展覧会遠征 茨城・東京編
秋の行楽シーズン到来だが、9月は2回の三連休がある。これはやはり出かけないと嘘というものである。行楽シーズンには観光地に金をまいて内需の拡大を図るということも、愛国者である私にとっては重要な使命。行楽の秋は芸術の秋と言うことで東京方面の展覧会も目白押しである。そこで今回、東京方面に出かけることにした。
と言っても、三連休の間をずっと東京というのも芸がないし、そもそも私は東京自体はあまり好きではない。そこで追加プランを検討した結果、茨城方面の未訪問の城郭と重伝建地区の真壁を加えた遠征にするという案が固まった。
交通機関であるが、当初は新幹線を使用するつもりであった。しかし調べていると茨城空港が利用促進キャンペーンとしてレンタカー代の補助をしているという情報に行き着いたことから、神戸からスカイマークで茨城空港に飛ぶというプランを採用することと相成った。出発は金曜の昼。土曜日を一日フルに使用するため、金曜日の午後に半日休を取得して金曜のうちに茨城に飛ぶことにした。
金曜の昼までに仕事を終えるとその足で神戸空港まで移動する。荷物を預けてから空港で昼食を摂る。カツカレー。CPはともかく、味はまあまあ。
スカイマークの茨城便は出発予定時刻よりも10分遅れのスカイマーク定時に出発する。今日は天気は良いのだが、気流が乱れているのか時折フラフラと揺れるのが気持ち悪い。シートでボンヤリしているとそのうちにウトウトする。次に気がついた時には右手に富士山が見えていた。その内に着陸態勢に入る。
茨城空港はそもそも空自の百里基地を民間転用したものである。低コストの首都圏空港として売り込んだが、期待したほどには就航路線が増えず苦戦が伝えられている。その挙句に先の東日本震災でターミナルの天井が落ちて、その光景が何度も放映されたせいで「安作りだから・・・」と揶揄される始末。だからこその利用促進キャンペーンなんだろう。
茨城空港に到着
空港の回りというのは大抵何もないものだが、それにしても本当に何もないところである。確かにいくら「首都圏の空港」と売り込んでも、実質は田舎の空港である。乗降もブリッジではなくてタラップを使ったものである。また貨物扱いが慣れていないのか、荷物が出てくるまでやけに待たされてイライラすることになる。結局は何だかんだで本来の予定よりも30分ほど遅れてしまった。とりあえず急いで空港カウンターでヴィッツを借り出すと最初の目的地へと急ぐ。
予定ではホテルに入る前に小幡城に立ち寄るつもりだった。しかし当初予定よりも30分以上行動が遅れている上に、さらに計算違いは東国茨城は日没が早いこと。もう既に日がかなり西に傾いている。関西ではまだ7時前まで明るいのでその感覚でいたのだが、東国の日没の早さを計算に入れていなかった。
ちょっと城郭見学という雰囲気ではない・・・
小幡城の駐車場には30分ほどで到着するが、既に日はかなり西に傾き、辺りは暗くなりかけていた。しかも到着した小幡城はかなり深い堀切。おかげで中は真っ暗で写真もまともに撮れない状態。このままだと直に足元も見えなくなりそうである。とりあえず今日の見学は諦めてホテルに向かうことにする。
今日の宿泊予定だが大洗に宿を取っている。最初は水戸を考えたのだが、今までの経験から水戸にはあまり良い印象がない(飯がまずくて美人がいない)。またあまり魅力を感じるホテルもない。そういうわけで趣向を変えて大洗に宿泊してみることにした次第。宿泊するのは「割烹旅館肴屋本店」。名前からもいかにもうまいものが食えそうな気がしたことが選択の最大理由。
小幡城から宿までは高速を使って30分ちょっと。宿は昭和レトロ風情の漂う大洗の商店街の中にある。
なかなか渋い宿だが、車を停めて中に入るといきなりアニメのポップが立っているのにのけぞる。どうやらここ大洗の地はガールズ&パンツァー(ガルパン)なる美少女アニメの舞台になったらしく、この宿もいわゆる「聖地巡礼」の拠点の一つだとか(ヒロインたちの戦車がこの宿に突っ込むらしい)。そういえば確かにガルパンのポスターは茨城空港でも見たのだが、現地ではさらに盛り上がっているという次第。作品のプロデューサーがこの地に縁があったのがここが舞台に選ばれた理由とか。地元としては利用できるものは何でも利用して観光誘致というところらしい。なお宿の主人によると、ガルパンは美少女アニメといってもエロい話ではない(内容は昔懐かしいスポ根ものだと言っていた)ので、地元も盛り上がりやすいらしい(さすがにエロアニメだと抵抗があるだろう)。ところで、この手の作品には全く興味がないにもかかわらず、なぜかあちこちでこういった聖地に出くわしてしまうのも私の因果か。
ガルパン関連グッズの数々 チェックインするとまずは入浴。風呂はやや大きめの家庭風呂というレベルだが、入浴は快適。一汗流してサッパリする。
サッパリしたところで夕食。大洗は漁港だが、海産物を中心とした豪華メニュー。刺身がうまい。カツオの刺身などは少し鮮度が悪いと食えたものではないが、さすがに全く臭みを感じない。とろけるような牛肉やプリプリの貝。最後は釜飯で締め。大洗ならうまいものが食えるのではないかと考えてこの宿を選んだのだが正解だった。
