展覧会遠征 東京編11

 

 芸術の秋などと言うが、11月は来日オケのコンサートが目白押しである。とは言うものの、悲しいかなかなりのオケは東京でしかコンサートを行わない。と言うわけで、この週末は久々の東京遠征である。東京地区で開催中の来日オケのコンサートを中心に、併せて東京地域の展覧会を押さえたいとの考えである。今回は飛び石休になるが、例によって「赤と赤に挟まれると赤になる」というオセロの法則によって2日は有給休暇を取って無理矢理に四連休にした。

 

 出発は金曜日。当初は仕事終了後の出発予定だったが、諸々を勘案した結果、午後は休暇を取って昼から出発することにした。仕事をする時は徹底して仕事、遊ぶ時は徹底して遊ぶというのが私の信条である(後半は実践しているが、前半を全く実践していないというツッコミが周囲から聞こえてくる気がするが)。新幹線で東京に到着したのは夕方。まずは宿泊ホテルであるホテルNEO東京に立ち寄って荷物を置いてくることにする。それにしても上野東京ラインの開通で南千住のアクセスが便利になった。

 

 ホテルに荷物を置くとサントリーホールに向かう。そもそも今日の昼に出発することにした理由は、今日開催される東京フィルハーモニーのコンサートを聴きに行くため。今年になってからの遠征で東京地域のオケは大体聴いたのであるが、東京フィルは残った未聴のオケなのでこの際に体験しておこうという考えである。

 

 六本木一丁目に移動するとコンサートの前に腹ごしらえ。「杵屋」があるので「カツ丼定食(1050円)」を頂く。面白くもおかしくもないチェーン店であるが、東京地域の飲食店選びのセオリーの一つ「東京では下手な現地の店よりはチェーンの方が無難」に従った次第。これが東京と他の地域での飲食店の選択の仕方の根本的な違いである。

  

 ゆっくりと夕食を済ませるとホールに移動する。現地に到着した頃に開場時刻となる。

  

 さて今日の演目だが、モーツァルトのピアノ協奏曲とマーラーの巨人である。なお当初の予定ではピアニストは中村紘子だったのだが、彼女はしばしガンの治療に専念するとのことで急遽の降板となり、代演に決定したのが牛田智大という次第。なお実は私は中村紘子の演奏を聴きたかったわけではない。と言うか、正直なところ中村紘子の演奏には全く期待していなかった。と言うのも私は彼女の演奏を30年以上前にN響のライブで聴いたことがあるのだが、それはそれはひどい演奏だった(当時まだ高校生だった私にさえあからさまに分かるぐらい)のが強烈に記憶に残っている上に、そのしばらく後にNHKで聴いた別の公演での彼女の演奏のあまりのひどさに再び絶句し、私の頭からは中村紘子というピアニストは完全に抹消されていたからである。それからの長い歳月を考えてみると、彼女の演奏はさらに衰えこそすれ、当時よりも良くなるべき理由は全く考えつかない。そういうわけで私は今回はマーラーを聴くのが目的で、ピアノ協奏曲は捨ててかかっていたぐらいなので、この交代はむしろ幸いである。


東京フィルハーモニー交響楽団第871回定期演奏会

 

指揮 渡邊一正

ピアノ 牛田智大

 

モーツァルト ピアノ協奏曲第26番ニ長調「戴冠式」

マーラー 交響曲第1番二長調「巨人」

 

 牛田のピアノであるが、実に軽妙と言う印象。もっとも軽すぎていささか深みがないきらいもなくもないが、この曲の曲調を考えると悪い演奏ではない。ただ前回に聴いた印象では、もう少し曲に表情をつけるピアニストというイメージを持っていたのだが、今回はやけにサラッと弾き流しているように感じられた。実際、アンコール曲では十二分な陰影をつけていたところを考えると、どうやらこの軽さは意図的なもののようだ。

 マーラーの巨人については、とにかく印象としては「非常に明るい演奏」というもの。この曲はマーラー特有のかなり屈折した感情などが反映している曲のように私は考えていたのだが、渡邊の演奏からはそういう屈託は全く感じられない。ややゆったり目のペースで奏でる第一楽章、第二楽章は極めて明朗に旋律を謡うし、重々しくて辛気くさい第三楽章でさえ、むしろユーモラスに聞こえてくる。さらには第四楽章は華々しいフィナーレになっている。正直なところあまりの音色の明るさに私は面食らってしまった。こういう演奏もありなのだろうが、私としては個人的には違和感が強い。


 さすがにマーラーになるとオケが大編成(16編成になっていたようだ)になるためにステージ上がかなり狭苦しく感じられた。これだけの大編成を自前でやれてしまうのが日本のオケの中でも最大の人員を抱えるこのオケの強みではあるが、おかげで料金が他のオケに比べるとやや高いようである。なお演奏技術については今回を聴いた限りではかなり安定しているように感じられたが、このオケ特有の魅力というものは今回だけではあまり見えなかった。

 

 コンサートを終えるとホテルに戻って入浴してから就寝。しかしやけに寝苦しい。どうも夕食が早かった上に抑え気味だったせいで低血糖気味になっているようだ。フラフラしながらジュースを買いに行くと、それを一杯口にしてから夜中に就寝するのだった

  

☆☆☆☆☆

 

 

 今朝は8時頃まで横になっていたが、昨晩の寝付きが異常に悪かったせいで体に疲れが残っている。とは言っても今日は予定が目白押しである。メインイベントは午後6時からサントリーホールで開催されるチェコフィルのコンサートだが、その前に様々な美術館を回る予定になっている。

 

 まずはホームグランドの上野から。朝食を上野の駅ナカで済ませると、上野駅内のチケット売場で国立博物館の「兵馬俑展」と東京都美術館の「モネ展」の入場券を購入しておく。現地の窓口で購入しようとすると結構待たされることを経験的に把握しているためである。

 

