展覧会遠征 岐阜編2
この週末は飛び石休だが、組合の方から「年有消化のために休め」とのお達しが回ってきた。私はそもそも年有消化については全く困っていないのだが、この際だからこれに乗っかって休みを取ることにした。ここのところ仕事のストレスが半端なく、あちこち体に疲れが溜まっていた。これは温泉周遊でもしたいところ。以前から気になっている温泉地があったので、連休を使って岐阜方面に繰り出すことにした次第。
その前に水曜の夜は大阪でコンサート。内田光子とマーラーチェンバーのチケットを取得している。仕事を早めに終えて大阪まで繰り出すと、駅マルシェの「北極星」で「チキンオムライス」を夕食に頂いてからホールに向かう。
一階席はほぼ満席のようだが、私のB席がある二階はかなりガラガラの状態。B席のある後ろの列だけが満席である。どうも入りが今ひとつ。
内田光子 with マーラー・チェンバー・オーケストラ
[ピアノ・指揮]内田 光子
[管弦楽]マーラー・チェンバー・オーケストラ
モーツァルト:ピアノ協奏曲 第19番 ヘ長調 K.459
武満徹:弦楽のためのレクイエム
モーツァルト:ピアノ協奏曲 第20番 ニ短調 K.466
内田光子のピアノについてはかなり流麗な演奏という印象。ただピアノ協奏曲の19番の方は、あまりに流麗すぎるが故にサラッと流れてしまったようで印象はやや薄い。
武満はマーラーチェンバーのアンサンブルのレベルの高さを十分に感じさせる演奏であった。ただ残念なのは私には武満はどうも面白くない。
内田のピアノが暴れまくったのは後半の20番。最初からやや変則的な演奏だと感じていたが、段々とアレンジが増えていく。装飾音が付加されていって今まで聴いたことのないような演奏に。好き嫌いは分かれそうだが、ある種の圧巻の演奏ではある。
内田光子とマーラーチェンバーの関係については「気心知れている」という雰囲気が伝わってきた。その辺りが内田の変則的な演奏にもバックが問題なく付いてこられる理由なのだろう。
充実した演奏の割には会場の入りが今ひとつ残念な演奏会だった。やはり少々チケットが高かったか(S席2万円というのは、内容からすると明らかに高い)。どうも最近はチケット価格が高騰気味に思われる。昔はスポンサー付きの安いコンサートなんかも結構あったのだが。もっとも価格が安くなれば安くなったでおかしな客(場内で馬鹿騒ぎするような)とかが現れるからそれはそれで問題なのだが。
コンサートを終えると今日の宿泊ホテルに向かう。ホテルは例によってのジーアールホテル江坂。途中のイオンで軽い夜食を購入するとチェックイン。大浴場で入浴してから早めに床についたのである。
☆☆☆☆☆
翌朝の目覚めはあまり良くなかった。やはり睡眠力が落ちているのか、4時頃に一旦目が覚めて、その後は浅い眠りでウツラウツラとする状態。おかげでトランプがアメリカ大統領になって、その愚かさのせいで世界を滅ぼしてしまうというリアルな悪夢を見てしまった。それにしても奴はFBI長官にいくらつかませたんだ? 自分が選挙で負けたら不正選挙なんていうとんでもないことを主張するなと思っていたが、つまりは自分が不正な手段を平気で駆使するからそういう発想になるんだなと納得した。人間は常に自分を基準に世界を見るものである。だから悪意に満ちた人間は世の中のすべての人間は欲だけで動いていると考え、善意に満ちた人間は悪意のみで生きているような輩がいることを信じられないのである。
シャワーで目を覚ましてホテルをチェックアウトしたのは7時過ぎ。今日は新大阪から特急ひだで高山に向かうつもりである。単純に時間を考えると名古屋まで新幹線で行ってから特急ひだの方が早いのだが、このルートを選んだのは旅費の節約。最近はアホノミクスのせいで私の経済状況も悪化しており、軍資金がかなり不足気味である。
