展覧会遠征 東京・仙台・京都編
今週は木金と夏休みを取って東京に行くことにした。目的はN響のマーラーの8番。先日、トリフォニーホールで新日フィルの演奏があったところだが、今度はNHKホールでN響が演奏するとのこと。来年は京都市響も演奏するらしいし、今年って何かマーラーイヤーだったっけ? それはともかくとして、とにかくこの曲をそれもパーヴォ指揮のN響が演奏するとなったら聴きに行かない手はないと考えた次第。さらにこの週末は仙台フィルのコンサートも行われるとのことなので、東京に行ったならついでに仙台まで足を伸ばしてやれとのことで、併せて仙台訪問も企画。いきなり秋の大型遠征となった次第である。
水曜の仕事を終えると直ちに新幹線で東京に向かう。東京に行くだけならスカイマークで飛ぶ手もあるのだが、今回は仙台まで足を伸ばすのでそれを考慮しての新幹線である。
東京での宿泊先は毎度のようにホテルNEO東京。南千住で降りるとホテルに向かう前に少し寄り道。私はこの南千住で何度も降りているが、実はこの駅の東側には行ったことがない。そこで今回はそちらで夕食を摂ろうと考えた次第。東側は新たに開発が進んでいるようで、タワーマンションがあったり商業ビルがあったりなど下町の雰囲気が強い西側とは対照的な町並みである。しかし夕食を摂るための良い店はあまりない。結局回転寿司屋「銚子丸」に入店して寿司を少し摘むことに。ただこの店、寿司は悪くないのだがその分価格が高め。新幹線の中で弁当を食べていたので、ここでは軽く寿司を摘むだけにしておく。
夕食を終えるとホテルに。入浴して汗を流したり、明日に向けて台風の情報を入手したりでこの日は暮れる。
☆☆☆☆☆
どうも疲労がたまっているので翌朝は8時頃まで眠る。朝食に昨日上野で仕入れた穴子寿司を腹に入れると9時前に外出する。
今日はN響のライブだが開演は夜の7時。それまでは東京の美術館巡りである。まずは近場の上野から。上野の国立科学博物館を訪問する。
「海のハンター展−恵み豊かな地球の未来−」国立科学博物館で
海の生物を補食という関係に注目して紹介。最初は古生物時代のメガロドンなどの紹介から始まるが、すぐに現代のサメなどの話に移る。展示の目玉はホホジロザメの全身標本。抜けたらすぐに新しい歯が出てくるというサメの歯のシステムなどを間近に見ることが出来る。
一方、捕食する側だけでなく捕食される側の防衛戦略などの紹介もあり、生きるか死ぬかをかけた生存競争の側面と、それに伴った共進化などの説明もある。地球の生態系がいかにして構成されてきたかの一面を物語る内容になっており、子供の学習に特に向いている展示であったようだ。
どうも今朝は調子が悪い。疲労がたまっているのか、風邪でもひいたのか少し体が火照った感じがある。そこでここのレストランで展示室を眺めながらお茶。抹茶あんみつを頂く。
お茶をしながらマッタリしていたら11時。面倒くさくなったこともあって、このままここで昼食も摂ってしまうことにする。特別展連動のランチメニューを頂く。味は悪くないがボリュームはやや不足。
昼食を終えると博物館を後にする。上野の次は竹橋。東京国立近代美術館を訪問。
「トーマス・ルフ展」東京国立近代美術館で11/13まで
写真を様々に加工して「アート」と言うわけだが、こんなものは今時はフォトショをいじくり回したら誰でも作れるし、私もこの手の遊び画像は作ったことがある。違うのは「アート」などと名乗っておこがましく公開したりしないだけのこと。あまり面白味を感じなかった。
どうも私は写真展の類とは相性が悪いようだ。ただ今回はその中でもとびきりつまらなかった。やはり私はそもそも写真とは記録でありドキュメントであるという意識が強いので、加工写真があまり好きでないのもあるのだろう。
竹橋の次は乃木坂に移動。国立新美術館に立ち寄る。今日の美術館巡りではあえて言うならここがメインか。
「アカデミア美術館所蔵 ヴェネチア・ルネサンスの巨匠たち」国立新美術館で10/10まで
