展覧会遠征 松本・西東京編

 

 いよいよ新年。と言うものの、この年齢になると今更何をどうというものでもない。今までと同様のことを淡々とこなすだけである。ただもう人生も折り返しを過ぎたかという地点まで来ているだけに、今後は人生の宿題を解決していく必要がある。

 

 さて2014年最初の三連休であるが、正月ボケ追放のためにも当然のように遠征である。しかし冬の寒さのキツイこの時期は遠征先も限られる。また積雪リスクのある地域に車で行くことは出来ないので移動手段も鉄道限定。そうなるとあちこちの城郭を巡るというのは向かない。そんな諸々を考えていた時、頭に浮かんだ考えは「雪の松本城が見たい」というもの。結局はこの線に沿って遠征計画を立てることになった。

 

 出発は金曜の夕方。土曜の朝一で家を出ても良いんだが、正直なところ年のせいか早起きがツライ。ここは無理をせずに名古屋で前泊しようと考えた次第。定時までに仕事を終えると直接に新幹線で名古屋に移動する。どうも雪のためか一部の新幹線が遅れているとの案内がでているが、幸いにして私の乗るのぞみは定時に到着する。金曜日の夜のせいか新幹線の乗車率はかなり高い。車内で弁当やら柿の種の匂いやらに耐えながらipadで「美の巨人たち」のビデオを見ているうちに直に名古屋に到着する。

 

 名古屋駅に到着した頃にはかなり腹が減っている。まずは夕食である。名古屋と言えばひつまむしということで既に調査済みである。名鉄百貨店の9階のレストラン街に向かう。しかし店に到着した途端に私は唖然。他の店には待ち客などいないのに、なぜかうなぎ店だけ20人以上の行列が出来ている。

 

 この時点でひつまむしは次の機会にすることにする。名古屋の食い物でひつまむし以外となると味噌煮込みうどんしかない。ちょうどこの店の隣が「山本屋総本家」である。今日の夕食はうどんにすることにして入店、注文したのは「親子味噌煮込みの定食(1817円)」

 名古屋の味噌煮込みうどんと言えば「山本屋総本家」と「山本屋本店」である。余所者からすれば紛らわしくて仕方ないが、まあ大阪王将と京都王将のようなものか。なお私がよく行くのは「山本屋本店」の方だが、今日は久しぶりに「山本屋総本家」。グツグツに煮立った固いうどんを一口食べるなり、やや渋みのある赤味噌の味が確かに総本家だと思い出す。

 

 味噌煮込みうどんはいかにも名古屋らしい全く洗練されていない料理である。この手の味付けばかり食べていたから、織田信長は京都の料理人を「まずい」と言って殺そうとしたという。将軍に近づいて京都にいた明智光秀が「いかん!このまま信長が天下を統一したら和食の味付けがすべて田舎臭い味になってしまって、400年後に和食が世界遺産に登録されるなどということがなくなってしまう!」と危機感を抱き、本能寺の変を起こしたというのも理解できるというものである。

 

 などとボロクソに書いているが、実のところ上品とはほど遠い私の場合、なぜか不思議と時々これが食べたくなるのである。そして久しぶりにいかにも名古屋らしい味噌煮込みうどんを堪能した次第。

 名古屋の町中は新年ムード

 夕食を終えると地下で夜食を購入。味噌煮込みうどんを食べた後は汗をかいたのだが、さすがに外にでるとひんやりとしていて寒い。凍えそうなのでホテルの送迎バスでホテルに向かうことにする。今日の宿泊ホテルはドーミーイン名古屋。駅から少し距離があり、バスで5分ほどである。

 

 ホテルにチェックインすると先ほど購入した夜食などを頂きながらマッタリ。しばらくしたところでドーミーイン名物の夜泣きそばを頂きに食堂へ。夕食が軽めだったのでありがたい。

 本日の夜食

 小腹を満たした後は大浴場へ。ドーミーイン名古屋は男女入れ替え制の大浴場を持っている。他のドーミーに比べると若干貧弱ではあるが、それでも手足を伸ばせる浴槽は最高。実は最初はもっと駅に近くのホテルを予約していたのだが、やはり仕事の疲れを抜くには大浴場が欲しいとこちらに切り替えたのである。それが正解だった。

 

 風呂から上がってマッタリすると、明日は早いので早めに就寝することにする。

  

☆☆☆☆☆

 

 

 翌朝は6時前に自動的に起床する。目が覚めるとまずは朝風呂。朝風呂は変わり湯ということでリンゴ湯になっている。これはなかなか快適。

 

 朝風呂を終えると朝食は6時半から。ドーミーイン名古屋の朝食はドーミーインの中では簡素な部類に入るが、それで和洋両対応でしっかり食べられる内容。これから寒いところに出向くのであるから、朝から腹にしっかりと入れておく。

 

 7時半頃にはチェックアウトして送迎バスで名古屋駅に向かう。今朝の名古屋も早朝から身を切られるような寒さである。

 

 特急しなのが発着するのは10番ホーム。20分ほど前にホームに到着するともう列車が待っている。指定席は満席との表示が出ていたが、確かに車内には既に乗客の姿が多い。相変わらず乗車率の高い特急である。なお全員当然のように完璧な冬装備であるが、見るからにスキー客というような服装の者は意外と多くはない。

左 ワイドビューしなの  中央 グリーン車  右 指定席車

 沿線は山間部に突入すると共に積雪が目立ち始める。木曽福島を越えた辺りから積雪は本格的になり、奈良井宿などは雪の中である。しかし塩尻に近づくと共に積雪はほとんどなくなり、松本では雪は全く見あたらなくなる。

 どうも「雪の松本城を見たい」という初期の目的に「?」が点る事態となったが、かと言って今更そんなことにかまってもいられないので予定をこなしていくことにする。とりあえず松本駅のコインロッカーにトランクを放り込むと、ここから列車で引き返しである。目的地は木曽平沢。漆器の町として知られ、重伝建に指定されている地域である。

 

 木曽平沢はさっき通過してきたのだから一端松本まで来る必要がないように思われるのだが、あえてこのルートを取ったのは、こちらの方が早く現地に着くから。そうでないと木曽福島で乗り換えて普通列車で延々と移動する羽目になるのである。日本の幹線の1つのはずの中央本線もこの辺りは本数が少ない。おかげで新たに松本−木曽平沢間の往復乗車券の購入が必要なのだが、これがまたJR東日本と東海の境界をまたぐせいか異様に料金が高いというように地方交通の貧困さが二重三重にかかるのである。

