展覧会遠征 東京編4

 

 先々週は鹿児島まで繰り出したところであるが、今週は急遽の東京遠征である。と言うのも、今回は完全に展覧会メイン。森美術館で開催される「ラファエロ前派展」を初めとして、是非とも訪問したい展覧会が複数ある。

 

 金曜日の仕事を終えると駅に直行、新幹線で東京に向かう。ただしチケットは東京まで買っているものの、今回は東京までは行かずに新横浜で途中下車。明日からの予定を考えた場合、ここから移動した方が効率が良いため。なお東京までチケットを買ったのはこの方が往復割引で乗車券が安くなるから。新横浜で下車するとJRと東急を乗り継いで元町・中華街へ。やはり夕食は横浜中華街で摂るのが賢明だとの考えから。

夜の中華街にはまだ雪が少し残っていた

 東京は先週には豪雪で大混乱していたが、街角にも一部だけ雪が残っている。中華街に到着したのは夜の9時過ぎだが、この時間でもまだ開いている店は結構ある。その中で「五福臨」を選択。注文したのは「五目炒飯(750円)」「パイコー麺(850円)」「杏仁豆腐(400円)」

 パイコー麺はあっさりしたシンプルな味付け。五目炒飯は何やら中華風のスパイスの匂いがするが、特別なクセはない普通のもの。価格はお手ごろなんだが、味もそこそこという印象。悪くはないのだが、感動するほどうまいというものもない。まあ東京周辺ならこれでも上々なんだろうが。

 夕食を終えるとホテルに向かう。今日の宿泊ホテルはルートイン馬車道。横浜市街の結構便利なところにあるホテル。横浜のホテルは高いところが多くて、私の好みの「大浴場があって宿泊料が安いホテル」というのがなかなか見つからなかった中で選んだホテル。かつてはよく利用したドーミーインが最近は明らかにリゾートホテル方向にシフトしてきて、週末割増価格など以前に増して宿泊料が高騰する傾向にあって非常に使いにくくなってきた。おかげで最近はどうも「困った時のルートイン」という傾向が強くなってきている。

 

 ホテルにチェックインしたのは10時過ぎ。早速大浴場に直行してサッパリすると、しばしテレビでも見ながらマッタリしてから、翌日の活動に備えて就寝する。

  

☆☆☆☆☆

 

 

 翌朝は6時に目覚ましで叩き起こされる。どうも最近は仕事がきつかったことから爆睡していたようである。とりあえずシャワーで目を覚ますと朝食へ。腹が減っているので朝からタップリと詰め込む。

 馬車道周辺

 ホテルをチェックアウトしたのは8時前。さて今日の予定だが、まずは津久井城を訪問・・・するつもりだったのだが、HPで調べたところによると、先週の雪がまだ融けておらず公園内に立ち入れない状態とのこと。しかしここにいても状況が分からないので、とりあえず橋本まで行ってからどうするかを考えることにする。

 

 横浜周辺にはもうほとんど雪は残っていなかったのだが、横浜線で北上していくにつれて沿線に雪が増えてくる。道路などは除雪されていたり融けていたりしているのだが、土の上には雪が積もっている状態。到着した橋本駅は駅の周辺にも雪が見える上に、遠くに見える山も真っ白い状態。これはやはり津久井城訪問は後日の別の機会にするしかないようである。

 橋下駅は雪の中

 予定が一つ消えたので、とりあえずは今日の予定を前倒しにすることにする。次の予定は私鉄視察。まずは京王線で多摩センターまで移動、ここから小田急多摩線の視察。すぐ隣の小田急多摩センター駅に移動すると、終点唐木田へ。

京王多摩センターから小田急多摩センターへ移動

 唐木田は多摩ニュータウンの住宅地の中。特に何があるというところでもないので引き返す。新百合ヶ丘までは沿線はひたすら住宅地。ここで乗り換えると町田へ。町田ではJR横浜線に乗り換える。この二駅、隣接しているのかと思っていたが、実際には数分の距離がある。雨でも降ったら嫌な距離だ。

唐木田から折り返して町田で乗換

 とりあえず小田急多摩線の視察は終了。小田急はまだ本線の小田原線が残っているが、これは後日の機会に譲るとして、今日の次の目的地は小机。前回の東京遠征の際に立ち寄るつもりが、時間の関係で割愛した城郭である。横浜近くになると町中にはほとんど雪がないし、まさか雪で登れないということはなかろう。

