展覧会遠征 福井編2
夏の暑さが厳しく私も夏バテ気味である。しかしここでおとなしくしていられないのが私の性分。この週末も遠征に出かけることになった。目的地は福井。福井県立美術館にミケランジェロが来ているのでこれが主目的。東京の西洋美術館への巡回もあるようだが、どうせ東京は大混雑だろうと推測できるので、それなら福井に行ってついでにこの周辺の宿題を片づけてやろうという考え。
土曜日の朝から長駆することも考えたが、あちこち立ち寄ることを考えていると前泊の方が動きがとりやすい。そこでGWの東北遠征でも利用したルートイン長浜を利用することにする。
金曜日の仕事を終えると車で長浜まで移動。しかしこれが予想外の事態に。夏休みになって下手くそドライバーが大挙して出てきたせいか、あちこちで事故渋滞が発生、車が途中で全く動かなくなってしまう。車がほとんど動かないので、腹を括ってipadで「美の巨人たち」を見ながら車が動くのを待つ羽目に。当初予定では7時過ぎぐらいには長浜に到着するはずが、7時半を回ってもまだ大阪に到着していないという異常事態。結局ホテルに到着したのは9時頃ということに。日本の高速道路は劣悪な環境の中をドライバーの阿吽の呼吸で運転しているので、下手くそや馬鹿が入り込んでその調和を乱したらすぐに事故である。
ホテルに到着した頃にはかなりの空腹の状態。外に食べに出ることを考えたが、もう時間が遅いしそもそも長浜にはあまりに良い店がなかったことを思い出して、ホテル内の花茶屋で食事することにする。注文したのはビーフシチューと炙りサーモンのサラダ。正直全く何の期待もしていなかったのだが、出てきた料理は存外まとも。
夕食後は入浴することにする。ようやくホッとする。ルートインは人工温泉の大浴場を持っている。ドーミーインほどの豪華さはないがCPの良いホテルである。最近はドーミーインは週末になると価格が高くなるとか予約が取れなくなるなどの良くない傾向が出てきているので、勢いルートインの利用が増えている。
入浴後はフロントで借りたホットスポットにipadをつないで調べ物。その内に眠たくなってきたので11時頃には就寝する。
☆☆☆☆☆
翌朝は6時に起床すると入浴後に朝食。7時過ぎにはチェックアウトする。今日は福井に移動するのだが、まっすぐ福井に行くのではなく郡上八幡に立ち寄るつもり。目的は郡上八幡周辺の鍾乳洞群。まるっきり川口浩探検隊である。
長浜から名神に戻ると東海北陸道に乗り継ぐ。しかし名神の小牧と一宮の間で事故が発生して渋滞が発生しているとの情報が。もしその渋滞が伸びて一宮JCTまで差し掛かってきたら無駄に時間を浪費することになりかねない。とにかく一宮JCTに急ぐ。それにしても夏休みの同時多発事故がこんな早朝からも牙をむくか。ド下手ドライバー恐るべし。
一宮JCT手前辺りから道路が混雑し始めてスローダウン状態になるが、どうにか止まることはないまま東海北陸道に乗り継ぐ。ここからは山間をひたすら北上である。それにしてもとんでもない道である。山の間をぶち抜くイメージなので、とにかくトンネルが多い。しかもそんな道にもかかわらず通行量はかなり多い。実は今日、場合によっては白川郷まで足を伸ばすことも考えにはあったのだが、この車の量から見てとてもではないがそういう状況でないことを察する。今日は郡上八幡だけにしておこう。
郡上八幡ICで降りると市街を迂回して南部の山岳地帯に向かう。最初の目的地は大滝鍾乳洞。現地は完全に観光地化していて土産物屋も完備という状況。近くの縄文洞とのセット券があるのでそれを購入する。
もろに観光地化している大滝鍾乳洞
大滝鍾乳洞の入口へはケーブルカーで登ることになる。どうやら客が来た時に適宜運転しているようである。ケーブルを降りるとそこが鍾乳洞の入口。外まで冷気が漏れてきているが、入口を入った途端に辺りはヒヤッとする。外が灼熱地獄なのと大違い。半袖だと肌寒いぐらいである。
ケーブルカーで登った先はすぐに鍾乳洞入口 早速洞内の撮影にいそしむが、今までの教訓から今回は一脚とストロボを持参している。一脚を使用したスローシャッター撮影とストロボ撮影を併用するつもり。ストロボを使う場合の難点は、鍾乳洞のように奥が深い被写体の場合、手前だけが飛んでしまって奥が真っ暗の写真になりやすいこと。また洞内の照明による演出が全く無意味になることなどがある。一方のスローシャッターの場合、言うまでもなく手ブレとの戦いとなる。ぶれないようにと言えば三脚を使えば確実だが、実際は洞窟内では三脚を広げられる場所がないのが大抵なので現実的ではない。勝負は一脚と自分の体を使っていかにカメラを安定されられるかである。
