展覧会遠征 東京編10
6月になり梅雨に突入、鬱陶しい天気が続く今日この頃だが、この週末は東京に遠征することにした。目的は当然のように東京地域の美術館攻略だが、今回は東京地域のオケを聴いて回るということにも力点を置いた。言うまでもなくオケに関しても日本は東京一曲集中が甚だしいが、以前に都響の大阪公演を聴いたところ、やはり東京のオケの実力は侮りがたいということを感じたので、どうせ東京に行くなら東京地域のオケの実力を見定めてやろうという考えがある。
今回は二泊三日の行程で3つのライブを回ろうという予定。まず第一段は金曜日の夜のN響から。しかし仕事が定時に終わってから出ていたのでは当然ながら公演時間に全く間に合わない。この日は半日休暇を取得して昼一から出発する。
新幹線の中で昼食に穴子飯を頂くと、東京に着くまでしばし一人戦略会議である。品川で新幹線を降りると、山手線で新宿を目指す。コンサート開演の19時までにこなしておくべき予定がある。まずは新宿の美術館に立ち寄る。
「ユトリロとヴァラドン 母と子の物語」東郷青児記念損保ジャパン日本興亜美術館で6/28まで
画家として女性として奔放に生きたシュザンヌ・ヴァラドンと、その子でパリの風景を描き続けたモーリス・ユトリロの二人の作品を集めた展覧会。ユトリロは多作のためにあちこちでその作品を見かけるが、ヴァラドンの作品が集められるのは珍しいように思われる。
ユトリロはそもそもはアルコール依存症の治療の一環として絵画を描き始めたのだが、最初はたどたどしい印象のある作品が、時代が進むにつれてかなり技術的に洗練されていっているのは作品から見て取れる。ただ作品としての精神性のようなものは初期の作品の方に強く見受けられる。この頃の作品は試行錯誤を重ねながら心の丈をぶつけているような迫力がある。
一方のヴァラドンであるが、時代が進むにつれて作品が大胆になり個性が現れてきている。初期の作品はやはり交流のあった回りの画家たちの影響がかなり強く出ているのだが、時代が下るにつれて画家としての地位も確立して自信が出てきているのか、自分がかなり強烈に前面に現れている印象だ。
親子ということでまとめての展覧会なのだが、その作品に関してはかなり志向は違うように思われる。ヴァラドンの作品が極めて強烈に外向きなだけに、逆にユトリロの作品の内向性が鮮明に現れていたような印象である。
美術館見学の後は京王で初台まで移動、オペラシティに立ち寄る。見学するのはここのギャラリー。ちなみにここの友の会の会員になるとギャラリーが無料になる。1年に3回以上行けば元が取れる計算なので、ついでに会員になっておく。
「高橋コレクション展 ミラー・ニューロン」オペラシティギャラリーで6/28まで
精神科医・高橋龍太郎氏の収集による現代アートのコレクションを展示。展示作は草間彌生の水玉カボチャから始まって、奈良美智の目つきの悪いガキンチョに森村泰昌のコスプレ写真など、この手の現代アート展では定番どころの一発ネタがオンパレードである。とにかくそのコレクションの多様さと範囲の広さに驚かされるところ。
各人各様で、一発ネタもここまで揃えば圧倒されるところである。日本の現代アートの現状を概観するのにも良いだろう。
現代アートにはほとんど興味がないというか端的に言うとむしろ嫌いである私でも、内容の多彩さのおかげで意外と楽しめた。一発ネタ芸人も数を揃えれば何とかなるという感じだろうか。
ギャラリー見学後は、地下のそば屋で軽い夕食を食べてから京王と山手線を乗り継いで原宿に向かう。NHKホールは原宿から徒歩10分ほどである。開演の30分前ぐらいだが、かなり大勢がゾロゾロと歩いている。
