展覧会遠征 吹屋編
ここのところ梅雨の豪雨が続きなかなか外出もままならなかった。しかしこの週末は嵐の後で晴天。これはどこかに出かけるべきではという気が起こってきた。さて目的地だが、頭に浮かんだのは吹屋。かつてベンガラで栄えた町で、往時の町並みが今では重要伝統的建造物群保存地区に指定されている。だんだんと「日本再発見」色が強まる私の遠征では、町並み保存地区なども訪問対象として重要性を増しつつあるのであるが、その一環である。
当初は日曜の早朝に出発するつもりだったのだが何だかんだで見事に寝過ごし、結局は予定よりもかなり遅めに出発することになってしまった。とりあえず山陽自動車道と岡山道を乗り継いで賀陽ICを目指す。
賀陽で高速を降りると後はひたすら山道を走るだけ。吹屋のアクセス案内を見ると、大回りになるが道幅の広いルートと距離は近いが道幅の狭いルートがあるらしい。私は後者を経由したのだが、私の通った県道は途中で車のすれ違いが不可能なポイントが多々ある正真正銘の山道。しかも先日来の大雨で土砂崩れでも起こったか、あちこちで路面に土砂が転がっている状態。下手くそドライバーや馬鹿が入ってしまうとどうしようもないルートである。道理でこの道は勧められていなかったはずだ。
そのとんでもない道をようやく抜け集落に出てくると、最初に出くわすのが元仲田邸。江戸時代の庄屋の伝統を引き継ぎ、明治中期に建築された住宅だとか。現在は高梁市に寄贈されて研修宿泊施設として利用されているとか。
元仲田邸 ここを抜けると再びかなり狭い道を川沿いに北上することになる。途中で赤壁の建物が密集する地域を通過するが、これが下谷地区とか。ここにはかつて黄金山城という城郭があったらしいが、その遺構が残っている様子はない。とりあえずここを通過すると先を目指す。
やがて赤壁住宅の通りにたどり着く。これがいわゆる吹屋ふるさと村のメインストリートである。とりあえずは一番奥の無料駐車場に車を止めると散策に出る。
吹屋の町並み 北側に歩くと山神社や資料館があるが、山神社は小さな社があるだけで人の気配がないし、資料館は何やら民具が適当に並べているだけ。そこでプラプラと南下していく。
左 資料館 中央・右 内部は物置状態 山神社 最初に出会うのは旧片山家住宅。弁柄(ベンガラ)とは化学的には酸化鉄を用いた鉱物顔料であるが、吹屋の場合は銅山の捨て石から緑礬(ローハ)を合成し、それを原料としてベンガラを合成したというのが一番の特徴。吹屋製のベンガラは建材から塗料、陶磁器の絵付けの顔料などとして広く用いられ、ベンガラ製造によって多くの豪商が誕生した。片山家もその一つである。しかし銅山が閉山になると共に片山家でもベンガラ製造も廃業、片山家住宅も所有者から平成14年に成羽町に寄贈されて今日に至っている。なお現在、この住宅は国の重要文化財に指定されている。
左 旧片山家住宅 中央 内部 右 裏手にはベンガラ製造用の施設も 内部 とりあえず見学のためにこの施設以外でも使用できる周遊券を購入する。片山家住宅は典型的な商家の建物であるが、奥にベンガラ製造用の建物が付属しているのが特徴である。
片山家住宅の次は向かいの郷土館に入館する。こちらは片山家の分家が明治になって建てた住宅とのことだが、かなり細工に凝った贅沢な造りなのが特徴。また隠し部屋があったりなどの仕掛けが多く、さながら忍者屋敷。
左 郷土館 中央 内部の座敷 右 隠し戸棚がある 左 中庭 中央 細工が細かい 右 二階の家族の部屋 左 二階の部屋の奥に通路が 中央 通路脇の納戸には隠し通路 右 隠し通路の奥の隠し部屋 次は吹屋小学校を見学に向かう。吹屋が銅山の町として栄えていた明治42年(1909年)に現在の本館が建てられたとか。100年を越えて現役で使用されてきた最古の小学校校舎であるが、吹屋の衰退と共に在籍児童数も減少し、ついにこの春に廃校となってしまった。これもまた地方の衰退を物語る悲しきエピソードの一つである。
吹屋小学校校舎 なかなかに風情のある堂々たる建物である。絶頂期の吹屋の財力を結集して建造した建物とのことなので、100年を越えても使用できるような高品質の建材を使用することが可能となったのであろう。なおこの建物は廃校後には資料館となる予定とか。
吹屋小学校を見学すると、プラプラと町並みを一番南まで下ってから引き返す。日曜のせいか人通りはそれなりにあるが、賑やかな観光地というところまでは行っていない。もっともあまり観光客が増えると風情もなくなるが。ただ地域が観光で食べていこうと考えるなら、それが成立するかどうかは微妙な人出である。今一つ集客のための起爆剤が欲しくはある。
さらに町並み 一番南の飲食店で桃のアイスを購入、それを舐めながらプラプラと散策。途中のお休み処で山菜うどん(450円)を昼食として頂く。シンプルだがうどんは悪くない。
