展覧会遠征 長野・諏訪編

 

 正月休みも終わって2015年の始まりである。さて新年最初の三連休であるが、今回は長野を訪問することにした。目的は・・・ない。と言うか、漠然と「諏訪湖を見たい」と思ったぐらい。これを基本に後は諸々を付け加えた。長野方面と言えば、以前に長野電鉄の視察の際に湯田中を訪れているが、結局は時間の関係で全く入浴をしていないことが気になっていた。そこで今回は湯田中温泉で一泊しようと考えた。

 

 金曜日の仕事を終えるとそのまま名古屋に直行する。毎度のごときの名古屋前泊である。新幹線で名古屋まで移動すると、とりあえず高島屋の飲食店街で昼食。今回は山本屋総本家味噌煮込みうどんを頂くことにする。ここのところ山本屋本店の方が多かったが、久しぶりの総本家である。本店よりも渋みの少ない味噌味が総本家。やたらに固い麺は名古屋流である。

  

 夕食を終えるとホテルに入る。今日の宿泊ホテルは私の名古屋での定宿・名古屋クラウンホテル。伏見にある天然温泉完備の私好みのホテル。ところで最近なぜか名古屋クラウンホテルでGoogle検索をかけると「名古屋クラウンホテル 幽霊」と表示されるようになっている。ここのホテルに幽霊がでるなんて話は聞いたことがないのだが、何が起こったんだと調べたら、どうも最近にテレビの番組かなんかでどこかの芸人が「名古屋の駅前のホテルで幽霊を見た」という類のことを発言したらしい。彼はホテルの名前を伏せていたのだが、それを見た視聴者が「名古屋 ホテル 幽霊」で検索しまくっているうちに「名古屋クラウンホテル 幽霊」になってしまった可能性が高い。なお私がこのホテルを2ヶ月前に予約しようとした時は満室だったのだが、最近に改めて予約を見たら予約可になっていた。風評被害でキャンセルなどが出たのでなければ良いが。

 

 なお幽霊なるものは霊感のある者しか見えないというが、霊感というのは要は幽霊の存在を信じている上に思いこみが強いということらしい。人間というものは見たいものだけを見、信じたいものだけを信じるものである。ただそれが行き過ぎると認知の歪みという精神の病になってしまうので注意である。この類になると、○○が集団で自分を監視して妨害しているとか、○○が日本を支配しているとかの妄想にとりつかれる例もある。ちなみに私は霊感は皆無の体質らしく、関東の心霊スポットとして超有名な八王子城の井戸(落城の際に北条氏の一族が身投げしたらしい)に行っても何も感じなかったし、その時の撮影写真にも全く何も写っていなかったという者である。その一方で阪神大震災は前日に気配を感じるという経験をしているので、野生の生存本能の方はあるのかもしれない。

 

 ちなみに私は金縛りの経験は何度かある。いずれも極度に疲労していた時で、夜中に目が覚めて気がつくと体が動かない。しかも心拍がかなり上がっている。心理的に妙な不安感を感じたが「ああ、なるほど心拍が上がっているからこれを不安と認識しているんだな(いわゆる吊り橋効果のようなもの)」と納得し、現状は脳の一部で覚醒のミスマッチが起こってるんだと認識して、指の一本に精神を集中して「動け、動け」と強く念じることで指が動くと同時に金縛りが解けた。なおこの時に「人影が見えた」とかの幻覚が現れることがよくあるそうだが、本人は目を開けているつもりなのだが実は目が開いていないということが多いらしい。脳の覚醒が中途半端なので感覚が錯乱するようで、私の時は幻聴と強烈な圧迫感が症状として出た。結局、実際に体験してみるとすべて完全に医学的現象として説明できることに納得した。

 

 ホテルにチェックインを済ませるとまずは入浴である。泉質は単純泉で、カチオンはナトリウム、アニオンは炭酸水素塩がやや多いようである。若干のヌルっと感のあり、浴感は強くないがなかなかな良好なお湯である。

