展覧会遠征 木津・京都編

 

 一週間の休養を経ての今週は、京都方面の展覧会に出かけることにした。目的は京都文化博物館で開催中の「佐藤太清展」。ただしこれだけでは内容が不足。やはりどこかの城郭を組み合わせたいと考えた。しかし目的地が京都となると鉄道での遠征。京都方面の城郭と言えば心当たりはいくつかあるが、その中で鉄道で立ち寄れるものとなると限られる。もろもろを考え合わせた結果、鹿背山城に立ち寄ることにした。

 

 「鹿背山城」は木津にある城郭で、興福寺傘下の武将が治めていたという。松永久秀がこの地から興福寺の勢力を追い払った後は、大和北部の防御の拠点として彼の手によって大規模に整備されたとのことである。その後の歴史的経緯は明らかではないが、恐らく松永久秀が華々しい自爆によってこの世を去って後、この地が織田信長支配下に入っていってからいずれ廃城になったものと思われる。この地域の最大規模の城郭であるだけでなく、戦国末期の築城様式を伝える貴重な遺跡として知られており、現在は地元有志が保存のために頑張っていて、山上はよく整備されているとのことである。

 

 木津と言えば京都と言っても実質は奈良であるし、交通が便利というような地でもないので車で訪問したいのが正直なところだが、上記の地元有志達のHPを見ると「駐車場がないので公共交通機関で訪問して欲しい」と記載してあったことから、その意志に従うことにした次第。やはり何事も趣味の原則は「他人に迷惑をかけてはならない」である。地元民が駐車などで迷惑するというのならそれに従うのが筋だろう。バイクで騒音を撒き散らす珍走団、ポスターなどを勝手に盗んでいくキモオタ、河原や公園でクラブを振り回すゴルフ親父など、どんな世界でも自分の趣味を最優先させて他人に迷惑をかけまくる「俺様坊や」がいるが、これは成熟した社会人がとるべき行動ではない。

 

 さて公共交通機関であるが、調べてみると木津駅から1時間に1本コミュニティバスが運行されているようである。そこでこの時間に合わせて出かけることにした。なお当初予定ではまず京都の美術館に寄ってから鹿背山城を訪問するつもりだったが、当日の天気予報によると午後になると降雨の可能性があるとのことから、まず朝一に鹿背山城を訪問することに急遽切り替えた。

 

 大阪駅から大和路快速に乗ることしばし、木津に到着したのは10時過ぎである。この辺りは沿線に旅情を感じさせる風景が多く、かつて青春18切符を使用してこの辺りをウロウロしていた若き日々を思い出させる。なお今回私が手にしているのは、青春18切符ではなくて関西1デイパスである。

 

 木津駅は西口と東口があるが、東口は造成中の住宅地に面した出口で目下のところは何もない。鹿背山城の方角はこちら側なのだが、コミュニティバス(きのつバス)は西口から出るらしい。終点の鹿背山まではバスで5分ほど。

左 木津駅東口  中央 駅前  右 きのつバス
 

 鹿背山城の登城口にある西念寺までは徒歩で5分ほど。かつての城下町の名残か、長屋門を持つ立派な家がいくつかある。辺りの道路は通行量もそれほど多くなく、道幅も結構広いのでここら辺りに路駐していてもさして迷惑にはならないような気もするが、西念寺の周辺に駐車されてしまうとこれは寺の訪問者に明らかに邪魔になる。西念寺の前には登山者ノートと城の縄張り図が置いてある。これを一枚頂いて参考にすることにする。

左・中央 周囲はこのような立派な家が多い  右 西念寺
 

 鹿背山自体はそう険しい山ではないので、登城路もそう厳しいものではない。歩き始めてすぐに左手に見えるのが大規模な竪堀。恐らく松永久秀が整備させたものだろう。鹿背山城が険阻な地形でない以上、この手の防御施設で防御力を上げる必要がある。

