展覧会遠征 北海道編

 

 さてGWである。今年のGWは東北大震災による自粛ムードで各地の観光地は青色吐息とか。観光とは単なる贅沢ではなく、地方によってはそれが地域基盤になっているという基幹産業の一つである。全国の観光地の支援のためにも愛国者たる私は、家族の顰蹙も省みずに遠征を続けるのである・・・開き直り。

 今年は本来なら「東北・北海道強化年間」となるはずだった。この目的に沿って去年の段階から今年のGWにターゲットを定めてプランニング及び航空券などの手配を進めめていた。あの大震災のニュースが飛び込んできたのはそのような最中であった。あらゆる情報の混乱の中で、まず遠征計画実行の是非から再検討することになり、結果として当初に想定していたプランからはかなりの変更を余儀なくされることとなった。そのために全プランの詳細が定まったのはつい最近である。

 あの悲惨な大震災のために三陸地域は当面は観光旅行などという状況ではないだろう。実は今年に私は青春18切符を使用して三陸方面を回るつもりで計画を立てていた。つまり一つ間違っていれば、あの津波に私自身も巻き込まれていた可能性があったのである。そう考えると人生とははかないような気もしてくる。なおあの地震は春の青春18シーズンだったことから、もしかしたら巻き込まれた鉄道ファンなどもいるのではないかと懸念している(東京辺りで一人暮らしの学生が個人行動で訪れていたりしたら、地震に巻き込まれたことさえ最後まで分からないかもしれない)。

 このような状況を鑑みると、今年に関しては東北は当面は目標からはずさざるを得ないだろう。となると残ったのは北海道である。北海道は私にとっては未踏の地であり、是非とも今年中にこの地に足跡を示したいと考えていた。こういう事情から今年のGWのプランは北海道周遊という形に決定された。しかし実はこのプランニングの詳細に関しては、思わぬ理由から難航した。と言うのは、目的地を北海道に定めたは良いが、そもそも北海道に行く目的がないということにプランニングを始めてから気づいたのである。

 私の遠征の目的はまず第一に美術館巡り、そして第二が城郭探訪である。しかし広大なる北海道には美術館はさして多くはなく、さらにはそもそもは蝦夷地であった北海道には、本来の意味での城郭はほとんど存在しない。つまり私の遠征に不可欠の目的が不在になってしまったのである。鉄オタなら単に北海道の鉄道の乗りつぶしというだけでも目的になろうが、本来鉄オタではない私の場合、それだと目的不在ということになってしまうのである。

 結局は開き直って「21世紀の地域振興と交通について考える市民の会代表」としての活動の拡張として考えることにした。日本最北の北海道の現状を視察することは、日本全体の地域振興を考える上で不可欠と判断したのである。つまり今回の遠征は、私の遠征のもう一つの主題となりつつある「日本再発見」を改めて考えるものとしようというわけである。

 目的が定まったことで、ようやくプランの詳細がほぼ定まった。まず出発はGWが始まる一日前の4/28である。この理由は単純明快で、GWが始まってしまうとスーパー旅割などの割引航空券が使用できないからである。そのために年有休暇取得の事前の根回しは行っている。また北海道内は周遊切符を使用してJRで回ることになる。これも北海道内フリー切符がGW期間には使用できないことから、やむなく周遊切符を使用したということになる。北海道から出るのは5/7。周遊切符の有効期間を最大限使用するプランとなっている。なお周遊切符を使用する関係から、帰路は鉄道になる。これは当初の予定では寝台特急北斗星を使用するつもりだったのだが、今回の震災で東北本線が寸断された煽りで北斗星が運休となったことから、急遽日本海回りの寝台特急あけぼのに変更となった。行きの飛行機だが、毎度のようにANAのスーパー旅割である。またなるべく早く北海道に到着するために神戸空港発の便を使用することにした。

 以上がプランの骨格である。ただ当初は28日の早朝に神戸に向かうつもりだったのが、当日が近づいてくるにつれてだんだんと「早朝からの出発はしんどいな」という気持ちが湧き上がってきた。いっそのこと神戸に前泊しようかという考えが頭をよぎる。とは言うものの、神戸での安価な宿泊手段がないことからこの案は流れていた。しかし最近になってポートアイランドのクオリティホテルが期間限定で格安の素泊まりプランを組んでいることが判明。急遽神戸で前泊することと相成った。

 

 27日の仕事を終えると、生憎の雨の中をホテルへに向かう。ホテルはポートライナーの市民病院前駅から少し歩いたところにある。ところでポートライナーはポートアイランド内では一方通行だったと思ったのだが、神戸空港線ができた関係か市民病院前駅にホームが1つ増えているのに驚いた。

 ホテルは少し昔の高級ホテルという趣。あえてツインルームの一人使用にしたので部屋はゆったりしている。なお私がツインルームを指定したのは、ツインルームはユニットバスでなくて、洗い場つきの独立風呂になっているから。大浴場のないホテルだけに、やはりこの程度の設備は欲しいところ。もっともツインルームの一人使用は時折強烈な虚しさも感じさせる。やはり女性と来たいよな・・・。私と一緒にツインルームに宿泊してくれる女性については、引き続き募集中である。見事に私の選考にかなった女性については、誠意を持って処遇したいと思っている。

 

 夕食はホテル一階にあるレストランで済ませる。食べたのは宿泊者なら1500円で食べられる(本来は2000円)ステーキ御前。まあ1500円ならまずまずの内容である。

 夕食と風呂を済ませるとネットで明日以降の計画の最終確認を行ってから、明日に備えて早めに床につくことにする。

  

☆☆☆☆☆

 

 

 翌朝は5時半に自動的に目が覚める。どうも最近は旅先では眠りが浅くなっているようで問題である。昨日は雨だったが、目下のところは天候はそう悪くはなさそうだ。とりあえず手早く出発準備をすると、予定よりも早めにホテルをチェックアウトしてポートライナーの市民病院前駅を目指す。

   

 神戸空港行きの車内は大きなトランクを持った旅行者と、カバン一つのいかにも出張のビジネスマンといった趣の乗客の混合である。神戸空港はポートアイランドから橋を渡ったさらに先にあり、ポートライナーの空港駅はターミナルビルと接続している。ちょうど伊丹空港のモノレールと同じ状態である。ただこちらはターミナルビルが小さい分、駅を出るとすぐに出発ゲートの真っ正面に到着する。

空港内自体はそれなりに活気があり、就航しているのはスカイマークとANA

 到着した空港は結構活気があって、一見したところでは赤字垂れ流しといったオーラは感じられない。ただこの空港の問題点はこういった目に見えるところではなく、もっと深いところにあるだけによりたちが悪い。端的に言えばこの空港の最大の問題点は建設費の高さ。ゼネコンと癒着している神戸市当局は、最大限ゼネコンを儲けさせるためにあえて埋め立て方式という建設コストのかかる方法を採用したため、そのコストがのしかかっており、この辺りは関空と全く同じ図式である。建設費については用地の売却で賄うとしていたが、既にポートアイランド新規埋め立て地部分だけでもガラガラの状態なのに(ポートライナーから見ていると先端医療センター駅から先は沿線は荒涼たる空き地である)、さらに辺鄙の空港島に進出企業があろうと考える方がどうかしている。実際空港島内には、レンタカー屋が数軒ある以外は全く建物の姿は見えなかったのである。

 

 こんな空港を造っても赤字の垂れ流しになることに気づいていた賢明なる市民は、空港建設反対の大量の署名を集めたが、なんと神戸市当局はこれを完全に黙殺したのである。そして阪神大震災で神戸が壊滅して市民が生活に困る中、なぜか市民のほとんどが賛成していなかったこの空港建設が復興事業の筆頭に上がるということになる(そもそも神戸に空港はなかったのだから、復興事業のはずがないのに)。この経緯を見てきた私としては、東北の復興事業が同じ轍を踏まないことをひたすら祈るのみである。

 

 待ち時間の間に朝食としてうどんを食べると、手荷物検査を受けてロビーの方に入る。なおこの空港の搭乗ゲートを見ると、スカイマーク、全日空以外にもう一つ空のカウンターがあり、空港側が某社の参入を期待していることが伺えるがそれも当然だろう。実際、現在はそこそこの便数があるといってもほとんどスカイマーク頼みであり、このままだとスカイマークと運命共同体であり、スカイマークがこけたときがこの空港が終わる時になってしまう。なお私が搭乗するのは、当然のようにスカイマークではなくて全日空の便である。

 

 私が搭乗したのはやや大きめの機体であるB767だが、平日早朝の便というためか搭乗率はかなり低く、50%ないのではないかという状況。何しろ左、中央、右の3プロックのシートの中で、私の座っている中央ブロックにはほとんど乗客の姿がないという状況である。仙台便と違って新千歳まではここから2時間という長時間フライトである。機内ではとにかく暇なので、水平飛行に移るとポメラを持ち出してこの原稿を打ち始める。

 やがて新千歳が近づいて高度を下げ始めるとベルト装着サインが出る。ここからは揺れる可能性があるということなので、私もポメラを仕舞込む。今日は天候が悪いことから若干の覚悟はしていたが、ここからのフライトが最悪。Gの変動に弱い私は、恐くはないがとにかく気分が悪い。挙げ句は子供が泣き始めるし(結局は最後まで泣き続け)、今までで最悪のフライトであった。

 ようやく無事に到着した新千歳空港は仙台空港に雰囲気が近く、地方の拠点空港という印象。とにかくついに私の北海道初上陸である。感慨深いものがあるが、その感慨にふけるよりもとにかく肌寒いことが気になる。実は最後まで迷ったのがここにくるときの服装。分厚いジャンパーと薄手のジャケットのどちらにするかさんざん迷った挙げ句、直前になって厚手のジャンパーを選んだのだった。この服装は既に初夏に近い気温の関西では汗だくになる服装だったのだが、結果としてはこれが大正解であった。

 

 

 新千歳空港からはJRで移動する。まず最初の目的地は帯広。JRの空港駅は地下にある。ここから快速エアポートで隣の南千歳まで。車内が結構混雑していることにも驚いたが、たかが快速で扉付きのデッキを持つ構造になっているのはさすがに寒冷地と驚いた。

  扉付きのデッキになっている

 列車が地下から出たところが南千歳駅。ここでしばし特急スーパーとかちを待つ。南千歳駅は何があるところではないが、とにかく待合室だけは関西の感覚では考えられないような立派なものを持っている。この辺りはやはり寒冷地。関西の田舎駅のような吹きっさらしホームだと、それこそ冬には命に関わるのだろう。

  

スーパーとかちはディーゼル振り子のキハ261系

 しばらく待った後、ようやくスーパーとかちが到着する。四両編成で自由席は4号車の一両。混雑が気になっていたが、余裕で座席が確保できる。

これは一体どこの国なんだ?という風景の連続

 列車はまもなく空港線と別れるが、そこからは関西育ちの私にはおよそ日本とは思えないような沿線風景が広がることになる。空港から5分と離れないうちに、頭の中にはさだまさしの曲が流れ、向こうから蛍と純を従えた田中邦衛が一個大隊でやってきそうな風景が広がっている。「一体ここはどこの国だ?」思わずそういう言葉が口をつく。以前に誰かが「北海道は日本よりはアメリカに近い」と言っているのを聞いたことがあるが、それはこういうことだったのか・・・。それにしてもこの大地を舞台にしたら、確かに小説の数本ぐらいそれだけで書けそうだ。

