展覧会遠征 松山編2
さて夏の暑さも本番となってきたが、今年の夏は私は異常に疲れている。というのも、部屋のエアコンが故障して最近は灼熱地獄で苦しめられているし(私の部屋はエアコンが停止すると直ちに室温が40℃近くまで上昇する)、職場の方は電力会社が原発利権を守るための「作意的な電力不足」のせいで異常に高い室温設定を強いられている状態。それにしても原発利権はよほどおいしいのか、利権を守ろうとしている連中は必死である。事故の際の東電のあまりにひどい対応ぶりを目の当たりにした菅総理が自然エネルギー推進に転じたことから、原発利権べったりの自民党は当然として、与党内にもいる原発利権議員が、これまた電力会社べったりのマスコミを巻き込んで菅おろしに必死になっている現状には暗澹たる気分になる。彼らの頭の中には被災者のことなど微塵もなく、どうやって利権を守ろうかということで一杯である。恐らく彼らが権力を握ると「想定外の大災害だから仕方ない」と東電が免責され、すべては税金投入で解決することになって、彼らの原発利権共々東電幹部の馬鹿高い給与も保護されるというシナリオになるだろう。その準備のために今は「原発がなくなると日本は電力不足でどうしようもなくなります」というアピールのために電力不足を演出しているというわけである。そもそもパチンコ屋が昼間っからネオン全開で絶賛営業中なのに、なぜまじめに仕事している者の労働環境が意図的に悪化されないといけないのか。つくづくこの国は権力を握る者のやりたい放題だと感じる。
とにかく今の私は早くも夏バテの症状が出始めている状態である。こうなるとあまり過酷な遠征は避けたいところ。そう思った時に頭に浮かんだのが松山である。今更言うまでもなく松山は私にとっては非常に相性の良い町で、今までも何度か「慰労目的」で訪れたことがある。とは言っても今回松山が頭に浮かんだのは100%慰労と言うわけではない。現在、松山市美術館で「印象派の誕生」展が開催されている。実はこの展覧会は広島での開催時に見学するつもりだっのだが、あの震災での原発事故でフランス政府が「貴重な絵画を日本に持ち込むことはまかりならん」とのお達しを出したせいで広島展が流れてしまったのである。その後、あまりに世界的に反原発の機運が盛り上がってしまったことから、国策である原子力産業への悪影響を恐れたフランス政府が突如として態度を軟化、松山展から開催されることになったという次第である。で、私としてはこの際に見学に行っておいてやろうという考えが浮かんだ次第(なにしろ以降の巡回先は大分や沖縄である)。
高速1000円が終わってしまった上に、松山でゆっくりしたいという遠征である以上、当然のように移動は鉄道である。例によって岡山で松山観光切符を購入すると特急しおかぜの自由席に乗車する。車内は結構混雑しているが、座席を取るのが困難というレベルではない。
岡山で買い込んだ弁当を朝食として食べると、後は松山まで3時間弱の行程である。こうして考えると松山は遠いと感じる。何しろ予讃線は、電化こそされているが単線でカーブも多い。ここを振り子列車が車体を左右に傾けながら突っ走るわけであり、どうしても時間がかかることになってしまう。
やけに肉肉した弁当である やることもないし、ボーッとしている内に早朝出発による睡魔が襲ってくる。知らず知らずの内にウツラウツラしていたようである。次に気がつくと今治の手前まで来ていた。この頃になると当初は混雑していた車内がかなりがら空きになっている。そしてそのまま終点の松山に到着である。
この駅に降り立つのは何回目だろうか。なんか私のホームグラウンドにやってきたという気がする。もっとよく来ている東京や名古屋や広島ではこういう感覚はしないのに、なぜ松山だけこういう感覚がするのだろうか? 私の前世は何か松山に縁があったのだろうか? それともこれから松山で何かの運命的な出会いでもあるのだろうか?(願わくは、美しい松山女性との出会いでもあって欲しいが・・・)
いつもならここから路面電車でホテルに移動するところだが、今回は別のところに立ち寄る予定である。そこで駅前でバスを待つ。バスは予定時刻よりも10分以上遅れでようやく到着する。私が目指すのは奥道後。松山と言えば道後温泉が有名であるが、道後温泉よりもさらに山側の奥道後にも温泉があり、湯はそちらの方が良いとの評判もある。そこでそれを確認してみようという考えである。
バスは道後温泉を抜けて、松山市街をはずれて山岳地帯にさしかかる。さらには湯の山ニュータウンというもろに山の奥の新興住宅地を抜けてからトータルで1時間弱を要して奥道後に到着する。奥道後のバス停を降りると周囲は完全に山の中の若干秘境めいたところで、目の前にホテル奥道後がある。これが目的地である。