いろいろなタイプの鍾乳石が発達している 大滝鍾乳洞はかなりいろいろな鍾乳石がある多彩な洞窟である。しかし最大の特徴は一番奥の大滝だろう。洞窟奥の広間では天井から滝のように水が流れ落ちており、これが大滝。それがこの鍾乳洞の名前になっている。
最奥部の大滝
帰りルートにも鍾乳石多数 初っ端からなかなか見応えのある鍾乳洞だったが次に移動することにする。次は縄文洞。ここは縄文人の住居跡などが発見されたことから縄文洞と呼ばれているらしい。なおこちらの洞窟では「ミステリーツアー」と称して内部の照明が消されており、そこを懐中電灯片手で探索することになる。
縄文洞 内部はかなり複雑な迷宮型洞窟であるが、一応順路が設定されているので迷うことはない。ただ渡された懐中電灯がかなり非力なので薄暗くて不安であるし、前を照らせば足元が暗くなり、足元を照らしていたら上が暗いので頭を天井にぶつける始末。またもしこれが消えたらどうなるんだろうなんてことも頭をよぎる。
実際の洞窟内部は真っ暗です 薄暗い中を進んでいたらボンヤリした人影のようなものに肝を冷やしたのだが、これは洞窟の演出に置かれている縄文人。いやー、最初にこれを見た時にはマジでギョッとした。ここはお化け屋敷かっちゅうねん! また洞窟内でやけにアンモニア臭が強いところもあったのだが、この洞窟にはコウモリもいるとのことなのでおそらくそのせいだろう。
縄文人人形による生活再現 しかしこれは最初に見た時にはギョッとした 大滝鍾乳洞と比較すると鍾乳石の発達が全体的に地味ということが否めないので、あえて大滝鍾乳洞と差別化を図るための演出なんだろう。ただ一人で潜ると不安もひとしおなので、閉所恐怖症の傾向があるものにはお勧めできない(閉所恐怖症の人間がそもそも鍾乳洞なんかには行かないと思うが)。
外に出てきた時には湿度と温度差でレンズが曇ってました
ようやく表に出てきて地上の明かりのありがたさが身に染みたところだが、郡上八幡鍾乳洞ツアーはまだこれで終わりではない。さらに次の洞窟に向かう。次は美山鍾乳洞。縄文洞から登山客がひしめく山道を抜け、しばしウネウネと走り回った挙句にようやく国道256号に合流。これをさらに東進したところに美山鍾乳洞はある。
ここもかなり観光地整備されているようだ。駐車場から入口まで少し歩くことになるが、その脇には露出した石灰岩がゴロゴロしており、この山が石灰岩の山であることがよく分かるようになっている。
石灰岩の山の中にある美山鍾乳洞 ここの洞窟の特徴はとにかく上下方向の移動が多いこと。まさに立体迷路型の洞窟である。実際のところ未探査の支洞などもあるようである。序盤はドンドンと下っていき、後半は最深部から出口に向かってひたすら登っていくことになるから肉体的にはハード。また洞窟も狭いところが多いのでそういう点でもハードである。正直なところ、山城で鍛えた体力が効いているなと実感したのがこの洞窟。
洞窟を抜けた最後に広がるのは広大な山の風景 立て続けに3つの洞窟を制覇したが、最後にもう1ヶ所だけ立ち寄る。ここからさらに東進したところに郡上鍾乳洞があるのでそこを訪問する。完全に観光地されていたこれまでの洞窟と違い、ここはかなりハンドメイド臭の漂う洞窟。受付に行くと誰もいないので「すいません」と叫ぶと前の家からおばさんが出て来て電気をつけてくれる。個人経営なのだろうか? どうやら営業も週末に限られているようである。
郡上鍾乳洞入口とその脇の池に浮いているバイカモの花 ここの洞窟の特徴はとにかく地下水が豊富なこと。ここに水を汲みに来る人も多いらしい。後で水をペットボトルに頂いて持ち帰ったが、確かに冷たくておいしい水。まろやかでクセがない。石灰石でろ過された結果だろう。
時々意味不明な演出なんかもあったりする郡上鍾乳洞 地下水が多いせいか、今までの洞窟の中でも中の涼しさはひとしおである。水の洞窟なので上下方向の移動がないのも楽(笑)。なかなか手頃な洞窟である。
郡上鍾乳洞群の洞窟を立て続けに4つ制覇し終わったときにはもう昼前になっていた。とりあえず郡上八幡方向に向けて国道256号を戻るが、これが途中でとんでもない峠道になる道路で驚き。これを抜けるとようやく郡上八幡に到着する。久しぶりの訪問だが相変わらずなかなかいい雰囲気の町である。ただ週末のせいかあいにくと駐車場は満杯の模様。実は昼食は郡上八幡で鮎でもと思っていたのだが、泣きの涙で先に急ぐことにする。
