展覧会遠征 北部九州・関西編

 

 一昨日に東京・滋賀から帰ってきたところだが、早速今日からまた大型遠征である。この時期は私の職場は数年に一回、設備メンテナンスのための大規模停電が発生するので、その間は会社に出てきても仕事にならないので関係者以外は有給を取って休めということになっている。そこでこの時期に合わせて遠征計画を立案していたのである。そもそもの計画としては当初からこの遠征計画が先にあって、東京出張が後から入ってきたせいでかなりドタバタしてしまった次第。今回の遠征先は九州。平日の休みを利用して九州地区の温泉を巡りつつ、水城などの九州で未調査の続100名城等を視察しようという考えである。

 

 出発は火曜の昼。既に今日の午後から一週間休みを取得してある。神戸空港からスカイマークで長崎に飛ぶ予定。目下のところは九州に上陸する最も安価な方法はこれである(高速バスなどもあるかもしれないが、私には無理)。

 

 神戸空港に到着すると、とりあえずの昼食としてうどんをとってから出発ゲートへ。私の荷物に怪しい機械類が多すぎるせいで荷物検査で引っかかるが、カメラやpomeraなどを出したら納得される。恐らく私がカメラマンか記者辺りであると判断したのだろう。どうも私は以前からフリーの記者などとよく間違われる。どうやら私がその手の怪しいオーラを出しているらしい。それから以前からよく言われる「仕事の時は遊んでいるようで、遊んでいる時は仕事のよう」ということも関係するのだろう。

 

 長崎便は定時通りにスムーズに神戸空港を出て、長崎空港にも予定通りに到着。天候も概ね良好で上々の滑り出しである。長崎空港からはリムジンバスで長崎市街まで移動する。

   長崎に到着

 長崎新地バスターミナルに到着したのは17時頃。さて今日の宿泊ホテルだが、ドーミーイン長崎を予約してある。ドーミーインは高いのと一杯だったことから今回は別のホテルを予約していたのだが、直前になってドーミーインからリーズナブルなプランが出てきたことで急遽予約を変更。やはりここのホテルは大浴場にアドバンテージがある。

  

 ホテルにチェックインして一息つくと、近場の散策に出る。まずは長崎のファーストフード角煮マンをゲット。やはり長崎と言えばこれ。

   長崎名物角煮マン

 次は中華街をプラプラと散策。平日でまだ夕食時間よりは若干早いと言うことでか、今日の中華街は結構閑散としている。また火曜日に休みの店も多い模様。

   中華街は閑散としている

 中華街をプラプラしている内に、まだ若干早めだがもう夕食にしようかと思いつく。入店したのは馬鹿の一つ覚えの「京華園」。注文したのも馬鹿の一つ覚えセットの「ちゃんぽん」「炒飯」「杏仁豆腐」

  

 ちゃんぽんにしても炒飯にしても、実際にはここよりも美味しい店はあるはずだと思うのだが、なぜかここの店の味は私のツボなのである。また爽やかな杏仁豆腐が良い。結局はここの料理を食べている時が一番「ああ、長崎に来たな」と感じるのが本音。長崎に長期滞在するならもう少し別のものを選択することも考えられたが、今回は明日の朝にすぐに長崎を出るのでやはり夕食は無難に定番どころといったところ。

 夕食を終えてホテルに戻ると大浴場で入浴。ここの大浴場は温泉でなくてただの新湯だが、それでも大浴場は快適である。

 

 風呂から上がるとテレビを見てボンヤリ過ごすことに。東大生の作ったクイズとやらをやっていたが、以前見た時にも感じたが、このクイズはやけに簡単なんだよな・・・。所詮は東大生の発想なんてしれているということか。発想が常識の域からはみださない。

 

 そのうちに急激な眠気が押し寄せてくる。やはり昨週来からの疲労がかなりあるようだ。この日は少し早めに就寝する。

 

☆☆☆☆☆

 

 

 翌朝は7時半に目覚ましで叩き起こされた。途中で何度か眠りが浅くなっていたが、概ねは爆睡していた模様。

 

 目が覚めるとレストランで朝食。諸々のメニューがあるが、豚の角煮があったのでこれをメインで頂くことに。朝食後は朝風呂を浴びてからしばしの休息。

   朝からガッツリ

 チェックアウトは9時過ぎ。長崎駅から10時の区間快速で諫早まで移動するのが今日の予定。諫早でレンタカーを借りて、大村周辺の城郭でも回るつもり。

 

 久しぶりに訪れた諫早駅は以前と違って高架駅になっている。西口から出るとオリックスレンタカーへ。貸し出されたのは勝手知ったるヴィッツ。

   高架駅舎になった諫早駅

 車に乗り込むと大村方面に向かって移動する。途中で鈴田峠の辺りで「岸高城」があるのでそこに立ち寄ることにする。

 

 岸高城に向かう道は国道34号線で道の駅長崎街道鈴田峠を過ぎた辺りに右に入る道があるのだが、その道が狭すぎるせいで通り過ぎてしまい。何度も前を行ったり来たりする羽目になる。ようやくたどり着いた岸高城は住宅地の中にある独立丘。

   

左 案内看板が立っている  右 かなり改変されている模様

 多分私有地なんだろう、重機でかなり加工した跡がある。今ついている登り道は本来のものではなく、東側にあるうねった道が本来の登り道か。岸高城自体はその由来はハッキリしないが、戦国期に諫早方面からの敵を防ぐために築かれた砦だと考えられるとのこと。確かに立地が諫早から大村に抜ける鈴田峠の要地にあるので、そう考えるのが自然だろう。