左 登城口     右 途中の竪堀

 竪堀の位置から数分で城虎口に到達する。ここが主郭と二郭、三郭方向の分岐点でもある。多分かつては門などで厳重に守られていたはずである。すぐに主郭を見学したいのもやまやまだが、散策ルートを考えてまず二郭、三郭の見学を先にすることにする。

  城虎口

 二郭は主郭の南東すぐのところにある。頂上に削平地があるが、面積自体はそう大きくはない。むしろ回りを取り巻く曲輪の方が大きく、この辺りに建造物などがあったものと思われる。数段の曲輪群が南西方向に向かって伸びている。

左 二郭手前の堀切  中央 二郭頂上の曲輪  右 南西に続く曲輪群

二郭周辺の状況

 その奥にかなり大規模な堀切があり、そこを隔てた先が三郭である。ここは先ほどの二郭よりも規模の大きい曲輪。東側の最前線となるが、東側の地形はかなり切り立っており、また下の方には畝状竪堀が多数あるのが見える。この竪堀で敵の行動を制約した上で、上から狙い撃ちしたのだろう。また先ほどの二郭と同様に尾根筋に沿って南西方向に数段の曲輪が伸びている。

左 三郭手前の堀切  中央 竪堀に続いている  右 三郭に登る

左 三郭  中央 奥はかなり急斜面  右 三郭北側一段下の曲輪

 三郭の見学の後は、先ほど通過した二郭と三郭の間の竪堀を下りて、三郭の回りを回り込む。三郭の北側には小さな曲輪のようなスペース(今は竹林である)があるが、その間は深い堀切で分かたれている。また東側に回り込むと、先ほど上から見えた畝状竪堀群がある。

左 三郭北側の堀切  中央・右 三郭東側の畝状竪堀群
 

 さらに南側に回り込むと数段の曲輪があるのだが、私はこの辺りで道に迷ってしまう。散策路もこの辺りになると半ば道なき道になってしまっている。

左 三郭南西の曲輪群の先端     右 先端の堀切
 

 この辺りをウロウロしながらようやく二郭と三郭の間にたどり着く。再び城虎口に移動すると今度は主郭の見学。主郭はさすがにその名の通りの大きな曲輪。ここにならかなり巨大な建造物も建てられたはずだ。また東側には櫓台となっていた土塁、西側にも堀切を隔ててやはり櫓台ではないかと思われる土塁がある。

左 二郭南西の曲輪はかなり大きい  中央 主郭の切岸  右 主郭虎口
 

主郭風景

左 主郭南の土塁  中央 主郭西の櫓台  右 主郭東奥の櫓台の土塁

 主郭の見学後は主郭下の北部に回り込む。北東側には土橋に隔てられて小さな曲輪が。これは西側の尾根方向からの攻撃を防ぐ最前線の曲輪か。北側には水の手がある。この辺りは土自体が湿気を帯びているので明らかに水が湧いているのが分かるが、中央に井戸の石組みの跡が残っている。

左 水の手方向に下りる  中央 主郭北の曲輪  右 西に回り込む

左 竪土塁  中央 土橋  右 土橋の先の小曲輪

左 水の手に向かう  中央 水の手  右 井戸跡

 水の手から再び回り込むと主郭の南西に延びる数段の曲輪群の見学。しかし下の方の曲輪になると竹林化していて進みにくい。

主郭南西の曲輪群は先に行くほど竹林化している
 

 すべてを見学して西念寺に下りてきた時には2時間近くを経過していた。なかなかに見応えのある城郭で、さらには地元有志による管理状態も非常に良いために実に見学しやすい城郭であった。城郭の内容といい、状態といい、全国でも屈指のレベルではないかと思われる。城郭に興味のあるものなら訪れて損のない城郭と断言出来、当然のように私の続100名城のAクラスに該当である。

 

