展覧会遠征 福島・北関東編
さて11月も三連休である。これは出かけない手はないと言うもの。そこで今回、この三連休にさらに有給休暇を1日加えて関東方面へ遠征することにした。当初プランは東京周辺の美術館を回ってから伊香保温泉で一泊というプランだったのだが、ここのところ仕事関係その他での東京行きが多かったことで東京周辺での予定の大半が解消してしまい、東京に長期滞在する必要がなくなった。その一方で以前の只見線遠征の際のダイヤ崩壊で会津若松の七日町が宿題で残ってしまっていることなどを勘案した結果、プランが大幅に変更になり、最終的には会津若松に日光を絡めるという当初予定とはかなり離れたプランとなった。
金曜日の仕事を午前中に終えると昼から東京まで移動する。明日は朝から会津若松に移動するので、今日の内に東京に残っている宿題を片づけておきたい。目的の美術館が金曜の夜は夜間開館があることを当て込んでの昼出発である。東京に到着したのは夕方頃、上野駅のロッカーにキャリーを置いて、身軽になってから上野地区の散策に移る。
「ウフィツィ美術館展」東京都美術館で12/14までルネサンスの中心都市フィレンツェの名門メディチ家のコレクションを元に設立されたのがウフィツィ美術館は、ルネサンス芸術のコレクションで知られている。この名高いコレクションの中から15世紀から16世紀にかけてのルネサンス全盛期の作品を集めたのがこの展覧会である。
この時代の特徴は、絵画は工房においてシステマチックに量産されていたこと。親方である画家がいて、その元で多くの画家が分業制で作品を担当し、最後に親方が修正をして完成という形を取る。そのために大体の描き方には共通のお約束のようなものがあるのだが、やはりそれでもその親方の嗜好や技量によって各工房の特徴が出てくる。そんな中で傑出していたのはやはりペルジーノとボッティチェリである。本展の看板作品にもなっているボッティチェリの「パラスとケンタウロス」などは圧倒される作品。ただこの後、メディチ家のフィレンツェ追放からサヴォナローラの台頭による宗教的反動時代の中でボッティチェリも急速に精細をなくす。
再びフィレンツェの芸術が花咲くのは、サヴォナローラが教皇との対立によって処刑された後、ミケランジェロやラファエロなどの天才が活躍する百花繚乱たる時代の到来である。これらの時代の作品は明らかに色彩が華やかで明るいものとなり、特にラファエロの影響が非常に大きいものであったことが覗える。
どうしても「教会臭い」絵が多くなるので、必ずしも私の好みと完全に合致というわけではなかった。それでもなかなかに興味深い作品に多数出会うことが出来た。実に面白い展覧会であった。
「日本国宝展」東京国立博物館で12/7まで
日本に数多くある文化財の中でも最高峰である国宝を集めた展覧会。
展示内容は多彩で、絵画・彫刻・工芸・典籍・考古資料など様々。ただその中でも私は書は完全に興味外であるので、興味を惹くのはその他のもの。その中でも特に面白かったのは立体造形。特に縄文時代の合掌土偶や縄文ヴィーナスなどの造形はかなり興味深かった。デフォルメを使用した特徴的な造形で、ある意味では今日のフィギュアに通じるような感覚まで読み取られる。
工芸品についてはその精緻な細工に圧倒されるし、陶器類もなかなかに味のあるものがあった。意外と面白かったのが仏像。信仰云々を抜きにして、立体造形として見た場合にかなり興味深い人体表現などがあり、単純に楽しめた。
美術館の梯子を終えたところで今日の予定は終了。上野公園では何やらイベントを開催中の模様で、太鼓の音が鳴り響き、照明が飛び交っていた。ただわざわざ見学するのもしんどいので上野公園を後にする。
後はホテルにチェックインするだけだが、その前に明日のチケットの手配と夕食を摂る必要があるので北千住に移動する。明日は東武の特急と会津鉄道を乗り継いで会津若松に向かうつもり。所用時間的には東武と会津鉄道よりは東北新幹線で郡山経由の方が早いのだが、このルートは東北新幹線のボッタクリ価格のせいで高くつく上に全く面白味がない。そこで東武ルートを取ることにした次第。ただ懸念は今朝チェックしたところでは明日の特急きぬの指定席に空きがなかったこと。もし特急に乗れなかったら、1時間前の急行で向かうしかない。ダメもとで東武の窓口に聞いたところ、空きが4席とのこと。直前でキャンセルが入ったのだろう。幸いにして無事に座席を確保できた。
夕食だが、結局はマルイのレストラン街のそば屋で摂る。ただこれがいかにも東京飯だった。そばを食べたときから、そばはともかくとしてツユがおいしくないと感じたのだが、それは食後にそば湯を加えるとより顕在化。今までそば湯がまずすぎて飲めなかったのは初めて。
夕食を終えると東京での定宿、ホテルNEO東京へチェックイン。後は入浴を済ませるとテレビを見ながらマッタリと過ごすのだった。結局は特に見るでもなく映画「ファンタジックフォー」を最後まで見てしまったのだが、やっぱりアメリカはこういう脳味噌空っぽのエンターティーメント映画を作るのはうまいわ。
映画を見終えると明日に備えて就寝する。
☆☆☆☆☆
翌朝は6時前に自動的に起床。しばしぼんやりとテレビを見たりしながら身支度、7時頃にチェックアウトする。
