展覧会遠征 愛知編2
6月と言えば例年遠征が低調になる時期である。なんと言ってもこの時期は梅雨で天候は鬱陶しいし、また鉄道関係などではちょうど割引切符の類が皆無になる時期であり移動費がかさむことになりがちである。また展覧会の出し物の方もGWが終了して一件落着になっていることが多い。
とは言うものの、出し物がある場合は別である。さて今週だが、急遽名古屋に遠征する事となった。それは愛知県美術館で開催中の「麻生三郎展」が今週で終了な上に、豊田市美術館で「フェルメール展」が今週から始まるということで、まさにこの週末がピンポイントだったのである。なおこれらの展覧会は「麻生三郎展」については京都にもかつて巡回があったのだが、その時は仕事が立て込んでいた上に自身も体調を崩してしまったりなどで結局は会期中に訪問できなかったものだし、「フェルメール展」については先の北海道遠征の帰路で東京で開催中の時に見学したのだが、この時は疲労でヘロヘロで鑑賞にろくに気が入らなかったという経緯がある。どちらも曰く付きというか、因縁がある展覧会である。だからこそリターンマッチと行きたいところである。
さて計画であるが、目的地が豊田市美術館だけなら車というのが妥当なのだが、愛知県美術館も含んでいるだけに鉄道を使うしか手はない。これが青春18切符のシーズンなら在来線日帰りという強行軍もあったのだが、先にも述べたように割引切符の低調期だけに普通に新幹線を使うしか手段はない。ただわざわざ新幹線を使うとなると「日帰りだともったいない」というのが貧乏性が精神の根幹をなす私に持ち上がってくる当然の心理である。結局は諸々考えあわせた結果、名古屋で一泊してついでに名鉄であちこちをウロウロするということで計画が決定した。
出発は土曜の早朝。眠気が抜けない体を鼓舞しながら出発。朝一番ののぞみに乗り込むと一路名古屋を目指す。のぞみのシートで知らない間に意識が遠のき、次に気が付いた時には岐阜羽島の直前だった。
出典:名鉄HP 名古屋駅でのぞみを降りるといよいよ活動開始である。まずは名鉄の名古屋駅へと移動。途中でトランクをロッカーに放り込んで身軽になると、名鉄電車2DAYフリーきっぷを入手。これで二日間名鉄が乗り放題である。まずは快速特急で豊橋を目指すことにする。名鉄名古屋駅で快速特急を待つが、驚くのはこの路線の混雑ぶり。名鉄の路線図をみると分かるように、多くの路線がここ名古屋駅から分岐していく構造になっているにもかかわらず、名古屋−金山間が複線に過ぎないために超過密ダイヤになっており、名古屋駅のホームは2分ヘッドであらゆる方面の列車が次々と到着する状態。これは本来は複々線以上にしたいところだと思われるが、名古屋駅周辺の密集ぶりを見ていると恐らくそれは不可能。どうもここが全路線のボトルネックになっているようである。いっそのこと現在の名古屋駅の下にさらにもう一段ホームを作るということは出来ないのだろうか・・・と思ったのだが、調べたところどうやら下は地下鉄に塞がれてしまっているらしい。これは八方塞がりである。場所を移すのも無理があるし、高架駅にするわけにもいかないだろうし・・・。
名鉄名古屋は地下駅
快速特急はそこそこの混雑。沿線は最初は名古屋の市街であるが、岡崎を過ぎた頃から沿線がやや閑散としてくる。途中の国府駅で豊川稲荷方面の豊川線と分岐、さらに進むと途中でJRの飯田線と合流して豊橋駅に到着である。名鉄豊橋駅はJRに間借りしているような構造で、隣に飯田線が発着している。とりあえず豊橋に用事があるわけではないので、このままこの列車で国府駅まで折り返し、豊川稲荷方面に移動することにする。
豊橋から国府を経由して豊川稲荷へ 豊川線は線内往復の列車と名古屋方面に直接乗り入れている列車とが運行されているようである。単線路線であるのでどの列車も各駅停車である。沿線は概ね住宅地であり、それが終点の豊川稲荷まで続いている。
左 名鉄豊川稲荷駅 中央 振り返るとJR豊川駅 右 駅前には稲荷像が 豊川稲荷駅はいかにも観光知的な雰囲気。JR飯田線の豊川駅と隣接しており、雨はかなり激しくなってきたが濡れずに移動できる。ここからはJR飯田線で豊橋に戻る。典型的なローカル線として知られている飯田線も、豊橋−豊川間だけは都市近郊路線の趣で運行本数も多い。また豊川駅はかなり大きな駅舎でこれはかなり意外な感を受けた。この辺りも例によって「資本主義経済においては健全な競争が不可欠である」ということを示している。実際、豊橋以東のJR東海のやりたい放題を見るにつけ、それを痛感せざるを得ない。
懐かしの飯田線車両
豊橋まで戻ってくるとそのままJRで蒲郡まで移動する。蒲郡からは名鉄の蒲郡線が吉良吉田まで、そこから西尾線が新安城までを接続している。この際にこれらの路線も視察しておくことにする。