 チケットは購入したが問題はどちらから行くかである。意外とこれを間違うと無駄な時間がかかってしまうことがあるのも経験則。ネームバリューから行くと「モネ展」の方が混みそうだが、兵馬俑のネームバリューも侮れない上に、とにかくなぜか混むことが多いのが国立博物館である。結局は国立博物館を先に訪問することにする。私が現地に到着したのは開館の15分ほど前だが、既に入場待ちの行列が200人弱。やはり予想通りチケットをこちらで購入していたら出遅れるところであった。開館時には私の後ろにも200人程度の行列が出来た状態になる。


「始皇帝と大兵馬俑」東京国立博物館で2/21まで

 

 展示は主に前半と後半に分かれており、前半は秦帝国にまつわる品々。秦が周辺国の文化などを取り込みつつ中国を統一する大帝国へと発展していく過程の技術進歩がその品々から垣間見られる。初期には文化レベルは明らかに中華の辺境国に過ぎなかったのだが、有力な周辺国を取り込んでいくことで急激に技術レベルと洗練の度が向上していく。特に青銅器文明が発展していた巴蜀を手に入れたことが大きかったように思われる。

 後半がいよいよ兵馬俑に関する展示。復元されたものを含めて、数種の兵馬俑が展示されて現地の雰囲気を伝える構成となっている。間近で見るとその造形の精密さには驚かされるばかり。またこの巨大な像を焼き物で作るというのもかなり高度な技術が必要であることが推測され、さすがに中国の技術は侮れない。

 複製された兵馬俑


 兵馬俑展を終えると東京都美術館に向かう。幸いにして表に行列はなくスムーズに入場できたが、問題は入場してから。会場内が人混みでごった返していてゆっくりと絵画を鑑賞するというような雰囲気でない。


「マルモッタン・モネ美術館所蔵 モネ展」東京都美術館で12/13まで

 

 マルモッタン美術館に収蔵されているモネの作品を展示。序盤はモネの周辺の人物に関する肖像画などが展示されており、終盤にはモネの末期の作品が大量に展示されているのが本展の特徴。

 モネの最晩期の作品は、既に事物は形態をほぼ失いかけており、わずかに光だけが残っている状態で、抽象画の先駆けとなったものと評価されている。とは言うものの、私に言わせると晩年に目を悪くしたモネがろくに見えてなかっただけではないかという気もしてならないのであるが。

 モネ展については今までいろいろな場で何回も訪れているが、本展については会場のコンディションが最悪に近いこともあるだろうが、あまり印象に残るような作品はなかったのが正直なところ。もっとも印象的だったのは、やはり本展の目玉であるサン=ラザール駅の風景を描いた作品か。蒸気の表現に関してはさすがであった。


 最晩期の作品が多かったために、私としては今一つ魅力に欠ける展覧会であった。場内が混雑しすぎていてゆっくりと見る気にもなれなったせいもあり、結局は20分足らずで会場を出てきてしまった。うーん、これは予定外。

 

 何かいきなりかなり疲れてしまった。あまり甘物は禁止されている身だが、こういう時にはパフェが食いたくなる。美術館のカフェに立ち寄って抹茶パフェを頂く。

 人心地ついたところで次の予定だが、次は練馬区美術館まで長駆することにする。山手線で池袋まで移動すると、そこから西武で中村橋まで。ここの美術館に来るのは2回目か。

   中村橋駅にはなぜか「アニメ発祥の地」の看板が


「アルフレッド・シスレー展 −印象派、空と水辺の風景画家−」練馬区立美術館で11/15まで

 

 もっとも印象派らしい画家と言われる一方で、段々と先鋭化してくる印象派の中で最後まで旧態依然として進化しなかった画家と貶められることもあるなど、必ずしも評価が定まっているとは言えないシスレーの展覧会。

 国内に所蔵されているシスレーの作品を一堂に集めたのが前半で、後半にはこれらの作品の舞台にもなったセーヌ川の河川水運や治水について紹介するという奇妙な構成になった展覧会である。個人的にはセーヌ川の云々はどうでも良いのだが(と言いつつも「はあ、なるほどね」とかなり勉強になったのは事実だが)、前半のシスレー作品の一堂展示はなかなかに見応えあった。確かに彼の作品を見ていると、終始一貫「光を描く」という印象派の初期理念に忠実であったことが感じられる。また彼は風景を非常に忠実に写しているようで、作品の舞台となった場所が容易に確認できるらしい。

 「進化がない」との評もあると言うが、果たして何をもって進化と言うべきか。少なくともその進化が先ほどの展覧会でモネが晩期に見せたような方向なのなら、私にとってはシスレーの頑なさの方がよほど好ましいものに見えて仕方ないのであるが。


 美術館の見学を終えた時には既に昼を回っている。これから新宿方面に移動するつもりだが、あの辺りはとにかく高いだけでろくでもない飲食店が多い。昼食をこの辺りで済ませておいた方が賢明だろう判断して、昼食を摂る店を駅前で探すことにする。先ほどパフェをガッツリ食べているので、あまりガッツリとした昼食だとカロリー的に問題がある。結局はそばを頂くことにする。「辰巳庵」なるそば屋を見つけたので入店。「鴨南蛮そば(1000円)」を頂く。

  

 そばはなかなかうまい。出汁の味付けも的確。鶏で誤魔化さずにキチンと鴨を使っているのは評価できる。CPがイマイチの気もするが、東京という異常な場所の事情を考えると許容範囲内か。普通においしい町のそば屋というところ。

 

 昼食を終えると新宿まで移動。合併その他でやたらに長い名前になったこの美術館だが、今まで何度も訪問している馴染みのところでもある。


「もうひとつの輝き 最後の印象派 1900-20′s Paris」損保ジャパン日本興亜美術館で11/8まで

 

 印象派のスタイルを受け継ぎながら、サロンなどを活躍の場として選んだカリエール、アマン=ジャン、シダネルなどの一団の画家たちの作品を展示。

 印象派は登場当時は権威に反した異端という位置づけなったのだが、それがやがて主流派になっていった課程で登場した画家たちの作品ということになる。当の印象派自体は後期印象派からさらに現代絵画につながって先鋭化していくのであるが、その過程で印象派の原点である「光を描く」という目的はどうでも良くなっていったような感がある。それに対して彼らの作品はむしろ原点に忠実であるように感じられた。結果としてその作品は私の目には好ましいものとして映るのである。


