展覧会遠征 岡山編14

 

 完全に鈍りきった体をボチボチとリハビリ的に動かしているところだが、この日曜は近場の山城を訪問することにした。と言ってもハードな山城だととても体がもたないので、車で近くまで行ける比較的楽なところ限定ではあるが・・・。

 

 朝から出発すると、岡山方面に向かって高速を突っ走る。岡山JCTで岡山道に乗り換えると賀陽ICまで。最初の目的地は高梁市街よりもさらに西の川上町にある国吉城。

 

 国道313号から県道299号に乗り換えるとひたすら山の中へ向かって進む。途中で右に分岐する道があるのでそちらに入るのだが、これが山間の住宅の間を抜けていく狭い道。この狭い道を進んでいくと途中で急カーブがあって、それが「国吉城」に向かう道。しかし最初は看板が裏向きだったせいもあって通り過ぎてしまう羽目に。途中で気がついて引き返してくる。

左 県道299号はすぐに山道に  中央 ここで右折する  右 狭くて急な山道をひたすら登る

左 こんなところにも家がある  中央 ここを左なんだが看板が裏で見えない  右 逆側から来たら看板が見える

 分岐からしばらく進むと手前に城山公園の大きな駐車場があるが、車はまだ先まで進める。その内に周囲が城内めいてきたと思うと、城門よろしく石柱が立っているのでその手前に車を置く。

左 左手に駐車場があるがさらに進む  中央 既に城内の雰囲気  右 ここが終点

 国吉城は三村元親の備中松山城の支城であり、1574年には小早川隆景率いる二万の毛利軍に攻められ、激戦の末に落城したという。関ヶ原合戦後に毛利が移封になってからは城主が何度か変わったが、1611年に幕府直轄領となった際に廃城となったとのことである。

なんちゃって城門を抜けて道沿いに進んでいくと、すぐに削平地に出る

 ここから少し歩くとすぐに削平地にたどり着くが、ここが主郭のようである。ここの南端には国吉神社が建っている。

左 本丸の国吉神社  中央 かなりの高度だ  右 何段もの曲輪が続く

 主郭の南部から3段下まで小曲輪が段々につながっている。なお私が事前に調べた時にはこの3段目に木造の櫓のような建造物が建っている写真を見たのであるが、私の訪問時には老朽化によって撤去されたのか、土台の跡しか残っていなかった。

 3段目に櫓の土台跡が残っている

 4段目からは降り口のようなものも見えるが、その先は急な上に鬱蒼としており、しかも今日は昨夜の雨のせいか足下がぬかるんで滑るので、とても進んでみられる状況ではなかった。

左 一番下の段  中央 進めるかもしれないが降りる気はしない  右 振り返って

 公園となっている割には人気もなく寂れムードが濃厚である。また桜の木が生えているのだが、今ひとつ元気のない木が多くて花はあまり咲いていない。どうも春には花見も出来る城跡公園として整備したのに、利用があまりなくて放置されている雰囲気である。目下のところは下草は刈られているようだが、下手すればいずれはここも藪に埋もれてしまう可能性もあり得るように思える。

 

 何やらもの悲しさの漂う国吉城を後にすると、次に目指すのは「小笹丸城」。美星町にある中世の山城である。戦国期の地方領主クラスの詰めの城と考えられ、築城年代は明確ではないが、1575年には竹野井常陸守氏高・竹野井又太朗春高が居城したと伝えられているとのこと。

 ここの左手に車を置ける

 小笹丸城があるのは山間の住宅地の裏山。車は入れないので手前の方の案内看板のところにおいて、住宅の間を登っていくのだが、これが意外に疲れる。やがて山が近づいてきたところで、山の東側に登る道があったのでここを進んだのだが、これは失敗。結局は東側からの登るルートを見つけることが出来ず、城を一回りすることになる。

左 この道を進んでいく  中央 こういうことです  右 住宅の奥に見える山が小笹丸城

左 ここを登ったのだが、これが間違いだった  中央 左側に登口がない  右 結局は外堀沿いに城を一周することに

 城の西に回り込んだところで登れる道を見つけたので進んだのだが、結果としてはこれも間違いだった模様。かなり荒れた道を足下を気にしながら慎重に進んだものの、実はこのさらに南にキチンと整備された歩きやすい正規ルートが整備されていることを知ったのは帰り道であった。

