展覧会遠征 熊野編

 

 いよいよ年も押し迫ってきたが、相変わらず仕事の方は年末進行で息つく暇もないような状態。ストレスもピークに達している。こうなると突然現実逃避したくなるもの。骨休めのために以前より訪問したいと思っていた奈良・和歌山地区の温泉を回るプランを実行することとした。

 

 当初予定は二泊三日で山奥を回るプランだったが、いざ宿泊地の選定などをしていると、やはり初日に現地まで到着するところにかなり距離的に無理がある。そこでついにブチ切れた私は、金曜日の午後に休みを取っての三泊三日プランに変更した次第(正直なところ休みはかなり強引に取っている)。

 

 金曜日の昼に仕事を終えるとただちに長躯ドライブである。今日の宿泊予定地は五條。宿泊するのは以前に風呂だけは行ったことがあるリバーサイドホテル。前回の訪問時に温泉の泉質が思いの外良かったことと、飲食店もまずまずだったことからの選定である。

 

 ただホテルに直行するだけだと今度はあまりに早くつきすぎる。そこで途中で一ヶ所、立ち寄り先を追加する。それは千早の「上赤坂城」。楠木正成関連の城郭である。以前に千早を訪問した際に、千早城と下赤坂城は見学しているのだが、上赤坂城だけは場所がはっきり分からなかったのと、時間がなかったことからパスした経緯がある。

近くにある道の駅(確かにかなり小さい)

 いざ現地に到着するとやはり場所がよく分からない。そこで地元の民俗資料館に立ち寄って上赤坂城の場所を訪ねる。地図まで用意して親切に説明してくれたおかげでようやく場所が判明する。また現地の駐車場の場所まで教えてもらって万全の状態である。

上赤坂城登城口

切り通しの道が続く

縄張り図(現地看板より)

 教えてもらった駐車場に車を止めると登城口は目の前である。登城路の山道は尾根筋を開削した切り通しになっている。登城路の入口のすぐが一の木戸で、地形に応じてこの四の木戸まである。道はそう険しくはないのだが、今日はまだ昼食を摂っていなかったので途中で燃料切れになりそうになる。

左 二の木戸  中央 三の木戸  右 四の木戸の手前のそろばん橋

 四の木戸の前にあるのがそろばん橋。ここは現在では土橋になっているが、かつては引き橋があったという。ここには堀切があるので、確かに引き橋にしていたら防御力は上がる。

左 四の木戸辺り  中央 左手が二の丸  右 右手に見えてきたのが茶碗原

 ここを抜けて進むと左手に見えるのが二の丸と周辺の曲輪。これらの見学は後にすることにして、とりあえずはまず本丸を目指す。

左 本丸と二の丸の分岐  中央 右手が茶碗原  右 本丸までの間にもいくつか曲輪がある

 本丸の手前にある広い曲輪が茶碗原。どうも奇妙な名前である。茶碗のような窪地というわけでもないし、どういう由来なんだろうと思っていたら、かつてここに城の炊事場があったとか。なるほどそういうことか。なおこの辺りは最近まで畑にされていたような跡がある。

左 奥に見えるのが本丸  中央 案内に従って登る  右 これは井戸の跡だろうか

左・中央 本丸虎口  右 内部は鬱蒼としている

 茶碗原を抜けて進むと右手に見えてくる高台が本丸。案内に従って登っていくと、奥の虎口を経て本丸上に上がれる。

右手に進んでいくと奥に城跡碑が

大阪方面を一望

 本丸は結構広い曲輪。一番手前のところが見晴らし台になっていて遠くに大阪の市街地が見える。そんなに高い山という印象はなかったのだが、意外と見晴らしはよい。

 

入口左手の奥にあるのがこの小曲輪

 本丸の先端には一段低くなった小曲輪がある。ここはちょうど本丸虎口に対して横矢をかけられる位置にあり、かなり防御を考えた構造になっている。

二の丸に登る

二の丸風景

 本丸の見学後は手前にあった二の丸に登る。こちらは本丸よりも小さい曲輪だが、周辺にいくつかの小曲輪を伴っており、防御の拠点であることが分かる。

 

 近くの千早城に比べると構造が凝った城郭であった。なお上赤阪城の周辺には他にも小城郭が散在しており、城郭群となっている。何にせよ、この地域の防御は特定の城郭に依るというよりも、これら一連の城郭群を利用したゲリラ戦に依っていたのであろう。複雑な尾根筋は小兵力でゲリラ戦を仕掛けるのに適している。南北朝時代の楠木正成から始まり、戦国期の雑賀衆にしてもいずれも小兵力によるゲリラ戦を得意としている。

 

