展覧会遠征 岡山編12

 

 いよいよ夏休みも終わり。と言ってもそもそも社会人には夏休みは存在しない。それにも関わらず、この時期になると何かやり残したことがあるような気がしたり、急にどこかに行きたくなったりするのは幼少期から刷り込まれた不思議な習性である。今年もどうせそうなることは事前から予想はついていたので、8月最終週のこの週末は遠征の予定を入れている。

 

 目的地は岡山。目的は夏に疲れた体を温泉でじっくり癒すというもの。ライブも山城も美術館もターゲットには入っていないという、私としては非常に「堕落した」遠征であるが、実際に慰安旅行でもしないとやってられないぐらい夏の疲労が溜まっている。もっとも疲労の蓄積に反して金銭の方は全く蓄積されていないので、温泉旅館で豪華に宿泊というのもなかなかしにくいのが現状・・・なのだが、ここで登場した頼もしい味方が「岡山ふるさと旅行券」である。これは一万円分の宿泊券が五千円で購入できるという代物。いわゆる「バラマキ地方振興券」の一種である。この春の発売時にこれを三万円分(一万五千円)購入していることから、これで週末に二泊してやろうという魂胆。

 

 金曜の仕事を早めに終えると高速を突っ走って目指すは湯郷温泉。ここは何回か日帰りでは来ているが、宿泊は初めてである。今回はあくまで慰安が目的なので、遠出はせずに近場の温泉を選んだ次第。別府温泉を擁する大分県と草津温泉を擁する群馬県が温泉県の名を巡って争っていると聞いたが、実は岡山県も地味に温泉県だったりするのである。

 

 湯郷温泉は中国道の美作ICからすぐ。今回宿泊するのは「和モダンなお宿かつらぎ」。どうも建物は最近にリニューアルした雰囲気がある。

 チェックインを済ませるとまずは何はともあれ大浴場に向かう。大浴場は宿泊棟とは別棟になっており、内風呂と露天風呂にナトリウム−塩化物泉の湯がダバダバと注ぎ込まれている。源泉はいわゆる湯郷鷺温泉のものらしい。一般的にナトリウム−塩化物泉はベトベトしたものが多いのだが、湯郷温泉の泉質は肌あたりの柔らかいなめらかな湯で、あまりベトツキはない。

 

 風呂から上がると部屋で一服してから夕食のために食堂へ。夕食はオーソドックスな会席。黒豆の絡むメニューが多いのが美作のご当地感。豪勢というほどではないが、品数も多いしうまい。これはなかなか当たりだ。

 夕食を終えるとプラッと散歩がてらに近くのコンビニまで外出。お茶と夜食を仕入れてくると、しばし部屋でマッタリ。寝る前にもう一度入浴してから就寝する。

  

☆☆☆☆☆

 

 

 翌朝は7時まで爆睡。ただ布団が少々硬かったのか、肩などがいささか痛い。目が覚めるととりあえず入浴。朝からお湯で体をほぐす。これはなかなかに気持ちよい。

 

 朝食はレストランで和定食。オーソドックスだがホッとする内容。ここは結構料理が当たりだったな。

  

 ホテルをチェックアウトしたのは9時頃。宿泊料に土産物を合わせ技で1万5千円分のチケットを使用。天候が心配だったのだが今のところは晴天だ。さて今日の予定だが、備中高梁まで赴くつもり。今回の遠征は当初は山城は予定に入れていなかったのだが、備中高梁まで行くなら備中松山城の奥にある「大松山城」を見学したいと考えている。永らく山城とご無沙汰していたので、リハビリにちょうど良いか。

 

 高梁の市街に到着すると案内に従って松山城の駐車場まで車で進む。上の駐車場は狭い上にそこまでの道路がすれ違い困難なほどに狭隘であることから、土日はここで車を置いてシャトルバスで上に登ることになる。ちなみに私が以前にここを訪れた時は、駅前の観光案内所から乗り合いタクシーで上の駐車場まで移動した。シャトルバスの乗り場は駐車場の隣にあり、ここでバスのチケットを購入すると共にお茶や土産物も購入できるし、トイレもここにある。かなり本格的に観光整備されている。

 

 まもなくシャトルバスが到着するが車内はすぐに満員になる。どうもここのところお城ブームが来ているのを肌で感じる。ちなみに備中松山城のキャッチコピーも「天空の城」。何やら日本中がラピュタだらけだ。