ヴェネチアのアカデミア美術館が所蔵するルネサンスコレクションを紹介。ベッリーニ辺りから始まって、ティツィアーノ、さらに後継者たるティントレットやヴェロネーゼなどの名だたる画家たちの作品を展示している。
やはり展示の目玉はティツィアーノの祭壇画「受胎告知」。まさに圧巻であり、この祭壇を目にしたら信仰心云々関係なしに思わず頭を垂れるだろうということが感じられる。まさに神々しさを感じる逸品。
ティツィアーノの次の時代に来るのがティントレット、ヴェロネーゼ、バッサーノらなのだが、これがまた三人三様で面白い。ティントレットの劇的構成、ヴェロネーゼの華麗な色彩などは後世につながるものを感じさせるし、バッサーノの作品はこれも後の風景画につながるものを感じさせられた。
なかなかに面白い作品を目にすることが出来たと思う。ティツィアーノはやはり良い。
この後は成金ヒルズでも立ち寄るかということで美術館から表に出た途端に雨。どうも今日は天候が不安定で断続的に雨が降っているようである。面倒だなと思いつつも仕方ないので傘を差してトボトボと成金ヒルズを目指す。
森美術館に立ち寄るつもりだが、もう大分疲れたのでいっそのこと東宝シネマでシンゴジラのMX4Dでも見て時間をつぶすかとも思ったのだが、残念ながら次の上映回は売り切れとのこと。仕方ないので美術館に行こうと思うと、なぜか入口に大行列。なんでこんなに混雑してるんだと思ったら、どうやら展望台でジブリ関係の展覧会を開催しているとか。平日の昼間にも関わらず40分待ちとかの表示が出ている。何だかんだ言われながらも未だにジブリの圧倒的強さを痛感する。それにしてもとてもこんな行列に並んでいられないと思っていたら、ジブリに行かない人は別のカウンターがあるとか。確かにそうでないとこれでは他の展覧会がすべてガラガラになってしまう。
チケットカウンター前が大行列
40分待ちの行列を横目に見ながら、美術館に入場する。
ルーヴル美術館特別展 「ルーヴルNo.9 〜漫画、9番目の芸術〜」森アーツセンターギャラリーで9/25までマンガはルーヴルでは絵画や彫刻などの従来の8ジャンルに続く第9のジャンルとして分類されているという。本展はルーヴルを題材にして世界のいろいろな漫画家が作品を執筆、それらを紹介している。
企画としては分からないわけではないが、正直なところ今一つ面白味を感じなかった。そもそも短編マンガの原稿の抜粋を見せられたところで、その漫画家に特別に興味でもない限りどうすれば良いと言うんだろう? ルーブルを題材に各漫画家が作品を競演するという企画はまあ良いが、今一つ展覧会としては趣旨が不明である。結局これらの作品の全編を見れる機会はあるのか?
アートギャラリーの次は森美術館に入館。
「宇宙と芸術展」森美術館で'17/1/9まで宇宙をテーマにした作品を展示。内容は現代アートのみならず、古代の宇宙観を反映した作品、宗教的な宇宙観を示した曼荼羅など、果ては江戸末期の天体観測道具や記録などと単純にアートの枠に収まらない多様さがある。
結局は宇宙にインスパイアされた作品を並べたというところなのだが、内容は極めて散漫で展覧会としての統一性はない。メインは現代アートであるのだろうが、それに関しても「どこかで見たことがある」作品が結構多かった。最後はチームラボの烏のCG作品で、これなどはまさに先日大分で見てきた直後。
まさかここで大分市立美術館での映像企画と再会すると思わなかった。何か聞き覚えのある音楽が遠くから聞こえてくるとは思っていたが。
もう既に5時を回っている。そろそろ夕食を摂ってからホールへ行く必要があるだろう。面倒くさいので夕食はここのレストラン街に立ち寄っていくことに・・・したのだが、やたらに高そうな店ばかり。さすが成金ヒルズ。結局は一番安そうなそば屋に入店してカツ丼セットを。これで価格が800円程度ならまあこんなものなんだが、1100円(+税)というのはさすがにCPが悪い。やはり東京でまともな価格でまともなものを食べようと思うと、浅草まで行かないといけないのか?
