展覧会遠征 下関・広島編
さて新年である。新年最初の三連休であるこの週末も当然のように遠征の計画を立案した。今回の目的地は下関&広島。主目的は広島で開催される展覧会の訪問だが、三連休であることだし、広島まで行くならすぐ隣の下関まで行っても大して変わらないだろうという考えである(下関がなんで広島の隣なんだというツッコミが聞こえてくる気がするが)。下関での目的地は長府。毛利氏ゆかりの土地で毛利邸などが残っている。実は先の九州遠征の際に帰路で下関に立ち寄ろうという計画があったのだが、九州東岸の交通事情が私の想像以上に劣悪だったせいで関門海峡を渡った頃には私はヘロヘロになっており、秋吉台の鍾乳洞に立ち寄るだけで精一杯だったのである。そこで新年早々宿題の解決というところである。
ところで私には命がけで片付けなければいけない全く別種の大宿題も発生していた。以前より私は血液検査においてHbA1cの値が高いことを指摘され、血糖値コントロールの薬を服用することになっていた。ただ空腹時血糖値の値自体はそう高いわけではないのでやや油断していたところがある。しかし最近の検査でHbA1cの値がかなり悪くなっていることを指摘されたことから、一度一日の血糖値変化を記録してみようと考え、母が持っていた血糖値測定器を借りて一日の血糖値変化を追跡してみた。その結果、食後2時間後の血糖値がなんと300オーバーというとんでもない事実が判明した次第。血糖値300オーバーというと押しも押されぬ糖尿病(というか、既に糖尿病の診断は下っていたのだが)。それも下手をすれば緊急入院レベルである。道理でHbA1cの値が異常に高いわけである。血液検査の値を見た時は「もう既に棺おけに片足を突っ込んでいる状態だな」と思っていたのだが、片足どころか実はもう既に両足を突っ込んでおり、後はふたをして釘を打てば終了の状態であったわけである。これはさすがの私にもかなりのショックだった。このままの生活を続けていれば、いずれ末梢血管からやられて糖尿病性の失明なんてことにもなりかねない(実際に私の祖父はこれで失明している)。私の頭の中には「腕が腐るぞガガンガン!足が腐るぞガガンガン!メタボの地獄だ糖尿末期」という鋼鉄ジーグの替え歌が流れたわけである。
とにかく早急に傾向と対策を施すしかない。そこでさらに各種実験及び調査の結果、私はとにかく炭水化物に対する反応性が高く、ご飯類を食べ過ぎると直ちに血糖値が跳ね上がること、さらに食後の運動によってその上昇をかなり押さえ込めることなどが分かってきた。そもそもこのような危険な体質の原因はメタボ体型に尽きる。つまりは早急に減量する必要があるという結論に至ったわけである。計画実行のために私が導入したのはiphoneのアプリの「カロリー管理」。メニューから一日の摂取カロリーの概算ができるという優れものである。早速これを使って私の一日の摂取カロリーを計算したところ・・・全く節制ができていなかった。というわけで食生活を根本から組みなおす必要があるということも判明した次第。
以上から、私の今年の行動目標は「スマートライフ」というものになった。これは体をスマートにするということの他、あちこちに溜まっているオタク的しがらみも一掃することを目指すという意味でもある。さて「リアルくまモン」とか「可愛くないトトロ」などと呼ばれている私がそのイメージを一掃できるか・・・できなければ、そう遠からぬ将来に西の浄土に片道遠征に行く羽目になりかねない。というわけで今回の西の浄土ならぬ西の下関への遠征は、食生活にも注意しつつというものになってしまったのである。
土曜日の早朝に目覚めるとまずは朝食を摂る。朝食はトーストにハムにコーヒー牛乳。トーストは結構カロリーが高いのでリスクはあるのだが、今日はこれから下関までのハードな長距離ドライブ。ガス欠になって注意力散漫になっても危ないのでガッツリと食べておくことにする。その分は後で調整するしかない。
早朝の山陽自動車道を下関まで突っ走る。iphoneをカーコンポにつないでBGMをかけながらの快適なドライブ・・・と言いたいところだが、さすがに少々疲れる。途中のSAで休憩を取りつつなるべく無理は避けたが、それでもやはり途中でガス欠気味になったのでコロッケを1つ食べる。推定カロリー185kcal。やはり揚げ物は結構高い。