 

 入浴を終えるとテレビを見ながらマッタリ。ニュースではバリの乱射事件の続報をやっている。それにしてもろくでもない事件だ。イスラム教徒も一部がカルト化してきているようだ。21世紀を考えた場合の脅威はテロだが、今後増えそうなのはシーシェパードのような環境テロリストと原理主義勢力などのカルト宗教テロリストだろう。

 

 この日は10時過ぎ頃に就寝する。

  

☆☆☆☆☆

 

 

 翌朝は6時過ぎに起床。まずは朝風呂を浴びるとバイキングの朝食。ここの朝食は質量ともに充実しているので、これが私がこのホテルをよく利用する理由。もっとも基本的に名古屋飯なので、味付けは私の好みよりは少々濃い。

 

 朝食を摂るとマッサンが始まった頃にチェックアウトする。外は結構寒い。これから特急しなので塩尻まで移動である。

 特急しなの

 しなのの乗車率は60%というところ。正月明けのせいか比較的空いているような印象。沿線は木曽福島の手前辺りから雪が見えてくる。昨年の1月に松本を訪問した時と同じ感じである。

 木曽福島は雪の中

 塩尻までは2時間程度で到着する。ここからはレンタカーで行動することになる。目的地だが、当初は諏訪湖周辺をウロウロするつもりだったが、千曲市の稲荷山地区が昨年末に重伝建に指定されたとのことなので、そこまで長躯するつもりである。気になっていたのは天候だが、長野辺りまでは高速は特に問題なく走れそうである。

 到着した塩尻には雪の気配はない

 貸し出された車は例によってヴィッツ。北国らしくスタッドレスタイヤが標準装備されているのは心強い。ただやはり新型ヴィッツは以前のもの以上にパワー不足を感じる。起伏のキツイ長野自動車道を走っていると、かなり気合いを入れてアクセルを踏み込まないと周囲の車に遅れてしまう。変なクセはないのだが、高速域で特にトルクが細い。そういう時には容赦なくアクセルをベタ踏みしないと一気に失速する。やはり所詮は町乗り車のようである。

 

 姨捨山付近では雪が見えるが、道路上はノーマルタイヤでも走れるような状態。長野周辺も至って晴天で雪の降る気配は皆無。順調に長野自動車道を走行、更埴ICで降りると稲荷山はすぐ近く。

 

 稲荷山は元々はこの地にあった稲荷山城の城下町として発祥したが、その後は善光寺街道の宿場町として繁栄し、明治以降は生糸取引の商都として知られることになるが、鉄道の駅が離れた場所に出来た頃から流通の拠点として価値をなくし没落したとのこと。

 

 町並みの北の方にある蔵し館の駐車場に車を置くと、まずは蔵し館から見学。ここはかつての商家跡とのことで、かなり立派な建物である。中には絹織物や民具などが展示されている。

蔵し館は元は立派な商家

奥の展示室に民具や五聖獣の展示があるが、私には鳳凰が雉のルリオに見えてしまう

 稲荷山にはかつての繁栄を物語るような蔵造りの商家が残っており、道路にも鍵の手などが見られる。ただ気になるのは、居住者がいないのか完全に廃屋となっていて倒壊寸前の住宅が少なくないこと。この辺りは冬期の積雪もあるだろうから、居住者の手の入っていない住宅はあっという間に劣化してしまう。町並み保存のための施策が必要であるように思えるが、問題は今では商家は少ないため、町並み保存による観光地化が地元の直接の利益になりにくそうなこと。

風情ある建物もあるものの、荒廃して倒壊寸前のものも少なくない

 町並みの片隅に稲荷山城跡の碑があるが、今となっては遺構と言えるものは井戸ぐらい。なお旧本陣の松木家には稲荷山城の裏城門だったと言われる冠木門が残るが、これも根本から腐敗が進んでいて倒壊寸前の状況である。町並み全体に「何とかならないのか」という空気が漂っている。重伝建指定が一つの突破口になれば良いが、そう単純な問題のようには思えない。

