展覧会遠征 京都・名古屋・松本編
この週末は長野方面に遠征。目的はサイトウキネンオケのコンサートである。本当は今回で最後の可能性が高いと思われる小沢の指揮を見たかったのだが、小沢の公演はダフ屋が横行しているせいでチケットが買い占めされて入手できず、仕方ないのでルイージ指揮の公演のチケットを入手した次第。目の前の金銭目的のダフ屋の暗躍で、本当にライブに行きたい者が行けなくなるということが起こっている。チケット販売元の方でダフ屋対策をしてもらいたいところである。
今回の最終目的地は長野の松本だが、実はそこに直接行くわけではない。今回は寄り道するところがいろいろある。というわけでまずは金曜日の仕事終了後に京都まで移動する。
京都で宿泊するのは例によってのチェックイン四条烏丸。チェックイン手続きを済ませて荷物を部屋に置くと、すぐに外出する。時間がないので近くの「そじ棒」で急いで夕食を摂ってから京都コンサートホールへと急ぐ。
京都市交響楽団 第604回定期演奏会
[指揮]沼尻竜典
[Pf]石井楓子
三善晃:ピアノ協奏曲
ショスタコーヴィチ:交響曲第4番ハ短調op.43
三善の曲はキラキラとした変化の激しい曲。しかしいかにも今時の音楽なので私には曲調がいささかつかみかねる。
ショスタコの4番はかなりの激しさを内包した、それでいて5番とは違って明るさを含んだ曲である。かなり緊張感を孕んだ演奏なのであるが、それを終盤まで保ったままハイテンションで演奏しきった京響に感心。
なかなかの名演であったと思う。ただ残念ながらどちらの曲も私には難しい。私にはもう少し世俗的な曲ではないと判断しがたいところ。
コンサートを終えるとホテルに戻り、大浴場で入浴してからさっさと就寝する。
☆☆☆☆☆
翌朝は8時頃までたっぷり寝てからホテルのレストランでおばんさいバイキング。野菜系の多い健康的な朝食である。朝食後にシャワーを浴びたりしてからチェックアウトしたのは10時前。
おばんさいバイキング
今日は京都の美術館に立ち寄ってから名古屋に移動する予定。まずは京都市文化博物館を目指すが、その途中で六角堂の近くを通ったのでちょっと寄り道。
京都はこの手の名所旧跡があちこちに隠れているから侮れない町である。六角堂を一渡り見学すると文化博物館へ。
「ダリ版画展」京都文化博物館で9/4まで
シュルレアリスムの画家・ダリの版画作品を集めた展覧会。出展作はダンテの神曲など。
ダリお得意の多重イメージや奇妙な造形などが炸裂しているのは相変わらずだが、版画作品だけに彼の自在な描線がよく現れているのが面白い。ダリはデッサン力でも定評があるらしいが、その片鱗が覗えるのだという(残念ながら絵画に対する才能が皆無な私にはその辺りはよく分からないが)。
印象としては油絵作品などよりも気軽に自由に描いているなというところで、その分よりダリらしさが出ているのかも知れない。とにかく彼の不思議ワールドが炸裂していた。
文化博物館の見学を終えると地下鉄で京都駅に戻る。次の美術館はここの醜悪な駅ビル内。
「世界の巨匠たちが子どもだったころ」美術館「えき」KYOTOで9/11まで巨匠と呼ばれる画家たちの10代での作品を集めた展覧会。もっとも10代前半だと確かに「子ども」なのではあるが、20歳の作品まであるのでそこまでいくともう既に修行時の作品となるのでニュアンスは少々変わる。
とにかく様々である。10代前半のまだ我流で描いている時代から既に傑出した才能を見せている画家もいる一方、同じ頃には全く普通の子どもの絵のレベルだった画家もいたりで、天才は常に早熟というわけではないことが覗えて面白い。
20歳ぐらいの作品となると、さすがにもう後の画風の片鱗が現れている画家が多いが、むしろこの頃の方が感性が瑞々しく、実はその後は退化してしまったのではないかと思える画家もいるのが少々悲しかったりもする。
これで京都の予定は終了。昼食を摂ってから名古屋に移動することにする。昼食のために入ったのはこのビルのレストラン街の「牛たん伊之助」。牛タン焼きの定食を頂く。それにしてもわざわざ京都で牛タンを食べてしまう己の工夫のなさにも・・・。