左 下に見えるのが腰曲輪?  中央・右 山頂の本丸跡はかなり殺風景

 頂上まで登ると大村方面への視界は開けているが、諫早方面は木のせいで視界がふさがれている。主郭の回りはかなり切り立っているが、北側にある腰曲輪というのは現在かなり加工されてしまっている平地のことだろうか? なお西にある堀切というのはよく分からなかった。

 

 岸高城の見学を終えると大村市街に移動する。今回の予定としては大村の武家屋敷街を見学しようと思っている。大村公園の玖島城は既に見学済みだが、武家屋敷の方はまだ立ち寄ったことがない。 

 

 武家屋敷街は中央に久原城跡があり、それを中心に武家屋敷が通り沿いに広がっている。最初は車で一回りしようかと思っていたが、思っていたよりも道が狭いので、大村公園の駐車場に車を置いて徒歩で回ることにする。

 

 駐車場から本小路を歩いて行くと最初に出会うのが五教館御成門。これは大村藩の藩校の門で通称「黒門」だそうな。藩校の跡地は現在は大村小学校になっており、今でも入学式と卒業式の時には生徒がこの門をくぐるそうな。

   立派な黒門

 ここから南に向かった住宅地中にあるのが「久原城跡」。藤原純友の孫の直澄が赦されてこの地に入って大村氏を名乗ったと伝えられているとか。

   

 しかし今となっては民家となっており、いつのものやら定かでない石垣などがあるのみ。

 

 ここの向かいあるのが小姓小路でこれはJRの線路を横切る形になっている。踏切を渡るにはもう一本南の道路に行く必要がある。

 

 ここの小さい踏切を渡った先にあるのが日向平武家屋敷跡で、大村藩勤王三十七士の中尾元締役旧宅がある。

   門構えの立派な民家です

 ここから一本北の通りが先ほどの小姓小路。狭い通りの両側にかつての武家屋敷の石垣が残っている。石垣密度はこの辺りが一番高い。

線路をまたいで立派な武家屋敷の石垣が続く

 ここの先に稲田家家老屋敷跡というのもあるが、ここは建物は残っておらず、立派な石垣の構えがあるのみ。

   稲田家家老屋敷は石垣しか残っていない

 ここからさらに奥に上っていった先が旧楠本正隆屋敷。ここまでで大分歩いた。ここに駐車場があることを知って、車で来れば良かったと後悔したが今更どうしようもない。

  

旧楠本正隆屋敷は屋敷内の見学も出来る

 旧楠本正隆屋敷は内部の見学も出来る。楠本正隆は先に出た大村藩勤王三十七士の一人で、明治維新後には長崎府判事、新潟県令、東京府知事などの要職を歴任した人物である。後に国会議員となり、衆議院議長を務めたとのことなのでかなり栄華を極めている。この屋敷自体は明治3年に建造されたものだが、某豪商の屋敷を解体した際の廃材などを用いているらしく、屋久杉などかなり良い材料を使用していることが分かる。

左 立派な庭園  中央 仏間に神棚(いかにも日本人的)  右 こちらの肖像画は岡田三郎助の手によるもの

とにかくいろいろなところの細工が立派

 ただ楠本正隆自身は請われて東京に上った後はここには帰ってきておらず、彼の弟がここに住んでいたらしい。昔の武家屋敷の流れを汲むこの建物は、今は大村市の史跡に認定されて管理されているらしい。

 

 ちなみにここの庭園はよく結婚式の写真撮影などにも用いられるとのこと。なお元々は水の巡る庭園だったのだが、先の地震以来水が涸れてしまったとか。確かに大村市の観光案内HPの写真では水の流れる庭園の様子が掲載されている。

   枯山水ならぬ枯れ枯れ庭園なのは残念

 ここのすぐ近くに旧円融寺庭園跡があり、例の大村藩勤王三十七士の碑も立っている。ところで彼らは結局は時代の中で勝利する側に回ったからこうやって今日も顕彰されているわけだが、その一方で時代の流れの中で敗北する側に回った者もいるのだろうなということに思わず心を馳せてしまう。それぞれが自身の信じるところに従って行動したのだろうが、それが結果として報われる場合とそうでない場合に分かれてしまう。何やら人生の切なさのようなものも感じてしまうのだ。私もこの年になり、人生においても明らかに敗北の側に立つことがほぼ確定したことから、どうも最近は時代の敗者に思いを馳せることが増えてきている。

     

 後は上小路武者屋敷通りの浅田家家老屋敷跡(これも壁だけ)に立ち寄ってから駐車場のある大村公園まで戻ってくる。大体2時間近く歩いていた計算になるし、灼熱地獄だし、かなり消耗した。頭から汗だくで持参した麦茶は完全に飲み干している。大村公園に戻ってきたところでジュースを買って一気に飲み干す。

   

上小路に塀だけが残る浅田家家老屋敷跡

 ようやく車に戻ってきたところでどこかで昼食を取る必要があることに気づく。しかし暑さに当てられて食欲もイマイチ、店を探すのも面倒になっているので、沿道にあったスシローに立ち寄る。以前から不思議なのだが、大都市にあるスシローはまずいのに、ここのスシローは意外といけるんだよな。仕入れ先が違うんだろうか?