帆立わっぱめしと今後何かとお世話になる北海道キオスクのうらら緑茶

 さだまさしの歌が頭の中を流れているところで、とりあえず昼食を摂っておくことにする。先ほど空港駅で購入したホタテわっぱを取り出す。いかにも観光客向けの内容でCPも良くはないものだが、これが普通にうまかったりする。

 

 追分を過ぎると沿線は山の中になる。この辺りは夕張になるようだ。明らかにローカル線の風情だが、半分朽ちかけているように見える新夕張駅の施設がやけに立派なのが、往年の繁栄を思わせて悲しい。さらにここでの乗り降りがほとんどないのが悲しさに拍車をかける。筑豊地域と共通する悲しさである。

 新夕張駅

 新夕張からは長いトンネルをいくつも抜けて占冠。全く辺りに何もないところだが、ここで大きなトランクを持った女性が一人下車する。それにしても沿線風景の日本離れ度に拍車がかかっている。次のトマムも何もない無人駅で、降りたのは若者が一人。

 新得駅

 新得は乗り換え拠点の一つで比較的多くの乗降がある。またかなりの田舎ながらも駅前にはそれなりに人家はあり、北海道に来て初めて目にした集落らしい集落。

 ここからはさらにしばし「田中邦衛の世界」を通過、辺りの風景が変わるのは帯広の手前から。帯広駅が近づくと突然に空港ターミナル以来の初めての高層建築が目に飛び込んでくる。そして到着した帯広駅は駅前に長崎屋もあるという北海道で初めての街である。街と言えばやはり美術館ぐらいはあるもの。ここが最初の目的地である。

   

帯広駅とその駅前

 駅前でタクシーを拾うと帯広市美術館を目指す。帯広は街とは言うものの、いわゆる都会と違ってゴミゴミしておらず、あちこちに空間のある典型的な新しい地方都市の町並みである。美術館はそのややはずれの公園区画らしき一角にある。

 


「無限迷宮 M.C.エッシャーの全貌」北海道立帯広美術館で6/22まで

 

 いわゆるだまし絵や平面分割といったトリッキーな作品で有名なエッシャーの展覧会。ただし前半の展示はこの手の典型的なエッシャーの作品ではなく、初期のもっと普通の版画類である。肖像画作品は極めて緻密な写実的描写がなされており、この描写力があってのその後の作品が可能になったのだと納得できるし、風景画については実風景に忠実に見えてかなり幾何学的に再構成していることから、後の作品につながる形態への非常なこだわりが見て取れる。

 後半のいかにも「らしい」作品類は今まで各地で見たことがあったのだが、私が本展で一番価値を感じたのは前半の地味な作品たちである。エッシャーという人物の起源を垣間見た気にさせられた。

 


 

 美術館の見学を終えると公衆電話でタクシーを呼び出す(私のPHSは見事に「圏外」だった)と駅に戻る。次はスーパーおおぞらで釧路を目指す予定だが、若干の時間があるので駅の物産店でミルクソフトを一つ。いかにもミルクの味が強くてなかなかに美味。

   

スーパーおおぞらはやはりディーゼル振り子のキハ283系

 しばし後にようやくスーパーおおぞらが到着。自由席は後ろの二両だが、問題なく座席は確保できる。列車はしばし内陸を走り、車窓には既に見飽きた感のあるのどかな風景が繰り広げられる。風景が変化するのは厚内を過ぎたところ。ここら辺りから海が見えるようになる。天候が不順なせいか海の波はかなり荒い。

 

 さらに釧路が接近したところで風景というか環境が一変する。突然に濃いもやが漂い始め、視界が完全に閉ざされてしまうのである。そしてそのもやの中、釧路に到着する。

 

 釧路に到着したところでまずはホテルにチェックインすることにする。予約しているのはドーミーチェーンのラビスタ釧路川である。ホテルまでは歩いて行けなくもないが、急いでいる時にわざわざ歩いて行きたいと思う距離ではない。ちょうど特急の到着時間に合わせてホテルからの送迎タクシーが出ているのでそれでホテルに向かう。

       

釧路の町は霧の中

 チェックイン手続きを済ませて部屋に荷物を置くと、ただちに外出する。釧路では釧路市美術館へと立ち寄るつもりであるので、閉館までに駆けつける必要がある。釧路市美術館は釧路川を渡った南側の小高い丘の上にある。この丘を登る坂には「出世坂」と名付けられているが、完全に出世とは正反対の道を進んでいる私にはあまりに無縁な名称である。この丘を登ると釧路市生涯学習センター(まなぼっと幣舞)なるタワー状の建物が建っており、その3階に釧路市美術館は入っている。

  出世坂


「世界絵画紀行」釧路市立美術館で5/22まで

 

 所蔵作品の中から各地の名所を描いた作品を集めた展覧会。そのテーマから具象画が中心であるのでその分だけ私には見やすい作品が多かった。

 当然のように地元ゆかりの作品も多数。ただこれといって強烈に印象に残る作品もなかったりする。

 


 

 この建物の10階は展望台になっているが、残念ながら完全にもやの中で何も見えない。やむなく建物を出ると釧路川縁をプラプラと散歩。なかなかに雰囲気の良いところで、フィッシャーマンズワーフなどの観光施設も備えている。もっともいかにも観光客向けの魚市場は今ひとつ興味は湧かない。

  展望台もこの調子

 ホテルに戻ると最上階の展望浴場に行くことにする。ラビスタ釧路川はいかにもドーミーチェーンらしく天然温泉大浴場があり、だからこそここを宿泊ホテルに選んだのである。泉質はカルシウム−ナトリウム−塩化物泉で高張性アルカリ低温泉と記載されている。まあ海の近くのナトリウム塩化物泉という怪しげなものではあるが、浴場自体は非常にくつろげるものとなっている。

 入浴を済ませてまったりしたところで、夜の街へと繰り出すことにする。漁師の町である釧路は歓楽街も完備している。とは言うものの、品行方正で歩く道徳教科書と言われている私(笑)は酒を飲みにいくわけでも、ましてや風俗店に向かうわけでもない。当然のように夕食を摂りに行くだけである。

 

 漁師町である釧路の名物は、やはり素朴な漁師料理であった炉端焼きである。フラフラとした挙句に入店したのは「港の炉端虎や」。その店構えと名称が暗示するように、どうやらここの大将が虎ファンらしいのだが(北海道では珍しい)、別に虎ファン以外は入店できないというような排他的な店ではない。

 

 とりあえず例によってドリンクにウーロン茶を注文すると、適当に思いついたものを数点注文していく。

  付きだし

 最初に出てきたのは焼牡蠣。やはりこれだろう。ただ焼牡蠣に関しては宮島で食べたものの方がうまいというのが正直なところ。

 焼牡蠣

 次にほっき酢と釧路名物ざんぎ。ざんぎとは早い話が鳥のから揚げだが、下味をしっかりとつけてあるのが特徴。揚げ方がちょうど良いところでなかなかうまい。さらに感動したのはホッキ酢。ホッキがいかにも甘くて非常にうまい。

   

ホッキ酢とざんぎ

 次に登場したのが大ホッケ。特大と大のどちらにするかと言われて大を選んだのだが、これでもかなり大きい。焼き具合が堅すぎず生焼けでもなく、身は柔らかいのに、背骨などはちょうどカリカリと骨煎餅状態と絶妙。たださすがに一人で食べるにはいささか大きすぎるかというのが正直なところ。

  大ホッケ・・・でかい

 最後に注文したのはホタテ焼き。これがホタテの味が絶妙でまさに感動のメニュー。以上を堪能して支払いは4410円。まずまず妥当なところである。

 

感動のホタテ焼き

 夕食を堪能すると夜の街をフラフラしつつホテルに帰還。外出で冷えた体を再び大浴場で温める。体が温まったところでこの日は早めに就寝する。

  

☆☆☆☆☆

 

 

 翌朝は早朝に勝手に目が覚めてしまった。やはり眠りが浅くなっているようだ。とりあえず朝風呂を浴びると朝食へ。釧路らしい海産物系が多いバイキングでなかなか食べ応えがある。またラビスタ名物はいくら食べ放題だが、さすがに朝からこれはあまり食べる気にはならない(まあそれは計算されているのだろうが)。

 

 朝食を終えると出かける準備をし、釧路駅まで送迎してもらう。このホテルは駅から少々距離があるのでこれがありがたい。釧路駅に着くと4番ホームへ。今日は根室訪問の予定。目的はいわずと知れた「根室チャシ跡群」。いわゆるアイヌの集落跡だが、なぜか100名城に入っており、場所柄一番訪問しにくい100名城として知られている。

左 朝の釧路駅  中央 根室行きキハ54  右 車両内部

 4番ホームで待っていたのは単両のキハ54。車内はセミクロスシートでいわゆる集団見合い型シート配置。デッキは扉で仕切られており、窓も二重窓になっているなど寒冷地仕様。天井には扇風機が装備されているところを見ると、恐らく冷房は有していないと思われる。

沿線はひたすらに湿原が続く

 列車は釧路川を渡り、釧路の市街地から外れるとすぐに釧路湿原の中に突入する。ここからはしばし駅もなく道路もないような中を列車が走行する。沿線の風景はうっそうとしており、まさに「ここは一体どこの国?」という風景である。民家が見えるようになるのは上尾幌に到着してからだが、それでも沿線のメインはひたすら湿原である。

厚岸手前の海がやがて湿地へと変化していく

 厚岸手前からは突然に車窓に海が飛び込んでくる。厚岸を過ぎるとしばし海が陸地内に入り込んだような湿地が続く。この後も延々と広大なる湿原である。日本の風景とは思えない規模の風景だが、変化が少ないのでこれが2時間以上続くといささ見飽きてくるのも本音。

    

 疲れきった頃にようやく根室に到着する。日本最東端の駅との表示があるが、実は最東端駅は一つ手前の東根室である。そこでよく見ると「日本最東端の有人駅」との記載が。まあいろいろと言うものである。

 

 ここからはレンタカーで移動することにしている。とにかく足のない辺境では車を使用するしかない。このために既に駅レンタを予約してある。駅で手続きを済ませてパッソをレンタルすると、駅前の観光案内所でチャシ跡に対する情報を入手。それによるとチャシ跡はあちこちにあるものの、実際にはよく分からないものが多く、一番分かりやすくて行きやすい代表的なチャシがヲンネモトチャシとのこと。

資料館というか、あまりに雑多
 

 とりあえずヲンネモトチャシを目指そうと思うが、その前に観光案内所で紹介された歴史と自然の資料館を目指す。ここは出土物その他を集めて展示してあるとのこと。しかし到着した施設は、博物館ではなくてまさに文字通りの資料館。展示施設と言うよりは、考古資料から民俗資料、博物資料などあらゆる資料を物置のように並べているだけで本業は研究というイメージ。今一つ参考になりそうな情報を得られないままヲンネモトチャシを目指すことになった。

一体ここはどこの国?

