展覧会遠征 京都編5

 

 関西はまだ梅雨明け宣言が出ていないが、天候の方はすっかり夏モードでここのところかなり日中の温度が上がってきた。こんな時には出来れば涼しいところに行きたいものだが、展覧会のスケジュールがそれを許さない。よりによってこんな時に京都に行く必要が出てきたのだ。この週末から京都市美術館で「フェルメールの手紙展」が開催。貴重なフェルメールの作品が3点も来日するとなればいかないわけにもいかない。またその向かいの国立近代美術館で開催中の「青木繁展」はもう会期も大詰め。結局は灼熱地獄になるのを予想しつつも出かけることになったのである。

 

 早朝から新快速と地下鉄を乗り継いで東山へ。まだ早朝だが、既に温度はかなり上がってきつつあり、これから先が思いやられる。まずは京都市美術館へ。現地に到着したのは開館時間の9時寸前。この時点で100人程度の待ち。美術館側では大混雑を警戒してテントまで出して用意していたようだが、今日に限って言うとそこまでの必要はない程度の混雑。問題はむしろ日曜日か。

 


「フェルメールからのラブレター展」京都市美術館で10/16まで

 

 最大の売りはフェルメールの作品が3作も展示されること。その3作がいずれも手紙絡みの作品であるから、フェルメールからのラブレターと銘打っている。特にその中の「手紙を読む青衣の女」は日本初上陸で、しかも最近に修復されて往時の鮮やかな色彩を取り戻した後というわけで目玉中の目玉である。本展でも最も強烈なオーラを放っていた。やはりフェルメールの作品はラピスラズリを使用したという青を用いている絵画がラピスとの相乗効果でインパクトが強くなる。

 「手紙を書く女」及び「手紙を書く女と召使い」については再来日とのことだが、前者は先の来日の際には私は見学していないことから、私にとっては初見の作品である。いずれの作品もさすがにフェルメールらしくずば抜けた画力を感じさせる作品。いずれもオーラを感じられる。

 フェルメールを除くと後は一般的な中世フランドル絵画展という中身であるが、作品的にはかなり面白いものが多く、興味を惹かれる作品が多々あった。中でもデ・ホーホの作品などはフェルメールに劣らないオーラを感じられるものもあった。

 


 いきなりなかなかに堪能できた印象。暑い中をわざわざ出張ってきた価値はあったというものである。京都市美術館の見学の方を終えると、向かいの国立近代美術館へと入館。

 


「没後100年 青木繁展―よみがえる神話と芸術」京都国立近代美術館で7/10まで

 

 天才と呼ばれつつも28年で燃え尽きるように生涯を終えてしまった画家の、関西では初の回顧展とのこと。

 こうやって回顧展として見てみると、とにかくたった28年の生涯とは思えないぐらいに濃密さを感じさせるのが彼の作品。有名な「海の幸」はかなり強烈なインパクトを与える作品だが、この有無も言わせぬ力強さが彼の作品を一貫している。プロレタリアート的なこの作品を描いた後、彼は神話の世界に入り込んでいくのであるが、そこでも彼は有無を言わせぬような作品を生み出している。発表当時は不評だったという「わだつみのいろこの宮」であるが、今日の我々の目から見ると、これだけの絵画はそうそうあるものではないと思わせるもので、彼が「天才」と呼ばれたのも頷ける。

 もっともこの手の異常に進化の速い天才は、やはり進化の果てに燃え尽きてしまうものなのか、晩年の彼の作品はさらに突き抜けた境地を目指そうとしつつ、その方向が見定めきれないもどかしさのようなものが感じられた。このあたりが悲しい。

 


 これで今回の主題は終了したようなものだが、わざわざ大枚はたいて京都まで出張ってきた以上、このままさっさと撤退する気は毛頭ない。今回は嵐山方面へ足を伸ばすつもり。以前に嵐電(京福電鉄)の車両を見た時から非常に心惹かれており、今回はその長年の宿願を果たすつもりで、既に京都市営地下鉄と嵐電の合わせ技一日フリー乗車券(1000円)を入手している。

  出典 嵐電HP

 まずは東山から地下鉄で終点の太秦天神川まで。ここまでは以前にも来たことのあるルートだが、地上に出てみると以前にはまだ工事中だった駅前が完成しており、隣の道路の中央に嵐電天神川駅がある。そこでしばし待つとやがて四条大宮行列車が到着。まずは四条大宮を目指すことにする。