昼食を終えると新幹線で名古屋入りする。京都から名古屋まではあっという間。Nexus7でゴルゴをパラパラと斜め読みしていたら、気がついたら名古屋に到着していて驚いた。うーん、これは織田信長が容易に上洛できたわけである。織田信長が天下を平定した理由として、京都が近かったということも要因の一つとして上げられている。京都が近かったが故に中央に影響を及ぼしやすいし、中央の動向の情報も直ちに入手できたということだ。もっとも中央に近いという点では、三好氏などはもろに京都や大阪辺りを支配下に置いていたのだが、彼らの場合は中央に近すぎたが故に常に中央での権力を巡るイザコザの渦中にいて、結局はそれで勢力を自ら削いでしまったところがある。要はつかず離れずで適度な距離があるということであろう。
思いっきり話がそれてしまった。話を元に戻すと、名古屋に到着したのは13時過ぎ。重たいキャリーをゴロゴロ引いての移動も難儀なので、とりあえず今日の宿泊ホテルに立ち寄って荷物を預けておくことにする。
荷物を預けて身軽になると、立ち寄ったのは松坂屋。ここで開催中の藤子F不二雄展を見学しておいてやろうという考え。
「藤子F不二雄展」松坂屋美術館で9/4まで
ドラえもんやパーマンなどで有名な藤子F不二雄氏の作品などを振り返る展覧会。初期の貴重な原稿なども展示されている。
とにかく昭和を代表する大漫画家だけに、会場中に漂うのが何とも懐かしい昭和の匂い。それでいていつの時代の子どもにも通用するセンスを持っているのはさすが。お子様向けの企画と思いつつも、リアルに子ども時代に楽しんだことのある世代にも直接的に訴えかけてくるようなインパクトがある。
なんとも懐かしいというか、古き良き時代の空気の漂う展覧会だった。昭和に郷愁を感じるようになっている私も既にジジイだ。
今日はこの後、フォレストホールで開催される名古屋フィルのコンサートを聴きに行く予定である。開演時刻は16時。まだ余裕があるので喫茶「松栄堂」で「黒蜜ババロア」を頂いてマッタリとする。ババロアのもっちりした食感が心地よい。ちなみにババロアとプリンの区別というのはわかりにくいが、ゼラチンで固めるのがババロア、卵の作用で固めるのがプリンということらしい。だからババロアを固めるには冷やすが、プリンを固めるには蒸すということになる。その結果として、食感はババロアの方がプリンよりもしっかりしたものになるというわけだ。
喫茶でマッタリとしている間に開場時刻が近づいてきたのでホールに移動することにする。階下に降りたら一階でオルガン演奏会をしている。松坂屋は百貨店には珍しいパイプオルガンを装備していて、定期的に演奏会を開催しているらしい。この松坂屋は、百貨店が単なる小売店ではなく文化の発信地を自負していた時代の矜持を未だに保っていることを感じるが(常設の美術館を持っている点などがまさにそうだ)、今の拝金主義の世の中でそれがいつまで続くか。美術館やパイプオルガンなど守銭奴経営戦略から見れば無駄で余計なコストである。いずれは切り捨てられる時代がくるような気がして悲しい。文化なんてものは無駄と道楽の集大成のようなものであるのだから。
フォレストホールは金山駅から地下通路で接続している。4階席まである古いタイプの大ホール。音響的には特別に悪くはないのだが、私の2階席には音が飛んで来にくい感がある。
名古屋フィルハーモニー管弦楽団 第54回市民会館名曲シリーズ〈あなたが決めるプログラム スペシャル・リクエスト・コンサート〉
川瀬賢太郎(指揮/名フィル指揮者)
円光寺雅彦(指揮/名フィル正指揮者)
小山実稚恵(ピアノ)*
ワーグナー: 歌劇『タンホイザー』序曲 …川瀬
ベートーヴェン: ピアノ協奏曲第5番変ホ長調 作品73『皇帝』* …川瀬
ドヴォルザーク: 交響曲第9番ホ短調 作品95, B.178『新世界より』…円光寺
曲目をリクエストで決めたようだが、やっぱりなというような定番曲が並んだ。
一曲目のワーグナーは少々演奏がグダグダしたところが見られた。特に管のバランスに難が見られた。川瀬の意図するところにオケが100%は応え切れていなかったような印象を受けた。