 ここから先は根室半島を納沙布岬方向に向かってひた走るのだが、これが「ここはいったいどこの国だ?」という風景。目の前に一面に広がる平地の先に海が見えている。荒涼とした風景であり、田中邦衛よりはマルコの方が似合いそうな光景である。そこで自然と口から出てきた歌が「草原のマルコ」である。

 それにしても地形に非常に違和感がある。それは根室半島は一面平地であるからである。普通日本の半島は山脈が沈降して尾根筋が残ったものが多いから、通常は半島中央に背骨となる山地があるものである。しかし根室半島はそんなものが全くなく、北から南まで平地のまま広がっているのである。おかげで風がまともに吹き抜けるので異常に風が強く、走行していてもパッソが左右に思い切り揺さぶられるのである。ただ道は車も少なく異様に見通しがよい。何となく北海道ではスピード違反が多い理由が頷けた。私はパッソが非力な上に風であおられるので速度が控えめになったが、そうでない車はビュンビュン走っていく(後ろから軽トラがぶっちぎっていった)。

 

 やがて道路脇にいかにも手製な「チャシ跡」の標識を見つけたのでそこを入る。チャシ跡の表示のあるコンテナが置いてあり、車を止められるようになっている場所があったのでそこに駐車したが、下がズブズブなので後で車が脱出できるか少し不安になる。

  一応標識はあるのだが・・・

 さていよいよチャシ跡へと思ったのだが、ここで迷ってしまう。道らしきものがはっきりしないので、一体どこに向かえばよいのかが皆目見当がつかないのだ。困ってウロウロしていたら、どうやら先客らしき団体が向こうから戻ってくる。そこで彼らに道を聞いて現地に向かうことに。チャシ跡群は辺鄙にあることだけでなく、現地に着いても難度の高いターゲットであるようである。

左 道を登っていくと  中央 荒涼たる台地の向こうに案内看板が  右 はるか先の島まで見える

左 この先がヲンネモトチャシ  中央 言われてみると人工的な堀切のよう  右 ヲンネモトチャシの看板
 現地案内看板より

 教えられた道を進むと、一応看板が立てられている。それによると先に見える平地がヲンネモトチャシらしい。そう説明されると人工的な地形だと分かるが、何の説明もなければただの雑草の生えた丘である。なるほど、観光案内所で「分かりにくい」と言われたことに改めて納得する。

 

対岸から望むヲンネモトチャシ

 それと同時にやはり本土の城跡とは全く性質の異なるものであるということも感じられるのである。どちらか言えば城跡よりは遺跡に近い。実際、城跡を理解するには私のような考古学の心得の全くない者にも可能だが、ここを理解するには考古学の心得がないと不可能である。チャシ跡の100名城選定は異論も多いようだが、確かに私も100名城には無理があると思う。むしろ吉野ヶ里や三内丸山、仁徳天皇陵、多賀城、平城京、太宰府などと共に日本○○遺跡という選定の方が適切なように感じられる。100名城選定には観光振興という意図もあるので、それを優先しての非常に恣意的な選定のような気がするのである。

 

 この後はついでだから納沙布岬に向かう。この辺りからやたらに目立つのが「北方領土返還」の看板。ここらからだと実際にそれらの島が見えるし、昔そこに住んでいた人などもいるしということで、イデオロギー抜きでロシアの違法占拠に対する怒りは湧くのだろう。

左 納沙布岬灯台  中央 海はかなり荒い  右 東山魁夷の絵画を思い出す
   

 10分もかからずに納沙布岬に到着。ここには灯台などがあるが、後は活気のない土産物屋などがあるだけ。ただ海はかなり荒々しく、いかにも最果ての地という感慨が沸き上がる。と言っても特にすることもないので、近くの土産物屋兼食堂で花咲ガニ入りラーメンを頂く。食べてみると決して悪くはないのだが、ラーメンとカニが完全に別物で合わせている意味がない。

  花咲ガニラーメン

 ここからは根室半島の南側をグルリと走る。相変わらず風が強くてパッソは揺さぶられっぱなし。そしてやはり山の全くない半島の風景はかなり異質で、「ここは一体どこの国だ」という言葉がまた出てくる。

 

 そのうち根室周辺まで戻ってきたが、まだまだ車の返却時間までにかなり余裕がある。これだともう一本前の列車で戻る予定にしていても良かったなと思いつつ、行くところもないので日本最東端の駅である東根室に立ち寄ることにする。

 

 東根室は日本最東端の駅であることを示す碑が立っているだけの無人駅。去年末の鹿児島遠征で訪れた日本最南端の駅・西大山駅を思い出したが、場所柄かあちらの方が鉄道マニアで賑わっていた。

 

 いよいよ本格的に行くところがなくなってしまったので、地図を頼りにウロウロ。西月ヶ丘遺跡に行ってみたが、現地は看板があるだけで何もないところ。またヒリカヲタチャシ跡も訪れたが、これも考古学知識のない私には何が何やら。結果的には根室半島までドライブに来ただけというような訳の分からないことになってしまった。

      

左 西月ヶ丘遺跡は看板だけ   右 ヒリカヲタチャシはこの上だと思うがよく分からない

 とにかく何だかんだで時間をつぶし、車を返却するとそのまま釧路への帰途につく。疲れから帰りの車中はほとんど爆睡である。

 

 釧路に到着するとホテルまで歩くことにする。釧路の繁華街をウロウロしつつ夕食を摂る店を探す。結局入店したのは「泉屋レストラン」。ここで「Cセット(1350円)」を注文。

 

 出てきた料理を見た時には絶句する。カキフライにエビフライ、ホタテのベーコン巻きにスパゲティ、さらに牛肉の角煮かと思われるのはビーフシチュー。とにかく圧倒的ボリュームである。味については驚くほどうまいと言うものでもないが、とにかくCPが圧倒的。店内に客がかなり多い理由も頷けたというもの。ドズル中将なら「兄貴!食事は数だよ!」とでも言うところか。ただこれは10年前の私なら完食し、20年前の私なら驚喜しただろうが、現在の私にはボリュームがすごすぎて完食は無理。私もそろそろ量より質の年代に入ってきたところのようだ。

圧倒的ボリュームに絶句
 

 ホテルに戻ると例によって大浴場でまったり。体が温まったところでほとんどバタンキューで就寝してしまう。

  

☆☆☆☆☆

 

 

 この日も朝は自動的に目が覚めた。まずは朝食へ。昨日と似たようなものだが、微妙なメニューの変更はあるようだ。とりあえずたっぷりと腹に入れておく。今日は昨日と違って9時台の列車に乗るのでやや時間に余裕がある。風呂に行こうかとも思ったが、それも面倒なのでシャワーだけにしておく。まったりとテレビを見ながらしばしくつろぐとチェックアウト。昨日同様に駅まで送迎してもらう。

 

 今日の予定は網走経由での旭川入り。網走までを釧網本線の快速しれとこで、網走で特急オホーツクに乗り換えて旭川に向かうという合計7時間弱鉄道乗り続けの強行軍である。鉄道マニアではない私としてはこんなハードな日程を組みたくはなかったのだが、諸々の状況を勘案しているとこんな無茶苦茶なプランになってしまったのである。

  快速しれとこ

 しばし待った後にホームにしれとこが到着する。車両はキハ54の単両で、シートは集団見合い型。昨日の根室への往路で乗車したのと同タイプの車両である。乗客はかなり多く。まもなくほとんどのシートが埋まる。乗車率は98%といったところ。

     

再び釧路湿原

 2日滞在したことでいささか愛着のわいた釧路を離れ、東釧路を過ぎたところで根室本線と分かれると、列車はそのまま北上、釧路湿原の中へと入っていく。これも昨日見たのと同じような風景。なお釧路からはこの湿原見学のための観光列車のろっこ号も運行されている。ただ自然に対する興味がそう強いと言えない私の場合はどうだろうか。湿原の風景は美しくはあるが、私の場合はさすがに少々見飽きた。

  湿原を見ながら腹ごしらえ

 湿原観光の拠点の塘路、湿原を抜けた辺りにある標茶で数人の降車があり、列車はさらに進む。ここら辺りから風景は湿原よりも山岳に変わっていく。摩周湖の摩周で数人の降車があるが、川湯温泉では降車はゼロ。これを抜けると平地に出てきて、斜里山を遠くに見ながらの走行になる。この辺りから沿線に人家が増えてきて、清里町では数人の乗り降りがある。知床斜里でオホーツク海に出るが、ここで数分の待ち合わせ。その間に団体客が乗り込んでくると共に土産物販売も行われる。

  知床の山も見える

 ここからの沿岸部は比較的人家が続くところ。右手にはずっと海が見えているが、何もないオホーツク海は変化に乏しい。

 

 クタクタになった頃にようやく網走駅に到着する。ここで次の列車に乗り換え時間が1時間20分ほどあるが、その間に立ち寄るところがある。それは網走市立美術館。駅前からタクシーで移動する。

 


「白洋画会の二人 高橋道雄・納直次」網走市立美術館で5/1まで

 

 地元ゆかりの二人の画家の作品を展示した展覧会。ガッチリとした構成で絵具厚塗り系というのが両者の共通項。ただ個人的には今一つ印象が薄かったように思われる。

 


 

 美術館の見学を終えると、まだ時間があるので駅まで網走の町を歩くことにする。その町のことを理解するには歩くのが一番。網走はなんの変哲もない地方都市で、殊更に高倉健と出会いそうな雰囲気はない(笑)。中心街らしきところをフラフラと通り抜ける。商店街自体は死んではいないようだが、活気は今一つ感じられない。日本の地方都市に共通する雰囲気ではある。ただ唯一、網走駅の重々しい駅名看板だけは妙に高倉健が似合いそうだった。

  網走駅

 網走は私的には今一つ見るところのない町。網走刑務所には興味はないし、海を見に行くつもりもない(これは昨日散々見たし)。そこで滞在時間1時間にしたのだが、それは正解だった模様。この辺りで見所があるとしたら、冬の流氷ぐらいだろう。観光による地域振興を考えるなら、年間を通じてのさらなる目玉が欲しいところである。

 

 駅には20分ぐらいで到着。ホームに車両は既に入っているが、車内清掃中でまだ改札が始まっていないので、待合室でしばし時間をつぶす。ボーッとテレビを見ていると、今一つメリハリのない連続テレビ小説に続いて日8ドラマ「江」の再放送が始まる。既にこの番組を私は見なくなって久しいのだが、もう最初の「今までの展開」部分だけで主役の演技力のなさ(と姫とは思えぬ品のなさ)と相変わらずの秀吉の浮きっぷりに絶句。久しぶりに見たOPの江の謎のカクカクダンスに失笑して、これ以上こんなものを見ていると頭がやられそうだと待合室を逃げ出したところで、ちょうど改札開始のアナウンスが流れる。

  

オホーツクはキハ183系車両

 特急オホーツクは6両編成だが、自由席は1号車と2号車の一部。乗客は1号車で6人程度。窓は大きいのだが、何やらフィルムでも貼ってあるらしく(そうでなければ異常に窓を洗っていないことになるが)、それの透明度が低いために風景がボンヤリとしか見えないという今一つ残念な車両である。

 

 沿線はしばし山の中。山間の集落を結んでいく印象。最初の大都市は北見で、何と北見の手前では高架部分もある。北見では多数の乗車がある。そして高架を通って駅に到着した車両は、今度はトンネルを抜けて駅から出ていく。抜けると北見郊外。この辺りの雰囲気は都会的。ただ建物類は東相内辺りから急速に減少する。

  北見付近の高架部分

 列車は徐々に高度を上げ、遠軽ではスイッチバック。ただこのスイッチバックは高度を稼ぐためではなく、先に向かう線が廃線になった結果のスイッチバックのようだ。ここからはしばし山の中を走行するが、高度が上がってくると雪がかなり残っている。さすがに北国である。ただここまでの風景は山の中のせいか、釧路に行くときに感じた「ここはどこの国だ?」という感覚はなく、日本のどこでもあるような風景に近い。唯一の違いといえば、沿線の森の中に黒い木だけでなく白い木(白樺)が混ざっていることぐらい。

   