左 城跡碑  中央 城中の井戸  右 城小路の井戸

旧本陣の冠木門は腐食して倒壊寸前

 稲荷山を後にすると諏訪方面に移動する。今日は諏訪湖で宿泊の予定。ただまだ時間があるのでどこかに立ち寄るつもり。とりあえず途中の姨捨SAで昼食に味噌ラーメンを頂く。

  

善光寺平を一望できる

 諏訪湖までたどり着いたところで立ち寄ろうと考えのが有賀城。以前の長野訪問の際に体力切れで攻略できなかった城郭である。今回は山城攻略は考えていなかったが、周囲のあまりの雪のなさにこれはもしかしたらと考えた次第。

 

 しかしいざ現地に近づくと共に状況のまずさが伝わってくる。道路には雪はないのだが、土の上には雪が残っているのである。江音寺まで到着して登山道に向かうが、足下がアイスバーンになっていて滑りまくる。しかも登山口は足首まで埋まる深い雪。これはとても攻略不可能と判断して引き返すことに。ただ帰りにガチガチの氷の下り坂で足が滑って二回も転倒。幸いにして頭は打たなかったし、ダウンジャケットを着ていたおかげでけがもなし。ダウンジャケットは防具として結構優れているということを実感した次第。

 深い雪に進路を阻まれる

 有賀城を断念したのでとりあえず近くの諏訪大社上社本宮を訪問することにする。しかしここも駐車場がアイスバーンになっていて一苦労。足下が滑って仕方ないのだが、こんな路面でも普通に走れるのはさすがにスタッドレスタイヤとその威力に関心。

 

 諏訪大社の本殿は現在工事中らしく、拝殿の奥には写真が飾ってある。これでも御利益はあるんだろうか? ちなみに私が引いたおみくじは吉。「待ち人 たよりなしに来る」「縁談 首尾よし思わず早くととのう」とのことだが、本当か? そう言えば昨年に霧島神宮でおみくじを引いた時には「縁談 驚きがあり」って書いてあったな。さらに別の所のおみくじでは「縁談 驚くような相手」とのことだった。唐突に結婚して驚くということ? いや、普通に考えてそれはあり得ない・・・。

生憎と本殿は工事中でした

 アイスバーンで気を使ったせいかかなり疲れたのでそろそろホテルに向かうことにする。今回の宿泊ホテルは諏訪湖岸の高級ホテル紅屋。例によっての高級ホテルの廉価プランである。ただ廉価とはいえ、私が今まで宿泊費にかけた額としてはトップクラス。私の部屋は日帰り入浴施設もある別館の方である。部屋は広くてきれいなツインの洋室。

  

綺麗なツインの洋室で、諏訪湖は遠くにかすかに見える

 チェックインすると展望大浴場に向かうことにする。このホテルには本館に宿泊者用の展望大浴場、別館には露天風呂と大浴場がある。やはり日の高い内に展望大浴場を見学しておきたい。

一望した諏訪湖の湖岸は凍結し始めていた

 諏訪湖温泉は源泉数が多いというが、ここの浴場は七釜温泉と間欠泉をブレンドしたものだとか。特別な浴感はないが絶景を眺めながらゆったりとくつろぐ風呂は最高。なお今回も風呂用メガネが活躍している。

 

 夕食までの間に風呂を梯子。露天風呂は気持ちよいが、このシーズンにはいささか寒い。そのせいか入浴客は皆無で私の貸切。大浴場の方は若干狭くて内風呂が少々蒸している。やはり宿泊客用の展望風呂が一番のようである。

 

 風呂の梯子が終わった頃に夕食の時間になる。夕食はありがちな内容ではあるもののうまい。

 夕食を終えると再び展望大浴場で入浴。後はテレビを見ながらマッタリと過ごす。この日は10時過ぎに就寝。

  

☆☆☆☆☆

 

 