夕食を終えるとしばしマッタリしてから買い物のために夜の町に出る。大洗の市街はどことなく昭和風情の漂う味のある町並み。昭和世代の私の琴線にまさに触れる風景である。なるほど、確かに私が作り手でもこのような町を作品の舞台に選ぶな・・・。
何やら心を掻き立てる大洗の町並み 買い込んできた夜食を頂きながらテレビを見ながらマッタリ。しかし10時を回った頃には眠気が来るので就寝する。
☆☆☆☆☆
翌朝は4時頃に中途覚醒。どうも最近は睡眠力が衰えているのか、夜中の中途覚醒が増えて睡眠の質が悪い。それとも鬱か? とりあえずこんな時間に起きてしまうとどうしようもないので、そのまま6時過ぎまで布団の中で寝ているような寝ていないような状態で過ごす。
6時半に起床すると、まずは朝風呂。朝食は7時半である。朝食はしっかりした和食だが、これがまたうまい。この宿は食べ物の点で実に正解だった。水戸で宿泊せずにわざわざ大洗まで来た価値はあったというものだ。
8時頃にチェックアウトすると、まずは先日見学し損ねた「小幡城」にとって返す。小幡城はその築城については室町時代に大掾詮幹の三男義幹が築いたという説と、鎌倉時代に小田知重の三男光重が築いたという二説があるらしい。戦国期は水戸の江戸氏の下で整備され、府中城の大掾氏攻めなどに使用されたが、後に秀吉の力を背景にした佐竹義宣によって落城、その後は佐竹氏の支配下となるが、佐竹氏の移封によって廃城になったとのこと。
30分ほどで昨日もやって来た駐車場に到着するのでそこに車を置く。日は高いのだが小幡城の堀底道はやはり薄暗い。圧迫感が半端ではなく、これだけでも攻城側を威圧するには十分である。
入口から堀底道を本丸方向に向かう(レンズが若干曇っています) 小幡城の構造は台地を深い堀切で分断して複数の郭で取り囲む構造。こういうと単純な構造に思えるが、実際には堀底道は迷路のような印象で、しかも四方八方から守備側の攻撃にさらされることになるから攻略は用意ではない。石垣などはないが、それでも壁は急なのでよじ登るのは無理だろう。ましてや足下は乾くとボロボロで濡れるとズルズルの関東ロームである。このようなタイプの城にどこかで出くわした経験があるなと思ったのだが、よく考えると島津の城郭に構造がそっくりである。鹿児島のシラス台地上に築かれた島津の城郭もこのように深い堀を複数の郭が取り囲む形態になっていた。やはり火山灰由来の台地ではこの形態の城郭が一番効果的なようである。
左 櫓跡上 右 振り返って 本丸はかなり奥にある。本丸自体の高さはそう高くないが、回りを取り囲む土塁がかなり高いので守備は鉄壁である。また本丸内の広さも結構ある。
左 途中にある土塁跡 中央・右 本丸に登る 左 本丸風景 中央 本丸井戸跡 右 本丸周囲は高い土塁で囲んである なかなかに見応えのある城郭であった。ただ現地に案内看板が少なかったのが少々残念。それとやたらに藪蚊にたかられたのには難儀し、虫除けスプレーを持参しなかったことを後悔した。何しろ叩いても叩いても次々と腕に蚊がとまる状況で、結局は数カ所を刺されてしまった。
帰りルートも終始この圧迫感 小幡城を見学した後は次の目的地へと向かうことにする。次の目的地は「笠間城」。江戸時代に笠間藩の藩城だった城である。笠間城は山城であるが中腹に駐車場が整備されており、そこから遊歩道がつながっている。なお車道もあるようだが、そこは許可車両しか入れないようだ。
駐車場の奥に登城路がある
本丸に向けて遊歩道を登っていく。残念ながら往時の遺構が車道によって破壊されているので城郭全体の構造がつかみにくいのだが、この遊歩道は概ね往時の登城路に沿っているのではないかと考えられる。
遊歩道を登っていくと 本丸らしき曲輪に出る
本丸奥の八幡台櫓跡 しばし登ると櫓台のある広い曲輪に出るが、どうやらこれが本丸らしい。本丸の奥に天守台があり、これがこの城郭の最大の見所・・・と聞いていたのだが、残念ながら手前で立ち入り禁止の標識がある。どうも先の地震で一部が崩落して危険な状態になっているらしい。自己責任で少し石段を登ってみたが、先を見ると天守台らしき石垣が一部崩れているらしき様子が目に入った。確かに立ち入りはやめるべきであろう。残念ながら引き返すことにする。それにしてもあの地震からもう既に結構経ったのだが、まだ修復がなされていないというのはどうしたのだろうか。利権がらみのオリンピックなんかよりも、こういう文化財の保存にこそ予算を回して欲しいところだ。
天守台は立ち入り禁止、少し進んでみた(自己責任)が、天守台が崩落しているので引き返す 笠間城の見学を終えると、ついでなのですぐ近くの日動美術館に立ち寄ることにする。
「海を渡った画家たち 藤島武二から鴨居玲まで」笠間日動美術館で10/6まで明治以降、多くの画家にとって渡欧は夢の一つでもあったのだが、そのように渡欧した画家達の作品を展示。
笑えるのはやはり渡欧によって露骨にその当時のヨーロッパの潮流の影響を受け、作風が一変する画家が多いこと。大抵は印象派の影響によって色彩が明るく激変するというのがパターン。時代が下ってくると今度はセザンヌの影響なんかも出てきたりする。