遠軽でのスイッチバックと雪の残る山岳地帯

 山岳地帯を抜けると上川盆地。後は旭川まで盆地内をひたすら走行である。旭川は北海道に来て初めて見た大都会。旭川駅は多くの路線が交差する交通の要衝である。現在駅舎の工事中なのか(多分高架化されたのだろう)、駅前広場に出るまでに旧駅舎を横断する必要があってかなり遠い。駅前でホテルの送迎バス乗り場を探すがよく分からない。そこでホテルに電話をかけて確認していたところ、目の前をホテルの名前の入ったマイクロバスが通過。直ちにそれに飛び乗る。

 旭川駅は工事中

 今回宿泊するのはドーミーイン旭川。ここで三泊しつつ各地に足を延ばす予定である。まずはホテルにチェックインをするが、GWのせいか宿泊客はかなり多く、特に子供連れが多い。やはり旭川と言えば旭山動物園なんだろうか。

 

 部屋は典型的なドーミーイン標準タイプのシャワーブース付きシングル。過不足のないところだ。荷物を部屋に置くとまずは最上階の大浴場で体をほぐすことにする。これのためのドーミーインである。湯自体は釧路のような特徴はないが、ゆったりとくつろげる風呂である。

 

 入浴後は夕食のために外出。ただ今日は疲れたせいか今一つ食事に対する意欲がわかない。特にもう魚はいいという気分。そこで何が食べたいかと考えたところ、頭に浮かんだのはそば、それにカツ丼あたり。そういうわけでとにかくそば屋を探す。結局はホテルからブラブラとかなり下ったところで蕎麦屋「は満長」を見つけたので入店。

 

 注文したのはカツ丼セット。普通この手のセットだと、蕎麦は小さいかけそばがついているというのが相場なのだが、ここのはしっかりと小さいとは言い難いサイズの山菜蕎麦がついている。カツ丼の味付けは私好みでうまい。蕎麦については更級蕎麦のようで、蕎麦の味が上品な分、やや強めの味の出汁でバランスを取っている。味の方向が私の好みとは若干ずれるが(出汁の取り方のベースが関西人の私とは少し志向が違うようだ)、蕎麦の味としては申し分ない。

 

 夕食をすませるとホテルに戻ってボンヤリ。テレビをつけてみるがろくな番組がない。どうやら私の宿泊プランはVOD見放題がついていた模様なので、いくつかザッピング。そのうちに「アイアンマン」があったので暇つぶしに鑑賞。いかにもエンターティーメントに徹したパッパラパーな映画で、暇つぶしには非常に適した映画である。ただ一つだけ感じたのは、アメリカ映画はインディアンに始まり、ソ連、今はイスラム教徒ととにかく単純明快な「悪」を登場させたがる。この国は「敵」がいないと成立しない国なのか。アメリカ人のあまりに脳天気な善悪二元論にはいささか恐怖を感じる。

 

 そのうちに眠気が襲ってきたので就寝することにする。

  

☆☆☆☆☆

 

 

 翌朝もまたも目覚ましがなる前に自動的に起床。どうも「世界征服が云々」という奇妙な夢を見たせいで寝付きが悪かった模様。昨晩に見た「アイアンマン」がまずかったか(笑)。

 朝食は朝一番の回にしたおかげか、食堂を走り回る子供という光景に頭を痛めることもなく助かった(バイキングでの子供というのはかなりたちが悪い)。

 

 今日は増毛まで行くつもりだが、どうせならJRがGWに運行している観光列車ノロッコに乗ってやろうと考えている。増毛までのんびりと3時間もかけて行くので「ノロッコ」。観光列車と言えばトロッコだが、寒冷地の北海道ではさすがにこのシーズンでも吹きさらしのトロッコは無理という意味でのノロッコでもある。

 

 旭川駅までバスで送迎してもらうとノロッコの到着する4番ホームへ。列車の発車時間まで30分弱あるが、もう既に乗客は数人来ている。しかし肝心の停車位置の案内がないため、どこで待てばよいかが分からず全員がウロウロしている。

 

 発車時間の20分前ぐらいにようやく停車位置の案内放送が。自由席の場所に陣取って待つことしばし、ようやく列車が到着する。

 

 列車は私が以前に乗車した奥出雲おろち号に類似している。ただ違うのはトロッコ列車ならオープンになっているサイドが透明プラスチックボードで塞がれていること。ただこのボードがかなりグラグラで結構急作りな車両である。また公園のベンチのような木のシートは痛いし、乗り心地は貨物列車(笑)。

  ストーブに火が入る

 旭川を出た列車は、そのノロッコという名前に反して疾走する。車両が悪い分「疾走感=実際の運転速度/最大運転可能速度」の公式に乗っ取って異常に疾走感が高い。また横板がグラグラなせいか、どこかから風が吹き込んでおり寒い。十分な防寒装備をしてきたことが正解だったと思うと共に、こりゃ確かにトロッコ列車だと死者が出るなとも感じる。洒落にならないぐらい寒くなりだしたところで石炭ストーブに火が入る。

  

 深川で数分の停車。この間は撮影タイム。ディーゼル車は煙を上げないのだが、石炭ストーブが派手に煙を上げている。列車の寒さに根を上げた者は、ストーブの周りにたむろ。隣の団体車両から来ている者もいる模様。

 

 次に観光停車するのは明日萌駅こと恵比島駅。私はよく知らないのだが、以前にドラマだか映画だかが撮影された場所とか。確かにかなり古い駅舎がやけに趣がある。ここでもまた大撮影大会。

 

 10分の停車の後に恵比島を出るが、なんとここからは沿線に雪が残る中を走ることになる。寒さもひとしおで自ずと石炭ストーブの周りに集う人数が増える。

 

 恵比島を出ると次は留萌。列車はここで40分ほどの停車。その間に団体客はバーベキューパーティーということになる。自由席の私としては留萌の散歩と行きたい所だが、生憎の雨で動き回る気が起こらないし、一見した留萌駅前も今ひとつ活気がない。駅構内は観光客歓迎のためのセレモニー開催中で、バナナかレモンの化け物のような謎のキャラクターが闊歩しているのだが、これは実は留萌名物数の子のキャラで「KAZUMO」だそうだ。ただ数の子ってどう考えてもあまり可愛くはないし、実際に駅に展示されている数の子の像なんかも私には気持ち悪いだけ。うーん、これはとてもひこにゃんには勝てそうもない(笑)。

左 留萌駅に到着  中央 マスコットのKAZUMO  右 駅にあるカズノコの像
 

 停車の間にたこ飯を買い込んでから列車に戻る。たこ飯はいわゆるたこ入りおこわのようなもので、普通にうまいがこれという特色もない。数の子キャラに送られて留萌を出た列車は、ここからノロッコの名の通りに海が見えるルートを終点の増毛までトロトロ運転するわけだが、残念ながらこの増毛の海岸線は人工海岸ばかりで美しくない上に、軌道も海沿いよりは若干距離があるし、日本海は島も何もないので変化に欠けるしと正直なところあまり見所がない。うーん、本音を言うとわざわざ観光列車を走らせる意義が見えない・・・。

 

 30分以上をかけて終点の増毛に到着。しかし増毛駅は駅舎がリストラされてしまってそば屋になってしまっており、無人駅どころか駅の存在自体がなきに等しい。昔は大きな駅があったらしき空間だけが残っているというお寒い状態。どうも九州の枕崎駅を思い出させる悲しさである。

終着増毛駅は本当に何もない
 

 なお留萌−増毛間は終点の増毛駅を含めて待避線が全くないので、この区間を運行できる列車は一編成だけである。ノロッコは留萌にとんぼ返りして留萌駅で退避、その間に別の普通列車が一往復、その後に再び増毛に戻ってくるというダイヤになっている。しかし私は帰りまでノロッコに乗るつもりはないので、その前の普通列車で戻るつもり。都合一時間ちょっとの時間があることになるので、その間に増毛の町並みを見学することにする。

うだつの上がった家・丸一本間家は奇妙な和洋折衷形式
 

 かつては漁業の町としてかなりにぎわったらしい増毛も、正直なところ現在はあまり活気がない。まずは観光案内所で地図を入手してから、重要文化財という旧商家丸一本間家。鰊漁やら呉服商で財をなした名家の屋敷跡であり、防火のための「うだつ」が存在している「うだつの上がった家」である。この年に至るも未だに何もなせず、うだつの上がらない人生の生きた見本のような私にはまぶしいようなお屋敷である。建てられたのは明治時代とのことで、大正期などにも手が入っており、外から見ると石張りで、内部は木造というなかなかに複雑な建物である。また部屋も畳にシャンデリアなど和洋折衷になっている。ただやはり豪商の家だけあって造りが立派でしっかりしている。この辺りは各地で目にした古民家に共通。

左 國稀酒造  中央 元陣屋  右 厳島神社
 

 後は國稀酒造を覗くが、私は利き酒ができないのでさして意味がなし。ここからプラプラと元陣屋に向かうが、ここもやけに立派な施設が建てられていて旧情は残っておらず、そのまま高台の厳島神社を覗いてから駅に戻り、駅内のそば屋でニシンそばを食べながら時間をつぶすことに。ちなみにこのそば、ニシンは今ひとつなのだが、そば自体は意外にうまかったりする。

  ニシンそば

 やがて普通列車が到着するのでそれで深川まで戻る。帰路では行きのノロッコにも乗車していた鉄オタっぽい面々がチラホラ。なお私は疲れが出て帰路はほとんど爆睡状態。深川では乗り換え時間が30分ほどあるので、その間に駅前のアートホール東洲館に立ち寄る。ここは小川東洲の書を展示したギャラリーと狸小路きみこ絵本原画展なるものを開催中。ただ私は書には皆目興味がないし、絵本原画も・・・。

左 普通列車で戻る  中央 深川駅  右 アートホール東州館

 駅に戻ってさらにしばし待つとようやく旭川行きの特急スーパーカムイが到着するので、それで旭川に戻る。旭川に戻ると駅前からタクシーで北海道立旭川美術館へと向かう。美術館は野外彫刻なども置かれた公園の南部に立地している。出し物を知らずに向かった私であるが、入館してみるとここも出し物は絵本原画展だった・・・。

   

スーパーカムイは789系電車


「世界の名作絵本原画がやって来た!」北海道立旭川美術館で5/22まで

 

 世界各地の絵本原画を展示。絵柄にもお国柄が出ているが、もっとお国柄が出ているのはシナリオの方で、なかには「おい、それでめでたしめでたしで良いのか?」というようなものもあって、文化の違いのようなものも垣間見えた。

 そんな中で見ていると、日本の作品が一番毒にも薬にもならないというか、非常に無難な内容という印象を受けた。これもお国柄なんだろうか。


 

 美術館の見学を終えるとホテルまでは雨の中を徒歩で移動する。ホテルに戻るとまずは冷えた体を風呂で温めてから夕食のために再度外出する。

 雨は激しいし遠出するのも面倒なので、目の前にあるトンカツ屋「あさひ川井泉」で夕食を摂ることにする。注文したのは「極上ロースカツ定食(2800円)」

 

 運ばれてきたのはかなりの厚みのトンカツ。これは確かに驚かされる。ただ味に関しては想定の範囲内で、残念ながら以前に岐阜などで食べたような「感動する」というレベルまでは行っていない。と言ってもトンカツとしてはかなりよくできたもの。ただ一つだけ感じたのは添えられていた味噌汁の味付けは私の好みと合わない。前日のそば屋でも感じたのだが、この地域の味付けは出汁のベースが私の好みと違うのか(どうも関西人が多用するカツオ出汁でなく、イリコか何かがベースのようだ)。