新大阪駅で朝食用と昼食用の弁当を買い込むと特急ひだに飛び乗る。最近はサンダーバードもひだも在来線特急はすべて車内販売がなくなってしまったので不便である。
今日の朝食
新大阪に到着したのは4両編成のディーゼル特急。新大阪からひだにのる乗客は数人。京都までは車内はガラガラである。京都で大量の乗車があると列車は岐阜を目指す。
重くてかったるい走りにウトウトしているうちに岐阜に到着。岐阜では一旦3番線に入って乗客の乗り降りを行ってから、逆方向に戻って4番線に入り直してから名古屋方面からの列車と連結というかなり手間のかかることを行う。こんな面倒なことをする理由は不明。
ようやく岐阜に到着
10両編成に増結した特急ひだは高山本線を進むことになる。立体交差で東海道線の下をくぐると列車はまっすぐ東進する。名鉄との乗換駅でもある鵜沼を過ぎると木曽川に沿って進む。美濃太田から先は深い山間の川沿いを進む単線路線。途中で対向車との待ち合わせなどもある。こうなると対抗列車の遅れなどがこちらにも影響してくる。
沿線風景 そうこうしているうちに11時になったので、昼食に新大阪で購入した弁当を出してくる。桜島鶏の照り焼き弁当という岐阜には何のゆかりもない弁当だが、これがなかなかうまい。
今日の昼食
下呂温泉には6分遅れで到着。空は晴れているのになぜか結構な雨が降っている。やはり山間の気象は分かりにくい。
下呂温泉は雨
高山へは後1時間弱で到着。高山は晴れているのだが断続的に雨が降るやや不安定な天候。さてこれからの予定だが、駅レンタカーを予約しているので車で近隣の山城を訪問する予定。駅レンタ事務所は駅前のトヨタレンタカー内。貸し出されたのは例によってのヴィッツ。
高山駅に到着
最初に立ち寄ったのは「三仏寺城」。築城年代は明らかではないが、中世から存在した城のようである。1182年に木曽義仲が攻め込むが、城主の平景家は4人の息子と共に京に上っていて不在、次男景綱の息女である鶴の前が城兵を指揮して戦ったが落城、鶴の前と景家の室阿紀伊の方は行方不明となったという。鎌倉時代には地頭の藤原朝高らが在城、戦国時代に三木氏の所有となるが、武田軍による飛騨攻めの際に城主の三木直弘は戦わずに火を放って引き上げたために廃城となったとのこと。
観喜寺と三仏寺城登口 歓喜寺のところから登山道が出ているので、お寺の駐車場に車を置いて登っていく。遠くから見たところ大した山でもなかったようなので、十数分ぐらいで登れるだろうと見繕う。リハビリ登山としては手頃なところである・・・と皮算用していたのだが、情けないことに十数分どころか3分で息が上がってしまったのである。
ここのところの運動不足と体力の低下は自覚はしていたが、まさかここまでとは。山道10分程度なら大丈夫だろうと思っていたのだが、実はウルトラマンと同時間しか戦えない体になってしまっていた。これはかなり深刻。
結局は途中で何度も立ち止まりながら、ヘロヘロになりつつ十数分で出丸に到着する。しかしここでしばし動けなくなる。心臓はバクバクいって今にも止まりそうだし、まずいことに吐き気がする。これはかなり重症。しばしの休憩を余儀なくされる。
ヘロヘロになりながらようやく出丸に到着
出丸は城の一番手前にあるわけだが、残念ながら見晴らしはあまり良くない。ここからは背後に削平地が連なっている構造。一番大きい曲輪が二の丸で、その手前に大手口や搦め手口がつながっている。
左 出丸から奥に進む 中央 途中で右手に見えるのが大手 右 この先が二の丸 左 二の丸は長い 中央 搦め手口もある 右 奥に深い 本丸は一番奥にあるが面積は大して大きくない。全体的にそう大規模な城ではなく、特別な仕掛けもない。確かにこの城だと、留守部隊だけで姫が指揮を執るような状態では木曽義仲の軍勢の攻撃の前にはひとたまりもなかったろう。
