展覧会遠征 北部九州・対馬編

 

 先週末にGWの大型遠征を終えたところだが、まだその肉体的ダメージも回復しない内に九州地区への遠征をすることになった。主目的は地震で大変な熊本にボランティア・・・というほど私は意識が高くて博愛精神に満ちた聖人ではない。そもそも今回の遠征は熊本地震よりもはるかに前に計画されていたもので、主目的は福岡で開催される九州交響楽団の演奏会へ参加することだが、それだけではわざわざ九州に出向く動機としては弱いので、さらに展覧会と離島シリーズの総決算を絡めることとしたものである。

 

 とは言うものの、熊本の惨状に心を痛めるぐらいの人間的良心は持ち合わせている。とりあえず募金に寄付は行ったが、さらには九州地区の観光に貢献することで、少しでも地域経済への刺激になればぐらいの意識はある。

 

 出発は木曜の夜。神戸空港から長崎へスカイマークで飛ぶことにする。主目的地が福岡なのだから新幹線でも良いようなものだが、あえて飛行機を使用するのは「これが一番安いから」。スカイマークからの長崎便はスカイバーゲンを使えれば5000円以下の激安である。これを利用しない手はないというわけ。

 

 正直なところ、今回のプラン設定はかなり直前まで難航した。と言うのも、当初のプランは5/14に九州交響楽団の名曲コンサートに参加、5/15に広島交響楽団のネーメ・ヤルヴィ指揮の定期コンサートに参加というものだったのだが、九州交響楽団のチケットを購入してからの調査で広響のコンサートが5/15でなくて5/14であることが判明、広島のコンサートに参加できなくなってしまったからである。ちなみにその後、広響のコンサートはヤルヴィが病気のために指揮者変更などのドタバタがさらにあったのだが、どちらにしても私としては5/15の予定が突然に消失ということになって右往左往した次第。そこで散々考えた挙げ句、国境の島まで飛ぶことにしたのである。

 

 木曜の仕事を終えると神戸空港へ移動する。夕食は途中の三ノ宮で。ミントの飲食店街のうどん屋でカツ丼セットを頂く。こういうところの店は、味はともかくやはりCPが良くない。

 夕食を終えると空港へ移動。スカイマーク便の出発は19時45分なのでしばらく待つことに。何だかんだあったスカイマークだが、この長崎便は東京からの乗り継ぎ客も含めてほぼ満席のようだ。

 

 長崎までは1時間程度のフライト。飛行機が苦手な私は例によって通路側の席。隣は幼児を連れた親子連れ。この子供はまだおとなしい方なんだろうと思うが、それでもやはり子供の声は頭に響くし、ガチャガチャと騒がしい。

 

 長崎空港からはバスで移動だが、最初のバスは乗客が満員で乗れず、10分後の次のバスに回されることに。飛行機の乗客数に比べてバスの座席数が最初から少なすぎるので、そもそも全員が乗車できることを想定していないようである。まあ次のバスにしたおかけで、補助席まで満杯の鮨詰めバスでなく余裕のあるバスにゆったりと乗車できることにはなったが。

 

 長崎市街に到着した時にはもう既に22時になっていた。飲食店などはほとんど閉まっているので、コンビニでおにぎりを買い込むと宿泊ホテルに向かう。今日の宿泊ホテルはドーミーイン長崎。やはりくつろぐには大浴場付きのホテルが良いが、長崎には大浴場付きホテルが極端に少ないというのが最大の難点。その数少ない選択肢の中からのチョィスである。なお今回はホテル到着が深夜になりホテルでは寝るだけになることが確実なことが事前に分かっているのと、さらにはここも昨今のホテル価格高騰の影響を受けてかなり高価なホテルになってしまっていることから、今回はカプセルルームへの宿泊のプランにしている。

 

 チェックインを済ませたら、ちょうどレストランでドーミー名物夜鳴きそばをやっていたのでこれを頂く。ドーミーはこれがあるのを忘れていた。こういう時にはこれが非常にありがたい。これと先ほどコンビニで仕入れてきたおにぎりで一息。

 

 落ち着いたところで館内着に着替えるととりあえず入浴。ドーミー自慢の大浴場でゆったりとくつろぐ。やはり大浴場付きのホテルにしておいて良かった。これがあるのとないのとでは疲れの取れ方が違う。

 

 カプセルは全20室ぐらいあるようだ。私のは上段カプセル。例によってよじ登るのが結構大変。カプセル自体は特に小さいものではないが、それでも洞穴に入ったような圧迫感はある。少しテレビを見た後、すぐに就寝する。

  

☆☆☆☆☆

 

 

 やはりカプセルはうるさいのが最大の難点。夜は比較的マシだったが、朝の5時頃からドタンバタンと大騒ぎする輩がいて一旦完全に起こされたせいで、8時前に起床した時にはやや睡眠不足のしんどさがある。耳栓でも持ってくるべきだったか。

 

