の上からの風景 土塁の中には屋敷などの建物跡も残っている。また庭園などもあり、2カ所の池が発掘されている。小領主の館といっても、内部は結構広いのが感じられる。小領主の城としてはかなり本格的に防御を固めた堅い城であるが、それ故に逆にこの地域の争奪戦の要として巻き込まれることになったのだろう。この地域を睨む一軍を配置するには十分だが、北条や上杉の数千の軍勢に囲まれるとひとたまりもないという規模の城郭である。この地域の小競り合いで済んだうちはどうにかなるが、戦国末期の大大名の下に収斂していった時期では小田氏の生き残りは容易ではなかったろう。
左 建物跡 中央 東の庭園跡 右 南土塁上から南西馬出方面を見る 左 西池跡 中央 南虎口の復元石積み 右 南虎口とその先の馬出 小田城見学後は北西の下妻市を目指して車を走らせる。今の下妻市から筑西市の関東鉄道が走っている辺りは、かつては沼地の中に張りだした台地で、この台地上にはいくつかの城が構えられていたという。まず一番北の関城跡を訪れる。
「関城」は南北朝時代に小田城と共に南朝方の拠点となっていた城郭である。東西南を沼に囲まれ、北に堀を掘った堅固な城だったという。
奥に見える小高いところが関城
現地は今では田んぼの中の小高い丘という地形である。私が訪問した時には城跡の神社で何か神事が行われた直後のようで多くの車が群がっていた。大規模な城だったようだが現在は宅地化しており、土塁の残骸と見られるものが所々に残っているだけである。現在神社があった辺りが本郭の跡のようである。周辺は民家になっているが、今でも南側は相当切り立っていることは確認できる。
左 本丸跡はこの神社 中央 民家の先の南側は結構急 右 これはかつての土塁跡だろう 関城の次はこの南の「大宝城跡」を訪れる。ここは現在は大宝八幡宮があるところで、南の鳥居の辺りにかなり高い土塁が残っている。土塁の手前の道路の所はかつては堀でもあったのではないかと思われる。ここもかつては西北東を沼地に囲まれた地形であり、平安から南北朝時代にかけて城郭が築かれていたという。今は八幡宮を中心とした住宅地となっているが、この一帯が周辺の田んぼよりは一段高くなっており、かつての地形が覗える。大宝城は1341年に春日中将顕国が興良親王を奉じて小田城からここに移って南朝方の拠点となったが、北朝型の猛攻で苦戦し、食糧不足と城内不和のために1343年11月12日に落城、城主下間政泰は討ち死にしたとのこと。
左 南の鳥居の周辺 中央 土塁がありこの道路はかつて堀だろう 右 この北側に大宝八幡宮が 左 大宝八幡宮山門 中央 大宝八幡宮 右 この辺りは明らかに周囲よりも高い その南にあるのが「多賀谷城」。今では完全に下妻の市街地に埋もれ、かつての本丸の一部が城址公園として残るのみだが、ここの一帯はかつては沼地に迫り出した半島だったようである。多賀谷氏はここを拠点にこの地を支配し、北条氏政の軍勢を撃退するなど147年に渡って下妻領主として繁栄したという。しかし関ヶ原の合戦では佐竹氏と共に西軍についたために家康に憎まれて追放されてしまい、この時に多賀谷城も廃城となったとか。城主追放の際には奥方はじめ奥女中達が行く末を案じて、沼に身を投げるなどして自害したという哀れな話も残っている。
今となっては至って普通の平和な公園である 下妻地域を一回りした後は南西方向に長駆する。目的地は坂東市の「逆井城跡」。戦国末期1577年に北条氏が北関東進出拠点として築城した城郭で、豊臣秀吉の小田原征伐後に廃城となった。現在まで外堀や土塁が残っていたことから、櫓等を復元して城址公園として整備したという。
現地はかなり整備されている。駐車場に車を置くと正面には立派な櫓や大規模な堀が見える。堀を超える形で橋が架かっており、その橋の向こうは門になっている。
門の脇が二層櫓になっておりここには入ることが出来る。入口を守る櫓といったところ。登ってみようかと思ったのだが、どうしたわけかこの建物には久々に高所恐怖症が発症して登ることが出来なかった。