左 この奥が本丸 中央 本丸 右 周囲は険しい 帰路は大手道を降りていく。このルートは往路よりはなだらかで、途中で番所的な曲輪があったりする。道はほぼ整備されているのだが、一番下まで降りてきたところで背丈以上の籔が茂っていて進むのが困難になる。民家がそこに見えたから強行で突っ切ったら5メートルほどで道路に出たが、まさかここまで来て引き返しかとゾッとした。ここまでは大体通路が整備されていたのに、ここだけ完全放置になっている理由は謎。土地の所有権の絡みかもしれない。
左 大手口から降りていく 中央 しかし最後にこの藪 右 ようやく抜けるとここが登城口 三仏寺城の次は「鍋山城」を訪問する。鍋山城は天文年間(1532〜1555年)に鍋山豊後守安室が三仏寺城からここに居城を移したと言われている。後に三木自綱がこの地に攻め込んだ際に安室は三木氏に降って自綱の弟の顕綱を養子に迎えるが、この顕綱に安室は追われることになるとのこと。しかし顕綱も自綱によって謀殺され、その後は自綱の次男の秀綱がこの城に入る。その後、金森氏の飛騨攻めで三木氏は滅ぼされ、飛騨は金森氏の支配下となる。金森氏は当初はここを居城にしようとしていたようだが、数年で高山城に移ってこの城は廃城になった。
鍋山城の登り口は春日神社のところにあると聞いていたのだが、この神社が田んぼのあぜ道のような細い道の一番奥なので、それを見つけるのに難儀する。辺りをウロウロした結果、鍋山城がある山の東南の隅にようやく神社を見つけることができた。周辺に車を置いて進むと神社の横に動物除けのフェンスがあり、そこに鍋山城登り口の表示が出ている。フェンスを通過して山道を少し進むとすぐに林道に突き当たるので、その林道をしばし進んでいくと屋敷跡の表示がある広場に出る。
左 このフェンスを通過し 中央・右 フェンス沿いを登っていく 左 林道に出る 中央・右 林道の先にあるのが屋敷跡 城の本体はここから険しい山道を登っていくことになる。しばらく進むと出丸と本丸への分岐にさしかかるので、まずは本丸を目指して進むことにする。
左 屋敷跡の裏を登っていく 中央 出丸方面と本丸方面の分岐 右 本丸に向かうには険しい道を登る この本丸への道が厳しい。もう足がほとんど終わっているのでさっぱり前へ進みにくい。ヘロヘロになった頃にようやく石垣が目に入る。
左・中央 ヘロヘロになった頃に石垣が見える 右 石垣を越えるとダラダラとした平地が続く 本丸はこの石垣の上に広がっている。面積はそれなりにあるが、削平が十分に成されていないようで起伏が結構ある。飛騨を押さえた金森氏はこの城を本拠に整備しようと考えたが、すぐに断念して高山城を築いたという。この城が手狭だったからという説もあるが高山城も決して広いとは言いにくい城であり、この城も尾根筋まで含めるとそれなりの面積はあることを考えると、やはり場所が辺鄙に過ぎることが主要因のように思われる。戦国期の籠もって戦う必要のある時代ならともかく、秀吉の天下がほぼ定まった時代であることを考えると、城下町の発展のスペースがあり、街道を押さえる要衝である高山城の方が時代にはふさわしいだろう。
左・中央 ダラダラと登った奥が本丸 右 この先を降りると二の丸だと言うが 本丸から奥に降りたところに二の丸があるとのことだが、かなり降りないと行けないようだし、特に何があるというわけでもないと聞いているので、足がもうほぼ終わってしまっていることを考えて今回はパスすることにする。
本丸から降りて最初の分岐のところまで戻ってくると、そこから出丸の方に向かう。しかしこちらは途中から道なき斜面を直登する必要があるようで、もう足が終わってしまってフラフラしている状況を考えると、思わぬ不覚をとる可能性があることから、こちらも断念して下山することにする。
