展覧会遠征 但馬編2

 

 夏の暑さが相変わらず厳しいが、私は盆休みもなく仕事に明け暮れる毎日を送っていた。しかしながら暑さによるダメージは確実に身体に蓄積してくる。朝起きるのがつらいし、仕事をしていても集中力や持久力が保てない状態。こういう時の特効薬はと考えた時に頭に浮かんだのは「牡蠣」。しかしながらこの夏の最中ではマガキは食べられる状態でない。と考えると岩牡蠣しかない。この近くで岩牡蠣が食べられる場所といえば日本海沿岸。そこでお盆のこの週末、私ははるばると岩牡蠣を求めて長駆することと相成ったのである。

 

 とは言うものの、日本海くんだりまで出かけていって岩牡蠣を食って帰ってくるだけなんてのはあまりに芸がない上に空しすぎる。そこでいろいろと要素を付け加えることにした。

 

 土曜日の午前中に家を出ると、姫路バイパスから播但道へと乗り継ぐ。万年渋滞の姫路バイパスだが、お盆の煽りか車が多い。しかし播但道に乗り換えると車の台数は大幅に減少する。

 

 播但道を北上すると朝来ICで降りる。最初の立ち寄り先はここから山に向かって暫く走ったところにある美術館である。

 


「交流5周年記念 バルビゾン&朝来−過去から未来へ−」あさご芸術の森美術館で9/8まで

 朝来市はフランスのバルビゾン市と芸術交流を始めて5年になるとのことで、それを記念した展覧会。

 ミレーやトロワイヨンなどの作品が数点展示されているが、これらの作品は山寺後藤美術館の所蔵品である。個人的にはトロワイヨンの牛の絵が数点見られたのが収穫。

 意外に面白かったのが、バルビゾンの子供が書いたという町の絵。まず描いている町並みが日本のものと根本的に異なるのは当然として、子供の感性も日本人とは大分異なるというのが感じられた。端的に表現すると大胆だが大ざっぱ。こんなところに国民性みたいなものも見えるような気がした。


 美術館の見学を終えると国道312号を北上、和田山ICで開通間もない和田山八鹿道路を北上する。この道路のどん詰まりが以前に訪問したとがやま温泉天女の湯だが、今日の目的地はここではない。ここより若干東寄りにある朝倉城。夏バテ対策としては栄養補給もさることながら、やはり適度な運動も必要であろうとの考え。ただし山城攻略の前には燃料と水の補給は不可欠。前回にも立ち寄った道の駅ようか但馬蔵で「八鹿豚まん(250円)」を頂くと共に伊右衛門を仕入れておく。ちなみにこの豚まん、味は悪くはないが明らかにCPが悪い。150円ぐらいなら納得だが。

  

 朝倉城は以前に訪問した八木城と同様に但馬朝倉氏ゆかりの城である。なお朝倉氏といえば越前一乗谷で大勢力を築いた越前朝倉氏が有名だが、但馬朝倉氏はその祖に当たるとか。

 朝倉城遠景

 「朝倉城」は国道9号線の朝倉西交差点を南下した朝倉集落の奥にある。ただこの集落内の道路が道幅が狭い上に迷路のように複雑。とりあえず目印は南の山肌に見える墓地である。朝倉城はその墓地の奥にあり案内看板も建てられている。ただしその看板の周辺は道幅が狭くて車を止める場所がないので、少し南に走った道幅の広い道路の脇に停める。

 朝倉城登り口

 墓地を抜けていくとその奥に動物除けのフェンスがあるので、それを開けて進むと朝倉城である。なおどうも墓地と言えば気持ち悪いとか不吉だとかいって嫌がる者もいるようだが、それもおかしな話だ。土葬の地域ならともかく、今では完全に火葬にされているので墓地の中に死体が埋まっているというわけでもない。また日本の信仰からいえば墓地に葬られた死人は仏様として子孫を守護することになるので、不吉でもなんでもない。恨みを残して死んだ人間なんかもいるかもしれないが、それについては自身に思い当たるところがなければ祟られる理由もない。恨みというものは死人が持つものではなく、生きている者が後ろめたさから持つものである。祖先の因縁が云々なんて言う輩もいるようだが、そんなものはインチキ霊能者が壷でも売るための口実だから耳を貸す必要はない。そんなことを言っていれば、人間誰でも1000年も遡れば膨大な数のご先祖がいるわけだから、その中には恨みを持つ者もいれば持たれる者もいて、人類皆仇ということになりかねない。

 動物除けフェンスを通る

 フェンスを越えて少し登るとしばし尾根筋を進むことになる。この尾根筋は完全に平らに削平されているわけではないが、規模や場所的には曲輪と考えた方が妥当な気がする。三の丸というところだろうか。

左 この尾根筋は三の丸か  中央 既に見晴らしはよい  右 本丸への登りにかかる

 ここの奥からは本格的に急斜面を登ることになる。そんなに長い距離でもないのだが、すぐに息が上がってくるのは夏バテで体力が低下している証拠。ただし山上まで10分もかからないので本格的に身体がへばるまでには本丸にたどり着ける。

