展覧会遠征 京阪編7
先日、東京と関西を往復したばかりだが、この週末は関西でのコンサートの連チャンである。どうも11月はスケジュールがタイトだ。
まずはザ・シンフォニーホールでのセンチュリーのコンサートから。金曜日の仕事を早めに終えると大阪へ駆けつける
日本センチュリー交響楽団 第213回定期演奏会
[指揮]飯森 範親(日本センチュリー交響楽団首席指揮者)
[ピアノ]ファジル・サイ
[管弦楽]日本センチュリー交響楽団
モーツァルト:歌劇「後宮からの逃走」序曲
モーツァルト:ピアノ協奏曲 第21番 ハ長調 K.467
ファジル・サイ:交響曲 第1番「イスタンブール・シンフォニー」 op.28
飯森のハイドンやモーツァルトは定評があるが、一曲目の「後宮からの逃走」もキビキビした躍動感のある演奏。センチュリーのアンサンブルもしっかりと安定している。
ファジル・サイのピアノは縦横無尽というか、アレンジの多い非常に表情豊かな演奏。カデンツァなどはオリジナルアレンジの装飾の多いかなり独特の演奏を披露していた。ただ飯森も表情豊かなモーツァルトを演奏するタイプであるせいか、ファジル・サイの暴れ回るピアノにオケを良く合わせており、アンサンブルの崩れはなかったのが見事。ファジル・サイは明らかに協奏曲よりはソロの即興演奏が向いているたちだが、それが遺憾なく発揮されたのがアンコールのトルコ行進曲アレンジ版。多彩で煌びやかなアレンジが圧倒的で、ホール内から「おぉー」という声が出たぐらい。
三曲目はファジル・サイ作曲のイスタンブール・シンフォニー。かなりエキゾチックな雰囲気の漂う煌びやかな曲であり、先ほどのファジル・サイのピアノ演奏を思い出させる。かなり複雑な曲のように思われたが、センチュリーの演奏はキリリと引き締まったなかなか聞かせるものになっていた。
体調が悪いので、いっそのことパスしようかという考えさえ浮かんでいたのだが、来て良かったとつくづく感じるなかなかの名演であった。私が今まで聞いた飯森の演奏ではベストだったのではなかろうか。
コンサートを終えるとホテルへ。宿泊するのは例によってのジーアールホテル江坂。ただ今日はいつになく駅からホテルまでが遠く感じられる。やっとホテルにたどり着くと、大浴場で体を十分に温めてからすぐに就寝する。
☆☆☆☆☆
この晩は爆睡してしまって、翌朝に気がつくと9時半。朝食付きプランにしていたのだが、朝食を摂ることも出来ずに慌ててチェックアウトする羽目に。
ホテルをチェックアウトすると荷物を置くために今日宿泊する予定のホテルに移動する。そもそも今日も予定が大阪なのだから同じホテルで二泊すれば良いものだが、そうしなかったのは空きと宿泊料の関係。
今日宿泊するのはホテルニュー松ヶ枝。地下鉄千日前線の玉川駅前にあるホテル。玉川駅周辺はゴチャゴチャとした町並みで妙に私には馴染める街。とりあえずホテルを訪れるとキャリーを預ける。
荷物を置いたところで最初に目指すのは天王寺。ハルカスでの棟方志功展を覗くのが目的だが、その前にMIOで早めの昼食。今日は朝食を摂っていないので腹が減っているのだが、体調不良のせいもあって食欲は今ひとつ。ここに来ると大抵はマルヨシなのだが、そればかりだとあまりに芸がないので、今回は「BACHI」でステーキランチ。ここはダイニングバーとのことだが、確かに本来は飲みが主体の店かなという印象。
昼食を終えるとハルカスに向かう。
「わだばゴッホになる 世界の棟方志功」あべのハルカス美術館で1/15まで
初期習作から晩年の作品まで展示が幅広いのが特徴。また版画だけでなくて肉筆画があったり、大作の展示があったりなどと内容は結構多彩。
強烈な棟方ワールドが炸裂するので、棟方芸術のファンならかなり堪能できるであろう内容。もっとも私のように棟方芸術とあまり相性が良いわけでない者の場合は、正直なところゲップが出る。
今日のコンサートの予定はいずみホールでの関西フィル。天王寺での予定は終えたが、まだコンサートまでは時間の余裕がある。そこでコンサートの前に梅田に立ち寄る。明日に行く予定にしていた展覧会を今日に繰り上げることにする。
「ホキ美術館巡回展」阪急うめだギャラリーで12/5まで
千葉の写実絵画専門美術館として有名なホキ美術館の名品を展示。
写実絵画についてはその意義や写真とどう差別化するのかといったところが鍵になるのだが、私流の解釈としては「写真では描けない超現実世界をリアルに表現することが出来る」「ピントの合わせ方などのテクニックにより、意図的な視線誘導を行うことが出来る」などといったところだと思っている。
本展でもそういう意味での秀作が多数。これはこれで一つのジャンルとして楽しめるのである。少なくとも意味不明で独りよがりの現代アートとは違って。
休憩に阪急百貨店でお茶をしていこうかと思ったが、どこの店も大混雑で待ち客が多数の状態。見切りをつけて大丸の方に移動、そちらで「Cafe Granche」に入店してワッフルを注文してマッタリする。