 起床するとまずは風呂。体を温めてほぐす。その後はバイキングの朝食。例によってドーミーの朝食は地方色もあって豊富。これをガッツリと頂いておく。

 さて今日の予定だが、福岡に移動する前に長崎県立美術館で開催中のミュシャ展を見学するつもり。わざわざ長崎に来ておいて、何もせずに福岡に移動では馬鹿すぎるというわけである。

 

 美術館開館は10時からなので、カプセル内でボケーッとテレビを見ながら時間をつぶすと10時前にチェックアウト。キャリーを引きずりながら美術館まで移動する。今日も良い天気で外は少々暑い。

 

 それにしても長崎はやはり私との相性の良さを感じる。何てことない町並みに非常に魅力を感じる。私がここまでしっくりくる町は、長崎以外では、函館、金沢、松山などぐらい。やはりこういうコンパクトシティが私の中のイメージにある理想の都市像である。ああ、今回みたいなド短期滞在ではなく、改めてじっくりと腰を据えて長崎をプラプラしたい。


「ミュシャ展」長崎県立美術館で5/29まで

  

 長崎県立美術館では実に25年ぶりという大規模なミュシャの展覧会。国内の複数コレクションから作品を集めたようである。

 今回の特徴はミュシャの図案デザイン集やら当時のポストカード、さらにはお菓子の缶包装やチェコで発行された紙幣、果てはミュシャが無名時代に手がけたレストランのメニューなど、所謂身近なシーンで展開していたミュシャのデザイン作品を多数展示していたこと。ポスターアートで有名なミュシャだが、もっと幅広く生活に密着した多数のデザインを手がけるほどに社会に影響を与えていたということが伺え、確かにミュシャは一つの時代を作ったのだということが納得できる。

 当然ながら「ジスモンダ」などの有名どころのポスターの展示もあった。これらについてはもう何回見たか覚えていないほどだが、それでもやはり改めて見るとため息が出る。時代を超えて万人に「美しい」と言わせる物を持っている。

 今回の展覧会では、あえて「ミュシャ」というフランス読み名でなく「ムハ」というチェコ読み名を多用していたのだが、そういう点は展示作品にも現れていた。本展ではミュシャのチェコへの想い、郷土愛のようなものが全編に溢れていたようである。


 ミュシャ展の見学を終えると常設展の方も見学してから、カフェで一息つくことにする。運河の眺めも落ち着くが、抹茶のケーキがおいしい。「ああ、いいなぁ」という言葉が自然に出てくる。

 今回の長崎での予定はこれで終わりなので、路面で長崎駅へ移動する。路面の窓から見える長崎の町並みがまたなぜか私の心を引き付ける。なぜこれほどまでにこの町に私が愛着を感じるのかは理論的には説明できない。同じ港町ということで私の生まれ育った神戸に似ているところがあるからだろうか? やはりいつかまた改めてゆっくりと滞在しに来よう。

 長崎の路面電車

 長崎駅で帰りの乗車券と博多までの特急つばめの自由席乗車券を購入する。特急つばめは諫早までは山岳地帯を抜け、そこからは有明海沿いを走る。九州では長崎新幹線を建設するとのことだが、そのルートは大村経由になるとのこと。そうなるとこの路線はどうなるんだろうか? 第三セクター化? JRに残ったとしても特急は廃止されて鈍行だけのローカル線扱いになるだろう。そうなると肥前鹿島なんかは以前よりも不便になるような気がするのだが。

   特急つばめ

 2時間ほどで博多に到着する。さてこれからどうするかだが、まずは昼食を摂りたい。以前にも来たことのある博多駅の地下の「まるとく食堂」に入店。「ぶり尽くし御膳(1580円)」を注文。ガッツリと頂く。プリが美味い。

 ようやく遅めの昼食を終えると今後の予定について思案。これから福岡市博物館に行くつもりだが、まずは荷物を減らしたい。とりあえずコインロッカーにキャリーを放り込もうかと思ったが、近くのコインロッカーは満杯。もうそろそろ3時が近いし、ホテルにチェックインして荷物を置くことにする。

 

 今回の宿泊ホテルはルートイン博多南。本当はルートイン博多駅前を取りたかったのだが、塞がっていたのでこちらに変更。駅から少々距離があるのが難点。博多駅との間の送迎バスがあるとのことなのだが、残念ながら運行は17時から。仕方ないのでキャリーをゴロゴロ引きながらの移動。10数分を要してようやくホテルに到着する。

 

 部屋に入って荷物を置くとホッとするが、ここで休んでいるわけにはいかない。すぐに出かけることにする。と言ってもあの距離を再び駅まで歩くのもしんどい。調べたらホテルの近くのバス停から博多行きの西鉄バスがあるようなのでそれに乗車、博多駅に到着すると東側のバスターミナルに移動してそこから福岡タワー行きのバスに乗車する。

 

