展覧会遠征 箱根編

 

 さてこの週末は飛び石休であるが、「赤と赤に挟まれると赤になる」という古来よりの法則により、当然のようにここは四連休である(笑)。三連休以上の休みがある場合にはどこかに出かけるべしというのが私の行動原理である以上、必然的にここはどこかに遠征ということになる。

 

 今年の年初の目標は「今までの宿題を片づける」ということである。この方針に従って、まず八王子城の視察のために関東遠征を実施、さらには沖縄遠征も実施、先週は高山城視察のために広島へと遠征した。現在残存している最も大きな宿題である「100名城制覇」もついに99まで終了し、いよいよ最後に山中城が残るのみとなった。さらには私が美術館遠征を始めた当初から課題として残り続けていたのが箱根遠征である。今回ついに満を持してこの二大宿題を一気に片づけようということに相成った。

 

 まずは新幹線で小田原まで移動である。しかしこれが結構難儀。と言うのは、小田原に止まる新幹線がほとんどないのである。小田原はのぞみが停車しない上に今ではひかりはほとんどない。だから駅探で検索しても名古屋乗り換えでこだまでチマチマ行くルートばかりが表示され、やたらに時間がかかるのである。以前に静岡を訪問した時も「距離に比べて遠すぎる」と感じたのであるが、小田原はさらに東京に近い分たちが悪く「東京よりも遠い」というのが実感。結局は到着時間よりも所要時間の方を重視して、小田原停車のひかりに乗り換えるルートをとることにする。

 

 しかも生憎と当日は朝から雨。それも結構な雨量であり、日も見えずに真っ暗な状況。これでは富士は望めそうにない。名古屋でひかりに乗り換えるも、相変わらずの豪雨。これでは気分が鬱になりそうだ。

 

 小田原に到着するととりあえずトランクをロッカーに入れて、小田急の駅で箱根フリーパス(3日間用)を入手する。これで3日間、箱根周辺の公共交通機関がフリーパス。しかも美術館なども割引料金で入場可能である。

   小田原駅から箱根登山鉄道で移動

 まずは小田原から箱根登山鉄道で箱根湯本まで。ホームには既に箱根湯本行きの普通列車が入線しているが、新宿方面から来る特急が遅れたせいでしばしそのまま待機である。結局は数分遅れで出発する。小田原駅を出るや、すぐにあからさまに分かるぐらいの急傾斜を登り始める。さすがに登山鉄道の名前は伊達でない。小田原から箱根湯本にはすぐに到着する。私がイメージしていたよりは遥かに近いようだ。

   箱根湯本で乗り換え

 箱根湯本は箱根湯本温泉のアクセス駅。乗降客はかなり多い。ここからはさらに小型の車両に乗り換えて強羅を目指す。小さな車内はラッシュ並みの満員。観光客を満載した車両はおよそ通常の鉄道では考えられないような急坂を登り始める。しかしそれでさえ登りきりない急斜面はスイッチバックを駆使して進む。このスイッチバックは全3回。見る見る高度が上がっていくのだが、残念ながら今日は天候が悪いために風景が全く見えない。

強羅駅でケーブルに乗り換え

 強羅に到着するとここからはケーブルで早雲山へ。早雲山までには4つの駅があるが、明らかに意味がある駅は公園下と公園上の2つのみ。上の2つの駅は対向車が先の2駅で停車するので仕方なく停車するという印象が強く、実際にこれらの駅での乗降は皆無。

早雲山駅でロープウェイに乗り換え

 早雲山駅に到着するとここからはロープウェイに乗り換えなのだが、雷雲が近づいているので途中で運転中止になる恐れがあるとの警告を受ける。山上で足止めされてはたまらないと思うが、とりあえずは大涌谷までは行ってみるとこにする。ロープウェイは18人乗りで、2本のケーブルを使うタイプ。山上で風が強いのでそこで安定して運行できるこのタイプにした模様。早雲山駅を出たロープウェイはすぐにかなり急な山を登っていく、背後には箱根の絶景が広がる・・・はずなのだが、かなりあたりが靄っていて何も見えない。

 

 山上に上りきると、ここからは火口の上を渡っていくことになる。下を見ると温泉を汲み上げているらしき施設が見えるが、とにかく高度はあるしまさに板子一枚下は地獄というやつである。

 

 火口を渡りきるとまもなく大涌谷に到着。しかしやはり靄っていて視界が全くない。当初の計画では大涌谷を見学してから、ロープウェイで芦ノ湖側の桃源台に下り、そこから海賊船で箱根港に移動、バスで小田原に戻るという計画だったのだが、これでは富士どころか眺望が皆無である。この状態で先に進んでも無意味と判断、当初の計画を全面的に組み替えることを決定する。とりあえずはロープウェイが止まる前に早雲山まで引き返し、明日に予定していた美術館巡回を今日に繰り上げることにする。

 

 早雲山からケーブルに乗ると、箱根美術館に立ち寄るために公園上で下車する。すると目の前にちょうど観光地巡回のバスが到着する。箱根美術館には無料駐車場があることを確認したので、箱根美術館に立ち寄るのは明日以降ということにして、まずこのバスに乗車することにする。

 最初の目的地に定めたのはポーラ美術館。印象派のコレクションなどで知られている美術館である。ここを選択した理由は、ここは駐車場料金が高いので車よりもバスで回った方が無駄がないと感じていたことが大きい。

 

 バスは曲がりくねった山道を走行する。とにかく道幅が狭いので、向かいから大型車などがやってきたらすれ違いが大変である。このような山道を縫って走ることしばし、ようやく目的地に到着する。

 


ポーラ美術館

  

 モネなどの印象派作品を多数所蔵することで知られる。私の訪問時も印象派関連の企画展を開催中であったが、モネ、ルノワール、セザンヌなどの作品が多数展示されており、コレクション水準の高さをうかがわせた。もっとも個人的には今まで多数の印象派展を訪問していたせいか、初見の作品はほとんどなかった。

 印象派以外でも近代絵画のコレクションや日本人画家の作品も所蔵している。日本人洋画などにもかなり水準の高い作品有り。

 ポーラらしいコレクションとしては、化粧器具などの展示と言ったものもある。なお中国陶磁のコレクションなどとにかくコレクションが非常に幅広く、美術館としてはかなり楽しめる。


 美術館の見学を終えたところで腹が減ってきた。昼食を摂る店の心当たりもないので、美術館のレストランでランチを頂くことにする。企画展に合わせて「ルノワール家のごちそう」と銘打ったコースランチ(2730円)があったのでそれを注文。リゾート地の常としてCP面ではしんどいものがあるが、味に関してはまずまず

 

 念願のポーラ美術館訪問を達成すると共に昼食も終えたところで次の目的地へと向かうことにする。次に向かうことにしたのは箱根ラリック美術館。ルネ・ラリックのガラス作品を展示した美術館である。ここを選んだのは一番遠くの美術館だから。明日以降の行動を考えると、一番遠いところから消化しておいた方が良いと考えてのことである。

