展覧会遠征 若狭編
気象庁の梅雨入り宣言以来、雨とは無縁の猛暑が続いているが、この日曜もかなりの暑さである。さすがにこう暑いと山城に登る気力も体力も湧いてこない。そこで今週は重伝建を回ることにする。
付近の重伝建と言えば、若狭から北丹にかけての重伝建地区が未訪問。と言うわけで最初の目的地は福井の小浜西組地区。若狭の交易盛んな時代に商家町家や茶屋町として栄えた地区である。今まで小浜は何度か訪問しているが、時間がなかったり足がなかったりなどでなぜか未訪問のままの地域である。長年の宿題をまずは解決しておこうとの考え。
中国道と舞鶴若狭道を乗り継ぐと小浜西ICまで突っ走る。この道路が小浜まで通ったことで、以前に比べるとこの地域のアクセスは格段に良くなった。3時間弱で現地にたどり着く。
海がすぐそこだ
小浜にたどり着くと若狭湾に面した小浜公園に車を停める。ここはもろに海岸沿いであり、もう少し暑くなると海水浴客がごった返しそうである。だからそうなる前にとこの時期を選んだというのも本音にはある。
小浜公園で車から降りると、その南の一帯が重伝建地区に当たる。小浜西組と大括りにされているが、実際には茶屋町地区、寺社地区、商家地区と性格の違う町が併存している模様である。
小浜西組北西部 旧茶屋町地区の町並み 町並みの特徴としては、部分部分かなり昔の趣をとどめているが、建物自体は江戸時代と言うよりは昭和レトロの風情が強いものが多い。建物個別よりも、町の構成というか町の作り自体に昔の風情が強く残っているという感を強く受ける。今では普通の住宅地になっているという印象。ただ死んでいる町でなく、現在も住民が居て生きている町であるというのが何よりである。
旧丹後街道沿いの町並み 神社に洋館、土蔵の改造など様々 町並みを一回りしたら昼食にすることにする。入店したのは小浜公園近くの「生簀割烹雅」注文したのは「漁師丼(1890円)」。早い話が観光地定番の海鮮丼である。まあ取り立てて珍しいところは何もないが、さすがにネタは良い。ただ混雑していたのか料理が出てくるまでにやたらに待たされたのは大きなマイナス(海鮮丼なんてそもそも調理にほとんど時間がかからないはずなのに)。それがなければもう何品か追加注文しても良かったのだが・・・。
昼食が終わった時点で午後1時ぐらい。まだ時間に余裕があるので次の目的地へと移動することにする。次の目的地として考えていたのは伊根浦。天橋立のずっと北方、丹後半島先端近くの漁業の町である。今でも舟屋という海に面した一階が船の倉庫で二階が住宅になっているという独特の形式の住宅が並んでおり、その町並みが重伝建に指定されている。
舞鶴道経由で宮津で降りると、海岸線に沿って北上する。右手には舞鶴湾の海と天橋立が見えている。相変わらず天橋立周辺は車が一杯だが、そこを抜けると道路も比較的空いてきて車がスムーズに流れるようになる。
舟屋形式の住宅を見学しようと思うとやはり海側から見学する必要がある。そのために遊覧船に乗船する。現地に到着すると駐車場は大型バスが数台来ていて大混雑で車を停める場所に難儀する。ようやく車を置いて遊覧船に飛び乗るが、船内は団体客もいて押し合いへし合いに近い大混雑。毎度のことであるが、団体客は私のような個人客にとっては人数が多いというだけで迷惑ではある(とにかくやかましいということを抜きにしても)。
舟屋の建物は湾に沿うように並んでいる。遠くから見た印象としては都会によくある一階が車庫で二階が住宅という形式の住居にそっくりである。ただ違うのは一階の車庫の入り口が海中になっていることだけ。この辺りにおいてはそもそも船が今の車の位置づけだったのだろうと思われる。今では船は置いていない家も多いが、それでも数軒は現在でも船を収納してある。
遊覧船で湾を一周して帰ってくると、車で現地を通り抜けてみるが、道路側から見るとやはり単にいささか古い町という印象しかない。この町並みを真に堪能しようと思うとやはり遊覧船に乗るしかなかろう。
道側からだとこんな感じ 海岸沿いの公園より 伊根浦を見下ろす小高い丘の上に道の駅があるので、そこに立ち寄って湾全体を見下ろす。なかなか良い風景である。なおここでソフトクリームを食べたのだが、外で食べるとトンビに襲撃されることがあるから注意とのこと。
伊根浦を後にすると最後の目的地は加悦。ちりめん街道の町として栄えた土地である。国道175号を南下してしばし走行すると加悦町地区に到着する。旧町役場庁舎が観光協会になっているので、そこの駐車場に車を停めてから地図をもらって町並みの散策にはいる。
観光協会(旧町役場)
かつては丹後縮緬発祥の地として繁栄した地域であるが、今では静かな住宅地と言った風情である。ただ所々に立派なお屋敷が見えるところがかつての繁栄ぶりをうかがわせる。あまり商業化していないので落ち着いた町である。
町の裏手の高台には天満神社があるのでそこも訪問。100段を越えるという石段がなかなかハードだが、それでも問題なく一気に登れることに体力の向上を実感。なお天満神社は特別に何かがあると言うところではなかったが、この高台自体は小規模の城郭に向いていると感じた次第。
そろそろ帰途につきたいところだが、加悦を離れる前にもう一カ所だけ立ち寄る。この地にはかつて住民達によって引かれた加悦鉄道という鉄道があったという。自動車時代の波の中で1985年に廃線となったが、その当時の加悦駅舎が鉄道資料館となっているという。
資料館内には往時の加悦鉄道の装備品の展示や、歴史を物語るパネル展示などが行われている。町民達が自力で引いた鉄道であるが、その当時の熱い思いが感じられるような気がする。
加悦町を後にすると帰途につくことにする。ただその前にやはり温泉に立ち寄っていきたい。そこで但東シルク温泉に立ち寄ることにする。日が西に傾きつつある中を山中を抜ける県道を突っ走る。シルク温泉には日没までに到着する。
旧但東町(現在は豊岡市と合併した)はかつて縮緬産業が盛んだったこともあり、シルクロードでモンゴルという発想なのか、モンゴルと国際交流をしており日本・モンゴル民俗博物館なる施設まで建っている。シルク温泉というネーミングもそこから来ているのだろう。また重曹泉の肌当たりの良い泉質も「シルクの肌触り」などと言われることもある。建物がモンゴルのゲルをイメージしているのが特色である。
肌当たりの良い柔らかい湯をタップリと堪能すると、併設されている食事処「たんとう」で10割蕎麦を夕食として頂いてから帰途についたのである。
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