展覧会遠征 大阪編10

 

 ドタバタとした一週間であったが、最後までドタバタとしていた。この金曜日はまた大阪に出張。そこでそのまま週末の大阪ライブに突入と相成った次第。出張の目的であった会議を夕方に終えるとようやくフリータイムになる。

 

 このままホテルに入ってもいいんだが、それは面白くない。そこでザ・シンフォニーホールで開催される日本センチュリーのコンサートを聴きに行こうと考える。当日券は18時から窓口販売があるはず。福島には早めについたので軽く夕食を摂っておくことにする。目についた店「上等カレー」に入店。カツカレー(1000円)を注文。

  

 カレーには生卵がついてくる。私はカレーに玉子は邪道と思っている人間なのだが、ここのカレーは玉子との相性が実に良い。こういうカレーもありである。


日本センチュリー交響楽団 第201回定期演奏会

 

[指揮]アラン・ブリバエフ(日本センチュリー交響楽団首席客演指揮者)

[ヴァイオリン]ヨシフ・イワノフ

[管弦楽]日本センチュリー交響楽団

 

ムソルグスキー(リムスキー=コルサコフ編曲):歌劇「ホヴァーンシチナ」より前奏曲“モスクワ川の夜明け”

ショスタコーヴィチ:ヴァイオリン協奏曲 第1番 イ短調 op.77

ムソルグスキー(ラヴェル編曲):組曲「展覧会の絵」

 

 アンサンブルがなかなかに優れているという印象である。以前に聴いた時にはやや弦が非力な印象を受けたが、今回はそんな印象はない。最初の二曲はやや小編成のオケでの演奏だが、これが本来のセンチュリーの構成だろう。

 ヨシフ・イワノフのバイオリンに関しては、非常に技術のしっかりした安定感のあるものという印象。ただ生憎と曲の方が私の好みと違うので、残念ながら大幅に魅力ダウンで聞こえてしまう。

 最後はトラも加えての大編成で派手なオーケストラ曲。これが管楽器の頑張りでなかなかに映える。チューバがやや危ないシーンもあったが、トランペットが頑張っている。華やかな音色で曲自体を盛り上げる。ブリバエフの指揮もメリハリの効いたもので、ラヴェルによる極彩色のオーケストレーションを最大限に生かした演奏となっている。

 なかなかの名演。正直なところセンチュリーの技量を侮っていたというところである。これがセンチュリーの本来の実力なのか、それともバリバエフによって引き出されるものなのか。とにかく今日聴いた限りでは、管の安定性などは明らかに一昨日の大フィルを遙かに越えていた。


 コンサートを終えるとホテルに直行する。今日の宿泊ホテルは江坂のジーアールホテル。GRと言うと「ジャイアントロボホテル」か? それはともかくとして、最近宿泊料の高騰が著しい大阪周辺のホテルの中でようやく見つけた妥当な宿泊料のホテルである。もっとも、昨今はこういうホテルは必然的に外国人が多くなる。

 

 大浴場でゆったりとくつろいでからこの日は就寝する。なかなかに疲れた。

  

☆☆☆☆☆

 

 

 翌朝は7時頃まで熟睡。朝風呂と朝食で目を覚ます。

 

 テレビをつけたら深読みで「東京では高齢者の面倒をみれないので、高齢者は地方に移住してほしい」といった馬鹿げた話をしている。地方の方がむしろ高齢化が進んで面倒を見るためのマンパワーが不足しているというのに、東京の高齢者を地方に押しつけようとは東京至上主義も極まれりである。こんな問題が発生するということ自体が東京が都市として成立しない限界に来ているという証明なんだから、こんなアホな答申を出している暇があったら、どうやったら東京集中を解消できるかでも議論しろと言いたい。視聴者の意見などもほぼ似たようなものが多かったようで、誰が考えても当たり前である。もはや東京解体は待ったなしである。日本中のマンパワーをかき集めて地方を衰退させた挙げ句に、東京自体はその重みで沈みかけているのだから、東京を解体して地方を活性化することこそが最大の成長戦略になる。成長戦略とは市民から金を巻き上げて自分の取り巻きにばらまくための口実だと考えている今のアホな政権を何とかしないと日本は沈む。戦争なんかよりもやるべきことはいくらでもある。