 


ラリック美術館

 ラリックのガラス作品を展示した美術館だが、香水瓶や花瓶などの定番もの以外に、家具や調度品の類の展示が非常に多かったのが印象的。ガラス系美術館の常として内部が非常に洒落た印象になるので特に女性が喜びそうな美術館である。ラリックの作品はガレなどよりも芸術性を若干押さえて工業製を重視しており、アールヌーヴォーからアールデコへの転換期に当たっている。そのために後半期の作品などはかなり量産的なシンプルなラインのものも多い。その辺りをどう評価するかなのであるが。

  


 ラリック美術館の見学を終えた時には4時を過ぎていた。もう今日はこれでタイムアップのようである。実は今日の5時から3日間小田原でレンタカーを予約している。明日以降は車で行動しようと考えてのことである。本来は箱根で定番観光コースを回るだけなら公共交通機関だけで十分なのだが、今回の遠征ではついでに箱根周辺の城郭の訪問も考えているので、そうなると必然的に車が必要になるという次第である。

 バスで強羅駅まで戻るとそこから箱根登山鉄道と小田急で小田原まで下りる。駅レンタカーの事務所に到着した時には6時を回っていた。借りたのはヴィッツ。箱根の山道を走行するにはやや非力にも思われるが、どうせ乗車するのは私一人だし、小回りが利いて運転しやすい車の方が良かろうとの判断である。

 

 ホテルには夕食の時間の関係で7時までにチェックインする必要がある。幸いにして道路も大して混雑していなかったので箱根湯本まではすぐに到着する。車で走ってみると、列車に乗ったときよりもさらに近く感じられた。ただむしろ難儀だったのは箱根湯本に到着してから。道幅が狭くて傾斜が急な上に日没後は真っ暗な道をホテル目指してウネウネと走る羽目に。前も見ずにすっ飛ばしてくる車と正面衝突しそうになったりなどもありながら、ようやく今日の宿泊予定のホテル南風荘に到着する。

 

 私の予約しているのは「訳ありプラン」と銘打たれているシングルのプラン。訳ありの理由は、シングルルームは本館と離れた別棟にあるからというもの。案内された部屋は確かに本館から一端外に出る必要があるところにある。どうも雰囲気的にはかつての従業員寮を改装したように思われる。部屋はビジネスホテル形式でインターネット接続も可。私にとっては典型的な旅館形式の部屋よりも使いやすいもの。また一端外に出る必要はあるが、大浴場にはそう遠くないので大して不便ではない。

小田原御膳

 チェックイン時間が遅かったのですぐに夕食になる。夕食は地元飯中心の小田原定食。天ぷらにせいろ蒸しに海鮮丼がついてくるというパターン。海鮮丼は特徴はないが、見た目よりもボリュームがある。二種類のタレでいただくせいろ蒸しがなかなかにうまかった。

 

 食事を終えて一息つくと次は大浴場で入浴。箱根温泉は単純泉の弱アルカリ泉ということなので、あまりキャラクターの強い湯ではない。だがやはり温泉旅館の大浴場はなかなかに快適である。

 

 後は部屋でネットやテレビでまったり。失敗したなと思ったのはチェックイン前にコンビニに寄らなかったこと。夜中に若干の口寂しさを感じ始めたところで早めに床につくことにする。

  

☆☆☆☆☆

 

 

 翌朝はまずは朝風呂。ここの大浴場は2つあり、夜中に男女が入れ替わる形式になっている。こちらの浴場も露天が広々としていてなかなか快適。

 

 体が温まったところでそのまま朝食に行く。朝食はお約束のバイキング形式だが、これが品数も十分だし味も良い。朝からたっぷりと腹にたたき込む。

 朝食を終えるとチェックアウト。昨日降っていた雨は上がっているが、天候は曇っていてまたいつ降り出すか分からない。とても風景を楽しむという状況ではなさそう。そこで今日の予定は車を駆使して昨日に訪問できなかった美術館を掃討すると共に、本遠征最大の目的の一つである山中城訪問を行おうというものである。しかし天候は曇っているだけでなくて朝からやや霧が出ている状態。今後の状況によっては予定の変更も考えないといけないかもしれない。

 

 最初に向かったのは箱根ガラスの森。ヴェネチアンガラスの展示などを中心とした美術館である。やや離れた無料駐車場に車を止めると入場。内部は庭園を中心に洒落た建物が並ぶ雰囲気の良いところで、女性などは大喜びしそうだがオッサン一人で行くのはどうかというところ。

ガラスの森内の建物

ヴェネチアンガラス館内部

 ガラスの森の見学を終えると次は彫刻の森を目指す。手前の大駐車場に車を止めるとゲートをくぐって入場。野外彫刻中心の美術館の常であるが、ここもとにかく広大な美術館。広大な斜面のスペースに大型彫刻が散在している。今まで行った中では札幌の芸術の森と雰囲気が似ている。

    

幸せを呼ぶシンフォニー彫刻の上は「勘弁して・・・」と言いたくなる怖さだった 階段がグラグラ

 ピカソ館の手前に「幸せを呼ぶシンフォニー彫刻」なる塔があるので登ったが、これが高所恐怖症の私には最悪だった。まず上り階段がに狭くて急。しかもその鉄製階段があちこち錆びていたりして筐体にガタが来始めているのが明からさまに分かる。そのせいか頂上に出ると奇妙な揺れが感じられて目眩がする。とにかく気持ち悪くてすぐに降りたが、この下りが上り以上にまた恐い。私にとっては「幸せを呼ぶ」どころか恐怖の戦慄彫刻であった。

 

 ピカソ館

 ピカソ館はさすがに「彫刻の森」だけあって、ピカソの絵画ではなくて陶芸中心。これはなかなか意表を突く展示ではあるが、陶芸もピカソもあまり好きではない人間には・・・。

左 ネットの森  中央 ネットの森内部  右 シャボン玉のお城

 ネットの森は彫刻と言うよりは子ども向けの遊戯施設。これは子どもは喜びそう。シャボン玉のお城も同様の遊戯施設だが、これは雨が降っていて濡れて危ないので立ち入り禁止。しかしこっちは正直なところ「私も入ってみたい」と感じた。どうしてもこういう「秘密基地」的なものには心惹かれる。それと私は前世がハムスターだったようであるから、トンネルがあると入ってみたくなるようだ。

霧が出てきた

 一回りしてゲートの近くに戻ってきた頃に、霧が出てきて急に視界が悪くなってきた。箱根の霧は足が速いという。気になるところであるが、この霧の中を次の目的地の箱根美術館に向かって走る。

 

 箱根美術館の場所は昨日確認しているのでスムーズに到着すると専用駐車場に車を駐車する。内部は斜面の高低差を活かした日本庭園となっており、本館内には陶芸作品が展示されている。しかし残念ながら陶芸は私の専門外。それでも巨大な備前焼の瓶や火焔土器などはそれなりに楽しめる。