ところで高速道路を走っていると意味不明の行動をするドライバーがいるが、SAから本線に合流する時にまるでスーパーから国道に出る感覚で、時速20キロぐらいの無加速でいきなり本線に入ってくるドライバーは馬鹿なのか死にたいのか? 危うくこっちが巻き込まれて死ぬところだった。日本はやはり運転適性皆無のドライバーにまで免許を与えすぎである。
下関には昼過ぎに到着する。途中でガソリン警告が出たが、下関ICを降りてもGSが見つからなくて焦る。カーナビに載っているGSも現地に着くとつぶれていたりする。ようやく給油できたのは、最初の目的地の下関市立美術館のすぐ近くであった。
「ポール・デルヴォー展 −夢をめぐる旅−」下関市立美術館で1/14までベルギーの画家でシュルレアリストの一人に挙げられるデルヴォーの展覧会である。
デルヴォーは子供の頃からよく絵を描いていたらしいが、親の反対によって建築科に進んだという。しかしそこで数学が落第して挫折、その後に理解者の後押しなどもあって美術科に進んで画家の道を歩んだという。
建築科を経験しているということは彼の作品に端的に現れている。私は以前から彼の作品に見える非常に精緻で幾何学的な構造物などが気になっていたのだが、建築科に進んだという経歴からそのことが非常に納得できた。その目で改めて彼の作品を見てみると、機械や建物に対する書き込みが非常に細かい。このような精緻な背景と、艶めかしいが妙にざっくりと描かれた裸婦の組み合わせが、どことなく現実離れして見える世界を構成しているのである。
なおシュルレアリストに挙げられるデルヴォーだが、彼自体は決してシュルレアリスムに傾倒していたわけではないという。あくまで自分の世界ありきで、その表現に対して最も好都合な手法を使ったにすぎないという。確かに彼の作品は現実離れした感覚はあっても、マグリットやデ・キリコのような完全に異空間にはなってしまっていない。
本展のおかげでデルヴォーという画家に対する理解が深まった。非常に有意義な展覧会であった。
美術館の見学の後は、向かいにある長府庭園を覗く。長府庭園は毛利長府藩の家老格、西運長の屋敷跡である。池を中心にした日本庭園で四季折々の草花を楽しめる・・・とのことなんだが、さすがに真冬の今ではかなり殺風景である。ただこの庭園を一周していると、山と川と湖といった自然のあらゆる風景がこの限られた空間に集約されていることがよく分かる。日本庭園というのは森羅万象を再現したひとつの小宇宙だということを感じさせられる。
長府庭園の次には近くの「櫛崎城」を見学に行く。櫛崎城は中世頃に築かれたと言われている城で、戦国期以降には毛利秀元が支城として使用していたが、一国一城令によって取り壊されたという。現在は関見台公園として整備されている。
櫛崎城遠景
公園の駐車場に車を停めると山上に上る。山上には最近になって展望台として整備されたらしいやけに綺麗な石垣がある。この石垣の形態についてはどれだけ史実を踏まえているかについては疑問。なお山上のスペースはそう広いものでもないので、城郭の規模としては中規模のものと考えられる。廃城後は麓の館のみが使用されていたと聞くので、そもそもは山上の施設と麓の館を組み合わせての一つの城だったのだろう。
左 登り口 中央 山上には綺麗すぎる石垣が 右 石垣上から曲輪を見下ろす 山上には鯨を模した建物があるが、これはかつて下関水族館がここにあった頃の施設だとか。今では完全に廃墟となっている。この地でもかつては捕鯨が盛んであり、今でも鯨食の文化は残っている。環境テロリスト団体シーシェパードは捕鯨を野蛮で邪悪なもののように断じるが、その考えは明らかに「有色人種の文化は劣等である」という人種差別思想に基づいている(だからこそ未だに人種差別意識の強いオーストラリアで特にもてはやされるのであるが)。そんな横暴は許されるものではない。それにそもそも大型鯨類を乱獲してその個体数を激減させたのは欧米人なのである。また魚は取って鯨は取らないという行為は明らかに自然のバランスを崩す行為であり、自然保護の観点からも矛盾している。