とりあえずの夕食を終えると地下鉄とJRを乗り継いでNHKへ。相変わらずNHKホールは無駄にでかい。さすがに紅白をするためのホールだけあって、手前にステージを張り出したらステージに楽団から合唱団まですべて収まったようだ。この辺りはトリフォニーホールとは器の大きさが違うようだ。
N響90周年記念特別演奏会
指揮:パーヴォ・ヤルヴィ
ソプラノ:エリン・ウォール
ソプラノ:アンジェラ・ミード
ソプラノ:クラウディア・ボイル
アルト:カタリーナ・ダライマン
アルト:アンネリー・ペーボ
テノール:ミヒャエル・シャーデ
バリトン:ミヒャエル・ナジ
バス:アイン・アンガー
合唱:新国立劇場合唱団
合唱:栗友会合唱団
児童合唱:NHK東京児童合唱団
NHK交響楽団
マーラー交響曲第8番「千人の交響曲」
マーラーの8番は千人の交響曲と言われているが、実際には千人もの奏者を並べることは不可能に近く、本公演でも大体5〜600人というところ。ただそれでも通常ではあり得ないようなサウンドスペクタクルである。
ただ演奏としては妙にクールだなという感を受けた。元々クールなN響のキャラとクレバーな指揮をするパーヴォの個性が悪い方でシンクロしてしまったような印象。それに音が全く飛んでこないNHKホールの特性が拍車をかけた。整った演奏であったが、ゾクゾクするような興奮はなかった。トリフォニーでの新日フィルでは、天使の歌と天国のラッパが聞こえてきた時には体がゾグソクしたのだが・・・。
コンサートを終えるとホテルに戻って早めに就寝することにする。台風が気になっていたが、明日は特に問題なさそうである。これもやはり私の日頃の行いの良さというものか。明日は7時台の新幹線に乗るので早朝出発である。
☆☆☆☆☆
翌朝は6時前に起床、荷物をまとめると直ちにチェックアウトする。上野駅の駅ナカで朝食を摂ると新青森行きのはやぶさに飛び乗る。昨日は風邪をひいたのではないかと気になっていたが、今朝はそんな気配はない。足がやや痛いのと全身がややだるいことを除くと体調は概ね問題ない。
昨日はかなり雨が降ったということだが、今日の仙台は晴れ上がっている。仙台駅で新幹線を降りると駅レンタへ。今日はレンタカーで宮城南部の城郭を回る予定。仙台駅でノートを借りることになっているが、やはりこれも新型ノートで私の旧型とは全く別の車。
仙台から南下して最初に目指すは「亘理城」。亘理城はこの地を治めていた亘理氏の居城で、亘理氏が1591年に涌谷に移った後は片倉小十郎が入っていた。1602年に片倉氏は白石城に移り、その後は伊達成実が引き継いで改修したとのこと。
亘理城の本丸は神社になっており、伊達成実が祀られている。完全に普通の神社になってしまっているので、城跡だと言われないとピンとこないところがある。しかし城跡として見ると明らかにそうであることは分かる。そもそも周囲より小高い丘の構造がまさに城郭向きである。
左 今は神社になっている 中央 本丸跡を示す石碑 右 一部は公園になっている 本来の本丸は現在の町道の向こうにあるショッピングセンター横の丘にまでつながっていたという。後で町道が出来て分断されたのだとか。
神社の奥には土塁と思われる構造もある。この奥にかつては馬場があったというが、今はそこは学校になっている。
左 神社の奥に進むと 中央 忠魂碑のある辺りには土塁の跡が 右 その向こうの馬場は今は学校 本丸の南には堀跡が残っており、これがほぼ唯一の遺構だとか。下から見上げると斜面も急だし、確かにそれなりの防御力を有している。戦国期を生き抜く堅固な城郭ではないが、江戸期の城館としては必要十二分だろう。伊達家に万一のことがあった場合には片倉氏の白石城と共に伊達領の南部を守ることになっていたのだろうと想像される。
南側に降りていけば堀跡が残っている 亘理城を後にすると次に目指すは「丸山城」。伊達稙宗が晩年を送った城郭だという。南下して国道113号を進めば、川の向こうにいかにも城郭向きの格好の山があるがそれが丸山城。案内看板に従って進むと東側から回り込む車道が通っており、城の手前には駐車場もある(ただし未舗装)。
案内標識に従って登っていけば駐車場がある 駐車場から歩くとすぐに曲輪が連なっており、手前から二の丸、さらに堀切を隔てて本丸がつながっている。