左 出丸手前の堀切 中央 かなり急な登り 右 細かい削平地は見えるが 結局は思っていた以上の足の弱りようのため、本丸を見学しただけのやや中途半端な状態で終えざるを得なかった。もう少し鍛え直してからいつかリターンマッチに臨みたいところである。やはり本丸まで鼻歌交じりで軽く登れるぐらいにならないとこれは無理だ。
山城を二つ回ったところで大体3時過ぎ。かなり疲れたのでもうさっさと今日の宿に移動することにする。今日の宿泊地は奥飛騨は平湯温泉の「山のよろこび お宿 栄太郎」。そもそも今回の遠征の主旨は「温泉でゆっくりしたい」である。私も近年は急速に老化を感じるようになっており、筋力、聴力、視力、知力、集中力などの著しい低下を認めないわけにも行かない。もう既に体はボロボロである。だから温泉で静養したいなというわけである。
山の中の国道158号をを突っ走ること1時間弱で平湯温泉に到着する。国道158号は山間の起伏もカーブも多い道だが、道自体は決して悪くない。最後に長いトンネルを抜け、急傾斜のヘアピン道路を下っていった先が平湯温泉である。驚いたのはこちらに来たら山の上の方に雪が見えること。さすがにスキーができるほどではないが、もう既に積雪は始まりだしているようである。万一積雪や凍結があればこの道はかなり危なそうである。
今日のお宿
宿に到着するとすぐにチェックイン。部屋でゆっくりしたいところだが、その前に一カ所だけ立ち寄りたいところがある。平湯温泉の近くに平湯大滝なる滝があるという。これはやはり見ておきたい。徒歩で20〜30分程度とのことなので、車は宿に置いて歩いていくことにする。
しかしこれは結果的には失敗だった。まず私の足が想像以上にダメージを受けていたこと。普通の舗装道路を歩くだけなのに少し登りになると足が前に出ない。情けないほどに筋力が抜けてしまっている。さらに私の服装がかなり場違いであることに気づいた。私は薄手のジャンパーの下に秋シャツという軽装。しかし周りを見渡すとほとんどの者がダウンジャケットにスノー帽というスキースタイル。そう言えば日が西に傾いてからどんどんと寒さが増している。私は汗をかきつつ歩いていたので考えなかったが、この気温にはあまりに軽装過ぎる。実は私も現地が寒いことを想定してダウンジャケットを荷物に入れていたのだが、迂闊にも何も考えずにここまでの服装でそのまま宿を出てしまったのである。
雪のないスキー場の横を進む
平湯大滝はまだ雪のないスキー場の横をさらに進んだ先にある。体を止めたら凍えてしまいそうなので、結局はヘロヘロになりながら急いで平湯大滝にたどり着いたが、やはりきっかり30分かかった。平湯大滝はかなり圧巻というか、こちらに迫ってくるような圧迫感のある滝。落差は64メートルとのこと。滝自体は特別に大きいと言うほどでもないのだが、この背後の岩盤の圧迫感が半端ない。付近には落石注意の看板があちこちに立っているが、正直なところこの滝の背後の岩盤自体が今この瞬間にも手前に大崩落してきそうな感がある。残念ながらこの圧迫感は現地を訪れないと写真では伝わらない。
帰りは急いで歩くが、日がほぼ沈みかけて気温が急激に下がってきている。ホテルで近くの日帰り入浴施設のチケットをもらっているので、帰りに立ち寄るつもりでいたのだが、この状態では湯冷め確実である。とりあえず宿に戻って宿の風呂で体を温めることにしたい。
途中で土産物屋に立ち寄って土産物購入及び体の暖め。ようやく宿に帰り着いた時には体は完全に冷え切っていた。
とるものとりあえず入浴である。この宿には2カ所の風呂があり、どちらも内風呂と露天風呂付きとのこと。本館の浴場は先客がいたので別館の浴場に行くと、ちょうど一名が出るところで入れ替わり。貸し切り状態で温泉を堪能する。