 

 松本からの普通列車は塩尻での10分程度の停車も含めて40分程度で木曽平沢に到着する。塩尻はちょうどJR東日本と東海の境界になるから接続が悪い。同様のことは米原でも発生しているが、この一体性のないダイヤ編成は分割民営化の弊害である。

 

 木曽平沢は雪の中であった。無人駅に降り立った乗客は私を含めてたった二人。駅舎は人の気配がなくてガランとしており、観光アピールのショーケースが悲しい。しかも駅周辺は雪のおかげで歩きにくくて仕方ない。特に一番たちが悪いのは雪が一端溶けて氷になっているところ。唐突に足下が滑るので怖い。実際、途中で一回派手に転倒してしまった(幸いにしてけがはしなかったが)。

 町の中には漆器を扱う店がやたらに多い(と言うか、そればかりである)。町並みとしての一体感はあるが、決して古い家ばかりということでもなさそうである。ただ今は完全にシーズンオフなのか観光客の姿は全くなく、カメラをぶら下げた私がウロウロしていたら、時折現地の人が珍しいものでも見るような視線を投げてくるぐらいである。風情のある町並みには違いないが、漆器に興味がないとすることが全くなく、また観光客を対象にした飲食店の類も見あたらない。次の列車を逃したら2時間近く先の列車になるが、とてもそんな時間をつぶせそうにないと判断、結局は30分程度で町を一回りすると引き返してくる。どうも観光地としての整備は隣の奈良井宿の方が進んでいるようである。

 再び松本に戻るとロッカーでトランクを回収、とりあえず今日の宿泊ホテルに向かうことにする。宿泊するのはドーミーイン松本。昨日に続いてドーミーインの梯子になる。ただしまだチェックイン時間が来ていないのでトランクを預けるとすぐに町に繰り出す。

 もう昼時、何はともあれ腹が減った。やはり松本で昼食となると蕎麦か。松本城に向かう途中の中町商店街で見かけたそば屋「くりや」に入店する。

 どうもこの店は蕎麦だけでなく酒を楽しむ店のようである。内部は洒落たカウンターなどもあるバーのような店。注文したのは「つけ鴨そば(1480円)」さらに「お替わりそば(600円)」を追加する。

  

 細めの蕎麦であるが腰もあってうまい。手打ち蕎麦とのことだが、確かにそうであろう。また二八そばではなくて、そば粉10に対してつなぎが1の外一蕎麦という蕎麦だとか。そのためか蕎麦の風味も強い。以前に松本で別のそば屋に入店した時はあまりにつゆの味が薄くて閉口したのだが、ここのそばはつゆの味もしっかりしている。

 

 しっかりと蕎麦を堪能したのであった。なお支払いの際に店員と話をしたところ、松本では雪が積もるということはほとんどないのだそうな(ただし冷え込むので路面の凍結は頻繁にあるとか)。どうやらそもそも私の「雪の松本城を見たい」という設定自体に無理があったらしい。

 

 腹が膨れたところで「松本城」を目指す。松本城に来るのは二回目だが、目の前に見える天守の姿に改めて感動する。やはりさすがに現存天守だけあって存在感が根本的に違う。外から見るだけでもかなり感動ものなのだが、やはりここまで来たら料金を払ってでも入場したいところ。

 天守閣には雪は積もっていないが、本丸屋敷跡の土の地面には雪が残っている。イメージしていた雪の松本城というのとは違うが、雪がある中での松本城の風景は写真に収めることが出来たのである。想像していた通り、白い雪に黒い天守が映える。

 数年ぶりの松本城天守。内部の薄暗さと階段の急さは相変わらずである。改めて驚いたのは火縄銃コレクションの数々。こんなにたくさん展示してあったとは忘れていた。

左 天守閣に入場する  中央 裏手の出口は発掘復元中とか  右 狭くて急な階段

左 火縄銃コレクション  中央 大砲まである  右 最上階

 天守閣最上階は窓が開けられているので明るいが、それでもあまり大きな窓ではないので見晴らし抜群とはいかないのは以前のまま。この質実剛健さが松本城である。やはりこの城は何度来ても良い。

 

 松本城の見学を終えると先ほど昼食を摂った中町商店街をプラプラ。ここは蔵の街と称しており、土蔵造りの建物が多数ある。ただすべてが昔のままと言うわけではなく、比較的新しく整備した建物も混ざっているようである。

 途中で「蔵シック館」なる建物を見学したりなどしながら商店街を散策していると、以前に松代で入店したことのある「竹風堂」を見つけたのでお茶にすることにする。注文したのは「クリーム栗あんみつ(750円)」

 この店自慢の栗鹿の子をタップリとのせたあんみつである。これがうまくないはずがない。久しぶりに栗鹿の子を堪能である。満足。ついでに夜食用のおみやげを購入しておく。

 

 中町商店街を通り抜けるとそのまま徒歩で松本市美術館に向かう。ここも本遠征の目的地の一つ。

 


「モローとルオー 聖なるものの継承と変容」松本市美術館で3/23まで

 象徴主義の代表的な画家であるギュスターヴ・モローは美術学校の教授を務めて、多くの若い画家達に独自の革新的な絵画教育を行っている。その教え子の一人がルオーであり、彼はモローから大きな影響を受けた。その二人を扱った展覧会。

 正直なところルオーがモローの影響を受けたといっても、私の頭の中ではルオーのステンドガラス調の太い枠淵の絵画と、モローのゴチャゴチャした繊細な絵画がどうしても当初は結びつかなかったのである。しかしモローが指導したのは色彩の解放ということであったということを聞けば、確かにルオーの厚塗りの絵画はそれを彼なりに目指した方向であるということは初めて納得出来た。またルオーがよく知られているあの画風を確立する前の初期の作品は、確かにもっとストレートにモローの影響が現れていた。

 正直なところ、モローもルオーも私にとってはあまり好きな画家ではないのだが、それでもこの両者の関わりを知ることで新たな視点で彼らの作品を見ることが出来た。そういう点で非常に有用な展覧会であった。


 美術館の見学を終えたところでかなり疲れが出てきた。歩く気力が湧かないので市内ループバスでホテルに向かうことにする。それにしてもこのバス、例によって草間彌生仕様で赤い水玉模様入りなんだが、私はどうもこの水玉模様は気持ち悪くて好きになれない。どうも私の感性は根本的に彼女とずれているようだ。