皇帝については曲調が曲調だけに小山のやや硬質な音色も気になりにくい。さすがに余裕のある演奏という印象。川瀬率いるオケも絶妙の伴奏になっていた。
指揮者を円光寺に換えての新世界だが、円光寺の指揮はいろいろと細かい仕掛けをしてくるのだが、それに完全に追従していたオケが見事。川瀬の場合とはオケの掌握度合いがやや異なるような印象を受けた。結構好き嫌いが分かれそうなクセのある演奏だが、これはこれでまずまずだったように思われる。
会場内はやんやの盛り上がりで、アンコールはモーツァルトのフィガロの結婚。なかなか楽しいお祭り的コンサートだった。なお演奏前の川瀬による場内アナウンスが一番受けていたような・・・。
ホールを出た時には雨上がりの虹が
もう18時を回っているので、ホテルに戻る前に夕食を摂りたい。名鉄で名古屋に戻ると、名鉄百貨店のレストラン街をプラプラ。ひつまぶしを食べたいところだったのだが、ウナギ屋は長蛇の列で1時間待ち。とてもそんなに待っていられないので、隣の「山本屋総本家」で味噌煮込みうどんを食べることに。よくよく考えるといつもこのパターン。あのウナギ屋は毎回のように長蛇の列があるため今まで入店したことがない。そんなに有名店なんだろうか。
いつものようにガッツリとしっかりしたうどんを頂くと、ホテルの送迎バスでホテルに戻る。今回宿泊するのは以前に一度だけ利用したことがある名古屋ビーズホテル。大浴場があるのが売りだが、それ以外の特徴としてジムがあるという珍しいホテルだ。前回の宿泊時は生憎とジムが改装中で利用できなかったのだが、今回はここで軽く汗を流すことに。実はこのためにトレーニングウェアを持参している。ランニングマシンで軽く30分ほど走り込む。
しっかり汗をかくとトレーニングウェアとここまでの着替えを洗濯機に放り込んでから大浴場で入浴。これは実に快適。運動不足になりがちのビジネスマンに最適のホテルだ。
入浴後はマッサージチェアなどでしばしマッタリし、洗濯物を回収してから部屋に戻る。
☆☆☆☆☆
翌朝は6時には起床するとシャワーを浴びて準備。朝食は1階のレストランでパンとスープのものだが、このホテルに1つだけ不満があるとしたらこの朝食。やはり私は朝から和食でガッツリ食べたいところ。
今日は松本まで長距離移動になる。8時過ぎにホテルの送迎バスで名古屋駅まで送ってもらうと、名古屋駅で飲み物等を買い込んでからワイドビューしなのに乗車する。松本までは2時間ほどの長い列車の旅になる。
車内でこの原稿などを打っていたが、やはり振り子列車のしなのの中で執筆作業は途中で気持ちが悪くなってくる。目も疲れたので目を閉じてじっとしていたらその内に爆睡。結局は塩尻までほぼ爆睡のまま到着する。
松本に到着
久しぶりの松本。駅内には音楽祭の看板も出ている。しかし・・・とにかく暑い。とりあえずキャリーをコインロッカーに入れて身軽になってから市内を散策することにする。まずは昼食を摂りたい。というわけで中町をフラフラしつつ、立ち寄ったのは「竹風堂」。「山家定食」を栗おこわを大盛りにして頂く。頭からそのまま頂けるにじます甘露煮に栗おこわが絶品。
昼食を終えると夏季限定の「栗みぞれ」でクールダウン。今日のような灼熱地獄はこれに限る。栗かのこがやはりうまいが、少々甘ったるい気もする。
クールダウンも終わったところで中町から縄手通りなどを散策。縄手通りはカエルがシンボルだそうな。途中で四柱神社にも立ち寄る。
左 縄手のカエル 中央・右 縄手通り 左 四柱神社 中央 これも縄手のカエル 右 東京芸大の学生製作の御神楽 ここまで来たらついでだから松本城に立ち寄ることにする。堀越しに見る天守がやはり絵になる。ちなみに天守入場は80分待ちとか。もとより私はわざわざ天守に入場する気は毛頭ない(既に2回ほど入場している)。太鼓門などをプラプラと見学。
左・中央 松本城天守 右 大手門 左 80分待ちとのこと 中央 太鼓門 右 太鼓門の枡形 松本城をフラッと見学したところで、もう松本ですることは何もないことに気がついてしまった。仕方ないので予定よりかなり早いが、今日の宿泊予定の浅間温泉までバスで移動してしまうことにする。