 新宿から次は渋谷に移動。まずは東口から出るとバスで次の美術館へ。ここはとにかくアクセスが悪いのが問題だ。


「村上華岳−京都画壇の画家たち」山種美術館で12/23まで

 

 村上華岳の「裸婦図」が重要文化財に指定されたことを記念しての展覧会。

 とは言うものの、華岳の作品は「裸婦図」以外は大して展示されておらず、実体は京都画壇展であったというのが本展。竹内栖鳳から上村松園など京画壇の蒼々たる面々の作品を目にすることが出来る。

 華岳の「裸婦図」については、女性の肉体の柔らかさのようなものが描かれているにも関わらず、エロチックな感が全くなくて神々しさを感じさせるのが最大の特徴。これは華岳の観音図などに通じていくことになる。


 バスで渋谷に戻ってきた時点で3時半過ぎ。サントリーホールまでの移動時間を考慮してももう一カ所回れそうだ。近くの美術館となれば・・・BUNKAMURAに向かうことにする。

 

 しかしハチ公前出口を出たところでとんでもないことになっているのに気づく。どうやらハロウィンのせいで仮装をしたおかしな連中が大量に闊歩していて、道路がまともに歩けない状態。思わず「ハロウィンうぜえ」という言葉が口をついて出る。それでなくても以前からハロウィンのバカ騒ぎは不快に感じていたのだが、ここに至ってそれも極まれりだ。日本では金になるなら外国の行事を何でも取り入れようとする。どこの業者がこんな行事まで日本に仕入れたんだ? その内にイスラム教のラマダンなんかも始めるんと違うか。

 渋谷の交差点はこの状態


「ウィーン美術史美術館所蔵 風景画の誕生」BUNKAMURAで12/7まで

 

 最初は風景画は絵画のジャンルとしては確立しておらず、宗教画などの単なる背景に過ぎなかった。しかし17世紀のオランダ・フランドル絵画などで独立した1ジャンルとして成立していくことになる。本展はウィーン美術史美術館が所蔵する風景画を展示した展覧会である。

 本展展示作も、当初は宗教絵画の背景から始まるが、それがやがて独立した絵画となり、今度は逆に人の姿を風景の一部として取り込んだ世俗画が登場することになる。本展では各月の農作業などの風景を現す絵画が展示されていたが、これは農業カレンダーとしての意味もあったという。当時の生活が垣間見えて面白い。

 風景画と言えば印象派というのが日本での一般的イメージだが、本展はウィーン美術史美術館所蔵品であることから、その遙か手前の時代まで作品ばかりである。その辺りが展覧会としては地味な印象につながっているように思われる。私も個人的には後で特別に印象に残った作品がなかったというのが本音。

  謎の像も展示されていた


 BUNKAMURAの見学を終えたところで5時前。サントリーホールに向かうことにする。夕食をどうしようか悩んだが、コンサートの開始が6時とやや早いので、夕食はコンサート終了後にすることにする。

 

 現地到着は開場時刻の10分ほど前だが、もう既に人だかりが出来ている。チケットは完売と聞いているが、確かに場内はほぼ満席であった。なお私の席は二階席の一番奥。本当はもっと良い席で聞きたいところだが、私の予算ではB席を購入するのがやっとだった。ここからだとステージがかなり遠い。


イルジー・ビエロフラーヴェク指揮 チェコ・フィルハーモニー管弦楽団

 

ピアノ:ダニール・トリフォノフ

 

曲目

スメタナ: 連作交響詩『わが祖国』から「モルダウ」

ラフマニノフ: ピアノ協奏曲第2番 op.18

チャイコフスキー: 交響曲第5番 op.64

 

 最初のモルダウを聴いたところで驚いた。いわゆるご当地オケのご当地プログラムというレベルの演奏ではなく、弦の響きなどが明らかにヨーロッパの一流オケのものである。ただおかげで「モルダウ」でなくて「ドナウ」に聞こえてしまう。

 ラフマニノフに関してはピアニストのトリフォノフの演奏は極めて甘美なもの。元々甘々のこの曲がさらに甘美なトロトロのものになっている。

 チャイ5については適度に抑制のかかった演奏。かなり洗練された音色の演奏であり、いわゆるロシアオケなど泥臭い演奏とは対極的な演奏となっている。これはこれで名演なんだが、果たしてチャイコらしいかと言えば難しいところもある。

 演奏全般にあまりチェコらしさを感じさせなかったチェコフィルなのだが、アンコールの「売られた花嫁」序曲はチェコらしさを炸裂させたなかなかの名演だった。やはり私の好みは少々泥臭いぐらいの演奏の方が良いのか。


 何やかんやで終了したの8時半頃になっていた。今日はまだ夕食を摂っていないので腹が減って仕方ない。六本木一丁目まで戻ると、駅近くの「和幸」に閉店ギリギリに駆け込んで「牡蛎フライとヘレカツご飯(1250円)」を頂く。牡蠣フライが空腹に染みる。

  

 夕食を摂って人心地ついてからホテルに戻った時には夜の10時を越えていた。それにしても今日は疲れたと思って確認したら、今日一日で2万歩を越えていた。いつものことながら、私の東京遠征は下手な山城攻略よりも歩数では上回ることが多い。とりあえず足にかなりのダメージがきているので、入浴して足をしっかりとほぐしてから就寝することにする。

  

☆☆☆☆☆

 

 

 翌朝は8時に起床すると9時頃にホテルをチェックアウトする。今日は上野の美術館に立ち寄ってから鬼怒川温泉まで移動する予定。今日だけはどこもコンサートがないようなので、鬼怒川温泉まで足をのばしてゆったりしようと考えた次第。鬼怒川温泉は以前に一度だけ宿泊したことがあるが、あの時のホテルが悪名高い伊東園ホテルだったため、鬼怒川温泉自体にあまり良い印象が残らない羽目になってしまった。そこで今回リターンマッチという次第。

