展覧会遠征 中国勝山編
ここのところ仕事がハードさを増してきたために土曜は完全にグロッキー状態であった。しかし丸一日寝続けて日曜日を迎えたところ、このまま今日も寝てるだけで終わると精神のエネルギーの方が尽きてしまう気がしてきた。そこで急遽思い立って出かけることにする。
目的地として浮上したのは津山。今年になって津山の城東地区が重伝建に指定されることになったことから、この際に見学に行くかとの考え。ただ津山に直行する前に一カ所立ち寄ることにする。それは中国勝山。ここには高田城という山城があることが知られている。ここはリハビリがてらに山城訪問と洒落込もうという考え。
「高田城」は三浦貞宗が築城したと伝えられており、戦国期には尼子、宇喜多、毛利の間で争奪戦が繰り広げられたという。1559年、この城を奪回した三浦貞久が嫡子の貞勝を城主とする。しかし高田城が再び落城、貞勝は家来と落ち延びる途中で自刃する。この時に貞勝の正室であった「おふくの方」は城の脱出に成功し、宇喜多直家に匿われて後の宇喜田秀家が生まれたとのこと。高田城自体はその後も何度も所属を変え、最終的には三浦明次(最初の三浦氏とは全く無関係)がここに入って勝山藩として明治まで続くことになったという。
中国道から米子道に乗り継いだすぐの久世ICで降りて西進すると中国勝山はすぐである。高田城の登り口を探して車でうろつくがどうもよく分からない。そこで情報収集のために一端車を置いて町を散策することにする。
町を散策して驚いたのは城下町の町並みがかなり整備されていること。ここには城下町が残っていると聞いていたが、重伝建指定もされていないのでノーマークだった。とりあえず町並みの散策をすることにする。
町並みの中に郷土資料館があったので入館する。そこで聞いたところによると、ここの町並みは何年かかけて整備されてきたらしい。しかしどういう理由でかは知らないが、町並み保存区にはなっているのだが、重伝建の申請はしていないようである。なおここで高田城の登り口を教えてもらう。どうやらここの通りを北に抜けて、役所を過ぎた辺りに山の方に上がる道があり、そこを進むと途中で狭くて急な道があるのでそれに突入するとグランドになっている二の丸にたどり着くらしい。そこからは登山道があるらしいが、道の状態がどうなっているかは分からないし、上に登っても特に何かがあるというわけではないとのこと。これについては「道なき道を登るような経験も何度もしてますし、何もない城をいくつも登ってますので」と答えておく。
郷土資料館と内部に展示されていた高田城の模型 ブラブラと散歩をしていると昼頃になった。やはり山を登る前には燃料を補給しておきたい。飲食店を探したところ、酒蔵を食堂に改造したらしい「西蔵」なる店を発見したので入店する。丼などもあるようだが、折角なので「西蔵膳(2310円)」を注文する。
酒蔵を改造した店内は落ち着いた雰囲気。時間がゆったりと流れると言うところか。おかげで料理の方もゆったりしていて、かなり待たされた後にまずは先附三品と柚子ジュース(私は酒が駄目なのでこれを選んだ)が出てくる。なかなかにうまい。
先附三品
先附を頂いてしばらく経つとメインが運ばれてくる。中心は銀鱈の粕漬け。これがまた絶妙。魚はこういう形にすることで旨味を増すのだということがよく分かる。他の付け合わせもいずれもうまいし、ご飯もなかなか。あぁ、日本人という感じ。
最後はデザートのアイスが出て終了である。以前の私なら確実にボリューム不足であるのだが、今の私には足らなくて仕方ないということもない。