また佐伯祐三のようにヨーロッパの影響に取り込まれ、結局はその中にしか安住の場所を得られなかった画家や、藤田嗣治のように向こうに定着して帰化してしまった画家。芸術家のもろもろのあり方が伺えて興味深い。
美術館の見学を終えると長駆移動である。次の目的地は重伝建地区である真壁。真壁は江戸時代に陣屋が置かれていた地で、ここを中心とした古い町並みが残っているという。
一般道を走行すること1時間弱、ようやく真壁の市街に到着する。真壁伝承館で町並みの概略を調査してから街路を一回りしてみる。確かに随所に往時を思わせる建物が残ってはいる。しかしながら領域が広いせいもあり町全体としては昭和期の建物が多く、正直なところ往時の町並みがそのまま残っているというイメージとは少し違う。重伝建と言われると「なるほどね」と感じるが、何も知らなければただの普通の少し古い住宅地である。もっともおかげで化石化した町並みでなく、現在も生きている町ではあるが。
結構普通の町の印象がある真壁 真壁市街を見学した後は、市街のはずれにある「真壁城」を見学に向かう。
真壁城は戦国時代にこの地を治めた真壁氏の城である。後に佐竹氏の家臣となった真壁氏が佐竹氏の移封に伴って角館に移住、空城となった真壁城には浅野氏が入ったものの、浅野長重が加増によって笠間城に移動して廃城となったとのこと。
国の史跡に指定されているが、本丸には体育館が建設されており、その際の残土が二の丸に盛られるなど中心部分の状態が良くない。ただそれを取り巻く広大な縄張りについては、田んぼであることが幸いして比較的良好な状態で残っている。また国の史跡指定に伴っての整備も行われているようである。
左 真壁城本丸 中央 本丸周囲の堀跡 右 二の丸から本丸方向を望む 本丸から眺めると高低差のない平城であるが、その城域は結構広大であり何重かの堀や土塁で守られていたことが分かる。周辺が現在は田んぼであることから推測すると、低湿地の立地であることから城の周辺は泥沼などもあったのではないかと考えられることから、それなりの防御力を有した城郭であったことは想像出来る。
真壁城二の丸から周囲を展望する 正直なところ真壁の市街は今一つ見るべきところがない印象だったのだが、全くに近いほど期待していなかった真壁城の方が意外に見所があった。やはり世の中よく分からないものである。
真壁を後にすると牛久を目指すことにする。レンタカーの返却先は牛久になっており、牛久城が最後の目的地の予定。ただまだ牛久城に直行するには若干時間の余裕があることから少し寄り道をすることにする。
寄り道先は牛久大仏。全高120メートルの巨大像で世界最大のブロンズ像と言われている。別に信仰的興味などは全くないが、単なる冷やかしとして見に行ってやろうという考え。
筑波山の見える田舎の中をしばし車で走行することになる。日本の南方海上には台風が接近していると言うが、今日はそんなことは微塵も感じさせないぐらい天気も良いし暑い。
前方に大仏の頭が見えてくる かなり大仏に近づいたはずなのだが全く何も見えないなと思っていたら、唐突に前方に巨大な頭部が現れる。確かにでかい。ただでかすぎて巨像と言うよりも建造物という印象が強い。謂わば「仏像型ビル」という趣。何しろ奈良の大仏が手のひらに乗り、自由の女神の3倍の高さがあるという代物である。いささか現実味を感じない。
とにかく現実離れした馬鹿馬鹿しい程の大きさなんだが、写真では表現出来ない 近くに行くと霊園なども完備した施設なのであるが、巨大な駐車場完備の上に参道(?)には土産物屋も完備というあからさまな商業施設。私が信仰心皆無と言うことを割り引いて考えたとしてもありがたみの欠片もない。入場料を払うと大仏内部に入れるようであるが、別に仏像型ビルを見学したい気持ちもないので駐車場から引き返してくる。
牛久大仏を冷やかしたところで茨城最後の目的地である「牛久城」を目指すことにする。牛久城は戦国期に北条氏と佐竹氏の領域の境目に在地領主の岡見氏によって建てられた城で、北条流の築城術が取り入れられているという。しかし秀吉の東国攻めで落城、由良国繁が城主となったものの関ヶ原後に廃城となったという。
大体の場所の目安をつけて進んだものの、いざ現地に着くとどこが城跡なのかさっぱり分からない。また路地が入り組んでいる場所なので車で動きが制約される。とりあえず観光用の駐車場を見つけたのでそこに車を置いて適当に目星を付けて歩いてみたがハズレ。現地の人がいたので城の場所を聞いたところ、どうやら私が目を付けた尾根筋の隣の尾根が城だったようだ。そこでとりあえず現地まで一端徒歩で向かって位置を確認してから車を移動する。住宅地を進んだ奥に、ようやく案内看板を発見、周囲には車を停められるスペースもある。牛久城は沼に突き出した尾根上にあり、主郭を奥に手前には外郭があったようだが、現在は外郭部分は宅地開発で失われている。
駐車場となっている二の丸跡 現在駐車スペースとなっている部分が二の丸の跡で、その奥に深い堀を隔てて本丸跡が残っている。本丸はかなり広大なスペースであり、この地域の拠点たるにふさわしい規模を誇る城郭である。