浅間温泉は松本の外れにある温泉地。今回宿泊するホテルはここにあるホテルおもと。バス停からは3分程度の斜面にあるホテルである。予約した時には気づかなかったのだが、以前に宿泊したみゆき荘が隣だった。
ホテルに到着したのはチェックイン時刻より1時間ほど早かったのだが、ありがたいことに部屋に入れてもらえる。そこで荷物を置いて一息つくと、大浴場に入浴に行くことにする。貸切状態で展望大浴場を堪能。浅間温泉はアルカリ単純泉とのことだが、無色・無臭の大人しい湯だが、肌当たりは優しい。
展望大浴場を貸切
入浴で汗を流してサッパリすると、部屋でしばし休憩する。炎天下の行軍で思いの外体力を消耗している。今日のコンサートは4時開演の3時半開場、ここから開場のキッセイ文化ホールまでは歩いてざっと20分もかからないはずなので、3時20分頃に出れば余裕で間に合うはずである。それまで部屋で休養。
時間が来ると外出してホールまで歩く。キッセイ文化ホールは地方の文化会館と言ったホール。ホールはともかくとして、どうも今回のコンサートは何か独特の空気がある。サイトウキネンオーケストラ自体が元々は同門の同窓会オケだったのだが、観客の方も何やら同様の同窓会的雰囲気がある。恐らく常連客が多いのではないかと感じられる。
セイジ・オザワフェスティバル オーケストラ コンサート Bプログラム
演奏:サイトウ・キネン・オーケストラ
指揮:ファビオ・ルイージ
ソプラノ:三宅 理恵
アルト:藤村 実穂子
合唱:OMF合唱団、東京オペラシンガーズ
合唱指揮:松下 京介
マーラー:交響曲 第2番 ハ短調「復活」
さすがに名手揃いのヴィルトーゾオーケストラだけあって音色がそもそも異なる。普通のオケなら良くある金管のヘタリなどといった類いのことが起こらない。また指揮のルイージが完全にオケを掌握しているという感覚があまりないにもかかわらず、演奏に破綻は出ないし指揮者の指示にも敏感に対応できる。組織としてのまとまりには疑問があるにもかかわらず、個人の力量で全体が成立するというブラジルサッカーのようなオケである。このレベルのオケになると、指揮者が誰でもそれなりの演奏をするだろうという印象である。ただよく指摘されるように、特設オケなのでこのオケならではの味というようなものは確かにない。
ルイージの指揮は意外と細かい指示をいろいろ飛ばしていたように見える。演奏中も大きくテンポを振ったりするような場面が多かったようだ。結果として演奏は非常に劇的なものとなり、クライマックスでのサウンドスペクタクルは場内を熱狂させるに十分なものになっている。フェスティバルに向いた演奏であったように感じられた。
コンサートは大盛況の内に終了、全員が一斉に帰途につく。このホールは交通アクセスが悪いのが最大の難点である。バスは本数が少なく、駐車場は満杯だし、タクシー乗り場には大行列が出来ている。それを横目で見ながら私は歩いてホテルに戻る。台風が接近してきているとのことだが、どことなく空模様が怪しい。おかげで少し涼しくなってきているのは助かるが。
空模様が怪しくなってきた
ホテルに戻ると一風呂浴びてから夕食に行く。夕食はホールで。内容はいわゆる一般的な会席である。特別に強烈に印象に残るようなものはないが、どれも普通にかなり美味いというところ。料理の出てくるタイミングが遅くてかなり待たされるという場面があったが、それ以外は特に不満のない内容。かなり腹が減っていたのでガッツリと頂いた。
夕食を終えて部屋に戻ると急激に疲労が襲ってくる。炎天下での行軍だけでなく、ホールの往復など今日はかなり歩いているのでその疲れが相当溜まっている。原稿の執筆もままならず、しばしテレビを見てボーッと過ごすことに。本当は寝る前にもう一回入浴に行くつもりだったのだが、結局はそんな元気もないままその内にベッドの上に転がったところで意識を失ってしまう。
☆☆☆☆☆
翌朝は6時過ぎに起床した。気になるのは台風の動向だが、窓から表を見る限りでは台風接近が全く感じられないぐらいの晴天である。ただニュースによると台風9号は現在北上中で、昼頃には関東・東海方面に上陸の模様という。これから急激な天候の悪化もあり得るということだ。今日は駅レンタカーを予約しており、松本周辺の山城を攻略するつもりであるのだが、状況によっては変更の必要もありそうだ。