まずは北千住で朝食。結局はかつやで朝からカツ丼になってしまう。大したカツ丼ではないのだが、これでも昨日の店と大差ないというのがなんとも。
今日乗車するのは8時過ぎ発の特急きぬ。北千住駅の特急乗り場は乗客でごった返している。満席とのことで立ち席の乗客もいるようだ。つくづく昨日よく指定券が取れたものである。
終点の鬼怒川温泉までは2時間弱、途中の下今市で日光方面の乗客が大量に降車して車内の人口は減少するが、それでも結構な人数が終点までに。その多くが鬼怒川温泉駅で待ちかまえているAIZUマウントエクスプレスに乗り換えるのだが、これがたったの二両編成。当然のように車内は乗客でごった返して私も立たされる羽目に。
AIZUマウントエクスプレスはしばし川治温泉などの温泉街を各駅停車。その度に若干の降車があるが車内はまだ混雑。私がようやく着席できたのは中三依温泉駅から。
列車は紅葉の山の中を走る。小雨の天候で空がややどんよりとしているが、それでかなり綺麗な風景である。東山魁夷の絵画を素でいくような風景。まさにこれこそが日本の情緒。どうやらこれが列車が満員の原因らしい。私は物事を合理的に考えすぎるきらいがあるので、どうもこういう風流とか情緒に疎く、今回の遠征を計画した時には紅葉のことは全く考慮に入れていなかった。そうか、この時期は普通の観光客は紅葉見学を旅行の目的にするのか。これは明日の日光訪問が恐い。
会津高原尾瀬口でトレッキングスタイルの高齢者が数人降車、次に大量の乗降があるのが会津田島。沿線で最も大きい町であると共に、尾瀬観光の拠点である。この連休に尾瀬を散策しようという者も多いのだろう。またここから会津若松行きのトロッコ列車に乗り換える乗客もいるようだ。
会津田島のトロッコ列車
会津田島を抜けると塔のへつりを経て湯野上温泉へ。大内宿のアクセス拠点であるここでも大量の降車。この辺りはこの沿線の最大の見所でもある。さらに次は芦ノ牧温泉。とにかく温泉の多い地域である。
2時間ほどかかってようやく終点の会津若松に到着する。久しぶりの会津若松である。しかし町の散策に出る前にまずは駅のびゅうで明日のトロッコ列車の整理券を購入する。明日はトロッコ列車で帰るつもりだが、会津鉄道のトロッコ整理券は現地以外では購入しにくいのが難点。基本的に販売は会津鉄道有人駅(西若松・芦ノ牧温泉・湯野上温泉・会津下郷・会津田島・会津高原尾瀬口の6駅しかない)で、後は会津若松駅のびゅうぐらい。JTBでも購入可とのことなのだが、関西のJTBで聞いたところ、310円の整理券に手数料が1080円かかるというから馬鹿らしくて現地で出たとこ勝負にせざるを得なかった次第。もしかしたら入手出来ないかもという懸念もあったが、なんとか入手に成功である。
整理券を入手したところで町の散策に移りたい。まず駅前のバス乗り場でまちなみ巡回バスの乗り放題パスを購入。その直後にあかべぇが到着するのでそれに飛び乗る。今日はかなり乗客がいるようで小型のバスは満員。これでは乗客をさばききれないとみて、通常車両のバスが2号車として出ることになる。
まずは身軽になりたいので、一端東山温泉まで行って宿泊予定のホテルにキャリーを預けることにする。今日の宿泊ホテルはYUKKURA INN。東山温泉の老舗ホテルの一つ「庄助の宿瀧の湯」が経営するビジネス客向けの宿泊施設である。チェックインは本館で済ませ、部屋は少し離れた別棟(もしかして元々は従業員の寮か?)。一応はそちらにも小さな内風呂があるようだが、基本的には本館の大浴場を使うというパターン。今回、東山温泉で宿泊しようと考えたが、三連休であるのでとにかく普通のホテルは高すぎて手が出なかった次第。
これは本館の方
本館にキャリーを預けると、1時間先のバスなんて待てないので会津武家屋敷まで徒歩で移動する。そろそろ昼時でもあるし、ついでなので九曜亭で昼食にする。注文したのは会津御前(1400円)。
いわゆる会津の郷土料理の盛り合わせである。味は悪くないのだが、味付けが関西人の私にはやや濃すぎる印象。やはり以前から感じているが、関東〜東北地域の味付けは関西人の私にはしょっぱすぎる。
昼食を済ませると会津武家屋敷を見学。これは会津藩家老でいろいろな意味での悲劇で知られる西郷頼母の屋敷を復元したもの。西郷頼母は会津藩と薩長との衝突を避けようと奔走したのだが、若き藩主・松平容保は佐幕の意志に燃えて暴走気味で、結局は会津は薩長の恨みの矢面に立たされることになる。戊辰戦争勃発後も彼は会津藩防衛のために前線に立つが、如何せん戦闘力の差と彼自身の実戦経験のなさから会津藩は敗北、会津軍は鶴ヶ城に押し込められることになり、彼も鶴ヶ城に入る。その後彼はその鶴ヶ城から伝令として出されるのだが、それは和睦派である彼が強硬派に疎んじられて追い出されたという説や、城内の強硬派に彼が殺害されることを懸念した容保が彼を逃がしたなどの諸説がある。しかし彼の家族は長男一人を残して彼が入城した時に全員自害しており、彼はたった一人の息子だけを連れて明治以降も生き残ることになる。しかし後にその息子も病死して、彼は天涯孤独の身で一生を終えたとか。彼自身は明らかに会津藩に対して忠義を持っていたし、平時であればそこそこ有能な人物でもあったと思われるのだが、とにかく時流に合わなかったのとやることなすことがことごとく裏目に出たという極めて不幸な人物である。なお彼の一族の自害のエピソードは、戊辰戦争を物語る悲劇として知られており、この施設内でその件に関連した展示がある。また彼の甥で彼の養子である志田四郎が姿三四郎のモデルと言われている。