左 蒲郡駅南口 中央 駅前風景 右 蒲郡駅北口 名鉄蒲郡駅はJR蒲郡駅と完全に同一建物内。南に出ると名鉄蒲郡駅の看板が、北に出るとJR蒲郡駅の看板がある。神戸生まれで、国鉄と私鉄は完全に分離している(そもそも軌間が違う)のになれている身としては、名鉄とJRを見ていると、競争しながらも馴れ合っているような奇妙な印象を受ける。
本日の朝食
列車の発車時刻を確認するとまだ余裕がある。そこで駅内で立ち食いソバを食べる。ちなみにメニューはソバ、うどんに名古屋周辺らしくきしめんというラインナップ。とりあえずソバに、これも豊川周辺らしくいなり寿司をつけたのだが、ソバがこれまた豊川流なのかやけに油揚げだらけだったので、揚げ揚げしてしまった。
発車時間近くにホームに上がると二両編成ワンマンカーがやってくる。ここから次の三河塩津駅までは完全にJRと併走、三河塩津を過ぎると岡崎方面目指して北上するJRに対して、名鉄は海岸方面へ南下する。ここからしばし海沿いを走行しながら沿岸の集落をつないでいく。各駅間で乗客の乗り降りはそこそこある。ここから見える海は三河湾だが、天候があまり良くないにもかかわらず波は比較的穏やかである。やはり渥美半島が天然の防波堤となっているのだろう。こうして見るとこの地域は天然の良港であることがよく分かり、瀬戸内などと共に水軍の活躍する場であったことも納得できるのである。
吉良吉田での乗り換えだが、列車はまっすぐの行き止まり線路に入り、ここから構内改札を経て西尾線のホームに向かうことになる。この列車が入った線路は、かつて吉良吉田から碧南を経由して知立までを結んでいた三河線のなれの果てのようである。名鉄は近年に辺境路線を中心に大幅なリストラをしたらしい。要は現在の蒲郡線と今では盲腸線になってしまった三河線はその断片である。
西尾線は海から離れると北上、沿線の風景も海岸から田んぼへと変化する。西尾の手前あたりから一気に住宅が増え、西尾駅は乗降も多い。西尾から先は沿線も都会化し、安城でJRを越えると新安城で名古屋本線と合流する。列車はこのまま名古屋を目指すが、私は知立で下車する。
知立で列車を降りると三河線に乗り換え、そのまま終点の碧南を目指す。吉良吉田−碧南間が廃線になった断片の路線である。沿線最大の都市は刈谷であるが、概ね沿線には住宅が存在している。乗降はやはり刈谷市駅が圧倒的に多く、ここでJRと乗り換える乗客もかなり多いようである。終点の碧南はいかにも路線が途中で切断されたような形態であり、かつての面影をとどめている。
左 碧南駅ホーム 中央 かつての線路が留置線になっている 右 駅舎 碧南駅で降りるとしばし町内を散策。目指すは藤井達吉現代美術館。碧南の町は昭和レトロ的雰囲気があるが、正直なところいささか寂れているのは否定できない。シャッターを降ろした商店や、かなり老朽化した空き家などもあり、町全体に活気がほとんどない。美術館があるのはそのような町並みを抜けた先で、西方寺などがある一角。町の規模を考えるとかなり巨大で立派な施設である。何となく観光開発を目指している空気は感じられるのだが、今一つ軌道に乗っていない感は否定できない。
碧南の町並みと西方寺
碧南市藤井達吉現代美術館所蔵品にはその名の通り現代絵画が多い。その一方で着物が展示してあったりなど今一つ一貫性がよく分からない。ただし展示品の中には意外と面白いものもあり。
美術館の見学を終えると再び知立まで引き返す。知立からはさらに三河線で終点の猿投まで移動する。なお南方部分が廃線になった三河線だが、その北方部もかつては猿投からさらに西中金まで延びる長大路線だったらしい。しかし山間部を進むこの北部路線もやはり廃線となって現在の形となっている。なお現在では知立で完全に運行が分離されているので、知立−碧南間を海線、知立−猿投間を山線と呼び分けたりするそうな。
車内は結構乗客が多いが、豊田市で大半の乗客が下車する。ここが事実上沿線最大の都市である。豊田市を過ぎると次の梅坪で豊田線と分岐する。なおこの豊田線は名古屋地下鉄に乗り入れしているので、名古屋から豊田市にアクセスする場合には一般的にこちら側を経由する。実際、私が初めて豊田市を訪れた際も豊田線経由である。
豊田市駅を過ぎると急速に沿線の人口密度は減少する。終点の猿投は典型的な田舎の集落。駅前にも特に何があるという訳でもない。以前に下車した御嵩を思い出した。どうも名鉄の終着駅はこういう雰囲気のところが多いようである。なお三河線は最終的には足助まで延ばす予定だったが、社会情勢の変化等などから頓挫したとのこと。そう言えば以前に足助に行った時に、車道脇にいかにも鉄道の跡のような狭い道路を見たのだが、あれがその際に線路が通る予定だったところなのだろう。なお現在の足助は紅葉シーズンには大渋滞になることが知られており、もし鉄道が開通していたらその状況に変化があったかもしれないとは感じられる。ただあの足助の人口密度を考えると、秋以外の収益がどうなるかの問題はあるが。まさか観光客が大挙して足助城に行くとも思えないし・・・。