 翌朝は6時に起床、まずは朝風呂に向かう。ホテル内は暖房しているはずだがそれでも朝は結構寒い。展望大浴場の窓から見た諏訪湖は湖岸辺りが完全に凍結している。これは今年は御神渡りがありそうである。

  

朝の諏訪湖は凍結が広がっている

 入浴して体を温めるとそのままレストランへ。朝食は充実したバイキング。とにかくガッツリと食べる。

 昨日の転倒の後遺症かどうも首に痛みがある(頭を打ってはいないが、かなりの衝撃はあった)。軽いむち打ちのようなものになっているのかもしれない。

 

 部屋に戻ってテレビをつけると仮面ライダーを放送している。今度のライダーはドライバーという訳の分からないライダーだが、そこにやけに軽い新ライダーが登場。ドライバーの次はチャライダーか。プリキュアはプリキュアで彼氏とドツキ合いで愛情確認してるし・・・どうも最近の若い連中はよく分からん。

 

 9時頃にはホテルをチェックアウトする。今日は11時までに塩尻に車を返して特急しなので長野に移動する予定。まだ時間に余裕があるので北澤美術館に立ち寄る。

 


「ドーム兄弟−秘蔵の名作を一堂に公開−」北澤美術館で3/29まで

  

 北澤美術館所蔵品からドーム兄弟の作品を展示。

 その作品の生物的形態で異彩を放ったガレ、装飾的でありながらも素っ気ないまでにサッパリとしたところのあるラリックと異なり、ドーム兄弟の作品は形態的にはおとなしいものの、繊細な色つけや絵柄などに特徴がある。優美で精緻なのがドーム兄弟の作品であり、誰が見ても「美しい、好ましい」と感じるところがある。それだけに見ていて楽しい展覧会であった。


 北澤美術館はガラス工芸以外にも日本画の秀品を収蔵している。東山魁夷や小野竹喬、奥田元宋、上村松篁などのいかにもな作品があり、それらがなかなかに楽しませてくれた。

 

 外は身を切るように寒い。諏訪湖の湖岸は完全に凍り付いている。この調子で行けば全面氷結するのもそう遠くないように思われる。諏訪湖周辺は道路には全く雪はないが、各所に積雪の跡は残っている。

 北澤美術館に立ち寄ってもまだ時間に余裕があるので、諏訪神社下社秋宮に立ち寄る。さすがにかなり立派な神社で参拝客も多い。お清めの水ではなくて温泉なのがさすがに諏訪湖温泉の地。

    

 塩尻までは20分もかからない。ガソリンを満タンにして駅で車を返すと、特急しなので1時間ほどで長野入り。長野周辺には降雪の跡はあるが晴天である。駅前は工事中でてんやわんやだが、その中で北陸新幹線開通に関するイベントまで行われていて大混雑である。

 長野駅からバスで美術館を目指す。善光寺前は観光客で大混雑の上に、善光寺周辺の駐車場待ちの車列で道路が渋滞してバスが動かない。善光寺大門前から善光寺北のバス停にたどり着くまでに異常に時間がかかってしまう。

 


「生誕百年 高橋節郎展」長野県信濃美術館で1/12まで

  

 安曇野生まれの漆芸作家・高橋節郎の作品を展示。

 彼の作品については以前の安曇野訪問で初めて知ったのであるが、漆芸という伝統工芸の技法を駆使しながら、現代アート感覚の絵画的作品を多数制作しているのが印象的である。単にキャンバスに書き殴られただけだと安直なだけに見えるような現代アート的絵画でも、それが漆の光沢の元に図案として採用されると、独特の質感を持って魅力を帯びるということに感心する次第。伝統と現代的完成の融合が彼の独自の強烈な魅力となってこちらに大して強い印象を持って迫ってくる。改めて漆という素材の奥の深さを感じさせられた次第である。


 隣の東山魁夷館では冬にちなんだ作品を展示中。

 美術館からバスで長野駅に戻ってくると、長野電鉄で湯田中を目指す。湯田中行きの特急は小田急のロマンカーを使用しているようである。列車は北斎ゆかりの地・小布施を過ぎてどんどんと山の方に向かっていく。山に近づくと降雪はないものの積雪の跡が見えてくる。