 このバスは路線バスだが都市高速を経由するらしい。都市高速は一応は高速道路でなくて自動車専用道路という扱いなので、これは高速バスではなくて路線バス。そもそもそうでないと吊革を持って立っている乗客を乗せるわけにはいかなくなる。とは言うものの、法的にはそれで良いのかもしれないが実際に事故った時には洒落にならんと思うが。

 

 都市高速から降りるとまもなくヤフードームが見えてくる。なかなかに大きな建物だ。これを過ぎたらすぐに終点の福岡タワー。福岡市博物館は終点の福岡タワーの南。ここに来るのは二回目だが、大きな建物である。

 ヤフードーム

 テーマがテーマだけに会場前にはほうきにまたがっての記念写真コーナーなんかがあるし、会場のお姉さん方もみなさん魔女帽着用。しかしこれではまるでコスプレショー。ちなみに次回は「アマゾン展」とのことだが、その時は仮面ライダーアマゾンの顔出しパネルでも置くんだろうか・・・ってまさかこれはないな。


「魔女の秘密展」福岡市博物館で5/29まで

 ファンタジーの代表のように言われる魔女だが、中世ヨーロッパではその存在が信じられており、疫病や天災などが魔女の仕業とされて魔女狩りの嵐が吹き荒れ、多くの無実の者が犠牲となった。なお魔女と言われるが、その対象は女性に限らずに男性や子供なども含まれたという。このような魔女にまつわる資料を展示。

 序盤は魔除けの御守りなどの類の無邪気なものなのだが、寒冷化による天候不順やペストの流行などで社会の不安が増してきた頃から世の中がおかしいことになり始める。この頃からこれらの原因が魔女とされ、魔女狩りが行われるようになる。この魔女審問の再現や、自白を得るための拷問道具の展示などがあるが、これが凄惨極めるもの。

 しかしようやく科学の進歩などと共に魔女の存在が否定されて、魔女はファンタジー世界の住民に変わっていく。終盤はそういう魔女のイメージにまつわる美術品など。最後の最後には日本での魔女に関する展示だが、これは所謂魔法もの系のコミック作品の展示になっていて、その辺りはいかにも日本的。


 正直なところ趣旨が不明な展覧会だったのだが、意外に面白かった。それにしても魔女狩りなどは今から見れば愚の骨頂だが、当時はこれを本気で組織的に行っていたのだから恐ろしい。審問なんて最初から結論が決まっていて、強引にその結論に持って行くための単なる手続き。これは明らかに血に飢えているとしか見えない。この辺りはキリスト教が内在する攻撃性が顕著に現れているように思える。そもそもの魔女の発端は土着の地域信仰や風習の類だったように思えるが、キリスト教は各地でこの手のものを邪教と見なして暴力的に破壊してきている。いわゆる魔女狩りもその一環だったように思われる。しかしそれが無知蒙昧な民衆の暴力性を引き出すことになり、多くの無実の者が嫉妬や時には狂人の妄想などで魔女として告発されて処刑されることになったのだから、実に罪深い話である。今も昔も忌むべきは無知と狂信である。

 

 そう言えば昔「奥様は魔女」というアメリカのコメディドラマがあったが、これで魔女狩りがネタになっていた記憶がある。どういういきさつかは忘れたが、ヒロインのサマンサが記憶喪失になって中世の魔女狩りの時代に飛ばされる話で、彼女はふとしたことから魔女裁判にかけられることになる。彼女は魔女であることを否定するが、最初から結論が決まっている裁判なので火炙りにされそうになる。しかし彼女を追っかけてきたダーリンのおかげで彼女は記憶を取り戻す。その後が痛快で、彼女は自分が魔女だと認めるとあっさりと拘束具を消してしまって「魔女をこんなもので捕まえることなどできないし、本当の魔女はこんなところから逃げ出すのなんて簡単だから、火炙りなんかにされるわけがない。」と言ってその場からパッと消えてしまう次第。裁判に参加していた一堂がポカーンとする中で、ポケーッとしていた裁判長が「裁判はこれで終わりにします。なお今後このような裁判は二度と行わないこととします。」と宣言して終わりというハッピーエンドである。

 

 本当は特別展だけでなくて常設展の方も見学したかったのだが、特別展を見終わったところで閉館時刻になってしまった。前回にここを訪問した時にも同様の状況で常設展を見学していない。そもそもの原因はこの博物館が辺鄙にあるために来るのに時間がかかること。この宿題についてはまたいつか解決したい。

 

 ここまで来たついでに福岡タワーに登っていくことにする。入場料は800円だが、先ほどの「魔女の秘密展」の半券を持っていたら2割引とのこと。

   

 福岡タワーは1989年のアジア太平洋博覧会(通称よかトピア)の際に建設され、高さは234mあり、テレビ塔として使用されているという。展望台は123mの高さがあるとのこと。