 上赤坂城の見学を終えると五條に向かうことにする。どうゆら雪が降ったのか道路沿いには雪が積もっている状況。もし路面に雪が積もったら洒落にならない。実のところ、今回の遠征で一番気になっていたのは積雪リスク。万一に備えて慌ててAmazonでオートソックをお急ぎ便で購入したのだが、それが正解だったようだ。オートソックはノルウェー製の布製タイヤチェーン。タイヤカバーのような形になっているので被せるだけで使えるという優れものである。お守り代わりにタイヤチェーンを購入しようと思ったのだが、いざという時に装着できないのならお守りにさえならないと考えての急遽の導入である。やはりお守りがあるだけで精神的な安心感が違う。そうでなかったら雪を見た途端に慌てふためいたところである。山道をひたすら走ることしばし。積雪はないと言うものの凍結のリスクはあるので下手に飛ばせない。結局は平均時速30キロぐらいでの走行。ようやく五條の市街地にたどり着く。そこまで来ればリバーサイドホテルの大体の場所は覚えている。

 

 ホテルに到着したのは5時過ぎだった。チェックインすると何はともあれ風呂に行く。風呂は金剛乃湯と言う日帰り入浴施設になっていて別棟である。地下から汲み上げたという温泉はナトリウムー塩化物炭酸水素塩泉。しょっぱさと若干の苦味のある温泉で、肌触りはかなりヌルヌルとしている。

 

 温泉を堪能すると夕食の時間。夕食はレストランで会席料理。どの料理もうまいのだが、昼食抜きの身には若干ボリューム不足のところがある。近くにコンビニでもあれば買い出しに出かけるところなのだが、何しろ田舎なのでその手の店があまりない。

ごく一般的な会席料理だが、なかなかにうまかった

 夕食を終えるとしばらくマッタリしてから再び入浴に行く。今度は先ほどよりはユッタリと体を温めていく。ナトリウムー塩化物泉系のお湯なので体が温まる湯でもある。

 

 部屋に戻ってくるとちょうどテレビで「おおかみこどもの雨と雪」を放送していたのでそれをぼんやりと見る。うーん、悪い映画でもないのだが、終わってみると一体何を言いたかったんだろうという不満の残る作品。どうも後味がスッキリしない。終わり方がいかにも中途半端な印象がある。要は苦労して育てた子供たちが、それぞれ自分の道を見つけて親元から巣立っていくという話なんだが、狼男の子供という突飛な設定がストーリー上で全く活きているように思えない。今一歩のところが残念な映画である。

 

 映画が終われば11時過ぎ。かなり眠くなってきたので就寝する。

  

☆☆☆☆☆

 

 

 翌朝はホテルで朝食を摂ると8時過ぎにチェックアウトする。このホテル、なかなか良い温泉を持っているのだが、施設の都合で朝風呂がないのが難点である。

  朝食

 今日は長躯して熊野まで走ることになる。山間の国道である168号を走行するが、山道で険しい上に所々かなりの狭隘部もある厳しい道。また以前の豪雨による傷跡も随所に残っており、走行にはかなりの神経を使う。しかも生憎の雨でさらに山間部では雪混じりのみぞれになる悪天候。まだ乗り換えたノートの走行感覚がしっくりきていない私は、どうしてもペースが上がらない。しかも前回の事故の記憶は明らかにトラウマとして残っており、ウエット条件の急カーブになるとどうしても足まわりに不安を感じる。しかしそんな道を地元車はかなりの速度でビュンビュン飛ばしていく。後ろに地元車につけられたら道路脇に止めて先に行かせつつマイペースで走行するしかない。

 

 忍耐を要求される運転を続けながら南下することしばし、十津川村の辺りからようやく青空が見えてくる。ただ十津川村周辺は2年前の豪雨による大災害の爪痕が残っており、道路が寸断されていて迂回を余儀なくされる部分や今でも工事中の部分が多々ある。とにかく道路がライフラインで、道路が寸断されると陸の孤島になる場所である。

 

 十津川村を抜けた辺りでとりあえず疲れたので「道の駅奥熊野古道ほんぐう」で休憩を摂ることにする。またついでにやや早めではあるが昼食として「焼肉丼」を頂く。特別にどうというところはないがなかなか美味。

    

道の駅ほんぐうからはかなりの絶景

 昼食を終えたところで再び車を出す。今日の目的地は赤木城。築城の名手としても知られる藤堂高虎が手がけたと言われる三重を代表する城郭である。ただその前にここまで来たのだから熊野本宮大社に立ち寄るつもり。以前に新宮方面に遠征した際に熊野速玉神社は訪問しているのだが、本宮大社の方は訪問していないのでこの際との考え。

 

 本宮大社の鳥居の向かいに熊野本宮館なる案内施設があって、そこに観光用駐車場があるので車を置く。本宮館では映像によって熊野信仰の歴史や熊野古道についての紹介を行っている。

  熊野本宮館

 向かいがすぐ熊野本宮大社。私は熊野古道沿いに歩いた山深い奥地にある聖地を想像していたのだが、確かにこの辺りは山奥には違いないが、本宮大社自身は極めて普通の神社。まあ本殿の前の石段がかなり高くて険しかったことぐらいがいかにもの特徴か。かつてはこの周辺も高野山のような門前町だったのだろうか。もっとも現在は完全に観光地になっている。