  

左 ここを登ったのだが、実はこれは不正解  右 もう少し進むとこんな立派な登口が

 たどり着いたのは遠藤周作記念碑と案内看板が立っている曲輪4。しかしかなり藪化が進行していて歩くのが困難である。この城は複数の曲輪が山頂の主郭をグルリと取り囲んでいるシンプルな構造である。この曲輪から主郭に登るルートがあるのだが、これがかなり藪化していてこれも歩くのが難儀。

左 鬱蒼とした曲輪4、奥の小山の上が主郭  中央 草に埋もれた遠藤周作の碑  右 主郭登口もわけが分からん状態

 主郭はそう広くはない曲輪で、何やら祠が建っている。ここには桜の木が数本生えているようだが、ここもかなり下草が茂っている。

左 登った主郭も下草がひどい  中央 案内表示が折れている  右 祠の背後にわずかに土塁があるような

 ここから今度は北に降りると虎口構造をもった曲輪に出る。ここは竪堀の脇に虎口などの構造が見られるというこの城で一番複雑な構造をした部分。いわゆる大手口はこちらだったんだろうと考えられる。

左 反対側の曲輪2に降りる  中央 これが竪堀  右 下の曲輪7には井戸が見える

左 曲輪6の虎口  中央 曲輪6、左手が土塁  右 曲輪6の奥の一段下に曲輪5

 小さい城であるが、意外と面白い構造をしていた。惜しむらくは整備状態の悪さか。冬でこの有様なら、夏場になると惨憺たるものになるのでは。定期的に下草刈りとかはされているんだろうか? 周囲の集落にあまり人の気配がなかったのが気になるところである。

 

 次の目的地を目指す前に、ここまで来たのだから近くにある美星天文台に立ち寄ることにする。美星町はその名の通りの美しい星空で知られている町で、天文台を所有しており、一般にも開放しているという。

 中世夢が原

 美星天文台がある一帯は中世夢が原という中世の建物を復元したテーマパークになっているようで、なかなか面白げなのだがこちらに立ち寄っている余裕は今日はない。またいつか再訪の機会があれば立ち寄ることにして、まずは天文台へと向かう。

左 美星天文台の観測施設  中央 公開されているのはこちらの施設  右 101センチ望遠鏡

 美星天文台のドームの中には101センチ望遠鏡が設置されているが、これが一般に公開されているもので、天文観測会なども開催されているという。ドームから外に出て風景を眺めたが、回りはひたすら高原の風景で住宅のようなものは見えない。これは確かに天文観測には好条件だろう。

天文台のドームからの眺め

 なお天文台では天体映像の上映なども行っているようだが、これも今回は見ている余裕がないので次回にすることにする。

 

 天文台の見学を終えると夢が原内のそば屋「夢味庵」に立ち寄って昼食を摂ることにする。注文したのはそば会席の「星膳(1200円)」。そばも天ぷらも味はまずまずなのだが、全体的にややボリューム不足。正直なところそばぐらいはもっとガッツリ食べたい気分である。

 腹ごしらえをしたところで次の山城に向かう。次は「高越山城」。高越山城は鎌倉時代末に蒙古襲来に備えて幕府が宇都宮貞綱に作らせた城郭だという。戦国時代には伊勢氏がここを居城にしており、ここの出身である伊勢新九郎盛時が後の北条早雲であるという。後の関東の覇者たる北条氏の礎を築いた北条早雲が、関東から遠い岡山の出身とは実に意外な気がする。

 美星町から南下するとゴルフ場を突っ切って山中を進む。途中で案内が出ている分岐があるので、そこを南下すれば高越山城の広い駐車場がある。高越山は花見公園として整備されている模様で、駐車場も大きいし道路も通りやすい。

