展覧会遠征 吉備編

 

 日本海側を中心に豪雪が続いているようである。これは必然的に私の遠征にも影響を与える。本来はこの週末は金沢方面に遠征しようと考えていた。目的は「雪の兼六園を見たい」。しかしここのところの豪雪で現在の兼六園の写真を見れば、雪が積もった風情ある風景なんてものではなく、石灯籠から松の木まですべて雪で埋もれてしまっているという状態。これでは私の目指しているところと少し違う。それに北陸方面は雪で列車の運行中止なども起こっているようだ。金沢に行ったは良いが帰ってこれないということも最悪考えられる。結局、この週末の予定は中止にして来週に繰り延べることとした。

 

 そうなると代わりの遠征先だが、妥当な線で来週の予定を繰り上げることにする。目的地は岡山。岡山県立美術館で開催されている長谷川等伯展をメインに、岡山周辺の城郭でも散策しようというプランである。

 

 まずは山陽自動車道を突っ走って岡山まで。相変わらず岡山市内は激混みだし、運転マナーも最悪。岡山ではウインカーを出さないというのがデフォルトになっているが、よく見ているとウインカーを出す奴でもなぜか曲がり始める前に消してしまう。とにかくウインカーをつけても出来るだけ短時間にしようという意志が見える。岡山県人はドケチだからウインカーをつけると玉が消耗するといってつけないなんて噂があるが(岡山ではウインカーはディーラーオプションになっているという噂まである)、これだとそんな陰口を叩かれても仕方ないような気がする。

 


「長谷川等伯と雪舟流」岡山県立美術館で2/19まで

 

 晩年の等伯は自作に「雪舟五代」と記して、自らが水墨画の巨匠・雪舟等楊の後継者であることを宣言したという。その等伯の作品と雪舟、及び雪舟はと呼ばれる画家達の作品を併せて展示するという展覧会。

 雪舟の絵と言えば私の頭にあるイメージは直線的でゴツゴツした岩の表現であるが、確かに等伯の作品の中にはそれに近しい表現は見られており、当然ながら雪舟はと呼ばれる画家達はいずれも同様の表現をとっている。もっとも私の印象に残ったのは、岩よりもむしろ定規で描いたようなやけに幾何学的な建物の表現で、とにかく全体的に硬質な絵というのが雪舟派と呼ばれる絵画である。

 一方の等伯であるが、実際には作風は千変万化であり、確かに雪舟的な表現もある一方でそれとは全く異なって見えるような表現を使っている場合もある。とにかく一筋縄で捉えられるような単純な画家とは思えないのである。


 これで本遠征の主目的は達成。さてこれからの予定だが、やっぱり城郭巡り。ただ先週辺りから腰の状態が良くなく、あまりキツイ城郭は不可能。というわけで今回訪問することにしたのは「白石城」。岡山北部にある中世の山城である。白石城は室町時代に赤松氏配下の田淵氏光が築城した城で、その後宇喜多氏の攻撃により落城、関ヶ原で宇喜多氏が滅亡した後に廃城となったとのこと。

 

 旭川沿いに北上していると、右手にいかにも城郭向きの手頃な独立峰が見えるのだが、それが白石城。この辺りを治める領主なら誰でもここに城を構えるだろうという地形である。なお私の訪問時には近くでトンネル工事中(現在川沿いを走っている道路を内陸に移すのか?)。

 白石城登り口

 山の北側に回り込むと登山道があるが駐車場などはないので、駐車禁止標識がないのを確認してから付近に路駐する。なお私が以前に調べたネットの記録では、近くにスーパーがあるのでそこで買い物をして車を停めたなどという話もあるが、私の訪問時にはそのスーパーは影も形もなく、ただ更地があるのみであった。地方の衰退を物語る一コマである。

左・中央 登山道自体は整備されている  右 この屈曲は虎口的なものがあったのかもしれない

 建部町指定文化財という標識が立つ山道をひたすら登る。道は整備されているし、枯れ葉の類も掃除された跡があってかなり管理が行き届いている印象を受ける。山自体もそう大きな山ではないし、これは楽勝だと考えて進んでいった・・・のだが、予想外なのは私の身体のダメージの方。腰の具合が云々以前に体力自身が驚くほど落ちている。山道の階段を登っているとすぐに息は上がるし、足も膝から下がパンパンに張ってくる。無理をしたら肉離れでも起こしかねない状況。この前の八王子城に比べると屁みたいなものだと考えていたが、私の体力自体が屁みたいになってしまっていた。情けない。

