展覧会遠征 北東北・函館編
さて今年もいよいよ大詰めになってきた。当初予定では今年は「東北・北海道強化年間」であった。しかしあの震災の影響などもあり、予定通りに計画がこなせたわけではない。そこでこの時期に大型遠征を企画することにした。今回使用するのは北東北・函館フリー乗車券。東京から東北エリアまでの往復と東北エリア内の5日間フリー乗車券がセットになった企画切符である。今回の遠征ではこの切符の効力を最大限に生かすため、東京前泊をして早朝出発し、帰りは寝台特急の北斗星を使用することとした。目的地は秋田・青森・函館。これでプランの全容はほぼ決定である。
火曜日は仕事を終えると直ちに新幹線で東京へ直行。今月末からいきなりの寒波到来で現地はかなり寒くなることが想定されることから完全冬装備での出立だが、さすがに関西ではこのスタイルでは暑すぎて汗をかいてしまう。東京行きののぞみに乗車すると、塩野七生の「ローマ人の物語」を読みながら時間つぶし。この作品もいよいよ終盤が近づき、キリスト教が力を持ったことでいよいよローマ帝国も終焉に向かいつつある辺り。それにしてもつくづく世界の不幸はキリスト教やイスラム教などの排他的な一神教が力をもったことだと感じる。とにかく一神教の最大の罪は、異なる価値観の人間の存在を容認しないことである。
東京に到着すると明日からの切符を購入、今日の宿泊先の南千住に向かう。例によって宿泊するのはホテルNEO東京である。南千住駅前で夕食を摂ってからホテルに向かうが、跨線橋にエレベーターがついていたことに驚く。およそバリアフリーなどとは無縁の町のように思われていたが、ついにバリアフリーの波はここにまで押し寄せたか。
ホテルに到着すると入浴してからすぐに就寝。明日は早朝出発である。
☆☆☆☆☆
翌朝は5時半に起床すると6時にはホテルを出発、上野駅を目指す。まずは上野から秋田新幹線で角館入りである。予約していた新幹線のチケットをを駅で受け取るが、チケットを見るとこまち13号の13号車13A席。キリスト教徒が見たら卒倒しそうなチケットだが敬虔なる浄土真宗門徒である私には関係ない(笑)。そう言えばプロ野球で背番号42の外人選手をよく見るが、これも似たようなものか。駅で購入した深川飯を朝食にすると、車内でしばしぼんやりと長い時を過ごす。
半分ウトウトしているうちに盛岡に到着すると、そこで前半分が切り離し、ここからいわゆる秋田新幹線になるわけだが、単線区間に突入で新幹線とは思えないような超鈍速運転になる(ディーゼル特急のスーパーはくとに一瞬でちぎられそうな速度)。やっぱり私は秋田新幹線には意義を感じられない。路線をもっと高速化対応に改造してからスーパー特急を運行した方が役に立ったように思うのだが。秋田は実を捨てて新幹線の名だけをとった気がしてならない。
角館に到着
山岳地帯をトロトロ運転で通り抜けて、ようやく角館に到着。とりあえずロッカーにトランクを入れるとまずは「角館城」こと古城山公園までタクシーで移動する。ちなみにこれは「ふるしろやまこうえん」と読むらしい。私は「こじょうさんこうえん」と言ったところ、タクシーの運転手は一瞬「?!」という表情をしてから、「ああ、ふるしろやまこうえんね」と納得していた。どうも地名の読みは難しい。
古城山遠景
途中で武家屋敷街を抜けていくがなかなかに風情がある。ここには帰りに立ち寄ることにする。数分で古城山公園の入り口に着くのでここから徒歩で登ることにする。ちなみにタクシーの運転手によると、最近になってこの周辺で熊が目撃されているので注意するようにとのこと。とりあえず用心してなるべくにぎやかに登ることにする。
角館城は南北朝末期に戸沢氏の城であったが、その後に葦名氏が入り、この時に現在の城下町が整備されたとか。城自体は後に一国一城令で廃城となり、城主は麓に屋敷を構えてここに移動したとのこと。なおこの屋敷跡は現在は全く残っていないという。
登山路を登っていく 入口の車止めの脇に登山路がある。車道を登っていっても良いのだが、どうせなのでこの登山路を登ることにする。登山路を登っていくと途中で削平地を通り抜けることになるが、これがかつての曲輪跡らしい。そう大きな山ではないが、登山路を通ると切岸をまともに登っていくことになるので、運動不足の私には息が切れる。また熊が気になるので大声で「行け行け川口浩 山城編」を歌う。
行け行け川口浩 行け行け川口浩 行け行け川口浩 どんと行け
川口浩が山城を登る カメラマンも照明さんも連れずに登る
登城路の脇には石垣が転がる 機械で削ったようなピカピカの石垣が転がる
すると突然頭の上から 恐いハチが襲ってくる
なぜか不思議なことに 一匹だけ浮いている
ハチの攻撃避けると うごかないマムシが襲ってくる
マムシの次は毒グモか 浩は素手で払い落とす
行け行け川口浩 行け行け川口浩 行け行け川口浩 どんと行け
登るに連れて市街地の風景が見えてくる。これが散策の醍醐味の一つでもある。ここは城跡としての保存状態はイマイチだが、公園としての整備の手は行っているようであり視界が確保されている。
本丸下の曲輪から一望する角館市街 本丸下の曲輪 登山路を登り切るとかなり広い平地に出る。これだけのスペースがあるなら大きな屋敷も建てられただろう。また北側と西側に細かい曲輪の跡が見える。この本丸を中心に四方に曲輪が広がっていたのだろうと推測できる。
本丸風景 下りは車道を降りていくが、かなり急な崖といくつかの曲輪の跡が見える。自然の地形を利用したなかなかの要塞だったようである。山上のスペースが大きいことから、大兵力が立て籠もることも可能であっただろう。まさにこの地を治めるには格好の城砦である。
左 本丸西側にある曲輪 中央 本丸北側にも曲輪がある 右 本丸虎口に当たる部分は改変されている模様 左 車道を降りていった途中にある曲輪 中央 山はかなりの急斜面 右 水源もあるようだ 角館城の見学を終えると武家屋敷街にプラプラと繰り出す。まずは一番手前にあった平福美術館に入館。
武家屋敷街を散策
平福美術館
角館ゆかりの平福穂庵・百穂父子の作品を中心とした美術館。父の穂庵の方はかなり正統派の日本画家という印象でかなりカッチリした絵を描いているが、息子の百穂の方はもっと伸びやかで自由な気風の作品。
なお私の来訪時には合わせて芹沢_介展を開催中であり、彼の作品などを展示。こういう町並みには民芸派の作品はよく似合う。
美術館見学の次は武家屋敷見学に向かう。タクシーの運転手さんに聞いたところによると、現存する武家屋敷は5軒、そのうち上級武士の屋敷が2軒、中級武士の屋敷が2軒、下級武士の屋敷が1軒で、屋敷が城に近いほど上級武士らしい。まずは一番手前の石黒家に入場。ここは奥では子孫が暮らしているらしく、屋敷は手前部分を公開、奥の倉のところが博物館になっていて民具などを展示していた。古き良き田舎のお屋敷といった風情。
石黒家
さらに進むと青柳家がある。ここは屋敷全域が公開されているが、内部に飲食店やカフェが出来ていたりなど、石黒家よりもさらに商売熱心なのが印象的。青柳家専用コカコーラ自販機まであったのが爆笑。また展示物も江戸期の武具などだけでなく、レトロな蓄音機やレコード、さらにはカメラなどの展示もあり一大博物館であった。
青柳家風景 左・中央 庭園内風景 右 この蔵がレトロ館 左 青柳家専用自販機 中央 祭の山車も展示されていた 右 外は紅葉が綺麗だ 後は途中で土産物などを買い求めながら武家屋敷街をプラプラ。しだれ桜の木が多いことから、開花期にはさぞ美しい風景になると思われるが、たぶんその頃は人でいっぱいだろう。なお街路の調和を保つためだと思われるが、近代的な建物に建て替えている家でも、門だけは町並みに調和したものを建てていた。武家屋敷風カフェなども多く、町全体でかなり商売に力を入れている様子。やはり一概に町並み保存などと言ってもそれが経済的メリットに跳ね返ってこないとなかなかに有効性がない。そう言う点では角館はそれが機能しているのか。なお所々にある普通の民家は、表に「非公開」と書いた表札を掲げていた。間違って観光客に入ってこられることもあるのだと思われる(神戸の異人館街でも似たようなことを聞く)。
途中で民芸資料館にも立ち寄る。ここは地元の工芸品などの展示とともに佐竹氏ゆかりの品々(甲冑など)が展示されている。それにしてもここといい、先ほどの平福美術館といい、なぜか建物が洋風である。もしかして行政の方が町並み保存を全く考えていなかった?