NHKホールは初めてだが、印象は「デカッ!」の一言。とにかく巨大なホールである。普通のコンサートホールの客席の周りにもう一回り客席がついている印象。私の席は2階席の中段付近だが、ステージまでが絶望的に遠い。シンフォニーホールやサントリーホールの一番奥ぐらいのイメージだ。それにシートピッチもやや狭いように思われるので、とにかく大勢を詰め込めるホールである。NHKホールはよく音響的には最悪と言われるが、確かにこれでは構造的にどうしようもなかろう。広すぎるスペースに大量の吸音材(人体)を詰め込んでいるのだから、残響などが発生する余地がない。実際にこのホールは限りなく残響0に近い。クラシックの演奏会に最悪と思われる音響設計だが、この残響0というのはたった一つだけメリットもある。それはこれだけ大勢の観客がいれば必ずあちこちでゴソゴソしたり咳をしたりする者がいるのだが、それがホール全体に響かないということである。
NHK交響楽団第1812回定期演奏会指揮:アンドリス・ポーガ
ホルン:ラデク・バボラーク
モーツァルト/交響曲 第1番 変ホ長調 K.16
モーツァルト/ホルン協奏曲 第1番 ニ長調 K.412(レヴィン補筆完成版)
R.シュトラウス/ホルン協奏曲 第1番 変ホ長調 作品11
ラフマニノフ/交響的舞曲 作品45
小編成のモーツァルトから始まって、段々と編成が大きくなって最後はフル編成になるというコンサートである。これだけ器が巨大にもかかわらず、小編成の人数でも弦が客席にまで十分に響いてくるのはさすがというころ。管に関しては序盤はやや不安定さを感じたが、段々と持ち直して、最後のラフマニノフの頃には素晴らしいサウンドを響かせていた。
バボーラクのホルンは軽快にして安定感のある演奏。ホルンという楽器の多彩さを感じさせる演奏である。ただホールの音響特性が劣悪に過ぎるせいで、やや音色が痩せて聞こえてしまうのが残念なところ。
腐ってもN響なんて言葉もあるようだが、ところどころアンサンブルがグダクダと聞こえる部分が全くないわけではなかったが、それでも国内オケとしては安定感は抜群であり、さすがにテクニックに関しては申し分ないと感じさせられた。ただN響はとかく「うまいが面白くない」とも言われるその理由が私にも感じられた。技術は十分であるにもかかわらず、パトスの部分が弱いのである。ざっくばらんに表現すると、とにかくノリが悪い。どうもサラッとした演奏になる傾向があり、いわゆる熱演や名演という雰囲気にはなりにくいところがこのオケにはあるようである。優等生的とか公務員的なんて言葉でよく揶揄されるが、まさに言い得て妙である。
指揮のアンドリス・ポーガは大きなジェスチャーで音楽にダイナミックなメリハリをつけていくタイプ。淡々とした演奏になりがちなこのオケには良い組み合わせのようにも感じられた。この指揮者の元でN響がパトスを演奏に昇華していく術を身につければ、世界レベルのオケになることも不可能ではないようにも思われる。
コンサートを終えるとそのまま毎度の東京の定宿ホテルNEO東京へ移動する。それにしても原宿から南千住は遠い。
東京に来てから数時間のはずだが、今日はやけにイベントが多かったせいでまるで丸一日動き回っていたような感覚で疲労が激しい(実際に1万6千歩を越えていたが)。さっさと風呂に入ると就寝することにする。
☆☆☆☆☆
翌日は8時半まで爆睡・・・と言いたいところだが、実際はホテルの壁が薄いのでやかましい近隣の部屋に何度か目を覚まさせられながらグダグダとこの時間まで寝ていたというところ。眠い目をこすりながら起床すると、買い込んでいたコンビニサラダとおにぎりを腹に放り込んで9時過ぎには外出する。
今日はまずは上野地区の美術館を攻略してから横浜のみなとみらいホールで開催される神奈川フィルのコンサートに参加し、さらに東京にとんぼ返りしてから美術館第二部があるという忙しい予定である。
「100のモノが語る世界の歴史 大英博物館展」東京都美術館で6/28まで
世界中のあらゆる物品を収めた膨大なコレクションを誇る大英博物館から、人類の文化遺産と呼べる100作品を抜粋して展示という企画。
展示は概ね時代順に沿っているが、場所は世界の各地に飛ぶので各展示品の脈絡はない。ギリシャ彫刻が登場するかと思えば、南米の先住民の儀式用の装束が登場するというような具合である。展示品はさすがに逸品ぞろいなのだが、さすがにこういう形式だと展覧会全体としてのテーマが不在になる。また展示品を100品に絞っているところが、彼我のコレクションの規模の差を痛感させられ悲しくもなる。