 

 この時点で3時近くになっている。天候は徐々に怪しさを増しているし、それ以上に私の足下が怪しさを増しているということで、本格的山城を攻略出来る状況ではないと判断、もうここでホテルに向かって移動を開始することにする。

 

 今日の宿泊先は小浜温泉。島原方面に行く途中にある温泉地。雲仙温泉に向かう場合の経由地になる。大村からは車で1時間程度かかる。

 

 途中で軽い渋滞などに出くわしつつも順調に小浜温泉に到着する。小浜温泉は海沿いの温泉地だが、海際まで山が迫っている地形なので温泉近くにはいわゆる海水浴場などはないようだ。

 

 今日の宿泊ホテルは海辺の宿つたや旅館。やや年季の入った印象の建物で客室は全室海側を向いている。

  

 部屋に荷物を置くとすぐに外出する。この旅館の裏手の斜面上に小浜歴史資料館なる施設があるのでそれを見学する。

  

 何とも奇妙な資料館である。門をくぐると最初に目に入るのは温泉の源泉。激しい煙を上げて硫黄の匂いがしている。近くを見ると「温泉熱を活用したバイオディーゼル燃料の製造」なる看板が立っている。温泉熱を使って廃食用油からバイオディーゼル燃料を製造する実証試験を実施しているらしい。うーん、エコ。

   

湯煙を上げて湧き出す源泉の脇ではバイオディーゼル実証試験中

 奥には湯大夫展示館と歴史資料展示館があり、湯大夫展示館の方は小浜温泉発展の礎を築いた本多湯大夫の邸宅の跡で築170年だそうな。内部には本多家ゆかりの品を展示とのことだが、着物やら陶器やら書やらと意味不明な展示。

湯大夫展示館の展示の方はよく分からない

 歴史資料展示館の方はかつての小浜温泉の様子を再現したものでレトロ風情があってなかなか面白い。

歴史資料展示館の方はとにかくレトロ

 特にこれといって見るべき物があるというところではないが、入場料100円ならこんなものだろう。

 

 ホテルに戻ると入浴することにする。まず最初に屋上の貸し切り露天風呂に。私が入ったのは入徳の湯。見晴らしは良くて気持ちの良い風呂だが、湯自体はなめても味はしないし、肌当たりは新湯。そう言えば廊下に「ラジウム泉」との表記があったが、小浜温泉はそもそもナトリウム塩化物泉のはず。もしかして人工温泉か? とりあえず湯にあまり興味を持てないので一渡り体をほぐすと風呂から出る。

   非常に眺めは良いのだが

 部屋に戻って一休みしてから次は2階の大浴場へ。こちらの露天風呂に浸かってみると、肌当たりのしっとりした塩っぱい湯。こちらが正しい小浜温泉の湯である。なかなかに快適。ゆったりと体をほぐす。ナトリウム塩化物泉なので、風呂上がりにややネットリした感覚がある。

 

 しばしマッタリしていると夕食時刻の6時。夕食は部屋食とのことなので部屋に料理が一渡り運ばれてくる。定番どころの刺身から天ぷら、椀物、すき焼きなどとオーソドックスな組み合わせだが、なかなかに美味い。デザートまで含めて夕食を堪能した。

刺身を中心に天ぷら、鍋、小鉢などオーソドックスな会席料理を、ご当地サイダーのランダちゃんサイダーで

小鉢に鍋にデザート、すべて美味しかったです。

 夕食を終えて布団を敷いてもらうと急激に疲労や眠気が押し寄せてくる。しばし布団の上で横になっていたが、そのうちにそのまま意識を失ってしまう。

 

☆☆☆☆☆

 

 

 翌朝は6時半にセットしていた目覚ましで起こされた。昨晩は結局は8時過ぎぐらいからウツラウツラと浅めの眠りが続いていたようだ。体全体がずっしりと重い。外を見てみると秋雨前線の影響による雨とのことで、どうも今日の活動はかなり制約を受けそう。

   翌朝は雨が降っていた

 朝一番から目覚ましのために大浴場に入浴に行く。シットリとした快適な湯が体に染みいる感覚。これだから朝風呂はやめられまへんな・・・。朝寝もしたいところだが。

 

 入浴後は手早く荷物をまとめておくと朝食。これはオーソドックスな和食。朝からご飯が美味い。とりあえず燃料を体に入れておく。

   朝から和定食

 朝食後にはすぐにチェックアウトする。今日は諫早駅から特急つばめで一気に博多まで移動する予定。ただスケジュールを考えると、当初に乗車を予定していたつばめには間に合わないと予想されたことから、昨夜の内に1本遅らせている。しかし外は雨がひどい上に諫早駅までの道も渋滞が激しい(通勤ラッシュだろうか?)ので、結局は途中でもう1本遅らせることに。これで当初予定よりも1時間遅いスケジュールを余儀なくされることになるが、どっちみちこの雨ではまともにスケジュールを実行することは不可能だろう。今回の遠征では「無理をしない」を第一に置いている。昔なら万事をスケジュール通りに黙々と行動していたが、今はそれだけの気力と体力がない。

左 島原鉄道車両  中央 ハウステンボス号  右 特急つばめ

 レンタカーを返却すると諫早駅でつばめに乗車。雨は常に降っていて、時々かなり激しくなる状況。空はどんよりと曇って禍々しい雰囲気。私の乗車予定のツバメは数分遅れで到着する。

 

 到着した白ツバメは結構混雑している。とりあえず席についてどんよりとした空を見ている内にウトウトしてしまう。次に気がついた時には列車はもう鳥栖を過ぎていた。

 

 到着した博多は土砂降りの状態。その土砂降りの中を駅前のレンタカー屋へ。貸し出されたのはマーチ。とかく縁があるがとにかく好きではない車だ。

 

 さて今日の予定だが、回るべきところはいくつか考えているが、今日のこの天気だとかなり制約を受けることになる。この天候では山城の類いはまず不可能だろう。そこで最初の目的地は「元寇防塁」とする。

 

 元寇防塁は第一回の元寇の後に元の再来に備えて幕府の命で築かれた防壁である。二日目の元寇ではこの万全の準備が功を奏して、元軍は九州に上陸できずに撃退されている。

    