民芸資料館 建物自体は洋風だが(左) 外から見ると和風に見える(右) 武家屋敷街を抜けると昼食を摂ることにする。立ち寄ったのは「十兵衛」。「比内鳥親子丼(1580円)」を注文する。
鶏肉が非常に歯ごたえがあり、明らかに普通のブロイラーとは違う。一般に地鶏系は肉が堅いものだが、何も知らないと逆にかなり悪い肉だと考えてしまうのでは。特に昨今は柔らかいものがすなわち美味しいものだと勘違いしている者もいるし。
昼食を終えると田町武家屋敷の方に立ち寄りつつ角館駅までプラプラと散策。結構の距離を歩いたので疲れたが、なかなかに気持ちの良い町並みである。また桜の季節に来たいような気もする。
田町武家屋敷を散策 角館からは今日の宿泊地の秋田への移動。本来なら秋田新幹線を使えばすぐに到着なのだが、今回はあえて遠回り。秋田名物内陸線に乗車することにする。内陸線こと秋田内陸縦貫鉄道は国鉄に切り捨てられた鷹角線を引き継いだ第3セクター路線である。国鉄から引き継いだ時点での鷹角線は鷹巣−比立内間の阿仁合線と角館−松葉間の角館線に分離された状態であったが、経営を引き継いだ同社が建設を凍結されていた比立内−松葉間を開通させて地元の長年を悲願を叶えた形になっている。もっとも地方第3セクターの例に漏れずここも経営は苦しく、せっかくの開通させた路線に対して存廃論議が続いているとか。
秋田内陸縦貫鉄道角館駅はJR角館駅の一部のホームを仕切った簡易な駅で、旧国鉄系第3セクターのお約束パターンである。単線非電化路線なので車両は単両のディーゼル車。AN8807という車番の記載があるが、新潟鐵工製の各地の第3セクターの標準タイプの軽快ディーゼル車であり、内部はクロスシート構成になっている。また最近のローカル私鉄のお約束として女性アテンダントが搭乗、観光案内をしてくれるのだが、残念ながら乗客の方が数人。しかもそれが最初の数駅で降りてしまってしばらく乗客は私一人という状態も。これは確かに経営が大変そうである。アテンダントは途中でグッズ販売なども行っており、私も支援のつもりでキーホルダーを購入する。
沿線は最初は遠くに山を見ながらひたすら田んぼの中。新設路線部分に入った頃からは山岳鉄道の趣となる。沿線はそれなりに風光明媚なスポットがあるようだが、季節を選ぶものが多いようで(カタクリの群落など)、今の季節はかなり殺風景である。
左 奥に見えるのが名山で有名な駒ヶ岳 中央 対向車とすれ違い 右 沿線はのどか 左 山岳部では雪が積もっている 中央 山岳部はトンネルが多い 右 なかなかに風光明媚 左 鉄橋で川を越える 中央・右 鉄橋からの風景 長大なトンネルを抜けると阿仁マタギ駅。ここはマタギをネタに観光開発を進めているらしく、ここから団体客が乗り込んできて車内は急にやかましくなる。
阿仁合駅
阿仁合辺りからは川沿いの集落を結んで進むようになる。全線を通じてこの辺りがまだ一番利用客が多い印象。そして大きな川を渡って奥羽本線が左手から迫ってくると終点の鷹巣である。とにかく東北のローカル線のご多分に漏れず、沿線人口が絶望的に少ないという路線で、沿線利用に期待するのはかなりつらいところである。観光客をいかに呼び込むかが死命を制する鍵になりそう。そのために観光をかなり意識しているようであり、沿線にはそれなりの観光ネタも揃っているのだが、もう一つ何か大きな起爆剤が欲しいところ。
鷹巣駅はJR鷹ノ巣駅と隣接というよりも駅の一部。ここからJRの秋田行き普通に乗り換えるが、乗り換え時間が2分しかないので急ぐ。列車にはギリギリ間に合う。
後は半ばウトウトしつつ秋田まで。1時間以上を要して秋田に到着する。正直なところ奥羽本線はかなりだるい。秋田に到着するとまずはホテルを目指す。今回の宿泊ホテルはドーミーイン秋田。駅前で天然温泉付きという使い勝手の良いホテルである。
ホテルにチェックインすると夕食に出かけることにする。ざっと調べたところ、近くに郷土料理の店があるらしい。その店「和ダイニング 我楽」を目指す。店はすぐに見つかるがその店構えを見ると少しひるむ。お洒落と言えなくもないのだが、何となく飾り付けの方向性を微妙に間違っているような気がする。正直なところ郷土料理という店構えではなく、どちらかと言うと風俗店のような・・・。しかし間違いなく「郷土料理」の看板が出ている。意を決して入店するが、いきなりお迎えしてくれるのが滅茶苦茶きれいなお姉ちゃん。やはり間違って風俗店に入ってしまったかと慌てるが、差し出されたメニューは確かに郷土料理店のもの。とりあえず飲み物はノンアルコールの青リンゴソーダを頼み、「きりたんぽコース(3150円)」を注文する。
まずは手作り豆腐から。これがうまい。次がイカの塩辛、セリの浸しなどの3点盛り。私がセリをうまいと思ったのはこれが初めて。ただイカの塩辛は日本酒のあてには最高だろうが、青リンゴソーダのあてには辛い(笑)。さらには刺身。なかなかに新鮮でうまい。店の雰囲気は奇妙だが、料理は至って正攻法である。次がご当地ものでハタハタの一夜干と鳥のつくね。これが非常にうまい。メインはきりたんぽ鍋。きりたんぽは前回の秋田遠征で失敗しているのでリターンマッチだが、これが正解だった。前回のきりたんぽはまるで出来損ないの焼きおにぎりのようだったが、ここのきりたんぽはモッチリとしており、ああなるほどこれが本当のきりたんぽなんだと感じた次第。最後は稲庭うどんでシメ。関西人としてはこれをうどんと言われると「?」だが、全く別種の麺類として考えるとうまい。店構えから受けた印象に反して、普通においしい料理をいただくことができた。特にきりたんぽの認識を新たにしたのは収穫。先ほどのきれいなお姉ちゃん(と言っても私よりはかなり若いのだが)と話をしつつ上機嫌に食事を終えたのであった。
夕食を堪能してホテルに帰ってくると入浴。ナトリウム・塩化物炭酸水素塩温泉という浴場の湯は若干ヌルヌルするなかなかに良いもの。内風呂で少し体を温めると露天風呂の方に繰り出す。冬の秋田の戸外は刺すように寒いが、露天の湯は少々熱めに設定してあるので頭がシャッキリして気持ちいい。これで疲れきった体を癒す。何しろ今日は角館で歩き回ったせいで1万6千歩を超えている。実際、途中で足が痛くなったり、足の指がつったりまでしているので十分に疲れを抜いておく必要がある。
風呂から上がると、しばしネットで明日の戦略を練る。明日はリゾートしらかみで五能線の見学の予定だが、どうも日本海側の天候が悪そうなのでどうなるやら分からない。一応念のために最悪の事態を想定したプランを練っておく。願わくはこのプランが不要になることだが・・・。プランを練り終わると眠気が襲ってきたので報道ステーションを見ながら床につく。テレ朝の宇賀なつみアナはなかなかにかわいい。もっともかなり気が強そうな印象を受けるので、扱いにくそうだが。
☆☆☆☆☆
翌朝は6時前に起床。外はどうやら雨が降っている模様である。すぐに朝食を摂りにレストランに行くと、気象情報などのチェック。どうも恐れていた事態になりそうな嫌な予感である。事態がまだ読めないので早めにチェックアウトすると駅に向かう。雨は降っているもののそう激しくはない。ただ風が強いので傘をさしにくく、なるべくアーケードなどの下を通ることにする。
駅に到着すると早速列車の運行状況を駅員に確認する。ある程度予想していたことだが五能線は強風のために運行停止で、リゾートしらかみは東能代から鰺ヶ沢の区間がバスでの代行輸送だとか。観光快速をバスで代行輸送したのなら何の意味もない。この時点で予定変更を決意、早速昨晩練っていた代行プランを発動させることにする。みどりの窓口に行くとリゾートしらかみの指定券を払い戻し、青森行きのつがる1号の指定券を入手する。今日の宿泊予定地は青森なので、とりあえず青森に向かうしかない。後のプランは漠然と練ってはあるが、とにかく天候次第なので現地に着いてみないと何とも言えない。