 

 昨日と同様に上野駅の駅ナカで朝食を済ませると国立西洋美術館へ。なおチケットは、森アーツギャラリーで開催中のエジプト展との合わせ技チケットを今朝ネットで購入している。


「黄金伝説展 古代地中海の秘宝」国立西洋美術館で1/16まで

 

 古代ヨーロッパの伝説では黒海周辺は黄金に纏わる伝説が多いというが、約40年前に黒海沿岸で大量の金製の副葬品を収めた墓地が発見されるに至って、これらが単なる伝説ではないということが明らかになってきた。

 この6千年以上前の黒海沿岸の世界最古の黄金文明から3千年後、イタリアでは精緻な金細工技術を持つエトルリア文明が華咲く、そしてこれらの技術はその後のヨーロッパの文明とつながっていく。

 このようなヨーロッパで栄えた黄金文明について紹介するのが本展。美術品の展示などもあるものの、展示品は基本的にはキンキラキンの黄金製品の連発である。時代が下ってくるにつれて加工技術が向上し、非常に精緻な細工品が現れるようになる流れが面白いと共に、いかに黄金が多くの人々を魅了してきたかということに思いを至らせることになるのである。


 歴史背景云々よりも、とにかくキンキラキンの展覧会であった。あぁ、私も黄金の鍋を一つ欲しい(笑)。

 

 特別展見学後は常設展を一回りする。現在本館の方は耐震工事中とかで別館の方のみの展示である。ここの展示品は何度も見ているが、やはり圧倒的にクオリティが高い。

 

 展覧会の鑑賞を終えると北千住に移動する。とりあえず東武の特急きぬのチケットを購入してから昼食にする。時間が30分ほどしかないので、さっさと済ませられるところで駅前の「かつや」で昼食。吉野家の牛丼なんかは食べる気がしないが、ここのカツ丼は結構利用している。

 

 昼食を終えると駅に入って特急ホームに向かう。しかしなにやら様子がおかしい。なんと東武は昨日の北越谷付近での踏切障害事故の影響とかでダイヤが滅茶苦茶になっているのだとか。特急列車も全く到着しておらず、私が乗る予定だった列車はいつ到着するやら分からない状態とのこと。これではどうしようもないが、日光なら東武を諦めてJRを使用するという選択肢もあるものの、鬼怒川温泉となれば東武を使わないわけにはいかない。仕方ないのでとりあえず一本早い時間の特急列車に振り替えてもらってホームで到着を待つことにする。

 

 ホームで待つこと1時間、列車は予定よりも1時間半遅れて到着した。さぞや車内は満員であろうと予測していたのだが、予想に反してガラガラである。振り替えやら何やらで大混乱しているのだろう。

 

 何とか無事に列車は北千住を出たものの、そこからがまた大変である。何しろダイヤが全面崩壊している状態。前の列車につかえたりでトロトロ運転しかできない。それでなくてもそもそも遅い特急きぬがさらに徐行運転。少し走ればすぐにスローダウンで遅れは段々と拡大していく始末。東武動物公園をすぎるまでに遅れはさらに30分以上拡大した。

 

 最終的に鬼怒川温泉に到着したのは3時半だった。当初の予定通りに行っていたら鬼怒川温泉に到着するのは1時半のはずだったのだから、2時間遅れたことになる。列車に乗るのに1時間待ち、列車に乗ってから1時間遅れた計算だ。なお私は列車を30分早めてのこの結果であるので、列車自体は2時間半遅れたことになる。さすがに遅れすぎということで、鬼怒川温泉駅で特急料金が払い戻しとなった。

 

 ようやく到着した鬼怒川温泉駅では美少女の立て看板がお出迎えしてくれる。こんなところにまで萌えが・・・。何やら最近は日本中が聖地化してきた印象で、どうも肩身が狭い。

ようやく到着した鬼怒川温泉駅は、なぜか萌え萌えでした・・・

 当初予定では、早めに鬼怒川温泉に到着すると荷物をホテルに預けて温泉街の散策でもするつもりだったのだが、もう既にホテルのチェックイン時刻を過ぎているので直ちにチェックインすることにする。ホテルは駅から結構遠く、重たいキャリーをゴロゴロと引きずりながら10分ほど歩くことになる。途中には以前に宿泊した伊東園ホテルもある。

 

 今回の宿泊ホテルは大江戸温泉物語グループのホテル鬼怒川御苑。大江戸温泉物語のホテルは以前に下呂温泉で宿泊して食事などが結構良かった記憶があることから選択した次第。夕食がバイキングというのが気になるが、伊東園ホテルのものとは根本的に違うという噂を聞いている。人気があるらしい上に私のようなお一人宿泊は条件が難しく、今までなかなか予約が取れなかったのだが、今回は平日前日ということで予約が取れた次第。こういうことがあるのは飛び石休のメリット。もっとも飛び石部分で休暇が取れなかったら万事休すだが。

 

 10分ほどかかってようやくホテルに到着する。なかなか大きなきれいなホテルである。なお伊東園ホテルもホテル自体は大きいのだが、あそこは施設を使いつぶすだけで清掃をろくにしておらず小汚い印象があった。しかしここのホテルは、サービスは簡素であるが施設も綺麗し部屋もキチンと清掃されている印象がある。これは幸先が良さそうだ。

 

 夕食は5時からとのことなので、それまでに入浴することにする。ここの風呂は地下に大浴場と離れたところに露天風呂があるという。まずは露店風呂から次は大浴場をはしご。鬼怒川温泉はアルカリ単純泉だが、ヌルヌル感などは強くなく、特別な浴感はない。ただ広々として川を見下ろせる見晴らしの良い浴場は快適。また浴場にも伊東園ホテルのような薄汚さはない。

 

