展覧会遠征 津山編

 

 まだまだ夏の厳しさが続き、体調的には厳しい季節である。この週末も土曜日は豪雨だったことと仕事の疲れで一日ほとんど寝通しだった。しかしそうなると日曜になったらどこかに出かけたくなるもの。ちょうど午前中の豪雨も一段落付き、午後からは晴天に向かう模様であることを確認したところで、外出することにする。

 

 ただ出かけると行っても方向は限られる。現在晴れているのは北西方向。となると必然的に出かける先は兵庫か岡山の山中。となったところで頭に浮かんだプランは津山。ちょうど津山の城東地区がこの度重伝建に指定されたという。実は以前に中国勝山を訪れた時に立ち寄る予定だったのだが、その時には中国勝山で思いの外時間を取ったことで津山に寄らずに帰ってきてしまった。そこで改めて津山を訪問しようと考えた次第。しかし津山によるだけでも芸がない。と言うわけでこの近くでチェックしていた岩屋城も合わせて訪問することにする。

 

 自宅を出たのは午前中。中国自動車道を突っ走って院庄ICから国道181号を西進する。しばらく走ったところで道の駅久米の里があったので昼食と茶の仕入れのために立ち寄る。

 久米の里の久米仙人と言えば、女の太股に見とれて空から墜落したエロ仙人(ドラゴンボールの亀仙人のモデルと思われる)であるが、彼とこの地にどういうゆかりがあるのかは定かではない。ただこの道の駅にはなぜか巨大なZガンダムが立っている。これは地元の中元正一氏によって7年がかりで製作された作品で、油圧シリンダーで脚部が動かせるようになっているとか。そのせいか、若干下半身がごつい。ちなみにこのガンダムはその活躍(地球防衛及び地域活性化)に対して町長から感謝状まで貰っているという大物である。

    

地球と地域を守るZガンダム

 ここの飲食コーナーは地産地消の緑提灯を掲げている。私が食べた仙人そばはカボチャとピーマンが入ったやや異色のそばだが、このピーマンは地元ブランドのジャンピーだそうな。多分カボチャも地元産だろう。カボチャは甘味があり、ピーマンも苦みがなくてなかなか。

 道の駅を出てさらに西進すると、沿道に「岩屋城」を示す看板が出ているのでそこで曲がる。ただこの道が住宅の間の路地のような道で「本当にここ?」と疑問を感じるような道。立派な看板とのギャップが激しい。もっとも腹を括って進めば、山城慣れしている身には対向車さえ来なければ特に不安を感じるほどの隘路でもない。また住宅の間を抜けて山が近づくと道幅は若干広くなる。そこをしばし北上すると案内看板と駐車スペースがある。ここが大手道。看板の注意書きによると、大手道は手を加えてないので、足下が不安な人は300メートル先に車を停めて管理用の舗装道路を登れとのこと。なお管理用の舗装道路は道路としての安全確保が出来ないから車両の通行は禁止とのことである。私は迷わず大手道を登ることにする。

狭い道を抜けて進んでいくと駐車場の脇に登城路がある

 岩屋城は1441年に山名教清がこの地の守護に任ぜられた時に築城したとのこと。応仁の乱後には諸勢力の争奪の地となり、赤松氏、浦上氏、尼子氏、宇喜多氏、さらには毛利氏と持ち主は転々としたが、最後に宇喜多氏の所有となった後に火災によって焼失したことから廃城となったとのことである。

 岩屋城縄張り図

 大手道はいきなりかなりの段数の階段を登る羽目になる。しかも最近この辺りは何度も激しい夕立にあっているせいか、足下がかなり水が湧いていて通路が川状態。気を付けて進まないと足下が滑る。さらに参ったのがクモの巣の多さ。雨が止んで一斉に巣を張ったのか、進むたびにクモの巣が顔にかかるので、登山杖を杖として使うよりもクモの巣除けに振り回し続けている状態。これでは疲れるので、通路に落ちていた木の枝を拾ってクモの巣除けにする。

左 登城路はほぼ川になっている  中央 滑りやすい階段を登る  右 数えている余裕なんてありません

 この石段を登り切って少し進んだところが慈悲門寺跡。城域の一番下の出丸的な場所になる。二段ほどの曲輪になっている。ここで若干の休憩。

  