 本館見学後は庭園を散策。ここの庭園は苔庭が売りのようだが、今はまだ寒すぎので地面に藁を敷いているのでやや殺風景。夏にでも訪れれば涼しげな風景が楽しめるのだろうか。

 箱根美術館の見学を終えるとここからは長駆して箱根の山を越えることになる。山を越えると芦ノ湖が見えてくる。今は雨は降っていないが、案の定富士は全く見えない。峠道の登りでは完全にパワー不足が露呈するヴィッツであるが、下りでは車重の軽さが幸いして運転がしやすい。「マーチとは違うのだよ、マーチとは!」そう言えば某豆腐屋さんの漫画で、箱根の下りはカプチーノが最速などと言っていたな・・・。

 

 芦ノ湖まで降りてきたところで成川美術館の看板が目に入る。当初予定ではここは明日に回すつもりだったが、もろにルート上にあるので立ち寄っていくことにした。

 


成川美術館

 日本画を中心とした美術館。私の訪問時には牛尾武の作品を特集していたが、スーラの点描画法などとも異なる独自の画法は、近くで見るとまるで印刷のように感じられたりするが、離れて見ると風景の大パノラマが明瞭に描き出されておりそのギャップに驚く。その表現はとにかく生々しく臨場感に溢れる。

 これ以外でも大家の作品が数点。これがまた作品を見ただけで作者が分かるぐらい個性が明瞭に出ている作品ばかりなのでなかなかに面白い。この美術館もとにかくコレクションの水準が非常に高い。


 絵画の鑑賞の後は喫茶室でマッタリ。この喫茶室は風景鑑賞の一等地に立地しており、天候が良ければ芦ノ湖の向こうに富士を望むことが出来るのだが、今日は雲しか見えない。まあ峰不二子はそう簡単にはなびかないということである。

芦ノ湖の風景を眺めながら喫茶でマッタリ

 成川美術館でマッタリしているうちに小雨がぱらつき始める。その中をしばし車で走行、「山中城」は箱根街道沿いに立地しており、街道を押さえるための要衝である。かつて秀吉の小田原城攻めの際には、その前哨戦としての攻防が行われたが、城兵の17倍という大兵力で攻められてわずか半日で落城したという。その報を聞いた北条氏政が「半日で、半日で落城か・・・豊臣軍の戦力は化け物か」と呟いたという記録は残っていない。

 山中城は明らかに観光開発がされており、駐車場も完備されている。案内パンフレットも配布されており、見学順路まで記載されている。とりあえずその順路に沿って見学することにする。

 まず最初に見えるのは三の丸堀。かなり立派な堀であるが、三の丸自体は今は畑になっているようである。

三の丸堀

 三の丸を過ぎると田尻の池を越えて左折して斜面を登る。この斜面に沿って二の丸がある。ここはかなり広いスペースで、かつては建造物などもあったと思われる。

左 田尻の池  中央 二の丸に沿って登る  右 二の丸の虎口

二の丸風景

 二の丸から橋を渡って、小曲輪の元西櫓を抜けると西の丸に出る。ここも広い曲輪であるが、回りを取り囲む畝堀が非常に特徴的。今はこの堀には芝生を生やして保護してあるが、当時はむき出しのロームだったので、この中に転落するとまずは自力ではい上がることは不可能とのこと。確かにこのローム層、乾燥するとポロポロになるし、雨で濡れると今度はズルズルになるというかなりタチの悪い土質。私も先ほどからの小雨のせいで足下が滑って仕方ない。関西に比べて関東では石垣があまり発達していないと言われるが、そもそもこのローム層のために土塁だけで十分な防御力を持てたというのが一因ではないかとも思われる。

左 二の丸から橋を渡って進む  中央 二の丸周辺の堀  右 元西櫓に出る

左 元西櫓から一端下って先に進む  中央 西の丸入口  右 西の丸

西の丸風景 奥が見張り台

見張り台上から見た西櫓

 西の丸の奥には見張り台があり、そこに立つと畝堀の向こうに西櫓が見える。かつてはこの西の丸と西櫓の間に吊り橋が架けられ、西櫓は角馬出であったのだという。攻防一体となったかなり堅固な構えである。

左 西の丸虎口の土橋  中央 畝堀  右 西櫓の入り口

西櫓風景

西櫓から振り返って仰ぎ見る西の丸

 

西の丸周辺の畝堀

 

 西櫓と西の丸の回りをグルリと一周すると、二の丸の横を下って北の丸へと出る。

左 この先に西木戸があった  中央 振り返った西櫓  右 濡れたロームには足がズブズブと沈む

西の丸及び西櫓の畝堀

左・中央 本丸堀に沿って進む  右 北の丸に出る

北の丸風景

 北の丸から橋を渡った先が本丸である。隅には天守台も残っている。ここにはさらに一段低い曲輪があり、そこが兵糧庫跡だという。まさに城の中心部である。ここから畝堀を橋で渡った先が最初に立ち寄った二の丸である。

左 架け橋で本丸堀を横断  中央 左手に天守櫓への階段が  右 天守櫓

左 天守櫓から本丸方向  中央 本丸  右 本丸一段下の兵糧庫跡

左 兵糧庫の柱跡  中央 橋を渡って二の丸へ  右 本丸と二の丸の間の畝堀

二の丸に出る

 水場である田尻の池と箱井戸の横を通って宗閑寺に抜ける。ここには豊臣方武将の墓と北条方武将の墓の双方がある。互いに戦った両者が一緒に祀られているというのも奇妙な感じがするが、仏様になってしまえばそういうことは関係ないと言うことか。

 

 ここを抜けると最初の駐車場に戻ってくるが、実は反対側に岱崎出丸があるのでそこも見学する。山中城とこの出丸で箱根街道を挟み込む形になっている。

左 出丸の入口  中央 先に進む  右 御馬場曲輪

左 御馬場曲輪の土塁  中央 曲輪の先端には石碑も  右 出丸御馬場堀はかなり深い

出丸の土塁 先端は櫓跡か

すり鉢曲輪 畝堀もある

振り返っての風景

 岱崎出丸は複数の曲輪が縦に連なる単純な構造。しかし街道側は畝堀でしっかりと守っている。街道を進行する敵軍はこの出丸と本城からの挟み撃ちの攻撃で悉く撃破される・・・はずだったのだろうが、如何せん豊臣軍の戦力は巨大すぎたのでこの堅城をもってしても食い止めることは不可能だったということである。

 

 予想していた以上に立派な城郭であり、私の100名城制覇を締めくくるにふさわしい城郭であった。全国の城郭を回り始めて数年、最初はせいぜい現存12天守の制覇ぐらいが限界だろうと思っていたのだが、とうとうここまで至ってしまった。感無量というか、己のあまりのオタク度の高さが恐ろしくなるというか。どうも自身の業の深さを思い知らされる。とりあえず100名城達成ということで、これで私もお城マニアの中級レベルぐらいには仲間入りしたのだろうか。

 

