展覧会遠征 東京・京阪編
今週は仕事の関係で急遽東京に出張することとなった。ここのところ私用で立て続けに東京に行っていたところなので「またか?」という印象だが、そう都合良くいかないのが世の常というものである。
ただどうせ出張するならそのついでという用件もある。仕事は木曜の午後からなので、水曜の仕事を終えると東京へ移動、自腹で前泊して仕事前に美術館に立ち寄ることにする。
「カラヴァッジョ展」国立西洋美術館で6/12まで
スポットライトを当てたような印象深い明暗表現と、非常に精密な写実によってそれまでの絵画の常識を変え、多くの画家にも影響を与えたカラヴァッジョの展覧会。
展覧会では彼の作品を初めとして、彼に影響を受けた画家たちの作品も展示してある。その中にはやはり光の表現で知られるジョルジュ・ド・ラトゥールなども含まれている。ただやはり作品のレベルとしてはカラヴァッジョのものが傑出しているという印象を受ける。彼の実力については彼に与しない画家でも認めないわけにはいかなかったようで、知らない間に影響を受けていたような例もあるようだ。
芸術的には傑出した才能を持っていたカラヴァッジョだが、人格的にはとにかくいろいろと問題があり、いつも刃物を持ち歩くなど短気で暴力的志向が強かったという。実際に度々事件を起こしていたようで、その際の資料なども本展では展示されている。その挙げ句に殺人を犯して流浪のみになるのであるが、そのような状況の中で絵画の方はさらに凄みを増しているである。
芸術家の人格とその作品は別物という話があるが、それがここまで極端な芸術家も例が少ないように感じられる。彼の人間性はともかくとして、その作品は超一級であるのは間違いがない。
西洋美術館の見学を終えると科博に移動する。毎年お約束のようにある恐竜展だが、これまたお約束のように子供が多い。
「恐竜博2016」国立科学博物館で6/12まで
毎年のように開催されている恐竜博だが、今回の目玉は史上最大の肉食恐竜・スピノサウルスの全身復元骨格展示。これがティラノサウルスと対比されるかのように展示されている。このスピノサウルスは水中を泳いでいたと思われ、恐竜の水中進出を示す実例であると共に、そもそもは二足歩行であった恐竜の中から四足歩行のものが現れたことを示す例でもあるのだという。
それにしてもこの世界も新たな発見によって定説が次々と塗り替えられており、私が学校で習った頃の情報とはかなり変化してしまっている。今回の展示でも恐竜の直系の子孫は鳥であることがより明確に示されていた。一度これらの知識を体系的に習得し直す必要がありそうだ。
これで寄り道は終了、昼からは東大で仕事である。本郷三丁目は上野からは遠くはないが、アクセスは決して良くない。
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東京での2日に渡る仕事を終えると大阪に直帰する。今日は大阪でライブの予定である。
大阪フィルハーモニー交響楽団 第496回定期演奏会
指揮/尾高忠明
ヴァイオリン/諏訪内晶子
曲目/リャードフ:交響詩「魔法にかけられた湖」作品62
プロコフィエフ:ヴァイオリン協奏曲 第1番 ニ長調 作品19
ラフマニノフ:交響曲 第2番 ホ短調 作品27
諏訪内のプロコフィエフについては、そもそも曲自体が私のあまり好みの曲でないこともあって特にこれという印象はないが、安定した演奏であったようには感じれた。
ラフマニノフの交響曲に関しては、この曲が持つ数々のメロディラインが明確に浮かんでくるような演奏で、今ひとつまとまりが悪くて冴えがないように感じれていたこの曲の新たな魅力に気づかされたような気がした。尾高の指揮も明快であったが、それに応えた大フィルの演奏もなかなかの安定度があったように感じられた。
ライブを終えるとホテルに向かう。明日は京都でライブの予定なので大阪で一泊するつもり。宿泊ホテルはホテルルートイン大阪本町。阿波座最寄りの大浴場完備のホテルである。
ホテルにチェックインすると早速大浴場で体をほぐす。二日に渡る仕事で心身共に疲れ切っている。その疲れを抜いておく必要がある。
風呂でゆったりとくつろぐと明日に備えてこの日は早めに就寝する。
☆☆☆☆☆
翌朝は8時頃に起床するとシャワーで眠気を覚ましてから朝食へ。ルートインはなかなか良いホテルだが、どこで泊まっても朝食の内容に代わり映えがないのがいささかツラいところではある。
朝食を終えると9時前にはチェックアウトする。今日は京都でライブの予定だが、その前に立ち寄るところがある。京都駅で一旦途中下車してコインロッカーにキャリーを放り込むと、再び駅に舞い戻って瀬田まで移動する。ここの美術館を訪問するのは久しぶりである。
「ビアズリーと日本」滋賀県立近代美術館で4/17まで1890年代に突然に10代でデビューしてイラスト界に旋風を巻き起こして時代の寵児となるが、その人生を駆け抜けるように若干25才で夭折してしまった天才・ビアズリーに関する展覧会。
1890年代と言えばまさにアール・ヌーヴォーの時代であるが、確かに彼のイラストはミュシャとは違ったタイプでのアール・ヌーヴォーを代表するような画風である。退廃的でエロティック、時にはグロテスクでありながら、それでいて強烈な魅力を放っている。ミュシャのような美しい世界だけでなく、その裏側も描くような凄みもある。20世紀最大の萌え絵師とも言われるミュシャと違い、ビアズリーの作品は悪魔的な感もあるが、それでいて目を離せなくなるところがある。
白と黒の明暗がハッキリとしたインパクトの強い画風が彼の特徴だが、彼もご多分に漏れず、この時代に流行したジャポニズムの影響は受けているという。本展ではそれをうかがわせる作品も展示されている。
ただ彼がジャポニズムの影響を受けた以上に、日本の作家陣の方が強烈な影響を受けたようである。当時の日本で登場していた版画の類いも展示されているが、それらには明確にビアズリーの影響を受けているものが多いのには驚かされる。
滋賀での予定を終えると京都に舞い戻る。コンサートホールに行く前に美術館を一カ所。
「生誕220年 歌川広重の旅」美術館「えき」KYOTOで3/27まで平木コレクション保永堂版初摺による東海道五十三次を展示している。
初摺さくひんは後の版と違っている箇所がいくつか見られる。中には後に不都合な部分を修正したりしている場合もあるが、往々にして初摺の方が版木にヘタリが見られないのでシャープで明確なものが多い。また今回の展示品は保存状態も良好なものが多く、色彩が鮮やかであるのが特徴でもある。何度も目にした広重の東海道五十三次であるが、このような状態の良い版で見るとまた特別な感慨もあるものである。
そろそろコンサートの開演時間が近づいてきた。ホールに移動することにする。北山駅近くのデニーズで昼食を摂るとホールへと急ぐ。
京都市交響楽団 第599回定期演奏会
指揮/高関 健(常任首席客演指揮者)
曲目/マーラー:交響曲第6番イ短調「悲劇的」
ステージからはみ出しそうな大編成のオーケストラであったが、これを単に荒々しく鳴らすのではなく、キチンと整理した上で抜群のコントロールで音楽を奏でさせた印象があるのが高関の指揮であった。過度に感情を煽るようなことはしないが、それでも冷淡なわけではなく十二分に感慨深い演奏であり、京都市響の技術の確かさもあってなかなかに見事な名演であったように感じれた。最後まで緊張感を途切れさせず、長大なこの交響曲に対して冗長さを感じさせなかったのだから見事なものである。
これでこの週末の予定は終了、ようやく帰宅と相成った。
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