秋田駅でしばし列車を待つ。その間に3番ホームからほとんど空気輸送となっているリゾートしらかみが発車する(東能代までしか運行しない全席指定快速列車に乗車する乗客なんてほとんどいない)。その後、ようやく特急つがるが7番ホームに到着する。それにしてもよりにもよってまたこの特急に乗車することになろうとは・・・。この特急には初の東北遠征の際にも弘前から乗車しているが、そのあまりのだるさに二度と乗りたくないと感じたものだ。しかし前回の秋田遠征に続いてこれで3度目の乗車である。最初の時と比べると車両が更新されているのがまだ救いではあるが。
雨の中を列車は北上するが、八郎潟辺りに到着するともう雨は降っていない。これだとリゾートしらかみを運行できるんじゃないかと思うのだが、運行停止理由が強風なのだから仕方ないか。行き違いの上り列車の到着が遅れているとのことでここでしばし待たされる。やはり北の方は天候が荒れているのだろうか。
八郎潟を抜けると森岳に到着。この頃になると空は明るくなってくる。本当にリゾートしらかみを運休する必要があったの? どうもJR東日本はあの列車転覆事故以来やや風に対する対応が過剰になっているようだ。おかげで房総半島などでは列車の運休が頻発しているとか(私もかつてこれに巻き込まれた)。安全重視最優先を錦の御旗にしてダイヤが遅れまくっているJR西日本といい、JRって一体・・・。
東能代に到着するとリゾートしらかみが悲しげに構内に停車していた。青森方面からのバスの乗客を乗せて秋田までまた戻るんだろうか?
しばらくして先日通った鷹ノ巣を越え、先の遠征で降車した大館に到着。ホームの向かい側にはその時に乗車した快速八幡平のキハ110の四両編成というすさまじい姿が見えている。
しばしウトウトしているうちに大鰐温泉に到着する。天候は・・・晴れている。オイオイ。そして列車はそのまま弘前を越え、風もなく雨もなく晴れた青森に時刻表通りに到着する。
大荒れの天候を予測していた私としては完全に拍子抜けである。しかしこんな昼前に青森に到着してしまってもどうしようもない。今日の予定を完全変更することをこの時点で決定する。とりあえず一端改札を出て重たいトランクをロッカーに放り込むと再び改札をくぐる。こうなったら本来は明日に予定していた十和田市訪問を一日繰り上げようとの考えである。
青森から三沢までは第3セクターの青い森鉄道で向かう。この路線は本来はJRの東北本線だったが、東北新幹線新青森開業に伴う在来線切り捨てで八戸−青森間も第3セクター化した次第。ボロ儲けの出来る新幹線以外は経営したくないというJRの本音が透けて見える。それにしても東北新幹線はぼったくりである。
八戸行きの二両編成の車内は満員である。これだけの需要があるにもかかわらずぼったくり新幹線を優先して在来線を切り捨てたJR東日本は、既に公共交通としての使命感を微塵も持っていないのだと感じられる。利益優先の民営化の暗黒面である。私は脱殿様商法と言う意味で国鉄の民営化は数少ない民営化成功例だと考えていたが、昨今のJRの動向を見ていたらそれにも疑問が湧いてきた。何にせよ民営化万能論のようなものは完全に幻想に過ぎないのははっきりとしている。
青森駅からしばしは青森市の市街地の続き。野内を過ぎたところで市街地が途切れ、次に建物が見えると浅虫温泉。ここでかなり大量の降車がある。さらに山間部を走ることしばし、野辺地に到着する。ここまで来ると雪は積もっているものの空は完全に晴天。ここでかなりの乗客が降りて車内はかなり空く。向こうに大湊線の車両が見えているが、どうやら大湊線は強風のために運行休止だとかでタクシーで代行する旨を放送で伝えている。しかし野辺地の様子を見る限りではそんなに風が強いとも思えないのだが・・・。
野辺地を過ぎてさらに進むが、ここからは駅ごとに温泉があるような印象。ただ民家はかなり少ない。しばらくしてようやく三沢に到着。基地の町として知られる三沢だが、駅前のコピーはさすがに「基地の町」ではなく「空の町」になっている。ここから十和田市へは十和田観光電鉄で向かうことにする。十和田観光電鉄は三沢と十和田市を結ぶ私鉄だが、東北新幹線の開通によって十和田湖観光のアクセスが新幹線に奪われた上に、鉄道の赤字を補填していたバスやホテル事業の収益が東北大震災で減少、地元自治体に支援を求めたものの「収益改善の見込みがない」と断られ、来年の3月末をもって廃線が決定されたという。しかしこの鉄道が廃線になることは、十和田湖観光の玄関口としての十和田市の価値がなくなったということになり、そのまま十和田市の地盤沈下を意味することになるのだが、十和田市は本当にそれで良いのだろうか?
十和田観光電鉄の三沢駅は青い森鉄道の三沢駅に隣接している。駅舎はかなり老朽化しているようだ。どことなくこのような雰囲気の駅が記憶にあると思い出せば、弘南電鉄の弘前中央駅に雰囲気が似ている。車両も東急の中古を使っているようだし、弘南電鉄に近いとは言える。
発車時間までまだ余裕があるので駅そばを食べて時間をつぶす。時々カメラを構えた鉄道マニアらしき者達が現れるが、いわゆる撮り鉄かそれとも死臭をかぎつけた葬式鉄か。しかしどうやら彼らは車で移動しているらしく鉄道に乗る様子はない。撮り鉄対乗り鉄なんて不毛な対立なんかに荷担するつもりはないが、「撮り鉄は鉄道に乗らないので経営に全く貢献しない」という批判に頷いてしまうところはある。
ようやく発車時間が来て改札が始まる。車両は東急製の二両編成。乗客は10人足らず。三沢駅を出た列車はしばし全く何もない中を走る。七百が車両基地のある駅で、ここで対抗列車とすれ違う。沿線に民家が見え始めるのはこの辺りから。沿線には2つの高校と1つの大学があるが、平日昼間のせいかこの間の乗降はなし。結局は終点の十和田市までで乗車は2人、降車が1人という状況。
左 十和田市駅(車内から) 中央・右 十和田市駅(外から) 左 改札口 中央 テナントが撤退したビル内はほとんど廃墟 右 東北の駅百選のプレートが悲しい 終点の十和田市駅は本来はスーパー(ダイエーのようだ)がテナントに入っていたのだが、それが撤退して駅の建物自体が廃墟に見える状態。バスターミナルもある交通拠点のはずなのに活気が微塵もない。ただ近くには郊外型のショッピングセンターが進出してきているようである。
さて鉄オタではない私が十和田市までわざわざやって来た目的は、当然ながら十和田観光電鉄に乗るためではない。ここにある十和田市現代美術館を訪問することが目的である。しかし美術館がある市中心部にはやや距離があるのでタクシーを利用することにする。
十和田市現代美術館周辺には立体作品が多数 美術館へは数分で到着する。屋外に大型作品が展示されているが、反対側の路面にもお馴染みの草間彌生の水玉かぼちゃが見える。企画展と常設展が開催されていたが、常設展に関しては分かりやすい作品が多いのが特徴。私は以前から「現代アートは遊園地のアトラクションみたいなもの」とよく言うが、まさにそれを感じさせる類の作品が多い。入場するなりいきなり巨大なおばはんの像に驚かされるが、とにかく芸術的感慨云々を抜きにして、単純に楽しめる作品が多いのが好感を持てる。企画展は「加藤久仁生展」を開催中。アニメ作品の「つみきのいえ」を上映していたが、この作品がどうにも私には物悲しくて・・・。つくづく私も年をとったものだと感じずにはいられなかった。
これで十和田市での予定は終了。駅まではバスで帰ることにする。帰路の乗客は最初は10人程度だが、途中の工業高校前と三農高前で大量の高校生が乗車してきて車内は満員に。思わず「乗客いるじゃん」と叫びたくなる。なぜわざわざ廃線にするのか理解に苦しむところである。どうも日本各地で行われている地方荒廃の一つの縮図のように思われてならない。やはりこのままでは日本は滅んでしまう。東京解体に続く日本再生計画の実行が急がれるところであるが、私にはその力がないので如何ともしがたい。何やらあせりのようなものを感じる。橋下徹のように特にまともな政策があるわけでなく己の権力欲を満たすことだけを目的にしている輩でも、テレビで顔を売りさえすれば選挙に通るようだから、私もテレビで顔でも売って選挙に立候補するか?