昼食を終えたので教えてもらった通りに高田城に向かう。途中で真庭市役所勝山支局の前を通ると、高田城三の丸跡の表示があるので見学していく。どうやらこの城の三の丸は山の麓にあったようである。恐らくここが平時の屋敷で、山上はいざというときのお籠もりのための城なのだろう。
高田城三の丸跡 役所前を抜けてさらに北上すると山側に折れる道があるのでここを登っていく。しばらく走ると確かに「本当にここ?」というような狭くて急な道が横に出ている。最初の時にはあまりな道だったので思わず通過してしまってから、「本当にこんなところ車で登れるの?というような道ですが、キチンと登れますから」との言葉を思い出して戻ってくることになる。
確かに道は狭くて急だが私のノートでも一応問題なく登れる。上まで登ると二の丸跡の標識の奥にグランドがある。なお何かの工事中らしく重機も入り込んでいる。
二の丸はグランドになっている
ここに車を置いてから徒歩で舗装道路をさらに少し進む。右手には緩斜面があって「馬洗場跡」の表示がある。この辺りで左手に登山道が見つかる。
舗装道路を進むと右手に馬洗場、左手に登山道が見つかる 登山道はところどころ草が茂っていたりするが、基本的に登るのには全く問題がない良好な状態。しばし登ると山頂と椎の木小径の分岐にさしかかるのでここで山頂を目指す。
城山山頂を目指す道の脇には曲輪らしき構造が複数 山頂に向かう道の脇にいくつか曲輪らしきものもあるがはっきりしない。山頂までは10分もかからずにたどり着く。思わず「楽勝」という言葉が出る。
左 本丸下の曲輪に到着 中央 本丸虎口らしき構造 右 本丸 山頂の本丸は確かに何もない。せめて見晴らしがあれば良いのだが。ただ虎口らしい構造の痕跡は残っているし、何やら発掘作業中らしい跡があり、そこを覗くと石垣が埋まっているようだ。
何やら発掘作業中 このまま同じ路を降りるのも芸がないので、反対側の抜けてから降りていくことにする。こちらの道は往路の道よりは落ち葉が多くて足下が悪いが、それでも特に問題のある道ではない。こちら側にも曲輪らしき構造がいくつか見えたが、これも判然としない。
裏手側にも曲輪らしき構造は多々あるが、詳細は判然とせず かなり降りてきたところで小屋の段にたどり着く。ここは高田城の西側を守るための大規模な曲輪であり、家臣の居館があったという。
小屋の段
ここまで来たところでかなり降りすぎてしまったことに気づく。このまま行くと三の丸に降りてしまいそうである。するとしばらく進んだところで竹林の小径との分岐にたどり着く。案内地図によるとこの道を通ると二の丸に抜けるはず。そこで直進することにする。
この表示に従って直進したが、道とは言えない道に突入してしまう しかしこれが大失敗だった。この道は今までの道と違って全く整備されていない。足下はかなり崩れている上に険しく、杭なども腐っていて危ない。足を滑らせたら洒落にならないというとんでもない道だった。本格登山を志す者ならこんな道はものともしないのだろうが、私のようなハイキングがてらの山城攻略者が入り込むべき道ではない。結局はかなり神経をすり減らすことに。しかも難所を抜けて二の丸グランドが目に入ってホッとしたところでふと足元を見ればなんと蛇。しばしにらみ合いになるがあちらは全く動く気配もない。仕方ないのでこっちが道を迂回することに。そこでやむなく薮にはいると手に何か妙なものが付いたのでよく見ると小型の蛭。もう惨々である。
出た!!