左 すぐそこに二の丸 中央 二の丸背後の堀切 右 さらに数段の曲輪 左 数段の曲輪を抜けて登ると 中央 大カシの木があって 右 その向かいが本丸 その本丸からさらに深い堀切と狭い土橋を隔てて小さな祠がある出丸があり、そこに伊達稙宗の墓碑と城の紹介の看板がある。それによると伊達稙宗は息子の晴宗(政宗の祖父)と対立し、天文の乱と呼ばれる争乱になるがこれに敗北、隠居してこの城に押し込められ形になったようだ。なお稙宗の死後に、隠居料として支給されていた丸森他5村を稙宗の世話をしていた長女の嫁ぎ先の相馬氏がそのまま所領にしたことで、後の伊達氏と相馬氏の争いの原因となったとのこと。つくづくトラブルメーカーだったようだ。それにしても伊達氏は親子の対立のパターンが多い。
左 本丸の奥に進む 中央 堀切を土橋で越える 右 土橋を振り返って 左 伊達稙宗の墓碑 中央 祠が建っている 右 奥には参道もあるようだ 丸山城はそう大規模な城郭ではないが、地方を押さえる城としては十分な防御力を有しているようだ。それだけに伊達氏と相馬氏での争奪戦になったのだろう。
丸山城の次は「金山城」を目指す。丸山の城から少し東に走るといかにもの山が見えてくるが案の定、それが金山城。ちゃんと案内看板も立っており、それに従って進むと駐車場まで案内される。
案内看板に従って進むと、登口前に駐車場もちゃんとある 駐車場には軽トラが3台。何か作業中かなと思っていたら、上から男性が一人降りてくる。ここ数日下草刈をしていて、その作業がようやく終わったところだとか。これはタイミングが良かった。ツイてる。
金山城は伊達氏と相馬氏の争いにおいて争点となった城の一つであり、輝宗の時に伊達氏に帰属することになったが、その後に大規模に改築を行ったとのことである。相馬氏との最前線の城として輝宗が重視したということだろう。
駐車場から登っていくと最初に出くわすのが米蔵と表記された曲輪だが、これが既にかなり大きい。
登城路を登っていくと最初に遭遇するのが米蔵 その先を登ると三の丸大手埋門後を抜けることになる。三の丸の奥には煙硝蔵と不動堂がある。
左 さらに登る 中央 この先が三の丸埋門跡 右 三の丸 左 煙硝蔵 中央 不動堂 右 二の丸に向かって登る そこからさらに登ると出丸があり、そこには陸橋跡との表記もある。どうやらこの出丸から陸橋で上の二の丸につながっていたようである。城の中心部分にはかなり複雑で堅固な構えがあったようだ。
左 上の方に見えるのが本丸 中央 右手を見ると右側が出丸 右 土橋跡の表示がある 二の丸は本丸を取り巻く形になっており、本丸の東側にはかなり立派な高石垣が残っている。この城はここ以外には石垣らしきものは一切見られなかったのだが、ここだけ石垣を積んだのだろうか。なお二の丸の南側にさらに曲輪らしき構造があったが、その先は鬱蒼として進めなかった。
左 二の丸の裏手に回る 中央・右 石垣がある 左 その先は鬱蒼としている 中央 堀切の向こうに曲輪らしきものが 右 家中との表示があるが鬱蒼として先には進めない この上が本丸でそれなりの広さがある上に、広く辺りを見渡すことが出来、この地を押さえるにこの城は不可欠であることがよく分かる。
左 石垣の横を登っていくと大手門跡に出る 中央 本丸 右 上から出丸を見下ろす 本丸風景 本丸から周囲を見渡す かなり整備された大規模な城郭だった。ただ藪に埋もれている状況だと見学しても構造がよく分からなかった可能性があっただろう。そういう点では今回はラッキーであった。やはりこういうように適度に整備の手を加えてくれている城郭が一番ありがたい。
金山城の見学を終えると次は「柴小屋城」。しかしこの城の登り口が分からない。先人の話によると小学校の北東の山が柴小屋城で、山上の八重垣神社に登るための道があるというのだが・・・。結局ウロウロするものの道は見つけられず、辺りに車を置く場所もないということでここはやむなく撤退することに。どうにもしまらない展開だなと思いつつ、車を進めてふと山上を見ると墓地の奥に展望台のような物が立っている。「あれは何だ?」と疑問を感じたので辺りを調べるとやはり展望台らしい。「もしかしたらあれに登ったら柴小屋城が見えるかも?」と思ったので、とにかく一度登ってみることにする。
墓地の上に展望台のようなものが
その展望台は遊仙寺の墓地のさらに上にある。遊泉寺の駐車場に車を置いて墓地を登ってみると展望台まで登れるようになっている。いざ現地に到着してみると、展望台の裏手には明らかな車道があり、その奥には車を止められるだけのスペースもある。しかも柴小屋城の方向を示す案内看板まで。もうこうなったら進むしかない。柴小屋城まで600メートルというのが少々気になるが、ここまで登ってきたら後はほぼ水平移動だろう。