猿投で引き返すと豊田市駅で下車する。そもそもここが本遠征の主目的の一つである。フェルメール展のポスターが駅前にも貼り出されており、豊田市美術館としてはかなり気合いの入った企画であることがうかがえる。
駅から美術館まではやや距離があるのでタクシーでの移動になるが、その前にとにかく腹が減った。美術館に行く前に昼食を摂ることにする。入店したの駅前の商業施設内のトンカツ屋「マ・メゾンのとんかつ」。ここでお昼のランチの「ロースカツランチ(980円)」をいただく。
店のお勧めの食べ方は「塩をつけて」。いきなりこれを勧めてくるとは肉質にかなりの自信があるのだろうかと思われたが、確かに実際に塩で食べてみるとうまい。良い豚肉は脂身が甘みを帯びているので、塩で食べるのが一番合うのである。これが肉が良くないと雑味がしてしまうので、味の濃いソースでごまかす必要がある。「味噌カツだぎゃー」の名古屋周辺でこういう本格的トンカツが食べられるとは予想していなかった。またトンカツだけでなく、添えられていた赤味噌の豚汁もなかなかにうまかった。ランチとしてのCPは非常に高い。ようやく豊田で使える店を一軒見つけたという印象。
腹を満たしたところでタクシーで美術館へと移動。
「フェルメール《地理学者》とオランダ・フランドル絵画展」豊田市美術館で8/28まで
17世紀に黄金時代を迎えたオランダ。富裕層の出現と共に、彼らの嗜好に合わせて芸術も進化を遂げることになる。この時期のオランダ絵画を歴史画、肖像画、風俗画、風景画、静物画などのジャンルごとに展示している。
基本的には当初は富裕層の家を飾る肖像画などが多く、そこに求められるのはリアルではありながらも若干の美化も加わった表現である。この基本があるから、画家が替わってもいずれの絵にも共通のベースはある。ただ時代が進むにつれ、そこに芸術的表現という画家の自己表現が加わってきて、人物の内面をも忠実に現すかのような写実が登場したり、それまで人物画の単なる背景に過ぎなかった風景が独立したジャンルとなり、果てはこれまた人物の背景の一部だった静物画が独立したジャンルとして大きな意味を持ってくるなどというように、ドンドンと表現が拡張していっている。それと共に、画家によっての表現手段の違いなどの個性が現れて、それまでの実用品としての絵画から芸術作品としての絵画へと発展していっていることが作品を見ていると感じられる。
そんな中で頭角を現すのが表題にもなっているフェルメールを始め、レンブラント、ルーベンス、ブリューゲルなどであるのだが、こうしてズラリと見ていると、彼らに知名度の点では圧倒的に劣るものの、その表現力では彼らに伍する可能性を持っているような画家も数人はいたようである。まさに百家争鳴的な楽しさがそこには展開している。
前回の東京展の時には体調が悪すぎ(疲労困憊の極地)、ろくに作品を見ていなかったのは今回改めてじっくりと会場内を回って感じた。と言うのも、やはりほとんどの作品が記憶に残っていなかった(笑)。改めて腰を据えて見てみるとかなり見応えのある作品も多く、やはり「フェルメールだけではないんだな」ということがつくづく感じられた次第。なかなかに興味深かった。
展覧会の見学を終えると、再びタクシーで駅前に戻ることにする(スケジュールに歩いて戻る時間的余裕がない)。普段はここからタクシーで帰ろうと思うとタクシーの手配に困るのだが、今回は美術館渾身の大イベントということでか裏手にタクシー乗り場を常設してありタクシーが待機しているので、これ幸いとの利用である。ただそもそもモータリゼーションが政策的に進行させられている豊田市(当然ながらトヨタ様のご意向なのだが)では、タクシーの利用が少ないのか、途中でタクシーの運転手に「会場内の混雑はどうですか?」と聞かれる。どうやら内部の状況が分からないので、会場内がガラガラなのではないか感じていたようだ。私が「ここの催しとしてはかなり観客は多い方だと思います」と答えると、やや意外そうな反応を示していた。フェルメールというのは美術ファンにはかなりアピールのあるビッグタイトルだからということを説明したが、運転手さんにはピンとこなかったようなので、「世界中にほとんど作品が残っていない有名画家の貴重な作品の一つが今ここに来てるんです」と説明したところ、ようやく納得をしていた模様。ただこの低調なタクシー利用の状況を見ると、いずれこの乗り場に待機するタクシーはなくなるかも・・・。