左 本丸と二の丸の間の堀 中央 本丸虎口 右 本丸虎口の土橋 本丸内部 たどり着くまでに散々苦労したが、苦労の甲斐があっただけの立派な城郭であった。これで茨城県内における予定は終了、車をトヨタレンタ牛久店に返却すると常磐線で南千住に移動、以前にも立ち寄ったことのある「三好弥」で「上とんかつ定食(1200円)」を夕食に摂ってからホテルにチェックインする。宿泊ホテルは今更言うまでもなく、私の東京での定宿「ホテルNEO東京」である。
夕食と入浴を済ませてすることがなくなると疲労が一気に襲ってくる。台風が接近してきているらしいことが気になっていたが、とにかく今日はそんなことは微塵も感じさせないぐらいのカンカン照りであった。しかし明日はそういくまい。とりあえず早めに就寝することにする。
☆☆☆☆☆
翌朝は豪雨だった。こんな日は外には出ずに家でじっとしているというのが通常時では賢明な選択だが、現在のような遠征中だとそういうわけにもいかない。それならせめて東京近辺の屋内中心で回るというのが次善の策だが、よりによって今日は秩父鉄道のSLに乗車するつもりで事前予約を入れている。
台風での豪雨ということで運行中止もあるのではないかと秩父鉄道のHPをのぞくが、HPは至って通常営業である。こうなると熊谷まで行って確認するしかない。そこで8時頃に意を決すると豪雨の中を出かけることにする。
熊谷まではアーバンで移動。しかし雨はだんだんと強くなるし、あちこちで列車の遅れや運休の情報が入ってくる。しかも列車が北上すると共に雨は強くなり辺りは薄暗くなってくる。「本当にSLが走るんだろうか?」という疑問が頭をよぎるが、もうこうなったら出るとこ勝負である。
1時間以上を要して豪雨の熊谷に到着する。秩父鉄道の改札に行って運行状況を確認すると、秩父鉄道は今日も元気に通常運行中。SLも予定通りに運行するという。そこで一日フリー乗車券とSL自由席券を購入する。
ホームにはSL待ちの乗客が結構いる。秩父鉄道も鉄オタも台風に負けずに元気なようだ。やがてSLが5番線に入線すると一斉に撮影タイム。
撮影タイムが終了するとSLは重々しく出発する。しかしこうなってしまうとSLはただののろい列車である。たまに聞こえる汽笛が涙を誘う程度で、後はいかにも「牽かれている」という感じのガタンガタンとした揺れはむしろ乗っていて不快。それならなぜ乗るんだというツッコミが聞こえてくるが、とりあえずそういう野暮なことは抜き。イベントは参加することに意義があるのである。
最初は新幹線と平行して走行
ただ確かにいかにもとろい。汽車ポッポの歌が作曲された頃は「スピード、スピード、窓の外」だったんだが、今では「のろいぞ、のろいぞ、窓の外」というのが実態。
昼食のSL弁当 21世紀版汽車ポッポ
汽車 汽車 ポッポ ポッポ シュッポ シュッポ シュッポッポ
鉄オタ乗せて シュッポ シュッポ シュッポッポ
のろいぞ のろいぞ 窓の外 ジジイの軽トラ先に行く
走れ 走れ 走れ トンネルだ 窓閉めろ! そこのガキ!
寄居では大量の乗車があって車内は一気に満員に。やたらにテンションの高いガキや老人が多い。寄居を抜けると沿線は一気に山間めいてくる。
寄居から先の光景
長瀞で乗客の大半が降車する。ここは山間の観光の拠点で、清流下りなどもあるようである。台風が来ているのに舟が出せるのかと疑問を感じたのだが、この頃ぐらいから雨はほとんどやんでくる。
長瀞駅で再び撮影タイム 長瀞は川下りのメッカ ここからさらに田舎を疾走すると秩父。秩父は今までの沿線の中では一番の都市。ここで残りの乗客の半分以上が降車する。次の御花畑までは秩父の市街地の中を走る。御花畑は西武との乗り換え拠点で、しばしレッドライナーと併走することになる。
御花畑でレッドライナーと別れる ここから先は完全に山間鉄道。沿線は見たことのないような光景になってくる。その中を汽車はエッチラオッチラといかにも重そうに走る。そしてようやく終点の三峰口である。
SLは展開作業のために先に行く
御花畑から先はかなりすごい風景 ようやく三峰口に到着 これで秩父鉄道の視察は終了である。ほとんどの乗客はここでSLの転回などの作業を見学するようだが、私はそれには興味ないので、向かいのホームに停車している普通列車で直ちに折り返す。普通列車はロングシートに扇風機というレトロな車両だが、先ほどまでのSLと比較すると驚くような高速(笑)。2時間以上をSLで揺られる内にスピード感覚が狂ってしまったようだ。
扇風機装備のレトロカー
普通列車で折り返すと浦山口で下車する。ここで下車したのはこの近くに橋立洞という鍾乳洞があると聞いたことから。久しぶりに鍾乳洞見学と洒落込もうという考え。
浦山口駅
橋立洞のある場所までgoogle先生の見立てだと所要時間は20分。しかし駅前の案内標識によると10分。何にせよ私の予定では1時間弱でやってくる次の列車の到着までに帰ってこないといけないので急ぐことにする。