 全体を見て回った印象としては、城としての堅固さとしてはやや劣るとの感想を抱いた。松永久秀がかなり防御のための細工を施しているとはいえ、基本的に地形はあまり堅固ではないし(だから見学する分には楽なのだが)、縄張り的にも先日に訪問した滝山城などのような複雑なものではない。大量の兵力さえ動員出来れば、正面から力攻めで落城させることは可能な城郭と思われる。そういう点では拠点の城郭ではあるが、本拠とするべき城郭ではないようである。

 

 見学を終えた時には既に帰りのバスの時刻を過ぎていたので駅まで歩くことにする。城の周辺には立派な住宅が多いが、一山越えると造成中の巨大住宅地と田んぼしかない場所であり、特に駅の手前は延々と田んぼ。結局は山道と田んぼのあぜ道を通って30分程度で木津駅に到着する。散歩としてはまあまあの距離。この城郭を訪問する場合は、往路はバスを使用し、復路は時間が合えばバスを合わなければ徒歩でというのが妥当だろう。

途中にも長屋門などのある立派な家が多い
 木津駅は田んぼの彼方に

 木津駅に到着すると、ちょうど京都行きのみやこ路快速が出た直後だったので、次の快速を待つまでに駅前で昼食を摂ることにする。入店したのは駅前の「食堂ひので」。注文したのは「カツ丼(780円)」

 

 ごくごく普通の町中食堂のカツ丼というところ。驚くようなところは全くないが、普通にうまい。特筆するところはないがCP的にはまあまあで、典型的な普段使いの店。そのためか駅前食堂にもかかわらず、客層は近所の常連というところが中心であった。良くも悪くものどかなところである。

 

 20分程度で食事を終えると駅に移動、到着したみやこ路快速で京都に向かう。京都までは40分程度。奈良に近い辺りは旅情を誘う田舎であるが、京都が近づくに連れて急速に観光地化していき、一大観光地が宇治。ここを過ぎると京都はすぐである。京都に到着すると地下鉄で目的地へと移動する。

 

 京都文化博物館は通い慣れた場所。すぐに展覧会に行っても良いのだがやはり疲労がある。休憩がてらにろうじ店舗の和カフェ「京美山」に入店、「抹茶パフェ(880円)」を注文する。

 

 抹茶アイスと豆乳アイスのコラボ。うれしいのは、パフェの底部分はよくコーンフレークなどで嵩増しをしているが、その部分がわらび餅になっていること。さらにアイスや小豆、白玉団子などが結構タップリ入っていてガッツリと食べ応えのある内容。価格はそれなりだがこのボリュームだとCPは決して悪くない。

 

 しっかりと甘物を堪能したところで展覧会の見学である。

 


「生誕100年佐藤太清展」京都文化博物館で2/9まで

 

 福知山出身の日本画家・佐藤太清の展覧会。児玉希望に師事し、新文展に入選してから日展などで活躍、花鳥画と風景画を融合させた花鳥風景画という新分野を確立し、自然を崇高に捉えた絵画などで高い評価を得た。

 初期はかなり伝統に従った日本画を描いているのであるが、後に独自の画風を確立していく。まず印象に残るのは「風騒」「焔(本来の文字はこれでなく)」などのダイナミックな自然の一コマを捉えた作品。しかしさらにそれより印象に残ったのが「暎」。しずかな湖面に映る風景を描いた作品であるが、その水面の表現が絶妙。モネの「睡蓮」が湖面での光の煌めきを描いた絵画であるなら、彼の作品は湖面までの透き通った空気を描いた作品で、後の作品でも言えることだが、この空気感の表現が絶妙である。この「描けないものを描く」という境地は日本画の真骨頂であろうか。


 美術館を後にした時には夕方近くなっていた。当初予定ではさらに大阪でもう一カ所立ち寄ることも考えていたが、その時間がないようなので帰宅することにする。日帰りの軽い遠征のつもりだったが、木津でかなり歩いたのでトータル1万5千歩越えの意外とハードなものとなった。しかし見応えのある山城に充実した展覧会と実に収穫の多い遠征ではあった。

 

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