豊田駅前に到着すると、愛知環状鉄道で瀬戸市駅まで移動することにする。愛知環状鉄道は「来るべき複線化」に備えた用地確保はしてあるが、沿線も豊田市周辺は人口密集地であるものの、乗客は複線化が必要というほどは多くはなさそう。そもそも沿線も豊田以北はほとんど郊外ばかりであり、開発もまだ途上という印象。いくら中京圏が経済好調と言っても、今後日本の人口が減少に転じることを考えるとこの辺りまで宅地開発されるかはかなり疑問。
左 瀬戸市駅 中央 新瀬戸に乗り換え 右 尾張瀬戸駅 瀬戸市駅で下車すると、隣接の名鉄瀬戸線の新瀬戸駅に移動する。ここからまずは終点の尾張瀬戸方向へ。この間は沿線は完全に市街地。終点の尾張瀬戸に特に目的はないのですぐに栄町まで折り返す。列車はひたすら市街地を走行するのみで面白味はない。栄町からは地下鉄で金山に移動、いよいよ本日最後の予定となる常滑線の視察である。常滑線はかつては名鉄の単なるローカル線だったのだが、セントレアの開港で急遽空港アクセス路線として整備された路線。現在はミュースカイなどの特急が空港までを結んでいる。
構内改札を抜けると、そこに4両編成の列車が待っていた とりあえず最終的にはセントレアの見学をする予定だが、その前に支線の見学をしておく。大江から東名古屋港に向かう築港線が出ている。ここは明らかに臨海工場街への通勤路線であり、朝夕しか運行がないという特殊路線。JR西の和田岬線とイメージ的にはそっくりである。今はちょうど時間的に夕方だから、ついでに視察しておこうという考え。終点の東名古屋港駅は無人駅なので、大江駅内に内部改札があり、ここが東名古屋港駅の改札となっている。ホームに入ると行き先表示のない4両編成の車両が待っている。どうやらこれが線内往復輸送をしている模様。この時間に東名古屋側に向かう乗客はおらず、4両編成の車両は私一人を乗せて東名古屋港駅に向かう。
東名古屋港駅 列車は工場街の中へ入っていく。沿線イメージとしては水島臨海鉄道の終点の三菱自工前に近い。4両編成もの大車両を運行しているので、もしかしたら帰りは大勢の通勤客で大ラッシュかと警戒したのだが、今日が土曜日のせいか、それともいつもこの程度なのかは定かではないが、終点で待ちかまえていたのは30人程度。私も彼らと一緒にそのまま折り返してくる。
中部国際空港駅に到着 大江駅に戻ってくると急行で中部国際空港を目指す。最近までは単なるローカル線だった常滑線だが、空港アクセスルートとなったことで一躍脚光を浴び、現在も高架化などの工事が勧められているようだ。太田川で河和方面の路線と分かれると、知多半島の西岸に出る。住宅などはあるものの、沿線はそう都会というわけでもない。乗客の大部分が常滑で下車。ここから路線は海側に90度方向転換するのだが、この辺りの風景にデ・ジャヴを感じたと思ったら、関空周辺の風景にそっくりだった。
空港内部はかなり活気がある 終点の中部国際空港駅はそのままセントレアに直結している。セントレアはかなり巨大な空港で、関空や成田と同じ空気を感じる。ただ関空では赤字垂れ流しのオーラを感じ、成田ではいかにも寂れた空気を感じたのに対し、ここはまだそれよりはずっとまともな施設という空気を感じた。
空港まで来たので一応は展望デッキから飛行機を見学。国際空港だけあって海外会社の機体などもあるが、別に飛行機マニアではない私には大して興味なし。特にすることもないので、とりあえず夕食を摂って帰ることにする。
セントレア内にはかなり気合いの入った飲食店街がある。スカイデッキのある4階が中央通路で二分されており、片側は明治モダンチックな内装の「レンガ通り」、反対側は昭和レトロチックな「ちょうちん横丁」となっている。ちょうちん横丁内の和食の店「鈴波」に入店することにする。
店の前には2グループほどが待っていたが、そう待たされることはないだろうと待つことにする。しかし中から次々と客が出てくるにもかかわらず、いつまでも延々と待たされることになる。その挙げ句に私の後ろの数組と一緒に一斉に案内されたかと思えば、内部はほとんど空席で、全員が着席しても店内の半分は空席。「何なんだこの客あしらいは!」と思わずムカッと来たが、さすがにここで怒って店を後にするほど私は短気でもないので(と言うか若くなくなっただけかも)、とりあえずは食ってから判断しようと「鈴波御膳刺身付き(1480円)」を注文する。
料理はうまいのだが・・・
さらに待たされてようやく出てきた御膳の内容は確かに旨かった。ここは魚介の味醂粕漬の店なのだが、味醂粕漬にしたことで魚から余計な水分がなくなり、焼き魚の味が非常に鮮烈で濃厚である。これには私は軽い衝撃を受けた。また添えられていた豆腐、漬け物の類のいずれもなかなかに美味であり、料理の味については全く文句のないところであった。ただ先ほどの案内に限らず、客あしらいのすべての点で低レベルと判断せざるを得ない点が多々あり(一言で表現すれば「全く心遣いが見られない」)、これが改善されたとの確証を得るまでは二度と来店することはないだろうと判断せざるを得なかったのも事実である。