 さて念願は達成したものの、今日の予定はまだこれで終わりではない。進撃あるのみ。ここからさらに西に足を延ばして、「韮山城」を視察することにする。韮山城は山中城と同様に北条氏の最前線の城として小田原合戦で大激戦の地となり、100日の籠城戦の果てに落城している。

  

 箱根街道を降りると三島を抜けて沼津に向かう。しかし途中で国道1号線の渋滞に出くわして道路が全く流れなくなってしまう。国道1号の渋滞は噂では聞いていたが、関西の私にとっては無縁の話なので実感はなかった。しかし今回こうして実体験してみるとひどいものである。とにかく車が断続的に徐行するだけでまともに進めない。結局は予定の倍くらいの時間を費やしてようやく韮山城に到着。韮山城周辺は人口池(かつては沼だったらしい)を中心とした親水公園になっているのでそこの駐車場に車を止める。

 

沼を取り囲むこれらの山々もかつての城域と言われている

 現地の案内によると、その沼を取り囲む山地の一角が韮山城とのこと。しかしそれだと小田原攻めの大軍を相手に奮戦した(落城に山中城よりも時間を要している)城郭にしてはあまりに規模が小さい印象を受ける。実際には現在は高校になっている辺りも下の城郭であり、また山上の城郭自体もこのグルリの山上一帯に広がっていたとの話もある。その程度の規模なら納得はできる。

左 沼脇の急坂を登る  中央 三の丸は今ではテニスコート  右 二の丸方向

左 二の丸  中央 二の丸奥は社になっている  右 社

左 本丸への登り口  中央 本丸と二の丸の間の堀切  右 下に見える高校もかつては城域だった
 

本丸風景

 案内看板に従って急坂を登ると、テニスコートになっている辺りが三の郭らしい。そこからさらにあがった神社のある辺りが二の郭、さらに登ると本丸。やはりここだけではそう規模の大きな城郭ではない。

  

本丸奥に先に続く土橋のようなのがあり、行き止まりには小曲輪のようなものが

 本丸からさらに奥に続く通路のようなものがあるが、その先は小規模な曲輪のような構造で行き止まりになっている。かつてはここからさらに奥の山に通路がつながっていたのかもしれない。

 

 韮山城の見学を終えたところで最後の目的地へ向かう予定だったが、やはりその経路も大渋滞であるし、その後に箱根に戻ることを考えるといつ到着できるやらわかったものではない。ここは無理をやめて箱根に引き返すことにする。

 

 箱根への復路は国道1号を避けて、地元らしい車の後ろについて裏道を走り回った。おかげで箱根の峠までは予想外に順調に到着することができた。しかし箱根街道を順調に走行して峠を越えた途端に絶句した。視界が0なのである。朝から出始めていた霧がいよいよ激しくなったようで、峠の東側は視界が数メートルという濃霧。辛うじてセンターの黄色ラインがぼんやりと見える状況。これが白ラインだったら全く見えないだろう。峠手前で颯爽と私のヴィッツをパスしていったスポーツカーも、前方で完全にスローダウンしているのが分かる。

 

 こうなると道はナビだけが頼り、ナビに表示される地図と前方にぼんやりと見える黄色ラインの痕跡だけを頼りに道路のカーブを推測する運転。全く知らない道でこれはかなりキツい。かなり神経を消耗しながらようやく今日の宿泊ホテルであるB&Bパンシオンに到着したのだった(最後に入り口が分からずに危うく通過しそうになるというオチが付いたが)。

 

 B&Bパンシオンはアメニティーなどを省いて宿泊機能に特化した安価な宿泊施設として知られている。風呂は大浴場、トイレは共同というシステムで提供されるのは朝食のみ。どことなく寮を連想させるようなシステムである。

 

 部屋に入ってもすることがない。テレビはあるがろくな番組がないし、このホテルはインターネット接続ができないという弱点を持っている。それにここに来て腹が減ってきた。よくよく考えると、今日は昼時に成田美術館の喫茶でホットサンドを食べただけで、まともに昼食を摂っていないことを思い出した。そこでやや早いが夕食を摂る意味も兼ねて外出することにする。

 

 と言っても箱根に特にあてがあるわけでなく、ホテル周辺も何もないところである。やむなくホテルと同系列の日帰り入浴施設ユネッサンに向かうことにする。ユネッサンには無料のシャトルバスが運行されている。ユネッサンはいかにもスーパー銭湯といった趣。裸で入浴する温泉と、水着着用の温水プールのような遊技施設があり、それに土産物屋や飲食店が同居している。店の選択の余地がほとんどないので、やむなく入居しているイタリア料理店でハンバーグを夕食にいただくことにする。

 

 シャトルバスでホテルに戻るとホテル内の大浴場で入浴。質素な風呂であるが、温泉だという湯は悪くはない。これで体を温めると部屋に戻ってぼんやりとテレビを見る。しかしやはりろくな番組がない。どうもテレビはデジタル時代を迎えていよいよ末期症状というか、ハードが整備されてもソフトの方は衰退する一方である。どこをつけてもくだらない三流芸人がバカ騒ぎしているだけの番組ばかり。面白くないだけならともかく、それを通り越して不快な番組まである始末。もうテレビ局にはこんな安直な番組しか作れないスタッフしか残っていないんだろうか。そうこうしているうちに強烈な疲労感に襲われたので早めに就寝することにする。

  

☆☆☆☆☆

 

 

 翌朝の目覚めは最悪だった。というのは、夜中の4時頃にけたたましく何度もドアを開け閉めするバカがいて、そいつのせいで夜中に叩き起こされたからである。夜中にドアを開けるときは音に気をつけるという最低限のマナーさえ知らないバカが増えているということに愕然とする。亡国とはこういうところから起こるのである。なおこういうことを書くとすぐにそいつは○○人だろうと言う類の輩がいるが、残念ながら明らかに日本人である。

 

 だるい体を引きずりながら食堂で朝食を摂る。ここの朝食は焼きたてのパンの朝食。私はコーヒーが得意でないのでアップルジュースをいただく。本来は和食派の私であるが、こういうのも悪くはない。

 

 2日間雨が続いたが、ようやく今日は晴天である。そこで今日は箱根フリーパスを使用して観光をすることにする。実は天気予報からこうなる可能性が高いことを予想して、最初に箱根フリーパスを購入した時にあえて3日間用を選んでいたのである。そう観光とは常に2手3手先を読んで行うものなのである。

 

早雲山からの朝の風景

 車でまずはロープウェイの早雲山駅を目指す。しかしここで計算違いが。ロープウェイの始発が8時45分からということでしばし待たされる羽目になる。これもホテルでインターネットが出来ないことからくる調査不足が原因である。やはり近代戦において勝敗の鍵を握るのは情報である。