元寇防塁の手前にある蒙古塚

 現在防塁が残っているのは今津地区とのことなのでそちらを目指して車を走らせる。しかし現地に到着してから進むに困ることに。カーナビが示す道は道とも言えないような道だし、そもそも現地は路地の迷路。散々苦労して情報を集めた結果、緑町集会所のところに車を数台停められるスペースがあることが分かる。

 

 ようやく車を置くとここから元寇防塁までは歩いて1分ほど。看板の近くに遺跡として残っている防塁があり、その少し西には復元された防塁がある。厚さ、高さ共に結構あり、イメージとしては古代城郭の城壁。この城壁を盾に大軍に立て籠もられれば、当時世界最強だった元軍といえども上陸もままならなかったのは当然であろう。なお以前は第一回の元寇では元軍の団体戦と新兵器によって日本側はケチョンケチョンにやられたというのが通説であったが、最近は実は日本軍も意外と善戦していたという愛国者様達が泣いて喜びそうな話が出てきている。確かに地の利を生かしたゲリラ戦などを行えば日本側にも有利な材料は多々あったと思われる。この後にゲリラ戦の天才である楠木正成などが登場したことを考えれば、日本は意外にゲリラ戦に長けている。

左 松林の中にある説明看板  中央 こちらは防塁の遺跡  右 その奥が復元防塁

 元寇防塁を見学した後は「水城」の見学に向かう。こちらは時代をさかのぼって天智天皇の時代、大和朝廷の百済救援軍が唐・新羅連合軍の前に惨敗した後、唐による侵攻を警戒して太宰府防衛のために築かれた防壁である。版築工法で作られた土塁であり、高さは数メートル。しかも水城の名の通り手前には水が引かれて堀が作られていたという。これをちょうど山から山の間を塞ぐように作ったのだから何とも大規模。

  

 今はかつての東門の跡に見学者用の施設があり、ここでパンフレットをもらったり解説ビデオを見ることが出来る。

   土塁に埋まるような形になっている案内施設

 ただいざ現地に来てみると、確かにその規模には驚くが、所詮はただの土盛りであまり見るべき点がないのが事実だったりする。城のような分かりやすい施設があるわけでないのは、観光面においてはかなりの欠点。

左 展望台から水城を見下ろす  中央 奥の山までつながっている  右 近くで見ると意外に高くて険しい

左 水城の南側は平地  中央 水城の北側には水堀の痕跡の田んぼ  右 東門の柱跡

 結局今日は塀を二つ見ただけだった(笑)。しかも元寇防塁が思っていた以上の辺鄙にあったことから、水城を見終わると既に15時前。もう時間もないし、雨もひどいしということで今日の宿泊ホテルに移動することにする。今日は嬉野温泉で宿泊するつもり。ホテルは和多屋別荘を予約している。当初は別のホテルにする予定だったのだが、直前になって貧乏人向け夕食なし廉価プランが出てきたのが乗り換えた理由。やはり嬉野温泉でもここの湯は最高であるのが最大の選択理由。

 

 太宰府ICから九州自動車道と長崎自動車道を乗り継いで嬉野を目指す。ところで私が借りたマーチだが、運転していると基本的に80キロで走りたがるのが分かる。通常のアクセル操作をしているとすぐに80キロぐらいまで速度が落ちてくるのだ。流れに乗るにはかなり意識してアクセルを踏み込む必要がある。やはり諸々で感覚が合わない車だ。気を抜くと観光バスに追い抜かれる羽目になる。

 

 嬉野温泉には17時前に到着、かなりの雨が降っている。チェックインすると早速入浴する。嬉野温泉はナトリウム−炭酸水素塩・塩化物泉のアルカリ泉だが、ここのホテルの大浴場はさらに高温の源泉を加水することなしに冷却して適温にしているというこだわりよう。しかも湯は常に掛け流しでダバダバと浴槽に注がれており、溢れた湯は目の前の川に流れているという贅沢ぶりである。肌にしっとりとまとわりつく最高の湯。これに入るためにわざわざここまで来たわけである。最上の湯をタップリと堪能する。

   和多屋別荘

 川を眺めながら露天風呂でくつろぐが、雨のせいでかなり水が増えて濁流になってゴーゴーと流れている。先の大雨ではこの川が溢れて大浴場も浸水したとかで、サウナは現在故障中。私はサウナは使わないから関係ないが。

 

 ちなみにここの浴槽は黒川紀章の意匠による物だとのことだが、私の彼に対する評価は「安藤忠雄よりはマシ」という程度の物なので。確かに彼は安藤忠雄のようなガラクタは作っていないが、鉄筋コンクリート建造物の耐久性といった基本的最重要要素を考慮せずに、メタボリズムなんて提唱しちゃう人物なんで・・・。

 

 入浴を済ませて一息つくと夕食のために外出することにする。幸いにしてこの頃になると雨がやんでいた。温泉街をプラプラしながら夕食を摂る店を探す。結局立ち寄ったのは「和洋創菜えびね」「おまかせ御膳(2080円)」なるメニューがある。サイコロステーキ、ぼたんえびの刺身、ジャンボエビフライなどの記載があるので、これらの中からメインを選ぶのかと思えば、なんとこれが全部ついているという。とりあえずこれを注文する。

     このメニュー、マジですか?