 

 「小机城」は築城年代は明らかではないが、12世紀頃だと推測されているという。山内上杉家の家臣長尾景春が反乱を起こした際、景春に味方した矢野兵庫助らが城に立て籠もって上杉方の太田道灌と戦ったという記録が残っているという。城は1489年に落城、上杉氏の勢力が北条早雲に追われた後は、北条氏の領土となって40年間廃城となっていたという。しかし1524年に北条氏堯の城として再興、北条築城術に基づいて再整備されたようである。なお秀吉の小田原征伐に北条氏滅亡後に廃城となっている。

 

 小机駅は南側に古い市街地が、北側の何もなかったところにはスタジアムが整備されており、線路の南北で町の性格が大きく異なる。小机城は線路北側のやや西寄りの住宅地の奥の小山の上である。

 小机城遠景

 現地は公園整備されているが、辺りの宅地化やJRの線路、さらには第三京浜道路によってかつての城域は分断されてしまっている。現在残っているのは本丸と二の丸の周辺。

 案内に従って本丸に登る。そう大規模な城郭ではないが、本丸周辺を取り巻く堀の立派さには驚かされる。北条お得意の畝堀ではないが、幅が広くて深い堀は関東ロームにおいては十分な防御力を持つものである。

左 小机城登城口  中央 根古谷  右 本丸方向へ登る

左 本丸手前の空堀  中央 富士仙元方向への分岐  右 空堀を振り返って

左 本丸門  中央 本丸には雪が残っている  右 二の丸方向へ
 

 本丸からは櫓跡を経て二の丸に移動出来る。ここの櫓跡からは先ほどの大規模な空堀をグルリと見渡せるので本丸南の防御の拠点となりえる。

左 櫓跡  中央 櫓台  右 空堀を見下ろせる
 

 二の丸は井楼跡の奥にある。ここの二つはかつては土塁で区切られていたらしいが、後に畑化された際に土塁が撤去されたらしい。この井楼跡の隅にも櫓台があり、こちらは北方の空堀を見渡す北の防御の拠点である。

左 井楼跡  中央 隅にある櫓台  右 北側を見下ろせる

 二の丸から空堀に降りて一回りするが、とにかく深くて広い。曲輪の規模などからそう大規模な城ではないが、それでもしっかりと防御の設備のなされた要塞ではある。交通の要衝でもあるこの地を押さえるための城郭であったことが伺える。

左 井楼の奥が二の丸  中央 二の丸  右 二の丸から周囲の堀切を見下ろす

左 堀切に降りる  中央 正面が本丸 
 

本丸周囲の空堀

 なお第三京浜の西側に富士仙元があるが、これは西の見張り台というところか。この辺りから西に向けてはかなり高さがある。またここからJRを越えて南の方もかつての城域だったようだが、宅地化と道路で見事に破壊されてしまっていて面影は全く残っていない。

左 富士仙元は道路の向こう  中央 左手が富士仙元  右 道路の向こうが本丸

 住宅地の中の城郭なので大して遺構も残っていないだろうと考えていたのだが、思った以上にすばらしい遺構が見られたのには驚いた。周りの宅地かがかなり進んでいることを考えると、これは奇跡的なようにも感じられる。

 

 小机城の見学を終えて駅に戻ると、隣の新横浜で地下鉄に乗り換える。これで終点の湘南台まで。途中の上永谷周辺と終点の湘南台手前で地上に出る部分はあるが、概ね地下を走行なので変化がなくて退屈至極。やはり地下鉄の視察ほど空しいものはない。

左 新横浜から地下鉄に乗車  中央 上永谷は地上駅  右 湘南台に到着する

 湘南台に到着。これで横浜地下鉄視察完了。ここで相模鉄道に乗り換えである。地下鉄と相模鉄道の駅はほぼ隣接。さらに小田急の駅まで隣接している一大ステーションであるが、周囲は普通の郊外住宅地の印象。

相鉄湘南台へ移動

 相模鉄道湘南台から横浜行き普通列車に乗車。相鉄湘南台駅は地下駅だが、路線はすぐに地上に出てしばらく地下鉄と併走した後に別れる。車両はごく普通の通勤列車だし、周辺は普通の郊外住宅地。二俣川から海老名方面からやってきた横浜行き急行に乗り換えると、横浜までノンストップ。とは言うものの、線形もあまり良くなく踏切などがある路線ではスピードはそんなに出ない。