 シャトルバスで到着

 上の駐車場までバスで登ると、そこから備中松山城までは15分ほどの登り。以前に来た時の記憶だと「そこそこしんどいが、そう大したこともない」行程だったはずなのだが、現在はしばし山城とご無沙汰になっていたせいで体力が極限まで低下している。以前のつもりで登っていたらあっという間に息切れがして、ついにはゲーゲー言い始める情けない状態。今回の大松山城はリハビリのつもりだったのだが、これはリハビリのためのリハビリが必要なのではないかという惨状。

中太鼓櫓跡

小松山城虎口

 それでも備中松山城の立派な石垣が見えてくると気分は盛り上がる。以前の訪問時には木の根のせいで石垣が崩落寸前になっていた箇所があったのだが、今回見てみると工事の跡があり、どうやら木の根は除去した模様である。やはりこういう定期的な整備をしていないと山城はすぐに朽ち果てる。

虎口を抜けて進むと連なる石垣の向こうに本丸が見えてくる

 ヘロヘロになりながらもようやく備中松山城本丸に到着。ゾロゾロといる観光客は全員天守閣の方に向かうが、私は天守閣に向かわずに裏手に回り込む。大松山城はここからが本番である。

 備中松山城が近世城郭なら、その裏手にある大松山城はそれ以前の中世城郭である。かつてはこちらの方が本城であったのだが、近世になってより手前に拠点を移したことになる。現在の備中松山城は、元々は小松山城と呼ばれていた部分だとか。この小松山城の近世城郭としての整備にはかの小堀遠州が関わっているという。

左 本丸の脇をすり抜ける  中央 搦め手門跡  右 本丸裏手にでる

 松山城の本丸を回り込んで搦め手門よりさらに奥に進むと、大松山城を示す案内看板がある。それに従って進むとかなり降りていくことになる。堀切を木橋(案内には土橋とある)で渡ったところから先が大松山城の領域になっていく。手前の松山城が大勢の観光客でごった返しているのに対し、こちらに向かう者はどうやら私しかいないようである。

左 案内標識に従って進むと  中央 かなり降りていくことになる  右 堀切を木橋で渡る

 橋を渡ってから細かな石垣がある中を登っていくと広い削平地に出る。これが相畑らしい。用途はよく分からないが、大松山城の手前を守る曲輪だろうか。

左 さらに奥に進むと  中央 斜面を登っていくことになる  右 細かい石垣があちこちにある

この削平地が相畑

 ここからさらに登ると天神之丸と本丸方面への分岐に当たる。とりあえず天神之丸に立ち寄る。ここは大松山城手前の独立峰で、これだけでも小規模な城郭を作れる構造になっている。また中央には祠らしきものが建っていた跡がある。ここは松山城の裏手を守る要地でもある。かつて松山城に籠もる三村氏が毛利氏の攻撃を受けて落城した際、最初に落城したのがこの天神之丸とのことである。

左 分岐にさしかかる  中央・右 ひたすら登っていく

左 天神之丸に出る  中央 祠のあった跡がある  右 そこそこの広さの曲輪だ

 再び戻ってくると大松山城本丸を目指す。大松山城は一番奥に位置しており、小松山、天神之丸、大松山とかつてはこの尾根上に一大要塞を築いていたことが覗える。大松山城は本丸の奥に二の丸、三の丸と並んでおり、全体であわせるとそれなりの面積の曲輪となっている。周辺は断崖であり、これは守るには格好の地形だったろう。また井戸もあり水の確保も出来たようだ。

先ほどの分岐を左の方にどんどんと進む

左 ようやく大松山城に出る  中央 奥の高くなっている部分が本丸  右 途中に井戸もある

左 本丸  中央 その向かいが二の丸  右 二の丸の奥に堀切を隔てて三の丸
 

 以前に備中松山城を見学した際には、かなり小規模な山城という印象を抱いたが、こうやって大松山城まで含めて考えると尾根上に展開する大要塞であり、構造としては浅井氏の小谷城に近いものがある。この辺りを押さえる実力者にはふさわしい城郭ということになる。

 

 大松山城の見学を終えると戻ってくる。本丸の脇に大池なる貯水池があるとのことなので帰りに立ち寄ろうと考えていたが、疲労でボンヤリしていたせいで忘れて通り過ぎてしまった。戻ろうかとも思ったが、疲労がかなりキツイのと、空模様がやや怪しくなってきたことから今日はこれでやめにしておく。