左 会津武家屋敷入口 中央 家老屋敷門 右 姿三四郎のモデル・西郷四郎の像 左 表玄関 中央 庭園 右 表座敷 左 裏手は家族の住まい 中央 平和な日々 右 遠くに鶴ヶ城も見える 家老屋敷の隣には移築復元された旧中畑陣屋と再現建築の茶室などがある。この一帯を会津藩絡みの復元建築物の展示場にしてあるのである。
中畑陣屋 茶室 武家屋敷の見学を終えると巡回バスで七日町まで移動する。そもそも会津若松にやって来たのはこれが目的である。七日町駅で下車すると、七日町の町並みをプラプラと散策。七日町の町並みは完全に往時のままというわけでもないようだが、それでも結構風情のある町並みであり、歩いていて楽しい。
会津若松の主役の一人は野口英世。七日町の東には野口英世青春ストリートなる街路や公園があり、彼の像が立っている。また町内には彼の初恋の相手が住んでいた家とかいろいろのあるのだが、こういうのをあの世でご本人はどう思っているのだろうか。「公開処刑だ!」と思ってなければよいが。偉人に挙げられるようになると、若気の至りの象徴のようなラブレターなどの黒歴史が歴史的資料として後々まで残されるような羽目になるので、ノーベル賞受賞者などは今のうちから身辺を整理しておいた方が良かろう(と言っても、ラブレターなんかは相手が保管してある場合が大半なんだが)。私の場合はラブレターを書いたこともないし、まず何よりも偉人と言われることがあり得ないので心配ないが。
左 野口英世青春ストリート 中央 これが印 右 野口英世青春広場 広場奥に立つ野口英世像 町並みの散策を終えると巡回バスで鶴ヶ城に立ち寄る。やはりこの城は良い。なお久しぶりに観光案内所をのぞいたが、以前いた美人さんは今回はいなかった。引退したのかたまたま休みか、理由は不明だがややテンションが落ちる。
巡回バスはいからさんで鶴ヶ城へ 鶴ヶ城の訪問を終えるとバスで移動。このままホテルに向かうかと思ったが、途中で御薬園を通ったので思い立って途中下車する。
御薬園は松平氏の大名庭園で、園内で薬草栽培も行われていたことから御薬園と呼ばれている。庭園の設計者である目黒浄定と行辰野源左衛門は小堀遠州の流れを汲んでいるとのことであり、水を巡らせた美しい庭園である。
左 御薬園 中央 綾瀬はるかもいます 右 御薬園入口 御薬園の見学を終えるとバスで東山温泉へ。このまま夕食にしようかと思ったが、まだ5時前だったので飲食店があいていない。このまま待つのもしんどいので、まずは一端チェックイン手続きをしてから部屋に入ることにする。
部屋は1ルームマンションを思わせるようなシングルルーム。ユニットバスがやけに狭いが、これは大浴場を使用しろという意味か。なおエレベータが故障中であったが、私が割り当てられた3階はそもそもエレベータの意味がないフロア(エレベータが二階と三階の間の中二階から始まっていて、中三階、中四階・・・と続く)なのであまり関係なし。エレベータの無理矢理後付け感が半端ないところから見ても、やはり元は従業員寮か?
部屋で一息ついてから本館へ入浴に向かうことにする。本館の大浴場は川沿いにあり、ライトアップされた滝がそこに見えるという仕掛け。お湯は東山温泉のナトリウムーカリウム硫酸塩泉。柔らかくて温まる湯である。温度がやや高めだが、湯の肌触りが柔らかいので入浴しやすい。
入浴の後は夕食のために温泉街へ。立ち寄ったのは「よしのや」。東山温泉の飲食店としては、以前に訪問した卯の屋と並んで有名な店である(と言うか、これ以外に店があるのか?)。ソースカツ丼が名物なのだが、さすがに昨晩からカツ丼が連チャンになってしまっているので、今回注文したのは味噌チャーシュー麺。
夕方で客が多いせいでかなり待たされてからようやくラーメンが登場。大量に載ったチャーシューが目に付く。味噌ラーメンと言うがそんなにこってりしたスープではなくて、結構あっさり系。麺は平打ち系でコシがある。チャーシューは厚切りで柔らかくてうまい。特別なラーメンではないが、当たり前のものを当たり前に作ったらうまいラーメンになりましたという平凡の非凡のような作品である。
夕食を終えるとホテルに戻るが、入浴してからウロウロしていたせいで体が冷えてしまったので、ホテルの浴場で体を温めることにする。ここの浴場は1階にある。岩風呂風となっているが、実際はモルタル風呂。またかなり狭いので実質的には一人風呂である。幸いにして私の入浴中には他の客は来なかったので貸し切り風呂だったが。
ようやく体が温まるとこの原稿を打ったりしながらぼんやりと過ごす。東山温泉は良いところだが、難点はコンビニ等が全くないこと。夜食の買い出しなどが不可である。私のように鉄道とバスでやってきているとバスのなくなった6時以降は買い物の手段がない。いきおい、非常に健康的な生活を送ることになる。することもないし疲れてきたりで11時頃には就寝する。