しばし休息を取ってからいずみホールに移動する。このホールには今まで数回来ているが、なぜか町の雰囲気がいつもと違うような気がする。そう言えばまだ日の高い内にこのホールに来るのは初めてのような・・・。
関西フィルハーモニー管弦楽団 いずみホールシリーズ Vol.41
指揮&ヴァイオリン:オーギュスタン・デュメイ
ピアノ:小林 海都
ベートーヴェン:ヴァイオリン・ソナタ第1番 ニ長調 作品12-1
ベートーヴェン:ピアノ協奏曲第1番 ハ長調 作品15
ベートーヴェン:交響曲第1番 ハ長調 作品21
デュメイによるオールベートーベンプログラム。
一曲目は久しぶりにデュメイのバイオリンを堪能できるプログラム。さすがに世界を代表する名手のテクニックを堪能。二曲目はソリストとオケの息がなかなかに合っている。
三曲目は若きベートーベンの意欲や野心も感じさせる初期交響曲。オーソドックスな中に後の作風につながる個性が垣間見られる。デュメイの演奏はそういう点に焦点を当てたような演奏。
いずれも第1番ということで、ベートーベンの若き颯爽とした頃を思わせる曲なのだが、そういう点がデュメイの表現と最近勢いの出てきた関西フィルとにシンクロして、なかなかに楽しめるコンサートになっていたと感じられた。
コンサートを終えるとホテルに直行。ただチェックインの前に夕食は済ませておくことにする。立ち寄ったのは野田駅の高架下の「御食事処きはら」。疲れた時の定番「カキフライ定食(1050円)」を注文。オーソドックスだが、まあ過不足のない内容。普通の大阪飯というところか。こういう普通の食堂が大阪は東京よりも段違いにレベルが高いのである。
夕食を終えてからホテルにチェックインする。部屋は洋室で板張りというのは珍しい。部屋で着替えると大浴場で入浴する。小さな浴場ではあるが、やはり大浴場があるのはありがたいことである。
このホテルは一階に割烹店がある(というか、このホテル自体がその割烹店が経営しているようだ)ためか、ルームサービスで料理を頼むことができるようだ。夜も更けた頃に小腹がすいたので鍋焼きうどんを頼む。ただこれは少々食い過ぎだったようだ。今朝かなり遅くまで爆睡していた上に腹が一杯になったせいで、この夜は目が冴えてしまって困った。
夜の鍋焼きうどん
☆☆☆☆☆
翌朝はどうも睡眠状態が中途半端。今ひとつ体にだるさが残っている状態。シャワーを浴びても朝食を摂ってもどうも体調がスッキリしない。単純な疲労なのか、風邪でもひいているのかそれも判然としない。どうも年齢のせいか、こういう「曖昧な」体調が多くなってきた。風邪をひいたとしても、昔のようにカッと熱が出てから治るというようなハッキリした状態にならず、熱が出ないままグズグズと長引くという感じである。
朝食は和定食
今日は京都でのコンサートだけなのでチェックアウト期限ギリギリまで部屋でゴロゴロしてからホテルを出る。開演時刻までは四条のネカフェで時間でもつぶそうと思っていたので、梅田から阪急で京都に向かおうと思ったのだが、阪急京都線が人身事故とかで完全停止。急遽JRでの移動となるが、阪急から流れてきた客でそれでなくても混雑する新快速が超寿司詰め状態、その煽りを食った京都地下鉄も超大混雑で、四条に着いた時点でヘロヘロ。それでなくても食欲が落ちていたところに、この疲労で昼食を摂る気にもならず、そのままネカフェに籠もってしまう。
ネカフェで1時間程度をつぶすとホールへ移動。体調は最悪である。体調は悪いし、今日は私の苦手な現代音楽系プログラムだし、いっそのことパスしようかという考えも頭をよぎったのだが、結局は「チケットが勿体ない」という考えだけでここまで来てしまった。
京都市交響楽団 第607回定期演奏会
[指揮]高関 健(常任首席客演指揮者)
[Pf]児玉 桃
[オンド・マルトノ]原田 節
メシアン:トゥーランガリラ交響曲
私の苦手な現代音楽系プログラムということで、曲自体は今ひとつ良く理解できない。ただ事前に警戒していたほどの抵抗がなかったのは事実。難解で困難な曲にもかかわらず、京都市響の演奏がかなり明快でしっかりと安定していた上に、高関の解釈もかなりシンプルであったためか、聴衆もついて行きやすかったところがある。
事前に予想していたよりははるかに楽しめた。結果としてはパスしないで正解だったというところか。また昼食を抜いていたのも、かえって眠気が起こらなくて正解だったか(笑)。
コンサートを終えるとそのまま帰宅。結局この日は昼食抜きのまま終わったのである。
関西地区のコンサート巡りであるが、体調の悪さもあって終わってみるとしんどかったという印象が一番残った。ただコンサートの内容的には現代音楽系にベートーベンのマイナー曲ということで、私的にはかなりしんどいプログラムであったにもかかわらず、終わってみると結構楽しめていたことに驚いた。最近、大分ショスタコなどに耳を慣らされたせいか、現代物に関しても以前ほどは強い拒絶反応が出なくなってきたか(もっとも面白いと感じるところまではなかなか行かないが)。
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