ここまで来たところで雨がぱらつき始めた慌てて車に戻る。この城は出丸もあるようだがその見学はやめておく。それにしてももう少し雨が早ければ足下の悪い道で雨に出くわすという最悪の事態になるところだった。間一髪である。
さてこれからどうするかだが、この近くに神庭の滝があるらしいのでそこに立ち寄ることにする。神庭の滝といえば私が大学生の頃に友人と来たことがあるのだが、その時は延々と歩いて現地にたどり着いた記憶があるが、今は近くに駐車場が出来ているという。
神庭の滝の手前の玉垂れの滝 神庭の滝へは4キロほど。そこの駐車場に車を止めるとすぐそこに入場ゲートがあって、そこから数百メートルほどで滝にたどり着く。なお滝の前には多くの猿がいて、人間に慣れているのか悠々としている。ただし食べ物などを持っていると襲われる恐れがあるので、食べ物の持ち込みやビニル袋(食べ物が入っていると猿に勘違いされる)は禁止事項である。
辺りには猿がウロウロ 神庭の滝は私の記憶にあるよりもはるかに大きな滝だった。高さは110メートルあるとか。大学生の時だったにもかかわらずほとんど記憶に残っていないということには唖然とする思いだ。
神庭の滝を後にすると中国自動車道を突っ走る。しかし津山の手前までやって来た時点でもう既に午後4時を回っており、津山訪問は次回に延期することと相成った。
津山ICを過ぎてさてこれからどうするかと考えつつ上月PAの手前まで来た時、道路脇に潜んでいるパトカーに気づいて急ブレーキ。私の後ろに付いていた車も同時に気づいたようで同時にブレーキを踏んでいた。このパトカーは私の車の前に割り込んでくると、私の前を快調に突っ走っていたミニバンを追跡、そのままPAに連行していった。その車は確かに若干飛ばしていたが、そう無茶苦茶なスピードではなく、もっとひどい運転の車も何台も見かけたのだが・・・お気の毒としか言いようがない。私も間一髪で危うく県警の小遣い稼ぎのターゲットにされるところであった。考え事をしながら走行していたので無意識に速度が抑え気味になっていたのが幸いしたようである。
やはり山城でかなり汗をかいたことから、帰る前に温泉には立ち寄りたいと考える。中国自動車道から近いところで良い温泉はと考えた時に頭に浮かんだのはしそうよい温泉。
昼食がかなり上品だったことから今となっては腹がいささか心許ない。入浴前に軽く食事にすることにする。同じ敷地内にある飲食店「朱長庵」に立ち寄ることにする。注文したのは鹿肉を使用した「鹿喰丼(1500円)」。
昔は鹿は日本人にとってはごく普通の食肉だったのだが、最近は鹿食がほとんどされなくなったことから、各地で鹿が増加して畑が荒らされるなどの害が発生している。害獣駆除しようにも猟師自体がほとんどいない状況とか。そこで鹿肉を流通させることで猟師を増やそうという試みが各地で行われており、宍粟もそれを実行しているようである。私もその主旨には賛同しているので少しは協力しようという意志と、後は純粋な好奇心である。
出てきたのは鹿肉を使用した丼と鹿肉の時雨煮。鹿肉は低カロリー、低脂肪、高タンパクで鉄分豊富と栄養的には優れているのだが、これは裏を返すと脂分が少なくて固い上に臭みがあるという意味にもなる。これは鹿肉に限らず猪などでも共通で、配合飼料などを使わない野生動物に共通とも言える。鹿肉を調理する場合はこの欠点を如何にカバーするかがポイントになる。
時雨煮に関しては普通に旨い。印象としては昔よく食べた鯨の大和煮に非常に雰囲気が近い。丼の方は卵とじにしてあるが、これは若干の臭みはなくもないが気になると言うほどではない。正直なところ予想していたよりもはるかに旨く。これなら普通に流通させられるのではないかと感じた。日本人もこれからは鹿や猪などをもっと食べてもよいのではないかと思える。これらを食べなくなったことから自然のバランスが崩れたのである。なお現在、欧米を中心に馬鹿げた過剰な鯨保護を行っているので、いずれ近い将来に増えすぎた鯨が海洋生態系を破壊する害獣となる事態も起こるだろう。そうなると今度は一転して鯨食を振興するんだろうか。どうもいつの時代も鹿と猪ではなくて馬と鹿の人間が多すぎる。
よい温泉で売っていた猪鹿鳥カレー(さすがに蝶は食えないから・・・)
よい温泉は内湯と露天風呂が別になっているのだが、内湯の方にも小さい露天風呂が付いているので、今日は天候も良くないので露天はやめて内湯だけにしておく。久しぶりのよい温泉の湯が肌に染みる。ここの泉質は単純弱放射能泉ということになっているが、それよりもアルカリ泉としての性質の方が強い。肌がスベスベとして心地よい。私は本来は放射能泉とは相性が悪いのだが(後で身体がカッカしてどうしようもなくなる)、ここの湯は非常に馴染むのである。
さっぱりと汗を流したところで帰途についた。かなりガソリンを消費したのでガソリンスタンドに寄ったのだが、ガソリン価格が高騰していて驚いた。まさにアベノミクス効果である。アベノミクスは日本の景気回復にはなんの効果もないが、物価高騰には確実に効果がある。しかし先の選挙で自民に投票した連中がそれに気づいた時には日本は手遅れになっている可能性が高い。
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