 ホテルにチェックインすると何はともあれ入浴である。最上階の展望大浴場に向かう。ここホテルの大浴場は地下から汲み上げた温泉。ナトリウム塩化物−炭酸水素塩泉とのことだが、ヌルッとしたなかなかに良い湯。既に1万歩以上歩いているので生き返る気分である。露天でマッタリとくつろぐ。

 

 入浴を終えた後は「宇宙兄弟」を見ながらマッタリ。これが終わる頃にはそろそろ夕食時なので駅前の飲み屋街に繰り出す。大体事前に店の目星はつけていったのだが、いざ現地に到着すると満席。そこで別の店を探すことにする。その時、何かビビッと感じるものがあったので「太助」に入店。

 居酒屋と看板にあるだけあって日本酒などがいろいろあるようだが、私はとりあえずウーロン茶を頼んで食べる方に専念することにする。注文したのは「馬刺し」「炙鹿刺し」「長いものステーキ」「焼鳥皮ポン酢」「イワナの塩焼き」の五品。驚いたのはいずれも結構ボリュームがあること。私は今まで馬刺でここまで豪快に盛っているのは初めて見た。しかも鹿刺しはさらにボリュームがある。しかも臭みがなくてうまい。双方うまいのだが、二つ組み合わせると「馬鹿刺し」である。まあつべこべ言わずにここは馬鹿になって食うに徹した方が良かろう。変わっているのは長いものステーキ。おろした長いもを焼いているようだが、角切りにしたイモも入っていて歯ごたえを持たしている。鳥皮ポン酢は鳥皮とキュウリをポン酢であえたもの。私はキュウリは大嫌いなのだが、なぜかこれはモリモリ食える。そしてイワナの塩焼きのうまいこと・・・。以上で支払いは3960円。妥当な線である。これは正解だった。

 ホテルに戻ると竹風堂で買い求めた栗どら焼きを夜食に頂きながらこの原稿打ち。そのうちに激しい疲れが襲いかかってくるので、やや早めではあるが就寝することにする。

☆☆☆☆☆

 

 

 翌朝は6時に目覚めるとまずは入浴。外は身を切られるような寒さなのでさすがに朝から露天は無理だが、温まる湯でしっかりと体をほぐしておく。どうも昨日の1万5千歩越えのダメージで両足に張りがあるようである。

 

 入浴後はホテルで朝食。朝からたっぷりと腹にたたき込む。ドーミーイン松本のご当地食としてはそば団子汁とかそば饅頭など。こういうご当地一品があるのがドーミーインの良いところ。今朝もしっかり燃料補給である。

 8時前にチェックアウトすると駅に向かう。朝の松本はまさに寒気が体に染み込んでくる感じ。朝から体を温めておくことが重要である。今回の遠征で松本のことがいたく気に入ったので後ろ髪引かれるような気もするが、次の目的地への移動である。8時ちょっと前のスーパーあずさ3号で東京に向かうことにする。「8時ちょっと前のあずさ3号で」だとどうも語呂が悪くて歌にはならない。

8時ちょっと前のあずさ3号

 東京行きのスーパーあずさは昨日のワイドビューしなのとは違ってガラガラである。連休初日と中日の違いもあるだろうが、長野方面から東京に向かうのは長野新幹線もあるということも大きいだろう。それにしても未だに公共交通網の整備となると東京のエゴが露骨に出て、東京を中心にした放射状の交通網ばかりになる。こういう一局集中の弊害も今後はなくしていく必要がある。

 

 列車は岡谷で多くの乗客を迎えると諏訪湖を後にする。茅野の手前で桑原城跡というでかい看板がかかっていたが、ここは武田信玄に攻められた諏訪頼重が最後に籠もった城らしい。いつか訪問したいとも思うが、その時は車が必須だろう。

 桑原城址

 小淵沢を過ぎた頃には車内の混雑度も大分上がってくる。列車はそのまま八ヶ岳を左手に見つつ、風光明媚な山岳地帯を抜ける。やはり海よりは山の方が相性の良い私としては、東海道線よりも中央線の沿線の風景の方が心惹かれる。

 八ヶ岳

 甲府でさらに大量の乗車があり、車内は満員に近い状態に。沿線はいよいよ山深くなってきて、かつて訪問した岩殿城なども車窓から見える。そしてようやく山岳から抜けるとすぐに八王子。私はここで降車である。

 予定ではここで八高線に乗り換えるつもりだったのだが、八高線は同じホームではあるものの列車はホームのかなり前に停車しており、私の乗車車両はかなり後ろ。ホームは乗降客がごった返して大混雑なので、乗換時間は2分程度のはずだったのだが結局乗換が間に合わずに私は予定の列車に乗り遅れることになる。

 

 次の列車の発車は30分後。それならとりあえず一端駅を出て、ホテルに荷物を預けてこようと考える。今日の宿泊ホテルはホテルグランスパ

 八王子は西の大ターミナルなので今まで何度かここを乗換のために通過したことはあったが、よくよく考えると駅前に出たことはない。駅前は繁華街になっていてかなり賑やかでありまさに関東の西の玄関たる大都市。ただし東京中心部に比べるとどことなく垢抜けないことを否定出来ない。ホテルはその繁華街を数分歩いたドンキの隣にある。温泉付のホテルというよりも、宿泊設備を持つ温泉健康ランドというところ。とりあえずチェックイン手続きだけ済ますとトランクを預ける。部屋に入れるのは5時からとのことで、それまでは温泉ランドで時間を潰すか外出ということになるが、当然私はすぐに外出。

 

 八王子駅に戻るとすぐに八高線での移動。今日の予定は東京西部地域の私鉄視察(完全に鉄オタである)。まず目指すのは拝島。所沢周辺の西武の路線をこの際に一気に視察してしまおうとの考え。

 拝島は郊外の住宅地という印象。ここから西武拝島線で小川を目指す。多摩モノレールとの乗換駅である玉川上水までは単線で沿線もややのどかな印象。玉川上水からは住宅が増えてくる。

左 西武拝島駅  中央 沿線は最初はこんな感じ  右 小川に到着

 小川からは西武園行きの国分寺線の車両に乗り換える。列車は途中で多摩湖線の軌道をくぐって「一丁目!一丁目!」の東村山に到着、ここで大量の降車、しばらく待ってから西武園に向かう。