かなりの高度だ

 確かになかなかの高さだが、それより何より、このタワーの構造はなぜか私の高所恐怖症を刺激する。おかげで足下がフワフワした感覚がして落ち着かないことこの上ない。最上階の展望台が5階ということになっていて、その下の4階がレストラン、その下の3階も展望台で帰りはここからエレベーターで下りることになっている。2階は下にあるので、要は2階と3階の間が100mほどあるということになる。

50男を寄せ付けない結界が張られている

 それにしてもこの3階展望台、いきなり「恋人たちの聖地」なんて書いてあって、オッサン一人の私には強烈なアウェイムード。しまった、この手の場所はこういうのが常だったというのを思い出す。足下はフラフラして落ち着かないし、こんなところはさっさと退去するに限ると思うが、なぜかエレベーターがなかなか来ずにしばし待たされる羽目に。

 

 福岡タワーを降りてくるとバスで博多駅に戻る。このまま駅周辺で夕食を食べていけばよいのだが、昼食が遅めの上にかなりガッツリ食べたので、正直なところまだ腹がそんなに減っていない。そこで送迎バスで一旦ホテルに戻ることにする。しかし駅周辺は人通りも車通りも多くて大混乱、おかげで送迎バスは予定時刻よりも遅れて到着する。

 ルートインポンタ

 ホテルに戻るととりあえず入浴することにする。ラジウム人工温泉の大浴場でゆったりとくつろぐ。やっぱり入浴は大浴場に限る。

 

 部屋に戻ってからしばし休息をして、それから改めてバスで博多駅まで送ってもらってから夕食を摂ることにする。博多の地下街をうろついて「百菜旬」なる店を見つけたので、ここで「カツ丼」「ざるそば」を注文。どうも最近はカツ丼づいている。味については取り立ててどうこう言うところもなく、支払いは2点で1187円だから価格も妥当。博多は東京のような大都市で苦手だが、東京と違ってまともな価格で美味しいものが食べられるのはありがたいところだ。

 夕食を終えると再び送迎バスでホテルへ。部屋に戻ってテレビをつけると舛添が政治資金に関して苦しい言い訳をしているニュースが。それにしても本人が「政治活動だ」と言い張れば、家族の宿泊費まで政治資金に出来るとは何というザル法。と言うことは、私も都知事になれば毎回の遠征がすべて政治活動ということになるのか? まあ桝添の週末ごとの湯河原詣でに比べたら、日本の地域振興はいかにあるべきかの現地視察を兼ねている私の遠征の方が余程まともな政治活動だ。何にせよ、こんなザル法は根本的な法改正が必要である。なるほど、舛添都知事は自ら身を張って現在の政治資金規制法の不備を証明してくれたわけか。それにしても猪瀬といい、石原といい、都知事というのは私腹を肥やすための役職か? しかもこんな輩ばかりを選挙で選ぶ都民って?

 

 何だかんだでこの日も一万二千歩ぐらい歩いている。疲労は結構ある。この夜は23時頃に就寝する。

  

☆☆☆☆☆

 

 

 翌朝は6時半に目が覚める。体には若干の重さがあるが、とりあえず朝風呂で体を温めるとバイキングの朝食を摂る。

 

 さて今日の予定だが、展覧会にいくつか立ち寄ってから九州交響楽団のライブに参加すること。美術館の開館は9時半からなので部屋でテレビを見てしばし時間をつぶす。ニュースは舛添の政治資金流用やらオリンピックに関する裏金の話。ろくな話題でない。元々オリンピックなんて利権がメインなんだからやめればいいんだ。それでなくてもオリンピック絡みの建設工事で東日本大震災の復興が遅れているという時に、さらに熊本の復興が必要になったんだから、それらを優先するということでオリンピックを返上したら、海外からも批判を食らうこともあるまい。

 

 ホテルをチェックアウトすると、9時のバスで博多駅に送ってもらう。今日はまずは福岡市美術館に立ち寄るつもり。地下鉄で天神まで移動すると、コインロッカーにキャリーを放り込んでからバスで移動する。

 

 福岡市美術館があるのは元々福岡城の城内だった場所。九州の雄・黒田氏の福岡城はかなり巨大な城郭だが、今ではかなりの部分が公的施設になっている。ただ城の中枢はまだ残っており、以前に見学に行ったことがある。再訪することも考えたが、今日は時間と体力にその余裕がない。

 福岡市美術館は久しぶりの訪問。例によってなかなかに巨大な施設である。


「物・語 近代日本の静物画」福岡市美術館で7/3まで

  

 静物画というジャンルに絞り、明治から現代までの作品を紹介。

 静物画は人間に無関係な事物を描いている絵画というイメージがあるが、実はこれらの事物を通してそこに不在の人間の存在を描くという目的を持つ絵画もあるようだ。本展で重要性の高い作品に岸田劉生の静物画があるが、その中にはあえて人間の手をそこに加えていたものもあったとか。当時は「悪趣味」と批判されたらしいが、この辺りには岸田劉生の前衛性のような物が現れている。