左 二重櫓と橋に門 中央 堀はかなり幅広い 右 内部は登れるようになっている 塀に沿って進むと井楼櫓が建っている。かなり高い物見櫓だが、これは最初から立ち入り禁止になっている。
左 二重櫓の奥に井楼が 中央 井楼はかなり高い 右 井楼の奥の土塁上から この近くには主殿が復元されており、関宿城の城門だった薬医門が移築されている。主殿はシンプルな建物だが、内部も一応作ってあってふすま絵などが描かれている。
左 関宿城門 中央 その奥に主殿がある 右 主殿 左・中央 主殿内部は二間になっている 右 庭園 この奥がこの城の一番の見所の一つでかなり立派な堀が残っている。この奥には土塁に囲われた曲輪があり、そこには東の橋を渡って櫓門を抜けると入ることが出来る。この城の北はかつては飯沼という大きな沼だったことから、ここはこの城の一番奥にあたり、ここがかつての本丸だったらしい。さすがに非常に堅固な守りとなっている。
かなり明瞭な堀跡が残っている 左 鐘堀池 中央 堀に沿って東側に回り込む 右 橋と櫓門 左 この辺りの堀は荒々しい 中央 櫓門の先が本丸 右 本丸の北側は今は小さな川だが、かつては飯沼があったらしい 本丸の東側が二の丸だが、この辺りは詳細な構造はなくてひたすら広い広場となっている。ただその東には土塁と堀の跡がしっかりと残っている。どうやらこの東にはかつてはさらに三の丸もあったらしい。
左 二の丸 中央・右 その東側には土塁とかなり幅広い堀跡が とにかくかなり大規模な城であり、北条氏が北を睨んで気合いを入れて整備した城であるということがよく分かる。面積も大きくてかなりの大兵力を入れることが可能であることから、ここに北関東制圧のための大軍を詰めて、隊を整えてから一気に出陣ということだったのだろう。復元建造物なども良く出来ているので当時の城の様子をイメージしやすくお勧めできる城跡と言える。
ここまで見学を終えたところで既に昼をかなり回っている。昼食を摂りたいが付近には店らしきものはない。調べたところ、ここから北上したところに八千代グリーンビレッジなるキャンプ場などの複合施設があり、そこに温泉やらレストランがあるようだということなのでそちらを目指す。
八千代グリーンビレッジは山の中のキャンプ場といったイメージ。バンガローなどが複数建った複合施設になっている。その一角に温泉やらレストランのある建物がある。しかし私がレストランを覗いたところ、ちょうど老人の団体が券売機の前で行列を作っている。店内のテーブルもほとんど塞がっているようだし、厨房にもあまり人数がいるようではないしということで、これはいつまで待たされるやら分かったものじゃない。私は老人会の団体と違って暇ではないのでここは諦めて他の場所を探すことにする。
しかし移動は良いがあてがない。その時に頭にふと浮かんだのは、関城めがけて走っていた時に「道の駅しもつま」という看板を見かけたこと。道の駅なら飲食店ぐらいあるだろう。とにかく何もあてがないのでそこを目指すことにする。
道の駅に到着したが現地はかなりの大混雑。車を停める場所にも困る状態で、何とか空きを見つけて車を停める。何やら新そば祭なる幟が多数立っている。そこで蕎麦でも食べることにしようと、ここにあるそば屋「そば打ちめいじん亭」に入店することにする。
この店も混雑しておりしばし待たされることになる。ようやく入店すると「鴨のつけそば」を大盛りで注文、さらにこれにトロロ飯をつける。
そばの風味はなかなか良い。ただ付け出汁についてはどうにかならないかという気もする。基本的に北関東系のダダ辛い味付けは私に合わないが、アクセントに加えている柑橘の味も今ひとつしっくりこない。やはり北関東から東北にかけての料理は私の舌には合わないなということを感じずにはいられない。残念ながらこのエリアの料理で美味いと思ったことはほとんどない。そばは良いだけに実に残念。
とりあえず昼食を済ませたが思ったよりも時間を費やしてしまった。今の時期は日没が早いことを考えるとタイムリミットは4時過ぎぐらいだと思った方が良い。今日は茨城空港から飛行機で帰るつもりなので、茨城空港方面に移動してから次の目的地に向かいたい。