郡上八幡市街 郡上八幡を後にするといよいよ福井を目指すことにする。ルートとしては東海北陸道で白鳥まで行ってから国道158号線を東進して九頭竜湖の脇を抜ける山越えルートである。あえてこのルートを選んだのは福井に行く前に越前大野に立ち寄るつもりだから。越前大野で宿題を一つ片付けておきたいのである。
東海北陸道から山岳道路に向かう 九頭竜ダムのダム湖を横に見ながら山道を疾走する。国道158号線は各地で工事中で片側交互通行の部分が多々あり、その度にしばし待たされることになる。かつて国鉄がこの地に九頭竜線を通して今の長良川鉄道と接続する予定だったのだが、国鉄再建の過程で頓挫している。確かにこんなところに鉄道工事をすれば予算がいくらかかるやら。赤字路線になるのは確実だったので工事中止は止む無いところだろう。なおかつてはJR九頭竜湖駅とながら川鉄道の美濃白鳥駅との間をJRバスが運行していたとのことだが、その路線も廃止になって久しい。今やこんなところを車で走るのさえ私のような物好きぐらいか。実際、郡上八幡から福井へのルートをカーナビで検索すると、この山越えルートではなくて東海北陸道から名神経由で北陸道につなぐルートが検索される。多分こっちの方が早いんだろう。
九頭竜湖岸を疾走
いったいどこの国なんだというような深い山を抜けてようやく下りにかかってくると越前大野はまもなくである。山上の「大野城」のなんちゃって天守が目に入ってくる。しかし今回大野をわざわざ訪れた目的はこのなんちゃって天守訪問だったりするのだ。以前にここを訪れた時は、この山には登ったものの天守は「冬期休館中」だった次第。どうせ単なる城型展望台に過ぎないことは分かっているものの、やはり一度は中に入っておかないと話にならない。これが大野での宿題である。
越前大野城
ただ宿題解決の前にとにかく腹が減った。本当は郡上八幡で昼食に天然アユを食べるつもりだったのに、それが頓挫して空腹のままの峠越えなのでもう完全に体がガス欠である。昼食を先に済ませることにする。
観光駐車場に車を止めると近くの「奥越前はいから茶屋」に入店する。確かに名前の通りにどことなく洒落た建物である。注文したのはマイタケ御膳。山間のこの辺りはマイタケが名物なのか?
非常に体に良さそうな実に地味なメニューなのだが、意外なほどにうまい。かつての私ならもっと肉っ気が欲しくなったところだろうが・・・。大分人間が枯れてきたのだろうか。確かに私の人生も大分黄昏てきている。このまま何事もなすこともなく何も残すこともないまま朽ち果てていくだけなのか・・・。ん?やけに鬱が入ってきた。マイタケには鬱を促す効果でもあるのか?
軽く腹を満たしたところで、クーリングのためにソフトクリームを買い求めてから登山に差し掛かる。登城路は記憶にある。少し進んだ神社の奥になんちゃって大手門があって、そこから登山道が伸びているはずである。
なんちゃって大手門
城山は完全に公園整備されており、スロープでゆるゆる登るルートと階段で直行するせっかち向けルートの二通りがあるが、私は迷わず後者を選ぶ。昔ならこの程度の石段でも息も絶え絶えだったのだが、今はこの程度の石段はものともしない程度の体力はついている。
野面積みの石垣は立派
山上に登るのには10分もかからない。なんちゃって天守は鉄筋コンクリート製だが、野面積みの石垣の上に乗っかっているおかげでなかなか絵にはなる。
天守からの展望 天守の内部はお約束のように博物展示だが、あまり大したものは展示していない。面白かったのは本丸御殿の復元模型ぐらいか。やはり一番の売りは天守からの眺望。まわりがグルリと山に囲まれている立地がよく分かる。また城の縄張りの全貌も把握しやすい。
本丸虎口
天守の見学を終えると山を下る。今は小学校のグラウンドになっている辺りがかつての御殿跡らしい。つまりは山上の城はいざというときのお籠もり用の施設と考えて良いようだ。
これで越前大野での宿題は解決。後は福井を目指してひた走る。原発マネーによる公共事業大国の福井は概して道は良いから走りやすい。ただ、今となってはその原発によって滅びが来ないことを祈るのみ。もしそうなった時は事は福井にとどまらず、いよいよ日本終了である。
福井にやってきたのは本遠征のそもそもの主目的達成のため。ビッグタイトルだけに混雑が心配だったのだが、美術館側もそれを警戒して臨時駐車場を周辺に多数確保してあった。実に手回しの良いことである。
「ミケランジェロ展−天才の軌跡」福井県立美術館で8/25まで
イタリア・ルネサンスの巨匠で数々の彫刻作品や、システィーナ礼拝堂の巨大壁画「最後の審判」などで知られるミケランジェロの展覧会。カーサ・ブオナローティ美術館所蔵のミケランジェロに関する資料等が展示される。