左 西武園行き列車  中央 拝島線と別れる  右 西武園が見えてくる

 西武園駅の手前から沿線に公園らしきものが見えてくる。終点の西武園は住宅地もあるのだが、西武園競輪場の最寄り駅でもあるらしい。それで先ほどから感じていた違和感の正体が判明した。東村山を過ぎた途端に列車の客層がガラリと悪くなったことを感じていたのである。府中競馬場周辺や伏見競馬場周辺で感じたのと全く同じ雰囲気であった。いわゆるギャンブル廃人が醸し出す何とも言えない空気である。やはり私はこの手合いとはとことん相性が悪い。

西武園駅

 西武園に用はないので折り返す。行きと帰りで車内の客層がガラリと違うのが印象的。帰りの車内はいかにも普通の住宅街の中の路線というイメージの客層。ここからは国分寺線で国分寺を目指す。沿線はやや郊外の住宅地。西武は東京では田舎の列車というイメージがあると聞いたことがあるが、確かに沿線には郊外が多い。さらに車内に吊してある田原俊彦のとしまえんのポスターが田舎臭さに拍車をかけている。

 到着した終点国分寺駅ではJRのホームと平行している。ここから多摩湖線に乗り換えることにするが、これはJRのホームと垂直に配置された別のホームに移動することになる。

国分寺駅ではホームの移動

 国分寺周辺の密集住宅地を抜けて萩山に到着すると、ここで拝島線と交差してさらには国分寺線と立体交差して西武遊園地を目指す。西武遊園地手前になると左手に巨大な堤防と公園が見えてくるが、これが多摩湖こと村山貯水池らしい。

左 列車が到着  中央 車内風景  右 沿線風景

左 拝島線と別れる  中央 奥が多摩湖の堤防  右 西武遊園地に到着

 終点の西武遊園地では山口線に乗り換えて西武球場前を目指す。ここの路線は新交通システム規格でレオライナーと呼ばれている。元を辿れば軽便鉄道による遊戯施設だったとのことで、今でも遊園地の中を走るルートになっている。

左 レオライナー  中央 新交通システムだ  右 遊園地の中を通る

左 隣はゴルフ場  中央 終着駅は西武球場前  右 車両

 遊園地とゴルフ場を抜けると巨大な西武ドームが見えてきて、すぐに終点である。ここから今度は狭山線に乗換になるが、西武球場前駅はホームが複数ある巨大ターミナル。しかしシーズンオフの今は閑散としている。ただ狭山線は単線なので、これだけ巨大ターミナルを作ってもこのホームを車両で一杯にするだけのキャパがあるのかが疑問。

左 狭山線のホームに移動  中央 西武ドームがそこに見える  右 ガランとした駅構内

左 改札口も巨大  中央 狭山線列車が到着  右 車内風景

 西所沢からは池袋線で所沢、さらに新宿線に乗り換えて小平に移動、小平からは拝島線で玉川上水まで移動する。これで西武鉄道も全線視察完了。何やら狭いエリアをグルグルと回ったような印象がある。私は以前に関東の鉄道路線図を見た時、なぜ西武の路線はこんなに脈絡もなくゴチャゴチャしているのだろうと感じていたのだが、こうして路線ごとの図を見ると、無意味にゴチャゴチャしているのではなくて一応の意味はあったのだということが頷けるから不思議である。ただそれでも平面交差の多すぎる路線構成は効率が悪い上に運用が複雑なのも事実であるし、西武遊園地方面の路線や国分寺方面の路線など明らかに二重になっている部分が多い。しかしこの路線に沿って住宅地などが発展してしまった今日では、これを抜本的に触るのは難しいだろう(まあ守銭奴ファンドなどは「効率化」と称してこれらを切り捨てしようと考えたようだが)。

左 小平から  中央 拝島行きに乗車  右 玉川上水駅はモノレールと立体交差
 この路線図だと何がどうなってるか分からなかった

 玉川上水駅からは多摩モノレールに乗り換える。まずは北の終点上北台を目指す。

多摩モノレール玉川浄水駅

 多摩モノレールはレールをまたぐタイプで大阪のモノレールと類似している。終点の上北台は郊外の新興住宅地のイメージ。何とも中途半端な場所のようにも思えるが、地図で見るとこれ以上北上すると多摩湖にぶち当たってしまうようだ。

上北台に到着

 ここから折り返すと南の終点多摩センターを目指す。多摩モノレールは西武、JR、京王、小田急などの東西に走る路線を南北に接続すると共に、今やオールドタウンとなっている多摩ニュータウンのアクセス路線でもある。そういう点では、地下鉄御堂筋線、阪急、JR、京阪といった南北に走る路線を接続しながら千里オールドタウンのアクセス路線でもあった大阪モノレールと非常に似ている。違うのは多摩モノレールの沿線には空港がないことぐらいだ。

左 玉川上水を過ぎた辺り  中央 高松駅  右 立川周辺

左 柴崎体育館駅  中央 多摩川を越えて  右 中央自動車道も越える

 沿線は立川手前までは郊外の住宅地、立川周辺がかなり密集した都会で、そこを抜けて京王線との交差である高幡不動辺りからは本格的な山越えとなり起伏が激しくなる。頂上辺りでは高架のモノレールでは珍しいトンネルもある。トンネルから高架に見る見る沿線風景が変化してくる辺りはなかなかの見物。モノレールは基本的に高架を走っているので、地べたを走る鉄道とは視点が違って気持ちいい。またモノレールはポートライナーなどと違って視界を妨げる施設が少ないので見晴らしがよい(しかしだからこそ高所恐怖症が発症しやすくもあるが)。

左 高幡不動駅  中央 多摩動物公園駅  右 突然トンネルがある

左 トンネルを抜けるといきなり高架  中央 終着多摩センター駅  右 終点

 終点は小田急、京王との交差駅である多摩センター。これで多摩モノレールも視察終了。多摩センターはその名の通り多摩ニュータウンの中心でもあるが、この手の町は私には最も興味の湧かない町。すぐに折り返すと多摩動物公園まで移動する。

左 多摩モノレール多摩動物公園駅  中央 多摩動物園  右 京王多摩動物公園駅

 多摩動物公園はその名の通り多摩動物園の最寄り駅。しかし私は動物園には全く興味はない。ここで下りたのは京王動物園線に乗り換えるため。高幡不動−多摩動物園間は京王とモノレールが完全に並行している構造になっている。さぞや乗客の争奪に火花を散らしていることだろうと感じたのだが、どうも互いに「我が道を行く」の印象が強いようだ。なお京王電鉄は多摩動物公園駅の隣にれーるランドなる鉄オタ向け施設を造っているようだが、公式には鉄オタではなく京王電鉄に対しての思い入れも特にない私はスルーする。