朝食は昨日と同じホールで7時から。オーソドックスな和定食。しかし見た目もきれいだしうまい。
朝食の後は朝風呂にする。今朝は男女が入れ替わって最上階の露天風呂付きの浴場になっている。非常に快適。特に強烈なキャラクターのない湯だが、それだけに逆に入りやすいところもある。
松本駅行のバスは8時40分頃に出るのでホテルを8時半頃にチェックアウトする。今回は温泉でくつろぎたいと思ってややホテル代は張り込んだ(と言ったら鼻で笑う者もいるだろうが)のだが、それは正解だった。
バスで松本駅まで戻るとレンタカー貸し出しの前に帰りの特急の時間変更をしておく。ニュース等を見ながら諸々検討した結果、当初は6時にレンタカーを返却して帰宅する予定だったのを2時間早めることにした。名古屋までの特急しなのは大丈夫だろうが、恐いのは名古屋からの新幹線。東京方面のダイヤがガタガタになったら、その煽りで名古屋からの西行きの新幹線が大幅に乱れて帰宅したら深夜ということもあり得る。それを避けるための措置である。
特急あずさの運休決定で大混乱しているみどりの窓口で手続きを終えると、レンタカーを借り出す。今回借りる車はノート。私がノート乗りだから、この車なら違和感がないだろうと指名したのだが、貸し出されたのが走行3000キロの最新型ノートなので私の旧型ノートとは諸々が大幅に変わっており、結局は全く知らない車と同じだった。
今日回るのはこの地域にある小笠原氏ゆかりの城郭。最初に立ち寄るのは「林大城」。松本市の東、入山辺地区の川沿いの狭隘部の南の山上にある城郭で、そもそもは信濃守護だった小笠原氏の本城であったという。隣接する林小城や北にある桐原城などと共に防御の構えとなっていたようだが、小笠原氏は武田信玄に敗北してこの地を追われることになる。信濃を手に入れた武田信玄には林大城は防御上の必要性がなかったので、その後に廃城になったようである。
山上までは未舗装の狭い道だが車で登れるとのこと。入山辺の橋倉集落のところに案内看板も立っているのでそれに従って進むが、確かに道はあるもののかなり狭い。また未舗装であるうえにところどころにかなり傾斜のきつい部分もあるので、晴天時には問題がないが雨が降るとスリップする危険がありそうである。いつ雨が降り出すか分からない怪しい空模様を見るとこれは急ぐ必要がありそうである。
進んだ先には車を置けるスペースがあり、そこが既に城内である。すぐ上に休憩所のようなものが設置されている曲輪があり、そこが二郭といったところか。
左・中央 駐車場の隣が二の郭 右 さらに奥に 二の郭を振り返って そこからさらに一段上にあるのが主郭だろうか。ここは手前には堀切があり、向こう側は土塁でしっかりと守られている。かつてはかなり厳重に防御されていたのだろうことが覗える。
左 主郭手前の堀切 中央 主郭 右 主郭奥には土塁が 土塁から主郭を振り返って 土塁の向こうには小さな曲輪とさらに尾根沿いにいくつかの小曲輪の連続のような構造が見られるが明確ではない。裏手のこちら側はそう極端に険しいわけではなく、防御の場合の弱点になりそうなので先ほどの主郭はこちらに土塁を築いて防御していたのだろうと思われる。
主郭から先はこのような様子 主郭と二の郭をザクッと見学したところで山を下りてくる。ここはまだまだ何か構造がありそうなので、今度天候に問題がない時に再び見学に来ることにするか。今回は大体の構造を把握したところで置いておく。ただそう大規模な城郭という印象でもなかったので、中世の城郭としては十二分であっても戦国期の要塞としては心許ない。これでは武田信玄の本格的な侵攻にはひとたまりもなかったかもしれない。
隣に林小城もあるとのことだが、そちらは駐車場もなく下から登ることになるようなので、次回に回すことにして今回は北岸の「桐原城」に向かうことにする。桐原城はここからちょうど北西方向の山上にあるらしい。入山辺郵便局のところに北に登っていく道路があるとのことなのだが、それを見落としてしまったのでもっと西の側から回り込むことになるが、道路はこちらの方が良いようだ。