長野電鉄の特急は小田急のロマンスカー、運転席には車内からはしごで登る

進むにつれて沿線は雪深くなる

 湯田中駅に到着。ここから宿泊旅館まで移動。当初は歩いてとも思っていたが、どうも雪もある中を歩いていけるような距離ではない模様。大型ホテルの宿泊客はホテルバスが迎えに来ているが、私の予約しているのは小旅館なので送迎がない。最悪はタクシーかと思ったが、調べてみたら渋温泉を通る路線バスがまもなく発車するとのこと。それに乗車することにする。渋温泉まではバスで10分弱。やはりキャリーを引きずって歩くのは少々無謀な距離だったようだ。

 湯田中駅

 渋温泉はいかにも古くからの温泉地というなかなかに風情のある町並み。また観光客も結構来ていて、鄙びた風情はありつつも意外と活気もあるようだ。黒川温泉ほどキャピキャピせず、杖立温泉ほど寂れてはおらずといったところ。

 渋温泉に到着

 私が予約している旅館は「いかり屋」であるが、旅館に入る前に昼食を摂っておきたい。途中で見かけたそば屋「やり屋」ざるとろろそば(750円)を頂く。

左 やり屋  中央 とりあえず野沢菜が出てきます(うまい)  右 ざるとろろそば

 腰が強くて歯ごたえのあるそばが私好み。やはり信州はそばがうまい。もっともこれが続くと二日で飽きるのではあるが。

 

 遅めの昼食を終えると町並みを散策しつつ旅館へ。途中で共同浴場をいくつか見かける。渋温泉郷は野沢温泉郷などと同様に共同浴場が多々あるらしい。そこを抜けていくとようやく今日の宿泊旅館である「いかり屋」に到着する。

左 青い旗が出ているのが三番湯  中央 町並みを散策  右 二番湯

左 一番湯  中央 なぜかお猿の温泉  右 いかり屋に到着

 かなり鄙びた雰囲気の旅館だが、ちょうど真向かいに非常に趣のある建物が建っている。これが国登録文化財になっているという金具屋。私の宿泊する部屋は正面に面した部屋で、窓からこの金具屋がまともに見える。

 向かいの金具屋

 部屋に荷物を置くと散策兼の外湯巡りに繰り出すことにする。渋温泉には9つの外湯があり、旅館の宿泊者にはこの外湯の鍵が貸し出されるとのこと。泉質はナトリウム・カルシウムー塩化物・硫酸塩泉の弱アルカリ泉とのことで、しっとりした印象の湯。寒い地域らしく結構温湯だが、野沢温泉ほどではない。

温泉街の散策を続けるうちに雪が段々と激しくなる

 外湯を周りながら散策を続けるうちに雪が降り始める。その内に雪の量が半端なくなってくるので、途中で温泉饅頭を仕入れて旅館に戻ってくる。次は旅館の風呂で冷えた体を温める。なお旅館の風呂も基本的には同様の泉質だが、微成分に違いがあるのか、こちらは酸性泉との表記がある。渋温泉は源泉数が非常に多く、それぞれの浴場で微妙に泉質が異なるとのことである。なおここの湯はややベットリした感覚がある。掛け流しだが、おかげで浴槽内がかなり熱く、やむを得ず水で冷やすことになる。それにしても源泉を惜しげもなく使用しており、沸き出す湯の半分型はそのまま捨てている。源泉数といい、渋温泉はかなり湧出量が豊富なようである。信州の山岳の賜物か。

 夜の金具屋

 入浴すると夕食までしばしマッタリ。外はいよいよ雪が激しくなってきている。その内に夕食の時間になるので別室に案内される。夕食はすき焼きを中心とした懐石。とろろ芋につけて食べるすき焼きが独特。ホイル焼きの中身はリンゴと何かの魚。いずれもなかなかうまい。