左 多摩れーるランド  中央 バスも展示している模様  右 何やら萌えキャラが覗いてます

 京王動物園線は一駅だけの区間だが運行本数は多く、モノレールとガチンコ勝負をしているようだ。なお単線ではあるが、明らかに複線用の用地が確保されており、その気になればいつでもレールを敷けるようになっているようだ。しかし単編成の往復でも10分ヘッドのダイヤを組める現状で、果たして複線化が必要かは疑問はある。

多摩公園駅に到着した動物園仕様列車

 高幡不動に到着すると、ここから高尾山口まで移動する。もう既に3時前になっており、日没が5時前であることを考えると今から高尾山に登ることは到底無理だが、一応高尾山口までの視察はしておいてやろうという考え。沿線は八王子行きと分かれる北野までは住宅地だが、そこから先に進むに連れて段々と山中めいてくる。高尾駅から高尾山口までは単線のため、高尾駅でしばし対向列車をやり過ごしてから高尾山口に到着する。

左 高幡不動駅で乗換  中央 高尾山口行き列車到着  右 北野駅

左 高尾駅を過ぎると沿線は山  中央 高尾山口駅に到着  右 高尾山口駅

 高尾山口はいかにも登山客という風体の連中が大量にいる。たださすがに時間的にほとんどが帰り方向に向かっている。観光客と逆行することしばし、高尾山ケーブルの駅までやってくる。到着したケーブルカーからは観光客が大量に降りてきているところ。なるほどこれが高尾山ケーブルかと眺めて引き換えそうとした時、「乗車の方はお急ぎ下さい」との声がかかる。すると私はついついサラリーマンの悲しい習性で、Suicaを取り出すと反射的にケーブルカーに飛び乗ってしまう。

思わず反射的にケーブルカーに乗り込んでしまった

 ケーブルカーに飛び乗ってから「何をやってるんだ」と正気に戻ったが後の祭り。こうなったら上で風景でも眺めてから引き返してくるかと開き直る。この高尾山ケーブル、かなりの急勾配を登るようだが、特徴的なのは勾配が段々と変化して最後に一番の急勾配になること。だから最初はやや前に傾いている車体が、途中で逆に後ろに傾くようになる。それがかなり傾くので反対側座席に置いていたリュックが座席から落ちて飛んできたほど。急勾配のケーブルカーといえば高野山ケーブルを思い出すが、それをも凌ぐ急勾配である。説明によると最大31度の急勾配は日本一なんだとか(高野山は29度らしい)。確かにこの急勾配を登れる交通機関となるとケーブルカーぐらいしかない。

中盤を過ぎた辺りからとんでもない傾斜になる

 5分程度で山上に到着する。山上では観光客がごった返している。とりあえず近くの展望台から東京の風景を眺める。なかなかの高度だが、八王子城から見た風景の方がもっと見晴らしが良かった気がする。

 山上に到着

 さて引き返そうかと考えた時だが、よく見ているとまだまだ山頂方面に向かって登っていく観光客もいる。その中には子供連れまで。山頂までの所要時間は40分とのこと。現在は3時半、懐中電灯などの装備を持っていないので日没が5時前と考えると往復でギリギリぐらいか。ただこうやって登ってみると山上は思いのほか観光地ムードで、ここで山岳遭難というのは考えにくい。「エイッ、行きがけの駄賃で行けるところまで行ってやれ!」と腹を括って歩き始める。

たこ杉にひっぱり蛸

 さる園やたこ杉の脇を抜けて進むと浄心門にたどり着く。高尾山には薬王院という寺院があり、登山道はその中を抜けていく構造になっているようだ。私は参拝目的ではない上に、そもそもが無宗教な人間なので、簡単に挨拶だけすると通り過ぎてゆく。

左 浄心門  中央 神変堂  右 百八階段

左 山門  中央 天狗がお出迎え  右 御本堂

左 さらに上がる  中央 御本社  右 奥の院

 ここの奥の院まで行くのが石段などでかなり大変だったのだが、ここを通り過ぎると道はやや楽になる。なおここに来て気が付いたのだが、私は回りの者よりも明らかに歩くのが速い。日頃のトレーニングの成果の上に気がせいているせいだろう。結局は40分かかると書いてあった山頂のビジターセンターまで30分足らずでたどり着いたのである。もっとも元々は山頂まで行くつもりでなかったので、杖などの装備も持参していないし、荷物は結構重いし、足は昨日の松本市街散策でパンパンの状態とかなりの悪コンディションであり、山頂に到着した時には息も絶え絶えになっていた。持参した伊右衛門を一気に飲み干してようやく一息。

息も絶え絶えになりながらようやく山頂のビジターセンターに到着する

 山頂では多くの者が写真を撮っていた。どうやら富士山に沈む夕日を撮影しようとしている模様。しかし私は日没までいるわけにも行かないのですぐに折り返す。

左 みんな撮影中  中央 高尾山頂  右 東京は遠くに見える

 登りがケーブルカーだったので帰りはリフトで下りようかと思っていたが、私の到着時にはリフトはもう営業終了。さらにケーブルカーも下山客が押しかけて満員で行列が出来ている。結局は20分近く待たされる羽目に。すし詰めのケーブルカーでようやく高尾山から下りてきた時には辺りは真っ暗になっていた。それにしても下りの高尾山ケーブルはかなり危ない乗り物である。何しろ発車すぐに最大傾斜になるのでいきなり車両が前方にグラリと傾き、前向きに座っていた私は尻が座席から滑るので手すりを持って踏ん張る必要があったぐらい。今まで立ち客の将棋倒しなどの事故はなかったのだろうか?