 諸々の作品がゾロゾロと展示されていたので、展覧会の内容自体が散漫な印象を受けてしまった。それと困ったことに疲労のせいで私の集中力も少々欠け気味。

 

 展覧会を終えるとバスで天神北まで移動。次は福岡県立美術館を見学。この美術館は以前に一度だけ来ているが、どうも建物が他の建物を流用したという印象で、展示室の構成が良くないという悪い記憶だけが残っていたのだが、最近改装なったようである。


「色彩の奇跡 印象派展」福岡県立美術館で6/5まで

  

 日本で有名な印象派の成立とその後の展開に関係した画家たちの絵画を、ヴァルラフ=リヒャルツ美術館&コルプー財団の所蔵品から紹介する。

 いきなりセザンヌの作品から始まってモネ・ルノワールなどのメジャーどころの展示になるのだが、どうも全体的にタッチの荒い作品が多いという印象を受けた。印象派の絵画は当時「描きかけの中途半端な絵」と揶揄されたのだが、まさに描きかけ感が強いような作品が多く、個人的に面白いと感じられる作品が少なかったのが残念。以前からモネの作品などには非常に当たり外れが多いことを感じており、煌めくような光を感じさせる作品もあれば、ボンヤリしたパッとしない作品も多々あるように思うのだが、どうも本展はその後者が多かった印象である。


 この美術館としては気合いの入った企画のようだが、実際に来館者も多くかなり賑わっていた。やはり「エジプト・浮世絵・印象派」のようだ。ただ私自身は上記のように印象は今ひとつ。それとも疲労のせいで絵画に深入りできていないのだろうか?

 

 何だかんだの内に正午を過ぎてしまった。今日のコンサートは2時からアクロス福岡であるのでそちらに移動することにする。

 

 コンサートが始まるのは2時からなので、地下の飲食店で昼食を摂ることにする。もう店を選ぶのも面倒臭くなったので地下の「杵屋」でうどんを頂く。あっ、なんかサントリーホールにいる気がしてきた・・・。

 1時になると開場。どうも段差が多いのが気になるホールだ。会場は直方体のいわゆるシューズボックス型。結構残響豊かなホールであり、その辺りはオペラシティなどと対称的。


第5回 名曲・午後のオーケストラ

 

指揮 小泉和裕

ヴァイオリン 神尾真由子

九州交響楽団

 

ワーグナー/楽劇「ニュルンベルクのマイスタージンガー」第1幕への前奏曲

ブルッフ/ヴァイオリン協奏曲 第1番 ト短調 作品26

ベートーヴェン/交響曲 第7番 イ長調 作品92

 

 正直なところ「あまりうまいオケではないな」という印象を受ける。第一曲目のワーグナーは冒頭からいきなりグチャグチャとした印象の演奏で見通しが悪い。ともすれば管が先行しがちの傾向があり、弦のアンサンブルがやや甘く精度が低い。そのグチャグチャした音色にアクロスの多めの残響が被さって、やや喧しいという印象があった。

 二曲目の協奏曲についてはソリストの神尾が圧倒的な存在感での演奏。オケを完全にリードする形で非常に際立っている。さらに圧巻だったのがアンコールで演奏した「魔王」。あの超テクニックには会場中が唖然としていた。

 メインのベートーベンはワーグナーよりはまとまった演奏であるが、全体のバランスと精度が今ひとつなのは相変わらず。演奏全体に元気さはあるのであるが、とにかく精緻さに欠けるというのが正直な感想。


 まだまだ弦が弱いなという印象のオケだった。なおオケの演奏以上に気になったのは観客のマナー。演奏中にも雑音が多く、演奏終了後も完全にフライング拍手。残響豊かなホールでその残響を全く聞かない。ホールは良いホールなのに、そのホール内が何ともざわついた印象である。

 

 コンサートを終えると福岡空港に移動する。これから国境の島・対馬に移動するつもり。私の一連の離島シリーズの締めくくりとも言える目的地である。対馬便はANAが運航しているが、福岡空港ではハズレの位置にある第一ターミナルからの出発となる。飛行機に乗る前に夕食を摂ろうかと第二ターミナル三階のレストラン街を覗くが、体調が今ひとつのせいか、まだ時間が早いのかどうも食欲が起こらない。そこで後で食べるつもりでおにぎりだけを買い込んでおく。

 

 第一ターミナルはハズレの位置にあるだけでなく、登場する際にもさらに散々歩かされた挙げ句にバスで移動。何やらやたらに歩かされる空港である。ボンバルディアに到着した時には既にヘトヘト。機内は搭乗率60%程度でかなり余裕がある。私のキャリーは本来の持ち込み可能サイズより若干大きかったはずなのだが、荷物スペースに余裕があるので持ち込み可能とのことで機内に持ち込んでいる。

 