  ロープウェイ早雲山駅

 ようやく始発のゴンドラに乗車すると大涌谷に登る。天候が晴れているので初日と違って箱根の光景がはっきりと見える。ただ気になるのは前方に雲が多いこと。

左 今日は天気が良い  中央 板子一枚下は地獄とはまさにこれ  右 火口内の風景

 ゴンドラが最高点に達すると火口横断である。これも初日は靄の中だったが、今日は火口内がハッキリと見え、それだけに高さが実感される。後ろの方の親子連れが子供の方は喜んでいるのだが、親父の方が「帰りは絶対にバスにする」と言っているのが聞こえてくる。ところで私は高所恐怖症なのだが、不思議なことにこのロープウェーには全く恐怖を感じない。どうも私の高所恐怖症が発症するのは特定の条件が揃ったときのようだ。

大涌谷に到着
 

 大涌谷はまさに火口の観光地。さて富士が見えるだろうかと前方に目をこらすが、残念ながら雲に隠れて全く何も見えない。「不二子ちゃ〜ん」どうもまた振られたようである。

  西方は曇っていて富士は見えない

 大涌谷と言えば名物は温泉でゆでた黒玉子である。温泉の硫黄分が玉子の殻と反応して黒くなったゆで卵は、一つ食べると寿命が7年延びると言われている縁起物である。近くの土産物屋でも販売しているが、折角だから火山見学を兼ねて黒玉子茶屋まで足を延ばす。

左 黒玉子茶屋まで進む  中央 空飛ぶ玉子  右 黒玉子茶屋に到着
 

 しかしこれが意外と難儀な行程であった。階段の登りが意外とキツい上に火山のせいで空気が悪い。「喘息の人は注意」との看板が出ていたが、喘息の気がある私は覿面に発作発生。ぜいぜい言う羽目になってしまう。その私の頭の上を茹であがった黒玉子が空を飛んで通り過ぎていく。どうやら茶屋で茹でた玉子は玉子専用ロープウェイで土産物屋に輸送されるようだ。

左 黒玉子絶賛製造中  中央・右 これが黒玉子(殻の中は普通のゆで卵です)

 ヨタヨタになりながらも黒玉子茶屋に到着。どうにか黒玉子を購入。しかしこの状態でゆで卵を食べたのは失敗。寿命が7年延びるどころか、玉子がのどにつかえて即死しそうになった。残りの玉子は持って帰ることにする。

  玉子ソフト

 再びゼイゼイ言いながら降りてくると、土産物屋の玉子ソフトでクールダウン。一息つくとロープウェイで桃源台まで降りることにする。こちらのロープウェイは芦ノ湖を眺めながら降りてくることになる。途中の姥子駅で方向を変え、終点の桃源台は芦ノ湖岸にある。

左 ロープウェイで先に進む  中央 斜面を下る  右 芦ノ湖が見える

左 姥子駅で方向転換  中央 姥子駅内部  右 桃源台に到着
 

 ここからは海賊船で箱根港まで移動することにする。箱根フリーパスには海賊船の料金も含まれている。そのために海賊船の時刻表は調査済みで、出航時刻の10時に間に合うように降りてきている。

   

左 海賊船に乗り込む  右 特別船室内部

 検札は出航の5分前からだとのことなのでしばし出航待ちになるが、その間にも待ち客はどんどんと増えていき、あっと言う間に大行列になる。私は今日は平日の月曜日であるから箱根の観光客も少ないのではと考えていたのだが、むしろしばらく悪天候の続いた後の晴天だったので一気に観光客がやってきた感もある。この状況を見て、牛詰めだったら嫌だなという気が起こってきたので、追加料金を払って特別船室に入ることにする。

甲板に出ると眺めは良いのだが寒い
 

 特別船室内は家族連れが多い。ボーッと船窓を眺めているだけでも芸がないので甲板の方に出てみるが風が強くて寒い。それなりに眺望はよいが、野郎一人でタイタニックごっこをしても仕方ないので、さっさと船内に引き揚げることにする。

 

 箱根港には30分ぐらいで到着する。海賊船はここからさらに元箱根港に立ち寄ってから桃源台に戻るのだが、私はここで下船である。箱根港で降り立つと近くにある箱根関所の見学に向かうことにする。

  関所入場前に温泉饅頭を頂く

 箱根関所はかの有名な「入り鉄砲に出女」を取り締まった関所である。最初は江戸防御のための軍事拠点の性質が強かったが、それが段々と治安維持の方に主眼が移っていったという。その箱根関所を復元して博物館としての展示をしてあるのである。

左 箱根関所の門  中央 関所内部  右 お役人が審議します

左 こちらは足軽番所  中央 番所内部  右 足軽番所裏の高台に遠見番所が

左 遠見番所は見張り台  右 遠見番所より関所全景
 

 関所自体は特別に何かがあるというわけでなく、いわゆる代官所や奉行所などと変わらない。特徴的なのは一段高いところに遠見番所なる施設があり、ここから遠く芦ノ湖まで見張っていたという。また箱根関所といっても実はここ一カ所だけではなく、あらゆる間道を押さえるべく、各地に分所のようなものが設置されていたらしい。なお関所破りは重罪とされたが、実際には江戸期を通して関所破りで処罰されたのは数人だけで、大概は「道に迷った」として追い返されただけで終わっているという。あまりに法を厳密に運用すると重罪で処刑がゾロゾロということになりかねないので、弾力的に法を運用していたらしい。

 

 関所の見学を終えると関所茶屋で甘酒で一服してから次の目的地に向かうことにする。と言ってもまずはバスで箱根湯本まで戻るだけ。バスは1時間近くをかけて山道を走り抜け、途中で数カ所の温泉地を通過しつつ箱根湯本に到着する。到着した箱根湯本は観光客でごった返している。やっぱり悪天候だった土日よりも今日の方が観光客が多い。箱根は新宿から小田急一本で来られる好アクセスの地だけに、天候をみて突然に思い立ってやってくる観光客もいるのかもしれない。

  箱根湯本駅前

 箱根湯本まで戻ってくると、ここから箱根登山鉄道で強羅を目指すことにする。箱根登山鉄道には初日に乗車しているが、何しろ雨の中で窓も曇っていてどこをどう走っているのかも分からないような状態だったので改めて乗り直そうと思った次第。こういうことができるのも箱根フリーパスのおかげだが。

左 観光客でごった返す箱根湯本駅  中央・右 箱根登山鉄道沿線風景
 

 改めて晴天の中で箱根登山鉄道に乗車すると、とにかくこの列車がとんでもない傾斜を登っていっていることがよく分かる。さっき通った線路が見る見る下の方になっていくのである。これは鉄道路線としての限界に挑戦しているようにも思える。恐らくこれ以上傾斜を強くしようと思うと、大井川鐵道のようにアプト式にでもするしかなかろう。

 

 強羅駅に到着すると観光客でごった返したとんでもない状態。その中をラッシュ並みのケーブルカーに乗車して早雲山まで登る。ちなみに箱根ロープウェイは現在混雑のために10分待ちとか。早朝から移動したのが正解だったと感じる。

 

