展覧会遠征 篠山編2

 

 さてこの週末だが急遽登山をすることになった。と言うのも今日の夕方、父の誕生日と言うことで中華料理を食べに行くことになったからである。しかし現在ダイエットに取り組んでいる私はこのままではかなり寂しい思いをすることになりそう。そうならないためには是非ともカロリーを消費しておかないといけないわけである。私はダイエットを始めてから毎日運動をしている。それには食事制限による体力低下を防ぐためという意味があるが、実際のところは一番大きいのは「食べるため」である。と言うのも基礎代謝から算出したカロリー量だけではまともな食事が摂れないというのが現実だからである。つまりいくらかまともな食事をしつつ減量するには運動によるカロリー消費が不可欠なのである。

 

 ターゲットであるが、先々週は丹波三城の一つである黒井城を攻略したところであるが、今週はさらに丹波三城の八上城を攻略することにした。八上城は篠山市街を見下ろす位置にある中世山城で、築城は1508年に波多野植通によるとされる。その後、波多野氏の居城として幾多の戦いをくぐり抜けた後、1579年に明智光秀の兵糧攻めで落城、波多野氏は滅亡する。その後は前田茂勝が入城したが、茂勝の改易後にこの地を治めることになった松平康重が篠山城を築いたことによって廃城となっている。

 

 まずは篠山まで車で移動。篠山には昼前に到着する。とりあえず登山の前には腹ごしらえと、篠山の「味の郷土館」に入店。「しし鍋定食(1890円)」を注文する。

   丹波らしく黒豆の碑が建っている

 小鉢と鍋のセット。鍋は煮えるのにしばらくかかるので小鉢を頂きつつ待つ。山芋を加えたという豆腐がなかなかに変わった食感だが美味。

   山芋豆腐は柚子が入ってサクッとした食感

 そのうちに鍋が煮えてくる。ここのしし鍋は白味噌なのが特徴。あっさりしているのにコクがありこれは正解。タップリ入った篠山米のご飯も美味しかったのだが、今の私はこれを半分程度は残さないといけないのが痛恨。

 鍋が煮えてきた

 昼食を終えると軽く甘物が欲しくなる。そこでハーフサイズの栗ぜんざい(450円)を頂く。さすがに丹波地区だけあって、小豆が美味である。ただカロリーが気になるところで、これで何が何でも登山で運動する必要が生じてしまった。

  

 昼食を終えたところで八上城に向かう。遠くから山並みを眺めているとかなり高い山が多い。まさかこの山なのか?と思っていたら、カーナビに案内されたのはまさにその山であった。下から見上げただけでもかなり手強そうである。

 八上城(高城山)遠景

 登山道は寂れた春日神社のところから出ており、手前には車を辛うじて二台停められるぐらいのスペースがある。そこに車を置くと山上を目指す。

左 この鳥居の奥が春日神社  中央 鳥居を抜けてトイレの横に駐車  右 登山口

 登山道にさしかかったところにある広いスペースが主膳屋敷跡。山城は平時には不便なので、ここに館が置かれていたようである。

 ここを抜けるといよいよ本格的に登りになる。道は険しいもののキチンと整備はされている。息を切らせながらしばし登ると鴻の巣に出る。ここが城域の最先端で西からの攻撃に備える番所だとか。もう既にかなりの高さに登ったと思ったが「頂上まで750m 約30分」の表示を見て心が挫けそうになる。

左 本格的な登りが始まる  中央・右 鴻の巣

 ここからさらに息を切らせつつ登ると下の茶屋丸。一気に見晴らしが開けてかなり高度があることを実感できる。ここも西からの攻撃に備えた陣地だとか。ここの表示は「頂上まで約700m 約28分」。確か先ほどのところから10分ぐらいはかかった気がするんだが・・・。ここからは中の段と呼ばれる曲輪がダラダラと続いている。山の中腹のやや平坦な部分であり、ここには倉庫や兵の詰め所があったのではないかと思われる。

左 下の茶屋丸  中央 既にかなり高い  右 振り返ると中の段、その先に山頂が見える

 中の段を抜けていくと上の茶屋丸。頂上までは26分とのこと。いや、さっきのところから2分ということはないと思うんだが・・・。

 上の茶屋丸

 登りはここから本格的に牙をむく。情けないことに足がすぐに悲鳴を上げる。息も切れ、足もつりそうになったところでようやく前方に石垣らしきものが見える。これが右衛門丸跡。ここに城主の屋敷があったのだとか。

  

ようやく右衛門丸跡に到着

 ここからは三の丸、二の丸と城の主要部が続く。険しい山上の割にはそこそこの面積がある。さすがに名将・明智光秀をもってしても攻略に苦労した城だけのことはある。こういういかにも城郭らしい遺構が見え始めると、現金なもので先ほどまで死にかかっていた呼吸が落ち着き、つりかかっていた足も動くようになる。

左 右衛門丸の一段上が三の丸、さらに奥は二の丸  中央・右 三の丸

左 二の丸に上がる  中央 奥は本丸  右 本丸登り口

 二の丸の奥にある小高い部分が本丸。今は石碑が建っている。本丸部分はそう広いというほどではないが、それでも建造物を建てるには十分な面積がある。ここには望楼を築いて監視所兼指揮所になっていたと推測される。本丸の裏手には重臣の館跡だった岡田丸があり、そこからは本丸の石垣も見ることができる。