 ボンバルディアはバラバラとうるさい音を立てながら対馬まで飛行。やはり下にまともに地面が見えるプロペラ機のフライトはあまり好きでない。すぐに対馬が見えてくるが、思っていたよりも高山の多い島である。そのせいか、空港に近づいてから気流が乱れるのか着陸寸前に機体がよく揺れる。しかもこの空港、オーバーランでもしようものなら直ちに山上から海に真っ逆さまという構造になっている。ボンバルディアはともかく、帰りの便は737だったはずだが・・・。

 

 30分ほどで到着した対馬空港は滑走路が一本でボーディングブリッジも一台という小さな空港。天候は曇りだが、何となく肌寒い。

 

 ここからはレンタカーでの移動となる。航空券を予約した時に合わせてレンタカーの予約も行っている。トヨタレンカーで貸し出されたのは例によってヴィッツ。山岳の多い対馬を走るにはいささかパワー不足の感がある。

 

 空港からしばし南下すると対馬の中心街である厳原。今日宿泊するのは厳原にある柳屋ホテル。やや古びたビジネスホテルという印象。

 ホテルにチェックインするとすぐに夕食のために町に繰り出す。厳原の市街は川沿いに広がっており、そこをプラプラ散策。それにしても噂には聞いていたが韓国人が多い。店の看板なども日本語とハングルのバイリンガルのところが多い。結局市街をうろうろして見つけた「八丁」に入店、「サザエの壺焼き」「あなご天丼」を注文。サザエの壺焼きはなかなかうまい。あなご天丼についてはもう少し穴子が大きければ良いのだが。まあ合わせて1200円なんだから贅沢は言えまい。

夜の厳原市街

 とにかく疲れたので、部屋に戻ると風呂に入ってからさっさと就寝したのである。

  

☆☆☆☆☆

 

 

 翌朝は7時半まで爆睡していた。8時から朝食。オーソドックスな和定食だがうまい。朝食後にシャワーを浴びると9時頃にはチェックアウトする。

 ホテルをチェックアウトしたら最初に向かったのはお船江。要は対馬藩の港跡である。駐車場の入口が分からなくてウロウロしたが、非常に狭い路地に表示が出ていた。内部の駐車場は広いのだが、そこまで道はヴィッツでも幅がギリギリ。

 これが入口

 お船江は久保田川の河口に石積みで船着き場を作ってある。現在は中途半端に水が来ているが、干潮時には干上がって満潮時には大船も入れるぐらいの水深になるのだとか。と言うことは、港だけでなくてドック機能も持つと言うことか。

 お船江の見学を終えると厳原まで引き返す。歴史民俗資料館があるのでそこに車を置いて資料館の見学。展示内容は朝鮮通信使に関するものがほとんど。日本人の団体と韓国人の団体が来ていた。

 今日の予定はまずは「清水山城」の見学。清水山城は秀吉の朝鮮出兵に際して、名護屋城などと共に兵站線の確保のために築かれた山城である。尾根上に三つの曲輪が連なっているというが、山上に石垣があるのが下からでも見える。ここから清水山城への登山ルートがあるとのことなので、それに従って登っていくことにする。

 下からでも山上の石垣が見える

 とは言うものの足はかなり重い。実のところ登山口にさしかかった時点でもう既に大分疲れている。しかしここまで来た以上、行くところまで行くしかない。まずは三の丸をめざして登ることにする。

随所に案内が出ているので迷うことはない

 三の丸までは110mとのことなので体調が万全であれば決して長い距離ではないはずだが、今回はとにかく足が前に出ないので休憩を取りながら登っていく。やがて目の前に立派な石垣が見えてきて疲れを吹き飛ばしてくれる。

息を切らせながら登っていくと、その内に石垣が見えてくる

 細長くてそう大きな曲輪ではないが、石垣はしっかりと積まれており、虎口の構造も確認できる。曲輪自体は斜面に合わせて数段の段差があるようだ。とりあえず海を見下ろしながら一旦休憩。

左 三の丸の虎口  中央 三の丸  右 厳原港が一望

左  巨石がゴロゴロしている  中央 何段かの登りになっている  右 上にもまた虎口が

左 随所に石垣と巨石が  中央 ここにも石垣で段がある  右 三の丸の一番上の方

 二の丸はここから背後の斜面を登っていくことになる。数段登った途中に分岐があってそちらには降り口がある。ここからがかなり急な斜面になる。その急斜面を息を切らせながら登っていったら、すぐに石垣で築かれた虎口が見える。この上が二の丸。二の丸は三の丸よりも面積的には狭いとのことだが、平地が三の丸よりも広い分大きく見える。