 この日はもう一度入浴して、それから早めに床につく。それにしても最近はテレビで何も見るものがないから夜が長い。

  

☆☆☆☆☆

 

 

 翌朝は7時に起床。昨夕から降り続いていた雪で辺りは一面の銀世界である。雪の積もった向かいの旅館が非常に絵になる。これをそのまま版画にしたら川瀬巴水の作品になりそうである・・・というか、この構図はどこかで見たことがあるような気がするんだが・・・。

 冷え込む中を早速、朝食前に朝風呂でくつろぐ。この旅館はこの風呂は正解であった。

 

 朝食は和食。朝から飯がうまい。

 湯田中駅行きのバスは9時50分頃に出るはず。余裕をもって9時半頃にチェックアウトする。辺りは一面雪で除雪していない道には雪が積もる。足下が滑るのではと心配していたが、温度が低いのと雪が降り積もった直後でアイスバーン化していないのが幸いしてほとんど滑らない。

翌朝の渋温泉郷は雪に埋もれていた

 バスは予定より5分以上遅れて到着する。列車に遅れてはいけないので、バスは圧雪路を急ぐ。とりあえず私が乗る予定だった特急の発車時刻には間に合う。

 雪道をバスは突っ走る

 長野電鉄のスノーモンキー特急は成田エクスプレスの車両だとか。昨日の古式ゆかしいパノラマ車両よりは近代的車両である。ただなぜか座席が集団見合い型で固定されている。また何やら外国人(欧米系)の団体客が。おかげでかなり混雑している。そこにさらにバスからの乗り換え客を押し込んで列車は定刻に発車する。

 

 沿線風景は昨日とは一変して銀世界になっている。一夜でのこの変貌ぶりは驚く限り。雪の積もった山の木々は非常に絵になる。そのままで水墨画の風情である。雪をかぶった分は背景の中に溶けて消えてしまい、残った枝の部分だけが墨で表現される。そういえばそんな絵画をどこかで見たような・・・誰だったかな?応挙か?それとももっと近代の画家だったっけ? ちなみにこれをそのまま青っぽい色彩で写実したら東山魁夷の絵画になりそう。

乗客を満載したスノーモンキーは山水画の世界を抜けて長野駅に帰り着く

 長野駅に戻ってくると、本遠征最後の美術館として水野美術館に立ち寄ることにする。水野美術館まではバスで10分強。雪の積もった庭園が美しい。


「菱田春草と信州の日本画家たち」水野美術館で3/1まで

  

 横山大観らと共に日本美術院の創設に参加、その中心メンバーとして日本画の改革に取り組んだ巨匠の展覧会。

 最初期の東京美術学校時代の作品から、朦朧体と言われた模索期の作品、さらに渡欧を経ての最晩年の作品まで網羅してある。春草が模索の果てにたどり着いた心境を垣間見ることが出来る。

 併せて西郷孤月と菊池契月の作品も展示してあった。西郷孤月は若き頃からその才能に注目され、もっとも朦朧体を極めていたと言われつつも放浪の果てに若くして病死した画家であるが、その若き頃の筆に冴えのある作品が見られる。菊池契月については私は美人画のイメージが強かったのであるが、本展では初期の歴史画が展示されている。大正期の明るい美人画とはまた異なった雰囲気を体験できる。


 水野美術館の見学を終えるとバスで長野駅まで戻る。長野駅からは特急しなので帰ることになるが、予定している列車の発車時刻までまだ1時間以上ある。当初予定では長野駅前で昼食を摂って帰るつもりだったが、ここで思い立つ「善光寺へ行こう」。

 

 善光寺行きのバスに飛び乗ると善光寺大門まで。昨日よりはマシなようだが、今日も混雑がひどくてバスがスムーズに走れない。

善光寺表参道の町並み

 善光寺大門のバス停で降りると、目の前が竹風堂。やはり長野に来たらここに立ち寄らないと嘘か。善光寺よりも先にまず昼食を済ませることにする。

 注文したのは山家定食の栗おこわ大盛り。やはり栗おこわがうまい。最初に長野に来た時から、私の中では「長野=竹風堂」のイメージができあがってしまっている。今は栗あんみつを頼んでいる時間的余裕がないのが恨めしい。