左 表の鳥居  中央 この石段はキツイ  右 ようやく到着

本殿はかなり広い

  無信心な私なので参拝を簡素に済ませると、近くの売店で熊野サイダーで一服。うめみかんとのことだが、かすかなみかんの味にかなり強烈な梅の味がするサイダー。梅があまり得意とは言えない私には少々きついか。

  熊野サイダーで一服

 熊野本宮大社の見学を済ませるといよいよ「赤木城」に向かう。まずは国道168号を東進。ここまでは良かったのだが、国道169号に乗換、さらに国道311号に乗り換えてからがとんでもない道になる。道路は山中を抜ける1.0車線道路。しかしそれにも関わらず通行量は結構多く、最悪は向かいからトラックがやってくることもありすれ違いが困難。ただまだトラックは運転を心得ているから良い方。一番どうしようもないのはオバハンの軽自動車。なぜ少し待てば問題なくすれ違えるポイントをあえて通過し、すれ違えるはずもないところまで強引に突っ込んだ挙げ句に道の真ん中で停止するんだろうか。しかも1センチたりともバックしようという気などは持ち合わせていない。やはりオバハンドライバーは基本的に交通に対する予知能力というものを持ち合わせていないとしか思えない。また自分は自分のやりたいように運転していたら、相手の車が勝手によけてくれると思っているようだ。

現地は看板が立って駐車場も完備している
 

 酷道311号線から険道765号線を経由、ようやく赤木城の案内看板が目に入る。ここまでの道路はとんでもないところだったが、赤木城自体は国の史跡として指定されて整備もされているようである。深い山中に思いも寄らないような見事な石垣が見えるのでこちらもテンションが上がる。

 

 駐車場になっている部分から一段上の曲輪が鍛冶屋敷跡と言われる場所で、発掘調査では陶器片などが出土したという。

  鍛冶屋屋敷跡

 ここからさらに登ると石垣の間の門を抜け、東郭に至る。ここはまさに城内で、奥に主郭が、さらに遠方には西郭と城の全体が見える。

左 門跡を抜ける  中央 正面の風景  右 東郭2

本丸方向に振り返るとこの風景

 東郭のさらに奥に虎口があってここから主郭へと登ることが出来る。ここの虎口が複雑な凝った構造であり、さすがに藤堂高虎の手になる城郭と言うだけのことはある。

本丸虎口はかなり凝った構造になっている

左 本丸虎口  中央 ようやく本丸に到着  右 本丸風景

本丸からの風景

 主郭はそれなりの広さがあり、なかなかの規模の城郭である。ここから一段低い位置に北郭があり、これが北の尾根伝いの攻撃を防ぐ構造になっている。またこの北郭と主郭の間にはかなりの高度差があるので、万一この北郭が敵の手に落ちたとしても、主郭から内部が丸見えで狙い撃ちが可能になっている。

左 本丸石垣  中央 奥に見えるのが北郭  右 北郭

 主郭から西郭の方に下りてみる。西郭は石垣で固められた曲輪で、こちら方面からの敵の攻撃を最前線で食い止めるようになっている。また下の道側から見た時に一番目に触れるところだけに、正面には大きい石を配するなどビジュアル面にも配慮したものになっていたとか(城郭とは権力の誇示の意味もあるから、ビジュアル面も重視される)。

左 上から見た東郭  中央 上から見た西郭 右 西郭

左 西郭には建物の礎石跡がある  中央 さらに先端に削平地が  右 根本の水溜跡

左 横手から回り込んで下に下りてみる  中央 先端下には複数段の曲輪がある  右 西郭石垣

 西郭から下りていったところが南郭。この辺りになると道からの高さもほとんどなく、防御力として考えると貧弱であることから、日常使用の屋敷があったと考えられるとのこと。一朝事あった場合には山上の主郭に篭もるようになっていたのだろう。

西郭から下りていったところの南郭は屋敷跡か
 

 特別に規模が大きいという城郭ではないが、石垣を効果的に用いた凝った構造になっており、その辺りは築城の名手・藤堂高虎の面目躍如と言うところか。山中にそびえ立つ石垣は見るものに与える心理的効果も大きかったろう。私もまさかこんな山中にこんなに立派な城郭があるとは思いもしていなかった。正直なところ、この城郭を見学出来ただけでも本遠征の価値はあったというのが本音である。

 

 赤木城の見学を終えると再び険道と酷道を乗り継いで戻ることになる。赤木城は見応えのある立派な城郭だったが、正直なところこの道路は二度と走りたくない。帰りにもトラックと正面から出くわして進退窮まるような場面があった。こちらが他県ナンバーであることから、向こうがかなり配慮してくれてようやくすれ違えたが、そういう阿吽の呼吸が通じない相手なら万事休すであるところだった。