桐原城案内図(クリックで拡大図へ) ずっと北東方向に進んでいったら、山の手前に獣防止用のゲートがあってそこに案内看板が立っている。また案内パンフもあったので頂いておく。
左 桐原城入口はこの奥 中央 動物除けゲートを通る 右 舗装道路でなくこちらを進む ゲートを開けて中に入ると(進む前にゲートを再び閉めるのを忘れないように)、目の前に舗装道路が伸びているので思わずそっちに進みそうになるが、正解はすぐ右手の斜面を登っていく方向。一見崖の直登に見えてしまうが、実はここが山道である。最初の部分が極端に険しいがそこを抜けると普通の険しい山道になる。
途中には竪堀がいくつかある 山道に沿って進んでいくと途中で巨大な竪堀をいくつか目にすることになる。それらの竪堀を抜けて進んでいくと標識が立っていてそこで進路を90度左折、本格的に斜面を登っていくことになる。しかし情けないことに既にこの時点で足がかなり悲鳴を上げている。天候も怪しいままだし、これは撤退かという気持ちも頭をよぎる。しかしここで撤退してしまうとこれ以降の人生すべてが逃げに終始してしまうような気がして、もし雨が降り始めたら直ちに撤退するということを決めてとにかく進むことにする。
左 この標識で90度進路変更 中央 小曲輪が連なるような地形 右 二重堀切を越える ただここから道が今ひとつ不明確になる。小曲輪が連なる中を上に向かって登っていくことになる。主郭は左上方向になるが、私は左に進みすぎたせいで竪堀に出くわして進路を阻まれる。そこでこの竪堀に沿って右上に登っていくとようやく二重堀切に出くわす。
左 大きな堀切がある 中央 さらに先に進む 右 下から続く大竪堀を越える 竪堀を通過して回り込むようにさらに先に進むと、いよいよ主郭手前の石垣が目に入ってくる。細かい石を積み上げたなかり立派なもので、この石垣は武田による改修によるものとの話もある。石垣が見えると現金なもので先ほどまでの疲れが一気に吹き飛んで力が湧いてくる。ここで一旦休憩を取ってから一気に本丸を攻略することにする。
竪堀を越えた先に石垣が見えてくる ここからの曲輪はすべて石垣で囲ってあり、そこをいくつも通過していくことになる。登り切ったところが主郭。主郭の背後は土塁で囲ってあるが、この後には尾根筋が続いており、そちら方向が防御の弱点になるからだろう。背後には腰曲輪のようなものがあり、その先は複数の堀切で尾根筋を断ち切ってある。
左 何段もの石垣を登っていく 中央 副郭虎口 右 それを抜けた正面が主郭の石垣 左 主郭虎口 中央 主郭の背後には土塁がある 右 土塁から主郭背後を見る 主郭の土塁 ようやく目的地に到着、達成感で満たされているが足は既にガタガタである。予定ではもう一カ所山を登るつもりだったが、どう考えてもそれは無理。やはりトレーニングを怠っていた間に情けないほどに足腰が弱っている。
思い切り汗をかいたのでやはり風呂でサッパリしたいところ。近くにある美ヶ原温泉に立ち寄ることにする。温泉地の駐車場に車を置くとその隣の共同浴場白糸の湯に入館する。
内部は内風呂と露天風呂のシンプルな構成、泉質は浅間温泉と同様のアルカリ単純泉。しっとり感はこちらの方が強い印象。今日は平日の月曜日なのでそれほどでもないが、普段はかなり混雑するとの話である。
汗を流したところで美術館に立ち寄る。
「遙かなる山−発見された風景美」松本市美術館で9/4まで
山を描いた絵画を展示と言うことで、明治時代辺りの日本画から、大正以降の洋画まで幅広い展示。なかには「山ガール」(と言うよりも当時は「モガ」)の絵画まで。
あまりピンとこない作品も多かったのであるが、展示作の中には山本春挙の作品なんかまで含まれていたのが興味深い。同じ山の絵でも画家が変われば描き方が根本的に変わることがよく分かる。
もうとっくに昼を過ぎているので昼食を摂りたいのだが、松本市の中心まで来てしまうと車が邪魔で入店できる店がない。これはさっさと車を返却してしまった方が得策だと感じたが、その前に「犬甘城」だけ見学しておくことにする。ここは今では公園化していると聞いている。