ホテル奥道後に到着
フロントに行くと、昼食バイキングのチケットを購入してトランクを預ける。かつてはこの1500円の昼食バイキングに入浴がついてきたようだが、今年の春からはさらに300円の追加料金が必要になったとか。
とりあえずはまずは昼食である。メニューは焼きそば、天ぷらなど。種類はそこそこあるが、いかにも出来合いっぽく、味についても安っぽい。デザートのソフトクリームがもっとも美味しいと感じたのが本音。正直なところ1500円ではCPは良いとはとても言えない。
ザッとこんな感じ
食事を済ませると入浴に向かう。ここの浴場はジャングル風呂と名乗っているのだが、まるで温室か何かのような中に複数の浴槽があるというタイプ。いかにも一昔前の豪華ホテルというイメージで、とにかく施設が何から何まで巨大である。おかげで風呂までも遠い。
もっとも泉質に関してはそのはったりだらけの施設のイメージに反してかなりレベルが高い。プーンと硫黄の匂いの漂う単純アルカリ硫黄泉が各浴槽にダバダバと注がれており、常に浴槽からオーバーフローしている状態。すべての浴槽が掛け流しである。また湯は非常に優しくて肌にシットリとくる上質のもの。ジャングル風呂の施設については好き嫌いが分かれそうだが、泉質に関しては文句のつけようがない。温風呂だけでなく、中には温度30℃程度の冷泉風呂もあるので、私はのぼせてきたらそこで体を冷やして、30分以上楽しんでしまった。これは烏の行水が常の私としてはかなり異例のことである。おかげで日焼けの性でかなり荒れていた腕の皮膚が、入浴後にはかなり具合が良くなっていた。
松山侮り難し。道後温泉だけでなくこんな隠し玉まで持っていたか。なおハッタリたっぷりのジャングル風呂が性に合わないという者のためには、岩風呂や桧風呂の貸し切り風呂なんかもあるようである。
温泉をたっぷりと堪能した後は、バスで大街道まで移動、私の定宿であるチェックイン松山にチェックイン手続きを行い、いったん部屋に入ってゆったりとする。とは言うものの、まだこんなところでのんびりしている場合ではない。そもそも本遠征の主目的がまだ終了していない。どうも温泉に浸かるとのんびりし過ぎてすべて忘れてしまいそうになる。とりあえずは町中に繰り出す。
「19世紀フランス絵画の流れ 印象派の誕生」愛媛県美術館で7/18まで
19世紀におけるフランス絵画の主流はサロンを中心としたアカデミックな絵画であった。これらの絵画は伝統的な歴史画、風俗画、肖像画などが中心であったが、やがてのその中から色彩の追究、戸外における制作による風景画などが登場し、これが光を追究する印象派へとつながっていく。そのような印象派が登場していく過程での流れに着目した展覧会である。
客寄せを意識してか展覧会の表題には印象派を大きく掲げているが、実際には展覧会の主眼は印象派に至る流れの方であり、印象派を代表するモネなどの作品については国内の美術館からかき集めた「見た事がある」作品が多い。
とは言うものの、それで展覧会の価値が減ぜられるわけではない。アカデミック系絵画の中に垣間見られる印象派の萌芽のようなものが非常に興味深く、印象派が決して突然変異ではないということが分かるわけである。そう言う点が非常に面白い展覧会である。
これで主目的は達成。とりあえず「慰労」抜きでも松山まで繰り出してきた意味はありそうである。後は松山城を見上げながらプラプラと県庁近くまで散策。今まで何度も訪問している城だが、何度見ても良い城である。二の丸庭園脇に見える巨大な石垣が登り石垣。松山城は山の下に三の丸と二の丸が、山上に本丸がある構造になっているが、二の丸から本丸に上がる通路が山沿いに攻撃されたのでは話にならないので、それを守るのが登り石垣である。本来は北側と南側の二カ所にあったはずなのだが、今日では南側のものしか残っていない。しかしそれでも現存する登り石垣では最大のものとして知られている。改めて見てみるとかなり巨大。県庁からの登城ルートがこの登り石垣の脇を通るルートなのだが、考えてみると私はまだこのルートを通ったことはない。今日はもう疲れているので、とりあえずこれは明日の課題とする事にする。
左 松山城天守 中央 二の丸庭園 右 二の丸庭園脇のこの石垣が登り石垣 県庁から南下すると、松山の繁華街をプラプラしてからホテルに戻ることにする。今日は土曜夜市とかで、縁日のような店が多く出てかなり活気がある。こういう雰囲気も私は大好きである。途中で喫茶店で宇治金時でクールダウン。とにかく暑い。ただなぜか気持ちよくもある。
繁華街は大賑わい