山道を急ぐ 橋立洞までの道のりは山間の狭い路地である。やや登りだがそうキツイわけではない。橋立洞のある場所は石龍山橋立堂という秩父三十四箇所28番目の札所だという。なお秩父と言えばセメントが有名だが、この辺りの山は石灰岩で出来ているらしく、鍾乳洞も多々あるらしい。しかし観光用に公開されているのはこの橋立洞だけとか。
橋立洞には10分強で到着した。入洞券を購入するとアドバイスに従ってリュックは置いて鍾乳洞に潜ることにする。
鍾乳洞入口へはかなり降りる 洞内は撮影禁止ということで写真はないが、とにかくこの鍾乳洞は下から上へと延々と登っていく竪穴式の鍾乳洞である。またところどころ非常に狭いところを潜る必要があり、リュックを置いてきたのは確かに正解であると感じた。なお内部は比較的地味であり、どちらかと言えば「体力勝負系」の洞窟であった。おかげで洞窟内は比較的涼しいにもかかわらず、洞窟から出てくると汗びっしょりであった。
出口からは逆にかなり降りることに
洞窟の見学を済ませると駅までとんぼ返り。結局は予定の列車の到着よりも10分以上早く駅まで戻ってきた。しばし待った後に到着した普通列車に乗り込むと御花畑駅で降車、ここから西武秩父まで歩く。
西武秩父前には駅前商店街があるのだが、アニメのポスターなどなんとなく雰囲気がおかしい。どうも詳細は不明なのだが、どうやらここも「聖地」らしい。私の遠征は聖地行脚ではないのだが、なぜこうも聖地と縁があるのか?
西武秩父駅前は何やら「聖地」の雰囲気 西武秩父駅で池袋までの乗車券と特急券を購入すると、池袋行きの特急秩父に乗り込む。特急秩父はクロスシートのなかなかに快適な車両である。
西武秩父駅と特急秩父 なお西武秩父線は収益性が悪いとのことで、西武に目を付けた守銭奴ファンドが秩父線廃止を言い出して騒動になっているとか。確かにこの路線が廃止されたら秩父にとっては死活問題である。そもそも奴らファンドの手口はいつも同じ。企業価値の向上などと称して優良資産を切り売りして現金化すると、株主配当と称してそれをゴッソリと持ち逃げするというパターンである。そして後にはどうしようもなくなった会社や従業員、地元などが残されるという結果になる。あの手のファンドは資本主義の寄生虫のようなもので、その存在に百害あって一理ない。そもそも真面目に起業するよりも、そうして起業されたビジネスを片っ端から食いつぶす側の方が儲かるというシステムはどう考えてもおかしく、明らかに社会を腐らせる元凶となる。あの手のファンドを本格的に規制しないと資本主義どころか世界経済の破綻は遠くない。ファンドが存続を図るなら、新規事業の支援というファンド本来の職務に立ち返るべきである。額に汗して働く者が報われる社会というのも、私の日本再生計画の基本である。
なおファンドを規制するのは資本主義の原則に反するとの意見もあるが、例えば市場の独占などは健全なる資本主義の発展を阻害するとの理由であのアメリカでさえ独占禁止法が存在する。それを考えるとハゲタカ禁止法も決して非合理ではない。ただ資本主義の今後の課題として、単に金儲けを推奨するのではなく、いかに公益性の概念を取り入れるかが重要である。「金儲けが悪いのですか」と言った某ファンドの親玉がいたが、金儲けが悪いのではなく、人に迷惑をかけて金儲けをするのは許されないというシステムを確立する必要があるのである。資本主義の本来の哲学は、個人の金儲けのための行動が社会全体に利益を与えるというものである。社会に害を為す金儲けを認めているわけでは決してない。
特急秩父の車内はその収益の悪さとは裏腹に結構混雑している。ただ沿線はトンネルも多いあからさまな山間地なので、そういう意味では沿線人口は極めて少ない(秩父鉄道沿線以下)。やはりこの路線は秩父から東京中心への最短ルートというのが一番の存在意義だろう。
秩父線沿線はすごい山の中
山間を抜けてようやく住宅地っぽくなり始めるのは高麗以降。飯能まで来ると都会のイメージである。この飯能で列車はスイッチバックする。後は沿線は郊外の住宅地なのだが、秩父の山中を見過ぎたせいかやけに大都会に見える。
ここからは沿線風景は全く面白くなくなる。列車は乗り換え拠点の所沢で停車すると後は終点池袋まで直行である。途中から高架になるのだが、練馬を過ぎたところで再び地上に降り、池袋近辺までは地上を走ることになる。
池袋に到着
終点池袋駅に降り立つと、ここから埼京線で新宿に移動する。目的地は損保ジャパン東郷青児美術館。しかし新宿駅西口で出るべきところを南口に出てしまったせいで方向を見失い、散々迷って時間をロスる羽目に。つくづく東京とは余所者に優しくない町である。
「トスカーナと近代絵画 もうひとつのルネサンス」損保ジャパン東郷青児美術館で11/10まで
トスカーナ地方と言えば有名なフィレンツェを含む地域であり、ルネサンスの発祥地として知られている。しかしこの地は19〜20世紀における激動のイタリアの中でも芸術活動の拠点として大きな役割を果たしている。そのトスカーナを中心に見たイタリア近代絵画について紹介する展覧会。