鯨館は今は廃墟 櫛崎城の見学を終えた後は「勝山御殿」を見学することにする。勝山御殿は幕末に攘夷を実行すべく外国船への砲撃を開始して緊張の高まった長州において、藩邸を海に近すぎる櫛崎城から内陸に移すために突貫工事で築かれた。御殿と言ってはいるが、いざという時の戦闘も想定した城でもある。
勝山御殿跡は最近になって発掘調査も進んで、今では公園として整備されているという。櫛崎城からかなり山の方に進んだ先にあり、手前から三の丸、二の丸、本丸と連郭式の構造になっており、奥の本丸は二段に分かれている。
左 二の丸から見た本丸石垣 中央 本丸、奥が本丸奥の段 右 本丸奥の段 本丸奥の段 実際に現地を訪れてみると、明らかに砲撃戦が主となった幕末の城だということを感じさせられる。ここは石垣の高さはそう高くはないが、縄張りはかなり奥に深い構造となっている。弓矢に槍の時代は城は上へ上へと高くなる方向に向かったが(その方が戦闘時に有利)、砲撃戦になると高い櫓などは単なる砲弾の的であり、それよりも奥に深い縄張りで砲弾を受け止めることの方が効果的になる(最も端的にそれを実現しているのが五稜郭)。
左 奥の段から本丸を振り返って 中央 本丸入口 右 本丸入口、外から ただおかげで城として考えた場合には縄張りは単純至極、しかも今では建造物等はないので単に石垣で段差をつけられた平地が広がっているだけである。城マニアとしてはもう少し見所が欲しかった気はする。
時間的には勝山御殿を訪問する前に昼食を摂りたかったのだが、途中で良い店がなかったので、結局は勝山御殿訪問後に再び長府市街にまで戻ってきたところで回転寿司に入店する。寿司は魚はよいのだが、舎利は炭水化物なので要注意である。普段に比べてかなり抑え気味の昼食となる(支払いは1440円)。
ようやく昼食を終えたところで長府市街を見学しておくことにする。観光センターの駐車場に車を停めて旧城下町をプラプラと散策。観光バスなども来ていて、団体客がゾロゾロと歩いていたりで、結構メジャーな観光地という印象である。ただ町並みにはなかなか趣はあるのだが、よく見ると門構えなどは往時の面影が残っていても、建屋自体は現代式になってしまっている住宅が多く、残念ながら角館や知覧ほどの風情はない。
長府藩侍屋敷長屋(市指定文化財) 古江小路の町並み 中央 管家長屋門(市指定文化財) 右 マンホール蓋も下関らしく 毛利邸、乃木神社などを一回りして戻ってくる。乃木神社内には乃木希典の生家が復元されている。地元のヒーローというところなのだろう。ただ私は乃木希典については、確かに高潔な人物だったのだろうとは思うが、司令官としての技倆については大いに疑問を持っている。
毛利邸 左 乃木神社 中央 乃木希典像 右 乃木の生家 これで今日の予定は終了、ホテルに向かうことにする。今日の宿泊予定ホテルは「下関ステーションホテル」。大浴場付きで安価な宿泊料金というポイントで選択したホテルである。
ホテルにチェックインするとしばし休憩の後に夕食に繰り出すことにする。やはり下関に来たからにはふぐが食べたくなってきた。今回の遠征の課題の一つには「費用を安く上げる」ということもあるので、ふぐはどうするか悩んでいたのだが、どうも下関という町はバスのシートからマンホールのふたまでふぐ尽くしで嫌でもふぐを食べるように洗脳するシステムになっている。
ふぐを安く食べられる店と言えば一軒心当たりがある。訪れたのは以前にも訪問したことがある「きんかん」。ふぐ料理店ということではあるが、ふぐ以外にも丼類にうどんなどもあるという食堂的な店である。注文したのは「てっさ」と「ふぐちり」に「鯨のカツ」。
やはりテッサはうまい。この淡白な刺身が無性にうまい。紅葉おろしのピリッとした風味と良く合う。ふぐちりは骨周辺の身が入っているので骨をすする感じ。食べにくいが、実はこういうところの身がうまいのが魚。なおうまさでは印象的だったのは鯨のカツ。やはり鯨はうまい。動物愛護を隠れ蓑にした人種差別主義者団体であるシーシェパードに妨害させるべきではない。