 風呂から上がってしばしマッタリしたところで夕食時間になるのでレストランに行く。バイキングは品数も多くて豪華。寿司に焼きたてのステーキ、揚げたての天ぷら、和洋中にデザートまでありとあらゆるものがそろっている。そして何よりも味がよい。これは伊東園ホテルの給食以下の夕食とは同一次元で比較すること自体が失礼と言うものだ。伊東園ホテルのレストランには殺伐とした空気が流れていたが、こちらに穏やかな明るい空気が流れており、子供などの喜ぶ声も聞こえてくる。ああ、これが正しいバイキングの姿だよなと感心することしばし。ただここのバイキングの最大の問題点は「ダイエットの敵である」という一点。実際に私も途中で早めに切り上げたにも関わらず明らかに食べ過ぎた。

 さらに一つ計算違いが起こったのは、時間を早めにガッツリ食べてしまったから腹時計と実際の時間に時差が生じたこと。腹時計はそろそろ10時過ぎと言っているにも関わらず、実際の時間は8時半という次第。夜中に腹が減らなければよいが。

 

 もう一度入浴した後は、NHKのクラシック音楽館のハイティンクの演奏をBGMにしながらこの原稿の入力。ベートーベンのピアノ協奏曲第4番が放送されていたが、ここでもペライア節は炸裂していたようだ。かなり装飾過剰気味の、ベートーベンには聞こえないベートーベンであった。

 

 放送の終わった頃にはかなりの疲労が出てくるので就寝する。

  

☆☆☆☆☆

 

 

 翌朝は7時半に起床。目覚ましを7時半にセットしていたら、その直前に「おはようございます。現在食堂が非常に混雑しておりますので、8時以降のご利用をお願いいたします。」の館内一斉放送で目を覚まされる。これは朝の起床ラッパか?

 

 とりあえずまずは大浴場で朝風呂。これがなかなか快適で、まさに小原庄助さんの気分である。もっとも私はつぶすような身上は持ってないが。

 

 入浴を終えるとレストランへ。8時を過ぎているがかなりの混雑である。メニューは結構多いが、中には品切れを起こしているものもある。もっとも品切れ分はただちに補充がされているようで、そこは遅れてきたら食べるものがないというスーパーホテルなどとは違う。

 朝からしっかり頂くとしばし部屋でマッタリしてから9時半前にチェックアウトする。駅までは有料のダイヤルバスで移動するつもりで昨日フロントに予約している。今朝になってみると結構な雨で、バスを予約していて大正解だったと感じる。

 

 バスは各ホテルの宿泊客を拾いながら鬼怒川温泉街を一周する。山は一部紅葉がしているし、渓谷もなかなか綺麗だ。昨日散策しておいたら良かったが、そんな時間はなかったし・・・。わざわざ重たい一眼レフカメラをぶら下げてきたのに、結局は全く使用せずである。まあ今回、鬼怒川温泉はなかなか良いところだということが分かったし、気が向いたらまた日を改めて再訪しても良い。その時にこのホテルが取れるかは分からないが、とりあえず伊東園ホテルだけは避けよう。全く、同じチェーンのホテルと言っても伊東園とは雲泥の差だった。やはりこれはチャィナクオリティとジャパンクオリティのレベルの差なのであろうか。

   バスは鬼怒川温泉を一週

 バスは15分ほどで鬼怒川温泉駅に到着する。私は昨晩既に特急きぬの指定席をネット予約済みである。さて後は列車を待つだけ・・・と思っていたら、人身事故の影響で一部の列車が運行取りやめにとの放送が。オイオイと思いながら駅員に確認したら、幸いにして私の乗車予定の特急きぬは通常通りに運行されるようだ。ただし事故の影響で車内販売がないとのことなので事前に茶を仕入れておく。それにしても今回は東武は呪われているのか? まあ人身事故の増加も「金持ちのバカ息子はノウノウと、庶民はさらに貧困に」のアベノミクス効果の一環だろう。日本もこのまま行くと、貴族のバカ息子が支配するゴールデンバウム王朝末期のような状態になるのか。「宇宙を手にお入れください」というキルヒアイスの声が聞こえてきた。安倍のような無能に無茶苦茶されるぐらいなら、人類も私に支配された方が幸福なのではなんて危ない考えが頭をよぎる。

 列車は対向列車とのすれ違いの関係で数分遅れで発車する。さらば鬼怒川温泉。やはり日本全国どこでも、うまい飯と良い湯があれば天国である。後は美しい女性との楽しい思い出でもあれば・・・。私と一緒に温泉に行ってくれる女性については引き続き募集中である。

 

 下今市で日光方面からの乗客が大量に乗り込んできて車内はほぼ満員となる。日光もかなりの観光客が来ていたのだろう。去年のこの時期に日光で大変な目にあったことを思い出す。あの時は大渋滞に出くわして、日光湯元温泉に到着するのに5時間以上かかってしまった。あの事件ももう一年前になるのか。なにやら最近は月日が流れるのがやけに早い。

 

 いつの間にやら意識を失い、次に気が付いた時には春日部に到着していた。北千住は次である。最近は北千住辺りに到着すると「帰ってきたな」と感じるようになってきた。ただ今日宿泊するのは南千住ではない。地下鉄日比谷線に乗り換えると南千住を通過して八丁堀を目指す。今日の宿泊ホテルはドーミーイン八丁堀。ドーミーインは温泉大浴場などで人気を博して、ビジネスホテルにも関わらず外国人の人気ホテルランキング上位に食い込むようになり、おかげで宿泊料が急騰して私としては最近は足が遠のいていた。しかし鬼怒川温泉で豪遊?した後にあまりに粗末なホテルに宿泊するのは精神的にキツイと考え、今日はホテル代を少し奮発した次第。

 ドーミーイン八丁堀

 八丁堀駅で降りるとホテルを目指すが、地下鉄からあがったところで目の前に中華料理屋「中華菜館 栄康園」を見つけたので、昼食を済ませておくことにする。もう昼時である。腹が減った。