   

 夕食を終えてホテルに戻ると、そろそろ着替えが乏しくなってきたので洗濯。後は部屋で「アイアンマン2」を見ながら時間をつぶす。やはり暇つぶしは脳天気でスッカラカンなアメリカ映画に限る。映画を見終わった頃には強烈な疲労で眠気が襲ってきたので、かなり早いがそのまま床につく。

  

☆☆☆☆☆

 

 

 どうやら完璧に意識を失っていたらしい。翌朝は6時に目覚ましに起こされる。ただちに朝食に繰り出すと、駅までバスで送迎してもらう。前日に続いて今日もあいにくの雨だがそんなことは意に介していられない。今日は稚内日帰りというこれまた強行軍な日程である。ホームでしばし待っていると稚内行きスーパー宗谷が到着。何やら初日に乗ったスーパーとかちを思い出す車両である。自由席は空いており、特に困難もなく座席を確保する。

   

 旭川を出た列車は、富良野線、石北本線と別れると単線非電化ゾーンに突入。ここから山岳地帯に分け入っていく。その後はおよそ日本離れした風景の中を疾走。名寄辺りは盆地の風景。そのまま音威子府までは似たような光景だが、そこから再び山の中に突入する。この頃から周りの雪が深くなってくるだけでなく、時折雪がぱらつく天候となる。

 天候は北に向かうほどひどくなる。幌延辺りからは吹雪のよう天候。積もる心配はなさそうだが、外をウロウロできる状況ではなさそうである。

 

 豊富をすぎる頃になると天候はいよいよ洒落にならなくなり、辺りも一面の銀世界に変わる。再び「一体ここはどこの国だ?」の言葉が。列車が北に進むにつれ雪はひどくなり、最北の駅・稚内に到着した時には吹雪の中。建て替え中の駅舎の中には乗車待ちの客があふれている。北海道の駅がことごとく立派な待合室を持っている意味を今更ながら実感する。

雪が洒落にならない状況になったところで、ようやく稚内に到着

 この状況ではのどかに町並み見学という状況ではない。それにそもそも滞在予定時間は1時間もない。取り急ぎ、駅前の飲食店で海鮮丼を頂く。店構えから全く期待していなかったが、予想通りの典型的観光客向けメニューでゲンナリである。

  観光客向けでCPが悪い

 少し駅前を回ったがあまりにウロウロできる状況ではない。せいぜいが稚内は山の麓にへばりつくような形の町であり、多分にこの山が風を防いでいるようだという立地に関する認識をしただけだった。これ以上外にいるのは無理と判断、私も早々に駅舎内に避難すると、特急サロベツの到着を待つ。

 先日の再東端の駅・東根室に続いて、これで最北端の駅・稚内を制覇。最南端、最西端は既に制覇しているので、これで四方を制したことになる・・・とは言うものの特別な感慨はなし。やはり私は鉄オタではないし。

 あまりに雪が降ってくると、関西人の私はとっさに「列車は果たして動くだろうか?」と思ってしまうのだが、よくよく考えてみると、北国北海道ではこの程度の雪など降ってるうちには入らない。こんな程度の雪でいちいち列車が止まっていたら冬の間中運休である。

   

 ようやく時間通りにサロベツが到着して改札を抜けると急ぎ足で車両に向かう若者が。多分鉄オタだろうと思っていたら、案の定最前列に陣取ってビデオ撮影。日本全国のどこでもある風景である。ただ北海道の鉄道沿線風景はあまりに変化に乏しいので、ビデオ撮影でおもしろい絵は撮れるのだろうか? とりあえず鉄オタではない私は、もう少し後ろの席に座る。

 

 帰りは時折ウツラウツラしながらの行程。往路よりは雪が小降りになっている。エゾシカが多いために、列車は時折大きな汽笛を鳴らして線路に入らないようにエゾシカを威嚇。そのうち、なぜか全力疾走で列車に併走するエゾシカの一団。車内の乗客は一斉に撮影タイム。さすがに観光地。なかなかにサービス精神旺盛なエゾシカもいるようである。

  エゾシカが併走

 帰りも3時間ほどの行程。しかし一番参ったのはのどの渇き。稚内ではほとんど駅舎に閉じ込められていたので飲み物の補給をする余裕がなく、車内販売があるだろうと思っていたらこの列車は車内販売がない列車だったというお粗末。外がかなり寒いので暖房が強めにかけられており、それがのどの渇きを促す。ようやく旭川に到着した頃にはぐったりである。何かあまりに不毛な時を過ごしたという気だけが残ってしまう。まあ今日は雪の北海道を見れただけで良しとするか。

 

 ホテルの送迎バスでホテルに戻ると、とりあえず大浴場に直行、冷えた体を温めるとともに全身の疲労抜きである。それが終わると再び夕食のために町の中へ。それしてもかなり冷える。風が頬を切りそうに冷たい。温度計には3度の表示が。

 結局この日は、適当に見つけた料理屋で鰻重を頂く。やはり旭川の味付けは少し違う。関西人の感覚からいうとややしょっぱい。

 ホテルに戻るとしばし原稿書き。そして疲れたところで就寝する。

 

☆☆☆☆☆

 

 

 翌朝も目覚ましに叩き起こされる。体がぐったりと重い。かなり疲労が溜まってきているか。ただ今日は天気がよいので気分は軽い。

 ホテルで朝食を摂ると、さっさと荷造りをしてチェックアウト。愛着のわいた旭川を後にする。旭川はいずれ再訪することもあろう。その時には旭山動物園でも訪問するか。

 

 ホテルの送迎バスで駅に移動。三日連続で使用しているのでもう運転手とは顔馴染み。「またいずれ再び来ます」と運転手さんに別れを告げると、特急スーパーカムイでまずは岩見沢へ移動する。スーパーカムイは5両編成の4両が自由席の列車だが、車内はかなり混雑している。私は始発駅の旭川だから良いが、途中乗車の客は座席確保が大変そう。旭川−札幌は北海道内でもかなり混雑する区間のようだ。

  

岩見沢手前の風景と岩見沢駅

 各駅で乗客を拾いつつスーパーカムイは満員の状態で岩見沢に到着する。列車はこのまま札幌を目指すが、私はここで乗り換え。室蘭本線で苫小牧を目指すことにする。室蘭本線は岩見沢と長万部を結ぶ路線で岩見沢から苫小牧に直結している。北海道ではほとんどの路線が札幌を中心に広がっているので、通常旭川から苫小牧を目指すとなると札幌経由となる。私はここであえて札幌を経由せずにショートカット線を通ろうというわけ。ただしこのルートには距離的メリットはあっても時間的メリットはない。

 室蘭本線ホームに到着したのは単両のキハ40。室蘭本線でも苫小牧−長万部間は札幌と本州を結ぶ基幹ルート扱いだが、岩見沢−苫小牧の区間は完全にローカル線扱いである。しかし固定ボックス型のセミクロスシートで窮屈感のある車内に乗客は結構多い。岩見沢を出た列車は何もない広野を走るイメージ。途中で栗沢・栗丘・栗山の栗三部作の駅を通過するが、その間も乗降はあまりない。次の由仁駅では対向列車とすれ違い。

左 栗山駅  中央 車内風景  右 由仁駅

 やがて石勝線との乗換駅である追分に到着、ここで大量の乗り降りがあり、札幌方面行きの普通列車に乗り換える客も多い。列車は追分をでると石勝線の高架の下をくぐり南下する。石勝線はトンネルで山岳地帯を抜けて千歳方面に直行するが、室蘭本線は山を回避するルートを取っている。

 ようやく苫小牧に到着 

 そのまま平地を走行しつつ辺りの家屋が増えてくると苫小牧に到着である。ここで特急列車に乗り換えになる。40分ほどの乗り換え待ちを経て到着した特急サロベツは自由席が尋常でない混雑。結局は次の目的駅である登別まで20分ほど立ち続けになる。

 

 登別では多くの降車がある。その大半はホテルの送迎車でホテルに移動する模様。私はロッカーにトランクを放り込むと登別温泉行きのバスを待つ。バスは数分後に到着。室蘭方面から来ているバスのようだが、乗客は10人程度。バスはそのまま山の方に向かって走る。登別温泉は結構深い山の中で、駅からの距離もかなりある模様。登別温泉バスステーションまでは10分ほどかかる。

     登別駅

 登別温泉は巨大ホテルが集積した典型的な老舗温泉観光地。町に着くなり硫黄の匂いが漂っている。本当は登別温泉で宿泊したかったのだが、こういう古い観光地ではお一人様で宿泊できるホテルがほとんどない上に、そもそも宿泊料金が高すぎて私の予算に全く合わない。そこでやむなく今回は日帰り温泉を使用することにした次第。

登別温泉バスステーションと周辺の風景
 

 訪問したのは「さぎり湯」。登別温泉で有名な温泉銭湯である。銭湯であるので入浴料金は390円。内風呂だけだが、硫黄泉の一号乙泉と明礬泉の目の湯の二種類の温泉を楽しめる。これらの湯が当然のように源泉かけ流しで大量に浴槽に注ぎ込まれている。浴場内に立ち込めるの強烈な硫黄の匂いである。一号乙泉は酸性度が強いので皮膚病に良く、目の湯は結膜炎などに効くとか。非常に析出物の多い湯で白っぽく着色している。色目は目の湯のほうがやや青っぽいか。また温度が高いのに肌当たりが非常に柔らかく、それだけでも並大抵の湯でないことは自明である。

 

 登別温泉を堪能し、その名は伊達ではなかったと実感したところで温泉街を散策。この温泉街を見下ろす山上にクマ牧場があるとのことであちこちに看板が立っている。風呂を済ませた以上登別温泉で特に用もないし、この際だからクマ牧場でも行ってみるかと思い立つ。

   

 ロープウェイの駅はやや小高い位置にあり、情けないことに息切れする。ロープウェイの往復はクマ牧場入場券込みで2520円。やや高いなと思いつつこの際にケチっても仕方ないと考え直す。

 ロープウェイは4人乗りの小型ゴンドラが連続的につながっていくタイプ。急激に高度が上がっていくにつれて、かなりの絶景が眼前に繰り広げられる。これがまたかなり日本離れをした光景。高所恐怖症の私も、思わず恐怖を忘れて見入ってしまう。

 

 山上に着くとそこがクマ牧場。このロープウェイはクマ牧場へのアクセスのためだけにあるものであり、またクマ牧場へ行くにはこのロープウェイしかアクセスがない構造になっている。ただ私は動物園の類には興味はないし、私の嫌いな獣の臭いが漂ってくるのでクマの見学はそこそこに(飼い慣らされて客に餌をねだるヒグマの姿は哀れでさえある)、展望台からの風景の方に見入る。特に裏手に見える倶多楽湖のカルデラの姿には思わず「ありえねぇ」の言葉が出る。その湖の大きさ、さらにはその高さがあまりの非現実味を帯びて私に迫ってくる。これは後々に夢に出てきそうな風景である。まあこれだけで2520円の価値はあったと感じる。

 

 絶景を堪能して降りてくるとバスで登別駅に移動。乗客が多いせいで駅への到着時刻が遅れたので、私は慌ててトランクを回収するとホームへ走る。列車の方も心得たもので、どうやら私の乗車を待っていてくれたようで、なんとか室蘭行きの普通列車に乗車する。ここからは海沿いを走りつつ東室蘭を抜けて室蘭に到着。