湘南台から二俣川で乗り換えて横浜に到着
 

 これで相模鉄道の視察も完了。トータルの印象として、やはり「山陽電鉄とイメージが被るな」というところである。さてこれでこの辺りで残る路線は小田急ぐらいである。これはいずれ機会を改めてということで、とりあえず横浜地区での予定は終了したので美術館回りの方を実行することにする。横浜駅のロッカーからトランクを回収すると、東海道線と山手線を乗り継いで上野に移動、トランクは上野駅のロッカーに置いて身軽になる。

 

 上野駅に到着するととりあえず昼食をと考えて「ぶんか亭」を覗くが、なんと待ち客が多数いる。馬鹿らしくなってとりあえず昼食は後にして美術館を先にすることにする。何も待ってまで入店するような店ではない。

 


「クリーブランド美術館展」東京国立博物館で2/23まで

 

 クリーブランド美術館の所蔵する日本美術コレクションを中心に展示した展覧会。展示内容は仏画から花鳥画、山水画など多数。

 展示作の中には国内に残存していたら国宝級と思われる作品もあり、展示作の水準は高いのであるが、展示内容が今一つ脈絡がないように感じられたことが展覧会自体の印象を薄めている。

 その中で他から抜きんでて印象が鮮明な作品が二つあったのだが、それが河鍋暁斎の作品と曾我蕭白の作品。やはり表現力が桁違いである。


 会期末だったせいかとにかく会場内が大混雑、ゆっくりと見て回れる状況ではなくてそれが一番の問題であった。東京での展覧会は常にこうであり、出来ることならどこか地方都市での巡回の時にでも訪れたいところ。展覧会のコンディションによっては作品自体の印象まで変わってしまうことがあるが現実である。

 

 疲れたので例によって出店している鶴屋吉信であんみつでもと思ったのだが、生憎と休憩スペースに全く席が空いていなかったので諦めた。ただやはり昼食は摂っておきたいので、博物館内のレストラン「ゆりの木」「豚ロースかつ重(1500円)」を頂く。

   

 要はいわゆるカツ丼である。場所柄CPは到底期待出来ないが、味としては文句ない。まあ東京では1500円でまともに食えるカツ丼が出てきたら文句を言う必要はあるまい(これが東京の恐るべき食品レベルである)。

 

 かなり遅めの昼食を終えると上野のもう一カ所の博物館に立ち寄る。こちらの展示も会期末でかなり混雑している。

 


「大恐竜展 ゴビ砂漠の驚異」国立科学博物館で2/23まで

 

 モンゴルのゴビ砂漠で発掘された恐竜化石を展示。最大の売りは展示標本の実物化石率が90%もあるということ。

 実物化石率の高さもさることながら、一番驚かされるのはその化石の質。恐竜の子供の化石などが非常に多いのだが、その細かい骨がほとんどそのままの形で残っていると言うことが最大の驚異。大抵は風化して消失してしまうような細かい骨が残存している希有な化石を多数見ることが出来る。

 以前に静岡県立美術館で「契丹展」を見た時には展示品の保存状態の良さに驚かされた記憶があるのだが、やはり低湿度のモンゴルはこの手の遺跡の保存には最適の気象条件なんだろう。高温多湿の日本ではこうはいくまい。


 展示内容はなかなかだったのだが、最大の問題は観客の異様な多さ。特に子供が多数であちこちをウロウロと走り回っていて、落ち着いて見学出来る状態でない。結局はザッと一回りするだけで出て来ざるを得なかった。なおこういう場での子供の反応は、魅入られたように展示物に食い入っているタイプと、展示品には全く興味がなくて会場内で遊び回っているタイプに完全に二分される。言うまでもなく前者には理系の素養がある。将来立派な技術者に成長し、日本及び世界のために貢献してもらいたいものである。

 

 上野で立ち寄る予定の美術館はもう一カ所あるが、それは明日に回すことにしてとりあえず移動の方を先にする。次の目的地は東京駅の近くである。


「ザ・ビューティフル 英国の唯美主義 1860-1900」三菱一号館美術館で5/6まで

  