それにしてもこの時期の東北の夜は早い。まだ4時過ぎなのに既に夕闇迫る状況となっている。三沢から青森までの帰途では浅虫温泉手前で突然に列車がスローダウン。どうやら強風のために徐行運転になっているとか。線路端の草を見れば確かに風にたなびいている。そして10分以上遅れて到着した青森駅は暴風の最中だった。しかも雪がぱらついてくる始末。確かにこの状態だったら列車が運休するのもやむを得ずという感がする。この程度の天候は青森ではよくあることのようだが、関西育ちの私にとってはこんな強風は台風ぐらいでしか体験したことがない。とにかく風が正面から吹いてくれば前に進むのが困難という状況。全くもって東北の天候はよく分からない。
それにしても腹が減った。今日の昼食はと言えば、青森駅で購入したおにぎりと三沢での駅そばだけ。ここはさっさと夕食を摂ることにする。向かったのは例によっての「おさない」。ここで例によっての「ホタテフライ定食(1200円)」に「貝焼き味噌(800円)」をつける。
醤油でいただくホタテフライは相変わらずのうまさ。貝焼き味噌はホタテの卵とじのようなものに味噌味をつけている。これをそのままご飯に乗せればホタテ丼というイメージ。たっぷりとホタテを堪能したのである。
夕食を済ませると予約していた青森センターホテルに向かう。これが道のりは大したことがないのにかなり困難な行程。しかも雪は先ほどよりも強くなってきている。天を仰いで「天は我々を見放した・・・」と思わず八甲田山ごっこをしたくなる。
ホテルに到着した頃には体が冷えきってしまったので早速ホテル自慢の温泉浴場へ。このホテルはいわゆる温泉入浴施設と隣接しており、宿泊者はこれを自由に使えるという仕掛け。さすような寒気の中での露天風呂は格別。何かクセになりそうである。
嵐でホテルの外にはとても出られないし、部屋で明日の作戦を立てることにする。明日は函館まで移動の予定だが、それをどうするかである。当初予定は十和田市に寄ってから函館入りするというものだったが、この十和田市訪問は今日済ませてしまったので明日はフリーハンドである。
まずリゾートしらかみで秋田まで行って、秋田から新幹線とスーパー白鳥を乗り継いで函館入りすることを考えたが、秋田新幹線の遅さと接続の悪さのせいで函館入りが夜遅くになるので没。次に考えたのは五所川原にだけ立ち寄るプラン。行きをリゾートしらかみ2号、帰りをリゾートしらかみ1号にすれば夕方には函館入りできそうである。とりあえずリゾートしらかみの座席の確保はしておくが、問題はこれが明日走るかどうか。さらに第二案として大湊線の大湊まで往復してから函館入りする計画も立てておく。
計画を立て終えたところで眠気が襲ってくるのでそのまま床に就く。
☆☆☆☆☆
翌朝は6時前に起床するとまずは朝風呂。その後に朝食を摂る。天候が気になるところだが、天気予報によると今日も荒れ模様。今朝は外はすでに雪で真っ白である。今後の予定を考える必要があることから早めにチェックアウトすると青森駅に向かう。しかしその間にも雪はどんどん強くなる。恐らく現地の人間にはなんてことない普通の天気なんだろうが、関西生まれの私にとっては未だかつて見たこともないような大雪である。幸いにして足下が怪しい状況ではないが、参ったのはこの中ではキャスター付きのトランクがまるで役に立たないこと。雪をガリガリとかいていくだけでキャスターが全く用をなさない。こういうことも関西の私には想像がつかなかった現象である。さらに寒い。今回の遠征では用心して、関西では「?」と思われるほどの重装備で来ていたのだが、これが正解だったことを感じる。ダウンジャケットでなくてジャンパーで来ていたら、この寒さの中をとても外出は出来ないところだ。ただそれでも装備に盲点があった。靴を通して足から寒さが凍みてくるのである。そう言えば新潟出身の同僚が「雪国での寒さ対策で一番重要なのは靴」と言っていたことを思い出す。私が履いているのは比較的底の厚い簡易ハイキング靴なのだが、雪国の冬に対するには本格的な冬靴が必要なようである。
表はこの状況
青森駅に到着すると列車運行状況を駅員に確認する。やはり雪はともかくとして風がネックになっているようだ。五所川原までのリゾートしらかみ2号は五所川原までは運行する模様だが、帰りのリゾートしらかみ1号が五所川原まで来ない可能性が非常に高いことが判明。五所川原で進退窮まるということだけは絶対的に避ける必要があることを考えると、これで第一案の五所川原プランは破棄である。代案は大湊線プランだが、大湊線は昨日からのバス代行状況に変化がない模様。この時点で第二案もあえなく消滅、青森方面は全滅である。
さてどうしたものかと思案をめぐらせる。青森市内で見学するところでもあればそれが一番妥当なのだが、はっきり言ってそのようなあては全くない。それにそもそも雪に不慣れな私がこの吹雪の中をウロウロと動き回るというのはどう考えても賢明ではない。結局のところ「えい、もうさっさと函館に渡ってしまえ」が結論となった。
リゾートしらかみ
みどりの窓口に行くと、まずはリゾートしらかみの予約取り消し、続いて特急白鳥の指定券をまもなく発車する便の分に変更する。
白鳥が到着
ホームで特急を待つがとにかく寒い。なるほど、北国の駅が立派な待合室を持っているわけがよく分かる。ようやく新青森から出た白鳥が到着、車内はおおむねガラガラである。座席についてホッとすると、向こうのホームではこれまた空気輸送のリゾートしらかみが出発していくのが見える。
白鳥は一面の雪原の中を出発する。そのまま津軽半島を北上するのだが、しばらく走行すると先ほどまでの降雪が嘘のように天候は晴天に変わる。思わず唖然。よく雨はきわめて狭い範囲にしか降らないというが、雪もその通りのようである。この辺りの天候を見ていると、青森周辺で列車が止まったりしているのが想像できない。しかもこれがさらに5分も走れば激変。再び空は真っ黒になって一面の降雪。つくづく冬の北国の天候は読めないと痛感する。
左 これが 中央 こうなって 右 またこうなる それにしても外は寒そうだ。車内は暖房が効いているので上着は脱いでいるのだが、すると窓に近い肩が冷える。窓ガラスで冷却された空気が下に降りていくことを感じる。なるほど、以前に乗車した北海道の列車が二重窓になっていたわけである。とにかく関西人の私には想像のつかない常識が連続する。
長い青函トンネルを抜けるといよいよ北海道上陸。「ああ、来た」という言葉が思わず口から出る。なぜか久しぶりに「戻ってきた」ような気がする。不思議なことなのだが、私は初めて来た時から道南には相性の良さを感じているのである。
函館には10時過ぎに到着する。これからの予定は既に決定している。函館で白鳥を降りるとそのまま向かいのホームに停車しているスーパー北斗に乗車する。これで森に向かおうという考え。函館本線は大沼で分岐して、ちょうど駒ケ岳を取り囲むように走っているが、このうちの海側を回る支線(通称「砂原線」)の視察がまだである。今保有している北東北・函館フリー切符がちょうど森までが有効範囲であることから、森から砂原線を回って函館に戻ってこようという考え。