 早雲山に到着したところで車を回収する。さてこれからの予定であるが、石垣山城に向かうことにする。石垣山城は秀吉の小田原征伐のために築城された城郭で、一夜にして建造されたという伝説から一夜城と呼ばれている。私は昔はこの話自体がすべて作り話かと思っていたのだが、秀吉が城を築いたのは本当で、実際にその城郭も残っているというので是非とも見学しよう考えた次第。

 

 箱根街道を小田原側に下っていく。「石垣山城」に向かうルートは、入り口こそ分かりにくかったが案内標識を見つけるとかなり整備された農道を走っていくだけ。傾斜はとんでもないが、道幅は結構あるので走行に不安はない。そこを走っていくと大きな駐車場に出る。私は山道の奥のひっそりとした廃墟を想像していただけに、あまりの観光整備っぷりに意表を突かれる。

   

左 石垣山城入口  右 辺りは見事な観光整備っぷり

 案内に従って登っていくと、まずは広大な二の丸に出くわす。この二の丸の周囲は崩れかけているが立派な石垣に覆われており、この城が総石垣の城であったことが分かる。雰囲気としてはやはり秀吉が築かせた名護屋城に似たものを感じる。

左 登城路を進む  中央 二の丸の石垣  右 巨石がゴロゴロ
 

二の丸風景

 二の丸の北のはずれは今では展望台となっている。ここから小田原方面を見渡せるが、小田原城は山影になっていて見えない。

 二の丸のはずれは展望台

展望台よりの風景

 二の丸の南にはやはり石垣で築かれた本丸がある。ここに登ってみるがかなり広大な城郭であることが分かる。奥には天守台があり、ここに小田原城を見下ろす天守が建造されたのだろう。

左 二の丸から本丸への登り口  中央・右 虎口があったと思われる
 

本丸風景

左 本丸から小田原方面 小田原城は木の影で見えない  中央 本丸奥の天守台  右 天守台より本丸を望む

 本丸から西曲輪、南曲輪と順番に見学するが、各曲輪とも規模が大きく総石垣のかなり立派なもの。

西曲輪

西曲輪から見た本丸石垣

 

左 西曲輪入口  中央 降りていくと南曲輪  右 二の丸方向を望む

南曲輪

 最後に井戸曲輪を見学に行く。ここは巨大石垣に囲まれた驚くような空間。また一番奥の井戸には今でも水が残っている。ただここの石垣はかなり老朽化していて今にも崩れそうな危なさを感じる。あまり手を入れすぎるのも問題はあるかもしれないが、地震が多発している状況だし、ある程度の整備はした方が良いように思われる。

 

井戸曲輪

 井戸跡に降りる  中央 今でも水は溜まっている  右 石垣がかなりやばい

 それにしても予想外の規模でとにかく驚かされる城郭であった。この城郭は一夜城と呼ばれているが、実際には4万人を動員して80日で建造したとのこと。しかしこれでも重機のなかった時代に奇跡的とも言えるスピード。実際には完成したところで視界を塞いでいた樹木を一斉に切り倒して、突然に城が目の前に現れるという演出をしたと言われているが、そこまでやらなかったとしても総石垣のこんな立派な城がこんな短時間で目の前に築かれてしまえば、北条としても降伏するしかないだろう。こんなとんでもないことが出来るだけの力を持った者にあらがう術などあろうはずもない。北条の希望は長期戦になれば補給の大変な大軍勢は撤退に追い込まれるだろうということで、実際に上杉謙信率いる関東諸侯大連合軍に包囲された時もこれで切り抜けた北条のお家芸である。しかし秀吉はこの城を築いたことで「半永久的にでも包囲戦をできるぞ」という意思表示をしたことになり、これは北条の最後の望みを絶つに等しいものであったろう。戦わずに勝つのが上策というのは孫子も言っていることだが、秀吉も圧倒的な力を見せつけることで相手の戦闘意欲を削ぐという手をよく使っている。

 

 石垣山城の見学を終えたときには完全に両足が死んでしまった。昨日の二万歩越えに続いて、今日もすでに一万歩を越えている。完全に限界である。もうホテルに引き上げることにするが、その前にかなり遅めの昼食に「千世倭樓」「美蔵」に立ち寄る。

 

 注文したのは「かまぼこかき揚げそば(1500円)大盛(+300円)」。小田原と言えばかまぼこだが、その名に恥じないほど確かにうまい。そしてかき揚げと更級の上品なそばとの取り合わせもなかなかに良い。

 

 遅めの昼食を摂ると箱根街道を突っ走ってホテルに戻る。今も箱根街道は東京方面行きは大渋滞である。箱根周辺が交通の難所であるのは今も昔も変わらないようである。箱根地区を車で移動する時はこれに注意しないとひどい目に遭いそうだ。

 

 ホテルに戻ってくると例によってまた暇を持て余すことになる。そこでユネッサンに入浴に行くことにする。パンシオン宿泊客にはユネッサンの割引利用券が配られているのでそれを使用して森の湯で入浴する。

 

 森の湯は巨大な露天風呂を併設した典型的な日帰り入浴施設。ただ元々あまり特徴のない泉質に加熱循環・塩素使用であるからお湯自体はお世辞にも上質とは言えない。しかも最近の私は実はかなり困ったことになっている。それは昨年末に寸又狭温泉を訪問して以来、そこらの温泉は全部ただの新湯に感じられるようになってしまったのである。ヨーグルトマニアには有名な安田ヨーグルトのキャッチは「これを飲んだら他は全部水」というものであるが、あの強烈な寸又狭温泉の湯を体験すると私も「他は全部新湯」状態になってしまったのである。というわけでここの温泉も「ただの塩素臭い新湯」というのが実感。

 

 とりあえず体を温めると夕食を摂る店を探す。しかしあまりに選択肢が少なすぎる。結局は昨日と同じ店でペスカトーレを食べることに。箱根に来る時は夕食についてはよく考えておいた方が良さそうだ。

  今晩もイタリアンになってしまった・・・

 夕食を摂ってホテルに戻ると、先日の寝不足に加えて歩き回った疲労が一気に押し寄せてくる。テレビをつけても例によって見るような番組はほとんどないし、結局はかなり早めに床につくことになる。

  

☆☆☆☆☆

 

 

 三泊四日の大遠征もいよいよ最終日である。昨晩は前日のような馬鹿がいなかったおかげで静かな夜を送ることが出来、朝まで熟睡・・・と言いたいところだが、相変わらず睡眠時無呼吸症の影響があっていささかダルさが残る。とは言うものの体調は悪くはない。両太股の張りを除けば・・・。

 

 荷物を片づけてから食堂で朝食を摂ると、朝風呂で体をほぐしてからチェックアウトする。今日は車でかなり走る予定。

 