室蘭駅に到着

 室蘭は残念ながら特に何があるというところではなく、また何か目的があったわけでもないので、駅前の回転寿司屋に入っただけで帰ってくる。なおこの寿司屋、ネタはマズマズだったのだが、舎利が残念な感じの店であった。

  東室蘭駅

 東室蘭に戻ってくると、ここが今日の宿泊地。宿泊したのはルートイン東室蘭。正直なところ今回の遠征の宿泊地で一番不安があったのがここだったのだが、悪い予感が的中してしまった。東室蘭は何もないところでコンビニさえ見あたらない。やむなくキオスクで飲み物やパンを買い込んでチェックイン。また夕食は近所のラーメン屋で済ませる。

 

 しかしそれにしても、このホテルは立地以外の面でも失敗だった。小学生の団体と出くわしてしまって風呂から翌朝の朝食会場まで彼らに占拠されているのには閉口。もっともこれはホテルが云々よりも私が不運だっただけの話。また彼らにしても引率者もいるようで、今時の子供にしては比較的キチンとしている方。ただ団体客はその数だけでどうしても一般客には迷惑なのは事実。しかし真に最悪だったのはホテルの設備の問題。夜に寝ようと思うと暖房を切っているにも関わらず寝ていられないほどに部屋の温度が上がってしまう上に、常時何やら機械の音のような低周波が頭に響いてうるさくて、結局はその夜はほとんど寝られなかった。ルートインは今まで各地で利用しているが、こんなことは初めてである。今後もルートインは利用することはあるだろうが、少なくともここに関しては二度と利用する気にはなれない。

 

☆☆☆☆☆

 

 

 当然ながら翌朝の目覚めは最悪であった。しかも今朝は大雨であり気分も沈む。レストラン前で10分以上も待たされて(とにかく小学生の団体はバイキングを取るのが遅い)から朝食を摂ったが、寝不足のせいかいっこうに食欲が出ない。このままでも気分が沈むだけなのでとりあえずチェックアウトする。

 

 外は雨だけでなく身を切られるような寒さ。とても5月とは思えない真冬の寒さである。凍えそうなホームの待合室で函館方面行きスーパー北斗を待つ。時間が早めのせいか、指定席はそこそこの混雑であるが自由席は比較的空いている。

   

 列車はしばし海沿いを走行。山も見えるはずだが、残念ながらそっちの方は悪天候のためによく見えない。スーパー北斗は室蘭線を快速に走行して40分ほどで長万部に到着する。ここで乗り換えである。今日の予定はここから函館本線経由で小樽行きという約3時間の旅程。ホームに待っていたのは例によってキハ40の二両編成である。

長万部で乗り換え

 長万部を出ると列車はひたすら山岳地帯を登っていくことになる。キハ40ではさっぱりスピードが出ず、自動車に簡単に追い越されるような速度。これがこのルートが札幌アクセスのメインルートとなり得ない理由だろう。黒松内で数人の乗り降りがあるが、後は乗り降りもなしで目名で数分の停車。次の蘭越までは盆地の中で、ここで数人が乗り込んでくる。

 

 やがてリゾートで有名なニセコで大量に乗車。この辺りからはニセコのスキー山を見ながらの走行。山間を抜けた倶知安で対向車行き違いのために5分の停車。ここで長万部からの乗客のかなりが降車する。

   

 倶知安からは再び山の中をトロトロと走る。風景が変わるのは仁木辺りからで、ここで平地に降りてくる。次の余市では大量に乗車があって一気に都市近郊線の雰囲気に。ここから小樽はすぐ。

  小樽に到着

 小樽駅に降り立つととりあえずトランクをロッカーに納め、町に繰り出すことにする。駅前周辺の雰囲気は普通の地方都市。ここから最初の目的地である小樽市美術館へ向かって歩く。そのうちに町の雰囲気が徐々に変化。歴史のある建物などが目に付くようになる。美術館の建物もやけに歴史がある(と言うか、あからさまに言えばボロイ)建物である。

小樽の町並み  左は廃線跡


市立小樽美術館

 

 各フロアごとに複数の出し物があり。

 一階では「小樽洋画研究所と中村善策」。典型的な初期の日本洋画という印象で、特に強烈なインパクトはなかった。

 二階では「大月源二と富樫正雄展」。時代柄プロレタリア芸術の影響を顕著に受けた作家達であるが、それを突き抜けてからの作品の方が面白い。結局は信念であれイデオロギーであれ、それが強固になりすぎると芸術的には制約条件としてしか働かないということか。

 三階では一原有徳の作品を展示。大規模で大がかりでメタリックな彼の作品は、好き嫌いはともかくとしてインパクトはある。ただ作品自体にどこまで芸術的意図が入り込んでいるかはいささか疑問。

 


 

 美術館の見学を終えると運河の方向までプラプラと歩く。この運河周辺が小樽のメインステージで明治レトロを思わせるような町並みになっている。とは言うものの特に何があると言うわけでもない場所。女性などは喜ぶかもしれないが、私のようにオッサンが一人で行ってもどうしましょうという感はある。もっとも小樽は町全体が演出されているので、まるで映画のセットのような倉敷の美観地区みたいな浮き方はない。運河周辺に限らず、町内の随所に歴史ある建物や歴史があるっぽく見せている建物があり、とりあえずはバランスが取れているからである。このような演出をどこかで見たような気がすると良く考えてみたら、神戸だった。そういえば傾斜地に立地した港町と言う点で神戸と小樽は似ているところはある。

運河周辺

 小樽の町内を一回りして駅に戻ってくると、トランクを回収して札幌に向かうことにする。小樽と札幌の間は快速エアポートが30分程度で結んでいる。単に港と言うだけなら、室蘭も釧路もそうなのだが、小樽の有利さはこの札幌からのアクセスの良さにもありそうだ。

  

快速エアポートで一気に札幌へ

 快速エアポートはさすがにキハ40とは速度のレベルが違う。小樽を出ると左手に海を見ながらひたすら疾走。気持ちよいぐらいすっ飛ばして、あっという間に札幌に到着である。到着した札幌はいかにも大都会。一見した印象としては博多と共通した雰囲気を感じる。

  札幌駅北口

 札幌で宿泊予定のルートイン札幌北口でチェックイン手続きだけ済ませて荷物を預けると、まずは町に繰り出すことにする。目的地ははっきりしている。私の遠征は「美術館遠征」である。その目的に従うのみ。目的地までは地下鉄を使う。大通り駅で南北線から東西線に乗り換え。札幌の地下鉄の印象はなぜか大阪に類似している。

 


北海道立近代美術館

 

 特別展は「シカン展」だったのでパス(それにしてもどうしてこの展覧会には各地でやたらに行き当たるんだろう)、常設展のみを見学する。

 内容は北海道ゆかりの作品と現代芸術系の二本立て。北海道ゆかりの作品については地味な洋画が中心。やはり文化の歴史の背景か、北海道の美術館は洋画系ばかりという印象を持った(日本画は京都画壇か東京が中心だし)。現代芸術系の方は例によって私の興味外が大半だが、ヴァザルリの幾何学紋様だけはなぜか私個人としてはシンパシーを感じる。私自身が美術の時間に自然的な絵画よりもこのような数学的な作品ばかり描いていたせいだろうか(自然の線よりも、コンパスや定規の線に美を感じていた口)。早い話が嗜好が近いということ。

 


 

 近代美術館を後にすると、次の美術館へ。そもそもこの両館はセット券なんかも販売している。

 


三岸好太郎美術館

 

 洋画家・三岸好太郎の作品を初期からその晩期までを通じて展示してある。

 初期の比較的無難な作品を描いていた時期から、独自の画風を模索する時期、そして転換期になった一連の道化師シリーズ、さらには晩期になる蝶の作品など一連の三岸好太郎の変遷をうかがうことが出来る。

 ただ31才という若さで早逝した画家だけに、本当に意味での最晩年と言える境地が完全に欠落しているのがいかにも残念なところである。私には最晩年の「蝶と貝殻」のシリーズなどもまだ次の発展への過程に思えてならない。これは佐伯祐三などに対しても感じるところと同じ。ここを突き抜けてさらにどういう境地に彼らが至ったのかを見極めたいという叶わぬ望みを抱いてしまう。

 


 

 美術館の見学を終えたところで、小雨振る中をしばし散策。札幌は大通り公園を中心とした町並み構成になっており、その大通り公園の東端にテレビ塔がある。こういう町の構成はどことなく名古屋に似ているが、町全体は名古屋よりも整然と升目状に整備されており、これは平安京並みの都市計画。つまり京都的である。

    大通公園

 散策しつつ地下鉄の駅に到着したところで次の目的地へ向かう。やはり札幌に来たからには一応時計台は見学しておこうと言う考え。高知のはりまや橋と共に「日本三大がっかり名所」に挙げられたりする札幌時計台だが、果たしてそんなにひどいのか確認しておこうと言う意地の悪い考えでもある。

  札幌時計台

 大通り駅で地下鉄を降り、小雨の中をしばし歩くと突然にビルの間に時計台の建物が現れる。それを見た時の第一印象は「これのどこががっかりなんだ?」というもの。

時計台内部

 内部も見学できるようになっているので入場料を払って見学する。この建物は明治に建てられたものだが、今でもキチンと維持管理されて機能しているという。歴史もあるし風格もあり、全くがっかりする要素がない。これをいかにもインチキなはりまや橋なんかと並べるなんて、気の毒と言うよりも失礼である。

 ←観光客の勝手なイメージ

実際の時計台→

 札幌テレビ塔

 どうもここががっかり名所に挙げられる理由は、この時計台が北海道の原野に建っているイメージを勝手に描いてやって来て、いざ現地が都会のど真ん中のビルの合間だからだとか。また勝手にこの建物がかなり巨大なものだと思い込んでいる者もいるようだ。しかしそんなものは時計台にしてみれば迷惑至極な勝手な思い込みであろう。そんなに巨大な時計塔が見たければ、もう50メートルほど移動して、大通公園のテレビ塔でも見ればよいのである(この塔にもデジタル時計がついている)。この手の輩は、会津若松鶴ヶ城に展示されている白虎隊の肖像画を見て「ジャニーズ系じゃない」と文句を言う馬鹿とレベルはあまり変わらない。

 

 時計塔の見学を終えると次は市電の見学。札幌は数少ない「路面電車のある町」であり、これを視察しなければ嘘であろう。市電は大通り公園のやや南から出ており、私が乗車したのは各地の路面電車でみかけるオーソドックスな車両である。車内は既に満員で利用客はかなり多い。

左 西4丁目駅  中央 ロープウェイ入口付近での車内風景  右 電車事業所前

 列車はここから市内を一周して札幌一の繁華街のすすきのまで40分程度で走行する。乗客数は始発と終点近くの両端で多く、真ん中のロープウェイ前辺りで一番減少するという状況。それでも全体を通して利用客は多い(ちなみに終点まで乗り通しは私だけだったみたいだが)。

    すすきの駅

 札幌市内を一周したところで、さっき小雨に濡れながら散策をしたツケで体が冷えてきたようなので、風邪でもひいたらたまらないとホテルに戻る。大浴場で入浴してようやく人心地。なおここのルートインも空調形式が東室蘭のものと同じで部屋が徐々に暑くなってくるタイプなので、東室蘭で徹夜の挙げ句に編み出した「あえて窓を緩めにしてすきま風を入れる」という裏技で温度コントロール。なお昨日に私がホテルのフロントに入れた苦情が通ったのか、それとも他にも苦情があったのか、「暑い人には扇風機貸し出します」との案内も出されていた。ただ暑苦しい室内で扇風機を回してもあまり効果はないと思うが。