   

裏手から戻ってきた

 駐車場のところまで降りてくると、多くの観光客がシャトルバスの到着を待っている。しばらく後にようやくバスが到着。バスは満員で立ち客もいる状態で下の駐車場に向かう。

  下の駐車場に降りてきた

 これで長年の宿題も解決である。ただいささか疲れた。久しぶりの山城の上に結構距離と起伏もあったのでかなり体にダメージもある。これは後でツケが来そう。

 

 高梁の市街に降りてくると、武家屋敷の見学をすることにする。松山城から降りてきたところに武家屋敷街が残っており、往時の面影をとどめる武家屋敷が二軒(旧折井家と旧埴原家)あるのでそこを見学。どちらも特に何らかの変わったところがあるわけではないが、旧折井家の方は往時を再現した人形を置いており、玄関を入ったところに置いてある家臣の像は突然に動くもので驚かされた。私が一回りした後に入ってきた老夫婦も玄関のところで「ヒャッ!」という声を上げていたのでやはり驚いたのだろう。あれは心臓に悪い。

左 武家屋敷街  中央 旧折井家  右 屋敷の玄関

左 この人形が唐突に動く  中央・右 内部は普通の屋敷です

左 武家屋敷街を移動  中央 これが旧埴原家  右 玄関
 

 武家屋敷街の見学を終えるとさらに下ってくる。こちらは街道沿いの商家町になるらしい。観光駐車場に車を置くと町並み見学と洒落込むことにするが、この頃になると雨がぱらつき始める。とりあえず町並み散策の前に腹ごしらえ。町の一角にある「つくしんぼ」で昼食を摂ることにする。注文したのは「おろしそばの定食(850円税込)」

   

 オーソドックなそば定食だが、天ぷらはサクッと揚がっているし、そばも腰があってまずまず。観光地の店と言うよりも普段使いの店のイメージ。

 

 腹が膨れたところで町並み散策の続き。この辺りは美観地区になっているようで、古い建物だけでなく、それに併せてデザインした新しい建物も入り交じっている。かつてこの辺りは街道の宿場町としてだけでなく、河川の水運でも発展したらしい。あちこちにある路地はその時に船荷を運んだ通路の名残とか。町並み全体は往時の風情をとどめておりなかなか。重伝建以外にもこのレベルの町並みがまだ各地に残っているのはありがたい。

 

 町並み見学の最中に、高梁市歴史美術館で「清水比庵展」を開催中との情報を得たので、町並み見学の後に立ち寄る。

 


「没後40年清水比庵−ふるさと春秋−」高梁市歴史美術館で9/21まで

   

 高梁出身で日光町の町長の経験もあるという文人画家の清水比庵の展覧会。

 画風としては富岡鉄斎を連想させるような、自由で伸びやかな墨絵である。彼の作品は製作三昧の生活となった70歳代後半からのものが多いというが、この辺りも富岡鉄斎と被るところ。感動させるという類いの作品ではないが、どことなく楽しげで自在なその作品は見ていて気分が明るくなってくることは確か。


 これで高梁での予定は終了。まだ3時頃だがとにかく疲れた。今日はたかだか1万2千歩程度だが、山道を含んでいるので歩数以上にハードである。雨もぱらついているし、これからどこかに立ち寄るという気も起こらないのでホテルに直行することにする。

 

 今日の宿泊ホテルは国民宿舎サンロード吉備路。以前に日帰り入浴を利用したことがある人気施設である。ここで旅行券の残りを使い切る予定。

   

 チェックインを済ませると大浴場に直行する。とにかく今日は汗をかいたのでサッパリしたい。ここの浴場は大理石風呂と岩風呂があり、男女で日替わりの模様。今日は男湯は大理石風呂のようである。雰囲気からしてそもそもは女湯として考えられていた施設のように思われる。こちらは以前に利用したことのある岩風呂よりもやや手狭。しかも人気施設なので大浴場は大勢の日帰り客でごった返している。泉質はアルカリ単純泉の若干ネットリした印象のある湯。肌に良く馴染む上質の湯である。温泉マニアが喜ぶような個性のある湯ではないが、普段使いには最も適したタイプの湯と言えよう。これが人気の秘密だろう。

 