 大混雑のケーブルカー乗り場

 夕闇迫る高尾の土産物街を抜け、そのまま高尾山口駅から北野まで移動すると、そこで乗り換えて京王八王子まで。京王八王子は地下駅のようである。

 既に真っ暗

 さて真っ暗な八王子に着いたが、今日の予定はまだ終了ではない。そもそももう真っ暗になっているとはいえ、まだ6時前。ここからバスに乗ると次の目的地へと移動する。ここは初訪問の美術館である。


「前田寛治と小島善太郎 1930年協会の作家たち」八王子夢美術館で2/2まで

  

 前田寛治と小島善太郎は渡欧時に親交を結び、帰国後は画壇の改革を目指した「1930年協会」を創立して活躍した。「1930年協会」はその後、前田寛治の早逝などもあって新たな改革運動に取り込まれるような形で皮肉にも1930年に事実上消滅するのであるが、その後も小島善太郎は独自に洋画を発展させている。八王子ゆかりの小島善太郎を中心に、前田寛治の作品を加え、それに木下孝則、佐伯祐三、里見勝蔵ら1930年協会メンバーの絵画を展示した展覧会。

 1930年協会は画壇の革新を目指してはいたが、特にその方向性を縛らない緩やかな団体とのことであったが、確かにメンバーの絵画は様々である。明からさまにフォーヴの影響を受けた里見勝蔵に対し、ユトリロの影響が顕著な佐伯祐三、比較的おとなしめの絵画に見える木下孝則など多彩。彼らに比べると前田寛治の絵画と小島善太郎の絵画はまだその色遣いなどに共通の空気がある。

 ただ個人的には私は、前田寛治の微妙にデッサンがおかしくてのっぺりした絵画はあまり好きではない。まだしも小島善太郎の作品の方が好ましく感じられたのだが、彼の絵画についても晩年に向かうに連れて先鋭化の方向が現れ、私の好みからはかなりずれていった印象。


 これでようやく今日の予定は終了である。それにしてもかなり歩いた。万歩計を見ると1万8千歩を越えている。しかも山道込みだからかなりの運動量である。疲れ切ったのでホテルに移動することにする。

 

 ホテルに戻るととりあえず部屋でマッタリ。温泉健康ランドの宿泊室だから簡素なものだろうと思っていたのだが、予想に反して結構ゴージャスムードの部屋。

 一息付くとまずは風呂である。地下1500メートルから汲み上げたというナトリウム−塩化物泉で温まる湯。この極寒の中ではありがたい。また温泉健康ランドなので風呂の設備は充実している。内風呂、露天風呂、サウナ、ジャグジーすべて完備である。とにかく連日の酷使で徹底的に痛めつけられている足をここでいやす。

 

 風呂からあがると休養がてらに夕食。外に食べにでても良かったのだが、疲れているのと面倒なのとで中のレストランで済ませる。週末限定の1200円の定食メニュー。東京という場所を考えるとまあまあだろう。

   デザート付き

 部屋に戻るとテレビを見ながらおやつをつまみつつマッタリ。寝る前にもう一度一風呂浴びてから早めに就寝する。

  

☆☆☆☆☆

 

 

 翌朝は6時に起きるとまずは朝風呂。7時からレストランで朝食である。朝食はオーソドックスな和定食だが結構うまい。

 さて今日の予定であるが、まずは八王子にある「滝山城」を見学するというもの。滝山城は北条氏照が八王子城に居城を移す前に本拠として使用していたという城郭である。滝山城までは八王子駅からバスが出ているのでそれに乗ればすぐに着く。

 

 当初の予定では京王八王子から移動することを考えて、トランクを京王八王子駅のロッカーに入れてからバスに乗ろうと考えていた。しかしこのホテルのチェックアウト時間は最終11時と聞いたので予定を変更することにした。とりあえずホテルに荷物を置いたまま滝山城に直行し、ホテルのチェックアウト時間までに戻ってこようという考えである。

 

 となればスピード勝負である。朝食を終えると素早く身支度を済ませ、7時半過ぎには外出する。乗車バス停の位置を間違えたりなどのトラブルもあったが、8時過ぎには滝山城址下バス停に到着する。

 

 バス停を降りるとすぐに登山道の案内が立っており、舗装道路が延びている。なお先人達の登城記録によれば、本丸の手前まで車で行けたとの記述もあるのだが、現在は車が入らないように入口に車止めが置かれている。辺りに駐車場はないので車で来たら置く場所に困りそうである。八王子駅からのバスの便が良いので、ここはバスで訪問するのが正解だろう。

左 滝山城登山口  中央 車止めが置いてある  右 そこを過ぎるとすぐに城内

 滝山城は戦国時代中期に武蔵国守護代の大石定重が築城したとのこと。しかし定重の子の定久の時に北条氏康の支配下となり、その子の氏照を養子にしたことで北条氏照の居城となる。氏照はこの城をさらに拡充整備し、上杉謙信、武田信玄などの侵攻をこの城で食い止めた。その後、八王子城を築城したことで本拠を移転している。

 入口部分にはやや登り坂があるが、後は勾配も緩やかであるし、道も整備されているので非常に歩きやすい。登り始めてすぐに左手に深い堀切と高い曲輪が見えてくるが、これが小宮曲輪らしい。

左 小宮曲輪手前の堀切  中央 ここはかつては枡形虎口があった  右 三の丸手前の堀切
 

 その脇を抜けて本丸方向に進むとすぐに右手にあるのが三の丸。結構な規模のある曲輪である。

 

三の丸

 三の丸の先のコの字形土橋を抜けると左手が千畳敷。かなり大きな曲輪である。またこの隣に角馬出が造られている。その奥がこの城の防御の要とも言える二の丸である。

左 コの字形土橋  中央 土橋を抜けた左手が  右 千畳敷

 

千畳敷奥の角馬出

 二の丸を過ぎて先に進むと、中の丸にたどり着く。ここが本丸防御の最終防衛ラインとも言える曲輪で、かなりの面積がある。かつてはここに建造物があり、ここまで車で入れていたらしいが、現在はただの広場になっており車の進入は禁止されているようだ。ここの奥からは多摩川越しに拝島方面の市街地が見渡せる。またこちらの斜面にも複数の曲輪があったようで、多摩川を外堀とした防御システムが構築されていたようだ。

左 二の丸脇の分岐(門跡)  中央 中の丸に向かう  右 池址

左 中の丸虎口  中央 中の丸  右 中の丸奥

 中の丸から橋で堀切を越えて渡った先が本丸。ここの橋はかつては引き橋であったとのこと。中の丸と本丸の間の堀切はかなり深いので、この橋を引いてしまえば本丸は陸の孤島のようになる。本丸は中の丸などよりは小さいが、それでも屋敷などを建てるには十分な面積。また本丸内にかなり深い井戸の跡が残っている。本丸も奥が二段になっており、そこには霞神社が建っている。