しかしながら展示物はミケランジェロに関する「資料」ということなので、かなりの部分は手紙や書簡など美術作品とは無関係のものの上に、美術関係もスケッチや下絵レベルのものばかりなので、コアなミケランジェロマニアでない限りはこれと言った見所に欠けるというのが正直な印象。ちょうど、最近に東京都美術館で開催された「ダ・ヴィンチ展」に非常によく似たパターンである。
そもそも本遠征の主目的であったはずなのだが、率直な感想は「イマイチ」。困ったものである。
これで本遠征の主目的は終了。とりあえず今日の宿泊地である芦原温泉を目指すことにする。芦原温泉は福井からは車でそう時間がかからない。ただその間はひたすら田んぼの中を突っ走ることになる。さすがに福井は田んぼが多い。
宿泊予定のあわらグランドホテルは駅からそう遠くないところにあり、隣は以前にここに立ち寄った時に入浴した日帰り入浴施設のセントピアあわらである。近くの駐車場は満杯とのことで離れた位置にある駐車場からワゴンで送ってもらう。
セントピアあわらとあわらグランドホテル あわらグランドホテルは複数の建物を持つ巨大ホテル。なかなかの豪華ホテルという印象で、フロント回りなども磨き上げてあるのは伊東園ホテルなどと違うところ。本遠征ではこのホテルでリッチに宿泊・・・といける身分では私はない。今回の宿泊プランは夕食なしの簡易朝食付きの極貧プランである。私が通されたのは他の客室からは若干離れたところにあるシンプルな小さい部屋。元は従業員部屋か、それともこれをいわゆる「添乗員部屋」と言うのだろうか。しかし元より部屋は寝れさえすればそれで良いと考えている。極貧プランであろうがなんであろうが、とりあえず温泉は入り放題である。しかも宿泊料金は実は先日宿泊したルートインよりも安いという破格の額。極貧プランだとぞんざいな扱いを受けないかという心配をする者もいるようだが、それこそが本当にそのホテルが一流かどうかの良い判断材料になる。本当に一流のホテルは安い客でも決してぞんざいに扱いはしない。と言うのも、今回は安いプランで来ていても、その客が次の機会には幹事として団体を引き連れてやってくるかもしれないし、実は有名な旅行ライターだったなんてこともあるからだ。そうでなかったとしても、客に悪い印象を与えていれば回り回ってホテル全体の評判に響いてくる。そういうところまで従業員や経営者が考えが及ばない(もしくはそうなってもかまわないと考えている)のなら、そんなホテルはたかが知れている。私が今まで宿泊したホテルの中にはそんな馬鹿なホテルはなかったし、当然のようにここもキチンとしたホテルであった。
部屋に荷物を置くとまずは入浴へ。最初は隣の長生館の最上階にある展望風呂へ。ここはその名の通りガラス張りの展望風呂で、隣のセントピアあわらを見下ろす形になる。ただし例えばここの窓際で仁王立ちしたら外から丸見えになるので注意。
温泉の泉質は一般的なナトリウム塩化物泉。ここの浴槽は源泉かけ流しを謳っている。湯の肌当たりとしてはあまりきつくないサッパリしたお湯である。ただ浴場がガラス張りのせいか温室のようで少々暑い。蒸すのが苦手な私には若干つらい。正直なところこれで天井を開けられたらというところ。
展望風呂の次は湯元館の「静の湯」に入浴。こちらは新館らしく設備がかなり綺麗。また日帰り入浴も受け付けているようで客も多い。ただそのせいか、若干湯の力としては先ほどの展望浴場よりも落ちる印象。
たっぷりと入浴したところで夕食に繰り出すことにする。立ち寄ったのは「銀河食堂」。魚が経営している料理屋である。とりあえずフライの定食と天然物というハマチとヒラメの刺身を注文する。
さすがに魚屋だけあって魚はなかなか良い。だからフライなどはうまい。ただ驚くほどというわけでもない。普通に旨いというところか。そのうちにカウンターの隣の席の客がタバコをふかし始めたから早々に退散する。しかしこれだけ食べて2300円という支払いは観光地ということを考えるとかなりのCPの高さだろう。
夕食を済ませた後はしばし町中をフラフラとしてからホテルに戻る。ただ部屋に戻ってもテレビを見るぐらいしかすることがないが、生憎と福井はNHKと民放が2チャンネルぐらいしかない。その内に部屋の冷房を効かせすぎたのか身体が冷えてきたので、今度は本館の大浴場「朝倉門」に入浴に行く。ここは屋敷のような造りの仰々しい浴場。半露天的な五右衛門風呂があったのでそこでしばし入浴して身体を温める。