 

 10時になると東京オペラシティに電話。秋に開催されるフィンランドラハティ交響楽団のセット券を手配する。先日の東京訪問で友の会会員になっているので優先予約である。なかなか良い席を確保できた模様。

 

 チケットの手配が終わるとホテルをチェックアウトする。今日は阪神間の美術館に立ち寄ってから西宮の兵庫県立芸術文化センターでのPACオケのコンサートに行く予定。その前に重たいキャリーは途中の新大阪で今晩宿泊予定のホテルクライトン新大阪に預けておく。両ホテルの距離を考えると、最初からクライトンかジーアールのどちらで二泊しておけば良かったように思えるが、実は土曜日のクライトンは大分前から押さえていて、そこに急遽金曜の出張が入ったことから金曜日の宿を探したのだが、クライトンには空きがなかったという次第(さらに直前になると価格が高くなる)。

 

 トランクを預けてから大阪まで移動すると、ここから阪神で香櫨園に向かう。西宮の行きつけの美術館の訪問である。


「没後20年 具体の作家−正延正俊」

「阪神間で活躍したグラフィックデザイナー 今竹七郎」大谷記念美術館で8/2まで

  

 戦前に公募展などに出品していた正延正俊は、吉原次良に指導を仰いだことで、風景画などから抽象画に移行し、前衛美術グループの「具体」に参加した画家である。その正延正俊の画業を紹介するとのこと。

 はっきり言って私は彼の作品には全く面白味も魅力も感じない。二階の展示室には、最初具象画を描いていたところからあのような抽象画に至るまでの過程の作品を並べていた。しかし私の目には、この程度の画力だといずれ行き詰まるのが見えているから、楽な道に逃げたというようにしか見えない。

 むしろ面白かったのは、同時開催されていた今竹七郎。メンソレータムや風邪薬ダンのパッケージをデザインした人物である。いかにも戦前の「ハイカラ」なデザインから、戦後の時代に合わせたデザインまで、その変遷と一貫して変わらない部分を同時に感じることができて、なかなかに楽しかった。


 美術館の見学を終えたところでちょうど昼時。途中で見かけた店「まめ」で昼食にする。カニクリームコロッケ(1296円)を注文。

  

 可もなく不可もなくの普通のコロッケといったところ。まあ普通に昼食につかえる店だが、どちらかという夜営業の方がメインなんだろうか。

 

 昼食を終えたが、まだ開演時刻の3時までにはかなり時間がある。今から西宮北口に移動したのでは向こうで長時間待つ必要ができる。そこで三宮まで移動して、もう一カ所立ち寄ることにする。


「輝きの静と動 ボヘミアン・グラス」神戸市立博物館で8/30まで

  

 プラハ国立美術工芸博物館が所蔵するボヘミアン・グラスを展示。その黎明期から現代に至るまでの作品を集めている。

 初期のものはかなりシンプルで素朴なものであったが、それが時代が進むにつれてゴテゴテと装飾されるようになってくる。またエナメル着色で彩色されたようなものも登場する。

 個人的には17世紀後半以降の、ガラスの透明度が上がってきてからの作品が一番興味深い。素材の透明感と共にデザインも洗練されてきて、工芸品としてのレベルが一段上がっているような印象である。

 この後は色ガラスを用いたまるで陶器のような作品が現れたりもするが、その内にアール・ヌーヴォーやアール・デコの影響を受けた作品が現れ、現代に至っては最早実用性は除外した単なる「作品」となる。まあこれは近代陶芸も似たようなもので、これはこれで技術的には非常に興味深いものはある。

 ヴェネチアン・グラスの展覧会は以前に見たことがあるが、ボヘミアン・グラスは初めてである。初期はいかにも垢抜けていないという感じであったが、時代が下ってくると洗練の度がドンドンと増していっているのが非常に面白かった。


 それにしてもこの博物館は駅から遠い。三宮から往復したら結構足にダメージがある。かなり疲れて西宮北口に到着。時刻はまだ開館直後。なかで待つだけを急いでも仕方ない。駅内の喫茶で抹茶パフェを頂いて休息する。