左 本丸との橋(かつては引き橋だったとか)  中央 堀切はかなり深い  右 本丸虎口

本丸内部

左 本丸内の霞神社  中央 神社の奥にもう一段ある  右 明らかにこの参道は後付け

左 南にある井戸  中央 かなり深い  右 本丸南枡形虎口

 本丸北西方向が搦手になっており、複雑な曲輪がいろいろとあるようだが、結構鬱蒼としているので途中で引き返す。

左 本丸搦手口  中央・右 曲輪が続くようだが鬱蒼としている
 

 池址の回りを巡ってから二の丸方面に出る。二の丸はかなり広大な曲輪で、南方に向かって複数の曲輪が連なるが、印象に残るのはとにかく堀切が深いことと縄張りが凝っていること。行き止まりになっているような曲輪が巨大な馬出である。

池址周辺を巡って二の丸へ

中の丸と本丸を結ぶ橋

二の丸周辺の拡大図

中の丸の脇の道

左 二の丸の間の通路  中央 二の丸  右 二の丸南部の堀切越しに通路が見える

左 奥が馬出  中央 こちらは大馬出  右 大馬出背後はこの堀切を隔てて二の丸

左 土橋となっている通路  中央 二の丸虎口  右 先ほどの通路は二の丸からは狙い撃ち

 最後は小宮曲輪方面を見学するが、ここは私有地もあることもあってか整備がされておらず鬱蒼としている。この北にはさらに山の神曲輪があるらしいが、そちら方面も鬱蒼としているようである上に時間がなくなってきたので小宮曲輪の北端で引き返してくる。

左 奥が小宮曲輪  中央 小宮曲輪内部は鬱蒼としている  右 堀切を隔てた先が山の神曲輪方向
 

 かなり見応えのある城郭であった。また北条氏の築城術の粋というか、非常に凝った縄張りが印象に残った。なお滝山城については、防御力が低いために本拠を八王子城に移したという説があるらしいが、私が見る限りでは滝山城の防御力が低いとはとても思えなかった。確かに地形が緩やかなために滝山城の本丸に到達するのは八王子城の本丸に到達するよりも遙かに楽であるが、それは今日の我々が完全に道路を整備された城跡を登る場合の話である。実際にこの城を攻めるとなると、堀は非常に深いし堀底道はまさに迷路のようであり、攻撃側は進退窮まってしまう。よじ登ろうにも、乾けばボロボロで濡れればズルズルの関東ロームである。攻城兵は絶望的な気分で頭上の敵を見上げるしかあるまい。そこに周囲の曲輪から矢玉が雨霰のように降ってきたら、どれだけの損害が出るか分かったものではない。

 

 ただこのように滝山城はあらゆる防御の手段を尽くした難攻不落の要塞であるが、規模が大きいだけにここを防御するには1000人規模の兵員が必要であろう。秀吉による関東攻めを目前にして、氏照は小田原城に兵員を集中する必要があったことから、天険の地形を味方に100人規模の兵員でも守り抜くことが可能な八王子城に本拠を移したというところが真相ではないのかと思われる。城を守るにはその規模に応じた兵員が必要であり、家臣の離反で大幅に兵力を減らした武田勝頼が、織田との対決を睨んで折角建設した大要塞・新府城を放棄して、小さな山城である岩殿城を目指したのと同じではなかろうか。

 

 ホテルに戻ったのはちょうど10時。10時から入浴施設の方が営業開始しているのでチェックアウト前に一風呂浴びる。遠征の度に思うがこの朝風呂というのはなんとも贅沢な気分である。

 

 入浴を終えると荷物をまとめてチェックアウト。京王八王子から渋谷を目指すことにする。京王線の沿線は概ね住宅地。先日乗車した高幡不動をすぎて、ゴチャゴチャした府中。これで京王線も全線視察完了である。後はこのまま下高井戸まで移動、ここから東急世田谷線に乗り換えることにする。

 

 東急世田谷線の下高井戸駅は京王線と併存している。ただし東急世田谷線は路面規格の路線である。運賃は一律料金で140円。なお路線自体は路面規格であるが、軌道自体は専用軌道になっており路面電車というわけではない。ただ一カ所、環七と交差する部分だけは踏切ではなくて信号待ちするようになっている。これは環七の通行量が多いために鉄道優先から車優先に切り替えた結果だとか。

下高井戸から東急世田谷線に乗り換え
 

 専用軌道とは言うものの、列車が走るのはかなりゴミゴミとした市街地。ただそれだけに乗降客はかなり多く、途中からは車内は牛詰めの状態となり、そのまま終点の三軒茶屋に到着する。これで東急も全線視察終了ということになる。

左 世田谷線車両  中央 車両内部  右 沿線はかなりゴミゴミしている

左 車両基地か  中央 環七では信号待ち  右 三軒茶屋に到着

  世田谷線三軒茶屋駅から田園都市線三軒茶屋駅までは若干距離があるが地下道でつながっている。三軒茶屋からは渋谷までは二駅。相変わらず渋谷はゴミゴミとした町である。出来ればロッカーに重たいトランクを入れたかったのだが、ロッカーはどこも一杯で空きがないのでトランクをぶら下げたまま目的地に向かうことになる。今日は何やらイベントがあるらしく車道が通行止めになっている。おかげで若干歩きやすい。

 


「シャヴァンヌ展」BUNKAMURAで3/9まで

 

 19世紀フランスを代表する壁画家で、フレスコ画を思わせるような色彩で理想のアルカディアを描き続け、象徴主義の先駆とも言われた巨匠の展覧会。

 一見して印象に残るのはその独特の落ち着いた色彩と、古典的にも見えるアルカディア光景である。彼がこのようなアルカディアにこだわったのは、彼が生きた19世紀のフランスは普仏戦争など常に戦火の絶えなかった時代であったということが大きく影響しているという。

 ただ彼の絵画は、既に印象派も台頭しつつあった時代においては、いかにも古いという印象を受けたのも事実。彼自体はアカデミズムでも印象派でもなく独自の道を歩んでいたようであるが、そういう中庸なところが尖ったところのない作品に現れており、確かに落ち着いた壁画には向いているが、果たして芸術家としての評価はどうかと考えると微妙なところである。


 

 本展で本遠征の主目的の一つは達成だが、もう一カ所立ち寄りたい。JRと都営浅草線を乗り継いで西馬込まで。前回に東京に立ち寄った際には西馬込まで行っているのだが、本展のことを知らずにそのまま引き返してしまった。勿体ないことである。目的の大田区立郷土博物館はここから住宅地の中を10分ほど歩いたところ。身軽な状態ならなんてことない距離だが、今は重たいトランクを引っ張っているので少々ツライ。

 


「川瀬巴水−生誕130年記念」大田区立郷土博物館で3/2まで

 