 

 ようやく国道168号に合流してホッとした(この辺りを走っていると、センターラインがあるだけでハイウェイに思えてしまう)のもつかの間、今日の宿泊地である湯の峰温泉に向かおうとすると、名もない山道を走行する必要に迫られる。またもセンターライン消失である。本当に紀伊半島は秘境である。吉野の奥地に逃げ延びた後醍醐天皇が南朝を開き、そのまま数代に渡って持ちこたえた理由も納得出来る。当時、こんなところに篭もられたら攻めあぐねるのも道理。私が権力者だったとしても直接攻めるよりは出てこないように警戒だけして放置するだろう。近代兵器のある今でもこんなところでゲリラ戦をされると大変である。空爆をしたところで拠点が分からないと弾薬の無駄遣いだし、戦術核で焼き払うという最終大技を駆使したとしても、山中に穴を掘って篭もられたら根こそぎにはならない可能性がある。結局は内応工作や特殊部隊といった方法になって時間がかなりかかるだろう。

 

 トラックなどとのすれ違いも大変な狭い道を走ることしばし、ようやく湯の峰温泉に到着する。まさに山間の秘湯という趣。私が宿泊するのは「民宿あづまや荘」。まさに湯治の宿という趣で建物などはかなり年季が入っている。今時の女性などなら外観だけで嫌がりそうだ。

 

 部屋に荷物を置くと、まずは湯の峰温泉を散策。湯の峰温泉はあちこちに「日本最古の温泉」という表示と「小栗判官蘇生の地」の表示がある。小栗判官とは何者かと思ったが、足利時代の小栗助重なる人物のことらしい。小栗城が関東管領の足利持氏に攻められて落城した際、彼は十勇士を供にお家再興を誓って脱出したのだが、逃避行の途中で正体がばれて毒殺されそうになり重病となるが、その体を癒したのがここの温泉の霊水だったそうな。そして見事回復なった彼はお家再興を成し遂げるというエピソードらしい。

  小栗判官蘇生の地

 湯の峰温泉はあちこちから硫黄の匂いが漂っていていかにも温泉街。ひなびた風情もなかなか良い。ただ何でもピカピカの無菌状態でないといけないと思っている女性などなら、汚いとか不潔だとか言いそうである。

左 温泉街  中央 湯筒では野菜を茹でたりするらしい  右 お寺と公衆浴場

左 お寺裏の茶店  中央 世界遺産登録されているつぼ湯  右 温泉街の佇まい
 

 茶店があったのでそこでおやつ。温泉水で茹でた杵突き餅という「焼あん餅(350円)」を頂く。素朴な味であるがうまい。

 

 温泉街を一回り見学すると旅館あづまやの風呂に入浴に行く。湯の峰温泉の泉質は含硫黄ナトリウム炭酸水素塩塩化物泉とのこと。特徴的なのは硫黄の匂いがかなりきついこと。ほぼ中性の温泉なのでヌルッと感はないが、トロンとした肌触りの優しい湯。内風呂には二つの浴槽があり、小さい方が無加水の源泉風呂。やはりこちらの方が明らかに成分が濃い。

  こちらは旅館あづまや

 外から帰ってくると部屋でこの原稿を打ったりしながら過ごすが、その内に思い立って風呂に行くことにする。民宿にも小さな浴場があり、源泉はどうやら旅館と共通の模様。小さな浴場であるが、浴槽には上質の湯が惜しげもなく注ぎ込まれている。ここでたっぷりと入浴する。

   

道の駅ほんぐうで買い求めたおやつを頂く

 部屋に戻るとテレビを見ながらマッタリ。そのうちに「宇宙兄弟」が始まる。私が最近見ているアニメーションというとこれだけである。しかし最近、とうとう我慢できなくなって原作本を読んでしまった。アニメはかなり原作のまんまであるので、これは完全にネタバレ状態。しかし原作コミックを読んで思ったのは、この作品ってかなりビジネス本なのではないかということ。主人公の南波六太の行動というのは典型的な出来るビジネスマンなのではないかと思える。そもそも彼が実はエンジニアとして優れた発想力を持っているということを抜きにしても、自分と敵対していると思われる者まで巻き込んで味方に付けていくというコミュニケーション能力には脱帽である。六太のその力の源は、彼が心の奥に強烈な夢を持っているから。それがNASAという多かれ少なかれ同様の夢を秘めている者達の集団の中で共鳴するのである。出来るビジネスマンは夢を心に持ちながら現実を語るというやつである。NASAという組織はかなり特殊であるが、どんな会社などでもそのメンバーは多かれ少なかれ共通の理念のようなものを持っているものである。その芯の部分を揺り動かせば人を動かせるということでもある。

 