帰りにホテル内で土産物を求めると(やはり福井と言えば羽二重餅である)、部屋に戻ってまたマッタリ。ipadをテザリングでネットにつないでしばし明日の戦略などを練っていたが、本格的に疲れてきたのでやや早めに就寝する。
☆☆☆☆☆
翌朝は7時前に起床するとパンとコーヒーの簡易朝食。その後は本館大浴場「式部の湯」に入浴。こちらは広い内風呂。別に浴場が変わったからといって湯が変わるわけでもないが、それでも気分は変わる。やはりこういう雰囲気も合わせて温泉というものである。
入浴を済ませると荷物をまとめて早めにチェックアウトする。今日も予定は目白押しである。まず最初の目的地は重伝建地区である加賀橋立。北前船で財をなした船主達の集落である。
カーナビに従って田んぼの中をひたすら北上。しかしその内にナビの画面に大聖寺駅が映る。どうやら近くまで来たようである。それならと言うことで「大聖寺城」の方に先に立ち寄ることにする。
大聖寺城は背後の山上
大聖寺城はその歴史は古く、南北朝の争乱の頃から攻防の場として文献に登場するという。織田信長の支配を経て、秀吉の時代には溝口秀勝、その後は山口宗永が領主となるが、関ヶ原の戦いで西軍に付いた宗永は東軍の前田利長に攻められて落城、宗永も自刃する。その後一国一城令で廃城となったが、大聖寺藩は一般人の入山を禁じたために遺構の保存状態が極めて良好なまま残っているという。
大聖寺城縄張り図 出典:余湖くんのホームページ 現地は公園整備されているようで駐車場も備えている。そこから登り口があるが、大聖寺城は大まかに言って本丸を中心とする北部と鐘ヶ丸から東丸につながる南部に分かれている。登り口はその間を登っていくルートで、左右に複数の曲輪が広がっているのがよく分かる。
登城路の脇に曲輪が広がるのが分かる
しばし登ると右手に登り口があるので、そこを登っていくと複数の曲輪を経て本丸にたどり着く。本丸の奥には土塁で小高くなった部分があるが、これはいわゆる天守台か。天守があったかどうかは知らないが、少なくとも櫓ぐらいはありそうだ。現在は発掘中かそれとも崩落防止か分からないが、ブルーシートがかけてあった。
左 右手の曲輪に登る 中央 小曲輪がいくつか連なる 右 振り返って左手の曲輪 左 ここで既にこの高さ 中央 さらにもう一段上る 右 本丸直下の曲輪 左 本丸にはブルーシートが 中央 本丸奥の土塁 右 ここはいわゆる天守台、櫓台というところか 本丸から馬洗い池の脇の堀切を越えてたどり着く曲輪が二の丸である。二の丸には遊具などが置いてあるが、あまり使用されているような形跡はない。またこの城郭は地元の保存会の有志が定期的に草刈りなどの整備を行っているようだが、それでもこの辺りに来ると結構薮化して来ている部分があるのは否定できない。また季節柄ヤブ蚊がブンブンと鬱陶しく、防虫スプレーを持ってこなかったことが悔やまれる。
左・中央 本丸奥を下る 右 馬洗池 左 二の丸手前の堀切 中央・右 二の丸は結構荒れている 二の丸から下ると西の丸方面と戸次丸方面の分岐がある。まっすぐ進むと戸次丸。あまり大きな曲輪ではなく、最前線の出丸というところか。
左 二の丸奥を下る 中央 戸次丸と西の丸方向の分岐 右 戸次丸 先ほどの分岐のところまで戻って西の丸を目指すが、ここからのルートがかなり薮化しており、途中で三の丸を経由するはずなのだが、どこが三の丸やらサッパリ分からない。薮を踏みしめて進むと若干高い位置に西の丸が開ける。
左 通路はかなり薮化 中央 三の丸はこの辺りか? 右 前方の高台が西の丸 西の丸はそこそこの広さがあり、本丸を下から見上げるような位置。本丸の北西を守るように配置されている。ここから本丸の裏を通って鐘ヶ丸方面に進める。なお余湖氏による縄張り図では西の丸がそのまま本丸背後に回り込んでいるようになっているが、実際には西の丸の北西隅に下りの出口があり、西の丸の背後に一段低い通路があるような構造になっている(最初、西の丸の南部に通路を探したが見つけられず、引き換えそうとしたところで北西の通路を見つけた)。
左・中央 西の丸 右 西の丸奥は崖 本丸の後ろを回って鐘ヶ丸に登る。ここはかなり大きな曲輪で屋敷でも置いたのだろうか。なおここにも遊具が設置されてあり、下草も刈られているので薮化まではしていないが、それでも下草がかなり伸びていてかなり荒れた公園という印象は拭えない。
左・中央 本丸背後を回り込む 右 分岐の右手を登ると鐘ヶ丸 左・中央 鐘ヶ丸も結構荒れている 右 下に向かって何段かの曲輪が続く ここからは数段の曲輪を経て東丸まで下がってくる構造になっている。登城路を脇から睨む位置にあるので、番所屋敷跡などの表記もあり、実際に防衛の拠点であったのだろうと思われる。