どちらかと言えばあちこちで目にしたことがあるエジプトやギリシアなどの品よりも、南米系などの展示品の力強い生命力がより強く印象に残った。なお人類の文明をたどるというテーマからの必然性なのだろうが、現在のクレジットカードまで展示されていたのは個人的には蛇足に感じられた。もっとも大英博物館がこんなものまで収蔵しているのかということには驚かされたが。
時代を代表する品として、iphone5なんかもいずれは収蔵されるのだろうか? パソコン関係の遺跡は世の中にはごまんとありそうだが、MSXにラップトップパソコン、いまやもうフロッピーディスクでさえ完全に過去の遺産だ。そう言えばMOにZipやJazなどが「大容量メディア」と言われていた時代もあったものだ。
会場に到着したのは開館時刻の9時半ちょっと過ぎだったが、もう既に会場には行列が出来ていてしばし入場を待たされた。また場内は大混雑でなかなか展示をゆっくり見るという状況ではなかったが、さらに今回は私は別の事情もあって結構バタバタした中での鑑賞となってしまった。
実はPACオケのチケットの発売が今日の10時からなのである。展覧会の見学の合間に休憩室に行ってそこでチケットセンターにネットで接続・・・と思ったのだが、10時前から完全にサーバーが落ちているような状態で全くつながらない。以前にあるところで「PACの予約サーバーが貧弱すぎる」と聞いていたのだが、こういうことだったのかと痛感。何度接続しようとしても全く埒があかないので、諦めて再び展覧会の見学に戻って10時過ぎにもう一度接続を試みるが事態は全く改善せず。結局は展覧会の見学を終えた10時半過ぎにようやくサイトに接続できるが、その時にはチケットはほぼ完売。9月の公演は何とかチケットを確保できたが、年末の第九は購入できなかった。どうもPACは人気だけはサイトウキネンオケ並(私もチケット購入を試みたが、チケットぴあのサーバーが全く応答せず、ようやく10分後につながった時には完売だった)らしい。
東京都美術館を後にすると、次は芸大美術館へ。東京都美術館は裏手にも出口があったと記憶しているのだが、今はそこが閉鎖されているせいで、かなりグルリと遠回りする必要があるので面倒である。HPによるとここの出口が閉鎖された理由が「省エネのため」だとか。そう言えば国立博物館の開館時刻も省エネを理由に9時から30分繰り下げられてそのままである。本当にこんなもので省エネになるのだろうか? どうも電力会社の原発利権死守のための停電詐欺の一環で胡散臭い。実際には民間の省エネ努力のおかげもあって原発がなくても電力が余裕で足りてしまっているから、原発利権にしがみついている連中は、今ではいかにして電力を浪費させるかに腐心しているとか。リニアの建設やらオリンピックなんかもその一環である。
「ヘレン・シャルフベック−魂のまなざし」東京藝術大学美術館で7/26まで
フィンランドを代表する女流画家ヘレン・シャルフベックを紹介する日本初の大規模個展。
3才の時に事故で左足が不自由になった彼女は、絵の才能を見いだされて奨学金を得ることになりパリに渡る。そこで多くの画家の影響を受け、帰国後は母と共に郊外に移り住んでそこで独自のスタイルを確立していったとのこと。
とにかく初期の作品にはいろいろな画家の影響が露骨に現れている。最初は比較的古典的な作品を描いていたが、パリに渡った後にはセザンヌ、ホイッスラー、さらにはローランサンなどあらゆる画家の影響というか、模倣と言っても良いような作品が多い。また彼女は失恋の度にズタボロになりながら自身の芸術を昇華させていったようだが、どうやら極めて感受性の強いタイプだったことが覗える。
どんどんと自身の内面に沈んでいって、そこから独自の画風を確立するのだが、その頃になると自画像作品が急増する。しかしそれがまた魂の悲痛な叫びを映しているかのような痛々しさがある。