湯はナトリウム−カルシウム−炭酸水素塩−塩化物泉。肌にしっとりとまとわりつく極めて良質の湯である。私が今まで体験した温泉の湯の中でも上位に入るレベルの湯。浴槽の壁にもたれ掛かると妙な出っ張りが背中に当たるから何だと思えば、温泉析出物がちょうど水面のところで浴壁に付着して成長したものだった。この宿では90度以上の源泉を熱交換で冷まして掛け流しにしているとのこと。やはりそれだけのことはある。
左 内風呂 中央 露天風呂 右 温泉析出物が貼り付いている 温泉を堪能して部屋に戻ってマッタリすると、すぐに夕食の時間なので食堂の方に向かう。夕食はこれまた豪華。そしてまた何から何まで見事にうまい。鮎も馬刺も最高。また野菜の煮物がうまいのに驚いた。山菜などの野菜類が抜群にうまい。またデザートのココナッツプリンが最高。私的には小豆を入れてあるのがツボ。
たっぷりと夕食を堪能したのである。うまい飯に良い湯。これは最高の贅沢である。
夕食を終えると今度は本館の方の浴場に入りにいく。こちらの露天風呂は他の風呂と違う源泉を使っているらしい。すぐそこで湧いている湯をそのまま掛け流しにしているとのことだが、やや温めの湯であるがとにかく金気のにおいが強くてかなり濃い湯であることが分かる。成分を見るとマグネシウムやメタ珪酸、炭酸水素塩などの濃度が他の浴槽よりも多い。風呂に張ってある張り紙によると「温泉成分が下呂温泉の5倍」との触れ込み。これはなかなかに個性的な湯だ。
もう完全に両足が死んでいて、ふくらはぎなどは既にパンパンの状態になっているので、これを風呂でよくほぐしておく。しかしこれは明日はまともに歩けないのでは。現在、部屋でこの原稿を入力しているが、既に両足に力が入らず、まともに移動ができない状態。
部屋に戻って布団の上に転がっていると急激に疲労が襲ってくる。この日は9時半頃には就寝してしまったのである。
☆☆☆☆☆
昨晩はさすがに就寝が早すぎたので、夜中に何度か目が覚める羽目になった。朝7時前になると周りの部屋がバタバタし始めてうるさくなるので目が覚める。
朝の風景 遠くの山には雪が見える
起床すると朝風呂で目を覚ます。8時から朝食。朝食はオーソドックスな和定食にホウバ味噌付き。また今人気のTPP・・・じゃなくてTKG(玉子かけご飯)もあり。ただの醤油でなく出汁醤油が用意してあるところがうれしい。
部屋に戻ったらチェックアウトまでしばしマッタリと過ごす。テレビをつけると、大津市で寺が納骨堂を作ろうとしたところ付近の住民が役所に反対意見を送りつけたことで不許可になり、寺と市で裁判沙汰になっているというニュースを放送している。今時は納骨堂も迷惑施設か。幼稚園などが迷惑施設と言われるのは、実際に付近の騒音のひどさを知れば理解できる(子供の叫び声は確かに耳障りだし、特に最近の子供は昔に比べてやたらにキーキーと吠えるようになっている)のだが、納骨堂が迷惑施設という感覚は私個人にはない。やはり小学校の教室から見えるところに墓地があり、墓地に対して不吉と言った気持ちを全く持っていないためだろう。周囲の住民の宗教感情に配慮とのことだが、そもそも日本の宗教では亡くなった方は仏様のはずなんだが・・・。一体何の宗教なんだろう? キリスト教やイスラム教でもことさらに死者を不吉と言っているのは聞いたことがないし(必ず誰の人生でも行き着く最終到着点なんだから)。葬祭で儲けることを目的にしているどこかの怪しい新興宗教だろうか。
後は韓国のパク大統領のニュースばかり。今の大統領はかつての独裁者のお嬢様のはずだが、まともなブレーンを抱えていなかったんだろうか。以前から韓国の大統領は交代後に刑務所に入るところまで含めて大統領任期などと揶揄されるが、パク大統領もお決まりの軌跡をたどりそうな気配になってきた。ここまで毎度毎度だと、これは民族性云々とかの問題だけでなく、明らかに韓国の大統領制のシステムに問題があるのではないかという気がする。権力を分散して監視のシステムを入れる必要があるのだろう。