 温泉でくつろぐと、売店で土産物屋やソフト、さらにご当地サイダーの白桃サイダーを購入。桃の味がさわやかな結構いけるサイダー。

 

 夕食は6時からなのでまだ時間に余裕がある。部屋でマッタリしていると急激に疲労が襲いかかってくる。結局はベッドに横になって夕食時間までは半分寝ているような起きているような状態で過ごす。

 

 ようやく夕食の時間が来たのでレストランへ。夕食は会席メニューだが、私のプランにはそれにステーキが付いてくるというもの。なおご飯についてはご自由にということなので、私のように酒を飲まない人間にはありがたい。特別に驚くような料理はないが、いずれも味は良く、またステーキが加わったためかボリュームもかなりある。食後にこれもご自由にのアイスクリームまで頂いたところで、かなり腹が重い状態に。久しぶりにかなりガッツリ食べたように思う。

 

 夕食後は部屋でマッタリ。とにかく疲れているので何かをするという気力が湧かない。ボンヤリとネットサーフィンをやっていたら、来年の1月にシカゴ交響楽団が来日という情報が飛び込んでくる。指揮はムーティだとのこと。これは行かなければとさらに調査したら、会場は音響が最悪なことで知られる東京文化会館だし、しかも日程は月曜日と火曜日とのこと。関西公演はなし。これは条件が最悪に近い。さらに料金はS席39000円・・・絶句。さすがにシカゴ響、どんだけぼったくるねん! 一番安いE席でも14000円・・・これって私が今年買った一番高いコンサートチケットの価格と同じである。しかもどうせE席なんて数席しかなくて、発売開始と同時に瞬殺されるんだろう。また運良く入手できたとしても、最上階の一番奥のステージもろくに見えない席だろう。うーん、玉砕覚悟で挑戦するべきかどうかが判断のしどころ。しかしどれだけ無理して頑張ってもせいぜいC席22000円が私が払える限界(これでも清水の舞台から紐なしバンジーするぐらいの決意がいるが)。

 

 部屋でボケーッと過ごすと、日帰り入浴時間が終了して清掃も終わった9時半に再び大浴場に入浴に行く。今度は浴場は静まりかえっていて客も数人でゆったり出来る。これが宿泊客だけの特典。あちこちに疲労が溜まっている体をゆったりとほぐしておく。

 

 部屋に戻るとグッタリと体が重い。そのままさっさと就寝する。

  

☆☆☆☆☆

 

 

 翌朝は7時まで完全にグッタリと死んでいたようだ。明らかに昨日の山城のダメージが脚を中心として全身に来ている。とりあえず朝風呂で目を覚ますと共に体をほぐしてから、8時前に朝食へ。朝食は和洋両対応のバイキング。今朝も朝からガッツリと頂く。

 部屋に戻ると今日の予定の事前調査。実は昨日の晩に調べておくつもりだったのだが、とにかくしんどすぎて何もする気も起こらずに寝てしまった次第。今日はこの周辺の古墳巡りをするつもり(そのつもりでこのホテルを選んでいる)なので、そのおおよその場所を調査して巡回ルートをザクッと決めておく。

 

 ホテルをチェックアウトしたのは9時。早速最初の目的地へと向かう。最初に向かったのは作山古墳。国指定の史跡である前方後円墳である。規模としては全国で第九位とのこと。サンロード吉備路からは車で10分とかからない。古墳の回りの路地をグルリと走っていたら、古墳の西側に見学者用駐車場を発見、そこに車を置いて徒歩で見学に向かう。

 

 上に登ってみたら巨大な丘陵である。自然丘陵を加工して作成した前方後円墳であり、そのために形態にやや歪みがあるとか。しかし鬱蒼としているせいで上からでも全体の形状は把握しにくい。なおここはまだ本格的な発掘が行われていないとのことで、墓の主は恐らく後円部の地中深くに眠っているのではないかとのこと。

左 前方部頂上  中央 後円部に向かって移動  右 後円部頂上
 

 作山古墳を見学した後はこうもり塚古墳の見学に向かう。この古墳はホテルの東側でこれも10分もかからない。この辺りには備中国分寺跡や国分尼寺跡などの遺跡もあり、見学者用の県営駐車場が中心にあるのでそこに車を置く。

 