左 嵐電天神川駅  中央 列車が到着  右 車内風景
 

 嵐電の車両は路面電車としてはやや大きめの車両。これが半路面・半専用軌道の路線を運行している。嵐山本線の方は複線になっており運行本数も多い。天神川からはしばし路面軌道で、そう幅広いとは言い難い道路の真ん中を走っていく。沿線は京都市街のど真ん中で乗客も多い。横の道路を救急車がサイレンを鳴らしながら駆け抜けていくが、その救急車が突然停止するから何が起こったのかと思えば、救急車の前を馬鹿ガキ様が横断した模様(当然信号も横断歩道もないところ)。昔から馬鹿ガキはいるものだが、最近の馬鹿ガキの馬鹿の程度は限度を超えている。このままいけばいずれ日本は馬鹿ガキに滅ぼされそうだ。

 

 西院駅の手前で大きな道路を信号で横切ると、四条大宮までは専用軌道。住宅街の裏通りのようなところを突っ切りつつ、山陰本線の高架をくぐると間もなく終点の四条大宮である。

左 嵐電四条大宮駅  中央 駅前は繁華街  右 構内風景
 

 四条大宮は四条通に面した駅で、すぐそこに阪急の大宮駅がある街の中心部。とは言うもののここに用があるわけではないのですぐに引き返す。再び天神川駅を過ぎると、太秦広隆寺前で道路を横切って次が乗り換えターミナルの帷子ノ辻。ここで一端途中下車すると北野線に乗り換えることにする。北野線は嵐山本線とは完全に運行が分離されているようで全線単線。ただこちらは全線専用軌道のようである。すれ違い時間がシビアな単線では、運行時間が狂いやすい路面軌道は鬼門になりがちなので、これは安定運行上非常に大きなこと。路面軌道で単線の高岡の万葉線が、軌道内を走るマナーの悪い車(なぜか高岡にはこれが多かった)のためにすれ違い時間で苦労していたのを思い出した。

左 乗り換えの帷子ノ辻駅、本線ホームから北野線ホームを望む  中央 北野線(手前)と本線  右 北野線列車が到着

 列車はバターンダイヤで鳴滝と竜安寺で交換を行っている模様。乗客は結構多く、沿線は駅名にやたらに寺院名が多いことからうかがえるように、寺院集積地帯の住宅地を抜けていく印象。終点の北野白梅町は京都の市街地内。

左 北野白梅町駅(構内)  中央 北野白梅町駅(駅舎)  右 駅前風景
 

 北野白梅町から帷子ノ辻に折り返す。乗客はこの復路の方が多い。帷子ノ辻で下車した客のほとんどは四条大宮方面へ乗り換える。私はここで嵐山方面へ。この時に到着したのは木調内装のレトロ列車。帷子ノ辻−嵐山間は専用軌道で密集地帯を抜けていく。

レトロ列車
 

 終点の嵐山駅は完全に観光地の駅である。それにしてもとにかく暑い。駅内の売店でミックスジュースを飲んで身体を癒す。

左 嵐山駅にはオバケ列車も  中・右 嵐山駅

 さてこれからの予定だが、ここまで来たついでに嵯峨野観光鉄道に乗車しようと考えている。嵯峨野観光鉄道とは京都市と亀岡市間の山陰本線旧線を使用した観光鉄道である。馬堀−嵯峨嵐山間は現在はトンネル中心の無味乾燥な新線が「効率優先」で運行されているが、旧線は保津峡に沿ってウネウネと走る風光明媚な路線だっただけに、これを観光に使わない手はないというわけである。JR西日本の子会社が運営して観光用のトロッコ列車を運行しており、馬堀から運航している保津川下りの観光船とも連携している。

 

 とりあえずは嵐山からトロッコ嵯峨駅までを歩く。しかし昼頃になって灼熱地獄はさらに激しくなっており、相当に体力を消耗する状態。いよいよカバンの中の伊右衛門が命綱だが、これがすぐに生ぬるくなってしまうのが悲しい。

  

トロッコ嵯峨駅とJR嵯峨嵐山駅は隣接

 ほんの10分ほどの道程だが、頭から汗でずぶ濡れになって完全に消耗しきった状態でようやくトロッコ嵯峨駅に到着する。トロッコ嵯峨駅はJR嵯峨嵐山駅に隣接しており、完全に観光施設。内部には「日本最大級」の鉄道ジオラマなどもあり(ただし入場料が必要)、表にはD51が展示されていたりする。