本音としては最後は雑炊辺りで締めたいところだが、血糖値が気になるので今回は我慢しておく。以上にウーロン茶で支払いは3750円。至極妥当な価格である。
夕食を終えてホテルに戻ると大浴場で入浴してマッタリ。このホテルはこれを条件で検索したホテルである。やはり手足を伸ばせる風呂はありがたい。
風呂から上がってしばらくするとやはり体がつらくなってくるので、ここで夜のデザートにする。ここで食べたのはセブンイレブンで買ってきたワラビ餅。他のデザートが軒並み300kcal超の中でこれだけが170kcal。今日一日で1万2千歩いっているので、その分の消費カロリーでおつりがくるはず。ただいささかデザートとしては寂しいものもある。やはりマービーの低カロリーデザートを持参するべきだった。これは反省。
さらに夜が更けてきて空腹を感じてきた時に出してきたのは「ワカメと大根のサラダ」。サラダと言えばそれだけで健康イメージがあるが、実際にはハムや蒸し鶏などが入っている系統のサラダは意外とカロリーが高い。結局カロリーが一番低かったのがこれ。また注意が必要なのがドレッシング。下手なドレッシングを選ぶとサラダ自体よりもカロリーが高い。実際、このことを全く考えずにダイエットのためにサラダを食べ続けていた女性が、実はドレッシングのせいで超高カロリー食になっていたなんて例もある。私が選んだのはノンオイルの青ジソドレッシング。以上で35kcal程度。
ただ炭水化物をかなりカットしているのは空腹感に直結している。しかも私の体は今まで高血糖状態に慣れすぎていたようである。実際以上に血糖値の低下を苦痛に感じるようである。結局はこの夜はひもじく、わびしく、切なくすごす羽目になってしまったのである。
☆☆☆☆☆
昨晩はいささか空腹がこたえた。少々炭水化物を抑えすぎたかもしれない。コントロールが難しいところである。翌朝起床するとまずは朝食に向かう。おにぎりやパンに若干のおかずといった無料の簡易朝食。ただメニュー的に炭水化物系ばかりなのが気になる。おにぎりが空腹の身に染みるが、食べ過ぎないようには注意する。
ホテルをチェックアウトしたのは8時30分。さて今日の予定だが、今日は柳井に立ち寄ってから広島まで移動する。目的地は柳井の重伝建地域。山陽道を昨日の逆に突っ走ると玖珂ICで高速を降り、柳井に向かって南下する。
柳井は江戸時代に岩国吉川家の領地として商業が発達、その頃の名残をとどめる白壁の町並みが重伝建に指定されている。柳井に到着するといきなり唐突に白壁の町並みが現れる。とりあえず町外れの有料駐車場に車を停めてから観光案内所でマップを入手、どうやら観光客向けの無料駐車場があるらしきことが判明したのでそちらに車を移動する。
柳井の町並み 左 観光案内所 中央 柳井の町を守るヒーロー 右 マンホール蓋 重伝建地区には趣のある家並みが残っている。観光客を相手の商売をしている家も少なくない。そんな中で「やないサイダー」というご当地サイダーを見つける。カロリー制限中の身だが、これはゆはりはずすわけにはいかないだろう。温州みかんが入っているということで、サッパリとしていてなかなか爽やかである。
地場の醤油の醸造所などもあるのでそこも覗く。内部ではもろみの仕込み中で、醤油の甘辛い匂いが漂っている。この匂いをかぐと反射的に食欲が刺激されそうになるので危ない。なおここの表では仕込みに使う地下水が湧いており、近所の人がペットボトルで汲みに来ていた。一口舐めると軟水のクセのない水であった。
重伝建地区を一回りした後は昼食を摂る店を探すことにする。なお柳井の重伝建地区はそう広くはない。それと柳井の町で気になったのは、かつて商業で繁栄したという地域に関わらず、現在ではほとんど活気らしいものがないこと。駅前までプラプラと歩いたが、日曜のせいもあるのか人通りがほとんどなく、開いている商店もあまりない(と言うか、商店自体が少ない)。昼食を摂る店を探していたのだが、飲食店自体がほとんどないのにはまいった。ようやく見つけたのは、柳井ビジネスホテルというかなり年季の入ったホテルの1階にある「和風レストランやない」という店。