 唯美主義と言ってもあまりピンとこず、下手をすればナルシスト的な怪しい響きさえ感じなくもないが、唯美主義という意味は「宗教的な説教臭さなどの堅苦しい約束事を取っ払って、純粋に視覚的な美しさを追求する」という運動である。芸術史的にはラファエル前派などの直後に来ており、実際にラファエル前派の画家達の多くもこの流れに合流したということである。

 美を追究すると言うことで絵画のみではなく装飾芸術なども多いのがその特徴。本展でも調度品や壁紙などの展示品が多数有り、またそこにはジャポニズムの影響なども見られている。

 絵画ではロセッティやムーアなど。彼らの絵画は技巧的には特別に前衛的という感じではなく、明らかにそれまで伝統も踏まえているのであるが、題材などが当時の常識から言えば前衛だったのだろう。純粋に美しいと感じる絵画は好感を持ちやすい。またそこに感じられる煌びやかな光などに後の印象派につながるものを感じたりしたのは私の考えすぎというものか。なおムーアの花などを装飾的に使用した女性像などは明確に後にミュシャなどの感性に通じる。要するにこれは普遍的な美の感覚と言うものなのだろう。


 先ほどまでの牛詰めの博物館と違って、こちらは自分のペースでゆったりと見て回れる程度の入り。主催者的にはもっと入って欲しいだろうが、こちらとしてはこのぐらいが最も理想的な鑑賞状態。おかげでゆったりと堪能出来た。

 

 美術館の見学を終えるとプラプラと日比谷まで歩く。次が本遠征の主要目的なのであるが、それと同時に私が東京で最も立ち寄りたくない場所でもある。次の美術館は私の大嫌いな六本木成金ヒルズ。移動するなら日比谷線が一番便利である。

 

 日比谷から地下鉄で六本木まではすぐ。また駅からもそう距離はない。それにしてもここだけは何度来ても好きになれない。このシュセンドリーでバブリーで、そこの物陰に堀江でも潜んでいそうな空気は気持ち悪いという言葉だけでは表現足りない。

 

 チケットを購入しようと思ったらチケットカウンターの前は長蛇の列。しかしその割にはカウンターの動作はモタモタしている。どうも券売をわざとゆっくりとして事実上の改札規制をしているのではないかと思われる。ようやくチケットを購入すると牛詰めのエレベーターで上階へ。これは会場も馬鹿混みかなと覚悟していたが、大半の客は展望台に直行のようで、ギャラリーの方に向かうのはごく一部。やっぱりこんなものなのだろう。


「ラファエル前派展」森アーツセンターギャラリーで4/6まで

 

 ラファエル前派とは、大巨匠であるラファエロの形式を踏襲し続けていた保守的なアカデミズムに反発して、ラファエロ以前のルネサンス絵画を規範とした絵画を描くとして19世紀中頃に若手画家により結成された前衛運動である。彼らの絵画は自然をありのままにとらえて、そこに理想化を含ませずにリアリズムに徹した絵画を描こうとした。

 先の唯美主義もこのラファエル前派の流れを汲んでおり、19世紀に発生した大きな絵画のうねりの一環でもある。この改革はやがては印象派、さらには多種多様な現代アートなどへとつながっていく前衛運動の先駆けとも言える。

 とは言うものの、今より100年以上前の前衛運動である。当時のアカデミズムに染まりきっていた画壇にとっては衝撃的な運動だったかも知れないが、現代の我々の目から見るとまだまだ保守的な具象絵画と映ってしまう部分があるのも相仕方ないこと。しかしながらだからこそ私の目から見るとかなり好ましい絵画が多い。

 特にジョン・エヴァレット・ミレイの卓越した表現力には目を見張る。本展では有名な「オフィーリア」を初めとしてミレイの作品数点を鑑賞出来るのだが、洋服の材質の違いまでが見て取れるような凄まじいまでの描写には唖然とさせられるのである。


 内容的に三菱一号館美術館で開催中のザ・ビューティフル展と関わりの深い展覧会なので、相互割引制度がある。私も三菱一号館美術館の使用済み入館券を所持していたので200円の入場割引を受けている。まあこの二展ははしごすべき内容だろう。

 