左 この道を左に  中央 道幅は広くはないが進みやすい道  右 駐車場に到着

 この駐車場に車を置くと徒歩で山上を目指す。道なりに進むとたどり着くのが四の郭、一の郭はこの上であり、ここには城跡碑と北条早雲生誕の地の碑がある。

左 冠木門の方を登っていく  中央 桜が綺麗だ  右 一の郭は公園となっている

左 一の郭  中央 城跡碑  右 北条早雲生誕の地碑

 一の郭からは辺りを見渡すことが出来て風光明媚。下に見える小山には高越山城の出城があったらしい。

左・中央 出城の一つ山上山  右 もう一つの出城の横畑

 この一の郭を取り巻くように先ほどの四の郭、さらに二の郭などがある。五の郭は四の郭の下にある。さらに裏手を下っていったところに三の郭があり、ここからさらに下ると登りで通った道路に突き当たる。

左 一の郭の下の四の郭  中央 さらい一段下の五の郭  右 二の郭

左 一の郭から裏手に降りると  中央 三の郭  右 三の郭から降りて最初の舗装道に出た辺りが空堀らしい

 城跡としては取り立てての特徴はないが、公園整備されているので訪問しやすいし、風景もなかなか良くてこのシーズンには花見も出来るというので観光には良さそうである。まあ私はそもそも花見に来たのではないが。

 

 これで今回の山城見学の予定は終了。さてこれからであるが、当初の目論見では井原市の田中美術館に立ち寄ってから岡山県立美術館に梯子するつもりだったのだが、ここまでで予定以上に時間を費やしてしまったために、これだと岡山には時間切れでたどり着けない可能性が高い。別件もあって今日中に岡山には絶対行く必要があるので、今回は田中美術館をカットすることにする。

 

 笠岡ICから山陽道に乗ると岡山まで突っ走る。しかし例によって岡山ICを降りてからが大渋滞でかなり時間をロスすることになる。毎度のことだが岡山ダンジョンは実にたちが悪い。それにも関わらず今日まで状況の改善が全く見られないのは、岡山市の都市計画は一体どうなってるんだ?

 

 かなり時間をロスしたが何とか岡山県立美術館に到着、駐車場に車を放り込むと展覧会の見学である。

 


「没後100年 宮川香山 虫明焼と明治の陶芸」岡山県立美術館で5/8まで

 

 先に宮川香山展をサントリー美術館で見たが、岡山でもまた香山展が開催される理由は、彼が岡山の虫明焼の指導に当たったことがあるから。今日の虫明焼の基礎を築いたのは彼とも言えるとのこと。本展ではまずその草創期から現代までの虫明焼作品の展示から始まっている。これらの作品もなかなかに面白い。

 後半部がいよいよ香山の作品となるのだが、これがまた圧巻。香山の名を今日まで世に知らしめている精密でリアルな高浮彫作品から、晩年の釉薬ものまで様々な作品を展示してある。高浮彫に関しては、今にも動き出しそうなリアルさと精密さに驚かされるのであるが、さらにこれを焼き物で制作しているというのが信じがたい技術である。

 晩年の釉薬ものは彼の研究の成果が結実した色彩が実に見事。深みがあり透明感がある色彩には魅せられるものがあり、「宝石とは自然が作り出したものだが、人間の手によって作り出された宝石が陶磁器である」という言葉が納得させられるもの。

 やはり香山の作品には終始圧倒されっぱなしだった。桁違いという言葉はこういう時に出てくるもんだろう。


 展覧会の見学を終えたところで近くの岡山シンフォニーホールまで足を伸ばす。実は今日中にどうしても岡山を訪問する必要があったのは、取り置きしてもらっていたチケットを受け取る必要があったため。何とか無事にチケットをゲットすると再び美術館に戻ってくる。このまま帰っても良いのだが、少々疲れたので館内の喫茶で特別展連動メニューを頂いてくつろぐ。焼きたてのワッフルがうまいし、これと言った特徴のないコーヒーがコーヒー初心者の私にはかえって飲みやすい。

 ようやく人心地ついてくつろいだところで今日の遠征の全予定は終了。家路につくことにした。しかしここに来て久しぶりの山城連チャンの疲れが襲ってきて、帰路の運転はかなりヤバいことに。やはり本格的に体力をつけていかないと・・・。

 

 

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