注文したのは「とんかつ定食(840円)」。正直なところ建物の外観からは駄目駄目オーラが全開だったのだが、存外内部は客が多いし(多分地元民)、出てきた料理もまともなものでCPを考えると決して悪くない。
ただ今の私はご飯を全部食べるというわけにいかないのがつらい。よく腹八分目に医者要らずなどと言うが、今の私は腹八分目どころか六分目ぐらいである。
昼食を終えたところで広島に移動することにする。車に戻って、ipadでホテルの場所を確認して・・・と思ったところで異変に気づく。ipadがネットにつながらない。よく確認するとipadとiphone5のbluetoothがつながらなくなっている。ちなみに私のipadは第三世代のapple再生品を購入している(第四世代と第三世代では実質的に中身に差がないと判断してのことである)。購入したのは64GのWi-Fiモデル。そのために外でネット接続する時はiphone5とbluetoothで接続してiphone5のテザリングを使用している。しかしどうやってもbluetoothがつながらず、互いに「電源が入っているか確認して下さい」と出るだけ。それどころかそもそもiphone5でテザリングをする時に不可欠の「インターネット接続を共有する」の項目が設定から消えてしまっている。購入したのが再生品だし、もしかして故障したか?とも考えるが、とにかくここではどうしようもないので問題は保留のままで広島に移動することにする。
柳井から広島までは高速に乗るとすぐに着く。今回の私の広島での宿泊ホテルはドーミーイン広島。契約駐車場がホテルから遠いのが難点のホテルである。
ホテルに到着すると、まずは持参したノートPCを有線LANでネットに接続して情報検索。するとどうやらiphone5でテザリングが出来なくなるという怪奇現象は結構よく起こるらしい。対処法だが、Wi-Fiやらの項目を一端オフにしてから再度オンにすると治るなどと書いてあるのだが・・・その通りにやってもやはり「インターネット接続を共有する」の項目が出てこない。結局は全設定をガチャガチャと切ったり入れたり、すると唐突に項目が復活する。ただしどこで治ったのかは私にも分からない・・・。
次はbluetoothの問題である。まずハード的に死んでいないかを確認するため、ipad及びiphone5のそれぞれをポメラに接続してみたところ、どちらも問題なく接続される。どうやら駄目なのはipadとiphone5の間だけのようである。そこで双方のプロファイルを消去して再度ペアリングからやり直すことにするが、検索をかけても互いを認識しない。もうこうなったら全くわけが分からない。ぶち切れそうになりつつ、また設定をガチャガチャ。すると唐突にペアリングが行われる。正直なところ全くわけが分からない。appleはユーザーをなめとんか!! 自分がappleから見れば、単なる奴隷の一人にすぎないのだということをつくづく思い知らされる。
結局はappleに振り回されて1時間ほどを空費してしまった。気がつけば夕方である。釈然としないところはあるものの、とりあえずiphoneの問題が解決したところで夕食に繰り出すことにする。訪問したのは「みやまえ」。注文したのは穴子のてんぷらと牡蠣フライ。
穴子のてんぷらはサクサクでなかなか。牡蠣フライもまずまずなのだが、驚いたのはこれにウーロン茶で支払いが3510円ということ。先日の「きんかん」と同じぐらいの額である。どうも価格が1.5倍という印象。料理は悪くないのだがCPが悪い。
気持ちとしてはご飯ものが欲しいのだが、今日は昼もトンカツ定食だったし、カロリーに余裕がない。そこでやむなくご飯はなし。しかしこれは満腹感という点ではかなり厳しい選択。結局はこの夜は空腹をわらび餅と野菜サラダで誤魔化しつつ、早めに就寝することとなったのである。
☆☆☆☆☆
昨晩は腹が減りすぎたせいかあまりよく眠られなかったような気がする。7時頃までゴロゴロしてから朝食を摂りに行くことにする。頭の中でおおよそのカロリーを計算しつつ、ガス欠にならない程度の食料は腹に入れておく。かつては朝から大量にワッフルなんかを腹に入れていたのだが・・・。