次の目的地に考えたのは鉾田の三階城。北上して北関東自動車道に乗ると、東関東自動車道に乗り継いで鉾田を目指す。鉾田出口を出ると三階城はそう遠くない。しかし三階城に向かう道路の入口のところで行き詰まる。元々の道路が農道で幅が狭いらしく、入口が極端に狭い上に急角度。どうもアコードアクシオの旋回能力では入れそうにない。無理してこすったりでもしたら大変だ。結局は三階城は諦めることにする。
ではということで次の目的地を調べたところ、ここの南に「畑田城跡」があるらしいのでそこを目指すことにする。地図では分からなかったのだが、現地に行くと小学校や西光院がかなり小高い丘の上に乗っている。この丘の上が畑田城だったらしい。かなりの急坂を登って西光院の前までたどり着くが、どうも城の遺構のようなものは見当たらない。どこかに案内看板ぐらいはあるらしいのだが、結局見つけることも出来ず日も西に傾いてきているので見学もそこそこに引き上げることにする。
左 この上の高台が畑田城 中央 西光院 右 小学校 日は大分西に低く傾いており、時間的に次が最終となるだろう。ここから近いところということで、三階城の北にある「徳宿城」に向かうことにする。
現地に行くと住宅地の間の狭い道に案内看板と入口がある。向かいに空き地があるのだが今はロープが張ってあって入れない。そこでギリギリに左に寄せて道路に車が通れるスペースを空けた上で停車する。
徳宿城登り口
徳宿城は平安末期に徳宿親幹によって築かれた。徳宿氏の父は平国香の七代目で鹿島郡を治めており、その北部に徳宿氏を創立したのだという。徳宿氏の二代目秀幹の長男俊幹は三階城を拠点として安房氏の祖となり、次男朝秀が畑田城を拠点として畑田氏の祖となったとのこと。1486年九代目道幹の時に水戸城の江戸氏の攻撃を受け、江戸氏二千余名に対して徳宿氏総勢三百余名という圧倒的に不利の中で、道幹は覚悟を決めて敵陣に切り込んで討ち死にしたとのこと。
左 登った突き当たりが 中央 腰曲輪のような構造 右 一段上が本丸背後にかすかに土塁の跡も 左 本丸の南側はかなり切り立っている 中央・右 本丸南側に見られる堀と土橋 看板の横の道から登るとすぐに本丸脇の腰曲輪らしき部分に出る。そこからさらに一段登ると本丸になっている。本丸は現在神社になっており、その背後の南側はかなり切り立った崖になっている。恐らくその下はこの地域の常としてかつては沼だったと思われる。東側は鬱蒼としていて立ち入り不可、北側に向かうとかなりハッキリとした堀切があって、そのまま道は北部の住宅地に続いている。沼地の台地の北側を堀切で断ち切って城郭にしたという様子である。構造的には関城や大宝城と類似した構造。南と西を見る限りではかなり切り立っているので、それなりの防御力を持った城郭であったことは覗えるが規模はそう大きくはない(東側にもっと大きかった可能性はある)。
徳宿城の見学を終えた頃には日は西に完全に傾いて、やや薄暗くなり始めた。もうタイムアップである。後は帰宅を考えるべきだが、帰りのスカイマーク便は茨城空港を19時35分に出発。まだかなり時間がある。ここはどこか温泉にでも立ち寄って、ついでに夕食を摂りたいところである。調べたところ近くにほっとパーク鉾田なる日帰り温泉施設がある模様。そこで車を走らせる。
ああ、無情
ほっとパーク鉾田まではそう時間を要せずに到着する。しかし現地に到着すると何となく雰囲気がおかしい。駐車場に車がほとんどいない。「?」と思いつつ建物に近づくと「施設総点検のため11月7日〜11月14日臨時休館」の立て看板が。選りに選ってピンポイントである。思わず天を仰いで「オーマイガッ!」もしくは「ジーザス!」。それとも私は一応は仏教徒なので「オーマイブッダ!」に「シッダールタ!」か。
仕方ないので場所を変えることにする。次にヒットしたのは小美玉温泉ことぶき。茨城空港からも近いようだしちょうど良さそうだ。