 一息ついた後に会場へと向かう。会場は9割以上は埋まっているようである。毎度のことながらここのコンサートは盛況だ。


兵庫芸術文化センター管弦楽団 第80回定期演奏会

 

指揮 ユベール・スダーン

クラリネット マイケル・コリンズ

管弦楽 兵庫芸術文化センター管弦楽団

 

ウェーバー:歌劇「オベロン」序曲

ウェーバー:クラリネット協奏曲 第1番 ヘ短調 op.73, J.114

シューマン:交響曲 第2番 ハ短調 op.61 (マーラー編曲版)

 

 オケメンバーの顔ぶれが若干変わったように思われるが、やや暴走気味の管に弦を重ねていくというPACサウンドは相変わらずのようである。

 コリンズのクラリネットは実に美しい音色。この曲は私は全く知らない曲なのだが、軽妙でかなり楽しめる曲。

 シューマンの2番は以前に聴いたことがあるものと若干印象が異なると思ったら、マーラー編曲版とのこと。通常の版とどこが異なるか細かく指摘できるほど私はこの曲に詳しくはないのだが、オーケストレーションがかなり複雑な印象を受けたのはマーラーたる所以か。シューマンの交響曲はオーケストレーションに難があって退屈などと言われることもあるが、そういう部分が一切感じられないなかなかの名演であった。


 PACオケは例によってやや荒いところもあったものの、概ね好演であったと思われる。シューマンが特に楽しめた。昨日に続いて満足度の高い演奏会である。

 

 非常に疲れた。出張の続きで出かけたので、革靴のままであるところに長距離の歩行で脚にダメージが大きい。ホテルに向かう途中で大阪に寄って夕食にしようかと思ったが、それもしんどいので一気に南方まで行ってしまう。ホテルに入る前に駅周辺で夕食を摂るところを探したところ「小だるま」なる串カツ店を見つけたのでここに入店。

 「串カツ5点盛」「味噌カツ」「鶏皮」「大根と豚肉の味噌煮」などを適当に注文。いずれもなかなかにうまい。最後にご飯ものが欲しくなったので「ステーキ丼」を追加。以上にドリンクとしてコーラをつけて支払いは2000円ちょっと。なかなかにCPが高い。さすがに大阪。

 夕食を終えるとホテルに入って一休みしてから大浴場へ。とにかく脚にダメージが蓄積しているのでゆったりと入浴。烏の行水の私にしてはなかなかの長風呂を楽しんだが、最後はやかましい親子連れ(どうしても子供は甲高い声でキーキーと吠える)が来たので退散する。

 

 入浴後はマッサージチェアで体をじっくりとほぐし、この夜はかなり早めに就寝する。明日に疲れを残したくない。

  

☆☆☆☆☆

 

 

 早めに寝過ぎたせいか、夜中の3時頃に一度目が覚め、その次には6時頃にもう一度覚醒、それでも意地で8時過ぎまで寝込む。昨日十分に体をほぐしたせいか、幸いにして脚の痛みとか腰の痛みなどはない。ただ全身にはかなりの疲労感がある。当初の予定では今日は大阪市内の美術館2カ所に立ち寄ってからザ・シンフォニーホールに向かうつもりだったが、それを最寄りの1カ所だけに減らして、ホテルのチェックアウト時刻の11時近くまでグダグダすることにする。

 

 ホテルをチェックアウトすると地下鉄で淀屋橋まで、目的の美術館はここから少し歩いたところにある。


「黄金時代の茶道具−17世紀の唐物」大阪市立東洋陶磁美術館で6/28まで

  

 室町時代には「唐物」と呼ばれる中国の美術品が珍重されたが、室町末期から戦国時代にかけて珠光の佗茶の概念などが登場するにつれ、美意識の変化が見られることになる。16世紀末からは千利休、古田織部などの茶人の台頭で茶の湯の世界は大きく変化していくことになる。そのような時代の茶道具などを展示。