ホテルをチェックアウトしたのは10時前。高山に帰る前に日帰り入浴施設の「ひらゆの森」に立ち寄ろうと思っている。昨日宿でもらったチケットは持っている。ここが10時オープンなのでそれまで待っていたのである。昨日は結局行かなかったので今日の朝一番に訪問してから帰ろうと考えた次第。当初予定では朝からもう一カ所山城をなんて考えもあったのだが、今朝の足の状態がそんなことは到底無理であることを告げている。何しろ山道を登るどころか平地を歩くのでもヨタヨタしている状態。座敷に座り込んだら立ち上がるのも一苦労である。我ながら情けない。
ひらゆの森の湯は若干の白濁があるのは栄太郎の湯と同じ。ただ少し違うのは硫酸塩が多いこと。そのために浴場には硫黄の匂いが漂っている。また湯には大量の湯の花が。日帰り入浴施設でここまで湯の花が大量に浮かんでいるのを見るのは初めて。ちなみに今時は湯の花と湯垢の区別もつかない輩がいて、こういう湯を見ると「大量の湯垢が浮いていて不衛生だった。」なんて口コミしてしまうのが困ったところ。これだからネットの口コミなんてあてにならないのである。最近の口コミサイトは投稿数が多い者ほどランクが上がるシステムになっているところが多いが、そうなると今度は食べログなどでランクを上げるために、マクドナルドなどのチェーン店の口コミを大量に書き込む輩まで出てくる始末。どんなシステムにしたところで、やはり利用者のレベルが低いと書き込み内容のレベルも下がってくる。インターネット自体が初期のマニアだけだった頃に比べると、現在は出回っている情報のレベル自体が目を覆いたくなるほど低レベルである。
内風呂に浸かって少しからだを暖めてから、いくつもある露天風呂をはしごする。朝一番のおかげで湯がまだくたっていないので鮮度が高い。硫酸塩が多い分、栄太郎の湯よりはやや肌当たりがキツい印象。湯はほぼ同じはずなのに、岩風呂よりも桧風呂の方が柔らかい印象がしたのは不思議。浴槽ごとに湯の温度が微妙に違うので、自分の好みの浴槽を探してウロウロする者も。風呂上がり直後には肌が少しカサッとするように感じられるが、その後になるとしっとりとしてくるのは硫黄泉の特徴。かなり良質な湯である。紅葉に積雪などと言った複雑な風景の山を眺めながらゆったりとくつろぐ露天風呂は最高である。
入浴を終えると土産物コーナーを一回りしてから、喫茶でメロンのジュースを頂く。これがメロンをそのままミキサーにかけてジュースにしたという代物で、濃厚でいてサッパリとした非常に美味なもの。湯上がりの火照った体には最高。
喫茶コーナーでメロンジュースを頂く
くつろいだところでそろそろ平湯温泉を後にすると高山に向かうことにする。今日の12時半までに車を返却しないといけない。しかしトンネルの手前で車が止まっている。どうやら事故があって通行止めになっているようだ。これは困った。どうしたものかと考えていたら「もうすぐ通行止めが解除になる」と警官が言って回っていたのでしばらく待つことにする。
高山行きの道路が通行止め
通行止めは10分ほどで解除になって車列も動き出す。どうやらトンネルを出てすぐの急傾斜のヘアピンの凍結路面でトラックが事故った模様。現在でも外気温は6度らしいから、朝などは凍結温度だったろう。昨日ここを通ったときに怖い道だなと感じていたのだが、やはり事故ポイントのようだ。
高山には無事12時前に到着する。車の返却を済ませると、駅のロッカーにキャリーを放り込んでから徒歩で高山市街の散策に移る。
今日の宿泊予定は岐阜の長良川温泉だが、岐阜に急いで行ったところで何の用事もない(元気なら岐阜城を登っても良いが、この足の状態では崖から転落しそうだ)ので、岐阜に移動する前に高山での散策の時間を取った次第。