☆☆☆☆☆
翌朝は6時半に起床すると、本館へ朝風呂兼朝食。瀧の湯は小原庄助氏ゆかりの旅館とのことで、食堂の名前はおはら。説明によると小原庄助氏とは郷士の一人であり、豪放な人物ではあったが、決して道楽で身上をつぶすような遊興な人物ではなかったとのこと。
風呂からは正面に滝が見える。やはり朝風呂は気持ち良い。風呂でさっぱりすると食堂でバイキング和朝食。バイキング内容はいわゆる会津飯であるが、これとは別にきなこ餅やエゴマ餅があるのがうれしい。
朝食を終えると部屋に戻って荷物をまとめてチェックアウト。チェックアウト手続きはなく、鍵をキーボックスに返すだけである。ホテルの前がバス停なので、ハイカラさんの始発で会津若松駅へ戻る。
会津若松駅には既にトロッコ列車が到着している。トロッコ列車はお座敷車両とトロッコ車両と展望車両の三両連結。私が昨日整理券を確保できたのはお座敷車両の分。本当は展望車両が良かったのだが、これしか残っていなかった。改札口でチケットが云々と交渉中の客もいる。どうやらJRに割り当てられたチケットはすべてはけてしまったようである。
左 トロッコ列車 中央・右 お座敷車両 左 トロッコ車両 中央・右 展望車両 お座敷車両はいわゆるこたつ列車。各席が掘り炬燵形式になっており、冬場にはありがたそうだが、今日の天候では正直なところ少々暑い。しかも東山温泉の湯はいわゆる温まる系の湯なので、昨日辺りから体がかっかして仕方ない。冷え性の者には最適の湯だが、私のような体の放熱が悪い者には向いてないかも。
会津若松を出た列車は七日町を過ぎて西若松へ。ここから大量の乗客が。ここからの乗車組は会津鉄道で整理券を入手した組だろう。
次の停車駅は芦ノ牧温泉。ここからも大量の乗客が乗り込んできて車内の混雑度が上がってくる。列車はここで10分の停車。この列車はこういう停車が多いので終点の会津田島まで2時間ほどかかることになるが、トロッコと言っても開放トロッコでないので走行速度自体は昨日の快速と比べて決して遅くはない。
湯野上温泉では20分の停車。この間は乗客の撮影タイム。次の塔のへつりでは結構な人数が降車する。塔のへつりを過ぎると終点の会津田島まではそう距離はない。
会津田島では新栃木行きの普通車に乗り換える。ここからは風光明媚な山々の間をしばし走行。大量の乗車があるのは川治湯本温泉駅からだが、次の龍王峡で大量の乗降があり、その次の新藤原で前に増結がある。増結した列車は鬼怒川温泉に向かうが、併走道路を見ると大渋滞の模様。これから先のことを考えると目眩がしてくる。
鬼怒川温泉は相変わらず寂れた空気が漂う。老朽化したホテルや閉鎖されたホテルが目立つ。その挙げ句に伊東園による買収が進んでいるというのだから、温泉街としての活力がかなり低下しているのは否めない。熱海と同じで往時の繁栄がかなりだったから、その落差がもろに寂れムードに直結してしまっているのだろう。かといって今更かつての鄙びた温泉街に戻る術もないし、どうも八方塞がりになっている感が強い。何か新しい時代に対応した方策が必要なように思われる。
鬼怒川温泉を過ぎると下今市まではすぐ。ここで日光行きの列車に乗り換える。日光駅に到着するとここでレンタカーに乗り換えて奥日光を目指すことになる。今日の宿泊ホテルは奥日光湯元温泉のスパビレッジカマヤ。そこに行く前に華厳の滝や中禅寺湖などを見学して・・・と考えていたのだが、それは甘い考えだった。秋の日光周辺は混雑するという噂を聞いていたが、それは私の想像をはるかに超えていた。日光駅前から既に車は全く流れず、東照宮手前の神橋に到着するまでに30分以上、いろは坂に到着したのが1時間後、さらにはいろは坂では車がほとんど動かず、ひどい時は時速1キロという始末(1時間で1キロしか進まなかった)。華厳の滝の見学どころか、明智平に到着したのは辺りが真っ暗になった6時過ぎ。明智平は真っ暗な上に何もないが、ここまでの渋滞で疲れ切ったのかそれともやけくそか、ここに入っていく車も結構ある。しかしホテルにたどり着かないといけない私は先を急ぐ。ようやく道がまともに流れ出したのは明智平を過ぎてトンネルの途中ぐらいから。真っ暗な中禅寺湖に到着した多くの車は、そのまま何も出来ずに再びいろは坂から帰途につくべく右折していく。いろは坂の一方通行という構造が不幸の元。今日みたいな状態だと到着した頃には真っ暗なのは確実なので、一方通行でなければ諦めてUターンする車もいるだろうが、一方通行のせいで最後まで進まないと逃げられないのである。こんな理不尽に耐えるとはつくづく日本人はM体質だと感じた次第。
左 東照宮までが遠い 中央 いろは坂も全く動かない 右 とうとう日没 私は中禅寺湖のところで彼らとは逆向きに左折して奥日光を目指す。しかし街灯の類が全くないために真っ暗になった奥日光の道路は極めて走りにくい。カーブが多いのでハイビームにしたいところだが、その割には対向車が多い。しかも対向車の方はこっちに全くかまわずにハイビームで走っているので目が眩まされて一瞬道路が見えなくなる。こういう条件の道を走ったら、残念ながら老化で視力が弱っているのが痛感される。