個人的には苦悩してあがいている内にあらぬ方向に行ってしまった芸術家というような気がしてならない。特に晩年の作品を面白いと思うかどうかを考えると。
美術館の見学を終えたところで、今日のコンサート会場である横浜へと移動する。上野東京ラインが開通したおかげで上野から横浜まで一本で行けるので、かなり心理的に近くなった印象である。
横浜に到着するとここからみなとみらい線でホールのあるみなとみらいへ。時間に余裕があれば中華街に立ち寄って昼食をと考えていたが、上野で想定以上に時間を費やしてしまったので昼食はみなとみらいで摂ることにする。時間もないので途中で見つけたレストランでアメリカンなステーキを頂く。やや硬めで味の薄い牛肉がいかにもアメリカンである。アメリカ人はこれを強力な顎で力ずくで噛み砕くのだが、私には少々キツイ。
昼食を終えるとホールへ移動。私が到着したと同時に開場時刻になったようで、大勢がゾロゾロと入場する。
みなとみらいホールは初めてであるが、構造的には今時のホールに多いパターンである。ただ音響はかなり良いという印象。私の入場時にはステージ上でピアノの音合わせがされていたのだが、それだけで響きがかなりあることがよく分かる。それに比べると、こことよく似た構造の兵庫県立芸術文化センターはなぜあそこまで音響が悪いのだろうか?
神奈川フィルハーモニー定期演奏会 みなとみらいシリーズ 第310回指揮者 パスカル・ヴェロ
共演者 小菅優(ピアノ) 石丸由佳(オルガン)
ラヴェル/「マ・メール・ロワ」組曲
ラヴェル/ピアノ協奏曲ト長調
サン=サーンス/交響曲第3番ハ短調「オルガン付き」
非常にまとまりの良いオケという印象である。アンサンブルがしっかりしており、バランスが良い。
ピアノの小菅優は非常にうまさを感じる演奏。力強くあるのだがタッチが硬質でなくて柔らかい風情のある音色で、華やかなラヴェルには良く合っている。
パスカル・ヴェロの指揮は爆演型。最後のサン=サーンスではかなり激しい指揮でオーケストラを煽りまくっていた。ラストなどはオルガンの響きと併せてオーケストラが大爆発。完全にリミッターをはずして楽器が雄叫びをあげている状態で、一つ間違えると音楽が空中分解しかねないギリギリのバランスで豪快なアクロバットを披露したというところ。こういう演奏をされると嫌でも会場は盛り上がる。結局昨日のN響に足りないのはこういうパトスと言うか茶目っ気なのである。
アンコールのためにサン=サーンスの4楽章の短縮バージョン(名曲アルバムみたいだ)を用意している準備の良さは、この指揮者のサービス精神を感じさせる。演奏の方もラストのティンパニなんて奏者か楽器のどっちかが壊れないかと思うぐらいの豪快な演奏だった。
ほぼ満員に近いホールはかなり盛り上がっていたし、私もなかなかに堪能した。ホールがかなり良いので、演奏に若干の怪しいところがあってもホール効果でかなり補正がかかる。こうして聴いてみると、やはりホールの音響とはかなり重要であると再認識した。
また図らずしてパイプオルガン体験の最初がこのホールになってしまった。パイプオルガンの音は、音と言うよりも音波の音圧が直接に頭蓋骨に響いてくる印象で、やはりエネルギーとしてはとてつもないものがあるのを実感した。
コンサートを終えて横浜を後にすると、そのまま東急と地下鉄を乗り継いで六本木に移動する。この辺りは私の嫌いな地域だが、立ち寄っておきたい展覧会がある。
「着想のマエストロ 乾山見参!」サントリー美術館で7/20まで琳派の大御所・尾形光琳の弟が尾形乾山。彼は早くから隠棲の志が強かったとのことで、20代後半で隠居してしまって、野々村仁清から作陶を学んで自らの窯を築いて陶工活動を始める。その独自の作品を展示したのが本展。
与謝蕪村などのような文人画と呼ばれるジャンルがあるが、乾山の陶芸はその文人画を陶芸で行ったような印象である。乾山の作品の独自性は、器の形態や造形よりもそこに記した絵画や文様にある。角皿などは完全に絵画を描くための画面となっている。