左 列車の乗り口  中 表に展示されているSL  右 ジオラマ(見学有料のものはもっと巨大)

 私が到着したのは12時台の列車が出た直後ぐらいで、13時台以降のチケットが発売されている。早速13時台の便の指定席(全車指定席である)を購入。とりあえず発車時間までの間に昼食を摂ることにする。駅前に定食屋「お食事処さがのや」があったのでそこで「13時の列車に間に合うか?」と確認した上で「ロースカツ定食(800円)」を頂く。

   

 何の変哲もない普通の定食だが、何の変哲もない分特に不満もない。意外だったのは付け合わせの野菜が妙にうまかったこと。CPバランスが良いので、観光地の店と言うよりは普通に日常に使う店という印象。実際にそういう雰囲気の客が多かった。

左 既にチケットは完売  中 トロッコ列車が到着  右 座席風景

 食事が終わったところで駅に戻るとそろそろ発車時刻が近づいていた。改札口では1〜4号車の改札が始まる。5号車は手前なので混雑を避けるために改札が後の模様。その内に列車がホームに到着する。車内は完全に満員でどうやら立ち客までもいる状態。満員の列車はトロッコ嵯峨駅を出ると、しばし山陰本線内を走行する。トロッコ嵐山駅の手前で、トンネルに入る山陰本線と分かれると桂川沿いを走行することになる。ここからがいわゆる保津川渓谷である。

左 嵐山駅はJRのトンネルの脇  中 トロッコ列車もトンネルに入る  右 トンネルを抜けると保津峡
 

 列車は時々トンネルをくぐりながら川沿いをウネウネと走行することになる。外は灼熱だが、トロッコ列車は走り出すと風が当たるので涼しい。途中で保津川下りの観光船などが見えるが、互いの乗客が手を振って写真の撮り合いになっている。

左 トロッコ保津峡駅はなぜか狸  中 JRの線路が見える  右 トロッコ亀岡に到着
 

 とにかく大渓谷であり、これは川沿いでも鉄道を通すのはかなり大変だっただろうと思われる。トンネルの壁はレンガ造りのところが多く、かなり年季の入ったものであることが感じられる。

   

トロッコ亀岡駅とはるか遠くに見えるJR馬堀駅

 渓谷を抜けて遠くに市街地が見えるようになると間もなく山陰本線のレールに行き当たる。ここが終点のトロッコ亀岡駅である。なお名前は亀岡だが、JR亀岡駅はかなり先にあり、最寄りの駅はJR馬堀である。

 トロッコ亀岡ではこのままこの列車で折り返す乗客が半分弱ぐらい、ここで降車する客のほとんどは駅前からの送迎バスで保津川下りに向かう模様。保津川下りは私も考えないではなかったが、あまりに料金が高いので私はこのままJR馬堀まで歩く貧乏人コース。田んぼの中ののどかな道を延々と歩くということになる。私の後に続くのは一組だけであった。

 

 10分ほど歩くと馬堀に到着する。ここから戻っても良いのだが、ここまで来たついでに隣の亀岡まで足を伸ばすことにする。亀岡に立ち寄る目的は亀岡城に立ち寄ること。亀岡城は本来は亀山城と呼ばれていたが、伊勢の亀山城と紛らわしいことから亀岡に改名されたなどと言われている。実際、江戸時代にこの城と間違って伊勢の亀山城の天守が解体されてしまったなどというエピソードが残っている。

 

 「亀岡城」はそもそも明智光秀ゆかりの城であり、彼が丹波攻略のためにこの地に最初に城を築いたとされている。その後、豊臣氏、徳川氏などに所属が移り、江戸時代初期には西国を押さえる要衝として天下普請で大改装されている。なおこの時に指揮を執ったのが築城の名手・藤堂高虎で、亀岡城に今治城の天守が移築されたという説があるのだが、その真偽のほどは定かではない(今日ではこれは疑わしいというのが主流)。ただここにいかにも近世様式の層塔型天守が存在したというのは事実である(明治期の写真が残っている)。