しかも奥日光湯元温泉に到着したら、やはりここも真っ暗でホテルがどこだか分からない。楽天からのメールとカーナビの地図を見比べてようやくホテルを発見するが、結局はホテルに到着したのはチェックイン予定時刻の6時から大きく遅れる7時になってしまった。なお今日の宿泊客は私以外も散々な状態だったらしい。
ホテルにチェックインするとすぐに夕食。今日は日光に到着するとすぐにこっちに向かったので、結局なんだかんだで昼食を摂っておらず空腹が極限に来ている。夕食はレストランで川魚系の会席料理。私は元々川魚好きなのでうまい。頭からボリボリいけるイワナの料理がまたうまい。ここのホテルの料理は当たりだった。
夕食を終えて生き返ると、大浴場に入浴に行く。大浴場に近づくだけで硫黄の匂いが漂っており、これは本物だと感じさせられる。浴場は内風呂と露天風呂のシンプルなもので、露天風呂は外で冷やされたのかややぬる湯になっている。泉質は含硫黄−ナトリウム・カルシウム硫酸塩、炭酸水素塩、塩化物泉とのことで弱酸性の温泉で白色のにごり湯である。湧出温度が約60度という高温泉で、これが浴槽に注ぎ込まれている。もう肌当たりからして本物そのもの。内風呂はやや熱湯なのに肌に刺激がない。肌がしっとりとしてくる印象である。まさに極楽。この湯のためだけでも苦労してここまでやって来た甲斐があったというものである。
風呂から上がるとマッタリというか、正直なところグッタリである。この原稿でも打とうかと思ったのだが、頭がボンヤリして考えがまとまらないので結局はボーッとテレビを見る。官兵衛はかなり大詰めで、いよいよ秀吉が耄碌してきて先がないという展開。NHKスペシャルはなぜか小野アナが出演しているのだが、コメントが主婦コメンテーターレベル(「ようやく私でも理解できました」なんて言葉が出てくる)。何やらこの人、深読み以来ほとんどボケ役になってきたな・・・。
一息ついたところでもう一回入浴。体が温まったところで就寝する。
☆☆☆☆☆
翌朝は6時に起床するとまずは朝風呂。朝から良質の湯が肌に染み入る。小原庄助さん万歳!
風呂から上がってマッタリすると7時から朝食である。朝食は和食バイキング。これという特徴はないが普通にうまい。
朝食を終えると7時半過ぎにはもうチェックアウトする。今日は伊香保温泉まで移動する予定だが、その前にやはり奥日光まで来たからには昨日立ち寄れなかった華厳の滝などを訪問しておきたい。道路が混雑する前が勝負である。今朝はかなり冷え込んでいる上に風が強い。道路を走っていると木の葉が吹き付けてくる。それにかなり冷え込んでいるので路面の凍結が恐い。濡れた路面にはどうしても緊張してしまう。
華厳の滝の駐車場には20分ほどで到着する。まだ早朝だというのに既に多くの車が止まっている。ここに車を置くとまずは華厳滝を上から見学。かなり大きな滝であり圧倒される。
次はエレベータを使って下まで下りて見学することにする。華厳滝では大型の専用エレベータが運行されていて、これで岩盤の中を下りて滝正面の観瀑台に行けるようになっている。エレベータは観光客を満載してピストン運転されている。
エレベータで観瀑台に移動する 下から見た華厳滝は唖然とするような風景。その迫力は言葉では表現しにくいし、この存在感は写真でも表現できない。とにかく周囲の空気が違うという印象である。
滝の見学を終えて車のところに戻ってきた時には駐車場はほぼ満杯に近くなっていた。観光客が続々と押し掛けているようだ。次は明智平に向かう。いろは坂は目下のところは問題なく車が流れているが、対向車線の車の数は既に多く、明智平の駐車場も車がかなり多い。
明智平はかなり見晴らしがよい。向こうには第一いろは坂が見えるが、目下のところは問題なく車が流れている模様。またここからはロープウェイで展望台に行けるはずなのだが、今日は朝からの強風のために運行が休止だとか。現状では再開可能かどうかは分からないとのこと。
左 明智平のレストハウス 中央 かなり見晴らしが良い 右 いろは坂が見える 左 ロープウェイの駅 中央 あの山上まで行けるはずだったのだが・・・ 右 無念 仕方ないのでさっさと明智平を後にする。そう言えば今日は中禅寺湖の湖面もかなり波立っている。もしかしたら遊覧船も運休しているかもしれない。昨日の天気予報で今日は北日本を中心に強風で大荒れになると言っていたが、その影響はこの日光まで及んでいるようだ。
中禅寺湖の湖面も結構荒れている
今日はこの後、宿泊予定地である伊香保温泉まで移動する必要がある。ルートについてはいろは坂を降りて高速を経由するルートもあるのだが、もういろは坂は懲りたというのが本音。奥日光を経由するルートを取ることにする。
途中で湯滝の近くを通りかかるので、ついでに立ち寄って見学する。湯滝は上流の湯ノ湖の水が溶岩の斜面に沿って流れる幅広い滝である。先ほどの華厳滝とはまた全く異なる情緒がある。
湯滝を見学しながら近くの売店で鮎の塩焼きを頂く。炭火の遠火で焼いているこれがまたうまい。
湯滝を後にすると山越えで群馬に向かう。しかし途中で小雨が・・・と思ったのだが、よく見ると雨でなくて雪である。まさかこの11月の上旬に雪が降るとは。まあ積もるようなことはないだろうが、それでも精神的には嫌なものである。