 まずオードブルから出てくる。これがなかなか美味い。そしてパイスープ。味付けがやや甘めなのが気になるがなかなか美味い。そしてエビフライに続いてメインが出てくるのだが、これのボリュームに圧倒される。エビフライだけで普通のランチメニューなんかだったらメインのボリュームがある。たっぷり堪能したのだが、この後にコーヒーとデザートが。とにかくかなりのボリューム。とにかくCPの高さに圧倒された。嬉野温泉もまだまだ知らないところがあったようだ。

いやはや何とも驚きのボリュームでした。そして味も良い。

 夕食後は温泉街をしばし散策する。嬉野温泉は温泉街というよりも普通の町に温泉ホテルがチラホラというイメージに近い。川縁に新湯広場なる温泉公園みたいな物が出来ているが、これがまたあまり意味のない施設になっているのがどうにも。何やら温泉街としての統一イメージのようなものはない。

特に何があるというわけではない川縁の新湯公園

 ホテルに戻ってくると、テレビを見てしばしマッタリした後、再び入浴のために大浴場へ。やはり湯は最高だが、中国人のオッサンがうるさい。中国人が二人いたら、日本人十人分のうるささである。

 

 入浴の後はしばしテレビを見ていたが、やはりろくな番組がない。結局は今日もやや早めに就寝することにする。

 

☆☆☆☆☆

 

 

 翌朝は6時半に目覚ましに起こされる。とりあえず朝風呂を浴びることに。やっぱりここの湯は最高。朝から体に染みいる感覚がたまらない。このためにあえてこのホテルを選んだ価値があったという物だ。

 

 入浴後はバイキング朝食。朝食バイキングに関してはこんなものというところか。豪華でもないが粗末でもない。ビジネスホテルにプラスαぐらいのイメージ。

  

 9時過ぎには支払いを済ませてチェックアウト。今回は貧民プランに会社の福利厚生割引を適用して支払いはビジネスホテルにプラスα程度。温泉の湯のことを考えると十二分な価値のある宿泊であった。

 

 今日の予定だが、福岡方面に向かいつつ昨日立ち寄らなかった城郭を巡る計画。ただし相変わらず雨は断続的に強くなったり弱くなったりなので、本格的な山城は除外するしかなかろう。とりあえず出たとこ勝負である。

 

 最初に向かったのは肥前鹿島の「臥龍城」。鎌倉時代の中頃に原長門守貞光が砦を築いたのが始まりとのこと。後に松尾氏に攻められて消失してしまったとのことで、現在は臥竜ヶ岡公園の一部となっている。公園は肥前鹿島の市街の独立丘上にあるのだが、臥竜城はその背後の丘との間を堀切で断ち切った手前にある。丘全体を城にしても良いようなものだが、それだと地方領主クラスの手勢では守るに広すぎるのだろう。小さいが回りは切り立っていて結構堅固である。

左 手前の山とは堀切で分かたれている  中央 橋を渡って城内へ  右 中央には祠が建っている

左 中央に建っている祠  中央 高さはそこそこある  右 周囲はかなり切り立っている

 臥龍城の見学後は武雄温泉に戻ってくる。実は昨日武雄温泉に寄るつもりだったのだが、時間がなかったので嬉野温泉に直行した次第。やはりここまで来たのだから武雄温泉にも浸かってみたい。

   武雄温泉の楼門

 立ち寄ったのは武雄温泉の楼門のところにある元湯。由緒ある公共浴場である。入浴料が400円にタオルセットを借りると250円。ぬる湯とあつ湯の二つの浴槽があるが、私にはぬる湯でも少々熱いぐらい。泉質は単純アルカリ泉とのことでややヌメリのある湯である。

   武雄温泉元湯

 入浴後は武雄温泉新館の見学。ここはかつて公共浴場として使用されていた建物らしい。大正4年に建造、楼門と共に辰野金吾がデザインを手がけた建築で、共に国重要文化財に指定されているという。

   温泉新館

 一階に浴場が並んで、二階は畳の休憩室になっている構造。どことなく道後温泉本館を思わせる雰囲気もあるが、妙に中国的な外観が特徴をなしている。

左 貸切風呂の上々湯浴室  中央 十銭浴室  右 その天井

左 五銭浴室  中央 独特の形態の天井  右 二階から見た五銭浴室天井

左 二階に上がる  中央 畳敷きの休憩室になっている  右 中華調の窓から楼門が正面に見える

 新館を見学したらご当地コーラのうれしのチャコーラで一服。大昔のコカコーラのような妙な薬臭さを感じる懐かしい味。独特の風味が茶タンニンやカフェインであろうか。

   独特の味のチャコーラで一服

 武雄温泉を後にすると東に向かって走って行くことにする。武雄北方ICから長崎自動車道に乗り、この春に開設されたばかりの小城スマートICで降りる。次の目的地はここのすぐ南。

 

 最初に立ち寄ることにしたのは「千葉城」。そもそもは鎌倉末期に関東千葉氏の本家が支配していた城で、戦国期に龍造寺隆信が台頭するまでこの地を支配していたという。

 

 円明寺の北にある山上にある城郭なので最初は円明寺方面から車でアクセスしようとしたが、墓地から先の道は急斜面の上に舗装のコンクリートはひび割れ、そこに落ち葉や木の枝が散っている状態で、小雨がちらほらなこの天候では非力なマーチではスリップしそうな気がしたので車で進むのは断念して徒歩で登ってみる。するとしばし進んだところで交差点に出くわす。見たところもっとしっかりした道が下まで通じていそうである。そこで地図で確認してその道を進むことにする。最初は畑のフェンスの間の農業用の道路であるがこれが途中から山道につながっている。道幅も対向車が来なければ問題ない幅があり、この道路経由で山上まで上ることが出来る。山上にはキチンと駐車場があって「千葉公園」との看板まで出ている。