 隣の森美術館ではウォーホル展を開催していたが、私はもうマリリン・モンローにもキャンベルスープ缶にも嫌気がさしているのでこれはパスする。正直なところ、ウォーホルのモンローやリキテンシュタインのアメコミ、さらにデュシャンの便器にはもう金を払う気は起こらない。

 

 用が終わった以上はこんな場所に長居は無用、さっさと去ることにする。美術館を後にした時には7時過ぎ。辺りも暗くなりかけている。これで今日の予定は終了である。とは言うものの、まだこのままホテルに直行するわけではない。東京地区地下鉄の視察という不毛な行為をこなしておきたい。通常は鉄道視察は沿線風景を調査するために日没後には実施しないのだが、地下鉄についてはその限りではない。

 

 まずは日比谷線の六本木から中目黒まで移動、ここで東急東横線(地下鉄副都心線)に乗り換える。これで池袋を通過して小竹向原まで。ここで有楽町線に乗り換えて折り返すと池袋で丸ノ内線に乗り換える。丸ノ内線は東京の地下鉄の中でも最古参クラス(銀座線が最古だそうな)であるらしいが、そのためか浅いところを走っており、茗荷谷−後楽園間では地上に出るし、お茶の水でも神田川を渡る際に一瞬だけ地上に顔を出す。私としてはこういう路線の方が親しめる。なお最古参の銀座線とこの丸ノ内線だけが標準軌のため、他の路線との相互乗り入れが出来ない孤立した路線になっているとか。道理で池袋でわざわざホームを分けてあったわけだ。

 

 丸ノ内線で大手前まで移動。これで丸ノ内線の全線視察終了、さらにここからは半蔵門線に乗り換えて北千住方面に移動する。これで半蔵門線の視察も終了。北千住ではさらに千代田線に乗り換える。千代田線はもう既に北千住までは視察済みだが、その先の北綾瀬を視察していない。そこでここから綾瀬に移動する。綾瀬から北綾瀬の間は別線になっていてこの区間を往復のピストン運転がさせているようだ。路線図では最果ての盲腸線だが周辺は住宅も多く、この路線に乗り込む乗客もかなり多い。

池袋で丸ノ内線に乗り換え、大手前で半蔵門線に乗り換える
 

 北綾瀬に到着。これで千代田線視察も完了。これで東京の地下鉄で残るは都営三田線の日比谷以北、さらに東京メトロ有楽町線の小竹向原以西と有楽町以東だけだが、これも何とか本遠征中に視察完了しておくつもりであるが、これは明日の予定である。

綾瀬から北綾瀬に移動するが、北綾瀬は特に何があるわけでもない町
 

 今日はとりあえず疲れたので視察はこれで終わり、北千住に戻るとここで夕食を摂る。上野に戻ってトランクを回収した後、東京での定宿ホテルNEO東京に転がり込んだ時には既に11時近くになっていた。

  

☆☆☆☆☆

 

 

 昨日はホテルにチェックインすると入浴してすぐに床についたのだが、7時に起床した時には身体にグッタリとした疲労が残っている。やはりホテルに10時過ぎにチェックインするものではない。夕方頃チェックインしてマッタリ過ごすのが正解だろう。どうも私の東京遠征は大抵ビジネス出張よりもハードなものになってしまうが、今回はとりわけハードである。そう険しくないといえ山城一つにさらに美術館4カ所回って鉄道に揺られ続けたのだからボディブローのように身体に効いている。

 

 ホテルをチェックアウトするとまずはJRで上野に移動してここでロッカーにトランクを置く。次に山手線で池袋に移動、ここで地下鉄有楽町線に乗り換えて和光市まで移動である。地下鉄のこの区間は東武東上線と平行していることになるが、和光市手前までは延々と地下である。

    

地下鉄で和光市まで移動

 和光市は埼玉県の入口だが、駅周辺にはパチンコ屋ばかりが見える町。ここから東武で隣の成増まで一駅戻る。今日はまずここからバスで板橋区美術館に移動するつもり。バスの発車時間まで30分ほどあるので、近くのモスバーガーで朝食にする。

 

 朝食を終えてバスを待っていると、隣のバス停に独特の異様な空気をまとった一団が大量に並んでいる。一体何なんだと思っていたら、競艇場への直通バスが到着して全員それに乗り込んでいった。なるほど、あれはギャンブル廃人が醸し出す廃人臭だったらしい。あの一見しただけでも感じる「人生終わっている感」は何なんだろう? どうも府中といい、この辺りといい、私とはあまり相性の良い町ではないようである。

