展覧会遠征 岡山編10
昨日は美術館一つとライブ一カ所を電車で回ってきたが、今日はもう一つ残る美術館と以前からの宿題を車で解決することにした。
まずは向かったのは笠岡市立竹喬美術館。ここで開催されている「菊池契月展」が後期展示に突入、展示替えがあるとのことなのでそれを見学するのが目的。
「菊池契月展(後期)」笠岡市立竹喬美術館で3/15まで1/3程度の作品が入れ替えられている。新たに登場した作品の中には、菊池契月がモダンガールを描いた爽やかな作品「散策(京都市美術館所蔵)」なども。また妙に人物に実在感のない「蓮華」などの大作も印象に残る。
とにかく初期の緻密な作品から晩期の流暢な線が踊る作品まで、その時代時代でいずれも堪能させられるという次第。やはりこの画家はただ者ではない。
あえてこの展覧会のためだけに笠岡まで長駆してきたのだが、やはり菊池契月はそれをするだけの価値のある画家であった。かなり堪能したのである。
美術館の鑑賞を終えると鴨方まで車を走らせる。前回岡山を訪問した際に体力切れと天候悪化で断念した「鴨山城」を訪問しておこうという考え。鴨山城は下の長川寺の辺りから登る手もあるが、もっと上まで林道があるとのことなのでそれを利用することにする。林道は車一台がギリギリの道路幅の上にかなり長い。登山道手前に車を置けるスペースがあるとの事前情報がなかったら進むのをためらってしまうような道。もっとも山城を攻める場合は大抵こんな道ばかりである。
狭い林道をひたすら登っていくと、駐車スペースのある入口にたどり着く 本当にたどり着くのだろうかと不安になった頃に「鴨山城跡」の案内看板と駐車スペースにたどり着く。とりあえずそこに車を置くと案内看板に従って山道を登る。
登り口と駐車スペース 5分もかからずに分岐にたどり着く。左手は巨石が積み上がっており、それを回り込む必要がある。鴨山の頂上は右手のようである。とりあえず右手から見学することにする。
左 山道を登る 中央 巨石が積み上がっている 右 今は山頂を目指すことにする。 鴨山の頂上には二段になった曲輪ぐらいの削平地がある。ここの南側に巨石が出っ張ったところがあり、そこがちょうど見張り台のようになっている。
左・中央 山頂の曲輪 右 見張り台 左 見張り台からの風景 中央 二段になっている 右 降り口がある ここから北西に向かってダラダラと斜面沿いに数段の削平地があるようだ。整備されていないので全貌が把握できないが、かなり先まで続いているようである。
ダラダラと何段もの削平地が続いている 再び最初の分岐のところに戻ってくると、左手の巨石側を登っていく。この上は見晴らしの良い削平地となっており、ここが主郭のようである。
左 巨岩が行く手を塞ぐ 中央 この巨石を回り込んで登ると 右 本丸に到着 本丸から鴨山山頂を望む ここから南東に降りたところにさらに削平地があり、城跡碑はここにある。ここから先には登山道が通じており、多分降りていけば長川寺に出るだろうと思われる。
左 本丸から降りていく 中央 何段にもなっている 右 一番先端 左 見晴らしがある 中央 振り返って上が城跡碑 右 これは虎口か 中世に建てられたあまり経歴もハッキリしない城と言うことで、単郭構造に近い単純な城だろうと思っていたのだが、実際に登ってみるとどうしてどうして結構曲輪の連なる規模の大きな城であった。
鴨山城を後にすると、もう一つの宿題である下津井の町の見学に向かう。下津井は今では小さな漁港になっているが、かつては北前船の中継港として発展した港町であるという。
観光用の駐車場に車を置くと町並みの見学に移るが、その前に昼食を摂りたい。タコ料理の店があるというからそこを訪問することにする。どうやら下津井の名物はタコらしく、季節によってはタコを干している光景なども見られるそうだ。
入店したのは「保乃家」。メニューを見るとタコの天ぷら等の単品メニューがいくつかあるが、やや高め。セットになったコースが割安と言うがこれが5700円。昼食にはやや贅沢すぎるが腹をくくってこれを注文。
タコ料理の数々が登場するが、これがうまい。タコの刺身は甘みがあって歯ごたえのあるタコが絶品、三杯酢にはタコの子をおまけしてくれたのだが、これがまた何とも言えずうまい。なお天ぷらは切れているとのことで代わりがタコの甘辛煮。10時間以上をかけて煮込んでいるというタコのうまみがたまらない。広島で牡蠣のコースをこの時も6000円ほどはたいて食べた時も、牡蠣というものに対する認識を根底から覆されることになったが、それ以来の衝撃的体験であった。
なおタコのシーズンは11月〜1月ぐらいで、今はタコが小ぶりなのだとか。ということはオンシーズンだとこれ以上にうまいというのか? タコ恐るべしである。
腹を満たしたところで町並みの見学に入る。町並みは商家の町並みで以前に訪問した牛窓に類似している。かつての豪商の屋敷が「むかし下津井回船問屋」として公開されている。よくある商家のパターンを踏まえたお屋敷で、回船問屋だけあって土蔵が多く建っている。
むかし下津井回船問屋 通りにはなまこ壁の住宅もいくつか残っているが、全体的に新しくなっている家が多い。町並みのところどころに昔ながらの住宅が点在しているというイメージである。この辺りも牛窓とかなり類似性がある。ただ人口は牛窓よりは多そうである。また観光バスの団体なども来ており、観光にもそれなりに力を入れているようである。恐らく瀬戸大橋見学ツアーと一体化しているのだろう。
下津井の町並み 牛窓と同様にかなり狭い町という印象。また津波でも来たらひとたまりもないが、その場合には裏手の高台の神社等が避難場所になっているのはこれまた沿岸地域のお約束であった。
結局のところ、下津井にしても牛窓にしても、先日訪問した室津にしても、かつて瀬戸内水運盛んなりし頃は海運業で賑わっていた歴史のある町である。結局は流通革命で瀬戸内海運が廃れたことがこれらの町の没落につながっているわけで、効率化と技術の進歩の日陰の部分の反映である。同様のことは旧街道沿いの宿場町にも言えることで、そのような事情を考えると、地方再生と言っても単純に一筋縄ではいかないということが懸念されるのである。まさか今更流通形態を昔の状態に戻せるわけはないし。かつてはすべての産業がとにかく人手がかかったから、そこに雇用の場があり、人が生活できたのである。しかしコスト優先の省力化と効率化は結果として働く人手を必要としなくなり、結果として多くの人々から職を奪うことになり、その生活を破壊することにもつながったわけで、そうして考えていくと技術の進歩って何だろうという技術者としてはあまり考えてはいけないダークサイドに思考が落ちていきそうになる。
諸々の事象に思いを巡らせつつ下津井を後にする。帰途では大混雑の吉備SAできび団子を土産に買い求めて帰宅と相成ったのである。
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