 しかしこれだけの城も、明治になって廃城後は荒廃するに任され、最終的には新興宗教教団が所有するところとなり、その際に城内が宗教施設として改変されてしまったという。さらにカルトとカルトが対立した場合には権力を持つ側が相手側を徹底的に弾圧するというのは歴史のお約束だが、昭和初期に日本政府がいよいよ天皇教カルト国家化していく過程でこの教団が弾圧対象となり、その際に施設が軍の手によって徹底的に破壊されたという。通常なら追い出す程度で良いように思えるのだが、石垣までダイナマイトで吹っ飛ばしたというから常軌を逸している。典型的な「邪教の痕跡は微塵も残さない」というカルトの狂気であり、バーミヤンの石窟大仏を爆破したタリバーンと同レベルである。戦後に再び教団が戻ってきて(ただしこの時の弾圧と後継争いなどでかなり勢力は減退したらしい)、城内施設は復元されたものの、何分素人による工事なので最早原型をとどめるものではなくなってしまっているとのこと。また天守台上なども「聖地」としてかなりの改変を受けているとのことである。

   

 亀岡駅で下車すると正面に池に囲まれた小山のようなものが見えるが、これが亀岡城跡のようである。とりあえず回りを少し回ってみるが、こちらから見る限りにおいてはただの鬱蒼とした小山であり、城としての様子は見られない。ただこの立地を見ただけで、ここに城郭があることは極めて当然とは感じられた。

 

 なお教団に申し出てお祓いを受けると内部の見学も可能との話もあるが、宗教、特に新興宗教とは一切関わり合いを持ちたくないと考えている私としては、これはあまりにおぞましくてそこまでする気にはならなかった。何にせよ、亀岡市も格好の観光資源をむざむざと無駄にしたものだという気はかなりする。

 

 亀岡城の後にすると亀岡駅から嵯峨嵐山駅まで戻ってくる。閑散ダイヤの山陰本線も、この亀岡まではそこそこ本数があるようである。

  亀岡駅

 嵯峨嵐山で下車するとここから嵐山方面まで徒歩で移動。しかしとにかく暑い。まさに地獄の行軍というイメージ。つくづくこんな時に嵐山なんかに来ている自分が馬鹿だと思わずにはいられない。途中で抹茶ソフトでドーピング。さすがに京都らしく抹茶が濃くてうまい。

  抹茶ソフトで一息

 嵐山まで戻ってくるとそのまま渡月橋を渡る。この橋も昔は木造だったのだが、今ではコンクリート製で車がバンバン走っており、いささか風情に欠けてしまっているが、それでもここから見る桂川の風景はいかにも日本らしくて美しい。そのまま中之島に渡ると阪急嵐山駅まで南下する。

渡月橋を渡って阪急桂駅方面へ
 

 阪急嵐山駅は桂から嵐山を結ぶ嵐山線の終着駅である。1+2型の転換クロスシート車が到着しているのでそれに乗車する。列車はそのまま町中を走行する。なお嵐山線は単線であるが、最初は複線で建造されていたのが戦時中に不要不急線としてレールが供出させられて単線になったとのこと。そのために今日でも沿線には複線分のスペースが残っている。

阪急桂駅から京都方面へ移動
 

 桂駅にはすぐに到着する。ここで阪急京都線に乗り換えると烏丸駅まで移動、ここで地下鉄に乗り換えると、今出川で下車する。目指すは相国寺である。と言っても何もお寺に参拝しようというわけではない。目的はその中にある美術館である。


「ハンブルク浮世絵コレクション展」相国寺承天閣美術館で9/11まで

 

 ハンブルク美術工芸博物館が所蔵する浮世絵コレクションの中から、選りすぐりの名品を展示したもの。展示作は鈴木春信など浮世絵黎明期の作品から、写楽、歌麿、北斎、広重などと言った有名どころまで多彩。

 とにかく毎度のことながら驚かされるのは、海外の浮世絵コレクションの保存状態のレベルが高い事。これはまさにコレクターの情熱の賜物だと思われる。これに対して浮世絵を消耗品と考えて大して価値を感じていなかった日本のコレクションの劣化ぶりは著しい。おかげで浮世絵の産地であった日本には程度の良いコレクションはなく、海外にばかりレベルの高いコレクションが存在することになる。文化、風習、環境などは、概して身近なものほどその価値が分かっていない事が多いのだが、これもその一例だろう。

 貴重な肉筆画から版下絵に版木といった日頃はなかなかに眼にする事の出来ない貴重な資料を見る事が出来るので、完成した名品だけでなくいろいろな楽しみがある展覧会である。

 


 