かなりの高度を登って降りて、ようやく群馬に到着。こちら側に降りてくると拍子抜けするぐらいの晴天である。あの様子だと三国峠のあちら側はかなり荒れていそうである。
さてこのまま伊香保温泉を目指したいところなのだが、実はその前にイオン高崎に立ち寄る必要がある。と言うのも、ズボンを購入しないといけなくなったから。実は本遠征の最中に履いていたズボンが破れて大穴があいてしまったのである。先日来長距離を歩いたせいですり切れてしまった次第。ここまでは上着でなんとか隠していたが、それももう限界。本当は昨日、イオン今市店にでも立ち寄ろうかと思っていたのだが、日光周辺がとてもそんな状況でなかったので断念した次第である。
イオンは「狐の出るようなところに出店する」のが戦略だと聞いていたが、やはりイオン高崎もとんでもないところにある。しかし連休の影響かかなり大勢の買い物客でごった返している。とりあえず替えズボンを購入、併せて今日のおやつも購入。やはりイオンは便利である。とは言うものの、旅情が完膚無きまでに吹き飛ぶという問題がある。特にイオンはどこも同じような構成なので、地元に帰ってきたような錯覚を生じる。ついつい頭が日常モードに戻ってしまうのである。ついでに昼食も済ませとこうかとも思ったが、さすがにそれは悲しすぎる上にどこの飲食店も長蛇の列だったのでさっさとイオンを後にして伊香保温泉に向かうことにする。
イオンから伊香保温泉までは1時間もかからない。それにしてもこうして走ってみると、群馬県というのはただっ広くて何もないところだ。上毛三山パノラマ街道に合流すると伊香保温泉はすぐそこだが、直行しても仕方ないので途中で寄り道する。この街道沿いにはグリーン牧場があるのでそこで右折。ただし私は牛には興味がない。目的地はその奥にあるハラミュージアムアーク。現代アートの美術館である。
美術館はだだっ広い中にポツンと立っている。さて展示作品の方だが、面白かったのは原っぱの真ん中にポツンと立っていた作品。一見、公衆便所のようにさえ見えるが、中に入ると小窓から取り込んだ日光が輪を描いている作品。ある特定の日の特定の時間になるとこれらの輪が完全に真円になるらしい。うーん、古代の日時計みたいなもんだな。
内部の展示作品は正直なところ私にとってはどうでも良いようなものがほとんど。ただ一つだけ、プールの揺らめく水面を描いていた絵画だけは面白かった。静止画のはずなのに水面がゆらゆらと動いて見えるのは目の錯覚というものだろう。やはり人間の視覚というものは脳によってかなり左右されていることが分かる。だから思い込みが強すぎると存在しないはずのものが見えてきたりするわけか。
これ以外では狩野探幽や円山応挙の作品と現代アートのコラボとか、草原の中に忽然と立っている巨大キャンベルスープ缶とか、趣旨は不明だが妙に笑える展示もあった。現代アートとは遊園地のアトラクションのようなものと考えている私にとっては、これは正解。
左 これは 中央 正面から見るとこうなる 右 忽然とあるキャンベルスープ缶 このような彫刻も 美術館を一回りすると、美術館の隣の喫茶「カフェダール」で一服。そう言えば昼食がまだだった。カフェで昼食を摂る気もしないので、お茶で一服しながら昼食処をネットで物色する。
この辺りは水沢うどんの本場になるらしい。と言うわけで訪れたのは近くのうどん屋「鶴亀庵」。しかし私の訪問時は昼食時よりは随分遅れているにもかかわらず、店内は観光客らしき連中で満員。また店員が少ないのかてんやわんやでほとんど回っていない。おかげでしばし待たされることになる。
大分待たされてようやく席に案内される。注文したのは「鶴亀割子三段」。これを大盛りで頂く。これが出てくるまでにまた待たされる。うどんを茹でるにはそれなりに時間がかかるからこれは仕方ないところだが、それにしてもやたらに待たされる店だ。
三種のうどんが登場。どことなく出雲の割子そばを思い出さされる。うどんは細めののどごしの良いもの。稲庭うどんと類似したものが出てくるかと思ったが、どうやら稲庭うどんのような乾麺系とは違うようだ。かといって讃岐うどんとも全く異なる第三のうどんである。関東でまともなうどんとはこれは珍しいものに出会った。
他にも美術館にでも立ち寄ろうかと思っていたのだが、腹がふくれると面倒になってきたのと、その美術館が竹久夢二の美術館であることから(私はなぜか竹久夢二の絵は好みに合わないのである)、面倒になってきたので伊香保温泉に直行することにする。しかしなぜか伊香保温泉の手前で大渋滞。いろは坂の悪夢が蘇るが、もう伊香保温泉まで1キロ程度なので、最悪時速1キロでも1時間もあれば到着すると腹をくくる。結局渋滞は10分ぐらいで何とか抜ける。
今回宿泊するのはホテル轟。伊香保の石段街のちょうど入口付近にあるホテルである。お一人様向けのエコノミープランがあったのが決め手。いざ現地に到着すると私が思っていたよりも巨大なホテル。古き良き時代のオールインワン型のホテルのようである。とりあえず車を預けてからチェックイン。部屋は7階の見晴らしの良いなかなか豪華な部屋(と言っても温泉旅館の部屋としては普通なのだろうが)が割り当てられる。日頃貧乏ホテルばかり渡り歩いている私は、このタイプのホテルに宿泊したことは今まであまりない。