左・中央 本丸風景 右 石碑は滅亡した波多野氏に対する慰霊碑か

左 かなりの高度だ  中央 上から見た岡田丸  右 裏手の水の手方向への降り口

左 岡田丸に降りてみる  中央・右 本丸の石垣が残っている

 本丸まで到着したところで伊右衛門で一服。火照った体をクールダウンする。さてこれからだが、元来た道を降りても良いが、それはあまり面白くない。そこで裏手の側に降りていくことにする。

 裏手は水の手だったようで、尾根筋に蔵屋敷と番所がある。さらにこの方面からの攻撃を防ぐための竪堀が残っている。

左 尾根筋に進むと  中央 蔵屋敷跡  右 番所跡

左 この手の施設が続く  中央 大竪堀を上から  右 大竪堀の底

 ここから尾根筋沿いに降りていくと、途中にあるのがはりつけ松跡。落城の際に人質とした光秀の母が磔にされた松の跡だそうな。今では木はないが、江戸時代ぐらいまでは松の木があったとか。この事件が光秀が信長を裏切る原因になったなどという説があるが、そもそもこの事件自体が後世の創作である可能性が極めて高く、未だに光秀の謀反の理由は謎の中である。

  

はりつけ松跡

 ここからなだらかな尾根筋沿いに馬駈場などを抜けていく。城域の一番端と思われるのが茶丸跡。かなり城域が広大であることが分かる。しかも波多野氏は周辺にもさらに城郭を築いていたらしいから、三好氏や松永氏との抗争を通じて建造された難攻不落の要塞だったのだろう。

左 尾根筋をさらに進むと  中央 馬駈場を抜けて  右 茶丸跡に出る

 茶丸跡からはひたすら山を下る。人家近くまで降りてくると動物を防ぐための柵が築かれている。かなり大がかりな閂をつけてあることから、恐らく猪でも出るのではないかと思われる。実際、山を登っていた時にも栗の木が多い上にところどころ動物によって掘り返された跡があることから、少なくとも猪ぐらいは確実にいる(場合によってはクマもいるかも)と感じられてはいた。そう言えばこの山に登る前に猪を食べたんだった。

   

この高度から延々と降りてくると、最後に出くわすのが動物よけのフェンス

 とにかくいかにも中世らしい巨大な山城であった。車を置いた場所からかなり東に降りてきてしまったので、ここからは山をみながらしばしの散策になる。ようやく車のところに到着したら、最初は居なかった車が一台止まっていた。同好の士だろうか。

    マンホール蓋と一里塚

 八上城の見学を終えるとしばし車を走らせる。目指すは兵庫陶芸美術館。私の遠征はあくまで「美術館遠征」である。

 


「現代陶芸の巨匠たちの美と技−富本憲吉・清水卯一・松井康成−」兵庫陶芸美術館で2/24まで

 

 現代陶芸の大家三人の作品を集めた展覧会。

 作風は三者三様であるが、富本憲吉は個人的には金彩の煌びやかな器の印象が強いのだが、本展ではそれ以外の白磁などのより地味な作品も展示されており、彼の作風の広さを感じさせられた。

 清水卯一はとにかく素地と釉薬に凝った作家。一生をかけてそれを追究していたとのことだが、その真摯な姿勢とは対照的に晩年の作品には遊び心タップリで茶目っ気のあるものが多い。

 色の異なる土を組み合わせて紋様を作る「練上手」の技法を駆使した松井康成の作品は、とにかくカラフルで紋様に凝ったものが多く、ある意味で一番「芸術」を志向している印象がある。どうやらその色の組み合わせや肌合いのみに力点を置いているようで、器としての形態は単純な上に実用性は考慮していないものが多い。 

 このような対照的な作風の大家の作品を並べられると、陶芸については全く興味のない私でもなかなかに楽しむことが出来た。かなり有意義であった。


 

 美術館の見学を終えると、やはり温泉で汗を流したい。近くのこんだ薬師温泉ぬくもりの湯を目指す。人気があるのか駐車場には多くの車が止まっている。

 

 こんだ薬師温泉自体はあまり特徴のある泉質ではない。源泉掛け流しを謳っているが、その割には新湯のような肌あたり。また露天風呂の方は塩素消毒の臭いも少々キツイので内風呂に戻って源泉風呂を中心に入浴。やはり人気のある施設では湯の劣化も仕方ないのか。実際、かなり多くの子供も見かけたし(中には浴槽にタオルを浸けて遊んでいる者もいたので、さすがに見るに見かねて声をかけた)。

 

 サッパリと汗を流したところで本遠征は終了である。再び高速に乗ると家路へと着いたのである。結局は八上城攻略の登山が大きく効いて、ザッと計算したところで消費カロリーは軽く1000キロカロリー以上、朝食で鍋と甘物を摂った分をさっ引いてもかなりのおつりがくる計算となり、余裕を持った上でこの夕の宴に臨むことが出来たのである。

 

 

 戻る