展覧会遠征 美作編

 

 最近実行中のトレーニングが身体に負担をかけていたというわけでもないだろうが、先週は後半になって38度近くの熱が出てダウンしてしまった。どうも体力は鍛えられても免疫力はなかなか鍛えられないというのが現実である。その熱も週末になってようやく下がり、日曜には出歩いても大丈夫だろうというレベルになった。そこで早速鈍ってしまった身体を建て直すべくリハビリに出かけることとした。

 

 今回はあくまでリハビリであるから、とにかく楽勝の目的地にすることにする。そこで浮上したのがまずは近場の姫路市立美術館、さらには車で山上まで上ることが可能な茶臼山城である。これらが今回の遠征の骨子となる。

 

 まずは車検明けのノートを駆ると姫路市立美術館まで。この美術館にはよく来るが、鉄道で来ると駅から嫌な距離があり、車で来ると駐車場料金が高いという嫌な立地でもある。

 


「麗しき女性の美−松園、青邨、契月、麦僊、不矩−」姫路市立美術館で5/27まで

 

 日本画の巨匠達による美人画について展示。出展作は表題の5人以外にも北野恒富や池田蕉園、さらには伊藤小坡に甲斐庄楠音といったかなりマニアックなところまで多数展示されていたのだが、なぜかこの手のテーマの時には常連の伊東深水や鏑木清方といったところの作品がなかったのが謎。

 上村松園に関しては今更言うまでもない堂々さであったが、これ以外で白眉は菊池契月。特に本展の看板ともなっている「散策」は日本の伝統的美人画とモダンさが入り交じった爽やかな逸品。


 美術館の見学を終えると播但有料道路と中国自動車道を乗り継いで美作ICを目指す。それにしても今日は暑い。こうなるとクーラーボックスに放り込んである伊右衛門がライフライン。車検のついでにタイヤローテーションもしたノートは以前よりも調子が良く、美作ICまで快調に突っ走る。

 

 美作ICで中国自動車道を降りると国道374号を南下。湯郷温泉を過ぎると道は川沿いを進むワインディング道路に。しばし快調に走行していたのだが、突然に渋滞にはまる。どうやら渋滞テロリストに捕まった模様。前の方に目をやると時速50キロの道を40キロで走る超マイペース運転している車が。しかも後ろの車がいくら煽っても、まるで後方に大名行列を従えているのに快感を感じているかのように揺るぎもしない。どうやら根っからのテロリストの模様。その内に私の後ろにもさらに数台の行列が出来てくる。こんな輩に関わり合っていても時間の無駄なので、道路際の店に入って昼食を先に済ませることにする。

 

 入った店は大型バスも停められるいかにも土産物屋的な店。店構えからまずは期待は出来ないと思いつつ「地鶏天ぷら定食(900円)」を注文。味は良くも悪くも予想通り。驚くほど旨いわけではないが、まずいわけでもない。いわゆる「可もなく不可もなく」というところである。

 とりあえず昼食を済ませたところで改めて「茶臼山城」を目指す。茶臼山城は浦上氏の家臣であった笹部氏が、浦上氏の天神山城築城と同時期に築城したとか。しかし宇喜多直家の下克上で浦上氏は天神山城を逐われて没落、宇喜多直家に敵対した笹部氏も大軍に攻められて落城、討ち死にしたそうな。現在では城跡は公園整備され、山上には天守をかたどった「展望台」が建てられている(いわゆる典型的なインチキ天守)。

   茶臼山城遠景

 町のシンボルとして建てられただけあって、件の「展望台」は大分手前からでも山上に見える。あそこまで歩いて登るのならかなりの作業だろうが、幸いにその手前まで車道がつながっており楽にアクセスが可能である。

左 空堀跡  中央 正面が本丸、右は腰曲輪  右 展望台が見えてくる

 案内看板に沿って舗装された山道を走ることしばし、まもなく「展望台」手前の第一駐車場に到着する。ここに車を停めると前方に展望台が見えるのでそこに向かう。

 茶臼山城「展望台」

 展望台が建つ本郭内には、展望台以外に農家のような建物と竪穴式住居のような建物が建っている。農家の方は移築されて休憩所として使用しているとのことで、竪穴式住居の方は内部にかなり深い穴があり、これは往時には貯蔵庫として用いられていたと考えられる穴だとか。