ことぶきに到着した時にはもう日はとっぷりと暮れている。ことぶきは典型的な地方の日帰り入浴施設で、地元のお土産などを売っている売店もある。食堂も一応あるが小規模。夕食は空港に行ってからの方が良さそうだ。とりあえず入浴することにする。
小美玉温泉はやや黒っぽい湯。泉質はナトリウム−炭酸水素塩・塩化物冷鉱泉とのこと。若干ネットリとした感触があるが弱アルカリ性らしい。東京の蒲田辺りの黒湯と同じような感触がある。なかなか上質な湯。地元民らしき連中が大勢押しかけていて人気のようである。
露天はやや寒いので内湯でタップリ温まるとロビーでしばし休憩。テレビでは稀勢の里がいきなり負けている。彼はもう駄目かもしれないな・・・。
体を温めてしばしゆったりすると空港に向けて移動することにするが、空港到着前にガソリンを入れておく必要がある。しかしここで驚いたのが空港周辺のガソリンスタンドがことごとく日曜日には休みであること。これだから田舎は・・・。今になってつくばで車を借りた時に、トヨタレンタカーの店員が「もしガソリンを入れられなかったら、向こうで精算も出来ますから」ということをわざわざ説明してくれた意味が理解できた。あの時は「なぜそんなことをわざわざ念押しするんだろう?」と疑問に感じていたのだが、こういうことだったのか。茨城空港恐るべし。結局は30分ほど走り回ってガソリンスタンドが全滅だったので、ガソリンは走行距離で精算することに。後で聞いたところによると、この周辺で日曜日に営業しているガソリンスタンドはたった一軒とのこと。
かなり久しぶりの茨城空港である。数年前に来た時は神戸からここに飛んで、すぐにレンタカーを借りて大洗に移動したので空港内を見学していない。元々自衛隊の基地だったところを民間との併用にしたので空港設備は最小限。売店とレストランがあるぐらいである。なおあの東日本大震災ではいきなり天井パネルが落下するという事故があったのだが、どうやら天井パネルはそれではずしてしまった模様。
茨城空港は天井板をはずしてしまっている 茨城空港の謎のキャラクター 売店で土産物を購入すると、レストラン「すぎのや本陣」で夕食を摂ることにする。レストランは既に満席に近かったが、どうやらこれが全部私と同じ便に搭乗する予定の客の模様。何とか席を確保すると夕食を摂ることにする。茨城の郷土料理はけんちんそばとのことだが、そばは昼に食べたのでけんちんうどんを注文する。
関東のうどんということでやや不安はあったのだが、やはり味は濃いめだが具だくさんうどんという風でなかなかに美味い。空港内レストランでこれが920円だと良い方だろう。
夕食を終えるとすぐに荷物検査を受けて搭乗ゲートに。茨城空港の狭い待合室は搭乗客でごった返している。すぐに搭乗手続きが始まって、搭乗口を抜けるとこの空港にはボーディングブリッジなんて設備がないので、滑走路を歩かされる。そしてなぜかガルパン模様の搭乗タラップで乗り込むことに。そう言えばこの空港の別名がガルパン空港だったっけ。こんな最後の最後に聖地巡礼かよ・・・。
ガルパン空港搭乗タラップ
茨城空港から神戸空港に飛び、この日に無事に家に帰ってきたのであった。久しぶりに一日を城郭巡りに費やしたが、そもそもそれ以前の東京展覧会ツアーで相当に消耗していた挙げ句だったので、帰ってきた時にはかなりヘロヘロになってしまっていたのである。思いの外体力が落ちているようである。私もそろそろ年齢のことを考えて無理はやめておかないと・・・。
ちなみに今回の遠征では美術館は予定していたところをすべて回ったが、城に関しては私の想像よりも茨城が広かったこと、私が思っていたよりもこの時期の関東の日没時刻が早かったこと、私の想定よりも体力を消耗してしまっていたことなどから、当初の予定よりもかなり立ち寄り先を減らすことになってしまった。これはいずれはこの地域へのリターンマッチが必要。また東京訪問のついでに茨城に繰り出すことになるだろう。
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