  

左 本丸、奥が櫓台か  右 櫓台上

 本丸上には櫓台らしき小高い部分があり、ここに登ると360度の視界が広がる。周辺に山の尾根が見えるが、往時にはそこには出城か少なくとも烽火台ネットワークぐらいはあったであろう。この城自体もそう規模が大きいものではなく、位置づけとしては八木城の出城と言うところだろうか。

南側の風景

 本丸の南には堀切を隔てて二の丸が続いている。そこも行ってみたが、先の方では尾根筋を堀切で断ち切ってあった。数段の曲輪になっていたがやはり規模は大きくない。

左 二の丸に回り込む  中央 本丸との堀切  右 二の丸から本丸を振り返って

左 二の丸  中央 複数の段になっている  右 二の丸奥の堀切

 城郭としてはせいぜい百数十人程度が籠もれる規模と言うところか。やはり出城レベルだろう。全体を見学してさくっと30分程度。夏バテでガタガタの身体のリハビリにはちょうど良い城郭であった。

 

 美術館と山城を終えたところで本遠征の本題と行くことにする。今回の遠征の主題は「岩牡蠣を食べる」と言うことである。ここら辺りから北上して日本海の漁港に出るとなれば香住か浜坂といったところだが、浜坂を目指すことにする。

 

 国道9号線を日本海に向けてひた走る。途中但馬トンネル内で事故があったらしく片側交互通行になっていたが、それ以外はとくに問題もなく快調なドライビングである。やがて湯村温泉を抜けると国道9号は西に折れて鳥取に向かうが、ここで国道9号と別れて県道47号をしばし北上すると浜坂に到着する。

 

 浜坂を訪問するのは大学生の時以来だから30年ぶりに近い。その時は餘部鉄橋を渡って列車で行ったのだが、浜坂の記憶は全く残っていない。実際には立ち寄る店のあてがあるわけではないのでとりあえず漁港を目指す。

 

 渡辺水産なる水産会社の巨大ビルがあるのでそこに立ち寄る。2階に食堂があるようなので入店。しかし入店してから失敗に気づく。お盆のせいでメニューが5種類ほどに限定されているらしく、岩牡蠣はない模様。仕方ないので海鮮定食を注文する。

 魚は旨いし煮魚などが美味で料理自体には文句はない。しかし岩牡蠣を食べずして帰るわけにも行かない。そこで隣の隆栄水産も覗く。するとここは店頭に岩牡蠣があるようである。しかも「ここで食べられます(殻も開けます)」とのこと。そこで岩牡蠣を2つ頂くことにする。

   ようやく岩牡蠣にありつく

 贅沢を言えば私は焼牡蠣の方がよいのだが、岩牡蠣は生食の方が一般的なようだ。まさに身体に染みいるという印象。私は身体が単純に出来ているのか、岩牡蠣を胃袋に放り込んだ途端に身体から力がみなぎってくるような気がする。

 

 これでようやく本遠征の主目的達成である。しかし美術館、山城、飯と来たら最後は温泉と洒落込みたいのが人情。実際はそのプランも考えてある。先ほど横を通り抜けた湯村温泉に立ち寄るつもり。

 

 観光用の北駐車場に車を止めると温泉街をプラプラ。湯村温泉と言えば「夢千代日記」の舞台になったと言うことで、山には「夢」の文字が飾られ、町内には夢千代館なんかもあるが、サユリストでない私には興味がない(そもそも私はサユリストという年代ではない)。ちなみに私が美人という場合にイメージするのは桜井幸子、渡辺典子(古いな・・・)といったところで、最近なら仲間由紀恵か。

 最近は過当競争なのかかなり寂れた温泉地も増えてきているが、湯村温泉は結構観光客も多いようである(お盆のせいもあるかもしれないが)。賑やかすぎず寂れすぎずといったところで結構雰囲気はよい。

左 夢千代館  中央・右 湯村温泉の町並み

左 温泉街  中央・右 荒湯では温泉玉子を作れる

 さてここまでやって来たのは温泉街の散策が目的ではない。共同浴場の薬師湯に立ち寄るのが目的。薬師湯はこの手の古手の温泉地には必ずある共同浴場だが、観光客を想定しているのか結構綺麗な建物になっている。それでも入浴料金400円というのは共同浴場。ただし共同浴場のお約束で石鹸類はないのが注意。必要な人は持参しないといけない。

 内部は天井の高い内湯とサウナ、そして小さな露天風呂がある。泉質は炭酸水素塩泉とのことだが、強い浴感のないやさしい湯。無職・無意味・無収入・・・でなくて、無色・無味・無臭である。しかし山城でかいた汗をゆったりと流すにはちょうど良い。

 

 温泉でマッタリしてから帰途についたのである。美術館で精神エネルギーを補充し、山城で身体のリハビリをし、岩牡蠣で栄養を補給し、最後は温泉で疲れた心を癒す。やはり週末はこうありたいね。なんか大昔のアメックスのCMみたいになっちまった。

 

 

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