とは言うものの、実のところ既に高山は何度も訪問しているので今更改めて見学するような場所もない。実際のところは街ブラでもしながら、どこかで昼食を摂ろう程度の考えしかない。
とりあえず高山観光の定番である町並み保存区をうろつく。やはり高山の街は風情があって良いし、観光地化も進んでいるのでうろついていても楽しめる店は多い。何の目的もなくうろつくだけでも結構楽しい。
平日にもかかわらず高山の市街は今日も大混雑
そのうちに下二之町までやってきたので、前回に時間の関係などで見学をパスした吉島家住宅を見学する。いわゆる昔の商家というやつである。ただ入場料500円はやや高いという気がする。普通は300円ぐらいが相場というところ。この辺りは観光地価格か。
吉島家住宅は立派な商家 吉島家住宅は造り酒屋を営んでいた吉島氏が明治40年に建築した商家。国の重要文化財にも指定されている建物は、立派な梁が組まれた天井の高い吹き抜けが印象的な造り。高い位置の窓から太陽光を自然に取り込む構造には匠の技を感じさせるが、この地では冬になったら寒くないのだろうかということだけは気になった。
市内で見かけた目つきの悪い温泉客
吉島家住宅の見学を終えると、街並みをプラプラとしながら昼食を摂る店を物色。目についたうなぎ店「うな信」に入店して「うな丼上(2400円+税)」を注文する。
昨今のうなぎの高騰を考えるとこの価格では仕方ないが、入っているうなぎは半身である。うなぎは関西式のパリッと焼いたもの。なかなかに香ばしくて良いが、私の好みから言えば少し焼きすぎかという気もする。
飛騨牛コロッケなどを食いながらさらに散策を続ける内に高山駅の前まで。しかし予約している列車の時刻まではまだ30分以上あるので、駅前のそば店「飛騨」に入店して「10割そばのざるそば(1100円)」を頂く。そばの風味が強くてなかなかに美味いそば。やはりそばはこちらが本場か。
そばを食い終わったところでロッカーからキャリーを回収して高山駅へ。ここから特急ひだで岐阜を目指す。この長い旅では疲れが出て、途中で完全爆睡。
久しぶりに来た岐阜駅はかなり様子が変わっていた。駅前には金ぴかの信長像が建ち、信長ゆかりの地であることをかなりアピールしている。正直なところ私の頭の中では信長と岐阜の結びつきはそう強くないのだが、そもそも岐阜の名は信長がつけたと言うし、信長は岐阜城を得たことで「天下布武」などとたわけたことを言い始めたというから、信長飛躍の地であるわけである。とは言うものの、尾張から来た信長は岐阜から後に安土に拠点を移すので、岐阜は通過地点というところもある。
左 金ぴかの信長像 中央 信長バス 右 こちらは濃姫だそうな 岐阜駅から長良川温泉まではバスで十数分。今日宿泊するのは長良川観光ホテル石金。長良川温泉の一番西端に位置するホテルである。私の宿泊プランは長良川の眺望のない所謂「訳あり部屋」の割安プランで、その分料理を豪華にしてある。
ホテルは外観などからしてもやや古びている印象は拭えないが、内部はきれいにしてある。
部屋に荷物をおくととりあえずは入浴。大浴場は別棟になっていて、内風呂と露天風呂がある。内風呂の湯はやけに特徴がないと感じたが、どうやらこちらは新湯の様子。温泉は露天風呂に注がれているようだ。赤褐色の鉄系の湯。分析表によると鉄冷鉱泉で加温・加水の模様。鉄泉特有のややザラッとした肌触り。
露天風呂と内風呂
入浴を終えると夕食になる。夕食は飛騨牛ステーキにアワビステーキという豪華版。非常にうまいのだが、ある意味では想定内の旨さ。先日、栄太郎で想定外の旨さを体験しているだけに、それに比べてしまうとやや損をしているとも言える。
夕食を終えると再び入浴。どうも体に寒気がある。やはり風邪をひいてしまったか。どうもよろしくない傾向である。