 

 ようやくバスが到着、住宅街の間をウネウネと抜けてバスは北上する。この辺りの風景はどことなく世田谷辺りと似ている。

 


「探幽3兄弟〜狩野探幽・尚信・安信〜」板橋区立美術館で3/30まで

   

 狩野永徳の孫にして、徳川幕府御用絵師として江戸狩野派の新様式を確立した大家・狩野探幽。彼には尚信・安信の2人の兄弟がおり、彼らも御用絵師として活躍し、これが後に奥絵師四家の狩野派の盤石の体制へとつながっていく。それらの祖となった3兄弟に注目した展覧会。

 長男の探幽はやはり大家と言われるだけの堂々たる画風。狩野派の伝統を踏まえた上で新しい境地を堂々と開いている辺りには、狩野派自体を支える長男としての責任と気負いのようなものも感じられる。次男の尚信は「長生きすれば兄を越えるだろう」と言われた逸材なのだが、残念ながら40代で没している。探幽を意識しつつも独自の境地を開こうとかなり真面目に取り組んでいる様が作品からも伺える。三男の安信は天才肌の兄たちと比較して凡才扱いされることが多いようだが、古画に学ぶ熱心な研究科肌であり、江戸狩野派の組織固めにも貢献するなど、事務方的な方面で手腕を発揮したようである。若年時の作品にはどことなく窮屈さが感じられるところがあるが、後に落ち着いた安定した作画につながっていっている。

 狩野派ブランドを確立した3兄弟について注目した展覧会であり、特に探幽というビッグネームの陰に隠れた2人の弟に光を浴びせているという点で興味深い展覧会。狩野派という共通フォーマットの中でもそれぞれ個性は存在しているということを感じさせる。


 

 美術館の見学を終えると近くの公園を散策。ここはかつて「赤塚城」と呼ばれる城郭があったという。赤塚城はかつてこの辺りを根拠とした武蔵千葉氏の居城であったらしい。千葉氏はその後北条氏に従い、秀吉に滅ぼされたとのこと。

 

 赤塚城は現在は完全に公園化しており、城郭としての遺構はない。全体が台地上になっており、現在公園になっている部分は本丸と二の郭とのことだが、その構造も明らかではないそうな。

左 赤塚城本丸跡  中央 奥は二の丸とのこと  右 結構高台ではある
 

 赤塚城を後にするとここから西高島平駅まで歩く。この間は徒歩で10分ほどだが、途中で高架道路をくぐったり越えたりをする必要があるのでいろいろと回り道させられる。

 

 西高島平は地下鉄三田線の終着駅。線路構造的にはここからの延伸も可能だが、ここから先は埼玉県になるので都営地下鉄の管轄ではないということだ。東武が並行して走っているので、埼玉高速鉄道のような形での延伸は埼玉県も考えていないだろう。しかも埼玉高速鉄道は赤字だと言うし。ちなみに西高島平駅の周辺には本当に道路以外何もない。

    

西高島平駅から地下鉄三田線で日比谷まで移動

 西高島平からはしばらくは三田線は高架鉄道である。沿線風景は郊外住宅地のそれ。90度カーブを2回過ぎて、志村三丁目の先で3度目の90度カーブに入ったところから地下に潜る。後は延々と地下だけの長くて面白くもない路線である。日比谷に到着したところで有楽町線に乗り換える。これで三田線視察完了。さらに有楽町駅から地下鉄で新木場まで。都合、埼玉手前から千葉手前まで東京を縦断したことになる。これで有楽町線も視察完了と言うことで、ようやく東京地下鉄全視察完了である。不毛だった・・・。

日比谷から新木場まで有楽町線で移動、JRに乗り換える
 

 新木場はJR京葉線とりんかい線の駅に隣接している。このままりんかい線で戻っても良いのだが、その前にさらに足を伸ばす。ここからJRで二駅先に舞浜があり、そこには悪名高いネズミーランドがある。ここを周回するディズニーリゾートラインなる路線も一応鉄道分類になるそうだと言うことで視察である。何となく山万ユーカリが丘線と似たような位置づけにある。

 