とりあえず着替えて部屋で一服すると入浴に行くことにする。ここは最上階に展望浴場が、1階に大浴場があるらしい。なおいかにも斜面が多い伊香保温泉らしく、入口とフロントは3階である。とりあえず展望浴場へ。
ここの泉質はメタケイ酸の単純泉らしい。伊香保温泉には2種類の源泉があるらしいが、いわゆる後から掘った方の源泉のようだ。非常にサラッとした印象の湯で、入浴後に体が濡れないという感じがある。なお展望浴場からは正面に山が見えてなかなか眺めが良い。
入浴で汗を流したら再び着替えて温泉街の散歩に出る。伊香保温泉といえば何と言っても有名なのは石段。全部で365段あるそうな。石段沿いには多くの店があり観光客でにぎわっている。いかにも温泉街らしいのは射的場があちこちにあること。
左 石段街 中央 伊香保温泉のキャラ・いしだんくん 右 観光客が多い 左 365段 中央 石段の湯 右 射的場 石段街周辺には土産物屋だけでなく、関所やハワイ公使の別邸なども残っているのでそれも見学。後はプラプラと最上段の伊香保神社まで。温泉にはお約束の温泉神社である。この石段は上に行くほど狭くて急になる。何とか登り切ったが結構疲れた。なお伊香保神社の御利益は子宝とのことだが、私はその前にまず相手を世話してもらわないといけない。おみくじを引いてみると「中吉」。「恋愛 激情に身を任すと悔いを残します 信神せよ」「縁談 神様におすがりし気長に待てば良縁を授かります」。おい!神頼みってことか!
左 関所 中央 ハワイ公使別邸 右 内部 左 石段を登る 中央 上に行くほど道幅は狭まる 右 伊香保神社 ここからは上ノ山に登る登山道も出ているが、この石段を登った挙げ句にさらに登山する気力も体力も時間もない。そこでここから少しプラプラと歩いてロープウェイで上ノ山に登ることにする。伊香保ロープウェイは20人乗り程度の小型ロープウェイ。4分で山上まで到着する。乗ってみると意外と高度がある。またこの時期は紅葉が綺麗だ。
左 ロープウェイ乗り場 中央 ゴンドラ 右 かなり高い 山上を少し歩くと展望台がある。ここがなかなかの絶景。日が西に傾いたところで群馬の山々がくっきりと浮かび上がっている。実に壮観である。
ただ風景は良いのだが、この手の風景や夜景が綺麗な場所というのは実は私のような一人者には鬼門でもある。この手の場所は異様にカップル・夫婦率が高いので私のように野郎が一人でウロウロしていたらとにかくアウェイムードが半端ない。またいかにもカップル向けにそれっぽい鐘なんかも用意してあって・・・。やけくそになって半鐘みたいに叩きまくりたくなるがさすがにそれはやめておく。
ホテルが見えている
絶景を堪能してから孤独感を深めつつホテルに戻ってくると、今度は大浴場で入浴。大浴場の方は水車の湯と銘打っていて、なぜか浴場内に水車があってそこから湯が供給されるという仕組み。これで体をしっかりと温めるが、心は温まらない(笑)。
風呂から上がってマッタリしていると夕食の時間が来るので食事処へ。夕食はお約束通りの会席料理。特に驚くものもないが普通に豪華で普通においしい。ボリュームも十分。これでお腹は満たされるが、心は満たされない(オイオイ)。
食事を終えて部屋に戻ると布団が敷いてある。その上でゴロゴロとテレビを見ている内に段々と眠くなってきたので、この日は早めに就寝する。
☆☆☆☆☆
翌朝は6時半に目覚める。いろは坂の疲れのせいかどうも体が重い。とりあえず朝から風呂で目を覚ますとバイキング朝食へ。
もう今日は基本的に宇都宮に車を返して新幹線で帰るだけである。9時頃までマッタリしてからチェックアウトする。
さてこのまま帰っても良いのだが、それだとあまりに芸がない。一応はオプショナルプランは考えてある。この近くの渋川に白井城という城郭が存在するということが調べがついているのでそこに立ち寄ることにする。
「白井城」は山内上杉氏の配下の白井長尾氏の居城であったという。築城年代は15世紀中頃、長尾景仲の時代とみられる。その後、北条氏、上杉氏、武田氏の覇権争いに巻き込まれるが、1590年の豊臣秀吉の小田原攻めで前田利家、上杉景勝の両軍の前に開城、その後は徳川家康家臣の本多広孝の治めるところとなる。その後、広孝の子・康重が二万石の領主となって沼田城の真田昌幸を押さえる前線基地として働くが、康重の岡崎移封後には康重の第二子紀貞が入城、しかし1624年に彼が死去して嗣子がなかったことから廃城となったとのこと。
本丸はかなり良好な状態で残存しており、周囲を高い土塁で囲われている。また石垣で組んだ枡形虎口が残っているが、これは本多氏の代で整備されたものだという。本丸南方には櫓があったと言われており、その一段下には笹曲輪という出曲輪跡がある。
左 本丸碑 中央 枡形門 右 本丸前の堀 左 本丸は土塁で囲まれている 中央 土塁上から下を見る 右 向こうに見えるのが帯曲輪 左 帯曲輪上から枡形門を見下ろす 中央 櫓台 右 一段下に笹曲輪 二の丸は完全に畑化しているが、二の丸と本丸の間の堀は現存しており、三日月堀周辺は今でもかなり深い。これらを取り囲むように帯曲輪が配されているが、帯曲輪は面積自体はあまり広くないので、曲輪というよりは巨大な土塁のようにも思える。