左 下に降りる 中央 ここは番所屋敷跡 右 さらに降りる 左 ここは下馬屋敷跡 中央・右 さらに下りつつ進むと東丸が見えてくる 東丸は最前線の曲輪。大手門を上から睨む要地にある。大手側はかなり急な崖になっている。今はそこに階段が設置されているが、これは公園整備の際に後から付けたものだろう。ここを階段で上れたら防御の意味がない。
左 東丸 中央 市街を見下ろす 右 大手門方向を見下ろす 結構凝った造りの城である。ただ山自体はそう高いわけではないので、難攻不落の要塞と言うほど堅固な印象も受けない。大軍を持ってして力押ししたら落とせそうであり、実際に山口宗永の時に落城している。
思っていた以上に保存状態が良くてなかなかに見応えのある城郭であった。なお城巡りの先人達の記録によると、薮化がかなりひどいとのことなので警戒していたのだが、地元有志の活躍もあってか、確かに部分的に薮化しているところもあるが、全体としては状態はそう悪くなく、夏の炎天下という悪条件にもかかわらず見学には支障がなかった。ただ私が城内をウロウロしている時にも全く人の気配を感じなかったことだけは気になる。公園整備されているにもかかわらず、地元の人はあまり来ないんだろうか。
大聖寺城の見学の後は加賀橋立を目指す。加賀橋立は重伝建指定されてから観光に力を入れているのか、観光用駐車場も整備されている。そこに車を置くとまずは北前船の里資料館を覗く。
北前船の里資料館は立派なお屋敷 左 北前船の模型 中央 座敷 右 中庭 ここは北前船で財をなした酒谷長兵衛のお屋敷だという。北前船は江戸時代後期から明治時代にかけて国内交易で活躍した船で、一年をかけて大阪と北海道を往復し、各地で商売をしながら回っていたという。その中でも最も儲かったのは北海道の昆布やニシンなどとか。大阪からは酒を持っていって非常に喜ばれたという。商売に関しては船長の器量に任されているが、利益については船主の取り分が大きく、複数の北前船を所有する船主は桁違いの財を所有していたとか(明治時代の納税額などによると医師などに比較しても2ケタぐらいは大きい)。実際にこの屋敷も各地から銘材を取り寄せて建てた贅沢なものである。しかし隆盛を極めた北前船も、蒸気船や鉄道の登場によって全国の流通が発達していくと衰退を迎えることになる。北前船で栄えたこの地も今ではひっそりとした田舎町になってしまっている。
北前船の里資料館を見学した後は、近くのこちらも船主の屋敷だった蔵六園を訪ねる。ここは酒谷家の屋敷で庭園が特徴。蔵六というのは亀のことで、庭石が亀に似ていたから名付けられたとか。こちらもかなり立派な屋敷だが、展示がやや雑然としていてごった返している印象。
左 蔵六園 中央 庭園 右 屋敷内 町並みの方は往時の赤瓦の町並みが残っているが、正直なところ普通の住宅街という気もしないではない。実際には往時のままの住宅は限られているようだ。
加賀橋立の町並み 加賀橋立の見学の後は海から山へ。今度は加賀東谷に向かう。こちらは往時の山村集落が残っているという。
山道を走る
以前に立ち寄ったことがある山代温泉を通過して県道153号を県民の森方面に向けて走る。この道路は鬱蒼とした森の中を抜けたりするまさに山道だが道路は整備されている。荒谷、今立辺りに赤瓦の住宅の集落がある。
荒谷、今立辺りの集落 そこをぬけてさらに進むと県民の森方面との分岐があるので、そこを脇の狭い道の方へ進む。この先に平家の落人が作った里という伝説もある大土町がある。ここを訪れた先人が「道が狭くて恐い」と記していたのを見たが、1.2車線ぐらいの舗装道路で、山城慣れしている私には普通の走りやすい道。ただ「もし先が行き止まりになっていたら嫌だな」ということは脳裏をよぎる。
ここで左に折れると道はさらに狭くなる 到着した大土町はまさに「隠れ里」といった風情の町。山中に完全に孤立した里になっていて、私のAU携帯も見事に「圏外」。観光地化していない普通の村で、非常に風情があるが人の気配がないのが気になる。たまたま墓参りに来ていた現地出身の人と話したところ、もう既にここに住んでいる人は数人の模様。このまま行けば遠からず廃村になりそうである。しかしここにいたところで仕事はないし、かといって観光地化してしまうのも嫌だし、このまま朽ち果てるのも仕方ないとのことだった。重伝建は大土町や荒谷、今立などすべてまとめて指定されているが、どうも大土町と荒谷、今立地区でそれに対する考え方が違うようであることが言葉の端に伺えた。あちら側はこれを期に観光開発しようと言う意志が町並みに垣間見えていた。恐らく住民層の年代の差なども一因になっていそうである。