なお以前にも述べたように、私は「この店はおいしくないな」と感じた場合にはあえて店名は出さない。所詮はうまいまずいは感覚や好みの問題であるので、それだけで営業妨害に類することはしたくないからである。ただ接客に関しては明らかに店側で直ちに改善が可能なポイントであるだけに、「味は良いのに接客が・・・」という店はあえて店名を出している。ここの場合はこの接客だけが唯一の難だけに残念でもあるのである。
夕食を終えて店を出た時には外はすっかり真っ暗となっていた。とりあえずホテルに入ることにする。まずは荷物を回収するために名古屋駅へ。もう真っ暗だし面倒だからミューチケットを購入してミュースカイで名古屋まで戻ることに。さすがに有料特急だけあってシートは良い(イメージとしては新幹線に近い)。また空港特急という性質のため、大きなトランクを置くためのスペースも完備している。外は真っ暗なので速度感は今一つつかめないが、乗っているとそう速い列車という気はしない。とは言うものの、名古屋までは30分程度で到着する。利便性では福岡空港などとは比べるべくもないが、確かにこの程度の時間と料金なら十分利用可能な空港である。これに比べると関空や成田はいかに大馬鹿空港か。
名古屋でトランクをロッカーから回収すると、金山まで引き返してそこから地下鉄で一駅。今日の宿泊ホテルは名古屋でのとりあえずの定宿の一つ「ルートイン名古屋東別院」である。もっとも実のところ名古屋での定宿はまだ確定していない。と言うのはこのホテルは、特に不満はないのだが特に魅力もないというのが正直なところ。概してルートインチェーンにはこういうところが多いのであるが・・・。
ホテルにチェックインするとまずは入浴。その後はまったりと時を過ごすのであった。空港からの帰路あたりから頭痛に悩まされているので、この日はやや早めに床につくことにする。
☆☆☆☆☆
翌朝はいきなり大失敗した。予定では6時は起床するつもりだったのに、何と目が覚めた時には8時を回ってしまっていた。どうやら無意識に目覚ましを止めてしまったか、目覚ましが鳴らなかったかのどちらかのようである(多分前者のように思われるが)。今まで旅先でここまでの大寝坊はしたことがなかったのだが、今回はとんだチョンボである。昨晩から頭痛がひどくて体調が今一つだと感じていたのだが、それが影響してしまったのだろうか。確かに眠りは浅かったが、それはそもそも私がSASを発症していることに原因がある。
とりあえずあわてて朝食を摂りに行く。朝食メニューは今一つ貧弱だが(これがこのホテルが完全に定宿にならない理由の一つ)、そもそも起き抜けであまり食欲が出ないので簡単に済ませる。
急いで荷物をまとめると直ちにチェックアウトする。完全にスケジュールが崩壊しているので途中で調整しないとどうにもならないが、もうこうなればそれは出たとこ勝負である。幸いなのは名鉄は地方のローカル線と違って運行本数が多いこと。これがJRのローカル線だったらすべてが終わってしまうところだったが。
金山でロッカーにトランクを放り込むと、早速名鉄に乗車である。今日の予定はまずは知多新線、河和線方面の視察。ホームに到着した内海行きの急行に飛び乗る。
太田川周辺は高架化工事中
途中の太田川までは先日に乗車した常滑線と同ルート。高架化工事中の太田川を過ぎるとそこからが河和線に入るのだが、河和線に入った途端に沿線人口は激減して田園風景となる。ちょうどこの辺りは知多半島を西岸から東岸に向かって横断している辺りである。
しかしそこを抜けるとこの風景
ようやく東岸に到着した辺りが半田で、この辺りからは急に工場や住宅が増加する。半田の市街を南下しつつそのはずれ辺りが河和線と知多新線の分岐駅である富貴駅。立身出世して富貴を極めるなどというが、それにしても何とも目出度いというか賑々しい名称の駅である(正確には読みは「ふうき」ではなく「ふき」であるが)。これはかつての「幸福ゆき」切符みたいにお守りとして「富貴ゆき」切符でも発売されているかと思ったが、どうやらそういう様子もなさそうだ。何にしろ、富貴とは縁遠くせいぜいが平均レベルの生活維持がギリギリの私には無関係。もっともこれでも若き頃は将来の富貴を夢見たことはあったが・・・。環境と運に恵まれなかったなどと言い訳も出来るが、人一倍の努力をしたというわけでもないので自業自得ではある。
富貴で分岐・・・なんか人生の横道にそれていく気分 列車は富貴で河和方面と分岐すると、ここから知多新線に突入する。単線になった路線は大きく西方にカーブして山の中に入っていく。ここで路線はちょうど知多半島の東岸から西岸に再び移動することになり、知多半島の背骨である山地を横切ることになる。そのために次の上野間駅までの間隔は非常に長い。