左 三日月堀に降りる 中央 向こうが帯曲輪 右 帯曲輪 二の丸と三の丸の間の堀は今ではほとんど埋まって浅くなっているが、それでも巨大な堀の名残はある。
左・中央 二の丸は畑になっている 右 三の丸との間の堀 三の丸と北曲輪の間の堀は今では全く残っていないが、その先にある神社の小山はかつては最前線の櫓があったのだろう。
左・中央 三の丸 右 ここはかつての櫓台か 吾妻川を西の防衛戦として東側と南側は断崖、大地がつながる北側には曲輪を連ねて守備を固めたなかなかの堅城である。各曲輪の面積も広く、かなりの兵力を擁することも可能である。ただ逆に言うと大兵力で守備することが前提の城郭で、小兵で立て籠もることが出来る城郭ではない。
白井城の東にはかつての白井宿が残っている。今では住宅はほとんど現代のものになってしまっているが、それでも通りの中央に用水路を設けたかつての町並みの面影は残っている。
白井城を後にすると宇都宮まで長駆する。関越道から北関東自動車道に乗り継いで宇都宮上三川ICを降りたのが11時過ぎ。車は13時までに返したら良いので時間の余裕はある。もう一カ所立ち寄ることにする。
立ち寄ったのは「飛山城」。宇都宮景綱の家臣・芳賀高俊が鎌倉時代後期に建造した中世城郭である。現在では国の史跡公園として整備されているという。
周囲の土塁 門 現地には歴史体験館があるのだが、連休明けの火曜日と言うことで休館の模様。されは仕方なのだが、なぜか公園の入口も門が閉ざされている。入場禁止か?と思ったのだが、歩いてなら入れそうなので内部に入り込む。それにしてもわざわざ門を閉ざす理由が不明だ。内部には復元建造物などもあるようなのでホームレスでも住み着くのを警戒したのかとも思ったが、それなら歩いて入れれば無意味だ。もしかしたら北関東は今でも時代遅れのダサい珍走団が生息している地域なので、そういう連中がバイクで入り込むことを警戒したのかもしれない。
左・中央 門の向こうには枡形がある 右 なぜか門が閉まっている 西側は鬼怒川、北側は崖で守られた構造になっている。地形的には西側と南側が防御が弱いので、そちらに向かって複数の巨大な土塁や堀など防御施設を強化してある。
左 内部はかなり広い 中央 内部にも土塁と堀 右 ここも門が閉じている 内部にはさらに堀があって北の区画が分離されている。ここには建物跡などがあったらしく、復元建造物がいくつか建っている。どうやらここが城の主要部だったらしい。
左 堀に沿ってさらに進む 中央 堀は広い 右 ここも門が閉じているが中に入れそうだ 左 中には復元建造物が 中央 奥にさらに堀と土塁が 右 ここの堀も幅広い 左 木橋を渡る 中央・右 このスペースがいわゆる本丸か 広い区画を土塁と堀で四角く仕切ったシンプルな構造で、この辺りは中世の城郭らしいというところ。城館が防御力を強化して城郭に発展したという印象の建造物で、白井城と同様で大兵力で守るタイプの城郭である。
南側には北側よりもさらに年代が古いと思われる復元建造物が複数建っているのが見える。どうやらこの地域は城郭として整備される以前から様々に利用されていたようである。地形的に見れば当然でもあるが。
飛山城の見学を終えると後は宇都宮駅前に急ぐだけ。駅に到着してから駅レンタカーの返却場所が分からないというドタバタがあったが、結局は電話で確認してようやくたどり着く。
無事にレンタカーを返却すると新幹線の発車まで1時間あることから、昼食を摂ることにする。やはり宇都宮となれば餃子か。駅前の小さな餃子専門店「餃天堂」に入店、焼餃子と水餃子がセットになった4・4セットに小ライスをつける。
10分待たされて餃子が現れる。水餃子はほうれん草入りのあっさりとした餃子。これは醤油と酢とラー油で適当に味を付けて頂くとのこと。一方の焼餃子にはマヨネーズと一味をつけて食べてくれとのことである。餃子にマヨネーズとは果たしてどういうものかと思ったが、これが想像を超えてうまい。ここの餃子はもち米を使っているというもっちりした厚手の皮が特徴だが、これが実にうまい。私は餃子はあまり好きでない方なのだが、この餃子ならいける。いわゆる餃子臭さがない。
宇都宮餃子を堪能したら、新幹線を乗り継いで帰途につく。当初予定では途中で東京でもう一カ所美術館に立ち寄ろうと考えていたが、もう既にそんな気力も体力も残っておらず、東京では土産物を購入するのが限界だった。
帰りに見えた富士山は冠雪していた
今回はいろは坂につきる。あの尋常でない渋滞で心身共に消耗しきってしまい、その後の大幅な行動力減退につながってしまった。日光の渋滞は噂では聞いていたが、あそこまでとは・・・。関東周辺は無駄に人口が多いからシーズンの行楽地は要注意である。
城郭や美術館の要素もあるものの、どことなく温泉ツアーのようになった本遠征。しかし温泉でゆったりとならず、終わってみると心底疲れ切っているのはなぜ?
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