 注文したのはランチメニューの「担々麺と炒飯のセット(1050円)」。担々麺は私が予測していたよりは甘口。炒飯は私の好みの味付け。オフィスの昼食としてはなかなか良い内容。実際に今日は店内は昼食のサラリーマンらしい客層ばかりであった。

  

 昼食を済ませるとホテルまでプラプラ。それにしも中華料理屋が目立つ町並みである。八丁堀と中国人に何か縁があるのだろうか。しばし歩いて橋を渡った先がホテル。ホテルに到着するとまだチェックイン時間前なので、とりあえずキャリーを預けて身軽になる。これから東京地域美術館攻略である。

 

 まずはこれまた何度も通っている美術館。駅からのアクセスは良いが、その駅へのアクセスに今ひとつ難があるところである。


「ニキ・ド・サンファル展」国立新美術館で12/14まで

 

 原色で女性をモデル化した独特の立像「ナナ」で有名な女流芸術家の展覧会。

 初期の作品は「射撃絵画」などいかにもパフォーマンス優先であるが、この頃の作品はあまり面白いとは感じられない。やはり圧倒的に面白いのは「ナナ」登場以降。彼女は女性という立場についてのこだわりが多々あったらしいが、ナナはまさしく女性を象徴した像であり、そのダイナミックさは因習から解放された自由な女性のイメージそのもののようである。

 私が個人的に興味を感じるのは、彼女の作品のデフォルメされた独特の形態もあるが、やはり極彩色を散りばめた色彩感覚である。まとまりがないように見えてしっかりと計算されている色配置は、彼女の感覚の鋭敏さを示しているようである。


 なお場内には「ブッダ」なる座像があり、これは撮影可だったのであるが、果たしてこれは本当に「ブッダ」だろうか? 彼女の目を通せばこうなるということか。

 ブッダ

 美術館を出ると次の目的地まで徒歩で移動。ここはあまりにも成金オーラが強すぎるので個人的には苦手な施設である。


「逆境の絵師 久隅守景」サントリー美術館で11/29まで

 久隅守景は狩野探幽に師事した狩野派の絵師である。なお表題に「逆境の絵師」とあるのは、彼は二人の子供を設けるものの、娘の雪信は探幽の弟子と駆け落ちをし、息子の彦十郎はトラブルを起こして佐渡に島流しになるという身内の不祥事続きで、探幽の元を離れることになったからである。

 しかし一家離散の状態の中でも彼は絵画を描き続けており、それらの作品は彼の不幸な境遇など感じさせないような牧歌的でのどかな作品が多い。むしろ探幽の元を離れることによって狩野派の縛りもなくなり、結果としては彼独自の自由な境地が開花したという見方も出来るように思われる。

 未だに謎も多く、その作品も制作年などが明らかでないものが多いという。今後さらに発掘と研究が進んで欲しい画家でもある。


 疲れてきたのでここのカフェ「加賀麩 不室屋」「不室屋パフェ(897円税込)」で一服することにする。わらび餅なども入った和の風味のパフェ。ほっこりと落ち着く。

 一息ついて生き返ったところで移動。次の目的地は成金共の総本山の六本木ヒルズ。ちなみにミッドタウンもヒルズも共に地下鉄六本木駅最寄りということになるのだが、実際にはL字型に接続した二駅の両端なので、この間は結構歩かないと行けない。こういう乗り換えやら何やらの度にやたらに無駄に歩かされるのが東京の都市設計の根本的失敗でもある。


「黄金のファラオと大ピラミッド展」森アーツセンターギャラリーで1/3まで

 

 エジプト国立カイロ博物館が所蔵する収蔵品から「黄金のマスク」が展示されると共に、古王国からその後に至るピラミッドの歴史を紹介する。

 石造りの巨大ピラミッドが見られるのは、クフ王、カフラー王、メンカウラー王の古王国の3代のファラオの時代であり、この後はむしろ王家の力が弱まることによってピラミッドが簡便なものになっていったようである。一方で神殿建築などに力を入れ、副葬品なども凝ったものになったようだ。本展の目玉である黄金マスクなども、その工作の技術にはなかなか感心させられるものである。

 ただこの目玉以外は今までの数あるエジプト展でも散々似たようなものが展示されており、これといって珍しく感じられるものはなかったというのが本音。さすがにエジプト展の類いはあまりにやり過ぎているのでは。


 「黄金のマスク」ということで、西洋美術館の「黄金伝説展」と合わせて黄金セット券発売と相成ったようだ。ただあちらは確かにキンキラキンだったが、こちらは意外と黄金は少なく、黄金マスク以外はほとんど石像であった。

 

 今日の目的としていた美術館を回り終えたところで、まだ時間が少々あるので一旦ホテルに戻ることにする。結構ハードに歩き回ったので、コンサートに出向く前に一休みしたい。ここのドーミーは初めてだが、新潟などと同じワンルームマンション形式になっている。最近のドーミーはこの形式が多いが、ホテルをやめた後でも再利用をしやすいことを考えているのだろう。実際にウィークリーマンションなどに転用したところもあるようである。なお私の部屋は手前に三畳分の畳スペースがある奇妙な和洋室。

 ホテルに戻ったのは夜のコンサート前に入浴しておくため。やはりコンサートに出向く前には身を清めて・・・というわけでもないが、汗をかいたままだと気持ちが悪い。

 

 ここの大浴場はナトリウム−マグネシウム塩化物泉の天然温泉付き。やはりこれがあってのドーミーイン。六本木ウォークなどで今日も既に1万歩を越えている。足に疲労は溜まっているし汗もかいた。それらを風呂でゆったりと流す。

 

 1時間ほど部屋でマッタリすると夜のコンサートに繰り出すことにする。今日は7時からすみだトリフォニーホールでリントゥ指揮のフィラデルフィア放送響のシベリウスプログラムがある。

 