トスカーナ芸術の特徴としては、フランスなどで発祥した新しい芸術の潮流の影響を受けつつも、フランスほど先鋭化せず、やや保守的な要素も残しつつ推移していることである。そういう点では明らかにヨーロッパ周辺部の芸術的動向のパターンであり、皮肉にもそのことが既にこの時代におけるトスカーナはヨーロッパ芸術の中心ではなかったことを物語っている。
最初はバルビゾン派の影響による屋外写生の開始当たりから始まるが、フランスではここから印象派が隆盛していくのに対し、トスカーナでは印象派の影響は受けつつも、未だにアカデミズム絵画の影響が濃厚に残った作品が多数あり、印象派よりはむしろラファエロ前派の影響の方が濃厚なようである。この辺りにはルネサンス発祥の地ということが大きく影響しているだろう。その後、フランスを中心とする絵画は後期印象派へと流れ、さらに先鋭化して抽象絵画へと展開していくのだが、トスカーナではそこまでは先鋭化せずに具象の領域にとどまっている作品が多い。
20世紀になるとファシズムの影響が芸術にも現れるのだが、興味深かったのは、ナチスが現代芸術を退廃芸術として攻撃したのに対し、イタリアのムッソリーニは特に芸術には介入していなかったのか、トスカーナでは民族色はやや強まったものの意外と自由な芸術展開が行われていたことである。これはイタリアとドイツの芸術に関する歴史の深さの違いが現れているように思われるが、画家崩れのヒトラーと違い、ムッソリーニは芸術にそう感心がなかったことも示しているようでもある。
美術館の見学を終えるともう夕方。後は夕食を摂ってホテルに帰るだけ。移動だが都庁前駅から東京メトロ大江戸線で飯田橋まで移動することにする。しかしこの地下鉄の駅がどこなのかが分かりにくい。地下鉄を示す標柱が立っていてもなぜか地下に潜る階段がない。つくづく東京は余所者に優しくない街である。
メトロ大江戸線で飯田橋へ ようやく飯田橋に到着。これで東京メトロ大江戸線は前線視察完了ということになる。なお飯田橋で途中下車したのは、ここでおやつと夕食を調達したいと考えた次第。おやつは言うまでもなく紀の膳の抹茶ババロア。夕食は気分としてはカツ丼が食べたいので紀の膳の向かいの蕎麦屋に行こうと考えた次第。
紀の膳は17時にオーダーストップになっていたが、抹茶ババロアのお持ち帰りは可能だったので購入。しかし夕食を摂ろうと向かいの通りをのぞいたところ、例の蕎麦屋がない。まさかつぶれた? それとも日曜は休みなんだろうか。それなら良いが・・・。東京の飲食店とんでもないところは、まず平均レベルの異様な低さというものがあるが、それよりも恐ろしいのは「まともな淘汰が働かない」ということにある。食材に金をかけずに宣伝にばかり金をかけているような店が残ってしまうのに、CPの良い店が東京の経費の高さで持ちこたえられなくなったりしてしまうのである。これも東京の異常さの一つである。
紀の膳の抹茶ババロア
とりあえず神楽坂にあてがないので移動しながら考えることにする。飯田橋からJRで帰っても良いが、どうせだから地下鉄有楽町線で有楽町まで移動することにする。有楽町駅からはJRに乗り換えだが、向かいの交通会館の地下に飲食店があるようなのでそこで夕食の店を探すことにする。頭の中にはまだカツ丼があるということで蕎麦屋に向かうが、残念ながら本日休業。そこでとんかつの「あけぼの」を覗くと、目論見どおりにカツ丼がメニューにあるのでそれを頼む。
地下鉄で有楽町まで移動して店を探す イメージ通りのオーソドックスなカツ丼。こういうのを食べたかったというところ。950円という価格は私の感覚からはわずかに高めのように感じるが、東京という異常な場所の相場を考えるとCPは悪くないことになるのだろう。
オーソドックスなカツ丼
有楽町からJRでホテルに帰ると、この日は紀の膳の抹茶ババロアを夜のお供に楽しみながらマッタリと過ごしたのである。
☆☆☆☆☆
翌朝は6時頃に目が覚めた。当初予定では今日は東京の私鉄を見学しつつ美術館巡りの予定だったが、天候を考えるとフラフラと列車に乗っている事態ではないのは明らかである。天気予報によると台風が首都圏近郊を抜けるのは昼頃の予定。とりあえず今日の行動としては訪問先を主目的であるいくつかの美術館に絞り、最悪の場合は台風は美術館内でやり過ごそうという考え。心配なのは帰りのことだが、夕方までには台風が通過して新幹線が動いていることを期待しよう。もし夜になって新幹線がダメならその時はその時で考えるしかない。最悪は後一日休んでも、特に仕事には大きな支障はないはずである。
朝の段階ではまだ南千住周辺は風も強くはないし雨も降っていない。とりあえず台風が本格化する前に動いた方が賢明なようである。7時前にチェックアウトするとまずは東京駅を目指すことにする。予定ではJRで東京駅に向かうつもりだったが、ちょうど東京駅八重洲口行きのバスが目の前に到着したのでこれで移動する。どうせ急いではいないし、バスで東京見学とでも洒落込むつもりである。
バスは浅草経由で東京駅を目指す。考えてみると東京での移動は地下鉄などが中心で地上を移動したことがほとんどない。バスは東武の駅や地下鉄の駅などを結びながら東京駅に向かい、その間も乗客の乗り降りは激しい。東京駅までは30分程度で到着する。