   円明寺から先の道はこのひどさ

 そこを入っていくと展望台のある公園になっており、千葉城に関する説明看板がある。それによると千葉城は大中小の三つの山からなっており、中と小は出城でここは中に当たるらしい。小が東にさらに降りたところにある須賀神社で、大は駐車場の奥の電波塔の建っている山のようだが、鬱蒼として進むのを躊躇う状態だったのでそちらの見学は断念した(後でグーグルで確認したら、山上に続く道もあって車で進めそうな雰囲気だが、どちらにしても大した遺構があるとも思えない)。

左 千葉公園  中央 天守閣ならぬ展望台が建っている  右 見晴らしは良い

左 奥の鉄塔が立っているのが大の城  中央 西の一段低いのが小の城だろう  右 山上への道は鬱蒼としていて歩く気にならず

 千葉城から降りてくると、次はここの少し南にある小城公園に立ち寄る。ここは小城藩主題藩主の鍋島元茂と二代藩主直能によって築かれた庭園である。3代の元武がここに陣屋を設けたことから「小城城」とも呼ばれている。

   陣屋はこの丘の上にあったようだ

 現地は水の流れる風光明媚な公園であり、春には桜の名所にもなるそうな。背後に小高い丘があってこの上に小城藩の陣屋があったようだが、丘の周辺はなだらかであって戦闘に耐えるようなものではないし、そのための構えも全くない。いかにも平時の陣屋という風情。

左・中央  丘の南には岡田神社があって庭園がある  右 丘の上には忠魂碑などが

 公園の見学を終えるともう昼過ぎ、佐賀県道48号線を佐賀方面に東進しながら昼食を摂る店を探す。この沿線には不思議なほどにラーメン屋が多い。そんな中、同じ敷地内にセブンイレブンがあって便利なことから「らーめん竹ちゃん」に入店する。「ラーメンと餃子のセット」を注文。

 細麺のとんこつラーメン。味は至って普通。餃子も至って普通というわけで、特に印象に残るようなものではないが、失敗というわけではない。価格も妥当だし、まあ普段使いならこんな店かなというところ。

 

 昼食後もさらに東進。次の目的地は「姉川城」。神埼市にある平城である。1360年に菊池武安が築城し、後にその子孫の姉川氏が入ったという。戦国時代は当初は少弐氏に属し、後に竜造寺隆信配下となって大友宗麟の侵攻を防いだとか。

中央の狭い道路を走っていくと、その左右が環濠に浮かぶ水城になっている

 現地は環濠に囲まれた田んぼであり、水路に囲まれた田んぼのなかに民家が点在しているという状態。これが城といわれればそうだろうが、構造のようなものはよく分からない。

 

 次はここの南東にある「直鳥城」。ここも姉川城と同様の環濠の城郭で、やはり龍造寺氏や大友氏の騒乱に巻き込まれたようだが、こちらは大友陣営だったようだ。湿地で両軍入り乱れての泥沼の戦いになったことが想像される。

住宅地奥の水路の合間に何やら見えるのだが、構造はよく分からず。

 こちらも姉川城と同様で民家や田んぼの間を環濠がうねっているという構造で、車で回っても単なる田んぼにしか見えない。

 

 佐賀は元々湿地であるのでこういう形態の城が多いのだろう。佐賀城などもいざとなったら城全体を水没させる防御態勢があったと言うし。この手の水城は山城に比べると一見したところは堅そうには見えないのだが、実際に攻めるとなると水路の入り組んだ地形は難攻不落であったろう。

 

 都合今日一日で5つの城郭を回ったことにはなるが、正直なところ城を見たという感覚はあまりない。特に最後の2つは田んぼを見たという印象しかない(笑)。姉川城と直鳥城はどこかに車を置いて徒歩で見て回らないと状況がつかめないだろう。ただ現地には車を置ける場所が見当たらなかったので、いずれ下調べをした上で再アタックするしかなかろう。それにしてもどうしても山城を省いてしまうとつらいものがある。

 

 さてもうそろそろ夕方である。回るべきところもないし、そろそろホテルに向かって移動することにする。今日の宿泊ホテルは脇田温泉ルートイングランティア若宮。脇田温泉は博多の東のかなり山の奥にあり、かつて筑豊での炭鉱が華やかかりし頃は歓楽温泉として繁栄した時期もあったらしいが、炭鉱も廃止されて久しい今となっては、数軒の温泉宿が残る鄙びた温泉地という風情になっている。

山間の脇田温泉はどことなく閑散とした空気が漂う

 ルートイングランティア若宮はこの温泉街から少し外れた山の中にある。スポーツなども出来る保養施設となっている。元々は厚生年金の施設だったのが民間に売却された物らしい。部屋の感じなどは確かにルートインよりは公共保養施設感がタップリ。

   

いかにも公共保養所っぽいルートイングランティア

 チェックインを済ませると何はともあれ入浴することにする。大浴場は内風呂と露天風呂があり、露天風呂には洞窟風呂なんてのもあるが(グランティア太宰府にも同様の物があった記憶がある)、湯自体は内風呂の方が良い感じ。泉質はアルカリ単純泉とのことだが、正直なところあまり温泉感は強くない。ヌルヌル感もそう強くなく、印象としては少し軟らかい新湯というところ。

 

 風呂から上がって一息つくとすぐに夕食。脇田温泉周辺は何もないところなので夕食付きプランを選択していた。夕食はレストランのランチメニューから選択とのことなので、ネギトロ丼を選択、またビール一杯がついているとのことだが私は酒は駄目なのでパインジュースに代えてもらう。

   いかにも日帰り入浴施設のランチっぽい夕食

 味は良くも悪くも普通。まあルートインの花茶屋なんだからそりゃそうだろう。

 