 舞浜の手前辺りから浮かれた空気が漂いだしているが、舞浜駅で降りた途端にそれがピークに。あのネズミ耳をつけて歩いている連中なんか、キモさでは秋葉原のオタクとレベルが変わらない。金まみれの夢の国に1ミリも夢を感じない私には天敵のようなものである。

 

 リゾートゲートウェイステーションは舞浜駅から徒歩数分。その間も浮かれたキモイ連中が闊歩している。私としてはこのアウェイ感はただ者ではない。とりあえず駅に急ぐことにする。改札は普通の自動改札で、一応鉄道分類であるためかSuicaが使えたのは意外。

左 リゾートゲートウェイステーション  中央 車両  右 普通の自動改札
 

 ライナー内部はいかにもネズミーランドに合わせたデザイン。吊革が銭ゲバネズミの形になっている。ライナー自体は一方通行のモノレール。一周で12分である。これで250円もふんだくる辺りもさすがに銭ゲバネズミー。

普通のモノレールだが、車内は銭ゲバネズミのデザイン
 

 もっと人が多いかと思っていたが、今日は日曜にもかかわらず駐車場もガラガラである。恐らくこれはネズミーにしては客が少ない部類になるのだろうと思われる。なおこの時は「一体観光客はどこに行ったんだ?」と疑問を感じていたのだが、この答えは後に判明することになる。ちなみに回りを一周して鼻についたのは、やはり明からさまな人工物臭さ。やはり人工の夢の国はどうしても作り物臭さを払拭出来ていない。綺麗なのだがとにかくわざとらしいのである。なお何かこの雰囲気をどこかで見たことがあるなと記憶を辿れば、それは長崎ハウステンボスだった。ああ、あそこはこれを目指して大失敗したのかと納得する。あそこの失敗の理由は、まずはコンセプトがあまりに不明確であったこと。そもそもオランダの町を日本で再現したところでそれ自体には何の意味もない。むしろ施設自体は映画村レベルのショボサでも良いから、観光客を楽しませる仕組みにこそ知恵を巡らせるべきだったのである。

人工臭さが少々鼻につくネズミーランド

 それにしても先日の成金ヒルズといい、東京には私が嫌悪感を感じる施設が多い。しかし一般にこのような施設は特に女性にうけるようである。なるほど、私が根本的に女性にもてないわけである。これは納得すると同時に諦めるしかないようである。

 

 新木場駅まで戻ってくると、ここからりんかい線で大崎まで移動する。りんかい線は最初は地上を走っているのだが、すぐに地下に潜って地下鉄になってしまう。次に地上に出てくると大崎である。そのままJR大崎に乗り入れている。

りんかい線はすぐに地下に潜り、次に出てきた時には大崎到着

 大崎駅で軽く蕎麦を食うと次に急ぐことにする。後は東京近郊で未視察の路線はゆりかもめだけ。山手線で新橋駅に移動すると、そこからゆりかもめの駅に移動。しかしここでやたらに駅に向かう人間が多い。これは何かイベントがあったに違いないと考えていると、今日は東京マラソンの開催日でそのゴール地点が有明ということが判明する。ここにきてようやく、先ほど有楽町線に乗車した時に旗や脚立を持った異様な連中がゾロゾロいた理由や、ネズミーがやけにガラガラしていた理由が理解出来る。なるほどマラソンに興味がなくてネズミーに興味がある者は東京マラソンの開催日に行けば良いようだ。私はどっちも興味がないので御免蒙りたいが。

  

ゆりかもめの新橋駅

 ゆりかもめは乗客を満載して出発。そのまま東京湾岸を走る。人工的な建物が多い人口海岸の風景。これを美しいと感じるか醜悪と感じるかはその人に感性によるだろう。私の感想は「よくもまあこんなに馬鹿でかい建物を造ったもんだ」というもの。その一方であまりに尊大になりつつある東京人の象徴のように見えなくもない。やはり私の目には東京の風景は悉く「異常なもの」としか映らない。所詮は病んだ歪な都市である。

 