 昼食を済ませて時間を見る。もう時間にほとんど余裕がない。帰りに要する時間だが、バスが普通に走れば10分ほどだが、今日の状態を見ているとスムーズに走れそうに思えない。さらにバスの到着が遅れる可能性がある。となると所要時間としては安全圏を考えて20分+αぐらいは確保しておきたいところ・・・と考えて帰りのバスの発車時刻を見ると、参拝に費やせる時間が13分ほどしかない。もうこうなると参拝というよりもタッチ&ゴーだが、ここまで来て昼食を摂っただけで引き返すのはあまりに悲しすぎる。ここはとにかく実行あるのみ。というわけで善光寺の参道を早足で駆け抜けることと相成った。とりあえず簡単に参拝を済ませて帰ってきたが、意味不明の急な運動でこの雪の中で汗ばむ羽目に。

13分間で善光寺参拝を済ませる

 バスは定刻より若干遅れて到着。長野駅に戻ってくるとキャリーを回収して特急しなのに飛び乗る。帰りのしなのは指定席満席とか。相変わらずサンダーバードと共によく混む特急である。北陸新幹線の開通で少しは状況が変わるだろうかと思ったが、よくよく考えてみるとどちらも北陸新幹線のルートとは無関係である。

 

 最初は半分方が空席だった指定席は、松本からの大量の乗車で一気にごった返す。どうやら自由席はかなり悲惨なことになっている様子(降りる人のために道をあけてくださいの放送あり)。電動振り子のワイドビューしなのはごった返した時には地獄絵図になるのは数年前のシルバーウィークに体験している。早めに座席を確保しておいて正解だった。車内でぼんやりと過ごす内、自然にウツラウツラとしてくる。次に目が覚めたときには南木曽を過ぎた頃だった。列車が少々定刻より遅れているので新幹線への乗り換えが微妙な感じである。それならいっそのこと名古屋で夕食を摂って帰ろうと思い立ってエクスプレス予約で帰りの新幹線を遅い便に振り替える。途中でトンネルで電波が寸断されたりなどがあったが、どうにかこうにか帰りの新幹線を確保。

 帰途での善光寺平

 名古屋に到着すると夕食を摂る店を物色。味噌煮込みうどんは食べたのでひつまぶしか。ただし高島屋にピッタリの店はなく、ウナギの店といえば「竹葉亭」のみ。元々は東京の店なので、ひつまぶしも名古屋流と江戸流がある。ここは当然のように江戸流の方を。名古屋流はウナギはパリッとして味付けは濃く、江戸流は蒸した柔らかいウナギにあっさりした味付けとのこと。

 例によって一杯目はストレート、二杯目は薬味付き、三杯目は茶漬けで頂く。茶漬けにすると元々あっさり目のウナギがさらにあっさりする印象。一杯目のストレートが意外に良い。やはり江戸前のウナギはウナギ丼で頂けということか。どことなくウナギが「ひつまぶしなんて田舎の食べ方でなく、もっと洗練された食べ方をしてくれ」と主張しているような感じがある。

 夕食を終えると新幹線で帰宅と相成ったのである。

 

 当初から意味不明の遠征であったが、要約すると、新重伝建の稲荷山を見学し、諏訪大社と半分氷結した諏訪湖を見て、有賀城入口ですっころんで首を痛め、渋温泉で雪を見てきたというところか。いよいよもって趣旨が不明になってきた。これは私の人生そのものか。

 

 なお首の方は大したダメージがなかったのだが、帰宅後に右手首を傷めていたことが判明して、しばらく湿布のお世話になることになったのである。重大なけがをしなかったのは幸いだが、不調が数日後になって現れる辺りに年齢を感じてしまう次第。

  

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