左 途中で分岐がある  中央 急斜面を直登する  右 石垣が見えてくる

左  石垣で門になっている  中央 内部には虎口構造  右 二の丸

左 周囲は石垣で囲ってある  中央 かなりの高度  右 結構広い

 ここからさらに斜面を登った先が本丸。ここも石垣の虎口を抜けることになるが、曲輪内はほとんど削平されておらず、自然の山頂をそのまま石垣で囲んでいるという構造。この山頂に立つと周囲をグルリと見渡すことが出来る。本丸と言うよりは物見台か狼煙台という印象を受ける。この城郭で本拠を置くとしたら二の丸だろう。そもそも兵站線防御のための城なので大兵を置くことは想定しておらず、山頂からの監視がメインだったのではないかと思われる。ここからは厳原の港を一望できる。

左 二の丸の背後に回り  中央 さらに急斜面を直登する  右 やがて石垣が見えてくる

左  石垣で門になっている  中央 石垣の上から  右 本丸石垣

左 内部には山頂がそのまま  中央 ここが最高所か  右 見晴らしは抜群

 なかなかに見応えのある城郭だった。国境の島にこんな立派な城郭があるとは。これは続100名城Aクラス。ただその分、足腰へのダメージはかなり大きい。それでなくても疲労が溜まっているところに相当に無理をしたという印象が強い。

 

 歴史民俗史料館のある辺りから奥にかけてが、対馬の宗氏の本拠であった「金石城」である。ここでは朝鮮通信使を迎えたりもされたらしいが、藩庁の機能は後に桟敷原城に移されたという。現在は櫓門が復元されている。

左 復元城門  中央 内部は何やら発掘調査中  右 周囲の石垣

 金石城の背後には宗氏代々の墓所である万松院があるのでこれを見学。墓所は長い石段の上にあり、墓所の創建時からあるという杉の巨木が立っている。鬱蒼として聖地的な雰囲気の漂う場所。この杉からはとてつもないパワーを感じる。

左 墓所の石段  中央 途中にある中御霊屋  右 一番上まで上がる

左・中央 上御霊屋は左右に分かれている  右 万松院の大スギ

 墓所の隣には発掘復元されたという金石城庭園がある。現在は国の名勝に指定されているとか。巨石を配した力強い庭園であり、庭園内を流れる水は背後の山から湧き出しているものだとか。

 金石城の次は「桟敷原城跡」の見学に向かうが、こちらは今は陸自の駐屯場になっていて遺構らしきものはないし、あまり軍事施設の回りで写真を撮っていたら怪しまれそうなので早々に引き返してくる。

 今では陸自の施設

 この金石城と桟敷原城の間には藩校だった日新館の門とか、かつての武家屋敷跡などが残っており、かつての城下町の面影をとどめている。

左 日新館の門  中央・右 武家屋敷跡

 さてそろそろ昼食にしたいと思っていたら、観光案内所や産直販売所の一角に「ふれあい食堂憩い」なる店を見つけたので、そこで「日替わりランチ(700円)」を頂くことにする。カワハギの唐揚げが美味だが、意外に付け合わせの野菜がうまい。これも地産地消だろうか。

  

 昼食を食べるとこの近くの江戸時代からの迷路の町並みなるものを散策。こて絵のある蔵なんかが残っていて風情があるが、ここを歩いていたら本当に方角が分からなくなる。

迷路のような町並みには風情がある。映画のロケにも使われたことがあるとか。
 こて絵

 さてそろそろ最後にして最大の難所に向かう決意を固める。実は今日はもう一カ所山城を攻略する予定。それは「金田城」。天智天皇時代の古代山城である。白村江の戦いで倭・百済連合軍は唐・新羅連合軍に惨敗、百済は滅亡して日本も唐の侵攻を受ける危険がある中で急遽建設された朝鮮式山城である。このようなタイプの城は他にも岡山の鬼ノ城、福岡の大野城などがあるが、いずれも大規模な城郭である。

 

 城郭の規模が大きいのは想像がついたので、清水山城見学でヘロヘロになってしまった足腰が持つだろうかと不安があったので、金田城攻めを無意識に避けてしまっていたところがある。しかし対馬に再訪があるかと言えばそれはかなり確率的には低いことから、やはり何が何でも今回見学しておく必要があろうというわけで、ここに来てようやく決心である。

 ここから狭い山道に入っていくことになる

 そうと決まれば急ぐ必要がある。帰りの飛行機の便のことを考えるとあまり時間に余裕がない。現地に向かって車を飛ばす。厳原から北上すると空港の手前で左折、山岳地帯に向かって走る。途中で案内が出ているのでそこからは山道を走行することになるが、これがかなり狭い道なので対向車が来ないことを祈るのみ。登山口の前には数台分の駐車スペースがある・・・とのことなのだが、既に数台の先客がいてスペースは一杯。これから出すという車に退いてもらってようやく駐車できる。

左 石碑が建ててある  中央 このような道をひたすら歩く  右 しばらく歩くと突然に視界が開ける

 さてここからは山道をひたすら歩くことになる。入口にパンフがあるのでザッと目を通すと、どうも山頂まで含めて一周しようと思うと2時間以上はかかるようである。しかし帰りの飛行機の時間を考えると2時間後にはここを離れたい。山頂には第二次大戦中の砲台跡などがあるらしいが、そんなものを見ても仕方ないし。ここまで展望に来たわけでもないしということで、とりあえず三の城戸から一の城戸まで回って、その時点で時間に余裕があれば山頂に向かい、時間に余裕がなければ引き返してくるということに決断する。