 夕食を終えるとしばしマッタリしてから再度入浴。今度は内風呂でじっくりと体を温めることにする。やはり湯は内風呂の方が良いようだ。ただインパクトの強さは全くない温泉である。

 

 風呂から帰ってくると疲れが出てグッタリしてしまう。自分で布団を敷いてその上で横になったら動くのが嫌になってくる。今日は大して運動したつもりはないが、長距離の運転が疲労につながったのだろうか。その内に意識を失ってしまう。

 

☆☆☆☆☆

 

 

 翌朝は6時半に起床、荷物を手早くまとめると7時からバイキング朝食。まあ見慣れたルートイン朝食である。今日は福岡空港から伊丹に飛ぶので急ぐ必要がある。

  

 かなり早めに7時半頃にはホテルをチェックアウトする。朝の渋滞を警戒していたが、渋滞は1カ所で短時間のみ(しかも車が混雑してというよりも、明らかに交差点の構造がおかしいのが原因)で予想以上に順調にオリックスレンタカー空港前店に到着。問題なく車の返却を終えると福岡空港に到着したのは出発時刻の2時間近く前。少々急ぎすぎたかとの気もするが、遅れそうになって焦るよりは良し。仕方ないので手荷物検査を受けた後、待合室でこの原稿を打っている(笑)。

 

 時間が来てバスで飛行機に乗り込むが、全員が座席についてもいつまで経っても飛行機が出ない。空港が混雑しているとかで滑走路が空かないらしい。結局は15分以上遅れての出発。

 

 今回のはIBEXとのコードシェア便なので小型のジェット機。そのせいか気流が乱れるとかなり揺れる。大阪空港着陸の直前に機体が上下左右に揺れまくって気持ち悪い。無事に空港には到着したものの、出発の遅れが祟って空港からのバスに間に合わない。結局は予定していたバスからかなり遅れることになり、京都に到着したのは13時過ぎ。慌てて今日の宿泊ホテルのチェックイン四条烏丸に荷物を置きに行くが、京都市響のコンサートは開演14時半からなので、昼食を取っている暇がない。結局はこういう事態もあろうかとバスに乗る前にローソンで買い込んでいたおにぎりがこの日の間に合わせの昼食。

 


京都市交響楽団 第627回定期演奏会

 

[指揮]準・メルクル

 

ワーグナー:歌劇「タンホイザー」から序曲とヴェヌスベルクの音楽

グリーグ:「ペール・ギュント」組曲第1番op.46

ブラームス:交響曲第4番ホ短調op.98

 

 ワーグナーは冒頭のホルンがやや不安定でその先が心配されたのだが、その後の演奏自体は安定した。準・メルクルの指揮はメリハリの効いたもので音楽全体に躍動感がある。特に弦の斉奏を中心にグイグイ盛り上げていくところなどはなかなかに聴かせどころになる。グリーグのクライマックスなども迫力十分。

 ラストのブラームスは冒頭からうねるような演奏。波が打ち寄せるような響きは盛り上げ上手である。派手な演出に走ることはないが、適切にメリハリをつけつつ要所を引き締めた演奏であり、なかなかのものであった。


 やはりドイツ正統派レパートリーに対する準・メルクルの演奏はなかなかの安定感だと感じさせられた。京都市響の演奏もなかなかに冴えがあった。

 

 コンサートを終えると東山に移動する。先週立ち寄ることが出来なかった美術館に立ち寄るつもり。今日は夜間開館があるので今からでも見学できる。

 


「東山魁夷展」京都国立近代美術館で10/8まで

  

 東京国立近代美術館の所蔵品に現在改装中の長野県立信濃美術館の収蔵品を加え、さらにこれから改装するという唐招提寺の襖絵も併せて展示しているという、現在考え得る範囲で最強に近い東山魁夷展である。もっとも上記の美術館は私は何度も訪問しているので、残念ながら何度か目にしたことがある作品が多いことになる。

 それでもやはり魁夷の本画はさすがだと唸らせられるし、上記のコレクション以外のプラスαの中に所見の作品も複数あり、堪能させられた。

 また改めて唐招提寺の襖絵を堪能した。一面にパノラマのように広がる波の風景には改めて絶句した。日本海などで目にしたことのある風景がリアルに眼前に展開した印象。さすがにこの画家は並ではないと新たに思い知らされた。


 前回は券売所前の数十人の行列に断念したが、今回は行列はなかった。ただ館内は結構混雑しており、人の頭越しの鑑賞にならざるを得ない場面も多数。やはりこの画家の人気を思い知らされた。国民画家という呼び名は伊達ではない。確かに彼の絵は「通俗的で精神性が低い」などと批判する人間はたまに見かけるが、嫌いだという者は未だに見かけたことはない。

 

 展覧会を鑑賞した後はどこかで夕食を取ってからホテルに戻ることにする。結局立ち寄ったのは「お食事処明日香」。いつものように「ハモの天ぷらの御膳(1150円)」を頂く。いかにも京都という味でほっこりする。

   

 夕食を終えてホテルに戻ってくるが疲労が強い。大浴場に入浴に行く気力も起こらず、シャワーを浴びただけでベッドの上でグッタリとしてしまう。テレビにろくな番組がないので、持参したブルーレイでガッテンを見ていたが、そのうちに強烈な眠気で今日もかなり早めに就寝してしまう。

 

☆☆☆☆☆

 

 

 翌朝は7時半に目が覚める。このホテルの難点はビルの合間にあるのでほとんどの部屋が窓を持っていない構造(窓のすぐ前が隣のビルの壁なので、事実上窓を塞いでいる)なので、外の明るさや天候が分からないということ。おかげで気をつけないと寝過ごすことがある。