スーパー北斗の自由席は乗客でごった返している。なぜこんなに混雑しているんだと疑問を感じていたら、どうやら中国人(韓国人?)の団体が乗車している模様。スーパー北斗は満車のまま北上する。
大沼公園で大量降車 函館の市街地を抜けて辺りが森の風景になってしばらく走ると大沼公園。ここで先ほどの中国人団体その他が大量に降車、車内は一気に乗客が減少する。なおこの辺りの森林は札幌周辺と違って白樺が少ないので黒い。これが私が風景に違和感を持たない原因か。
森駅に到着
大沼公園を抜けると右手に駒ヶ岳が見えてくる。森はまさに駒ヶ岳の麓という印象の町。駅は海のすぐそばにあり、今日は風も強い。ここで下車すると駅前見学。何の変哲もない田舎の地方都市である。このクラスの都市だとたいていどこかに城跡がと考えてからハッとする。ここは北海道だった。あったとしても城跡でなくせいぜいチャシ跡である。
まだ砂原線経由で函館まで戻る列車の発車時間まで余裕がある。そこでやはり森と言えばこれというわけで、イカめしを購入。軽めの昼食としていただくことにする。イカの中に入ったモチッとしたもち米とイカの味付けのバランスが絶妙。これはなかなかにうまい。
強風吹きすさぶ中を駅の待合室でしばし休憩。この強風を見ると、駅舎が完全密閉(改札側には自動ドアがあり、表のドアに至っては二重ドア)になっている理由がよく分かる。表は完全防寒でも数分で体が冷えきるほどの極寒、しかし駅舎内は薄物一枚になりたいぐらいの完全暖房。このギャップが北海道ならではか。
ようやく列車が到着する。車両はキハ40の単両。ただし内部に仕切りドアがあり、窓は二重になっている寒冷地仕様である。乗客は数人。ここから列車は駒ヶ岳の周りをグルリと回るような形で走行する。駒ヶ岳は進むごとに山容を変えていくが、線路の周りが森なので駒ヶ岳がずっと見えるわけではない。また沿線は限りなく民家が少ない(もっとも本線の大沼公園−森間は完全に山の中で民家は皆無だが)。この辺りは本土の感覚とはかなり異なる。
左 車窓からは駒ヶ岳が 中央 流山温泉駅にはなぜか新幹線車両が置いてある 右 大沼駅 1時間ほどをかけて大沼に到着、ここから函館までは徐々に乗客が増えていきながら函館に到着する。
久しぶりの函館である。「いいなぁ」という言葉が自然に出る。やはり私は最初からこの町に相性の良さを感じている。とりあえずは身軽になりたいので雪のちらつく中をホテルに向かう。今回宿泊するのは「ラ・ビスタ函館ベイ」。ドーミーチェーンの中ではビジネスホテルではなくリゾートホテルに属する施設。私が前回に函館を訪れた際、次回はこっちに泊まりたいと感じた「高級」ホテルである。実は今回函館まで足を伸ばすことにしたのも、この「高級」ホテルの「リーズナブルな」宿泊プランを予約できたことが大きい。
ホテルは赤煉瓦倉庫街の中にある。まだチェックイン時間になっていなかったので、荷物を預かってもらって赤煉瓦倉庫街で昼食を摂ってからしばし散策。本当は五稜郭辺りまで出かける予定だったのだが、何しろこの頃から外は激しい吹雪。とても遠出をする気にはなれない。
赤煉瓦倉庫街はいわば「風情のあるショッピングモール」。洒落ているのだが、オッサンが一人でうろつくところではないといえる。私の横に綺麗な女性でもいればさぞかし楽しいだろうが・・・。もっともそういう女性がいれば、うろつくところは赤煉瓦倉庫街でなくても、神戸の長田商店街でも十分に楽しいはず。
ようやくホテルのチェックイン時間が来たのでホテルに入る。11階の部屋は見晴らしは抜群である。また部屋のデザインは大正レトロをイメージしているらしくなかなか洒落ている。装備自体はドーミーイン標準なのだが、一つ一つのアイテムが洒落ていて女性などは喜びそうだ。これで野郎一人ではなく、綺麗な女性と二人なら・・・もうやめておこう。
早速最上階の温泉大浴場に繰り出すことにする。ここの温泉はかなりショッパい湯で、単に地中に染み込んだ海水なのではという気もしないではないが、それはこの際はおいておく。とにかく眺めが抜群であり気持ちいい、また吹雪の中の露天風呂というのも乙なもの。顔はひきつりそうなほどに寒いのだが、体はポカポカ。これだとさすがの私ものぼせることがない。もっとも湯船から出たらその瞬間から死ぬほど寒いが。
部屋から見える夜景
風呂から出るとサービスのアイスキャンデーをなめながら一服。吹雪はさらに激しさを増している模様なので部屋から出歩く気も起こらない。この日の夕食はホテル手前の寿司屋で済ませる。この寿司屋は以前の函館訪問の際も入浴後に訪れているのだが、ネタは良いものの観光地価格でやや高いのが難点。ザッと皿の枚数を目算しながら、カンパチ、ホウボウなど3000円弱ほど食べて帰る。
この後はほとんど部屋でまったりとする。そうしているとここ数日の無理の蓄積による疲労がどっと体に出てくる。まだ就寝するには早すぎるが、とりあえずベッドに横になろうと考えたのが8時頃。しかしベッドの上に横たわった途端、そのまま瞬時に気を失ってしまったのである。
☆☆☆☆☆
途中で2回ほど目が覚めたが、最終的に翌朝目覚めたのは6時。よく寝たという感覚はあるのだが、残念ながらあまり熟睡感はない。やはり無呼吸症がひどいのか。
部屋の窓からの風景
7時ごろに朝食に出かける。朝食はバイキング形式だが、やはり通常のドーミーインよりは豪華である。和洋両対応なのは同じだが、和の方は海鮮丼が出来る内容。洋の方もパンの種類やデザート類が豊富。朝から和食派の私だが、今回は和洋両様でガッツリと頂く。
ホテルの最上階から望む函館山 さて今日の予定だが江差線の視察の予定。江差線は函館から江差を結ぶ路線だが、その木古内−江差間が未視察のままである。なおこの江差線の木古内−江差間は、廃止になった松前線(木古内−松前)よりも乗客は少なかったのであるが、乗客の多い木古内−函館間が江差線になっていたために生き残ったとのこと。国鉄末期の赤字線廃止がかなり大馬鹿な基準でなされたことは知られているが、その大馬鹿さのおかげで生き残れたという数奇な運命を辿った路線である。
江差まで行く列車は日に数本。私の乗る予定の列車は函館を出るのが10時過ぎなので、私の遠征では通常ありえないようなゆっくりした朝。朝食を摂った後は寒空の下の露天風呂でまったりする。その後はしばしテレビをボーっと見て時間をつぶす。ちょうどNHKのニュース深読みを放送中。この番組は小野アナの番組ということになっているが、どうも彼女の比重が段々下がっているような気がする。既に40を越えて中堅どころかベテランの域に入ってきたNHKのアナウンサーとしては、いつまでもバラエティ専門というわけにもいかないのでニュース番組を担当させたのだろうが、やはり彼女のキャラを生かせていないというか、何となくやりにくそうな印象ばかり受けてしまう。なんか彼女もストレスが溜まっているのか、ここのところ急激に老けた気もするし。
10時前にタクシーで駅まで送迎してもらうと江差行きの普通列車に乗車する。列車は函館の市街地を抜けると海沿いを走行しつつ南下する。途中での乗降はそれなりにある。