左 展望台の裏手に車道と駐車場が 中央 見晴らしは良い 右 そして裏手には柴小屋城を示す看板が 案内看板の最初のところは草が茂っていて先行きが思いやられるが、そこを抜けると普通に整備された山道に出る。そこからはいくらかの上下はあるが、思った通りほぼ水平移動になる。その内に空堀跡に出くわすので、そこから登っていった先が西館城跡になる。ここは元々は中世からある城で、この地の小斎氏が居城にしていたが、後に相馬氏に滅ぼされて相馬領になったのだという。
左 最初は鬱蒼としている 中央 そこを抜けると普通の山道に 右 途中で窯跡がある 左 堀切に出くわす 中央 堀切の向こうに渡って進むと 右 ここが西館 ここの東には堀切を隔てて土塁に囲まれた小さな曲輪がある。この曲輪の先が非常に深くて大規模な堀切で断ち切られていて、その先がいわゆる柴小屋城のようだ。なおこの辺りに関しては先人の記録では道なき道を危険を冒して降りていったらしいが、私の訪問時には草も刈られて足下にも階段が整備されているので、特に問題なく進むことが出来た。もし未整備だったら、私はとても進む気になれないほどの深さと急さである。
左 西館の先を降りていく 中央 その先に小高い小曲輪が 右 土塁で囲まれている 左 さらに先にも小曲輪 中央 こちらも土塁で厳重に守られている 右 その先はかなり深くて大きい堀切 大堀切を降りて登った先には搦手門跡の看板がある。ここからの東西に長い広い曲輪が二の丸とのことである。かなり広い曲輪であるので多くの建物が建てられたであろう。実際にはここが柴小屋城の中心の曲輪だろう。
左 堀切の底から登っていくと 中央 搦め手門跡を経て 右 二の丸 二の丸の東端に陸橋跡との表記があり、その先に堀切を隔てて本丸がある。かなり鋭くて深い堀切なので、往時にはこの上に取り外し可能な橋が架けられて接続していたのだろう。
左 二の丸の東端の陸橋跡と大手門跡 中央 本丸との間の堀切 右 本丸に登る 左 本丸 中央 城跡碑 右 八重垣神社 本丸は二の丸よりはやや小ぶりの曲輪で、今は八重垣神社になっている。周囲は切り立って険しく、かなり堅固に守られている。なお現地の看板では大堀切の西側が西館城、東側が柴小屋城で、両方を併せて小斎城というような表記があったのであるが、とりあえずここでは全体を柴小屋城と呼んでおくことにする。
柴小屋城は比較的小振りな城郭だったが、堀切の見事さが印象に残った。堀切と土塁を組み合わせた結構複雑な構造を持っており、見所は多々であった。なお先人の話では「藪が多くて進むのに苦労した」との話があったのだが、今回訪問した様子では明らかに最近に整備された跡があった。丸山城といい、金山城といい、柴小屋城といい、近年に急に整備されたような印象がある。お城ブームに乗っかって観光を仕掛けようと考えた者がいるのだろうか? まあ何にしろ私はありがたいことであった。
これで城郭4つであるが、さらにもう一カ所「船岡城」を目指す。船岡城自体は古い城郭らしいがその由来は定かではない。江戸時代には伊達家の家老の原田氏の居城だったらしいが、この原田氏が有名な伊達騒動で断絶、その後は柴田氏が領主となって明治維新を迎えたとのこと。なおこの伊達騒動を題材にした作品が有名な山本周五郎の「樅ノ木は残った」である。
左 完全に公園化している 右 山頂の平和大観音 船岡城は街を見下ろす小山の上にある。現地は城址公園として観光整備されているようで、あちこちに「樅ノ木は残った」の関連の看板などが建っている。どうやら件の小説がNHKでドラマ化された頃に、地元が気合いを入れて観光整備した模様。ただそれが徒になって城址としての面影がほとんどない。
三の丸公園はただのイベント広場 山上の駐車場から少し降りたところに三の丸広場があるが、ここも今では単にだだっ広いイベント広場。また山上には平和観音像なる巨大な観音像が建てられており、そこまではスロープカーも通っているとか。
駅に近い側には「樅ノ木は残った」の樅ノ木が立つ展望台などもあるようだが、もう時間もないしあまりの状況にゲッソリしたのでさっさと次の目的地に移動することにする。観光整備に悪い意味で気合いを入れすぎた典型的な例で、これでは「樅ノ木は残った」ではなくて「樅ノ木だけが残った」である。観光整備がされすぎていて既に何が何やら分からない状態。適度に手が入るのは見学しやすいので大歓迎だが、ここまで手が入りすぎると最早城跡には見えない。かなり残念。
最後の目的地は村田。蔵の町として最近になって重伝建指定された町である。
現地に到着すると、通りを中心にかなり立派な蔵造りの建物が並んでいる。街並み散策用の駐車場に車を置いて徒歩で散策することにする。
通りには立派な蔵造りの建物が残り、内部を見学できる施設もある。通り沿いの蔵造りの町としては横手の増田があるが、あちらは内蔵であるがこちらは建物自体が蔵になっている。あちらは積雪が多いのでそれが影響しているのだろう。