 

 結局この日はかなり疲れたので、遠くまで夕食を摂りに出る気力もない上に、行くべき店の当てもないしということで、ホテルの地下にある居酒屋「はなの舞」で夕食。可もなく不可もないが面白くないまま終わってしまったのである。

 

 腹が膨れると昨夜の睡眠不足のツケもあって完全にダウン。結局この日はそのまま就寝したのだった。

 

☆☆☆☆☆

 

 

 翌朝は朝食後にそのまま出られるように荷物を持って朝食会場へ。そのまましばし朝食時間待ち。朝食時間になった時には既に数十人の行列ができている。毎度のことながらルートインの朝食はやけに混む。行列の先頭に並んでいた私は、さっさと簡単に朝食を済ませるとそのまま駅に向かう。

 今日の予定はまずは札沼線の視察。札沼線はそもそもは札幌から留萌本線の石狩沼田まで延びていた線だが、新十津川から先が廃線にされてしまったので現在は学園都市線という愛称で呼ばれている。ただ石狩当別までは宅地開発が進んでいるからか本数が多いが、石狩当別から新十津川までの便が日に数本しかないという路線でもある。

   

 ホームに到着したのは三両編成のキハ48。移動方向が逆なので車内はガラガラ。一方、札幌への到着便は立ち客までいる混雑ぶりである。列車は桑園で函館本線と分かれると北上する。沿線はしばしは札幌郊外住宅地で、そこを高架で通り抜ける。

左 こういう風景が  中央 こういうのに変わると  右 間もなく石狩当別で乗り換え

 しかしその住宅地の光景もやがては一面の畑に変わり始める。そして延々と畑が続きだした後に、再び建物が見え始めたと思ったら石狩当別である。ここで単両のキハ40に乗り換えになる。セミクロスシートの車内には乗客は20人ほど。次の北海道医療大学で学生風の乗客8人ほどが下車。この駅は通過用ホームと折り返し用ホームがあり、ここで折り返す列車もあると思われる。

左 沿線風景  中央・右 石狩月形駅

 ここからは沿線人口は一気に減少、途中駅での乗降もほとんどなくなる。数人の乗降があるのは石狩月形。ここで対向車とのすれ違い待ちとかで10分以上の停車。運転士は車両を降りて駅舎でくつろいでいるし、乗客も車両を降りて駅でくつろいだり写真タイムになったりである。

左 新十津川駅に到着  中央 ただ線路はもう少し先まで残っている  右 実に何もない駅舎

 その後は終点の新十津川まで北海道的なのどかな光景が続き、途中の駅ではほとんど乗降はなし。終点の新十津川に到着した時には乗客は数人だが、これらの乗客が駅に着いた途端に撮影大会。どうもここまで到着した乗客は、例によって私以外は全員が鉄道マニアだった模様。駅前は病院があるものの全く何もないところ。見ると駅前にタクシーが一台待っている。どうやら手回しの良いマニアが事前にタクシーを手配していた模様。そこで私はその運転手にタクシーを呼んでくれるように手配。しばし駅前をフラフラする。その間にタクシーを呼んでいたマニア一人以外は全員が乗ってきた列車で引き返す準備をしている。

 

 やがてタクシーが到着。私はこのタクシーで函館本線の滝川駅まで移動する。鉄道マニアではない私としては、盲腸線の往復はかなりの苦痛なので避けたいがためである。両駅間の距離は4キロあるので徒歩で移動するのはしんどいし、バスはあるものの(ただし新十津川駅ではなく近くの町役場を通る)本数が少ないしで、タクシーで移動することにした次第。滝川まではタクシーで10分弱程度というところか。タクシーの運転手さんの話によると、昔は滝川も人で溢れかえっていたのに、最近はシャッター街になってしまっているという。確かに滝川駅は根室本線も通っている交通の要衝であるのに、その気配は駅前には微塵もない。いずこも同じ地方の病根である。やはり急がれるべきは東京の解体と農林水産業の復興による地方の活性化。21世紀を日本が生き抜くための手だてはそれしかない。

  

滝川駅からはスーパーカムイで戻る

 滝川からはスーパーカムイで札幌まで戻る。GWのためか車内は結構混雑しているが、自由席主体のスーパーカムイで座席を確保するのには困らない。このルートは一昨日も岩見沢まで通ったが、いかにも北海道的な広大な平地が広がる地域で、先ほど学園都市線で見た沿線風景もこれと同じ。一昨日には途中下車した岩見沢を過ぎると、後は札幌までノンストップである。夕張川を越えて少ししたところから市街地に差し掛かり、後は札幌の郊外からひたすら中心地に向かうというコース。北海道は何もない荒野に札幌があるだけと言った者がいたが、乱暴な表現だが言わんとしていることは何となく分かる気はする。

 

 札幌に到着すると次の目的地に向かうが、その前に昼食。駅ビルの飲食店街で「麻ほろ」というラーメン屋に入店する。ここは無化調ラーメンに取り組んでいるらしい。そこで「小樽ラーメンのセット(980円)」を注文する。

   

 無化調でラーメンを作る場合に問題になるのは、味のメリハリをどうするかである。とかく無化調だとあまりにおとなしすぎる味になりがちである。ここのラーメンについては、無理はせずに無難にあっさり目のラーメンにしている。味の素性が良いので何杯でも食べられそうなラーメン。ただ特に化学調味料をたんまり入れたラーメンに慣れすぎて、あの舌に張り付くような化調の味こそがラーメンの味だと思い込んでしまっているような向きにはこのラーメンはどうだろうか。今時の「水やご飯は味がないから嫌い」なんて言っているようなコンビニ・ファミレス舌の若者には理解できないかも。

   終点真駒内の先もチューブの中

 昼食を済ませると地下鉄の休日パスを購入。これで一日地下鉄乗り放題である。南北線でさっぽろから真駒内まで移動。地下鉄南北線は南平岸駅から地上に出るのだが、終点の真駒内まで完全に屋根をかぶった中を走る。文字通りのチューブというやつである。恐らく降雪地帯であることからこうなったのだろう。

 終点の真駒内で下車するとここからバスで移動。目指すは札幌芸術の森である。ここには美術館と野外美術館が存在すると言う。美術館遠征としては当然はずすわけには行かないところ。

 到着した芸術の森はまさにその名前どおりのところ。いかにも北海道らしい森を切り開いた中に、美術館などの建物が並んでおり、野外彫刻もまさに森林の中に点在していると言うイメージ。

 


「森山大道写真展」芸術の森美術館で5/8まで

 写真には画面構成を意図した芸術写真と報道写真に近いドキュメント写真に大別されるというのが私の認識であるが、彼の写真はこのどちらのジャンルに分類すべきかというのが私にはよく分からない。

 街角などのさりげないスナップの連続のように見えるのだが、できあがった写真の画面構成にはかなり意図的なものも伺いしれる。作品を並べるとトータルとして時代と地域の雰囲気を物語っている。とは言うものの個人的にはあまり深い感慨は受けなかったのが事実だったりする。


 野外美術館までしばし歩く。現地に到着してみると、どうやら園内をかなり歩き回る必要がありそう。そこでカバンをゲートで預けてさらに身軽になる。ゲートでマップを受け取ると、そこに示されているルートの通りに移動。このルート通りに進めばもれなく全作品を鑑賞できる仕掛け。しかしその行程は山あり谷ありで結構斜面を上り下りする必要がある。アートをする精神より、野山を駆ける体力のほうが鍛えられそうな美術館である。

 作品はいわゆる現代アートだが、巨大なオブジェのような作品から、一般的な彫刻作品まで様々。中には体感アトラクションに近いようなものまである。正直なところそんなに感心するような作品はなかったが、周囲の環境まで取り込むと作品自体が映えるのは事実。

 結局はたっぷり1時間以上歩き回ることとなった。かなり疲れたところでバスと地下鉄を乗り継いで戻ることに。ただこのままさっぽろに戻るのも芸がないと感じたので、さっぽろを通り過ぎて終点の麻生まで乗車してみる。麻生の駅の改札を出ると出口はダイエーに直結している。そしてダイエーの一階出口から表に出ると、そこにはなぜか戦隊ヒーローがいた。どうやらこどもの日イベントでゴーカイジャーショーが開催されていた模様。そう言えばまだ秋田の超神ネイガーを見てなかったな・・・。

  

 さっぽろに戻ると、一端ホテルに帰ってカバンも置いてさらに身軽になると「観光名所」北海道大学に向かう。北海道大学は札幌駅至近のかなり良い立地(ここまで立地の良い国立大学って他に思い当たらない)。なお内部は公園化していて観光客も多いという。

 

 北海道大学の正門をくぐるとすぐ左脇にあるインフォーメーションセンターに立ち寄ってマップを入手する。それにしても観光客用の案内施設まで完備している大学というのもあまり聞いたことがない。

左 学内は公園化している  中央 立派な講堂  右 これがクラーク像

 キャンパスには時計台を思わせるような講堂(こちらの方が大きい)に公園などがあってゆったりした雰囲気。またクラーク博士の胸像もあり、そこは観光客の記念撮影のメッカ。私も像の撮影をしようとしたのだが、観光客が入れ替わり立ち替わりで居座っていて大変だった。

 なかなかに落ち着く良いスペースで、「ああ、私もこんなところでキャンパスライフを送りたかったな」という考えが頭をよぎる。残念ながら私の母校はもっと手狭でこんな余裕は全くなかった。それに私のキャンパスライフにはあまり良い記憶は残っていない。また私は大学のキャンパスの雰囲気は好きだが、キャンパスをウロウロしているとかつての夢も野心もあった自分を思いだして、結局はこの年齢になるまで何もなせずもう既に人生の先が見えてしまった己の惨めさを再認識してしまうのでもある。

 

 再びホテルに戻って入浴してからまったりすると、夕食のために町に繰り出す。駅ビルで適当に飲食店を探すが、札幌でうどんやお好み焼きなんて食べたくないし、寿司屋は2時間待ちなんて言っているし、適当な店が全く見当たらない。結局はそば屋に入ったのだが、これが結果としては中途半端な感じだった。やはり札幌で飲食店を探すのならすすきの周辺が正解なんだろうと思う。今回は飲食店探しに関しては手抜きしすぎた。これは次回以降の課題か。

 

 昼に札幌芸術の森こと健康増進の森で歩き回ったせいでこの日は優に2万歩を越えている。さすがにかなりの全身疲労が蓄積しているので早めに床につく。

 

☆☆☆☆☆

 

 

 翌朝は目覚まし設定時刻前に自動的に起床。荷物を片づけてから朝食に行く。GWまっただ中だった昨日と違って食堂は全く混雑なし。朝食を終えるとただちにチェックアウトして札幌駅に向かう。

 

 今日は函館で一泊の予定。特急北斗で函館まで一気の移動である。ホームには既に北斗の自由席待ちの行列が出来ている。北斗は五両編成で後ろの二両が自由席であるが、自由席乗車率はかなり高い。

 札幌をでると次の新札幌までは札幌の市街地を高架で抜けることになる。次の新札幌でさらに乗車がある。新札幌を抜けると沿線は突然に山の中。確かに北海道は原野に札幌があるだけとはよく言ったものである。南千歳が近づくと再び人家が増えてくるが集積度合いは札幌とは比較するべくもない。

 新千歳空港

 南千歳からは大量の乗車があるかと思っていたが、自由席には全く乗車がない。考えてみると空港からこの列車に乗るような者なら指定席を押さえているか。それに函館まで行くのなら最初から函館空港に降りるのだろう。