文様や装飾などには琳派的なものが感じられるが、彼の作品は意表を突いていて華麗である。蓋物の変化などは非常に面白い。蓋との組み合わせの妙が実に生きている。
遊び心タップリで「楽しんでるな」という印象を受ける作品が多い。経済的理由で楽隠居など望めそうにない私から見ると何ともうらやましい限りである。
なかなかに面白かった。そしてやはり近年になって陶磁器に対する関心がかなり高まっている自分を再確認。特にどっしりとした感じの黒楽茶碗(志乃も結構好きなのだが)や、なぜか茶入れのシルエットに魅力を感じるのである。
展覧会の鑑賞を終えるとこの美術館内の喫茶「加賀麩不室屋」で一息。ここは麩が中心のメニューらしいが、焼き麩を用いた最中が香ばしくて異常にうまい。こうして食べてみると、人間の味覚の半分は実は食感なのではないかという気もする。
ミッドタウンの次は最後にもう一カ所立ち寄るつもりだが、そこはかなり精神力を消耗する場所なので移動の前に夕食を済ませておくことにする。立ち寄ったのはここの地下にある「平田牧場」。ここでロースカツ定食(1300円)を頂くことにする。
最後の立ち寄り地はバブル教の総本山、六本木成金ヒルズである。ここで開催中の「スターウォーズ展」を見学ついでに森美術館も久しぶりに見学してやろうとの考え。しかし相変わらずのバブリーでシュセンドリーなオーラが本質的に私を拒む。私の方はプロレタリアート結界を張ってそこに侵入していく感じである。
銭の魔物の巣窟・ヒルズ
しかしようやく美術館の券売所まで来たところで、目の前に現れたのは長蛇の列。何やら入場までにかなり待たされそうな雰囲気である。もうこれを見た途端に馬鹿らしくなって引き返すことにする。どうせ「スターウォーズ展」は全国を回るだろうし、そもそも何が何でも見たいというほど私はマニアではない。ましてや森美術館となれば本当についで程度のつもりだったので、こんなところで延々と待つ気になんてなれない。
券売所前は大混乱
結局はこのまま日比谷線で南千住に戻ると、ホテルで入浴してマッタリすることになったのである。夜になると「美の巨人たち」が始まったので見ようと思ったが、蒼井優のナレーションが聞こえてきた途端に不快さが沸き上がってきたので結局はテレビを消してしまった。それにしてもなぜあんなにナレーションに不向きな人物を起用したのだろうか? 私自身はそもそもは蒼井優は好きでも嫌いでもなかったのだが、この番組のナレーションに起用されたことで明確に「嫌い」になってしまった。声質が悪いので内容が頭にはいってこない上にいちいち神経に障る。小林薫のナレーションが安定感のある聞きやすいものだっただけに落差がひどすぎる。以前にNHKが小泉今日子を動物番組のナレーションに起用した時も、あのタバコによるかすれ声のナレーションが聞き取りにくくて最悪だったが、それ以来の久々のひどいナレーションである。
テレビを消したら疲れがどっと押し寄せてきたので、そのまま就寝することにする。
☆☆☆☆☆
翌朝は8時頃に目が覚める。今日は東京周辺の美術館に立ち寄ってからサントリーホールのライブに行くだけなので時間に余裕がある。とりあえず朝食のおにぎりを腹に入れると、美術館が開く10時前まで一休みしてからチェックアウトする。
東京駅に到着するとコインロッカーにキャリーを置いてから行動開始。まずは一番最寄りの美術館へ。
「没後30年 鴨居玲展 踊り候え」東京ステーションギャラリーで7/20まで
何とも表現しがたい独特の雰囲気を持つ鴨居玲の回顧展。
彼の描く人物は汚らしくもどこかリアルで、魂が完全に抜けているように見えながら妙な生命力があったりするというとにかく不可解な世界である。晩年になると自画像が非常に多くなるのだが、それがまた痛々しくもあり、自分自身の本質に切り込もうとしているように見える。
結局はその破滅型の作品と同様に、彼自身も破滅的な人生を終えてしまったのであるが、それはある種の必然だったのか。