山正は内部の見学も可能 ただ地元の人に話を聞いたところによると、この前の東日本大震災で甚大な被害を受け、30近くもの蔵がつぶされたとのこと。これらを修復しようにも莫大な費用がかかる(一つの蔵だけで一千万円単位)ということで持ち主が廃棄してしまう例が多く、このままで蔵の町どころでないと重伝建指定が急がれたということがあったらしい。ただ重伝建に指定されたところでやはり修理費用の大半は住民負担になるために、結局は蔵の修復もままならないとか。街並み保存の難しさである。
村田市街の見学を終えると最後にここにあった「村田城」の見学を。まずは願勝寺に移築されたという旧大手門を見に行く。大きな鯱の乗ったやけに屋根が立派な門であり、大手門と言われればそうかもという気はする。
次にかつての村田城跡の公園に行くが、ここも船岡城と同様、公園整備がされすぎていて何もない。一応本丸跡の広場はあって城跡看板も立っていたりするが、明らかにただの広場で遺構と言えるようなものではない。公園内には歴史資料館もあるようだが、残念ながらもう既に閉館時刻を過ぎていた。
左 この役所と背後の山が村田城の跡とか 中央・右 山上には看板の立った広っぱがあるだけ これで今日の予定は完全終了である。後は今晩の宿泊地まで車で走るだけ。今晩は仙台の奥座敷こと秋保温泉で一泊することにしている。宿泊ホテルは華乃湯。山の中を走ることしばしで秋保温泉に到着するが、秋保温泉はまさに山間の秘湯の趣がある。私が宿泊する華乃湯はその中でもかなり大きなホテル。今日はこの立派なホテルで豪遊・・・なんて出来るわけもなく、例によって豪華ホテルの貧乏人向けプランである。
私の部屋はツインの洋室。例によって温泉旅館の風情はないが、私にとってはそんなものよりも旅費の節約の方が重要事。
部屋で一息つくと夕食までに入浴しておくことにする。この建物の最上階に展望台浴場があるのでそこで入浴。塩化物泉の温泉はしっとりとして快適である。今日はかなり体に負担をかけているのでゆっくりと疲れを抜くことにする。
入浴を終えて部屋に戻るとしばらく休憩の後に夕食。夕食はバイキング。私はバイキングという時点で内容にはあまり期待していなかったのだが、それは良い意味で裏切られた。メニュー豊富でそれらがまた美味い。
腹一杯に夕食を堪能したら、ホテル内の浴場巡りをする。このホテルは内風呂2カ所、露天風呂2カ所あり、その内風呂の一つが先ほどの展望大浴場。これ以外には川縁の露天風呂、山側の露天風呂、内風呂の大浴場などがある。これを順番に烏の行水。湯が変わるわけではないが雰囲気が変わるので良い。やはり私は露天風呂が蒸さなくて良い。ただ日が暮れた後なので景色が見えないのが残念。川縁の露天風呂などは昼間だと雰囲気があるだろう。山側の露天風呂に入っていた時に、かなり大きな蛾が飛んできてびっくりした。
風呂から上がると部屋でゆったりというか、グッタリ。やっぱり疲労が強い。それにしても今日は結構車で走った。ところで宮城南部を走っていて気になったのは、やたらにセブン−イレブンが多いこと。関西ならローソンを一番見かけるが、こちらではセブン−イレブンばかりである。ちなみに北海道は全国的にはマイナーなセイコマートが多い。やはり地域ごとの特性がある。
疲れが強いのでこの日は早めに就寝する。
☆☆☆☆☆
翌朝は6時に起床。昨晩は爆睡しているのだが、それでも体が何となくダルい。昨日は山道も含めてかなり歩いているので、そのダメージが相当に来ているようだ。とりあえず朝風呂を浴びて体をほぐすことにする。
7時からレストランでバイキング朝食。このバイキングも昨日の夕食バイキング同様にかなり充実したもの。私はどうもバイキングには良いイメージを持っていなかった(中国人向けの安い飯というイメージ)のだが、その悪いイメージが払拭されそうな内容だ。
8時頃はチェックアウトする。本音としてはもっとゆっくりしたいところだが、9時には仙台駅に車を返さないといけないので仕方ない。仙台までは順調に走れば30分ちょっとというところらしいが、途中で朝の渋滞があったり、ガソリンを入れたりなどで結局は車の返却は9時ギリギリになる。
車を返すと駅のロッカーにキャリーを放り込んで身軽になる。さて今日の予定であるが、メインは仙台フィルのコンサートだが、開演は3時。それまでの予定としては、主なものとしては昨秋に新規に開通した地下鉄東西線の視察ぐらいか。
と言うわけで早速地下鉄東西線で荒井まで行ってみることに。地下鉄東西線は南北線のさらに下を通っているようで、とんでもなく深いところに駅がある。まるで地下鉄大江戸線である。車両は面白味のない地下鉄型車両で4両編成。ドアの両側にディスプレイ設置スペースがあるのに、片側にしか設置していないのはコスト削減だろうか。