さて今日の予定であるが、まずは広島市内の美術館に立ち寄ってから長距離ドライビングをすることになる。最初の目的地はひろしま美術館。開館時間は9時なので、それまで朝風呂でも浴びながらマッタリと過ごす。ホテルをチェックアウトしたのは8時40分頃。ちょうど美術館には9時に到着する。
「ルドゥーテのバラ展」ひろしま美術館で2/11まで
フランス革命前にはマリー・アントワネットに仕え、革命後にはナポレオン后のジョゼフィーヌに気に入られて、「花のラファエロ」とか「バラのレンブラント」と呼ばれたというピエール=ジョゼフ・ルドゥーテの展覧会。
彼の作品はボタニカル・アートの金字塔などと言われているというが、要は彼が描いたのは植物図鑑の図絵である。その性質上必要とされることは、とにかく精密に正確に被写体を描くこと。彼の作品はいかにも精緻であり、葉に虫食いの跡があるところなどまで妙に生々しい。
絵画自体が非常に美しいし、これだけの種類のバラがあるのかと博物的な興味もそそる(特に私にはバラには見えないようなバラも多数)。そう言う意味では鑑賞していて楽しめるのは事実。ただ芸術的感慨というものはない。そこは図鑑の絵である。
これで広島での予定は終了。そもそも当初予定では本展は昨日訪問するはずだったのだが、ホテルに到着してからipadに振り回されている間に時間がなくなってしまったのである(長時間運転の疲労のために気力もなくなっていたが)。当初予定よりは遅れてはいるが、次は豊島御手洗まで移動することにする。呉市の大崎下島にある豊島御手洗地区は、鞆の浦などと同様に瀬戸内水運の風待ちの港として栄えた。現在もその時代を伝える町並みが残っており、重伝建に指定されている。
朝の天気予報では広島でも積雪の可能性があるとのこと。実際に昨晩辺りから降雪があったようで、山陽自動車道の一部区間(広島北部の山岳地帯)で積雪のために車が立ち往生して通行止めになっているとの情報も入っている。天候が気になるところであるが、まさか瀬戸内の島嶼地帯まで積雪することはあるまい。どちらかと言えば朝からぱらついている雨の方が気になる。
御手洗地区がある大崎下島までは呉から島伝いで橋を渡っていくことが出来る。まずは呉まで広島呉道路を走行。途中では雨がぱらついたりなどあまり天候はよくない。終点の呉で降りるとそこからは国道165号をひたすら東進する。165号は呉市内では車がひしめく渋滞道路だが、市外から離れるに連れて車の量が減ってくる。仁方駅を過ぎたところで国道からそれると安芸灘大橋有料道路で下蒲刈島へと渡る。ここは以前に蘭島閣美術館に立ち寄る時に通ったことがあるが、その時にはバスでこの橋を渡っている。ついこの間のような気がするが、確認してみるともう3年近く経っている。月日の流れの何と速いことか・・・。
今回は蘭島閣美術館に立ち寄る予定はない(というかその時間的余裕がない)ので、海沿いまでは降りずに山岳中腹の道路を次の橋まで走る。この辺りの島をつなぐ橋は船の邪魔にならないようにかなり高い位置にかかっているので、橋を結ぶアクセス道路はいきおい山の中腹を回るようになるのである。以前に下から見上げた大きな鉄橋を渡ると隣の上蒲刈島へと渡る。
上蒲刈島は比較的大きい島。この島の南岸を海沿いに走る。それにしてもこの辺りの島は山が険しい。元々島自体がみんな山の頂上だったのだろう。その険しい山の周辺にへばりつくように人が住んでいる。しかし気になるのは、住宅地がほぼ0メートル地帯なので、もし津波などが来たらひとたまりもないこと。その時は背後の山に逃げることになるだろうが、断崖絶壁でとても登れそうにないところも多い。
上蒲刈島の東にまで達すると、また橋を渡って隣の豊島に渡る。豊島では北岸の海が荒れれば波を被りそうな道路を走る。東岸の住宅地を避けて山岳道路をグングン登るとその先がまた橋であり、そこを渡るとようやく大崎下島である。