 宇宙兄弟が終わると6時。夕食の時間なので食堂の方に出向く。民宿というものの料理はかなり本格的で豪華。そして一品一品がうまい。正直なところ感動があるというレベル。料理も旅館と共通なのだろうか? 何にしろあの本格的な温泉にこの料理はかなり値打ちものである。

温泉水で炊いたご飯は若干黄色い

 

 食事を終えるとテレビでも見ながらボンヤリ。もう一度風呂に行こうかとも思ったが、グッタリして何かをする気力が湧かない。結局はこの日は9時頃には早々と布団に入ってしまってダウン。

  

☆☆☆☆☆

 

 

 あまりにも早く寝過ぎたせいか、4時過ぎに一度目が覚めてしまったが、無理矢理そのまま寝ていたら結局は6時半の目覚ましに起こされる。とりあえずは朝風呂に出向く。やや熱めの風呂で目を覚ますと7時から朝食。これがまたうまい。本当にこの宿は風呂と食事は正解だ。

  朝食は温泉の湯で炊いたお粥

 さて今日の予定だが、とりあえず熊野古道なかへち美術館に立ち寄ってから、後は諸々立ち寄りの予定。ただなかへち美術館の開館が10時からなのであまり早くチェックアウトしても仕方ない。結局は9時頃まで部屋でゴロゴロしてからチェックアウトする。今回の遠征はそもそも年末の慰労というのが目的であったので、予定をあまりタイトに組んでいない。

 

 9時頃に出発したが、なかへち美術館には9時半頃に到着するペース。そこでなかへち美術館近くの奥熊野温泉女神の湯に立ち寄って時間をつぶすことにする。

 

 女神の湯はオートキャンプ場にある。普通にポリ製の内風呂があるだけのシンプルな設備で、いかにもキャンプ場の風呂という趣。しかしこのショボイと言ってよい外観に反して、驚かされるのはその湯。入浴した途端に今まで経験したことのないような強烈なヌルヌル感。泉質は純重曹泉と記載してあるが、一体pHはいくらなんだろう。このヌルヌル感からするとかなりアルカリ性であると思われる。全く想像外の体験だった。熊野の温泉恐るべしである。

   

 入浴を終えるとちょうど10時前になっていたのでなかへち美術館に向かうことにする。美術館はここから10分もかからない。

 


「妹島和世+西沢立衛/SANAA展」熊野古道なかへち美術館で12/23まで

 

 なかへち美術館の設計を手がけたSANAAの建築作品について展示した展覧会。SANAAは妹島和世と西沢立衛の建築家ユニットであるが、なかへち美術館を初めて手がけてから、その後に金沢21世紀美術館やローザンヌ連邦工科大学など数々の建築によって評価を高め、建築界で権威のあるプリツカー賞などを受賞している。

 

 建築については全く分からない私であるが、彼らの建築は光の取り込みかたや空間の使い方がうまいというのは感じた。そして何よりも私が共感を持つのは実用性があるということである。とかく変に「芸術性」に走って実用性が皆無の建築を作ってしまったり、無意味な虚仮威しをしてしまう傾向が近代建築には多いのだが、なかへち美術館の建物自体から分かるように、彼らの建築はデザインの斬新さを持ちつつも十二分な実用性を備えている。実用性のない建築物を設計する建築家は、とてもまともに着れない服をデザインするファッションデザイナー同様に無意味の存在と考えている私にとって、そのことは一番重要なことである。 


 

 中辺路美術館の見学を終えると次は田辺市美術館を目指すことにする。ここからまたしぱし山道を疾走である。それにしてもかなりカーブの多い道の上に、先ほど雪が少しちらついたりしたから路面はウエットコンディション。未だに足まわりの感覚がしっくり来ない私としてはどうにもペースが上げられない。それに反して地元ドライバーの飛ばすこと。結局はまた後続車が追い上げてくる度に道を譲っての走行となる。

 

 山道を走行することしばし、ようやく町に出てくるとそこが紀伊田辺である。

 


「生誕120年 玉村方久斗」田辺市立美術館で1/26まで

 

 1893年に京都に生まれた玉村方久斗は、日本美術院で若手画家として注目されるが、やがて前衛的な方向に走って日本画集団からは離れていった異端の画家である。58才の若さでなくなった後、近年までその存在はほとんど忘れられていたに近いのだが、最近になって再評価の機運が出てきたのだという。その玉村方久斗の作品を集めた展覧会。

 本展の展示作は田辺市出身の実業家で美術品収集家であった脇村禮二郎氏のコレクションとのことであるが、「前衛的な画家」と言われる割には比較的おとなしめの日本画が多いというのが正直な感想。筆遣いなどに大胆さと繊細さの両面を併せ持っているなという印象は受けたが、異端と言うほどの激しさは本展展示作だけからは感じられなかった。この画家についてはまた改めて学習する必要がありそうだ。


 