地下鉄東西線で荒井に向かう 終点の荒井までは十数分というところ。荒井駅の表に出てみるが、バスターミナルがあるだけで全く何もないところ。駅の裏口を出たら目の前にビニルハウスがあるのには驚いた。結局は荒井自体には何かがあるわけでなく、ここからバスに乗り継いで東の各方面に向かうということのようだ。
そしてなぜか萌え看板
荒井駅駅前にはバスターミナルしかなく、裏口の正面にはなんとビニルハウス 駅に戻ると反対側の終点である八木山動物公園を目指すことにする。ところでこの地下鉄の料金体系だが、仙台から荒井もしくは八木山動物公園までは300円。それに対して荒井から八木山動物公園までは360円。つまりは明らかに周辺と仙台の間だの往復のためだけの路線であることを料金体系が示している。実際、仙台でほとんどの乗客が入れ替えになり、荒井から八木山動物公園に向かうという客はほとんどいない。
地下鉄は国際センター手前の広瀬川を渡るところと、終点の八木山動物公園の手前で地上に出る。鉄道が地上に出るとホッとする。やはり地下鉄は乗っていても何の面白味もない。
左 広瀬川で地上に出る 中央 八木山動物公園駅に到着 右 駅の真上が動物園入口 八木山動物公園には30分程度で到着して、これで仙台地下鉄の視察終了。駅は地下にあるが、ここからエレベータで5階まで登ると八木山動物公園の入口の前に出るようだ。今日はどうせ予定はほとんどないし、ここまで来たついでに動物園の見学をしていくことにする。
動物園の入場料は400円とさして高くない。休日だけあって親子連れでいっぱいである。ただとにかく暑いのと臭いのとがたまらない。動物園はとにかくこの獣の臭いが苦手だ。
動物園としての規模はそう大きくない。飼育されている動物の内容は極めてオーソドックスで特に珍獣という類のものは存在しない。山の頂上から麓にかけて施設があるので、内部に起伏があるのが特徴か。もっとも旭山動物園ほどには起伏が激しくもないが。ただ動物の見せ方にはもう少し工夫が必要な気もする。
動物園を一回りした頃には昼前になっていた。仙台に戻って昼食を摂ることにする。昼食は仙台駅前のパルコのレストラン街にある「豚道楽」で。昼から牛タンを食べる気もしなかったので、「豚汁定食」を頂く。特別に印象に残るメニューではないが、まあ普通に美味い。
さてこの後どうするかだが、全く何のプランもない。本来なら美術館に行くところだが、宮城県立美術館はちょうど企画展の入れ替え時期。仙台市博物館は「岡山県立美術館名品展」とのことで、何が悲しくて仙台まできて隣の岡山県立美術館のコレクションを見る必要があるかというもの。そこで昼食を摂りながらネットで諸々を検索。その時に以前に仙台について調べたときに少し気になったことがある地底の森ミュージアムを訪問することを思いつく。
地底の森ミュージアムは長町南駅から5分程度歩いたところ。この辺りは様々な遺跡が出ているようで、ミュージアムの手前でも遺跡発掘工事中の現場があった。マンションでも建設しようとして地面を掘り返したら遺跡が出たという雰囲気である。
町中で何やら遺跡発掘中 地底の森ミュージアムは富沢遺跡を囲った形でそのまま建物を建てたという施設。展示物としては遺跡自体がほぼすべて。大ホールに氷河期の樹木やたき火の跡がそのまま保存されており、これが圧巻。上階のホールにはお約束の石器云々に関する紹介なんかもあるが、これはどこでも同じようなもの。
左 地底の森ミュージアム 中央 氷河時代の森 右 焚き火の跡 そろそろ開演時刻が迫ってきた。ミュージアムを後にすると今日のコンサート会場であるイズミティ21に行くために泉中央まで地下鉄で移動することにする。イズミティ21は泉中央駅のすぐ近くにある。地下鉄駅で○○中央という名前の場合は大抵新興住宅地が多いのだが、泉中央周辺もまさに新興住宅地という趣の町である。
イズミティ21大ホールは一階建ての結構大きなホール。仙台フィルは本来は日立システムズホール(仙台市青年文化センター)をホームにしているらしいが、現在はそちらが改修中なのでここを使用しているらしい。入りは7割というところ。
コンサートは先ほど37才という若さで夭折されたトランペット奏者の鎌田朋幸氏を悼む金管アンサンブルの演奏を行ってから開始される。鎌田氏の愛用のトランペットはティンパニの台の上に安置されており、今回は追悼コンサートの意味も兼ねている。
第303回定期演奏会
指揮:小泉 和裕
ピアノ:若林 顕
ブラームス:ピアノ協奏曲第2番 変ロ長調 作品83