 途中で小さな曲輪がある  中央 ここからも降りる道がありそうだ  右 前方に本丸が見えてくる

 途中で虎口跡?と感じるような箇所を2カ所過ぎた頃から、辺りが城内の雰囲気になってくる。この城は本丸を小さな曲輪が取り囲む形式らしいが、明らかに曲輪らしきものが目に入る。最後に目の前にそそり立つ登り坂をアキレス腱を切らないように用心しながら登っていくと、目の前にテレビアンテナが見えてきてそれが本丸である。

左 本丸には放送アンテナが鎮座  中央 本丸風景  右 本丸の下にも曲輪がある

左 石の祠  中央・右 本丸からの風景

 本丸はそう大きなスペースではなく、城郭自体の規模は大したことがなかったと思われる。なお本丸の石碑の横に小さな石の祠があり、裏に「五百年記念田淵一族建立」と彫られていたことから、御子孫が建てられたものなのだろう。

 

 それほど大きな山ではないが、それでも山頂に立てば辺りを一望できる。一応木のベンチなども設置されており、ちょっとした公園と言えなくもないのだが、実際には人影は全くない。とりあえずここまでたどり着いたところで伊右衛門で一服。今日は寒いと予想していたが、既に汗でぐっしょりである。

 

 一服が終わるとけがをしないように用心しながら山を下る。私は体力のあまりの衰えのせいでヘロヘロになったが、客観的に見れば楽勝と言って良い山であろう。恐らく歴戦の猛者なら息も切らせずに一気に攻略してしまうだろう。

 

 山に登って汗をかいたら、次は当然のように温泉に行きたいものである。ちょうどこの城の対岸に八幡温泉なる温泉地があるのでそこに立ち寄ることにする。立ち寄ったのは宿泊施設もあるサンタケベ

  

 ちなみにこの施設はJR津山線の近くに建っており、ちょうど津山線の車両が通りかかる。津山線は1時間に1本程度のローカル線であり、旅先でも車両を見かけることはそう多くはない。そのために旅行中にたまたまこの車両を見かけた者には1年以内に良縁に恵まれるという伝説が・・・ない。

 津山線車両が通りかかる

 浴室は3階で旭川の流れを見下ろす展望大浴場となっている。泉質はpH8ぐらいのアルカリ単純泉。しかし無職無意味無収入・・・じゃなかった、無色無味無臭のために温泉という感覚のあまり強くないおとなしい湯である。肌当たりはやさしいが、温泉マニアには少々物足りないかも。なおこのサンタケベの近くに温泉会館なる施設もあり、どちらかというとそちらの方が人気があるようである。

 浴室風景・・・なんのこっちゃ分からんな

 温泉で汗を流したところで次の目的地。体調が万全ならまた城郭と行きたいところだが、正直なところさっきの白石城でヘロヘロになったような状態。ここの南に金川城なる城郭があるが、そこは登るのに1時間弱かかるとかいうかなり強者の城郭、とても私の今の状態でアタックできるものではない。そこで山を登る体力がなければ遺跡見学でもしようと切り替えることにする。

 

 岡山こと吉備の国は、古代においては近畿とは独立した勢力を築いていたと言われている。そのためにこの地域はいわゆる古墳の類には事欠かない。そんな遺跡の中の一つで、国指定史跡の両宮山古墳を訪問することにする。

 奥に見える山が古墳  中央 南側には内濠があるが  右 北側は埋め立てられてしまっている

 両宮山古墳は巨大な周濠に囲まれた前方後円墳である。今日残存しているのは内濠の一部(一部は埋め立てられてしまっている)だが、本来は二重の周濠に囲まれていたという。なお戦国期に和田伊織がここに砦を築いたので、その時に少し改変されているとか。

 かなり心細い橋を渡って  中央 鬱蒼とした山道を進む  右 神社に到着する

 とりあえずは裏側から回り込んで前方部に入ってみる。ここには今は祠が建っているが、恐らく和田伊織が砦を建てた跡であろう。確かに小山はあるし堀はあるしと、古墳はそのままお城に出来そうではある。なお現地に行ってみるとあまりに規模が大きすぎて、印象としては単なる鬱蒼とした山。これでは遺跡の全貌は全く分からない。