大土町の集落 集落の背後の斜面から見下ろすとなかなか絵になる風景。日本の原風景の一つである。これをこのまま朽ちさせていいんだろうか。そもそも日本の地方がそれぞれ農林水産業で食べていけるような世の中こそ「美しい日本」であり、そのような日本を作ることこそが「日本を取り戻す」ではないのか。軍国主義にして中国と戦争するのが「美しい国」や「日本を取り戻す」だとは到底思えない。ましてやTPPでアメリカに媚びて日本国内の農業にトドメを刺すことのどこが「日本を取り戻す」だ。今からでもスローガンを「日本を売り渡す」に変えた方が実態に合っている。
重伝建回りをした後は山中温泉に立ち寄ることにする。山中温泉には菊の湯という共同浴場があるのでそこに寄ろうという考え。観光駐車場に車を止めて菊の湯に向かう。しかし外は灼熱地獄である。その時にまだ昼食を摂っていない(というか朝食もトースト一枚だけだった)ことを思い出し、まずは昼食を先にしようと目の前にあった「天ぷら割烹たねだ」に入店、「天ぷらそば(1150円)」を注文する。
さすが天ぷら割烹と名乗っているだけあって天ぷらが旨い。塩を添えて出してあるところがいかにも通っぽい。しかし旨いのは天ぷらだけでなくてそばも良い。これはなかなかの店である。
腹を満たしたところで菊の湯に入浴である。菊の湯は古き良き銭湯の風情。共同浴場と言うことで料金は420円であるが、石鹸・シャンプー等は装備していないので必要なら持参するしかない。内部はシンプルに内湯の大浴槽がど真ん中に鎮座している構造。壁面には山中温泉黎明期の絵巻が壁画となっている。浴槽がやや深めなのが特徴。この大浴槽で深めということはそれだけ湯が豊富ということか。泉質はカルシウム・ナトリウム硫酸塩泉。比較的おとなしい湯で特別な浴感はないが、それは裏を返せば万人向けで入りやすい湯ということでもある。
菊の湯の女湯と男湯 ここでサッパリと炎天下の行軍での汗を流したのであった。山中温泉自体は温泉街としての風情はまずまずで、また夏休みということもあるのかも知れないが、町内にも結構活気を感じられた。ただ正直なところ、町並みを歩き回ったわけではないので細かいところまでは観察できていない。何しろ焼け付くような炎天下で、もしこんなところを歩き回っていたら、また汗まみれになるどころか下手すると熱中症で倒れそうである。
サッパリしたところで帰途につく。大聖寺方向に戻ると加賀ICから北陸道に乗る。しかしやはり夏休みの影響は帰途でも牙をむく。あちこちで事故の情報や渋滞の情報が出ている。ただそれでも予想していたよりは順調に敦賀までやってくる。時間を見たところまだ4時頃、最後にもう一カ所だけ宿題を片づけておくことにする。
その宿題とは、以前の若狭遠征の時に駐車場まで行っていながら豪雨のせいで見学を断念した「玄蕃尾城」である。賤ヶ岳の合戦に備えて柴田勝家が築いた陣城とのことだが、かなり大規模な遺構が残っており、国の史跡に指定されている。
玄蕃尾城縄張り図(現地案内看板より) 一度前まで行っているので今度は迷わない。幽霊トンネルこと柳ヶ瀬トンネルの手前で左の狭い道に曲がると後はひたすら山道を走る。道の走行に不安はないが、空がやや暗くなってきたのが気になるところだ。もし夕立でも来たらたまったものではない。またこの山は水源が多いのか、雨が降ったわけでもないのにあちこちから水が湧いて道路も部分的には小川状態になっている。これはやはり夕立が来る前に片づけないと。
この手前に車を停めると登りにかかる しばし山道を走ると行き止まりに簡易トイレと駐車スペースがある。そこに車を停めると登山者名簿のノートに名前を記載してから登山にかかる。
山道には特に不安はないが、ところどころ水がわき出している。つくづく水源の多い山だ。これは籠城しても水には困らなかろう。しかし今でもこれだけ水が噴き出しているのだから、あの時は登山を断念して正解だったようだ。これ以上水が多くなると足下が危ない。
息を切らせながらしばらく登ると堀切のようなところに出てくる。久々坂峠との看板が立っている。ここの左側を登れば玄蕃尾城に到着するらしい。しかし玄蕃尾城まで0.5キロとの表示にゾッとする。この0.5キロが登りばかりでないことを祈るのみ。
左 堀切のような分岐にさしかかる 中央 玄蕃尾城まで0.5キロとある 右 尾根筋に出る 幸いにして登りは全体の1/4程度で後はほぼ平坦に近い尾根筋を歩くだけであった。やがて案内看板に出会い、その先には巨大な曲輪が目に入る。こうなると一気にテンションが上がる。