 室町時代には油滴天目などのような豪壮華麗な茶碗が好まれたようだが、それが利久以降は急速に渋いものに変わっていく、そこに織部で奇想が加わってというように、時代の変遷が露骨に現れているのが興味深いところ。また茶器の流行は権力者の志向も反映しており、茶の湯と政治は不可分のものであったことも覗える。器の好みを見ていると、その人物の人柄も見えてくるようなところに面白味がある。


 この美術館を訪問するのは久しぶりだが、相変わらずなかなかに見応えのある逸品が多い。ただ個人的には中国・朝鮮の陶磁器よりも、日本国内の焼き物の方が興味がある。

 

 美術館の見学を終えるとホールに向かうことにする。京阪と環状線を乗り継いで福島へ。コンサートの前に昼食を福島周辺で摂っておく。入店したのは以前通りかかった時に気になっていた洋食店「レストランイレブン」「タンシチュー(2150円)」にご飯をつけて頂く。

 コクのあるデミグラスソースがなかなかにうまい。結構本格的なタンシチューである。なおここでは保温のために鉄板に乗って料理が出てきているが、確かにこれは冷めにくいかもしれないが、時間が経つとソースが煮詰まってくる弊害もあるので、私としては皿に盛った方が良いような気がする。タンシチューと言うからにはソースも頂きたいところである。

 

 昼食を終えるとコンサート会場へ。そこそこの知名度があるオケの割には入場券が比較的安価であるためか、会場内はほぼ満席。さらに補助席も出ている模様である。


プラハ放送交響楽団

 

[指揮]オンドレイ・レナルト

[管弦楽]プラハ放送交響楽団

 

スメタナ:連作交響詩「わが祖国」より 「モルダウ」

ベートーヴェン:交響曲 第7番 イ長調 op.92

ドヴォルザーク:交響曲 第9番 ホ短調 「新世界より」 op.95

 

 チェコの名門オケが十八番中の十八番をひっさげての来日公演である。

 もう一曲目の「モルダウ」は冒頭からゾワゾワするほどの演奏。弦の響きが上手い下手などを超越して「ああ、これがチェコの響きなんだな」という渋さ。目の前にモルダウの流れが浮かぶかのようである。いかにも十八番らしく、オケに余裕が感じられるような演奏である。

 一方、ベートーベンになるとやや粗さも目立つ。基本的にこのオケはブイブイ鳴らしたがる傾向があるようだが、管が無闇に出てきた挙げ句に音程が怪しかったりなんて部分も散見される。

 ところがさすがに十八番と言うべきか、新世界になるとこれがアンサンブルの精度が数段上がる。オケのメンバーもノリノリなのが演奏に現れている。また新世界と言いつつ、舞台はアメリカではなくて明らかにスラブの舞踏的要素が入った曲であるという側面がもろに正面に出てきた演奏でもある。十八番の余裕で少々リズムを振ろうが何をしようがアンサンブルは乱れない。恐らくこの曲なら、目をつぶっていても演奏できるのだろう。オンドレイ・レナルトの指揮も、ツーカーのオケとの間で完璧に意思疎通させながらのもの。オケの鳴らしたい方向に鳴らさせながら、ところどころ手綱を締めている雰囲気である。

 アンコールはお約束通りというかドボルザークのスラブ舞曲の第8番と第15番が来た。もうここまでくるとオケは楽しみまくっているという印象で、アンドレイ・レナルトも指揮をすると言うよりも指揮台の上で踊っているような状態。ノリノリの大盛り上がりのまま終了と相成った。


 十八番の強みというか、スメタナとドボルザークになると演奏のレベルが桁違いに上がるという極端さが非常に印象に残った。会場の盛り上がりもかなりのもので、最後に楽団員が引き上げる時まで拍手が続いた。

 

 なおこのコンサートはヒガシマルがスポンサーとのことで、コンサート参加者にはちょっとどんぶりと瓶入り出汁がお土産に配布されたのである。ヒガシマルとプラハの関連がちょっと浮かばない。

 

 これで今回の遠征は終了。今回も満足度の高いコンサートを堪能できたのである。なお今回の公演で日本センチュリーに対する認識を少々改めたことから、それを確認するために秋のいずみホールでのハイドンのチケットを入手したのであった。

 

 

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