ホテルに戻って少し休憩を取ると、夕食を摂りに出かけることにする。店を考えるのも面倒なので、工夫がないなと思いつつもまた「味倉」に出向く。注文したのは「ひゅうが飯」と「ほほたれ天ぷら」。ひゅうが飯は玉子と鯛の取り合わせが良く、それにゆずなどの薬味が効いていて美味。ほほたれ天ぷらは相変わらず鰯のうまさを感じる。
左 ひゅうが飯 中央 こういう状態にして食べる 右 ほほたれ天ぷら さらに「とらはぜの唐揚げ」を追加。驚かされたのがこの料理。はぜを食べるのは初めてだが、こんなにうまい魚だとは思わなかった。はぜはかなり泥臭いイメージがあったのが、そんなことは感じさせず、鮮烈な味の強さのみが伝わってくる。そして骨煎餅の香ばしさ。全くこの店はくる度に発見がある。これで支払いは2500円程度である。
夕食を堪能するとホテルに戻って軽く入浴、この原稿を書こうかとPCを出してきたのだが、疲れが出てきて全く進まない。歩数計を確認してみると1万3千歩を越えている。そんなに歩いたつもりはなかったのだが、松山市内を結構歩いていたようだ。また今朝は早朝出発だったし、そもそも睡眠不足気味。これはデスクワークは無理と判断してやや早めに床につく。
☆☆☆☆☆
翌朝の目覚めはあまり良くなかった。私はSASを持っているので、旅先でベッドが柔らかめだと特に眠りが浅くなってしまう。昨晩もウツラウツラという感じでどうもよく眠れなかったようである。やや重い体をベッドから引っ張り出すと、朝食を摂りにレストランへ出向く。このホテルは朝食バイキングが比較的充実しており、それが私がここを定宿にしている理由の一つ。体は重いが食欲はあるのでたっぷりと腹に詰め込む。
朝食の後はシャワーを浴び、しばしまったりと休息してから9時過ぎにチェックアウトする。私のいつもの遠征なら大体8時にはチェックアウトしていることが多いのだが、今回は特に予定があるというわけではないのでゆっくりとしている。このあたりも今回の遠征が「慰労」の意味が強い所以。
大街道の商店街は今朝は「祭りの後」といった風情で静まり返っており、あちこちで店の者が清掃をしている姿が見られる。ゴミはそんなに散ってはいないようだが、目立つのはたばこの吸い殻。これだから喫煙者は・・・。まるっきりそこらで糞尿を垂れ流す野生の獣並であり、およそ知性を有する者のする行為ではない。
松山名物ダイヤモンドクロスで両方向の電車の通過待ち 大街道から路面電車に乗ると、まずはJR松山駅を目指す。とりあえず松山駅のロッカーにトランクを置いて、身軽になってから市内を回ろうという考え。松山駅のロッカーは駅の随分端にひっそりとある。トランクを入れようとふとロッカーを見れば、料金が1800円を示しているロッカーがある。どうやら6日間に渡って入れっぱなしのようだ。一瞬「松山駅のロッカーで赤ん坊の死体が」なんて嫌な考えが頭をよぎってしまい、思わず辺りの臭いをかいでしまった。とにかく単なる置き忘れで事件性がないことを祈るのみ。
荷物を置くと再び路面電車の駅に戻ってくる。今日の予定はとりあえず松山城に登ってみようというもの。ルートは前日に確認した登り石垣沿いの県庁ルートなので、県庁前で下車だが、ただ単に来たルートを戻るだけだとおもしろくないので、とりあえず古町経由の環状線ルートを通ってみようと考える。この環状線ルートは以前に既に乗車済みだが、あの時は夕闇迫る中で結構バタバタしていたので、今回もう一度視察してやろうという考え。
JR松山駅前を過ぎると路線は単線になる。次の宮田町で多くの乗客が下車。ここからは路線は路面から専用軌道に入る。ここからの沿線はまるで住宅地の裏路地を抜けるかのような風景。住宅はギリギリまで迫っており、駅のホームなども異常に幅が狭いところがある。
左 古町駅では軌道線の線路を横切る 中央 沿線風景 右 対向車とすれ違い 単線路線であるが運行本数はかなり多いようで、途中で数回の対向車とのすれ違いがある。単線ということを考えると、やはり専用軌道であることが定時性の確保に有利に働いており、運行本数を保てることになっているようである。なお宮田町でかなり減少した乗客も、途中の駅で乗り降りが意外とあり、再び上一万で路面軌道に戻る時には乗客はかなり増えている。やはりこの路線は市民の足としてかなり定着しているようだ。
県庁前で下車すると、そこから二の丸庭園の脇を抜けて登城ルートを取る。このルートは舗装された坂道だが、序盤部分が異常に急傾斜で、雨などが降ったら足を取られそうである。実際に現地には足下に注意との表示が出ている。雨天時には歩行者のみならず、車でもかなり危ないような気がする。