 まず最初の目的地は「葛山城」。葛山城はこの一帯に勢力を持っていた葛山氏の居城である。古くは中臣鎌足につながるという旧家で、鎌倉時代には源氏の直臣として実朝に仕えたという。室町時代にはこの地で勢力を張っていた今川氏の国人衆であったが、今川・北条・武田の勢力が拮抗する地であっただけに苦労が絶えなかったようである。しかし今川義元が桶狭間で討たれたことで三者の勢力均衡は崩壊、葛山氏は武田信玄の駿河侵攻の際に武田氏に味方する。しかし葛山氏元が北条氏への内通を疑われて謀殺されたことから武田氏に反旗を翻すが、戦国最強とも言われる武田軍団に到底歯が立つはずもなく、敗北して滅亡したという。葛山氏の名は氏元の養子になっていた武田信玄の息子の信貞が継いだというから、要は信玄による葛山氏乗っ取りだったのだろう。しかしその信貞も武田氏滅亡に際して自刃、ここに至って名実共に葛山氏の滅亡となると共に葛山城も廃城となって今日に至っている。

 

 山を回り込むような形で芦ノ湖の北側を抜ける。昨日同様今日も好天であるが、残念ながら富士山は雲がかかっていて見えない。やはり峰不二子はとことん男を惑わせる悪女のようである。

 

 湖尻峠で芦ノ湖スカイラインを横切って県道337号に入ると、道路はとんでもない山道となり例によってのエンジンブレーキ全開での走行である。AT車になぜLや2のポジションがあるかを知らないような運転手は、この箱根を走行するのは命取りであるので避けた方が良い。最近の車のブレーキ性能がいくら上がっているといっても、常にブレーキを踏みっぱなしのような走行をしていると、そのうちにブレーキが抜けてしまう。その上にここはかなり道が狭い。一度などは対向車がいきなり突っ込んできて急ブレーキ(ABSが作動しているのが分かった)を踏むことになった。

左 仙年寺  中央 登城口は本堂の脇にある  右 葛山氏墓所
 

 ようやく山道を抜けると御殿場線の岩波駅付近に出てくる。葛山城はそこから南西方向の山際、仙年寺の裏手の山上にある。本堂の横手に葛山城に上るためのルートがあり、その途中に葛山氏の墓が建っている。

左 山道を登る  中央 2号堀に出る  右 東の堀切と1号堀

 息を切らせながら山道を数分登ると堀切の跡に出てくる。これが2号堀だという。葛山城にはこのような堀が6号堀まで残っているという。

左 2号堀から右手に進む  中央 東曲輪に出る  右 東曲輪を抜けて先に進む

左 徐々に下っていくと  中央 大手曲輪に到着  右 この下に大手門があった
 

 本丸は左手だが、まずは右手の東出丸の方に下っていく。こちらにはいくつかの小曲輪があり、一番先は大手門があった場所になる。この辺りを散策している途中に散歩中の地元の方と出会ってかなり珍しがられる。地方の小城郭なので地元民の散歩以外はあまり訪れる者もいないらしい。お決まりの「何もないところなんですが」という言葉には「いえ、土盛りの一つもあればそれで十分面白いんです」といつものように答えておく。

左 2号堀から急坂を登る  中央 ここは帯曲輪  右 この上が本丸

左 帯曲輪  中央 本丸虎口  右 この奥は二の丸に続く
 

本丸風景

 出丸の見学の後は本丸に上る。二号堀からは一端帯曲輪に上ってからさらに上がる形になる。本丸の向こうには帯曲輪からつながった二の丸があり、二つ合わせると大きくはないまでもそれなりのスペースにはなる。

左 本丸の下には二の丸  中央 二の丸から本丸方向  右 二の丸虎口

左 二の丸虎口  中央 西の堀切と5号堀  右 6号堀

左 さらに西に進む  中央 鬱蒼とした西曲輪  右 まだ先がありそうだが引き返す
 

 本丸から二の丸を通って虎口を抜けると5号堀、6号堀を越えて西曲輪がある。しかしこの辺りになると先に進むのはしんどそう。図面によるとこの先に水の手があるらしい。

左 4号堀  中央 3号堀  右 結構な高度がある
 

 そう巨大ではないが、さすがに平安以前から続く名家の居城らしくそれなりの規模と機能を有した城郭である。また立地的にも甲斐と駿河を結ぶ要地であり、武田信玄としては何としてでも押さえておく必要があった城郭には違いない。

左 葛山氏居館跡土塁  右 土塁内部は何もない

 城郭の見学を終えて仙年寺に降りてくると、近くにある葛山氏居館跡も覗く。しかしここは土塁は残っているものの中は畑。見るべきものはないので次の目的地に向かうことにする。

 

 さて次の目的地であるが、まだ時間に十二分に余裕があることから、山中湖まで足を伸ばすことにする。確か山中湖には山中湖美術館があったはずなのでそこに立ち寄ろうという考え。

 

 御殿場を抜けて山道を山中湖に向かう。峠を越えて山梨県に突入。驚いたことに峠の向こうは雪が残っている。道路は完全に除雪されているので走行に困ることは全くないが、さすがに雪に出くわすとは驚いた。

 

 しばらく走ると湖岸に出る。しかしシーズンオフのせいか、それともそもそもそうなのか知らないが、以前に訪問した河口湖に比べると心なしか寂れた雰囲気が漂っている。どうやら河口湖周辺は観光地色が強くホテルなども多いのに比べて、こちらは別荘地が多いのが寂れて見える原因に思われる。

  山中湖

 目的の山中湖美術館だが、いざ現地に到着するとどこにあるか分からずに右往左往する羽目に。ようやく案内を見つけたが、その道は別荘地の間を進む細い道で「本当にこの道?」と思うような道。少し進むと何やら建物があるのでここかと思えば、それはテディベアミュージアム。テディベアには全く興味がないのでさらに先に進むと小さな看板を発見。その看板案内に従うと辛うじて除雪されているだけのさらに細い道に誘導される。これで間違っていたら戻りようがないぞと心配になった頃にようやく美術館に到着する。

  

細い道を進んで不安になった頃にようやく美術館に到着

 山中湖美術館は小さな個人経営の美術館。しかしその割にはコレクションには侮れないものがあるという。私の訪問時は版画のコレクションを展示していたが、中にはピカソやシャガールなどの有名どころもあり、なかなか個性的な逸品が揃えられていた。

 

 山中湖美術館の見学を終えると山中湖を後にすることにする。山中湖周辺が河口湖並の観光地ならあちこち回るつもりであったが、季節はずれの別荘地ではすることが全くない。

 

 グルリと山中湖の東側に回り、そこから山越えのルートに入った時だ、ふと湖の方を見た時に気がつく「富士山が見えてる!」。大分富士に近づいたせいか、雲の合間から富士の姿が見えているのである。どこかに車を停めて風景を眺められる場所がないかと走りながら探していたら、山道を少し登ったところに展望台のような場所があったので車を停めて風景鑑賞。ようやく「不二子ちゃ〜ん」にお目にかかることが出来たのである。

 