東京駅に到着すると、大きなトランクは八重洲口のロッカーに放り込んで身軽になってからJRで上野に移動する。まずは上野の科学博物館で開催されている「深海展」を見学しようと言う考え。NHKで放送されたダイオウイカのインパクトのせいか、非常に好評で連日行列ができているという話である。実際、私も前回の東京訪問時に立ち寄ろうと考えたのだが、1時間待ちの行列を見て諦めたことがある。
上野に到着したのは8時前。国立科学博物館が開館するのは9時なのでまだ1時間ある。さすがに台風の雨の中を1時間も前で待つ気はしないので駅ナカのパン屋で朝食を摂りながら30分程度時間をつぶす。
上野駅を出たのは8時半過ぎ。早くも台風の影響が現れて、雨が激しくなり風も強くなってきている。さすがにこの天候だとわざわざ出かけてくる者もそう多くはなかろうと考えながら科学博物館に向かうが、博物館前には既に30人程度の行列が出来ている。ダイオウイカ恐るべし。
雨の中で行列
雨の中でしばし開館待ちをすることになるが、その間にも雨風が段々と激しくなりだしたのと、入館の客が増えて来始めたことなどから、10分弱程度開館が早まることになる(適切な良い判断である)。
雨は激しさを増す
「深海−挑戦の歩みと驚異の生きものたち−」国立科学博物館で10/6まで
未知のフロンティアである深海について、深海探査船や深海生物の標本などを展示。
第一部の展示がしんかい6500の実物大模型を中心とした深海への挑戦への歴史。話には聞いていたが、想像以上の内部の狭さには深海探査の大変さが思いやられる。
第二部以降は深海生物の標本など。異形の生き物たちが興味をそそるが、基本的にはかなりマニアックな展示。ここでの目玉はダイオウイカ。全長5メートルのダイオウイカの標本の回りには記念撮影の人々が集まり、「スルメにしたら何人分、にぎり寿司だと何人前」とかの会話が飛び交う(実際にはダイオウイカは食えたものではないらしいが)。
最終部のシアターでは初めて撮影に成功したというダイオウイカの動画が公開されている。その迫力には圧倒されること確実。
なかなか興味深い展示ではあったのだが、実のところ内容的にはかなりマニアック。正直なところ、連日行列が出来るほど一般人に受ける内容とも思えないのだが・・・。
台風にも関わらず大盛況であったが、これでも通常に比べるとかなり観客は少ないのだろう。おかげでじっくりと堪能することが出来、こういうイベントの見学としては好コンディションであった。
特別展を見学した後は常設展の方も回る。外の状況を見たところいよいよ風雨は本格的になってきたようである。次は上野の東京都美術館に向かいたいところだが、この中を出て行くのもあまりである。どうせ今日は最低で押さえるべき目的地は後2ヶ所で、それ以外は天候次第と腹をくくっている。とりあえずミュージアムレストランで時間をつぶすことにする。ついでに昼食も摂るかと考えたが、食事メニューは11時からとのことなので、それまでは喫茶メニューで時間をつぶしつつ、この原稿を入力することに。
その内に11時になったので昼食を注文することにする。注文したのはビーフシチュー(1600円)。CPがあまり良くないが、博物館内のレストランと言うことを考えるとこんなものだろう。
昼食を終えると博物館の本館内をブラブラと一渡り見学。そう言えばここは何回か来ているが、いつも特別展ばかりで常設展示をじっくり見たことがなかった気がする。理系に進んだ私としては今更に改めて知るような情報は特にないが、それでも展示物を眺めていると理系の本能がワクワクするのを感じる。こういう展示を子供達に見せていけば、理系の志願者も増えるような気がするのだが。今の日本は拝金主義が強すぎて、安直な金儲けを目指す若者が増えてコツコツと理系で研究しようという者が減ってきているのが心配である。甚だしくは働かずして金を儲けられないかと考えたり、挙げ句は働かずに親に寄生し続ける輩まで出る始末。これでは国がおかしくなる。
左 零戦 中央 最初の真空管式コンピュータ 右 地球上の哺乳類たち 展示を一回りして表に出た時にはもう昼前。そして外は若干の風はあるものの雨は完全に止んでいた。気象庁のサイトにアクセスすると、どうやら台風は北方に抜けた模様である。とりあえず次の目的地へと向かうことにする。
「ルーヴル美術館展−地中海 四千年のものがたり−」東京都美術館で9/23まで
地中海という場所をキーワードに、この地域における諸文化の栄枯盛衰を物語る事物を展示していく。キーワードが地中海なので、ギリシア・ローマ文化からオリエント文化、さらには近代ヨーロッパ文化を象徴する美術品・工芸品など内容は多彩。
ただ内容が多彩と言うことは、逆に一貫したテーマが曖昧といったことにもなりがち。特に西洋文化史には極めて疎い私にはまとまった印象がつかめない。とりあえずやはりギリシア・ローマ時代の工芸品などにはなかなかに目を惹かれるが、残念ながらヨーロッパにおいてはキリスト教の浸透と共に文化的には不毛化していくのは否定出来ず、むしろオリエントに近いところの方が文化的な面白さを感じさせる。