このルートを登っていると左手に高い登り石垣が見える。このルートは後付けの道だろうから、本来はここは崖のはずである。そこからあの石垣を越えるとなるとこの方向から攻めるのは確かに難しい。しかも途中には櫓の跡らしきものもあり、防御の拠点となっている。麓では二の丸周囲と三の丸周囲で堀が二重構造になっているし、さすがに加藤嘉明が手がけただけあって、確かにかなり堅固な城郭である。
左 登り石垣の際に坂道がある 中央 間近で見る登り石垣 右 このような平らな箇所には櫓もあったか ある程度登ると坂は緩やかになり、やがてロープウェイの駅に到着する。長い行程ではないが既に汗でグッショリである。ここの茶店でいよかんソフトを購入してクールダウンする。これがなかなか美味。
いよかんソフトでクールダウン
ここからはいつもの通りに天守方向に登城である。ただ天守閣に入る前に天守の周りを一回りする。天守下を一周できるようになっているが、天守の石垣はかなり高くて堅固で、とても石垣に取り付いて登ることは不可能である。北東側には艮門があり、西側には乾門があるようで、西側の乾門からは古町方面に降りるルートがつながっているようである。それを確認すると、重要文化財の紫竹門を抜けて天守に登る。
左 天守脇の紫竹門 中央 艮門 右 天守裏側 左 重要文化財の野原櫓 中央 乾門 右 乾門(外から) 天守最上階から相変わらずの壮大な風景を堪能してから降りてくると、先ほどの乾門を抜けて古町方向に下る。一応登山ルートとしての整備はされているようだが、階段などは土嚢を並べただけのいかにも間に合わせっぽい作りである。またこのルートはさっきの県庁ルートや以前に通った大手ルートよりは緩やかであるが、その分道のりが長い。なお途中で謎の洞穴が2つほどあり、立ち入り禁止になっていたが、松山城関連の施設とは見えなかったことから、防空壕か何かだろうか?
左 古町ルート 中央 防空壕跡? 右 ようやく下まで降りてきた 下まで降りると本町通りに出てくる。ここで本町六丁目行きの電車がやってきたので、それで一端本町六丁目まで行ってから再び折り返してくる。そもそもこの区間はすれ違い施設のない単線なので、路線内を運行している車両は常に一台である。目的地は道後温泉だが、どうせ一日乗車券を持っているので、列車に乗って折り返しても駅で待っても料金は同じ。それなら涼しい車内に入った方がよい。
本町六丁目駅
道後温泉駅に到着するとしばし温泉街を散策。登山で汗をかいたので、やはり入浴をしたいところ。本館は以前に入っているので、今回は椿の湯に行こうかと思ったが、よくよく考えてみると以前は神の湯で入浴しただけで建物自体は全く見学していなかったことから、今回は建物の見学のために本館の霊の湯で入浴しようと思い立つ。
椿の湯と道後温泉本館 入浴料は1200円と結構高い。ただこれで休憩室でお茶と煎餅をいただきながら休息でき、天皇のために作られた又新殿や夏目漱石ゆかりの坊ちゃんの間などを見学できる。又新殿はかなり格式のある部屋で、内部は撮影禁止。ただ格式は高いのだが、老朽化していていささかボロいという印象を受けたのだが、実際に最近は民間のホテルの方に豪華施設ができているので、今は皇室の利用はないとのこと。以前に皇太子がやってきた時も、皇室縁のこの文化財的施設を「見学」だけしていったらしい。
背後に建て増しされているのが又新殿
これは坊ちゃんの間
入浴して見学してまったりしていたら、制限時間の1時間が近づいていたのでさっさと着替えて退却。それにしてもやはりここの施設は湯がどうこうというよりも、施設の方こそが主眼であるということがよく分かる。確かに単に湯だけなら、塩素投入の道後温泉よりも奥道後の方が確かに良い。道後温泉はあくまでこの本館を含む町の雰囲気も合わせてのものである。
これで本遠征の予定は完全終了である。土産物を買い求めると路面電車でJR松山まで移動する。トランクを回収してからホームに向かうと、特急しおかぜの到着時間が近づいていたので、そのまま自由席に。結局は松山では昼食を摂る暇もなく、この列車は松山からの車内販売はないので、かなり遅めの昼食にありついたのは観音寺で車内販売が乗り込んできてからになったのである・・・。
ようやくありついた昼食 主目的は美術展であったが、本音としては慰労色が強かった本遠征。しかし実際に慰労になったかはかなり微妙なところ。現に連日に渡って1万3千歩越えで、翌日にはしっかりと足にきてしまったのである。
それにしても計画立案段階では「今更松山ですることは何もないな」と感じていたのだが、いざ現地にやってくると、結局はあれこれと走り回ってしまった。来る度に新たな発見があるのがこの街であり、そのたびに魅力が増していっている。やっぱり松山は良いところである。
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