木古内では下りの特急待ちで10分以上の停車。そのうちに下りのスーパー白鳥が向こうのホームに到着する。よく見ていると出口のところでたばこをすって、ドアが閉まる間際にホームに火のついたままのたばこを投げ捨てる馬鹿喫煙者が2名。喫煙者におけるマナーの悪い者の比率は年々上がっているように思われる。多分、マナーを守って喫煙できるような者はもう既にタバコをやめているのだろう。今時まだ喫煙をしているような輩にマナーを求めることはもはや不可能なのか。
神明駅周辺は完全に山の中 上ノ国を過ぎた辺りから海が見えるようになる 木古内を出ると二駅ほどあるが、その先はしばし山の中を延々と走行し駅はない。大分走った後にようやく次の停車駅の神明。その次の湯ノ岱は交換可能駅で、ここでタブレット交換がなされるのだが、対抗列車がいないので交換ではなく、単に駅員との間での引き渡しになっている。それにしてもここまでは完全に山間列車であり、神明駅前に民家が2、3軒見えた以外は沿線には民家は皆無である。湯ノ岱を出るとまたしばし山で、次の宮古市辺りからようやく人家が見えるようになる。上ノ国を過ぎると左手に海が見えるようになり、ようやく終点の江差である。
江差駅風景 江差駅は江差の市街の南に外れたところにあり、観光中心にはここから北上する必要があり、降車客の大半はそちらに向かって歩いていくが、数人だけ駅周辺に残っている者がいるが、彼らはどうやらいわゆる鉄道マニアの模様。列車が引き返すまでの10分ちょっとの時間は辺りの撮影タイム。
江差駅前風景 江差駅付近の海 発車時間が来ると列車に戻ってそのまま折り返す。今日は天気も良いし、いっそのことこのまま江差を見学しようかと思ったのだが、そうすると次の列車が3時間先というのがつらい。せめて2時間後なら何とかなるが。こういう辺りからも、やはり最低でも1時間に1本は運行がないと非実用的なダイヤと言わざるを得ないと思われるのである。ここまで少ないと地元住民だけでなく、観光客にも使いようがない。列車の本数が少ないから不便さが嫌われて乗客が減り、乗客が減るからさらに本数が減るという地方の悪循環である。
木古内まで戻ってくるとスーパー白鳥で函館に戻る。函館に戻ったのはまだ3時過ぎなのだが、冬の北国の日暮れは早い。その前に路面電車で「五稜郭」に立ち寄ることにする。
本当は雪の五稜郭を見るつもりだったのだが、私が函館に帰ってきた時には雪は完全に消えてしまっていた。雪が残っていたら五稜郭タワーに登るつもりだったのだが、これでは意味がないのでタワーは無視して五稜郭を一回り。前回の訪問時には荷物が重たかったせいで途中で足が終わってしまって裏側は見学していないのでそちらの方に抜ける。その頃には辺りが薄暗くなり始めるので五稜郭に沿って帰途につこうとするが、よくよく考えると今日はまだ昼食を摂っていなかったので、かなり遅めの昼食として途中で見かけた回転寿司屋「函太郎」に入店する。
回転寿司と言いながら私の訪問時には寿司は回っておらず回っているのはメニューだけ(笑)。そこで適当に注文。生イワシ、生ニシン、軍艦三点盛り(うに、白魚、生牡蠣)、ヅケマグロ、えんがわ、ハマチ、生ホタテ、真鯛、真ソイ、ホッキ貝、本マグロ中トロでしめて3420円。昨日の寿司屋よりは全体的に価格設定が安めで、それでいてネタなどは下手な回らない寿司よりも上(というか、ここも実質は回っていないんだが)というのが気に入った。
かなり遅めの昼食を終えるとホテルに帰還、そのまま露天風呂に直行である。寒空の下の露天風呂を堪能すると、しばしテレビを見たり原稿を打ったりで時間をつぶす。その内に小腹が空いてきたのでホテル近くのラーメン屋で塩ラーメンを頂く。これも可もなく不可もなく、それでいて価格は高めとやはり観光地レストランであった。
小腹を満たしてマッタリすると、この日も若干早めに床に就くことにする。
☆☆☆☆☆
翌朝は6時に起床するとまずは朝食。それからしばしまったりして9時前にチェックアウトする。それにしても久々にゆったりしてしまった印象。もっともいくら「リーズナブルなプラン」といっても、私が普段泊まるホテルの3泊分ぐらいの費用が2泊でかかっている。私としてはかなりの贅沢である。どうも堕落しそうな怖さがある。
タクシーで駅まで送迎してもらうと、そのまま駅レンタの事務所に向かう。今日はレンタカーで周辺を回る予定。本来の今日の予定は、朝から森まで往復して午後にレンタカーのつもりだったのだが、青森周辺の悪天候で森訪問が繰り上がったことから今日の予定がなくなってしまった次第。そこで午後から借りる予定だったレンタカーを急遽朝からに変更したのである。
そもそもレンタカーを借りた目的は、五稜郭の北部にある「四稜郭」を見学するため。四稜郭は戊辰戦争の際に五稜郭の北部を守備するために急造された要塞である。規模・知名度ともに五稜郭には遠く及ばないため、メジャーな観光ルートからは完全にはずれてしまっており、公共交通の便は全くない。そこでこれを見学しようとするとタクシーかレンタカー、どうせタクシーでも結構かかるので、それならいっそのことレンタカーを借りようと考えた次第。
駅レンタ事務所に出向くと、待っていたのはまたもマーチ。嫌いな車にも関わらず、クラス指定の関係で出くわすことの多い車種である。しかも今回借りた車は異様にブレーキの踏み代が浅く、発進しようとした途端にいきなりガックンブレーキの連続。まずはこれに慣れるのに一苦労。また例によってのアイドリングストップが鬱陶しい。
乗りにくい車に四苦八苦しながら、函館市街地をしばし北上。目的の四稜郭は函館北部のやや小高い丘の上にある。
左 入口裏側の虎口部分 右 四稜郭の石碑 公園近くの駐車場に車を止めると見学。第一印象は「小さい」というもの。規模も土塁の高さも五稜郭とは比較するべくもない。要塞と言うよりは陣地である。旧幕府軍の兵士200名と地元の村民100名で数日で完成させたと言うから、やはり野戦陣地というのが実態。建造物もなかったらしいし、この規模だと立て籠もる兵員もせいぜい100人レベルだろう。新政府軍の攻撃でわずか数時間で落ちたというのもさもありなん(現地看板の説明によると、後方の権現台場が先に落ちたため、五稜郭との連絡を絶たれるのを恐れて撤退したということらしいが)。
10分程度で四稜郭の見学を終えると、これで函館での予定が終わってしまった(笑)。まだ車を借りて1時間も経っていない。さてどうしたものかと考えた時に浮かんだのは江差。函館から片道2時間もかからないはずである。幸いにして雪は降っていないし、もしもの場合もさすがにこの時期の北海道のレンタカーは標準装備でスタッドレスを装備している。雪道走行に自信はないが、まあ帰ってくるぐらいはできるだろう。
江差への国道を突っ走るが、道は良いが峠越えの結構ハードなルート。それに雪は降ってはいないが、進むにつれて雨が激しさを増してくるという嫌な条件での運転になる。スタッドレスタイヤはうるさいし、マーチは非力だしとあまり快適な運転ではない。
ところで北海道の車は運転が荒いと聞いていたのだが、今回の函館ナンバーに関しては天候が悪いせいか、そう運転が荒いという印象はなかった。一度、無茶な追い越しをかけていくひどい運転の車がいたから、やっぱりこっちにもこういう奴はいるのかと思ってよくナンバープレートを見たら、広島ナンバーだった(笑)。