左 本丸の竪穴式住居風建物  中央・右 内部にはやたらに深い穴がある

 展望台は鉄筋コンクリートらしいが内装は木造であるので意外と趣はある。最上階からは市街を一望で、展望台本来の役割を果たすと共に、ここがこの地域を守るための要衝であることも感じさせる。

 本郭から東に一段降りると曲輪のような構造がある。この曲輪はグルリと南にまで回り込んでおり、腰曲輪だとか。縄張り図を見るとさらに斜面に沿って曲輪があったらしい。また竪堀がいくつも記載されているが、その残骸は今でも残っている。

左 腰曲輪(北東部)  中央 腰曲輪(南東部)  右 一段下にも曲輪と井戸らしきものが

 茶臼山城の見学を終えると尾根続きの「大仙山城」も合わせて訪問する。大仙山城と茶臼山城の関係は今一つ不明で、二つを合わせて一大要塞として使用していたのか、本城を移したのかがハッキリしない。現地看板での案内によると、大仙山城はかなり南の守りを重視した構造になっていることから、宇喜多直家の北進に対抗するためのものではとのこと。大仙山城を本拠として、茶臼山城を出城として使用していたのだろうか。

茶臼山城及び大仙山城縄張り図(クリックで大きな図にリンク)

 大仙山城の入口は、茶臼山城入口に連なる池田氏墓所の中にある。なお茶臼山城にあった案内には「元気な方」は大仙山城の見学をお勧めするという書き方になっていたが、確かに標高差はさしてないので決してハードではないものの、ある程度は歩かないといけない構造になっている。まあ私のリハビリにはちょうど良さそうである。

 大仙山城入口

 ただ参ったのは、こっち茶臼山城ほど手が入っていないので足下がかなり薮化しており、ヤブ蚊やコバエの類の虫が多いこと。これらが呼気に反応するのか顔にたかってきて、下手をすると口の中に飛びこむ奴までいて鬱陶しいことこの上ない。以前に吉田郡山城で終始コバエに悩まされたことを思い出した。虫除けスプレーは蚊には効くが、なぜかコバエには効かないのである。

左 ロープに沿って鬱蒼とした中を進む  中央 土橋の奥に小高い削平地がある  右 削平地に登る

削平地内には堀が何本も残っている

 ハエを追い払いつつ巡回路を示すロープに沿って進むことしばし、目の前に竪堀や土橋などが次々と見えてくるようになる。そのうちにこんもりと小高い丘のような構造の曲輪が見えるが、これが本郭になるようだ。上がってみるとそれなりの規模の削平地であるが、鬱蒼としているせいで全体構造は分かりにくい。北方と東方に出っ張った構造で曲輪が一段低くなっており、そこには池があったらしい。東方の曲輪の方にはまだ水が残っていた。

左 一端降りてから先に進む  中央 土塁に当たる  右 先に進むと本丸に上がるルートが

左 鬱蒼としすぎで全貌はよく分からない  中央 一段下の曲輪には池の跡が  右 発掘調査用テントだろうか

 茶臼山城に比べると仕掛けが多いと感じさせる縄張りである。また南を正面とした場合、縦深陣になっているのでこの方向の防御は堅い。

 

 薮の虫にはかなり悩まされたが、ちょうど良いリハビリになったようである。山城を後にすると最後は温泉に立ち寄ることにする。立ち寄ったのは近くの湯郷温泉。ここには鷺温泉館という日帰り温泉がある。これは名称からも分かるように私が個人的に経営している温泉である・・・なんてベタでコテコテなボケをかましつつ湯郷温泉までひとっ走り。まあ実際、私がこんな施設を経営するぐらいの資産家なら、侘びしいサラリーマンなどしていない。

 湯郷温泉はどことなく寂れた雰囲気もある温泉街だが、日帰り温泉には結構客が押しかけている。泉質はナトリウム−カルシウム塩化物泉。取り立てての特徴はないが肌当たりの非常に良い湯で気軽に浸かるには向いている。ここでタップリと疲れを抜くと、風呂上がりにコーヒー牛乳を頂いてから(本当はフルーツ牛乳の方が良いのだが、残念ながら売っていない)帰途につくのであった。

 

 

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