美浜緑苑駅は田舎の駅
上野間を過ぎると次が美浜緑苑駅。ここで途中下車。この近くにある杉本美術館に立ち寄るために、今日はわざわざはるばる知多半島まで出張ってきたわけである。しかし、降り立った駅のあまりの田舎っぷりに絶句する。事前に地図で地形を調査した時は新興住宅地の駅という印象を抱いていたのだが・・・。
新興住宅地と言うにはあまりに・・・な光景 駅を出ると階段を登ることになる。これを登りきったところで謎が判明した。確かにここは新興住宅地なのである。ただし明らかに開発を失敗した新興住宅地である。宅地用に区画整備はしてあるのだが、売れ残りが多くてパラパラと建っている住宅の合間は薮化している状態。特にひどいのが駅の周辺で、新興住宅地と言うよりも「やけに家の綺麗な山中の廃村」という印象。駅から離れるほど宅地の入居率は上がっているが、それでもあちこちに売れ残りが見られ、それらが薮化している。。この手の宅地開発では駅から遠い順に販売していくことを考えると、宅地開発の途中でバブルの崩壊か何かで計画が頓挫してしまったような気がする。ただそうだとしても、そもそも駅の周辺に商店もない宅地開発計画って・・・。また半田周辺でも田んぼなどがかなりあり、そもそもこんなところを開発した意味がよく分からない。まだ百歩譲って別荘などのリゾート開発というのならまだ分かるのだが、建っている家を見ると明らかに普通の新興住宅地である。一体どういうコンセプトで街づくりをしようと考えたのだろうか? 緑が多いのは美術館の立地としては良いが、残念ながら住宅地とは緑の質が違うような気がする。本来はここまで荒れる前に自治会などが何とかするものだが、住民が少なすぎて自治会が機能していないのではないだろうか? とにかく駅周辺は荒れ放題という印象で、これでは今後の入居にも響きそう。
目的の美術館はこの町(?)の中を10分ほど歩いた先にある。
杉本美術館画家・杉本健吉の作品を集めた美術館。杉本はそもそもグラフィックデザイナーから画家へと進んだ人物と言うことで、その作品は単純に洋画や日本画とは括りにくにものになっている。一応ジャンルとしては洋画に属する絵画ではあるのだが、その自由奔放にして伸びやかな描線は、私の中で結びつくのは富岡鉄斎。絵の印象としては洋画よりも大和絵や時には南画を想わせたりするのである。
この美術館には彼のいろいろタイプの作品が展示されている。正直なところ彼の作品は私の好むところとは方向性が違うのであるが、なぜかどことなく楽しげに見える作品には自然に微笑まされるところがある。奇妙な魅力を秘めた画家である。
何やらのんびりした美術館で、入場券も見学だけのものと抹茶付きのものがあり、私は抹茶を頂いた。美術館自体は良いんだが、根本的な街の開発が間違っているのがなんとも・・・。
駅まで戻ってくるとここからさらに先の内海まで乗車する。しかしこちら方向に乗車する客は数人。次の知多奥田が日本福祉大の最寄り駅らしいが、今日が休日のためか乗降はほとんどなし。とにかく沿線はひたすら山の中で住宅などが全くなく、それなりの集落は終点の内海だけ。路線自体は「来るべき複線化」に備えて、トンネルも軌道も線路二本分を確保してあるが、現在でも1時間3本のダイヤを組んでいる以上、これ以上の需要はありそうに思えない。
終点内海駅は駅だけは立派なんだが・・・ 終点の内海は2本ホームに4線のかなり立派な駅。「来るべき複線化」が実現しても駅自体はこのまま対応可能である。ただ駅前は閑散としている。観光地のようだが、メインは海水浴なので今はシーズンオフなのだろう。また駅が内陸にあるために、肝心の海水浴場はここからかなり先にある。これでは「鉄道を使わずに車で来て下さい」と言っているようなものである。どうも路線全体に疑問符がつきまとう。何か開発のすべてが極めて中途半端である。この沿線の開発は名鉄が行ったらしいから、名鉄という会社はよほど決断が鈍い会社なのかという印象を受ける(全員の意見を調整したら全員が不幸になるという「悪しき三方一両損」的解決ばかりを重ねたのではと感じられる)。
コミュニティバス
とりあえずここに特に用はないので次の目的地である河和に移動することにする。列車で戻っても良いのだが、鉄道マニアではない私としてはそれはあまり面白くない。そこでここから河和駅まではコミュニティバスで移動することにする。バスは知多半島の山間部を抜けて30分程度で河和に到着する。途中には山の中の集落などもあるが、それはなかなか風情がある。やはり森の中の日本建築は自然の風情があるが、薮の中の洋風住宅というのは異様な感じがするだけである。美浜緑苑は根本的に街づくりをやり直す必要がありそうだが、もう手遅れだろう。