最初に出くわすのがこの立派な石垣

 まずは三ノ城戸に向かうのだが、これが道は険しくはないのだがとにかく長い上に登りである。既にヘロッている足腰にはトドメのような攻撃。足下がヘロって来た頃に立派な石塁が見えてくる。これが東南角石塁らしい。岡山の鬼ノ城や福岡の大野城などと同様にやはりかなりの規模の石塁であり、よくまあこんな山上にこれだけのものを作ったものだと感心する。

左 とにかく降りていく  中央 三の城戸  右 近づくとこんな感じ

 ここから三ノ城戸には延々と降りていくことになる。帰りのことを考えるとゾッとする。ここを降りている時に多くの観光客(アジア人を含む)と日本語で挨拶しながらすれ違う。入口のところに停まっていた車は彼らのものだろう。さらに進んで相当降りたその底にあるのが三ノ城戸だが、これはこの城で一番規模の大きい城戸とのこと。ここも石積みが極めて立派である。

ここから急坂を登っていくと、掘っ立て柱跡のあるピングシ山に出る

 ここからまた登りに転じるのだがこれがしんどい。しばらく登ったところでビングシ門に出る。ここには建物の跡のようなものが残っている。しかしここから先に進む道がよく分からず、結局は道を間違って休憩所のようなところに出てしまって引き返すことに。この時点で頂上まで回る時間が決定的に不足することが明らかになったから、一ノ城戸まで行ったら引き返すことを決心する。

左 ピングシ山から海の方へ降りるのが正解ルート  中央 二ノ城戸が見えてきた  右 二ノ城戸

左  かなり立派な石積み  中央 遠くから  右 先は海に通じているようだ

 結局は二ノ城戸はビングシ門から海の方に向かって急に降りていくルートが正解だったようだ。二ノ城戸は海にかなり近い低地にある。

左 ここからゴロゴロした岩場を進むと  中央 ここが一の城戸の表示が  右 しかし上から見ても構造は明確でない

そこで下に降りていくと、立派な石垣がそびえている

 ここからほぼ水平に移動した先が一ノ城戸だが、ここは今までの城戸に比べると構造が今ひとつ明確でない。

 やはり最初の石垣のところが一番絵になる

 ここまで来たところで引き返すことにする。ビングシ門から先ほど間違ったルートを取って休憩所経由で引き返す。これで三ノ城戸まで降りては登るということだけはしなくて良くなったのがせめてもの救い。とにかく大規模な城郭で、一周しようと思うと半日は見ておく必要があった。それにそれ相応の体力も必要だ。どうも私の見積もりが甘すぎたというところである。それにしてもここまでの城郭が対馬にあったとは。

 

 これで対馬での予定は終了。後はガソリンを満タンにして車の返却。ガソリンはリッター150円以上という離島特別価格。まあ距離は大して走っていないから、結局は4リッター程度しか給油していないが。

 

 レンタカーを返却すると対馬空港まで送迎してもらう。改めて見る対馬空港は実に小さい空港。空港ビル内にも土産物屋が一軒あるだけ。待合室も小さいし、荷物検査のゲートも一カ所しかないので、737満席分の乗客が押しかけたら、検査ゲートはてんやわんやの上に待合室は席が足りないという状況。

 

 帰りの便もやはり離陸直後に機体が大きく揺れる。どうもこの空港は滑走路周辺の気流が難しそうである。冬などの強風時には訪れたくないところだ。福岡空港には30分ほどですぐに到着する。

 

 福岡空港に到着するとまたも荷物を持って延々と歩かされることに。ようやく到着ゲートを抜けても、そこから地下鉄の駅までがまた遠い。つくづく難儀な空港である。結局はこの日は対馬内の山城巡りとこの空港での行脚で2万歩をはるかに越えることになるのである。

 

 博多駅に到着した頃にはもうかなり疲れている。考えるのも面倒臭いのと時間があまりないのとで、夕食は安直ながら「まるとく食堂」「玄海刺身御膳(1680円)」を頂く。

 夕食を終えると売店で博多土産の定番「通りもん」と「ひよこ」(ひよこは元々は博多土産なのだが、いつの間にやら東京土産にされてしまった)を購入すると新幹線で帰途についたのである。

 

 元々は九州交響楽団のコンサートに参加するというのが主目的だったのだが、結果としてはその主目的はイマイチで、対馬の山城巡りが一番のメインイベントになったというのが実体。ただこの金田城はさすがにキツすぎた。このダメージは帰宅後に本格的に訪れて、二、三日は下半身のだるさに苛まれたのである。つくづく私も体力がなくなった。

 

 

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