展覧会遠征 神戸編6

 

 ここのところ天候の悪さや体調の悪さなどで家にお籠もりの週末が続き、さすがに気分が滅入ってきた。そろそろ神戸の「古代ギリシア展」の会期も終了に近づいているし、この週末は外出することに決定。

 

 車で神戸までひとっ走りすると、満車状態の大丸駐車場を横目に、いつものように大丸契約駐車場の方に車を停める。ここの駐車場は大丸から遠いために嫌われるが、私の目的地はここの方が近い。

 博物館前に到着するとなんとここでチケット購入の行列が数十人。これは全く予想外であった。内部も入場制限などこそはされていなかったが、かなりの人出で混雑しており、美術展鑑賞コンディションとしてはあまりよろしくない状態であった。

 


「大英博物館古代ギリシア展」神戸市立博物館で6/12まで

 

 ヨーロッパ美術の原点とも言って良いのがギリシア美術。その肉体描写などは後のヨーロッパ美術に深い影響を与えている。それを理解するべく、大英博物館が所蔵するギリシア美術品から彫刻や壷絵を中心に展示したのが本展である。

 展示は神像、男性像、女性像などと分類されて展示されているが、やはり最初期は神をかたどった素朴な作品が多かったようで、また作品自体からもエジプトの影響が顕著に現れている。それが時代の進展と共に、理想的な肉体を描いた生々しい像へと変化していく。その逞しい肉体像の典型と言えるのが、本展のシンボルともなっている「円盤投げ」。円盤投げ競技に参加しているアスリートの、まさにこれから円盤を投げようという姿をかたどったものであるが、その波打つような筋肉の表現、全体からみなぎる緊張感などは、まさにヨーロッパ芸術の象徴のような迫力がある。

 一方で、これまた本展看板作の一つである「アフロディーテ像」は非常に優美でエロティックさを秘めながらも神々しさを感じさせる女性像で、これももう一方のヨーロッパ芸術の象徴である。

 ヘレニズム期に至ると文化の爛熟の様相を呈してき、彫像の技術などもさらに上昇してきて複雑な作品が増えてくる。また一方でこういう時代につきもののエロティックな表現、さらにはグロテスクな表現なども現れてくるようである。

 この後のギリシアはローマの支配下にはいるが、ローマは文化的にはギリシアのものをそのまま取り入れたので、結局はこのギリシア文化がヨーロッパ文化の底流となっていくことになる。偏狭なキリスト教カルトに支配された中世暗黒時代にはこれらの芸術もかなり低調になって、形式的で面白味に欠ける宗教装飾ばかりになったが、このギリシア文化の底流があったからこそ、後のルネサンスの華やぎにつながっていくことが理解できるのである。

 


 なかなかに見応えのある展示であり、出来ればもう少し空いている時にじっくりと見学したかったが、今となってはそれも不可能だろう。次は東京の国立西洋美術館に巡回するようだが、あっちの場合はここよりもさらに混雑しそうである。

 

 展覧会の見学を終えると、駐車場代を浮かせるべく大丸へと昼食に出かける。昼食は大丸レストラン街の洋食屋でランチ。可もなく不可もなくというところであまり特徴なしであり、いかにも百貨店のテナントと言ったところ。さらに地下のユーハイムで毎度のようにバームクーヘンを購入すると、これで大丸契約駐車場は2時間無料である。

サラダ・スープ・メイン・デザート・飲み物のランチコース 以上でしめて¥1575

 駐車場から車を出すと次の目的地へ。ここまで来たのだからついでに伊丹まで足を伸ばす。こちらの展覧会の方は今日が会期末。ギリギリでの駆け込みだが、今日は柿衛忌とかで呈茶がされていたので、そちらに先に参加。美術館などをウロウロしていると、何かとお茶に出くわす機会が多い。私は当然のように正式なお茶のマナーなどは全くの心得がないので完全に我流の簡易流。ちなみにお茶のマナーは「なぜそういう行為をするのか」という基本原理を知っていたら、非常に理にかなった合理的なもの。受け取った器を回す理由も「相手がこちらに茶碗の正面を向けて置くので、その茶碗を持ち上げて鑑賞してから、茶碗を回して正面を避けて飲む。」という理由を知っていたら、無意味に茶碗を何回転もさせるなんてことはない(笑)。私の場合、正式なお茶席になんて出ることはないから、これだけ知っていたら何とか間に合う(笑)。

  緑中心の彩りが目に優しくて清々しい


「陶酔のパリ・モンマルトル1880 - 1910 〜シャ・ノワールをめぐるキャバレー文化と芸術家たち〜」伊丹市立美術館で6/5終了

 

 文化が爛熟期を迎えつつあった19世紀末のパリに開かれたのがキャバレー「シャ・ノワール(黒猫)」。ここはすぐに新進芸術家のたまり場となり、その中から新たな芸術がエネルギーとなって吹き出てきた。本展はそのようなキャバレー「シャ・ノワール」を巡る展覧会である。

 展示物は当時の雰囲気を物語るポスターなど。その中にはロートレックの作品なども含まれている。また当時評判になった影絵芝居なども再現されている。

 特に何か印象的な目玉があるという展覧会ではないが、シャ・ノワール自身はパリの多くの有名な画家達のエピソードには必ず登場する場所だけに、当時の雰囲気を知ることは、彼らの作品の背景に想いを馳せることにつながる。洒落ていて、猥雑で、活気があって、退廃的。このような雰囲気があの時代の芸術革新そのものだったのだろうということを考えさせられるのである。

 


 これにて本日の予定は終了。後は高速をすっ飛ばして帰路につくのみであった。

 

 

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