 埋め立て地をグルグルと回り、乗客が大量に降車するのは国際展示場正門と有明。この辺りがランナーを迎える家族の待機場所になっているらしい。有明を過ぎると有明テニスの森駅に市場前駅。しかしこの辺りはその名に反して工事中で何もない。ここはどうやら石原が自らの利権のために強行した築地市場移転の移転先らしい。東京オリンピックといい、とかく彼の回りは利権だらけだが、彼はそれを「選ばれた者が当然享受出来る特権」と考えている選民思想の持ち主だがら、恥じることも反省することもないようだ。まあ不思議なことに、こういう選民思想の持ち主に限っておよそ「選ばれる」に値しない下賤な人格の持ち主ばかりなのだが。

 

 豊洲に到着、これでゆりかもめも視察終了。これで関東地域の私鉄で残るのは小田急小田原線と埼玉のニューシャトルだけ。

  豊洲に到着

 豊洲からは月島を経由して都営大江戸線で両国まで。江戸東京博物館で開催中の大浮世絵展を見学しようと考えていた・・・のだが、いざ現地に到着すると券売所の前には長蛇の列。これでは恐らく会場内も人で溢れかえっていて作品どころか人の頭しか見えない様子が想像出来る。昔から「エジプト、浮世絵、印象派」というのが日本人を捕らえるキャッチーな展覧会だと感じているが、まさにその公式通りである。なお余談であるが、先のランキングが大人に受けるコンテンツだとすれば、子供に受けるコンテンツは「恐竜、鉄道、アンパンマン」となる。

  チケット売り場には長蛇の列

 この時点で浮世絵展は諦める。そもそも浮世絵は私の守備範囲からは若干はずれるし、何よりもクタクタになって人の頭を見ても仕方ない。この展覧会は山口、名古屋にも巡回があるようだから、訪れるとしたら名古屋か。ただ名古屋だと状況が根本的に改善するとも思いにくいが。

 

 浮世絵展を諦めたところで次の目的地への移動を行う。次は本遠征の最後の目的。昨日上野で一つだけ残した展覧会である。ただしまだ時間に余裕はあるし、美術館に行く前に「文化亭」で遅めの昼食とすることにする。なお今回はスムーズに入店出来た。

   

 昼食とお茶で一息ついたところで最後の目的地へと向かう。ここもこれで来るのは何回目だろうか。

 


「日本美術院再興100年 世紀の日本画」東京都美術館で4/1まで

 

 日本美術院再興から100年を記念して、日本美術院にゆかりのある近代日本画の巨匠達の作品を一堂に展示する展覧会。

 横山大観を初めとして近代日本画を代表するビッグネームの蒼々たる展覧会である。この展覧会を一回りすれば、重要な近代日本画家はほぼ網羅出来るという内容。各人各様の画風が見られてなかなかに面白い。

 とは言うものの、全国の美術館から集めた有名どころの作品のオンパレードだけに、私にとっては新鮮味のある作品は意外となかったりするのである。また一人一点ぐらいを標準に作品をバラバラと並べてあるので、展覧会全体としてのテーマはない。コンテンツのすごさに対して、意外と印象が薄かったりしてしまうのである。私個人としては大観、春草クラスのビッグネームを除くと、印象に残ったのは宮廻正明ぐらい。なぜか私は彼の作品は波長が合うのだ。


 

 私自身が既に疲労が溜まってきて集中力が落ちてきているせいもあるのか、結構サックリと流して見てしまうだけに終わってしまった。トータルでの感想としては「確かに最近の日本画を見ていると、西洋画と比較して画材が違うということ以上の違いはなくなってきているな」というもの。果たしてこれで良いのか悪いのか。

 

 これで本遠征のすべての予定を終了である。まだ若干早めであるが、ロッカーからトランクを回収すると東京駅に移動して、帰りの新幹線の発車時間まで待合室で時間を潰すことにしたのである。

 

 かなりハードな遠征であったが、気象条件によって立ち寄れなかった津久井城以外の全予定はこなし、その代わりに当初予定ではスケジュール的に断念するつもりだった大恐竜展まで見学するというかなり充実した内容の遠征になった。また今年度の目標としては「宿題を解決する」ということを置いているのだが、その点では主立った宿題は近日中にほぼ解決出来そうな見通しは立ってきた。

 

 ほぼ宿題解決の見通しが立った今後としては、やはり財布と体力に厳しい怒濤の遠征ラッシュは控えて、近場を中心に興味のある展覧会などをボチボチと回るというパターンにしたいところである。と思っているものの、果たして行動が伴うか。それはその時になってみないと分からない。

 

 

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