 美術館の見学を終えると正午頃、次の目的地は山城なのでそれまでに昼食を摂っておくべきと判断する。どこで昼食を摂るか考えたが、結局は紀伊田辺の海近くに出て回転寿司屋に入店する。ただ結果としてこの選択は正解ではなかった。寿司自体は悪くはないのだが、なんといっても明らかな観光地価格。私のイメージの1.5〜2倍という料金を取られることになった。CPが悪すぎ。もっと駅近くの地元民が立ち寄るような店を探すべきだったか。ただ昼食を摂る店を探すのに時間をかけたくなかったのも事実だが。

 

 昼食を終えると次の目的地を目指す。次の目的地は「手取城」。事前の調査によると、車で訪れた先人達はほとんどが「車で来ない方がよい」と言っている。どうやら途中から道が細くなるのに引くに引けなくなってしまうらしい。そこでとりあえず私は案内看板の手前に車を置いて徒歩で進むことにする。

  私はここに車を置いて進んだ

 最初はかなり幅も広い舗装道路が続く、確かにこの道だと先人達も何も疑問を感じずに車で突入したのも当然である。緩やかな坂道をしばし登っていくと、数百メートルぐらいで右手に工事によると思われる広い削平地があり、そこに750メートルの標識と手取城保存会による杖が置いてある。どうやらここが駐車場らしい。ただ現地に駐車場との表記はないし、入口の案内にも駐車場の表記がないということは、どうも正規に許可されての駐車場ではない可能性がある(土地の権利の関係だろうか)。ただ私の訪問時の様子では、ここに車を置いても特に問題はなさそうだし、また道路もここまでは全く問題なく通行できる状態であった(多分土砂運搬用のトラックも入っていると思われる)。

左 最初は普通車なら問題なく走れる道幅  中央 しばらく進むと削平地に当たる  右 杖が置いてある
 

 ここを過ぎると道は若干細くなる。500メートル地点には古城行路という標識と大規模な堀切があり、ここからが城内のようだ。ここから先は本格的に道幅が狭くなるので、軽自動車など以外はやはり先ほどの750メートル地点で置いてきた方が無難である。私のノートのようなコンパクトカーの場合、走行が全く不可能ではないようにも思えるが、私自身としては「走ってみるか?」と言われると即座にお断りである。特に傾斜が結構ある上に濡れ落ち葉で路面が覆われているので、スリップでもしたら崖から真っ逆さまになりかねない。そんな危険を冒すよりも歩く方が楽である。

左 ここから先は道がやや細くなる  中央 古城行路の石碑  右 石碑のすぐ先が城域の入口

左 ここには深い堀切がある  中央 ここを過ぎるとこの道幅  右 この路肩はかなり危うい
 

 舗装道を突き当たりまで進んだところが二の丸。結構な広さの曲輪である。軽自動車で乗り入れた場合にはここが駐車場になる。この曲輪の先のさらに一段下にも曲輪があるようだが、降り口が分からないので見学はやめておく。

出典 余湖くんのホームページ

左 二の丸に出る  中央 案内看板も立っている  右 結構広い曲輪
 

 反対側の高くなっているところが本丸である。本丸帯曲輪らしき曲輪にはベンチなども設置されており、ここからは辺りの風景を見渡すことが出来る。この周辺は延々と山ばかりであり、この山だけに城郭を置くという理由も特にない。恐らく周囲の山にも出城か少なくとも狼煙台ネットワークなどがあっただろうと考えられる。

左・中央 本丸に回り込んでいくと何故かベンチが 右 城跡碑
 

本丸帯曲輪から西方を望む

 奥が一段高くなっており、これが本丸というところか。天守でも置きたいところだがこの城に天守があったかどうかは知らない(多分なかったろう)。なおこの頃から雨がぱらつき始めるが、西の空が晴れているので多分一時的なものであろうと判断して見学を続ける。

左 曲輪の奥が小高くなっている  中央 本丸というところか 右 奥にもう一段下に曲輪がある
 

 大きな堀切を隔てて西の方に曲輪が伸びている。ここもなかなかに広い曲輪で櫓台らしき高台もある。本丸の防御拠点でもあったろう。なおこの下にさらに西に向かって数段の曲輪が連なっている模様だが、この辺りは鬱蒼としていて見学するような状況ではない。また堀切沿いに南にも曲輪があるようだ。この辺りは水場だったのだろうか。

左 本丸から西の曲輪を望む  中央 西の曲輪の手前の堀切  右 西の曲輪は長い

左 櫓台かと思われる土塁がある  中央 櫓台から本丸方向を振り返って  右 西の曲輪の南下にも曲輪が
 

 なかなかに見応えのある城郭であった。今までアクセスにやや難がある城郭であったが、あの平場が駐車場として使用できるのなら、城域の入口手前まで車で入れることになるので便利である。どちらにしてもこれは続100名城クラスの城郭であることは間違いない。

 