 美術館の見学を終えたところで今日の予定は終了である。このまま帰途についても良いのだが、せっかく地下鉄の乗り放題券があるのだから、この際に京都地下鉄の視察をしておくことにする。まずは今出川から北へ終点の国際会館まで乗車する。

 

 終点の国際会館駅は地下のかなり深いところにあるが、地上に出てもバスターミナル以外特に何があるというわけではない。実際は近くに京都国際会館があるはずだが、木が多いせいで直接は見えない。ここに特に用はないのですぐに折り返す。

 国際会館から南下すると、最初はガラガラだった車内は京都に近づくにつれて混雑し、京都を過ぎると再びガラガラになるというパターン。特に烏丸御池−京都間は非常に乗降が多い。

 

 ところで世間では美人の産地とも言われる京都だが、この車中でも美人を発見。もっとも京美人と言うよりは今風美人であるが。なお最初は座っていた彼女だが、車内が混雑してくるにつれて自発的に席を立っていた。性格の方も良くできた方のようである。

 なおよく「美人は性格が悪い」などと言われるが、現実には美人かどうかと性格はあまり関係がない。確かに外観でちやほやされた結果、鼻持ちならない性格になっているような者もいるが、美人で性格が良いという女性も明らかに少なからず存在する。ちなみに女性が女性を評する時には、「○○は美人だ」と言った後に必ず「だけど多分性格が悪い(実際は全く知らない相手なのに)」とつくということから、多分に嫉妬も混ざっているのであろう。なお内面の出来の悪い女性は、たとえ外観が美しくても、概して挙作が美しくないために結果として醜く見えることがよくある。この手の女性は、天性のものだけでしのげる若いうちは良いが、年齢を経るにつれて内面が表にまで現れてくるものである。なお同様のことは男においても存在する。

 

 京都を過ぎてしばらく進むと、列車が地上に出る。ここが地下鉄の終点の竹田である。もっともこの駅は近鉄と相互乗り入れしているので、近鉄で奈良に行くことが可能であり、また直通している便もあるようである。

 以前に東西線の方は視察済みなので、これで京都市営地下鉄の視察完了である。まあとにかく言えることは、やはり地下鉄は乗っていて非常に空しいということである。効率と合理性を追求するほど、乗り物に限らずやはり面白味というものが欠けてくることになる。過度の効率の追求が、現代の日本社会の雰囲気が低迷している原因ではないかと感じられる。

 

 今日は灼熱地獄の中でかなり汗をかいた。ここまで来たのだから帰る前についでに入浴をしておくことにする。この近くにはスーパー銭湯「伏見力の湯」があるのでそこに立ち寄ることにする。

 

 内風呂はバイブラなどお約束のパターンだが、設備としてはなかなか充実している。そして露天風呂が運んできた天然温泉らしい。肌に当たるとかなりヌルヌルとする美人の湯系。これが期待以上に良い湯で、手に出ていた汗疹が入浴後に非常に良い状態になっていた。これはなかなかに使える施設という印象で、駐車場に多くの車が止まっていた理由も納得。

 

 入浴したついでにここで夕食も摂っていくことにする。ここのレストランはなぜかロハスを名乗っている施設で、メニューもそれ系が充実している。そこで私は「ロハス膳(1380円)」を注文する。

 

 内容は十六穀米ご飯に刺身、豆腐、鶏肉、紙鍋に豆腐ハンバーグなどの見た目が意外と豪華な膳。ただこれでもカロリーはかなり少ないようだ。豆腐ハンバーグなんてどうかなと思ったのだが、これが食べてみると意外にいける。豆腐の味はなかなか良い。また鶏肉はかなりしっかりしていていかにも自然鳥。唯一残念だったのは、刺身が今一つうまくなかったことか。

 

 夕食を済ませるとこれで完全に予定終了。ロハスな冷やし飴(笑)を一杯頂くと帰途についたのである・・・が、この帰途でまたもや飛び込みテロの巻き添えを食い、列車の中で何時間も閉じこめられて帰りついた時にはクタクタになる羽目にあったのである。以前に「列車に飛び込むようなバカは死んでくれ」という意味不明な発言を見たことがあるが、正直なところその気持ちは実によく分かる。本格的に飛び込みテロ対策を考えないと、鉄道が使いものにならなくなってしまう。飛び込んだ当人が地獄の釜の中で永久の後悔をしている頃には、こちらの世界では多くの人間が多大な迷惑を蒙っているわけで、それでは遅すぎるのである。

 

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