途中で靄ったりなど悪条件の中を走行すること1時間半ほど、ようやく江差に到着する。しかし到着した江差は大嵐の中だった。雨はそう豪雨というほどでもないのだが、とにかく風が強い。折りたたみ傘なんか簡単に骨が曲がってしまったので、傘をさすことは断念した。こんな強風は以前の新潟以来。やはり江差も日本海岸である。
左 追分会館 中央 内部 右 追分資料室展示 左 山車会館内展示 中央 楠木正成 右 瓊瓊杵尊(ニニギ、日本創世神話の登場人物) とりあえず追分会館なる施設があるとのことなので、駐車場に車を止めると施設内に駆け込む。ここは江差追分に関する資料や、祭りの山車などを展示している施設。祭りはかなり盛んらしいが、その山車のキャラクターが日本武尊は良いとしても、伊達政宗に武田信玄、さらには楠木正成に果ては水戸黄門という時代も場所も脈絡のない訳の分からないもの。とにかくオールスターキャストという印象である。これだと諸葛孔明とかが混じっていても違和感なさそう・・・。
追分会館の見学を終えると近くのそば屋でニシンそばをいただいたがこれは失敗。出来合いのそばに出来合いのニシンを添えただけで、これなら江差でなくても新大阪の駅そばで十分である。
近くには往時の町並みを復元したいにしえ街道があるというが、この嵐の中ではとても歩いての見学は不可能。諦めて車で通り抜けることにする。かつてニシン漁で繁栄した頃の江差の面影を伝えようとしているようだ。それなりの風情はあるが、やはり「綺麗すぎるな」というのが正直な印象。どうしても作り物臭さが抜けない。また街路のコンセプトも江戸時代とも明治時代ともつかない中途半端な雰囲気。街路の時代設定が統一されていないので余計にてんでばらばら感がつきまとってしまう。
次にカモメ島の方に向かうが、こちらも散策という状況ではないし、結局は開陽丸を遠くから見ただけで終わってしまう。天候はさらに悪化の方向だし、これ以上何か見るべき所もなさそうだしというわけで、結局は早々に引き揚げてくる。やはり江差を見学するなら天候の良い昨日の方が正解だったか。やはり冬の日本海岸はどうしても荒れる。
開陽丸とカモメ島 再び山道を2時間近くかけて函館に戻ってきたが、まだ昼過ぎ。いよいよ本格的にすることがなくなってしまう。大沼公園に行くことも考えたが、この雨だとイマイチな気がするし、正直なところもう運転に大分疲れた。とりあえず何も思いつかないので、函館美術館と隣の北洋資料館をのぞく。函館美術館は企画展が生憎と伊丹市美術館で見た「陶酔のパリ・モンマルトル1880〜1910」なので常設展のみを鑑賞。長谷川りん二郎の作品などは良かったが、そもそも展示点数が少なすぎ。北洋資料館の方は北洋漁業の歴史を歴史を伝える展示。北洋漁船を再現した体感設備などが面白くはあるが、そう物珍しい展示もなしというわけで、どうしてもイマイチ感が漂い始めてしまう。
次の移動の前にとりあえず何か食べたいなと思ったところで、向かいにご当地ハンバーガー店の「ラッキーピエロ」があるのが目に入ったのでここに入店する。メニューはいろいろ変わったものがあるが(バーガー店なのにパスタや丼もメニューにある)、その中で「クジラ味噌カツバーガー(380円)」というのがあったので、やはり日本人はこれだろうと購入。
肉は柔らかいしなかなかにうまい。ハッキリ言ってビーフのハンバーガーよりも旨いというのが本音。昔普通にクジラを旨いと思って食べていたことを思い出した。つくづく「クジラを食べるのは野蛮人」などと言って人種差別を煽っている欧米人の頭の中身のなさに嫌になってくる次第である。どこの民族でも人種差別をする奴らは人間的に最底辺なのは違いないが、彼らに共通するのはそれを正当化するために何らかの理由をこじつけること(○○をするような奴らなんて差別されて当たり前という理屈)。欧米人にとってはクジラはその格好のネタなんだろう。またたちの悪いことに、一神教はこういう差別意識に対して「神の御心」として大義名分を与えてしまう(邪教徒の誤った信仰は滅ぼすべきと)。そういう点からもキリスト教がメジャーになってしまったのは人類の不幸である。
ようやく腹が膨れたところで次の目的地が頭に浮かぶ。函館東部に湯の川温泉があり、日帰り入浴可能なホテルがあったはずである。とりあえず車で向かったのは湯の川温泉啄木亭。フロントで確認したところ日帰り入浴可能とのことなのでさっそく入浴することにする。浴場は最上階で展望大浴場となっている。源泉かけ流しを謳っている泉質は塩化物泉である。いかにも海水ぽかったラ・ビスタの塩化物泉よりは薄目でサラッとしている。私の場合はこちらの方が肌当たりがよい。これでゆっくりと温まる。
入浴を終えた頃には外は暗くなっていた。しかしまだ4時過ぎでまだまだ時間の余裕がある。そこで呟く「仕方ない。函館山でも行くか。」 函館山は夜景の名所であるが、だからこそ避けていたというのが事実。というのは夜景の名所というのは大抵は私のようなオッサンの一人旅の場合には鬼門であるからである。というのは概してこのような場所はカップルに占拠されていて、オッサンが一人でウロウロしていると大抵は浮くか鬱陶しがられるかの二つに一つ。しかしもう私には他に行くところが思い浮かばない。腹を括って函館山ロープウェーの乗り場に向かう。
駐車場に車を止めて乗り場に行くと、そこは既に大勢の人々でごった返していた。しかしその内容は家族連れや団体客が多く、カップルのメッカという印象ではない。これならオッサンが紛れ込んでも特に問題はなさそうである。
乗客が多いのでロープウェイは10分間隔で運行されていた。しかしそれでも120乗りの超巨大ゴンドラは朝のラッシュ並みの混雑。ロープウェイが登っていくとすぐに眼下に煌びやかな夜景が広がり、あちこちから歓声が沸き上がる。確かに綺麗だ。これは変な意地を張らずにさっさと見に来ていれば良かったんだとこの時に思う。
山上の展望台につくとしばし夜景の鑑賞。回りでは団体客が大騒ぎしており、これはカップルが盛り上がってという雰囲気ではない。展望台の手すりにカメラを固定しての夜景撮影に挑戦するが、やはりどうしてもぶれてしまうようだ。回りを見ていると、フラッシュを焚いて写真撮影中の観光客が多数。こんなところでフラッシュを焚いてどうするんだろう・・・。そう言えば昨日の夜、風呂に入りながら函館山の山頂を見ているとやたらにピカピカと光が見えたのだが、やっぱりフラッシュを焚いていた輩が多数いるんだろう。こんなところから函館市街を照らせるようなフラッシュなんてありませんから・・・。
十分に夜景を堪能したら、展望台がだんだん混雑してきた模様なので本格的に混み合う前にさっさと降りてしまうことにする。帰りのロープウェイは5分間隔の運転になっており、降りる方は10人程度だが、登りの方は乗客を満載して運転されている。
結局は「行って正解だった」というのが現実。山上は私が懸念していたような雰囲気とはほど遠かった。なお後で聞いたことなのだが、実は函館山ロープウェイの夜景は、カップルが二人でこれを見ると別れるという都市伝説があるとか。しかし函館にカップルで来てこれを見ないという手もないような・・・。ところでカップルが別れるのなら、逆に男一人の場合は彼女が出来るという伝説はないのか?