 錦糸町に着くとコンサート前に夕食を済ませておくことにする。入店したのは「つばめグリル」。注文したのは「つばめ風ハンブルグステーキ(1200円+税)」

 ホイルで包んだ熱々のハンバーグが出てくる。オーソドックスではあるがなかなかに美味。まあ東京でこれなら上々だろう。それにしても私は今回は東京では見事なほどにチェーン店ばかり使ってるな・・・。

  

 夕食を終えるとトリフォニーホールに向かう。トリフォニーホールに来るのは初めてだが、このコンサートのチケットを受け取りに一度出向いているので場所の確認はバッチリである。ホールに到着した時はちょうど開場直後のようで、ゾロゾロとホールに入場中であるので私もその行列に続く。

 ホールは3階建ての結構大きなもの。2階席がそのままバルコニー席につながって、グッと前の方まで続いているのが大きな特徴。かなり立派なホールである。さすがに東京はサントリーホール以外にもミューザなど良いホールが多い(中にはNHKホールのようなどうしようもないところもあるが)。こういう点は環境的に恵まれていると言わずにはいられない。

 私の席は一階中央付近のかなり良い席。確か予約開始直後に真っ先に電話をかけた記憶がある。努力は報われたようだ。ただ気になるのは場内の入り。ハッキリ言ってガラガラと言って良い状態。大体4割程度の入りというところか。今回はリントゥによるシベリウスチクルスの最終回のはずだが、やはり日本人にはシベリウスは少々地味か。それに今回は交響曲第5番と7番と言ったシベリウスの交響曲の中でも知名度が高いとは言い難い曲なのも響いているのかもしれない。多分今日来ている客は私のような筋金入りのシベリウス好きが中心だろう。


ハンヌ・リントゥ指揮 《シベリウス生誕150年記念/交響曲全曲演奏会》

 

ハンヌ・リントゥ[指揮] 

フィンランド放送交響楽団[管弦楽]

 

曲目

シベリウス/交響詩「タピオラ」、交響曲第7番、交響曲第5番

 

 もう最初の音からグッと来た。まさにご当地サウンド、シベリウスはこうでないとという音色である。ステージに北欧の霧が立ちこめるような感覚。その奥から弦と柔らかい管が響いてくる。

 オケ自体の技量は決して一流というわけではなく、リントゥがペースを煽ると弦のアンサンブルがギリギリの状態になるなどいう場面もあったが、それでもやはり現地オケでないと出せない音色というものが明らかにそこにあった。下手に演奏すると曲全体がグダグダになりかねないのがシベリウスの恐いところだが、最後まで緊張感を保ち続け、決して分かりやすいとは言いがたい交響曲第7番も最後まで興味を持って聴かせ続けさせる美しくて奥深い音楽となっていた。久々に堪能できるシベリウスであった。


 名演を受けて場内の盛り上がりもかなりのもので、空席もかなり多かったにもかかわらず場内は割れんばかりの拍手に包まれた。アンコールの二曲が終わってもその熱気は冷めることがなく、オケ団員が引き上げても場内の拍手が終わらないので、着替えの途中のリントゥがステージに戻ってくる羽目に。

 

 オケにご当地ものばかり求めてしまうのもどうかとは思うが、しかしやはりこういう演奏を聴くとご当地ものの魅力は否定できない。例えば同じ曲をベルリンフィルなどが演奏したら明らかに演奏は数段上手いだろうが、この北欧の感覚というのはどうしても出ないだろうと思われる。こういう確固たるホームグランドがあるという点では、やはりヨーロッパのオケは有利である。日本のオケも技量はかなり上がったのだが、西洋音楽という土俵で戦う以上、常にアウェイである不利は否めない。

 

 満足してホテルに戻ってくると、ドーミーイン名物の夜鳴きそばで小腹を満たし(こういう時にこのサービスは本当にありがたい)、再び入浴してから早めに就寝したのである。今日もかなり疲れた。

  

☆☆☆☆☆

 

 

 翌朝は7時半に目覚ましをセットしていたのだが、目覚ましは鳴らず(夜中の間に電波時計が狂っていた)、夢かうつつか不明の女性の悲鳴のような声(未だにあれが本当にしていたのか幻聴なのかは分からない)で目が覚める。このホテルには何か憑いているのか?

 

 目が覚めると軽くシャワーを浴びてから朝食に出向く。ドーミーイン名物朝食バイキングは昨日の大江戸温泉物語には及ばないが、そこらのビジネスホテルよりは充実している。

 

 しっかりと朝食を済ませると大浴場で入浴する。今日の予定は2時からのサントリーホールでのコンサートと、後は東京駅周辺の美術館のみなのでスケジュールにかなり余裕がある。10時前までゆったりとくつろいでから、ホテルの送迎バスで東京駅八重洲口まで送ってもらう。やっぱり久しぶりのドーミーインは良い。いろいろな部分でサービスが行き届いている。もっともその分、宿泊料も高いのであるが・・・。

 

 東京駅に入場すると重たいキャリーはロッカーに放り込んでしまう。身軽になったところで最初に向かうのは新橋。ここの近くにある美術館が最初の目的地である。


「ゴーギャンとポン=タヴァンの画家たち」パナソニック汐留ミュージアムで12/20まで

 ポン=タヴァンはブルターニュ半島の小さな村で、昔からの町並みやら風俗が残った素朴な土地である。ここに魅了された画家の一人がゴーギャン。「印象派」からの次の展開を模索していた彼は、この地でベルナールらと議論を重ねる内に「総合主義」という新しい絵画様式にたどり着く。この「総合主義」は他の多くの画家にも影響を与え、モーリス・ドニなどの「ナビ派」、さらに「象徴主義」などに結びつく。

 このようなゴーギャンを初めとするポン=タヴァンにゆかりの画家たちの作品を集めた展覧会。これは同時に印象派の次の展開の一つの場面の紹介でもある。

 私はナビ派とゴーギャンの結びつきについては初めて知ったのだが、改めて言われると確かに彼らの絵画の平面的な独特の彩色はゴーギャンのものに近いということに気づいた。もっともゴーギャンはこの先、さらに楽園を求めてタヒチに渡ってその絵画もさらに突き抜けたものになっていくのであるが。