 手取城の見学を終えると次の目的地に向かうことにする。当初予定では次は湯浅に立ち寄るつもりだったが、まだ時間的余裕があることからその前に戸津井鍾乳洞に立ち寄ることにする。戸津井鍾乳洞は由良町にある観光鍾乳洞で週末や夏休みなどだけ営業しているらしい。

 

 御坊の市街を抜けると湯浅御坊道路で由良町を目指す。しかしこの道路、名前は幹線みたいなのだが、直に1.0斜線の狭隘部にさしかかる。紀伊半島の道路はこんな道路ばかりか? 今回の遠征はまるで酷道ツアーのようになってしまっている。車のすれ違いがほとんど不可能に思えるトンネル内で対向車に出くわしたりなど散々に疲労しながら鍾乳洞の手前までやってくる。しかしとんでもない道の総仕上げは戸津井鍾乳洞手前にあった。最後に標識があった道は「本当にここを車が走れるの?」と思わず声が出てしまったような道。1.0車線というよりも0.9車線小数点以下切り上げと言いたいような道路で、万一対向車がきたら進退窮まるのは確実。対向車が来ないことをひたすら祈りながら急な隘路を登り切った先に戸津井鍾乳洞の入口がある。

左 ここを右の細い道に入る  中央 ひたすら狭い道  右 さらにここを右に急カーブ

左 本当にこの道を通れるの?  中央・右 ヒヤヒヤだったがようやく到着

 戸津井鍾乳洞はアクセス道路だけでなく、その内部もかなり狭い鍾乳洞だった。特に強烈だったのは「カニの横洞」と名付けられた通路。その名の通り横向きになって鍾乳石に腹と背をこすりつけながら通過しないといけない通路。いくらダイエット進行中とはいえ、やはり一般人よりは前後の体の厚みが大きい私にはしんどい行程である。ここは相撲取りなどは通行不可能であろう。

とにかく内部は狭い

 あちこちに鍾乳石は見られるが規模は大きくない。全長もそう長くなく全体的にこじんまりした鍾乳洞である。ただ内部が狭いのがいかにも洞窟探検という雰囲気で、それなりに楽しめる鍾乳洞であった。

 

 ここから湯浅に向かうがその道路もかなりひどい道だった。ようやく湯浅に到着したときには4時頃になっていた。

  こんな道ばかり

 駅前の観光案内所に車を止めると湯浅の地図をもらう。なおこの観光案内所は5時までとのことなのでそれまでに戻ってくる必要がある。あまり時間的余裕がないが、どちらにしても5時を回ると辺りが暗くなってくるので写真撮影はしんどいだろう。重伝建地区までは歩いて15分とのことなので歩こうと思えば、自転車を貸してくれるとのこと。3000円の保証金(後で返ってくる)を払って電動アシスト自転車を借りる。

 

 重伝建地区までは自転車で突っ走ると5分もかからない。湯浅は醸造の町として知られており(関西では湯浅醤油と言えば一種のブランドである)、醸造所を中心とした古い町並みが残っている。

 通りの裏手にはかつて醤油の輸送などに使っていた水路の跡も残っている。またかつて使われていた銭湯など、なかなかに趣のある建物も残っている。もっとも時代はあまり統一されておらず、江戸時代ぐらいから昭和初期まで様々な印象。

 

 なかなかに趣のある町並みである。なお湯浅の町自体、重伝建地区以外の地域も昭和レトロの趣のある町で、私としてはどことなく懐かしさを感じる町並みである。

 

 ただ町並みを一回りした時点でタイムアップである。慌てて自転車をこぎながら観光案内所まで走ると、自転車を返却する。これで今日の予定は終了。後はホテルに向かうことにする。今日の宿泊ホテルは花山温泉。  

 

 夕闇が迫る阪和道を北上すると和歌山ICで降りる。ホテルはここからすぐのはずなのだが、ここからが大渋滞で車が動かなくなる。結局はホテルに到着したのは6時前になってしまう。しかもホテルに到着したら下で駐車場がいっぱいで車を止める場所がない。結局は少し離れたところに案内されて車を止めることに。

 

 ようやくチェックインである。施設は温泉付ホテルと言うよりも、宿泊施設付き日帰り温泉というのが正しい表現。部屋は一昔前の旅館の部屋という趣。部屋数はそんなに多くはない。

 

 部屋に荷物を置くととりあえず大浴場に出向く。大浴場は表の車の台数からの予想通り、大勢の客でごった返している。かなり人気の高い施設であるようだ。もっともお湯を見ればその人気の理由は納得できる。ナトリウム、カルシウム、マグネシウムなどを含む炭酸泉という湯は赤褐色の析出物がたっぷりの濃厚な湯(噴出時は透明だが、時間が経つと酸化して赤褐色になるらしい)。風呂桶なども析出物でびっしりと覆われており(女性などの中にはこれも「不潔」と言いそうなのがいる)、かなりの迫力である。しかしその見た目に反して身体にやさしい湯。この湯が自噴しているというのだからまさに奇跡。

 