この時点で6時過ぎ。レンタカーは8時まで借りているのだが、とにかくもう行くところがなくなったし、そもそも函館市内は車では動きにくいし(とにかく駐車場が少ない。そして路駐が多くて邪魔。)、さっさと車を返却してしまうことにする。
しかしここからどうやって時間をつぶすかが問題。夕食のために駅前ホテルのディナービュッフェに入ったが、これは失敗。料理がイマイチの上に、どうも落ち着いていられない。結局は駅でこの原稿を打ちつつ1時間以上をつぶすことになる。
北斗星が入線
9時半を過ぎた頃にようやく寝台特急北斗星が入線する。ツアーの団体客を含め、駅内で待っていた数十人が一斉に改札をくぐる。
左 A寝台個室 中央 通路 右 B寝台ソロ入口 左 ソロ入口(内側から) 中央 B寝台ソロ 右 ベッド脇の荷物スペース 私が予約を取った9号車はかなり奥であるので相当に歩かされる。なお私が取ったのはB寝台個室ソロ。B寝台は開放寝台の分もあるのだが、やはり個室が良いということで1ヶ月前に押さえてある。一般にA寝台が走るビジネスホテルだとしたら、B寝台ソロは走るカプセルホテルと呼ばれている。しかし腰を屈めて潜り込むというイメージのあけぼののソロと違い、北斗星のソロは天井がやや高く楽である。またあけぼののソロは狭い中央通路の両側にあり、ベッドが列車の進行方向を向いていたが、北斗星のソロは通路の片側にズラッと並んでいて、ベッドが進行方向に垂直の方向を向いている。
列車が函館駅を出ると車掌が検札にやってきて、その時に部屋のカードキーを渡される。磁気カードになっており、これを入り口のスリットに差し込むと鍵の開閉ができるようになっている。
列車が動き始めると食堂車にいく。夕食がどうも中途半端だったので腹が半端。結局は食堂車で「ビーフシチューセット(2500円)」を頼む。あまり期待はしていなかったのだが、価格以外は存外まともな内容で普通にうまい。腹が膨れたところで寝台に戻って就寝にする。
とは言うものの、正直なところ寝台は寝やすいとは言い難かった。特に進行方向に垂直に向いている寝台は、列車の加減速で体が横に揺れるのでベッドから落ちそうになる。特にまいったのは夜中に機関車交換があった時、あまりに下手にやられたので大きな衝撃があり、ベッドから落ちそうになった。結局は浅い眠りのままウツラウツラと翌朝まで眠る。
☆☆☆☆☆
翌朝6時過ぎ頃、郡山到着の案内で目を覚まさせる。しかし郡山で降りる予定なんてないので宇都宮に到着する頃まではそのままウツラウツラと眠る。着替えを始めたのは大宮に到着してから、やっぱりイマイチ熟睡感がない。もう私には寝台特急は無理な年になってきたんだろうか。
上野駅に到着
9時半頃に上野駅に到着。寝台特急あけぼのの時と同様に、ホームでは鉄オタに乗客の記念写真が加わっての大撮影大会になっている。私はトランクをコインロッカーに収容するとまずは地下鉄で乃木坂を目指す。疲労でボンヤリしているのか乗換駅で乗り過ごしてしまったりなど、かなり時間ロスがあってからようやく到着する。
「モダン・アート,アメリカン −珠玉のフィリップス・コレクション−」国立新美術館で12/12まで
19世紀後半からのアメリカ美術作品について展示した展覧会。初期はヨーロッパのアカデミズムの流れを汲んだような作品から始まり、印象派の影響を受けた作品、そして現代の抽象絵画などにつながる作品というような流れになっている。
前半の作品については、やはり正直な印象は「田舎の作品」というものである。技法的にも表現的にも洗練されておらず、野暮ったさのようなものがつきまとっている。後半はいかにもアメリカ的な作品となっていくのだが、こうなると今度は私にとっては完全に興味の範疇外となってしまうジレンマ。要するに今一つ見るべき作品がないと感じてしまったのだが、恐らくワイエスに代表されるアメリカンリアリズムの流れがなぜかメインストリームからすっぽりと抜け落ちていたからだろうと思われる。私の目を惹いたのは、装飾的なセンスで印象が強いオキーフと、アメリカンリアリズムの潮流に含まれるホッパーの作品辺りである。
国立新美術館の展覧会を終えると次の会場へ。この近くと言えば六本木ヒルズか東京ミッドタウン。しかし六本木ヒルズこと東京成金タワーはよほどのイベントがないと足を踏み入れる気が起こらない。とりあえずサントリー美術館見学のためにミッドタウンを目指すことにする。本当は上野辺りの美術館を回りたいのだが(今なら本当は一番行きたいのは国立西洋美術館の「ゴヤ展」)、残念ながら今日は「魔の月曜日」。ほとんどの美術館は休館日でこの界隈ぐらいしか開いていないのが実態だったりする。
サントリー美術館に入場する前に、向かいの平田牧場で「豚生姜焼き定食」を頂く。お昼時で混雑していたようでかなり待たされる。味的にはまあまあ。価格的にも私のイメージの1.5倍程度なので、東京では比較的まともな方なのだろう。
昼食を終えたところでサントリー美術館に入館する。
「南蛮美術の光と影 泰西王侯騎馬図屏風の謎」サントリー美術館で12/4まで
16世紀半ばから17世紀初頭にかけては南蛮船の来航によって日本でも南蛮文化が花咲いた時代である。そのような時代を代表する作品が表題の「泰西王侯騎馬図屏風」である。サントリー美術館と神戸市立博物館に分蔵されているこの屏風を中心に、当時の南蛮文化を物語る品々を集めた展覧会である。
展示品は屏風や工芸品などであるが、とにかくそれまでの日本の美術品と違ってかなり煌びやかであるのが印象に残るものばかりである。また当時の欧州の好みに合わせた輸出用の工芸品なども展示されており、南蛮文化の影響がかなり日本に広く浸透していたこともうかがわれる。
結局はこれらの南蛮文化は日本が鎖国体制によって急速に内向きになるまでのわずかな期間に花咲いた徒花のようなものになるのだが、それ故に異彩を放ち、強烈な印象を与えずにはいられないのである。
月曜日に開館している美術館は限られているので、今回立ち寄るのはこの程度である。後は帰るのだが、さすがにまだ昼過ぎで時間に余裕がありすぎるので少し寄り道をすることにする。この時に思いついたのは都電荒川線を視察してやろうというもの。よく「意外」と言われる東京にまだ残存している路面電車で、大阪の阪堺電鉄と共によくクイズなどのネタになる路線である。まずは地下鉄を乗り継いで王子駅を目指す。六本木から都営大江戸線と東京メトロ南北線を麻布十番で乗り継いだのだが、この乗り換えがやたらに距離があって閉口する。この距離はどう考えても接続ではなくて隣の駅。路線の乗り換えでこんなに不自由を強いられる地域は日本の中でも東京以外に聞いたことがない。よくまあ東京人はこんな理不尽に黙って耐えているものだと感心する。ようやく王子駅に到着すると、ここからも地下通路経由でしばし歩く。そして地上に出たところがようやく都電荒川線の王子駅前である。
ここからまずは早稲田を目指すことにする。到着した車両は単両の低床タイプ。列車は東京の中でも下町風情の漂うところを主に通過する。また東京は大阪と違ってかなり土地に起伏があるということが実感できるところ。それにしても町中を無理矢理に通過している感は否めないところはある。基本的にはほとんどの区間が専用軌道になっているのだが、大きな交差点では信号待ちがある。また大塚駅前などでは駅前ロータリーを通り抜けているのは驚き。また最近は高齢者にやさしい最新交通機関として路面電車が社会的に再注目を浴びているが、この路線も高齢者を中心に非常に利用者が多く、路面電車に逆風が吹き荒れた中で今日まで生き残った理由がなんとなく頷ける。
終点の早稲田は私立の名門早稲田大学近傍の学生街である。もっとも早稲田大学自体はここからさらに奥にあるのでその本体は見えない。なおこの早稲田大学の隣には俊英バカボンのパパが卒業した名門バカ田大学があることも知られている。とは言うものの大学を見学しても仕方ないので引き返すことにする。
荒川線は路面電車に不可欠の多頻度運転が行われている。これも利便性のためには不可欠。速度は遅いのであるが便利な交通機関という印象である。
左 大塚駅前 中央 専用軌道部分 右 荒川車庫 王子から先はさらに下町色が増す。終点の三ノ輪橋は商店街のど真ん中にある駅。南千住などの近くの東京でも最も下町色が強い地域になる。六本木などの成金町よりもこういう町の方が親しみが持てるというのが本音。
終点の三ノ輪橋駅 これで今回の遠征の全予定は終了。三ノ輪橋から地下鉄で移動すると、上野で荷物を回収して帰途に就いたのである。しかしさすがに疲れた。
結局はメインイベントの一つであった五能線視察が悪天候によって吹っ飛んだために、どうも中途半端なものになった印象が強いのが本遠征であった。五能線はいずれ時期を変えてリターンマッチをする必要があるだろう。終わってみれば風呂に入っていただけの遠征みたいな印象であった。計算違いは東北は11月後半になるともう本格的な冬だったこと。これは関西人の私には想像できていなかった。やはり現地に行かないと分からないことも多々ある。
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