 何とか富士を見ることも出来たし、これで箱根地区でやっておくべき予定はほぼこなせた。次はオプショナルツアー程度に考えていた河村城を訪問することにする。山道をさらに進むと三国峠を越える。なぜ三国なのかと思っていたら、どうやら甲斐・駿河・相模の国境だからのようだ。道路も山梨県から一瞬神奈川県に入り、その後は静岡県に入る。山梨と静岡のエリアはそれなりに整備してあるのだが、途中の神奈川のエリアが道路の整備状況が一番悪い。

 

 峠を越えると前方に広大な風景が広がる急坂を下っていくことになる。とにかく本遠征ではエンジンブレーキの使い方を練習させられるようなコースばかりだ。何しろヴィッツでギヤをLに入れていても車が勝手に加速していくような急な下り坂ばかりである。

 

 ようやく山道を抜けると山間を走る御殿場線や東名高速に行き当たる。これに沿ってしばし東進、山北駅の南側の山上に「河村城」はある。河村城は平安時代末期に波多野達義の次男の河村秀高によって築かれたと伝えられているが、交通の要衝を押さえる戦略的重要さから各勢力の争奪の地となっている。南北朝時代には河村氏は南朝側の新田氏に協力するが、足利尊氏に攻められてこの地を追われ、河村城は畠山国清、上杉憲実、大森氏を経て小田原の北条氏の支配下となったという。その後、武田氏との間で争奪戦が繰り広げられ、秀吉の小田原攻めで落城して廃城となったと考えられるが、そのことを伝える史料は残っていないとのこと。

 

 登山道の入口で車を停めると、河村城の見学のために山道を進む。道は整備されていて歩きやすいが、傾斜はきついので体力は消耗する。最初からここだけに来ていたのならなんてことないだろうが、この数日の酷使で完全にガタが来ている足腰にはキツイ。

左 河村城登り口  中央 手前が茶臼郭、奥が本城郭  右 お姫井戸

左 茶臼郭登り口  中央 茶臼郭より小郭と本城郭  右 畝堀には水が溜まっているところも
 

 進んでいくと小郭を間に挟んで本城郭と茶臼郭が並んでいる。その下にはお姫井戸と呼ばれる井戸があり、そこには今も水が溜まっている。また各曲輪を隔てる堀は北条氏の城らしく畝堀である。

左 本城郭を下から  中央 本城郭横の畝堀  右 本城郭入口
 

本城郭風景

 やや細長い形をした本城郭は結構大きなスペース。ここを中心として各曲輪が配置されている構造となっている。橋を渡って東に進むと蔵郭と呼ばれる細長い曲輪。そこからさらに東に堀を隔てて近藤郭、さらに大庭郭などの東曲輪群があるはずなのだが、そちらは発掘整備工事中のようで立入不可である。

堀切を超えて東に進むが工事中で立入不可
 

 再び本城郭にもどって南に進むと、一段低いところに馬出郭がある。ここからは下に降りる道が続いているようだが、それを無視して西郭の方に進む。西郭は小曲輪。ここの右手に本城郭との間に挟まれたスペースがあるが、ここが水郭、馬洗場。名前からすると水が湧いているのだろうと思われる。

左・中央 本城郭南に馬出郭  右 そこからさらに降りる

左 右手の低いところが馬洗場  中央 西郭  右 馬洗場は鬱蒼としている
 

 西郭の先にはズラズラと長い通路状の北郭があり、その先の北郭張出で城域はどん詰まりである。

左 西郭からさらに先に進むと  中央 北郭に出る  右 この先が北郭馬出か

 工事のせいで城域の半分ぐらいしか見学できなかったが、それでもかなりの規模の城郭であり、北条氏にとっての戦略的拠点としてかなり整備したのであろうことが推測できる。地形の堅固さからみて難攻不落と言われたのも頷けるが、それでも秀吉軍の大兵力の前にはなすすべもなかったのだろう。

 

 これで本遠征でのスケジュールはすべて終了である。車を返却するために小田原に向かうが、予定時刻よりもかなり早くなりそうである。そこでエクスプレス予約でもう少し早い新幹線に切り替えられないかを調べるが、全く空きがないないということなので寄り道をすることにする。箱根湯本に向かう途中に神奈川県立生命の星・地球博物館があったはずなのでそこに寄ることにする。

 

 博物館に向かって車を走らせているところで、何だかんだでまだ昼食を摂っていないことに気がついた。そこで沿線を見渡してビビッときた店「海雅」に入店する。注文したのは「鰺三昧定食(1360円)」

 

 鰺のタタキにアジフライ、鰺の南蛮漬けという鰺フルコース。しかしこれがネタが良いのか非常にうまい。この店は大当たりであった。直感で選んだのだが、私の旨いものレーダーもまだ錆び付いていないようだ。

 

 腹が膨れたところで博物館を見学する。県立らしくいかにも巨大な自然系博物館で、内容的には地質史料や生物史料まで満載で国立科学博物館と同じようなタイプ。しかし場所柄か地質関係の資料については科博よりも力が入っているかも。ただの時間つぶしのつもりだったが意外と堪能できた。

 

左・中央 中央ホールからかなり壮大  右 惑星展示

左 隕石です  中央 恐竜たち  右 百科事典に見立てたコーナー
 NHKの守本奈美アナウンサー・・・じゃなかった、カピパラもいます

 博物館で時間をつぶした後、小田原にレンタカーを返却して小田原駅に赴く。まだ予定の新幹線の時刻まで1時間半ほどあるのでどうやって時間をつぶそうかと考えつつ小田原駅に到着すると、何やらひとだかりが。どうも新幹線のダイヤが滅茶苦茶になっているようである。どうやら新幹線に飛びこんだバカがいた模様。全く迷惑な話である。在来線でなくわざわざ新幹線に飛びこもうと思うと、線路に入り込むだけでもかなりの労力が必要だろうに、それだけの労力があるならなぜ生きる方を考えなかったのか。わざわざ多くの人間に多大な迷惑をかけて地獄に直行するために労力を費やしたのであればバカの極みというものである。昨今はなぜわざわざ好きこのんで地獄に行きたがる輩が多いのだろうか。以前から言っていることだが、どうかバカはバカだけが集まって地球の裏側に馬鹿国でも作ってそこで互いに迷惑を掛け合って暮らして欲しいと思う。一人のバカのために一万人が不幸になるという今の日本の社会はどこかがおかしい。

 

 結局はしばし小田原で時間をつぶしつつ様子をうかがうことにする。幸いにして私の乗車時間までにはダイヤの混乱は大体収拾して、ほぼ予定通りに帰途につくことができたのであった。

 

 さて本遠征によって長年の宿題であった箱根地区美術館訪問を果たすと共に、これも長年に渡って取り組んできた100名城視察を達成することができた。先の沖縄遠征によって未視察都道府県もなくなったし、ようやく一つの区切りはついたように思われる。

 

 とは言うものの、まだまだ全国には未訪問の城郭も多く、私の興味を引く展覧会も多々あるところである。予算の制約を考えると今後は今までのように怒濤の遠征というわけにはいかないであろうが、やはりボチボチとあちこちを訪問するということは続いていくだろうと考える。

 

 戻る