慈門寺跡

 本丸に行くにはここからさらに登るが、これがいよいよ本格的な山道。足下は怪しいところもあるし、茂みが深いのでいよいよクモの巣が多く、1メートル歩くごとにクモの巣に出くわす印象。先ほど拾った枝が大活躍である。

いよいよ鬱蒼としていく中を枝でクモの巣を払いながら進む

 それにしてもキツイ。夏バテでしばしトレーニングを怠っていたせいか、すぐに息は上がるし鼓動は早鐘のようを通り越して突然に止まらないかと心配になるレベル。実際、胸は苦しいし吐きそう・・・。かなりへばった頃に山王宮拝殿跡に到着。遠くに見える祠が山王宮のようだが、私は参拝に来たのではないし、道は険しそうだし通過することにする。

左 山王宮拝殿跡  中央・右 鬱蒼とした向こうに見えるのが山王宮の祠

 ここからさらに険しい山道を登ることになる。ほとんど半死状態になった時に到着するのが龍神池。この城の鎮守であると共に、生活用水でもあった池である。今でも多くの水をたたえているが、この山はあちこちから水が流れており、とにかく山城に不可欠な水には事欠かなさそうである。ここでしばしの休憩。伊右衛門で一服して体力の回復を図る。

左 石垣?天然石?  中央 龍神池の休憩所  右 龍神池

 ようやく呼吸が整ったところで再び本丸を目指す。ここからは道も整備された舗装路になるが、舗装されたらされたで今度は表面を水が流れるので足下が滑りやすくなる。ただここまで来ると山頂らしき部分が目に入るので、とにかく「もう一息」と身体に発破をかける。

左 本丸への道  中央 頂上が見えてくる  右 もう少しだ

 登り切った先は馬場の表示がある広い曲輪。しかし大体どんな城でもこのような広い曲輪は馬場と呼ばれているが、実際にこんな険しい山上に馬を連れてあがれるものだろうか。昔の日本馬がかなり小柄だということを考えても、とても馬が登れるようにも思えないし、こんなところに馬を上げてもいざという時に降ろすのも大変だし、鹿場なら分かるのだが(笑)。とりあえずここで風景を眺めながらまた一服する。

左 馬場跡  中央 先に鳥居がある  右 馬場周囲の帯曲輪

なかなかの絶景

 ここまで来ると本丸はすぐそこである。途中で小分城跡への分岐があるが、そちらはかなり下っていくようになっていて、先には堀切も見えたのでそれを越える気も起こらず、そのまま本丸を目指すことにする。

左 小分城へとつながる曲輪  中央 本丸の一段下の曲輪  右 この上が本丸

 本丸は一番の高台にある。先ほどの馬場よりは狭いがそこそこのスペースがあり、とにかく見晴らしがよい。裏は落とし雪隠と言われている断崖で、危ないのでロープが張ってある。ちなみに毛利の攻撃でこの城が落城した時は、攻め手の毛利方はここを決死隊がよじ登って城内に火を放ったとのこと。

左 本丸  中央 馬場の方向を振り返って  右 落とし雪隠(下は断崖です)

 本丸奥には数段の曲輪があるが、これがなかなかに段差があって直には降りられない。ここからさらに堀切を越えた先にあるのが二の丸である。

左 本丸から下の曲輪を見る  中央 下の曲輪  右 まだ先にも曲輪が

左 先に進んでいくと  中央 堀切を越えた先に  右 二の丸がある

 二の丸の先にはかなり大規模な堀切があり、これが二の丸の東側を守護している。二の丸から南に降りた先に三の丸がある。しかしここは薮化がひどくて全体像はよく分からない。なお案内看板によるとここは地元の人に「さんのうまる」と呼ばれていたことから三の丸で間違いないとのことなのだが、下に山王宮もあることだし、三の丸でなくて「山王丸」ということはないだろうか? この曲輪は最前線の出曲輪の色彩が強いし、三の丸というのなら、あの馬場の方がよっぽどそれらしい気もするのであるが。個人的には馬場が二の丸で、二の丸が三の丸の方が一番しっくり来る。