 入浴を終えるとすぐに夕食の時間が来る。夕食は食堂で摂ることになる。メニューは一般的な会席料理。なお献立表では鴨鍋になっているが、私のメニューは実際にはイノブタ鍋である。

 日帰り温泉の食事処と少々侮っていたところがあるのだが、案に反して結構旨い。とりあえず十分納得出来る夕食だったのである。

 

 夕食の後はテレビを見ながらゴロゴロ。今回の遠征は温泉巡りのようになっているのだが、湯治というようなゆったりしたものでなく、間に長時間ドライブが続く結構ハードなものになってしまっている。だからむしろ温泉に浸かることでいろいろ悪かったところが一気に吹き出してきたような感がある。かなりグッタリとしてしまった。しかしこのまま寝るのも勿体ないので就寝前にもう一度風呂に繰り出してから就寝する。

  

☆☆☆☆☆

 

 

 翌朝も朝から風呂。翌朝の6時〜8時は宿泊客だけが入浴出来る専用タイム。これを利用しない手はない。昨日は大勢の客でごった返していた浴場を独り占め出来る。露天でマッタリと頭を冷まし、内風呂では高温泉と低温泉での交互浴。これが結構刺激があって良い。また昨日はゆっくりと感じることが出来なかった炭酸の肌当たりも感じられる。

 

 朝風呂を終えると朝食になる。朝食会場は日帰り時には休憩室になっているスペース。朝食は若干貧弱な感じがあるが、それでも和食でまずまずである。

   

 さて今日の予定だが、まだまだ仕事がある(実は25日に札幌日帰り出張が控えている)ことを考えると後々に疲れが残るようには出来ない。早めに帰宅することにする。と言ってもこのまま自宅に直行ではあまりに芸がない。そこで一カ所だけ立ち寄ることにする。

 

 立ち寄ることにしたのは根来寺。言わずとしれた根来衆と縁のある寺院。寺院とは言うものの一種の要塞のような建築であると聞いている。鉄砲を使いこなして戦国時代には一勢力を築いた根来衆であるが、後に秀吉に攻められて根来寺も焼き討ちを食らっている。

 

 ホテルから根来寺まではそう遠くない。根来寺の駐車場に車を置くと、歩いて見学に行く。根来寺は川の向こうなのだが、その川が幅はそう広くない割には結構深い渓谷となっていて、まさに天然の外堀である。この構造を見ても確かにただの寺院でないことは感じられる。

左・中央 橋を渡るのだが、この川が結構深い  右 大塔など
 

 駐車場から橋を渡って入場したところが国宝の大塔などがあるところだが、先に光明殿の方に回ることにする。光明殿はいわゆる本堂というやつで、隣接している行者堂などが池の上にあって風景を成している。

左 光明殿  右 聖天堂と行者堂

 やや離れたところに大門があるので、散歩がてらにプラプラと出向く。光明殿から下りる脇も石垣なんかがあったりしてちょっとした城郭並。また大門までの間にいくつかの寺院があるが、これもいわば出城のようなもの。やはり普通の寺院ではない。

律乗院(左)と愛染院(中央)は出城のよう  右 大門が見えてきた
 

 大門は県指定重要文化財とのこと。どうやら江戸時代末に建造されたものらしい。堂々たる造りの門で、両脇にはお約束通り金剛力士像が立っている。

大門の両脇にはお約束の金剛力士像
 

 大門の見学を終えると再び戻ってきて大塔などの見学。この辺りは有料エリアになる。有料エリア内には大塔の他に重要文化財の大師堂(弘法大師を祀っている)に建指定文化財の大伝法堂がある。今は季節的に荒涼としているが、春になると桜が咲くらしい。

左 大師堂  中央 大塔  右 大伝法堂
 

 大塔エリアの入場券で光明殿裏の名勝庭園も見学出来るらしいので、再び光明殿に戻って見学。あまり大きな庭園でないのと、どうしても季節的に殺風景なので、庭園などに詳しくない私にはどういう辺りが凄い庭園なのかは今一つ理解出来ず。

 

 さらに奥の院などもあるようだが、疲れているので立ち寄らずである。一渡り見学した感想として言えば、やはりここはちょっとした要塞だなという印象。ここに鉄砲を装備した軍勢が立て籠もれば、一合戦出来たのは間違いないだろう。

 

 これで本遠征の予定はすべて終了。まだ時間は十二分にあるのだが、正直なところ連日の山道の運転で体力と集中力の方が尽きてしまった。まだまだ仕事は山積みだし、なにしろ明後日には札幌日帰り出張というイベントも控えている。ここで体力を使い果たすわけにもいかないので早めに帰宅することにしたのである。

 

 結局は紀伊半島の山道を疾走して温泉に入りまくりという遠征となったのである。しかし静養や湯治などとはほど遠く、相変わらずの体力をすり減らしながらの強行軍になってしまった。毎度のことながら全く進歩のないことである。

 

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