部屋に戻ってきてテレビをつけると「トトロ」を放送中。一体何回目だと言いつつも、結局はこれを最後まで見てから就寝。
☆☆☆☆☆
翌朝は7時に起床。やはり体がグッタリと重くのどが痛い。いよいよ本格的にやばい雰囲気。とりあえず8時から宴会場で朝食を摂る。オーソドックな和定食。アユの干物がなかなかうまい。他の客はかなり行動が早いようで、もっと早く朝食を摂って既にチェックアウトしているグループもあるようだが、私は岐阜に用事はないし、京都のコンサートは4時開演なので今日は時間に余裕があるのでチェックアウト時間までゆっくりするつもり。
朝食後は入浴して体を温める。やはり体がだるいし少々鼻水も出る。平湯の滝がまずかったか・・・。
チェックアウトしたのは9時半頃。岐阜駅までバスで移動すると、新快速や普通列車を乗り継いで2時間。ようやく京都に到着する。新幹線代をケチったわけだが、こうして移動すると岐阜は遠い。ただ現在は青春18切符の期間と違うので、混雑がひどくないのだけが救い。これが青春18期間だったら米原ダッシュとかかなりひどいので。
京都は相変わらずの異常な混雑。荷物をコインロッカーに置きたいと思ったが、京都駅周辺のコインロッカーは軒並み全滅。私と同様のロッカー難民がウロウロしている。毎度のことながらこれはどうにかならないのかと思う。結局は京都は諦めて、四条に移動してそこでロッカーに荷物を入れる。
荷物を置いて身軽になったところで昼食を摂る店を探してプラプラ。見つけたそば屋「一休庵」で「カツ丼セット」を頂く。可もなく、不可もなくというところ。
まだ2時間弱ほど開演まで余裕があるので、ネカフェで時間をつぶしてからホールへ移動する。
バンベルク交響楽団
[指揮]ヘルベルト・ブロムシュテット
[Vn]諏訪内晶子
ベートーヴェン:ヴァイオリン協奏曲 ニ長調 op.61
ベートーヴェン:交響曲第5番 ハ短調 op.67「運命」
ベートーヴェン:エグモント序曲(アンコール)
冒頭からバンベルク交響楽団の分厚いサウンドに魅了される。一分の隙もない完璧なアンサンブルというような印象ではないのだが、とにかく響きが重厚でパワーを秘めている。ヴァイオリン協奏曲ではそのパワーは諏訪内のサポートに徹して潜んでいるのだが、運命になった途端に一気に爆発する。
ブロムシュテットの指揮も、そのバンベルクのパワーを押さえつけたりせず、鳴らすに任せているような部分がある。その結果として豪快に鳴り響く運命となった。
さらに圧巻だったのがアンコールのエグモント。この曲については爆発的なパワーに漲る緊張感が加わって、さらに一段レベルの高い演奏となった。まさに圧巻である。
ブロムシュテットの熱演にホールは熱狂の渦に包まれていた。楽団員が引き上げた後も拍手がやまず、京都では珍しい一般参賀の一幕も。
今回驚いたのはブロムシュテットの熱演もさることながら、これだけのパワーを秘めたオケになると、鳴らないことで有名な京都コンサートホールでさえ鳴るということ。さすがに京都市響にはこれだけのパワーはない。以前に西宮でベルリン放送交響楽団の時に全く同じ体験をしたが、この彼我のパワーの差は一体何に起因するんだろうか。単なる音量の差だけではないようだし。
コンサートを終えた時にはもう6時を回っている。疲れたので四条でキャリーを回収するついでに星乃珈琲で一服。
この日は京都駅の「美々卯」で「鴨なんば」を夕食に頂いてから帰宅したのである。
京都からかなり疲れた状態で帰ってきたのだが、疲労の仕方が少しおかしいと思っていたら、懸念していた通りに見事に風邪をひいてしまい、翌日には熱こそ出なかったものの咳が止まらずにかなり苦しい思いをする羽目になったのである。やはり服装を間違えたか。迂闊だった…。
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