 まずはこうもり塚古墳を見学。ここは規模としては先ほどの作山古墳に劣るが、内部の石室が発掘されており、巨石を利用した石棺を見学できるのが特徴。石室も巨石で組んであり、工作機械のなかった古代のことなので、かなりの労力がかかってあろうことが思われる。ちなみにここと私が以前に見学したことのある牟佐大塚古墳、さらに箭田大塚古墳の三つを岡山県下三大巨石古墳と数えるらしい。

石室内には巨石を使用した石棺が安置されている
 

 この近くに吉備路文化館があり、版画作品展を開催しているとのことなので立ち寄る。展示されていたのはルオー、藤田嗣治、シャガール、ピカソ等の有名どころの版画作品。唸るほどの作品はなかったが、入館無料なのでまあこんなものか。

左 吉備路文化館  中央 旧山手村役場  右 旧松井家住宅
 

 次はその奥にある国分尼寺跡を覗く。とは言うものの、今はダラダラした斜面に礎石の跡が残るのみ。それなりの規模の寺院だったことは分かるがそれだけ。

左 築地土塀跡  中央 中門跡  右 内部

左 金堂跡  中央 礎石が残る  右 講堂跡
 

 国分寺跡の方は、今はその一部にお寺が建っている。備中国分寺が中世に廃城になった後、江戸時代に日照山国分寺として再興されたのが今日の姿とか。元々の備中国分寺はもっと規模が大きかったらしく、もっと南に門があったようである。

左 南門跡  中央 伽藍配置図  右 日照山国分寺
 

 最後に造山古墳を見学しておくことにする。造山古墳はここからさらに北東方向にあり、遠くから見ると完全に小山である。こちらは規模としては県内第一位、全国でも第四位だとか。なお上位三つは仁徳天皇陵、応神天皇陵、履中天皇陵でいずれも宮内庁管理下で立ち入りが禁止されているので、自由に立ち入れる古墳では最大ということになる。案内に従って進むと見学者用駐車場が完備されている。

 

 車を置くと徒歩で登るが、これがちょっとした山城見学の風情。しかも山城に付きものの「まむしに注意」の看板まで立っている。案内に従って登ると前方部に到着。ここには神社が建っているが、その脇に手水鉢よろしく鎮座しているのが石棺のようだ。

左 登り口から鬱蒼としている  中央 出た!  右 前方部頂上

左 神社になっている  中央・右 まるで手水鉢のように置いてあるのが石棺らしい
 

 ここから後円部に向かうが、通路は鬱蒼としていて下草をかき分けて進む必要がある。先ほどの「まむしに注意」の看板が気になるところだ。後円部の周辺は何段かに削平した跡があるのだが、これは後世に城か畑にされた跡だとのこと。城にするには絶好の立地なので、私がこの地域の大名だったとしてもこの上に城を作ったろう。ただ古墳だけに水場はなさそうであるが。

左 下草をかき分けつつ後円部へ  中央 後円部頂上  右 前方部方向を振り返る

見晴らしは非常に良い

 ザクッと吉備路の古墳群を一回りしたが、やはり古墳は登ってみるとただの山みたいなもので、どうしても山城などに比べると見所に欠けるというのが正直な印象。やはり古墳は発掘していくらというようなものに思われる。仁徳天皇陵を世界遺産にという声もあるが、あれなどは宮内庁管轄で立ち入れないだけに余計見所がないだろうから、世界遺産にすると言ってもしんどいのではないか。近くで見ても川の向こうに見える鬱蒼としたただの小島というだけである。日本では天皇の墓という可能性が出てきたらその時点で発掘が中止されて閉鎖されてしまうが、明治天皇や大正天皇の墓を曝くわけでもなく、千年以上前のご先祖(?)の墓なんて今の天皇と関係ないのではないかと思うのだが? 実際にこの制約が古代史解明の障害にもなっているし、天皇も人間宣言したわけだし、そろそろ考え直すべき時期ではないか。

 

 これで本遠征のすべての予定は終了、帰途についたのである。そもそもはふるさと旅行券を使うのが目的のような遠征で、明確な目的もプランもなかったのだが、大松山城が意外に見所があってなかなかに良かった。ただ当初に考えていた「温泉でゆったりと夏の疲れを癒やす」というプランのはずが、終わってみたら山城と古墳を歩き回ってグッタリの内容になってしまったというのは完全な読み違いであった。どうも温泉でゆったりというところまでまだ枯れていないようで、毎回のように「温泉でグッタリ」になってしまうのはなぜ?

 

 

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