左・中央 二の丸先の大堀切は上から見てもよく分からない  右 二の丸下の分岐

三の丸に進んでみるがひたすら鬱蒼とするのみ

 二の丸と三の丸の間の通路を降りていくと先ほどの二の丸の大堀切を下から見ることが出来る。またさらに先にあるのがこの城の最大の見所とも言われているてのくぼり。斜面に沿って畝状に竪堀が12本も掘られている。こちらの斜面がこの城の周辺では比較的緩斜面になることから、防備を固めるために作られたものだろう。この竪堀で行動を制約された攻城軍は、三の丸からの狙い打ちに合うという仕掛けである。

左 二の丸大堀切を下から  中央 管理用通路を降りていくと  右 てのくぼりがある

てのくぼり

 てのくぼりを見学した後は管理用道路で山を降りる。しかしこの道路、舗装はしてあるがとんでもない道。道幅が狭いのはともかくとして、とにかく傾斜が急。足下が濡れていることもあって、降りる時もふんばらないと滑り落ちそう。車の立ち入り禁止との看板があったが、確かにこんなところに入り込んだら立ち往生して転落するのがオチ。少なくとも私のノートではとても登れそうにない傾斜である。登れるとしたら4WDの軽ぐらいか。それでもドライコンディションでないと今日のようなウェットコンディションでは無理だろう。ふもとの看板には「足下の不安な人はこちらの道を」とあったが、足下が不安な者がこの道を登れるとも思えないのだが・・・。なお一般的なお城マニアの場合は、間違いなく大手道の方が登りやすいだろうと思う。

 急で狭い道を降りることに

 ようやく麓まで降りてきた時には足がガクガクになっていた。山は登りよりも下りの方が足にダメージがあると聞いたことがあるが、もろにそれを体感することに。確かに筋肉を伸ばしながら踏ん張るという動作にはかなり無理がある。

 

 なかなかハードな城郭であったが、良いリハビリになったような気もする。さて山城で汗をかいたので次は温泉・・・のつもりだったのだが、岩屋城は思っていたよりもハードだったせいで時間が押しており、津山に直行しないと見学の時間がなさそうである。とりあえず予定していた温泉はすっ飛ばして津山に急ぐ。

 

 津山は津山城の城下町。久しぶりにやってくるが下から見た石垣がなかなか風情を醸している。今日は立ち寄っている暇がないが、また改めて津山城を訪問しても良いなと言う気もする。

 

 とりあえず今回の目的は城下町の方。今回、重伝建に指定されたのは城東地区である。ここには古い城下町の風情がかなり残っている。とりあえず観光用の駐車場に車を停めて徒歩でフラフラと一回りする。

 城東地区は城下町の中でも武家屋敷ではなく、商家町の方である。津山城からは宮川を渡った対岸にあり、一般的な城下町の構成のお約束通りに城下町の外辺部に存在している。また東西の入口や途中に屈曲があるのは往時の町並みの構成の通りなのだろうか。地区内は最近の建物もあるが、概ね往時の風情を湛えた建物が残存しており、保存状態としては良好である。なお現地の観光案内所で聞いたところによると、今回重伝建指定を受けた地域は一部であるが、従来からもっと広い範囲が町並み保存区になっているとのこと。

 人が住んでいる生きた町である気配があるが、商業化はそれほど進んでいないようである。おかげでなかなか雰囲気がよい。店は数軒あるようだが、この辺りは標準営業時間が17時までなのか、ほとんどの店がもう既に店じまい中であった。

 

 足早に見学を済ませたが、いずれまたゆっくりと散策してみたいと感じさせる町である。久しぶりに見た津山城にも何やら惹かれるものを感じたし、また機会があれば再訪しても良いか。しかし今日は帰途につくことにする。

 

 とは言うものの、汗をかいたまま帰るのも何である。結局は途中でしそうよい温泉に立ち寄ることにする。汗を流す前にまず軽く腹ごしらえ。またも「朱鳥庵」に立ち寄る。今回も鹿を喰うことにしたいと言うわけで、注文したのは「鹿焼肉定食(1600円)」

   

 鹿の焼肉は牛よりもやや硬めであるが、特に臭みもクセもなく、サッパリとした非常に旨い肉。これは普通に旨い。また添えられていた鹿の時雨煮がこれまたうまい。

  

 低カロリー、低脂肪、高タンパク、高鉄分の鹿肉で力を付けたところで温泉にゆったりと入浴して汗を流す。ああ、やはり週末はこうありたいね・・・先週と同じ締めかい!

 

 

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