所々で目を惹く優品は多々あったのだが、展覧会全体としての印象はというと極めて希薄になってしまったのは事実である。やはりこの手のテーマの展覧会は難しい。
隣の会場でも展覧会を開催中だったのでついでに覗く。
「福田美蘭展」東京都美術館で9/29まで
現代アートは遊園地のアトラクションというのが私の自説だが、さらにそれにコンパの宴会芸から芸人の一発芸レベルのものまで含めて、ある意味でこれが現代アートだなと妙な納得力のあった展覧会。
ただ彼女の場合はネタの引き出しが結構多いようで、同じネタの使い回しばかりの芸人が多い中では異才を放っている。そういう意味で結構楽しめた展覧会である。
東京都美術館の見学を終えた時にはまだ2時過ぎ。もう天候もほぼ回復したし、まだまだいくらでも回れる・・・と言いたいところなのだが、実を言うと体力の方がもう既に限界。今は美術館を回るよりもどこかで横になりたいと身体が言っている。とりあえず今後の作戦を練るために「ぶんか亭」に入店する。
そばやデザートを食べながら作戦タイム。結局はこの状況だと美術館を回ったところで鑑賞に身が入ろうはずもないことから、当初の予定に入っていた東京ステーションギャラリーをこの後見学して、その後はお茶の水のスーパー銭湯で夕方の新幹線の時間まで休憩をとることに決める。もう昔と違って身体に無理が効かなくなってきているのを痛感する。
東京ステーションギャラリーは東京駅内部にある美術館。往時のレンガ造り部分などもそのまま残っており、それ自体が一つの建物標本で芸術品でもある。
「大野麥風展」東京ステーションギャラリーで9/23まで
洋画から日本画に転向し、大日本魚類画集で原画を担当、優れた木版画集を生み出した大野麥風。彼の魚類木版画作品を展示。
実に精密かつリアルに描かれている魚類の姿がいかにも博物標本的。しかしそれでいて画家の本能というか芸術性も感じさせるのが彼の作品の特徴。ただの博物図絵を越えた面白さがある。果たして現在の自称「画家」の中でこれだけの作品を描ける者が何人いることやら。
これで本遠征の美術館予定は終了とする。お茶の水まで移動すると、ネットで調べた「神田アクアハウス江戸遊」に向かう。江戸遊はビルの1〜3階に入居しているスーパー銭湯。浴場は3階でいくつかの内湯と有料サウナが装備。浴槽の一つでは変わり湯として甘草湯なんかをしていたのでそこで疲れを抜くと、2階の休憩室で畳の上に横になってしばし仮眠を取る。
2時間ほど休息をとると東京駅に戻る。新幹線は15時から運行再開しているとのことなのだが、ダイヤが大混乱している模様で改札に大勢の乗客が殺到してちょっとした騒ぎになっている。この時点で今日は予定通りに帰宅することは不可能であることを悟る。とりあえず覚悟を決めてから夕食を摂っておくことにする。立ち寄ったのは大丸内の「つばめグリル」。注文したのはタンシチューとライス(1710円)。
上から東京駅を見ていると、ホームに新幹線が入っていない。やはり運行再開したと言っても肝心の車両が東京駅に戻ってきていないようだ。これだと今日中のダイヤの回復は不可能だろう。問題は何時間遅れるかである。
夕食を済ませて東京駅に戻ると、大混乱はまだ続いていた。ダイヤは完全崩壊しており、とりあえず戻ってきた車両を随時折り返しで送り出している状態。だから列車が完全に順不同になっていて、18時台の列車が出たかと思うと次に17時台の列車が出たりするという状態。しかもどの列車が戻ってくるかは駅員さえも把握できておらず、結局は自分の乗る予定の列車の案内が出るまで駅で待っているしか仕方ない状態。せめて一律○○分遅れとかだとどこかで時間をつぶせるのだが・・・。
東京駅は大混乱の最中であった・・・ 結局は私の列車が出るまでには1時間半以上待たされた。通常は戻ってきた列車を清掃して発車させるのには30分くらいかけるが、それを10分で済ませる短縮モードである(だからシートカバーを交換していなかった)。さらに各列車の間隔もかなり詰めている。おかげで発車してからも信号待ちや速度を落としたりが多く、最終的にはこの遅れが2時間近くまで拡大するのであった。正直なところ「特急料金返せ!」と言いたいところ。しかも新幹線を降りても今度は在来線が滅茶苦茶。結果として私が自宅に帰り着いたのは夜中の1時半。翌日の仕事は意識喪失寸前の状態でする羽目に・・・。
台風が心配されたが、結果としては予定の遂行にはあまり影響はせず、当初の予定をほぼ実行出来たのは幸いであった。ただやはり体力的な衰えは否定出来ず、最終日は明らかに行動力が大幅低下してしまった。山城回りとSLで揺られ続けたのがボディーブローのように体力を奪ったのか。しかも最後の最後で台風の影響がもろにかぶってきて、クタクタになる羽目になってしまった。正直なところ、終わってみると結構キツイ遠征であった。ただしおかげで茨城方面での宿題はほぼ解決したし、首都圏でのやるべきこともかなりこなすことが出来た中身の濃いものであった。しかし遠征の中身の濃さが体力の消耗度と比例するのも相変わらずである・・・。
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