犬甘城は松本城から北西方向にある山上にある。今では城山公園になっているので随分となだらかな印象があるが、高度は高くて松本市街を見下ろす位置になる。
犬甘城は奈良井川岸の崖上にある連郭式の城郭である。各曲輪は堀切で分断してあり、西側は自然の断崖でこちら側の防御力はかなり高い。しかし東側にはゆるやかな斜面になっており一見したところ防御力は皆無である。こちらは現在は公園化されているが、恐らく往時には何らかの防御機構を備えていたことは間違いないだろう。多分、複数の土塁や大規模な堀などが巡らされていただろうと推測する。そうでないとここは城郭として成立しない。
左 この公園の奥が犬甘城 中央 犬甘城登口 右 手前の堀切はかなり深い 左 主郭 中央 二の曲輪との間の堀切 右 二の曲輪 一番南側の曲輪には展望台が立っている。ここからは松本市街や背後の山々が一望できるのだが、板子一枚下は地獄感が強い今ひとつ頼りなげなタワーのために、私の高所恐怖症が発動して落ち着いて風景を見るどころではなくてさっさと降りてくる。
二の曲輪の先にも堀切を越えてさらに曲輪が 左・中央 曲輪のつらなりの一番先端に展望台 右 眺めは抜群だが・・・ これで松本での予定はほぼ終了。早めだが車を返却してしまうと、駅前で昼食を摂る店を物色。しかし平日の昼過ぎのしかも昼食時を外してしまっているために開いている店自体が少ない。結局は駅近くのそば屋で昼食としたが、これが完全なハズレ。何とも残念な結果に。
とりあえずの昼食を終えると、後は駅の売店で土産物を物色してから4時のワイドビューしなので名古屋に向かう。結局は最後まで松本では雨は降らずじまいだった。なおこの頃、関東では大雨で各地で浸水被害などが出ていたということを知ったのは帰宅してからである。あえてここで東京の放送局的な言い方をしておこうか。「台風は幸いに関東にそれたので、警戒していた割には松本では大したことがなかった。」(以前に東京のテレビ番組でもろにこういうような発言をしたコメンテーターがいるのである。その時の台風は後に東北で甚大な被害をもたらし、特にリンゴなどが壊滅して件の発言は大顰蹙を買うことになるのだが。放送局の東京中心主義を象徴するような一件だった。)
松本は晴天だったのだが、塩尻辺りから雨が降り出し、木曽福島辺りでは豪雨となっていた。しかしそこを過ぎるとまた晴天。とにかく目まぐるしく天候が変わり、局地的には豪雨になっていた模様。その内にしなのの長旅の途中で私はウツラウツラと意識を失い、次に気がついたら中津川までやって来ていた。名古屋方面は台風なんか全く無関係の晴天というか灼熱地獄。この頃の西日本はカンカン照りでとんでもないことになっていたのを知ったのも帰宅してからである。
名古屋駅から一旦出ると夕食を摂ることにする。往路での名古屋ではひつまむしを食っていないので、ここでこれを食べて帰るつもり。立ち寄ったのは名古屋タカシマヤの上にある「竹葉亭」。以前にここで江戸風ひつまぶしを食べたことがあるので、今回は名古屋風ひつまぶしを注文。
江戸風と名古屋風の違いはうなぎの焼き方。江戸風は蒸してふわっと、名古屋風は蒸さずにパリッと焼く関西風。こちらの方がうなぎの香ばしさは出る。しっかりとうな茶まで堪能して夕食を終える。
幸いにして懸念していた新幹線ダイヤの乱れはなく、定刻通りにのぞみに乗車することが出来、予定よりも早く帰宅することになったのである。帰り着いた我が家では、丸四日間冷房を切ったままになっていた私の部屋が40度越えの灼熱地獄となっていて、さながらサウナルームと化していたのであった・・・。
小沢フェスティバルをメインに据え、往路で京都、名古屋とライブを拾っていったのが今回の遠征だが、どのライブもそれなりに充実したものであった。また浅間温泉もなかなか良かったし、松本で立ち寄った山城も特に桐原城が非常に良かった。ちょうど台風に出くわしてしまったのでそれが気がかりだったが、台風が東寄りの進路を取ったおかげで結果的には松本では適度に曇って暑すぎない格好の山城日和になっていた。これも私の日頃の行いの良さの賜物というものだろうか(笑)。
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