 そこで今度は表側に回り込んでみることにする。観光案内所兼産直販売所があるのでそこの駐車場に車を止めると、内濠を取り囲む中提に登ってみる。すると目の前に遺跡の全貌が現れる。唖然とする規模。確かにこれは城郭とはまた別種の感慨があるものだと感心する。

 

 この近くには備前国分寺跡もあるというのでそこも訪問してみるが、現地はだだっ広い平地の隅に石塔が建っているだけ。どうやら発掘された遺跡は土の下にあるようだ。さすがにこれはあまりに地味すぎる。私も朽ち果てて土塁ぐらいしか残っていない山城などを訪問したりするが、遺跡巡りは城郭巡りに輪を掛けて地味である。やはり私のような素人には復元建築の一つぐらいあった方がありがたい。

 石塔  中央 看板は立っているが  右 ただの原っぱ

 ここからさらに西に車を走らせると牟佐大塚古墳がある。ここは今では完全に住宅地の中になってしまっているが、こうもり塚古墳、箭田大塚古墳と並ぶ吉備の三大巨石古墳の一つと言われており、石室の内部を見学することが出来る。

左 古墳全体像  中央 石室入口  右 奥に石棺が見える

左 石棺  中央・右 石室は巨石で支えてある

 石室は南向きに開口しており、私は洞窟探検も想定して懐中電灯を持参したのだが、肉眼で十分に内部を確認できるような状況で拍子抜けした。内部は予想していたよりも広く、その奥に石棺が安置されている。石室は巨石で支えられており非常にシンプルな構造であるが、重機の存在しない古代においてこれを建築するのは大変であっただろうと思われる。

 

 さてガラにもなく遺跡見学などをしてしまったが、さすがに昼食抜きで歩き回ったせいで腹が減った。もう既に昼と言うよりは夕方だがかなり遅い昼食を摂ることにする。ちょうどこの近くには桃太郎温泉があるので、その隣の「ひなせ」で昼食にする。注文したのは「みやび弁当(1575円)」

  

 そもそも店名のひなせは漁港として有名な日生のことである。それだけに活魚が中心のメニュー。豪快にぶつ切りの刺身はなかなかに食べ応えがあるが、煮物などの料理も味がよい。いわゆる仕出屋弁当のようだが、なかなかである。

 

 食事を終えるといよいよ入浴。桃太郎温泉は宿泊も出来、大衆演劇なども行われているという雑多で怪しい施設であるが、地下から汲み上げたというアルカリ単純温泉の湯は本物である。毎分300Lという湧出量に物を言わせて、これをダバダバと源泉かけ流し。しかも湧出温度40度という奇跡的な温度のために全くの無加工の湯である。そのために温泉水は硫黄の匂いが漂い、溶存ガスが含まれていることも分かる。

 とにかくすばらしいの一言の湯である。ややぬるい湯なので、露天風呂などではのぼせやすい私でもいつまでも浸かっていられる。具合の悪い腰や疲れ切った足などがこれでしっかりと癒される気がする。

 

 入浴を終えるとレストルームで一服。ちょうど「目がテン」を放送していたのでそれを鑑賞。今回のテーマは料理下手。まるで佐藤アナをいじめているかのようなテーマだ。番組が挙げていたポイントは、1.味見をきちんとしろ、ただし味見をしすぎるとだんだんと分からなくなってくる。2.味に関わるような手抜きはするな。3.出来合品やレシピは既にプロが味のバランスをとっているので、下手に手を加えるな。うーん、何か当たり前すぎるような。そもそも味見をせずに料理を作るというのが信じられない。そんなもの味音痴以前の問題である。

 

 じっくりと休養をとった頃には既に辺りは真っ暗となっていた。後は高速を突っ走って帰途についたのである。

 

 長谷川等伯を鑑賞して、山を登って、遺跡を回って、温泉をはしごしたという形の遠征であった。しかしこうして振り返ってみると「結局は単なる休日の暇つぶしと違うのか?」という疑問もあるのだが・・・。まあ、良しとするか。

 

 戻る