暑さしのぎの桃アイス
こちらは昼食の山菜うどん
駐車場に戻ってくると次の目的地へ移動。次はベンガラ館。ここはかつてのベンガラ工場を復元したものだとか。ベンガラの原料の緑礬は硫酸鉄であるから、これを焼成することで酸化鉄に変換、さらにすりつぶして水洗によって酸を抜くというのが大体の工程。一番難しいのは焼成の段階で、ここの出来で最終製品の品質が決まってしまうとか。この全行程の施設を再現してあるので、一回りするとベンガラの作り方が分かるという仕掛け。実際に訪問してみると予想していたよりも面白い施設だった。
左 ベンガラ館 中央 ここで緑礬を焼成する 右 焼成したものをここで生成 左 石臼で細かくすりつぶす 中央 この槽で酸を洗う 右 中和させたものは天日で乾燥させる ベンガラ館の次は笹畝坑道へ。吹屋のベンガラ産業を支えた銅山の跡である。入口でヘルメットを借りると入道。内部の天井は低く、何度も頭をぶつける羽目になるのでわざわざヘルメットを貸し出していた理由を改めて納得。内部はお約束のように坑夫達を再現した人形が展示されている。この辺りは以前に訪問した生野銀山とそっくり。ただあちらはあまりに出来合のマネキンを流用していて、八頭身の妙にイケメンの坑夫が江戸時代の着物を着ているミスマッチに笑ってしまったが、こっちの方はもっとリアルな人形を使っている。
左 笹畝坑道入口 中央 天井が低い坑道を進む 右 広い空間に出る 鉱夫の皆さん 左 最奥部にはこんなものがあります 中央 斜坑の跡 右 ようやく出口が 内部は地下水が湧いているのかかなり湿っぽい。また天井からしずくが落ちてくる箇所もあるから、カメラを濡らさないように気を付ける必要がある。これはかつての坑道では水抜きに苦労しただろう。そして内部はかなりひんやりとしている。気温としては十数度というところか。避暑には最適かもしれない。
坑道の上の路頭(鉱石が地表に出ている)部分
狭苦しいトンネルから出てくると、またモワッとした熱気が顔に吹き付ける。目眩がしそうなほどに灼熱した車に再び乗り込むと、次の目的地である広兼邸まで山道を走る。
広兼邸は崖の上にある。かなり頑丈な石垣の上に載っており、下から見上げるとちょっとした要塞。実際に楼門なども物々しく、一戦構えられそうな佇まいである。広兼氏も片山氏などと同様にベンガラで財をなした豪商で、この住居は江戸時代のものだとか。なお「八墓村」の映画のロケが行われたことでも有名になっている(件の映画は私は見たこともないし、見る気もしないが)。
石垣の上にある広兼邸
ここが周遊券の最後の施設。外観は物々しいが、内部の屋敷は至って普通の住宅である。ただとにかく立派な造り。かなり金がかかっていることを感じさせ、広兼家がいかに財力を誇っていたかがうかがわれる。
左 立派な門 中央 屋敷 右 屋敷内部 屋敷からの風景 これでいわゆる定番観光コースは終了である。ただもう一カ所だけ立ち寄ってから帰ることにする。山道を西に向かって走る。それにしてもこの道は一応農道だと言うことだが、下手な300番台の国道なんかよりも良い道である。ここをトラクターが走る姿というのも想像しにくいのだが・・・。
山道を降りてきてから暫く北進するとその目的地に到着する。そこは西江邸。ここもベンガラで財をなした豪商であり、また西江家はそもそもは氏族の末裔であり、臣従していた毛利氏が衰退した後に帰農したらしい。そういった経緯から、西江家は庄屋としてこの地域を管理しており、その邸宅は代官所も兼ねていたという。実際に屋敷の表側はいわゆる公的空間となっており、いわゆる商家の造りとは根本的に異なって武家屋敷に近い。
左 西江邸 中央 ここの門も立派 右 内部の屋敷 左 この部分は代官所を兼ねていた 中央 玄関 右 屋敷内部 現在のこの屋敷は今でも西江氏の末裔が居住しており、代々の当主がこの屋敷を守ってきたという。これは並大抵のことではないと思われる。見学時はご当主が案内してくれたが、吹屋も観光で成立するためには世界遺産をめざすぐらいに力を入れないといけないという主旨のことを話されていた。確かに今回吹屋を一回りして感じたのだが、やはり観光で成立するためには何らかの起爆剤は必要であり、観光開発自体もどうも中途半端な印象がつきまとった。今後この地域がどうなっていくかは見守っていきたいところである。
当初予定では新見美術館に立ち寄るつもりでいたのだが、想定以上に各地で時間をくってしまい、結局は閉館時間に間に合わなくなってしまった。結局はこのまま新見ICから高速に乗ると、まっすぐに帰宅することに相成ったのである。というわけで、今回は展覧会抜き。なんか段々と初志から離れて行ってるな・・・。
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