 これも一つの前衛ではあったのだが、ポン=タヴァンという土地に惹かれた画家が中心のためか基本的には具象画の範疇に収まっている作品が多く、前衛の割には分かりやすい展覧会という印象を受けた。


 印象派の次を目指したと言えば、損保ジャパンで展示されていた連中もそうだったし、ここに展示されている連中もそう、さらには後期印象派などの突き抜けた連中もいた。印象派がそれまでの画壇に衝撃を与え、旧来のサロンの権威を崩していったことで、この時代も一種の百家争鳴の時代だったんだなということを感じる。統一王朝崩壊後の群雄割拠して天下を目指した戦国時代のようなものである。ただ結果としては、最終的に誰も天下を取れなかったような気もする。

 

 美術館の見学を終えると次の目的地に向かおうかと思ったが、朝を比較的ガッツリ食ったつもりだったにもかかわらず腹が減ってきた。もう既に昼前だし、次に移動する前にこの辺りで昼食を摂っておこうと考える。隣のビルの2階に「築地食堂源ちゃん」があったので、「鯛ごまだれ丼(950円+税)」を頂く。

 鯛の刺身にコッテリしたごまだれがあえてあるが、これが予想に反して意外にしつこくなくて良い。このまま丼として頂いても良いが、やはり一緒に出てきた出汁をかけて鯛茶漬けで頂くのが最上。普通のあっさり目の鯛茶漬けと違い、ややコクのある鯛茶漬けとなり、これから活動するお昼のご飯としては最適のバランス。

  

 正直なところあまり期待していなかったのだが、予想以上に美味であった。やっばり東京飯はチェーンの方が無難なのかな・・・。

 

 昼食を終えると再び東京駅に舞い戻ってくる。次の美術館はこの駅の西側。ここも良く来る美術館である。赤煉瓦の建物が趣がある。


「プラド美術館展〜スペイン宮廷 美への情熱」三菱一号館美術館で1/31まで

 

 スペインの歴代国王が蒐集した美術品が元となっているのがプラド美術館であるが、今回はその所蔵品の中から小さな作品を中心に集めたとのことである。

 展示作には貴重なボスの板絵なども含まれる。とは言うものの、小品中心ということもあって全体的に印象が地味であることは否めない。そんな中で私にとって強烈に印象に残るのは、やはりムリーリョ。鮮やかな色彩と肌の柔らかさまで伝わってくるようなタッチは神々しささえ感じさせて魅了される。やはりこれは別格クラス。


 この周辺地域の美術館と言えば後は東京ステーションギャラリーぐらいだが、現在の展示は私が名古屋で見た「月映」展なのでパス。出光美術館に行っても良いが、ジョルジュ・ルオーは今ひとつ苦手なので、わざわざ有楽町まで足を伸ばす気に今ひとつなれない。というわけで美術館巡りは今回はここまでとする。

 

 さてこれで美術館の予定は終了だが、まだ開演時間まで1時間強ある。今からホールに向かっても待ち時間が長いだけ。途中でお茶でもしていくことにする。となれば思いつくのはやはり「紀の膳」。気になるのは行列が出来ていたら待っている時間がないことだが、その時は運が悪かったと諦めることにして飯田橋に向かう。

 

 幸いにして待ち客はおらずスムーズに入店できる。注文するのはいつものごとくの「抹茶ババロア」。あぁ、心に染みいるこのうまさ。

 命の洗濯を終えたところでホールに向かうことにする。それにしても私はいつも、この店に来ては怒濤の如くガツガツと抹茶ババロアを食べ、数分で店を後にするおかしな客である。挙動不審に思われないだろうか。

 

 サントリーホールに到着するとすぐに開場。ホールは満員ではないが結構入っている。八割ぐらいの入りというところだろうか。なお私の席はチェコフィルの時と同様のB席なので2階の最後列である。ステージが遠い。


トゥガン・ソヒエフ指揮ベルリン・ドイツ交響楽団

 

ピアノ:ユリアンナ・アヴデーエワ

 

曲目

メンデルスゾーン: 序曲『フィンガルの洞窟』 op.26

ベートーヴェン: ピアノ協奏曲第3番 ハ短調 op.37

ブラームス: 交響曲第1番 ハ短調 op.68

 

 どうもアンサンブルの精度が今一つの印象だ。弦の斉奏は「ダーン」でなくて「バシャーン」という感じだし、管の音色にも濁りがある。特に最初のフィンガルの洞窟がグダグダした印象が強く、どうも精彩に欠ける演奏であった。

 ベートーベンのピアノ協奏曲はピアニストの頑張りもあって表に破綻は現れないのだが、次のブラームスになるともろに弦の乱れが耳につく上に、管とのバランスが悪い。折角のコンマスの独奏を後ろから出張ってきた管がかき消してしまったりなど演奏意図が今一つかみ合っていない印象だ。

 不思議なのはアンコール曲になった途端にアンサンブルの精度が一段向上したこと。いわゆる「ノリ」だけでアンサンブルの精度が変化するとは考えにくいので、これは曲に対する練度の違いなのだろうか。


 ドイツのオケというところで緻密で重厚なサウンドを期待したのだが、その点ではやや肩透かしの感があった。決して下手なオケというわけでもないと思うのだが、なぜか今年はドイツのオケについては全体のバランスやアンサンブルに疑問を感じさせられることが多く、どうもハズレ年だったように感じる。一方でロシアのオケは大当たりの年であった。

 

 4日半でライブ4つと美術館12カ所に鬼怒川温泉日帰りまで含むかなり中身の濃いというか、かけずり回った遠征であった。ある意味でもっとも私らしい遠征である。ただこういう遠征は後で疲労が残るのでほどほどにしないととは思っているのだが・・・。どうしても一旦出かけると「あれもこれも」となってしまう貧乏性だけは克服できない。人間、なかなか自分の性分というものは変えにくいもののようだ。

 

 

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