 浮世絵の流れを汲む大正・昭和の新版画絵師であった川瀬巴水の作品を集めた展覧会。

 風景を繊細に描いたその美しい作品は文句なく楽しめる。その作品は単に風景を描くだけでなく叙情性も高く、昭和の広重との呼び名も納得出来るところ。

 私の訪問時は中期の作品が展示されており、年代的には昭和初期に当たる。その技術はいよいよ冴え渡り、雪を描いた作品などは静謐で張りつめた空気が感じられて凄まじい。版画でここまで空気感を表現出来るというのは見事である。

 なお本展では版画だけでなく、自筆の作品も数点展示があった。版画よりもさらに微妙な表現が見られてなかなかに面白い。これを再現することを科せられた摺り師もかなり大変であったろうなどということを考えたり、なかなかに楽しめた。


 

 充実した内容に対し、入館料はただという太っ腹な企画であった。私はお布施の意味も込めて図録を購入して帰る。本当はもっとじっくりと見たかったのだが、時間に追われてやや駆け足になってしまったのが残念。

 

 もう既に3時を回っている。予定の進行次第ではこの後に小机城に立ち寄りたかったのだが、今から直行しても小机駅に到着するのが4時過ぎになってしまう。現在は5時前にはもう真っ暗になっていることを考えると見学時間が不足である。そこで予定を変更して、横浜地区の鉄道視察を行うことにする。

 

 中延で東急大井町線に乗り換えると、田園都市線を経由してあざみ野まで移動する。この際、横浜地下鉄を視察しようという考え。横浜地下鉄はあざみ野−湘南台を結ぶブルーラインと日吉−中山を結ぶグリーンラインの2線があるが、現在までまだブルーラインの横浜−新横浜間しか視察していない。

  出典 横浜市交通局HP

 東急あざみ野の直下の地下に地下鉄あざみ野駅はある。結構深いなという印象だが、走行を始めてしばらくすると一瞬地上に出る。その後も何度か地上に出ることがあり、センター北−センター南間は完全に地上を走行し、グリーンラインと併走する。ただしホームなどは共用はしておらずに完全に分離している模様。またこの辺りは地形に起伏があるのだろうか、その後も結構地上を走るのだが、周辺は新興住宅地的で風景にはあまり面白いものがない。

左・中央 あざみ野の地下が地下鉄の駅  右 結構地上部分が多い

 再び地下に潜ると新横浜駅。ここでJRに乗り換えて中山駅を目指す。新横浜駅は成人式を迎えたらしい多くの振袖女性がウロウロしている。地域によっては成人式というのは一大イベントのようだが、私の生まれ育った神戸では成人式は参加希望者のみ申請を出して参加という形態(招待状はおろか、案内状も来ないのである)なので、私は自分の成人式の日であることを全く認識しないまま、当日は三宮の電器店街をウロウロしていたのである。おかげでおつむの中が成人せずに今でもガキのままである。まあ成人式といってもまだ親がかりの学生の身では、自覚しろと言うのも無理な気がする。年齢で一律に成人と言うよりも、回りが時期を見定めて元服させる方が実態に合っているような気もするが、四民平等の民主主義下ではそういうわけにもいかなかろう。しかし本来は成人式とは自身が社会人であることを認識するための儀式であり、幼稚な馬鹿騒ぎをする自己アピールの場ではない。どうも最近はそのことをわきまえてない「お子様新成人」が増えすぎているようだが。

  小机城はこの山上らしい

 中山駅で乗り換えるとここから地下鉄グリーンラインに乗車。こちらはブルーラインと違って郊外を走る路線のせいか、ブルーラインの6両編成に対して4両編成と車両編成は短い。また乗車人数もそう多くない印象。またこの路線も中山駅は地下駅なのだが、駅を出るとまもなく地上に出て、センター北までは半分以上は地上を走る半地下鉄。センター北からずっと地下になり、やがて日吉に到着する。

地下鉄中山駅まではかなり潜る

左・中央 地下鉄車両  右 やはり地上に出る

左 センター北付近ではブルーラインと併走  中央 日吉に到着  右 東急日吉駅とは改札が向かい合っている

 これで横浜地下鉄グリーンラインは視察終了。残るはブルーラインの横浜−湘南台間だが、これは次の機会に譲ることにする。

 

 再び新横浜駅に戻ってくるが、予約した新幹線の時間までにはまだ1時間あるので駅前で夕食を摂ることにする。結局入店したのは「かつくら」。横浜に来て京都のとんかつ店に入店ということになる。これはここ数日とんかつが食いたい気分になっていたことと、下手に関東の店に入るよりもこの方が無難であるという事実。実際に久しぶりにかつくらのとんかつを口にした時にそのことを改めて感じたのである。あー、かつくら漬けうまい。

 

 夕食を終えると新横浜から新幹線で帰途についた。帰りの新幹線は三連休最終日と言うこともあってか乗車率はかなり高く、牛詰めの不快なものであり、帰り着いた時にはかなり疲労していることになったのである。

 

 今回は雪国からゴミゴミした関東へという変化の大きいものであった。そこで感じたのはやはり私は松本とは相性が良さそうだということと、東海道線よりも中央線の方が相性が良いなということ。中央線沿線はまた時を改めて再訪したいところで、その時には今回スルーした桑原城址なんかも見学したい。この沿線にもいくつか宿題が残っているので、それを何とかしておきたいところである。

 

 また今回は西関東地域を中心に回ったのだが、この地域にも城郭などの宿題がいくつもある。私としては東京中心部のような極度にゴミゴミしたところよりも、こういう若干田舎の地域の方が性に合うのも事実で、今後はそのことも考慮に入れていきたい。

 

 結局今回の遠征は、気になった美術展を数展と西関東地域の私鉄乗りつぶしというような主旨になってしまった。本遠征で西武、東急、京王、多摩モノレールという西関東系私鉄をほぼ視察終了したので、この地域に残るは小田急、後は横浜地区の地下鉄と相模鉄道くらいになった。これで首都圏全体では東京中心地域の地下鉄の細々した一部、さらにりんかい線、ゆりかもめ、後は大宮のニューシャトル。どうやら本年中の首都圏制覇も視野に入ってきたところである。となると全国で残るは仙台地下鉄に只見線、後は三陸地域の鉄道である・・・って完全に鉄オタ視点になっちまってるんだが、正直なところの本音を言うと本年中に一区切りをつけたい気持ちがかなりある。

 

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