次は新橋まで移動。次の美術館は汐留のパナソニックのショールームの上にある。
「ルオーとフォーヴの陶磁器」パナソニック汐留ミュージアムで6/21までルオーやマティスなど、フォーヴと呼ばれた画家たちは陶器の絵付けも行っていた。彼らが絵付けをしたのはアンドレ・メテが制作した陶器であり、その陶器の地肌に輝く色彩が現れるのは彼らの芸術表現意図とも合致していたらしい。陶器の表面をキャンバスに見立てたいかにも彼ららしい作品を残している。
もっともそれらの作品が果たして陶器としての面白さを持っているかとなると、私はいささか疑問も感じた。ルオーなどは陶器の方もやはり厚塗りで、いわゆるらしさを感じることは出来たのであるが・・・。
これで東京駅周辺での予定は終了。とりあえず駅前でうどんを軽くかきこむと六本木一丁目を目指す。ただサントリーホールに行く前にもう一軒、最寄りの美術館を。
「フランス絵画の贈り物 とっておいた名画」泉屋博古館で8/2まで
住友家は明治時代から積極的に絵画の収集を行ってきているのだが、それらの作品を集めた展覧会。今回のテーマは近代フランス絵画である。
展示作品数としては決して多くはないが、当時としては珍しかったと思われるモネの2品やさらにはミレーやヴラマンクの作品などまで含まれている。時代的にもアカデミズムから近代まで揃っており、なかなかに多彩な内容で楽しめるものであった。
途中で美術館に寄り道したものの、それでもサントリーホールに到着したのは開演時刻の1時間以上前。急いでも仕方ないので、近くの茶店でパスタとコーラを頂きながら時間をつぶす。それにしてもこのパスタ、アルデンテを完全に通り越して茹ですぎなのでは。
ゆっくりとパスタをつまみながら時間をつぶし、ホールに入場したのは開演の30分前ぐらい。前回の訪問時には二階席の奥だったが、今回は一階席の右手である。
新日本フィルハーモニー交響楽団第542回定期演奏会
指揮 飯守泰次郎
オーボエ:古部賢一
J.S.バッハ: オーボエ協奏曲 BWV1053
R.シュトラウス: メタモルフォーゼン
ベートーヴェン: 交響曲第3番 変ホ長調 op.55 「英雄」
室内楽のバッハから始まって、弦楽合奏のR.シュトラウス、さらに最後はフルオーケストラでベートーベンという多彩な内容。
最初のバッハはかなり軽妙な曲で、古部のオーボエソロもそれに合った爽快なもの。流れるような曲想が心地よい。
2曲目の準備の時、各奏者の前に一つずつ譜面台を置くので珍しいなと思っていたら、曲が始まったら理由が分かった。各奏者が順番に弾いていくような曲なので、奏者ごとに演奏パートが異なるのである。おかげで音の発する場所が適宜変わるので、旋律が空間をクルクル回るような効果を上げている。飯守は指揮棒をつかわずに指先でニュアンスを表現していたようだ。消え入るような最後の後はフラ拍もなく、静まりかえった余韻を楽しめた。
ベートーベンの英雄はなかなかにダイナミックなノリの良い演奏。指揮の飯守の動きを見ていると、ジイサンが指揮台の上でジタバタしているだけのように見えてカリスマは感じられないのだが、どうしてどうしてなかなかに巧みにオーケストラをコントロールしており、メリハリのある豊かな表現を行っている。この辺りは、見た目は格好いいがオーケストラをコントロールしている感が皆無だった西本智美などと対極である。新日フィルの演奏も、飯守の指揮に応えて柔軟な演奏を行っており、なかなかに聴き応えがあった。
これで本遠征のすべての予定が終了。かなり疲れたので、1年間に溜まったグリーンポイントで新幹線のグリーン車に乗って帰宅したのである。
3日間で三様のライブに参加したが、いずれもそれなりに楽しめる中身の充実したものであった。また今回訪れた展覧会の方もなかなかに面白かった。今回の遠征はそういう点で非常に満足度が高かったのである。それにしてもこれだけのオーケストラが割拠している東京は、やはりこういう点ではうらやましい。まあ私が東京で仕事をしていたら、連日の仕事後のコンサート通いで破産しそうではあるが。
戻る