城の本体が見えてくる
一番手前は虎口郭で、ここは手前に専守防衛の大手虎口がある。奥に攻撃用の大手虎口がある。手前の虎口を敵が攻めている時に奥の虎口から兵を出して背後を突くようになっている。曲輪の規模も大きく土塁も高い。なかなかの守備力である。
左 城の最先端部 中央 専守防衛の虎口 右 虎口郭 さらに進むと攻撃用の虎口郭。ここで兵を揃えて一気に攻撃用虎口から出撃するのだろう。その奥が主郭の入口の馬出曲輪。その奥が主郭になっている。かなり凝った複雑な縄張りであることがよく分かる。
左 奥に攻撃用虎口が見える 中央 土塁の向こうが攻撃用虎口郭 右 虎口郭 左 攻撃用虎口を内側から 中央 主郭の馬出郭 右 主郭入口 主郭の規模はかなり大きく、相当の兵を入れることを想定した城であったことが分かる。
主郭風景 左 主郭の櫓台 右 主郭周辺の堀 主郭の脇にある張出郭 主郭の奥にはやはり馬出郭を経て搦手郭がある。こちらは搦手側の虎口郭であると共に兵站基地であったという。ここもかなり規模が大きい。
左 主郭の奥に馬出がある 中央 馬出 右 馬出の向こうに搦手郭 搦手郭 正直なところ陣城ということでなめてかかっていた部分があったのだが、私の予想を遙かに超えてとにかく規模が大きく縄張りも凝ったものであることがよく分かる城であった。秀吉との戦いに備えて突貫作業で作ったのだとしたら、一体どれだけの人員を投入したのだろう。合戦のための陣地という規模ではなく、明らかに完全な城郭である。実際、地方の小豪族の居城なんかだったらこれよりも遙かに規模が小さい上に守備力も低い。戦国もこの時代になったら築城技術自体もかなり進歩していたのだろう。縄張りにも後の大型城郭に通じる機能性と美しさを感じる。
十二分に城郭を堪能したが、おかげで折角山中温泉で汗を流したのがまた汗だくになってしまった。とりあえず夕立が来る前に山を降りると今度こそ帰途につくことにする。
幽霊トンネルこと柳ヶ瀬トンネルをくぐると(相変わらず圧迫感が半端ではない、途中で人影のようなものがチラッと見えた気がしたが、私は霊感皆無の人間なので単なる見間違いだろう)、木之本ICから再び北陸道に乗る。しかし名神高速に乗り換えた頃ぐらいから道が混雑を始める。どうも同時多発的に各所で渋滞が起こっているらしい。多賀SAの手前まで来た時に、この先が八日市ICまで渋滞との表示を目にする。諦めて休憩と事態の改善を待つために多賀SAに入ることにする。
SAには渋滞を逃れる車が殺到して結構な混雑。とりあえず夕食を摂っておくかと「近江多賀亭」に入店する。がっつり肉を食べたい気がしたので「近江牛ラウンドステーキ膳180グラム(2400円)」を注文する。
ラウンドステーキとはヒレの回りの肉のことらしい。やはりヒレ系の比較的あっさりした肉で、これにわざびが非常に良く合う。完全に夏バテの今の状態にはこのサッパリさがありがたい。思わず「うめー」。ヒレやサーロインに比べると圧倒的にCPが高い。
肉で腹を満たすとデザートが欲しくなったので、変わりもののところで「こしひかりの丁稚羊羹と茄子のあんみつ風(380円)」を注文する。
茄子のコンポートというのがどうかと思ったのだが、食べてみると普通にフルーツ。非常にフルーティーなあんみつで、あんの代わりのこしひかりの丁稚羊羹がもっちりとして意外に旨い。半ばネタ的にゲテモノも覚悟して注文したのだが、普通に旨いデザート。カロリーで293キロカロリーとのことでコンビニデザートなどよりも低い。これはなかなか。
夕食を済ませてから道路情報をチェックしたが、事態はあまり改善していないようだ。ついでだからレストイン多賀で入浴して汗を流すことにする。ここも立ち寄るのは久しぶりである。昔はよくETC通勤割引の時間になるまでここで時間を潰したりしたものだが。
入浴を済ませてサッパリして出てくると、何と外は豪雨だった。どうやら夕立まで来てしまったもよう。しかも渋滞の方については事態は進展せず。結局は諦めて道路へ出て行くことになったのである。結果、この日は通常の倍ほどの時間を要して夜遅くに帰宅。たどり着いた時には完全にヘトヘトになっていた。
当初予定では福井でミケランジェロを見て、あわら温泉でゆったりと骨休めのはずだったのだが、終わってみると骨休めどころか逆にグッタリと疲れ切る遠征になってしまったのだった。一体どこで間違ってしまったのやら・・・。私の人生も間違いだらけである。
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