河和駅は活気がある
河和は駅前にスーパーなどもあり結構にぎやかな印象。ただここに来る途中でも空き地が結構あった。もう既に日本も人口は減少に転じており、今後は今までみたいに住宅地を造れば売れるという時代ではなく、むしろ各地で空き家が次々と増えてくる時代になるだろう。そのような時代の変化が顕著に現れている地域のような気がする。名古屋という大都会を背後に控えているこの地でこのざまでは、元より過疎化の進行が著しい地方の惨状は言わずもがなである。実際、私も山陰や四国などで惨憺たる地方の状況を目のあたりにしてきた。やはり日本全体の再設計、その基本となる東京の解体(まさに日本をむしばむ癌と言っても良い)が急がれるのである。
河和では土産物を買うと普通列車に乗り込む。このまま名古屋に帰るのは芸がないので、途中で半田に立ち寄るつもりである。なお寝坊によって崩れていたスケジュールだが、内海での計画を全面的には省いたことでほぼ当初予定に戻っている。
河和駅を出て北上すると列車は山の中を走るようになる。それを抜けると富貴である。ここからは半田はすぐ。知多半田駅で下車する。
知多半田駅前は地方都市イメージ。観光にも力を入れているようで、駅前には観光案内所も入ったビルがあり、そこと陸橋で結ばれている。そこを渡っていくと、なぜか萌えキャラの歓迎。これには目眩が・・・。以前から私は、半ば冗談として「日本の情緒はわび、さび、萌え」と言っているのだが、最近はこれが冗談でなくなってきたような。そのうちに観光政策なんかにまで「萌え大国日本」なんて言い出すのでは・・・頭が痛い。
半田では美少女がお出迎え・・・目眩がしそうだ
市内見学の前にとりあえず空腹が身に染みる。そこで駅近くのウナギ屋「一心屋本店」で昼食を摂ることにする。朝からろくに食べていないことを考えて、注文したのは奮発気味に「ひつまむし(2500円)」。
かなり待たされてからようやく料理が出てくる。うなぎはやや硬めのパリパリに焼かれており、これはひつまむし用チューニング。味は辛すぎず甘すぎずと言った無難なところ。一杯目はストレート、二杯目は薬味付き、三杯目はお茶漬けとお約束通りパターンで頂き、四杯目はやはりお茶漬けで頂く。しつこすぎないうなぎの味付けはどちらかと言えば私好みだが、パリパリな焼き方は賛否両論ありそう。私自身はうなぎはフワッと焼く方が好みなので(関西人ではどちらかと言えば少数派か?)。全体として悪くはないが今一つ印象が薄いなという気もした。また機会があればひつまむしではなくて鰻丼を食べてみたいと感じたところ。
腹ごしらえを済ませると市内の見学。知多半田から数分歩くとJR武豊線の半田駅がある。ここは以前に通った時にSLが置いてあったのを覚えているので、そちらの方向に向かって散策。JRの線路を潜って向こう側に出るとすぐに半田駅。なお半田駅はすぐ近く。趣のある跨線橋が見えるが、これは明治時代から残っている現存最古のものとか。最も駅自体は明らかにもっと後で建てられた無味乾燥で趣にかけるものであり、全体として何となく残念である。
左 半田駅の現存最古の跨線橋 右 半田駅駅舎自体は平凡 SLはこの駅の北側の鉄道資料館の一角に置いてある。案内看板によると武豊線を最後に走ったC11265とのこと。比較的各地で見かけることの多い小型SL車両である。一応屋根がかかっている分、完全雨ざらしのところよりは保存状態は良いように思われた。こうして見ると、再びこいつが線路の上を走る姿を見たくなる。
後は半田市街を海岸方面までブラリ散歩。海岸近くの運河沿いにはミツカンの倉庫などがあり、予約すると醸造所なども見学できるようだがそこまでするつもりはなし。また黒倉庫街もまあ確かにそれなりの趣はあるのだが、近代的な工場やら護岸整備された後などが目に入ってしまうので唸るほどの場所でもない。残念ながら小樽の運河には到底及ばないようである。町並みといい、先ほどの半田駅といい、どことなく観光開発も中途半端な印象を受ける。結局は知多半島を回って頭に残ったキーワードと言えば、この「中途半端」であった。
知多半田駅まで徒歩で戻ると急行で金山駅まで戻る。これからが本遠征の主目的の一つでもある。
「麻生三郎展」愛知県美術館で6/12終了
社会が抑圧的ムードになった戦時下に、靉光や松本竣介らと「新人画会」を結成して自らの絵画表現を追究していた画家が麻生三郎である。彼の初期の作品はかなり前衛的なのであるが、それが渡欧によってヨーロッパ芸術の洗礼を受けたことによって写実を目指すようになる。やがて自分の回りの人々を描き始めるが、やがて戦後には混沌とした社会の中で自由と反する抑圧感を抱きつつ、その感情をキャンパスに叩きつけて再構成するかのような独自の歪な人間像を描き始めている。