ニールセン:交響曲第4番 作品29 「不滅」
小泉はつい最近に京都市響でニールセンの3番を振っており、それに続いてのニールセンということになる。
仙台フィルの演奏だが、追悼公演ということで気合いも入っているのか、なかなかに名演であった。若林のピアノも堂々としたもので、全体的に安定性の高い演奏という印象を受けた。場内もかなりの盛り上がりであった
仙台フィルは初めて聴いたが、今回を聴いた限りではなかなかに実力のあるオケとの印象を受けた。地方オーケストラにも頑張ってもらいたいところだ。
コンサートを終えると仙台に戻って夕食にする。明日は京都でコンサートがあるので、今日中に東京に戻る予定。それまでに夕食を摂っておく必要がある。考えるのも面倒なので「利久西口本店」に立ち寄って牛たんのセットにタンシチューを追加。牛タンのフルコースである。久しぶりに仙台の牛タンを堪能。やはり大阪で食べるよりもここで食べる方が美味い。
夕食を終えると新幹線で東京に戻る。萩の月を土産に買うのを忘れていたと思っていたら、上野駅で販売していた。今時は土産物がアリバイにならない時代である。
東京ではまたもホテルNEO東京で一泊。翌朝に備える。
☆☆☆☆☆
翌朝は8時頃にチェックアウトすると、上野駅の駅ナカの「洋食や三代目たいめいけん」で朝カレー。新幹線で京都まで移動する。
京都到着は昼前。今日は京都コンサートホールで開催される京都市響のコンサートに行くのが予定。とりあえず重たいキャリーはコインロッカーに放り込むが、この空きロッカーを探すのが一苦労。あっちもこっちも全部満杯で、ロッカー求めて京都駅の地下街をウロウロする羽目に。しかもようやく荷物を置いて昼食を摂る店を探そうかと思うと、あっちもこっちも全部行列。京都は無駄に人が多すぎる。京都駅で昼食を摂るのは諦めて北山に移動することにする。
北山で昼食を摂る店を探すが、進々堂はもう既に待ち客が多数いる。そこで他の店を探したところ「PENROSE DINING」なる店を見つけたのでそこで「日替わりランチ(1100円)」を注文。
まあ普通の小洒落たダイニングバーというところで、昼はランチに注力というところ。ハンバーグが売りの模様だが、この日の日替わりはハンバーグにエビフライという組み合わせ。まあ特別にどうこう言うのはないが、普通に美味い。京都という場所柄を考えるとなかなか良いのではないかと言える。今後もランチには使えそうだ。
昼食を終えるとホールに移動する。どうやらチケットは完売している模様で大盛況である。
京響スーパーコンサート
広上 淳一(常任指揮者兼ミュージック・アドヴァイザー)
五嶋 みどり(ヴァイオリン)
モーツァルト:歌劇「後宮からの逃走」序曲
チャイコフスキー:ヴァイオリン協奏曲ニ長調
リムスキー=コルサコフ:交響組曲「シェエラザード」
五嶋のヴァイオリンは初めて聴いたが、実に雄弁な演奏である。ヴァイオリンがメロディをこちらに語りかけてくる印象。この有名な曲にこういう演奏があったのかと感心させられた。
シェエラザードは極彩色のオーケストラをそのまま再現した煌びやかで見事な演奏であった。京都市響の実力を遺憾なく発揮した実に中身の濃いコンサートになっていた。
場内はかなりの盛り上がりになった。五嶋のヴァイオリンで派手に盛り上がり、さらにメインのシェエラザードでさらに盛り上がりという状況。相当に熱いコンサートになった次第。惜しむらくはシェエラザード終了後の早すぎる拍手。なぜまるで自分が曲の終わりを知っていることを誇示するかのように慌てて拍手したがる輩がいるのか。あれだけは未だに謎である。どうも昨今はコンサート会場にも頭のおかしな輩が増えてきた。あまりに迷惑な輩はホールの方でチェックして排除してもらいたいところだ。
興奮の余韻がまだ残る観客をかき分けて地下鉄で京都駅に戻る。帰宅の前に夕食を摂っておいた方が良さそうだ。久しぶりに駅ビルレストラン街の「美々卯」に立ち寄る。「鴨うどん」を注文。腰のあるうどんに厚切りの鴨肉がうまい。さすがに美々卯。またこれで税込み2029円というややお高めの価格もこれまた美々卯。
夕食を終えると新快速で帰宅と相成ったのである。
東京のN響のコンサートをメインにした遠征だったが、そのN響がイマイチで、仙台フィルや京都市響の方が良かったという奇妙な内容になってしまった。まあ東京地区の美術館は押さえることが出来たし、重伝建の村田も見学し、久々に充実した山城巡りもしたのでトータルでは良しとしよう。秋保温泉もなかなか良かったが、ただ日程がハードすぎて温泉一泊では疲れを抜くことは全く出来なかった。体力強化が今年の課題だな、こりゃ。
戻る