 

 目は覚めたものの何となく体がボンヤリしている。とりあえずシャワーで目を覚ましてから朝食にレストランに行く。腹に燃料を放り込んだことでようやく目が覚めてくる。

 

 今日の予定は14時からフェスティバルホールで開催されるロンドン交響楽団のコンサートに行くのがメイン。その前に大阪市立美術館で開催されている「ルーブル肖像画」展を見学しようと思っている。ホテルを9時過ぎにチェックアウトすると大阪に向かう。

 

 京都駅も大阪駅も大混雑である。大阪駅でJRを降りるととりあえずコインロッカーを探してウロウロするが、300円や500円のロッカーは全部塞がっている。仕方ないので空きのあった700円のロッカーにキャリーやカメラ類を放り込む。

 

 身軽になったところで地下鉄で天王寺まで移動。さあ市立美術館に向かうかと思ったところでハルカス美術館で開催中の「太陽の塔」展のポスターが目に飛び込んでくる。しまった、これのことを完全に失念していた。市立美術館の前にまずハルカスに立ち寄ることにする。

 


「太陽の塔」あべのハルカス美術館で11/4まで

  

 大阪万博のシンボルであり、岡本太郎の代表作である太陽の塔についての展覧会。塔の構想を示す初期スケッチ、また当時の塔の内部や外観を示す模型、さらには塔の頂上に設置されている黄金の顔(初代)まで展示されている。

 太陽の塔に関する諸々の資料のみならず、岡本太郎の作品もいくつか展示してある。いずれも感性が爆発しているのだが、太陽の塔は彼の一つの集大成であることはよく分かる。

 万博を知っている世代も知らない世代も、岡本太郎という芸術家に触れる良い機会ではある。芸術は爆発だ!


 なかなかに面白い展覧会であった。また物販部門もかなり豊富で太陽の塔グッズなどが多数販売されていた。未だに太郎の人気は根強いものがあるようだ。昨今の世の中を見ていたら、ようやく時代が太郎に追いついてきたというところだろうか。それにしてもこの展覧会を見ていたら太陽の塔の中を見てみたくなってきた。予約を申し込むかな・・・。

   こういう太陽の塔もいます

 ハルカス美術館を後にすると市立美術館に移動する。大群衆でごった返して大騒ぎの天王寺公園を抜けて美術館に急ぐ。

 


「ルーブル肖像画展」大阪市立美術館で1/14まで

   

 ルーブルの収蔵品において肖像芸術という観点で作品を選んでの展示。

 古くはエジプトなどの作品から始まるが、初期の完全に理想化してしまっている肖像画から、だんだんと本人の特徴を捉えたリアルな肖像画へと時代が移っていくのが一つの特徴。理想的な神の世界を求めていた時代から、人間重視の時代への変遷と軌を一にしているように思われる。また権力者は自分を立派に見せるために肖像画などについてもいろいろと盛りすぎるのは今も昔もあまり変わらないようだ(今でも選挙ポスターなどはかなり修正する)。

 展示作は絵画のみならず彫刻から装飾品までその他多彩。作品自体云々というよりも、その作品を通して時代背景のようなものが浮かび上がるのがなかなか興味深かったところ。


 美術館の予定を急に一つ増やしたので時間に余裕がない。とりあえずホールに移動することにする。肥後橋駅に到着したのはもう開場時刻になってからだが、開演までの間にフェスティバルゲートの地下で急いで昼食を摂っておくことにする。立ち寄った「PRONT IL BAR」ミートスパを注文。可も不可もなく、冷凍スパとの違いもなくという内容。

   

 昼食を終えるとホールへ急ぐ。ホール内はほぼ満席に近い模様である。

 


サー・サイモン・ラトル指揮 ロンドン交響楽団

 

ピアノ:クリスチャン・ツィメルマン

 

バーンスタイン:交響曲 第2番「不安の時代」

マーラー:交響曲 第9番

 

 さすがにロンドン交響楽団の技倆は圧倒的だし、各楽器が素晴らしい音色を奏でる。しかもツィメルマンの自在のピアノはさすが。オケとピアノの呼吸もピッタリと合っており、正直なところよく分からない曲にも関わらず、圧倒されて感心させられた。場内の満場の拍手も当然の演奏。ちなみに拍手はツィメルマンが楽譜を持ち去って「アンコールはない」ということを暗に示したにも関係なく鳴り続け、楽団員が半ば強引に引き上げるまで終わることはなかった。

 後半のマーラーもまた圧倒される演奏であった。マーラーの9番と言えば、一昨年のヤンソンス・バイエルンの圧倒的名演が記憶に残るところだが、あちらがすべてを超越した天上の音楽としたら、ラトル・ロンドンの9番は、あくまで人間として苦悩し葛藤し、その挙げ句に到達した悟りの心境といった非常に人間くささを感じるものであった。決して焦ることなくじっくりと音楽を描くラトルに、しっかりと安定した技術で答えるロンドン響。そこから緊張感溢れる名演となっていた。最後のまさに消え入るような終曲の後に、しばしホール全体が凍り付き、その後に割れるような大拍手となった。この拍手もいつまで経っても止むことがなく、最後はラトルの一般参賀。


 かなりの名演にフェスティバルホール内も滅多にないほどの大盛り上がりとなっていた。ここまで盛り上がるのは年に数回した見たことがない。また拍手と同時に溜息も出ていたのが特徴的。

 

 今回の大遠征の最後を飾る見事なコンサートであった。今回の遠征では天候のために予定の半分もこなせないという未消化部分のかなりある物になってしまったが、まあ終わりよければすべてよしということにしておこう。

 

 

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