この時期になってくると画面は単なる絵具の重ね塗りにしか見えないのだが、完全な抽象画ではなく、随所に人体の輪郭が窺われることから、これが具象画から展開したものであると言うことがかすかに感じられる。ただその歪な人体からは悲鳴に近い叫びのようなものが聞こえるように感じられる時もある。
やがてさらに晩年に達すると、抑圧感を突き抜けて、一種の悟りの域に近づいていったような奇妙な静寂感が漂い始めたりする。まさに彼自身の感情の表現なんだろう。
とにかく強烈かつ奇妙な絵画。ハッキリ言えば私の嫌いな絵具厚塗り系である。ただそれにもかかわらず、心の奥底にガツンとぶつかってくるものがあることが印象的。
これで今回の名古屋での予定は終了だが、このまま名古屋から新幹線で帰るのは芸がないし、名鉄電車2DAYフリーきっぷを買ったのだからこれをとことんまで使い倒すことにする。まずは金山から岐阜までを名鉄特急で移動。よくよく考えるとこの路線は今まで乗ったことがない。なおここは結構混雑する路線のようなのでミューチケットを購入することにしたのだが、実際の混雑を見るとこれは正解だった模様。
岐阜までは特急
岐阜までは30分ほどで、途中の停車駅は名古屋、国府宮、一宮、新木曽川、笠松である。名古屋を過ぎてしばらくすると、家はあるものの田んぼも多いような地区を通っていくことになる。この風景を見ていると名古屋圏は東京圏と違ってまだまだ土地の余裕がかなりあるような気がする。それだけに美浜緑苑がなんであんなところに宅地開発をしようとしたのかが大きな謎である。
JR岐阜駅が見える
岐阜までは30分ほどで到着する。岐阜には用がないので直ちに折り返して笠松に戻る。ここから新羽島まで名鉄で移動して、今日は岐阜羽島から新幹線で帰宅しようという計画である。岐阜羽島と言えば、岐阜県内に新幹線の駅がないということに怒った某有力政治家の横槍で強引に作られたということで有名な駅である。まさに我田引鉄の見本なのだが、この手の介入で作られた駅や路線にまずまともなものはない(そりゃ採算性無視で、政治家の売名や利権だけが優先されてるんだから)。この駅にしても「なぜこんなところに?」という印象の強い駅。JR在来線は接続していないしする気もないので、名鉄を延長して接続はしたものの、単線の各駅停車なので岐阜から30分以上かかる。これだけかけて1時間にひかりとこだまが1本ずつの駅に出るのなら、名鉄で同じ時間で名古屋に出ることができるのでこの方が便利である。ましてやJRを使えば岐阜−名古屋が20分。というわけでこの駅はほとんど羽島市民のためだけにあるみたいな駅である。
笠松で新羽島行きに乗り換え
笠松からの竹鼻線はいささかのどかな住宅地を進む路線。二両編成の車内は沿線住民らしい乗客で一杯だが、駅が進むにつれて乗客は減少し、羽島市役所駅を過ぎる時には車内には乗客は数人しか残らなくなる。終点の新羽島駅はいかにも新幹線との接続のために無理矢理に作ったという印象の強い駅。ホーム以外まさに何もない。
左 新羽島駅ホームからは新幹線ホームがそこに見える 中央 本当にホーム1本だけの駅 右 岐阜羽島駅 いざ岐阜羽島駅の現地に立ってみると、やはり「なんでわざわざこんなところにこんな駅を」という言葉しか出てこない。まともな土産物屋もなくて、キオスクしかないというまるで田舎の特急停車駅レベルの駅が東海道新幹線停車駅であることに軽い目眩を覚えずにはいられない。結局は政治家がこういう風に国鉄を食い物にしてあんな巨額な赤字を作ってしまったのである。東北の復興事業にしてもつくづく同じようなことは絶対にさせないようにしないといけない。放っておくと土建癒着の日本の政治家は「消費税増税で財源が出来たから、三陸復興のために三陸新幹線を建設する」なんて馬鹿なことを本気でやりかねないのである。「そんな馬鹿な」と思う者は、本州と四国の間に三本も橋があるという「そんな馬鹿な」という現実が起こっていることを思い出せばよい。
だそうです・・・
待合室でしばし待った後、到着したこだまで帰途についたのである。いつもは帰りはのぞみが多いので米原は通過駅だったのだが、こだまで停車した米原ではかなり降車客が多かったのは意外だった。確かにこの駅は北陸方面への乗り換え拠点らしい。もっとも以前に東京方面行きで米原で降車した時には、私の他に降車客は全くいなかったが・・・。
結局は名鉄乗りまくりというだけの、まるで鉄道マニアみたいな遠征になってしまった。一応は路線の先々に目的地(美術館)はあったのだが、正直なところそれは後付けの感は否定できない。実際、終わってみるといまいち主旨不明の遠征で、後になってみると非常に疲れたというのは事実。やっぱり本質的に私は鉄道マニアとは違うわ・・・。
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