目的の御手洗地区はこの島の東岸にある。海沿いをひたすら走る。こうして海を見ながら車を飛ばしていると、かつてこの海で活躍した水軍に想いを馳せることになる。確かにこれだけ複雑に島が入り組んでいる内海だと、水軍にとっては格好の活躍の場である。島の住民は元を辿ればその末裔なのだろう。
フェリー乗り場を通り過ぎると御手洗地区までは5分ほどで到着する。地区のはずれには無料の町営駐車場があるようだが、その手前に飲食店が経営する駐車場があり、昼食を摂れば駐車料金は無料とのことなので、ついでに昼食を摂っていくことにする。
立ち寄ったのは「脇坂屋」。和食の店であるが、船宿と書いてあるように宿泊も可能であるようだ。魚中心のメニューが目を惹くが、私が注文したのは「豆腐御膳(1200円)」。
この豆腐御膳は「小山さんちの豆腐御膳」と書いてあるが、使っているのはかなりしっかりした豆腐である。これは頑固豆腐と言って、船人に渡すための豆腐だとか。しっかりしているだけでなく、かなり豆の味が強い。非常に濃い豆腐という印象で、今時のスーパーの豆腐などでは味わえない風味である。だから刺身で頂いても、揚げ出し豆腐で頂いても非常に旨い。
腹を満たしたところで町並みの見学に移る。町並みは基本的には江戸時代の面影をとどめているが、所々にもっとモダンな建物も入り交じっている。しかしそれはそれでなかなかに風情がある。
右 「國定教科書取次販賣所」というのが泣ける 町の中央付近には若胡子屋という御茶屋も残っている。往時にはかなり繁栄した町だったのだろうと思われる。
若胡子屋 左 乙女座 中央 海辺の風景 右 船宿 最後は町を見下ろす山の上に上がる。かなり息が上がってしまうが、恐らく万一津波というような時にはここを駆け上がるしかないのだろう。なおさらに上に歴史の見える丘公園なる公園があるが、とても上がる気にはならない(その体力も時間もない)。
町並みの見学を終えたところでフェリー港まで走る。橋でまた呉まで戻るのはあまりに遠回りなので、帰りはフェリーを使おうと考えている。大崎下島の小長港から大崎上島の明石港までフェリーが出ており、大崎上島を縦断して白水・垂水港に行けば、そこからさらにフェリーで竹原に渡ることが出来る。小長港では竹原までの乗り継ぎチケットも販売されている。ただ問題は小長−明石のフェリーは便数が少ないこと。そこで昼の間に合うように急ぐ。
港に到着するとしばし待った後にフェリーに乗船。フェリーに乗り込んだのは車5台ほどと徒歩の乗客数名。小型フェリーは十数分で対岸の明石に到着する。
明石行きフェリー
大崎上島に上陸すると北側の港を目指す。白水と垂水からは大体30分交代ぐらいで竹原行きのフェリーが出ているので、到着時間でどちらの港に行くかを判断する必要がある。とりあえずカーナビに従って手前の白水港に行くルートをとったところ、どうやら中央の山岳地帯を突っ切るルートをとってしまった模様。瀬戸内の島は小さい島でも結構高い山がある。ここも山の上の方には雪が残っている。それにしても私のカーナビはどうしてこうも山道が好きなのか。
山越え中に一枚
白水港にフェリー出発時刻の10分前ぐらいに到着したので、ここから竹原に渡ることにする。竹原行きのフェリーは先ほどのフェリーよりは一回り大きい船。数台の車(含む大型トラック)が乗船して40分程度で竹原に到着する。
フェリーで竹原へ
竹原からは河内ICで山陽自動車道に乗って帰途についたのである。河内ICに向かう途中の山越えルートは、私の通った時には既に雪はなかったが、路面が凍結していたのか派手な事故が起こったようでその片づけ中であった。山陽自動車道も一部は50キロ規制がかかっていたが、概ね路面はドライコンディションで走行には全く問題なく帰り着くことが出来た。
下関及び広島地区の宿題を片づける遠征であった。ただ突然に食事の制限が付いたことで、切なくて侘びしくてひもじい遠征になった感もある。ただそれでもテッサと牡蠣フライは食べてきた。白身のフグと牡蠣は共にカロリーがあまり高くないのが救い。さすがに松阪牛だとこういうわけにはいかない・・・(もっともカロリーよりも金の方がないが)。
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