 南千歳を過ぎて新千歳空港の脇を抜けると、そこから正真正銘何もない北海道の原野が続くことになる。先日に通過した室蘭本線の追分−苫小牧間の方がまだ人家があったような気がする。

 

 次は苫小牧。ここでは大量の降車がある。ここから長万部までは先日に通ったルートである。その際には特急北斗の自由席は座るどころか立っている場所の確保も大変だったことを考えると、この乗車率でもがら空きと言えなくはない。時間帯の違いもあるだろうが(今は8時台)、何よりも5/3と5/6の違いなんだろう。世間一般では今日は平日である。実際に苫小牧で降り立った客のほとんどはビジネスマンスタイルである。そんな彼らを見ていると、いかにも「観光客」しているのが少し申し訳なくも思える。

  

沿線は山と海

 苫小牧からは様似まで日高本線が伸びているが、これは次回以降の課題である。また登別温泉もさすがの湯だったので、いつかオフシーズンにでも一泊してゆったりしたいような気もする。とにかく北海道に関してはいずれリターンマッチはするつもりである(来年以降になりそうだが)。ただ北海道を自由に回ろうと思うとやはり鉄道では限界があり、車も併用する必要があるのは今回改めて認識したところ(今回も既に一部でレンタカーを使用したが)。観光シーズンの夏場、北海道のレンタカーが夏期特別料金を取るわけが分かった気がする。目的地及び時期の選定も含めて慎重なプランニングが必要になるだろう。

 洞爺辺りの海岸

 苫小牧からは左手に海を右手に山を見ながらの走行になる。天候は悪くはないのだが、ややもやがかかっていて山がはっきり見えないのが残念。登別ではまた大量に降車があってもはや車内はがら空き。東室蘭ではさらに大量降車で、ついに車内には乗客数人となり、海沿いの険しい地形をトンネルでいくつも通り抜けると長万部に到着。

 

 長万部からはひたすら何もない海沿いを走行。こんなところで津波が来たらひとたまりもないなという考えが頭をよぎる。先の地震では大丈夫だったのだろうか。やがて少し人家が現れると八雲。しかしその人家もすぐに途切れ、再び海沿いを走行。この頃から辺りがかなりもやってくる。しばしもやの中を走行し、トンネルを抜けると森。

場所によって山容が変化する駒ヶ岳

 森を過ぎれば駒ヶ岳を回るルートの支線と分かれて直進。駒ヶ岳は頂上が二つに分かれた奇妙な山容の山。なお線路が勾配緩和のためか左右にうねっているので、駒ヶ岳は現れる度に前に後ろにと神出鬼没。次の大沼公園は「リトル釧路湿原」という趣の自然公園。大沼公園を過ぎると函館はそこである。

 函館駅に到着

 函館は港町で、駅から降り立った途端に神戸生まれの私にはどことなく懐かしさを感じさせる。とりあえず駅の案内所で路面電車の一日乗車券を入手すると、まずは荷物を置くためにホテルに向かう。今回宿泊するのはドーミーイン函館五稜郭。

 函館市電に乗る

  

こっ、これは???

 路面電車はいかにも懐かしいタイプ。やはり町の移動は路面に限ると思いながら、ボーッと案内表示を見ていると突然に「萌え」ポスターが登場してのけぞる。札幌の土産物コーナーといい、どうも北海道も昨今は萌えに占領されつつあるのか。なおプランニングの段階で増毛から稚内まで路線バスを使うという案もあったのだが、やはりバスはしんどすぎるというのと、そのバス会社のHPを見た途端に目眩がしたことから断念したという経緯もある。

 ちなみに札幌の土産物コーナーがこれ

 宿泊ホテルであるドーミーイン函館五稜郭に荷物を預けると徒歩で目的地に向かう。最初の目的地は函館美術館。しかしそれにしても人が多い。なぜこんなに人が多いんだろうと思っていたら、周辺で桜が満開である。さすがに北海道。花見のシーズンが関西とはまるで違う。

 


函館美術館

 特別展は「平山郁夫展〜大唐西域画への道〜」を開催中。これは佐川美術館コレクションによるものなので、私には既に馴染みのある作品が大半。やはり彼の作品はどうも私には好き嫌いが分かれるということを改めて再認識。

 常設展に関しては書や彫刻など。どちらも残念ながら私の興味外で印象に残るものは存在しなかった。


 美術館の見学を終えたところで目の前の「五稜郭」に立ち寄る。そもそもここに立ち寄るのが函館を訪問した大きな目的。五稜郭は言うまでもなく榎本武揚ら幕府の残党が最後にたてこもった城郭である。最後の日本式城郭とも言え、西洋城塞の技術も取り込んで、星形の形態をしているので有名である。

 五稜郭タワー

 五稜郭を見下ろす位置に空港の管制塔のようなタワーが建っているが、これが五稜郭タワー。実際に五稜郭内をウロウロしてもその形態は把握できないから、これで上から見下ろそうという発想である。私もせっかくだからこのタワーに登ることにする。チケット売場の前には既に長蛇の列で、しばし待つことになる。

 チケットを購入するとエレベーターで展望台に。エレベーターを降りた途端に、眼前に広がる見事な星形の城郭に魅入られる。五稜郭公園は桜の名所でもあるとのことで、上から見下ろしてもかなり美しい。

左 五稜郭入り口  中央 大手の橋  右 ネズミ返しのついた石垣

 しばし上空からの光景を堪能すると、今度は実際に現地に立ってみることにする。下に降りると上から見るよりもさらに桜が美しい。五稜郭は基本的に土塁で囲まれているが、正面の部分には一部石垣を使用している。ネズミ返しもついたこの石垣は明らかに和城の技術である。

 五稜郭は和城の技術を継承しつつも、戦闘の形式が戦国期とは一変している幕末の城だけに、その基本形態からそれまでの城郭とは全く異なっている。戦国期の城郭ではそそり立つ石垣が接近する敵兵を阻み、そびえ立つ櫓から敵兵に矢を浴びせかけ、中央にそそり立つ天守から防衛を差配するというもので、これは武器が刀槍に飛び道具が弓かせいぜい火縄銃の時代にもっとも合理的な形態になっている。しかし既に歩兵の戦闘が火器主体となり、砲撃戦も一般化している幕末では、そそり立つ石垣、櫓、天守などは単なる砲撃の標的にすぎない。この時代の城郭には火力で敵を圧倒するための機能が必要となり、そのための形態がこの星形の城郭である。

函館奉行所とその内部

 内部は今では完全に桜公園になっている。しかし最近になって函館奉行所が復元されたとのこと。なかなか立派な建物で、かなり本気の復元がなされたようで、材料から技術まで当時の再現にこだわった復元の模様は、館内の展示で紹介されている。ただこの建物自体は実際には問題のあった建物らしい。砲撃戦が主体になった時代には天守などは単なる的であり、建物は土塁の下に隠れるような低いものでないといけない。しかしこの建物の太鼓櫓は少々高すぎたため、これが見事に艦砲射撃の標的になってしまったという。この不徹底ぶりは過渡期ならではか。

左 内部は桜公園化している  中央 土塁の上  右 土塁上から堀側を見下ろす

 函館奉行所の見学の後は土塁の上を巡る。この土塁は結構な高さがあり、内部を敵の砲撃からかばいつつ、敵の砲弾を柔軟に受け止める任務を持っている。

左 正面部分の石垣  中央 砲台  右 砲台へ登る階段

 しかしこのかつての戦闘設備も、今では単なる桜並木。平和のありがたさを感じる。いつか沖縄の米軍基地もサトウキビ畑になる日が来ることを祈るばかり(「戦争とか言って、人間同士で殺しあいしてたんだって」「へーっ、古代人って馬鹿みたい」なんて会話がなされるだろうか)。

 

 五稜郭の見学を終えるとついでだから函館市電の視察。まずは五稜郭前から湯の川方面へ。ここは道路の真ん中をずっと通るのだが、道路の交通量はそこそこあるのに道路幅は広くない。よくこの状況で路面電車が今まで生き延びられたものだと感心することも。やはり利用者が多かったことが一番なんだろう。結果としては賢明な判断になったと思う。ここで車優先にして早計に路面電車を廃止した都市は、今になって都市計画を失敗したところばかりである。

出典 函館市電HP

 途中の湯の川温泉辺りにはホテルも見える。こういう点では市街地から道後温泉につながる松山の路面電車に雰囲気が似ている気もする。終点の湯の川は何もないところだが、ここから函館空港にバスがアクセスしている。

   

湯の川駅と近くの湯倉神社

 湯の川から折り返すと今度は函館方面に。函館駅前を過ぎてさらに先に進むと、十字街で谷地頭方面と函館どっく前方面に二分岐する。まずは谷地頭方面に向かうが、こちらはロープウェイのある函館山の麓を巡るような形で谷地頭に向かって徐々に標高が上がるようになっている。終点の谷地頭は普通の住宅街の中というイメージ。

左 今度は谷地頭を目指す  中央 ノンステップ車内  右 谷地頭も特に何もないところ

 ここから折り返すと十字街で乗り換えて函館どっく前方面へ。こちらのルートは函館山麓の海沿いを走るルートで、上の方には元町公園や教会などの観光対象も多数見えるので利用者は多い。乗客の大半は終点の函館どっく前までに降りてしまう。終点の函館どっく前はいかにも港の入り口というところ。私はここに用はないので折り返して末広町で下車する。

左 十字街からどっく前行きに乗車  中央・右 どっく前も特に何があるというわけでは・・・

 ここからは坂道を上りつつ観光。坂をかなり上ったところに元町公園があり、この辺りは異人館街の風景。港を眼下に見下ろす形になっており、ちょうど神戸の北野辺りと雰囲気がかぶる。ただ女性なら喜びそうだが、オッサンが一人でうろつくところかは疑問。ここから教会の前などを通りつつしばしプラプラと散策すると、やがて函館ロープウェイの駅に到着する。

坂を登ると洒落た建物が多数 それを通り抜けると唐突にロープウェイの駅が・・・

ロープウェイのゴンドラは100人以上が乗れる超巨大なもの

 函館山と言えばやはり夜景が有名。しかしまだ夜景には早いし・・・。しかしどうせ夜景の時刻になると、山上はカップルや家族連れで一杯になり、帰りのロープウェイも劇混みなんだろうなということが頭をよぎる。男の一人旅で夜景の名所というのは鬼門であることは、今までの各所の旅行で体験している(下関タワーとか)。えいっ面倒だとばかりにさっさとロープウェイで山上に上ってしまう。

 

 ロープウェイは100人以上乗れるとてつもなくおおきいもの。私が今まで目にした中で最大の規模である。このゴンドラが6時過ぎには下から上へ、7時過ぎ辺りからは上から下へ乗客を満載してピストン輸送されるのだとか。しかし夜景には1時間以上早い今は乗客は数人。眼下には函館の風景が広がるが、半島状になっている函館の形態がよく分かり、函館が良港である所以も地形的に理解できる。

 

 山上展望台からは周囲をグルリと見渡せる。本土方向はNHKのアンテナがあってさっぱりだが、北海道方向は一望であり、駒ヶ岳なども見えている。唖然とするぐらいの壮観で、これは夜景でなくても十二分に見応えあり。ただ屋外は異常に風か強いので、気をつけないと体温を奪われるし、場合によっては手に持っているものが飛ばされる恐れも。何しろ撮影のためにカメラを構えようとすると、姿勢が安定しないぐらいの風である。

 

 眺望を堪能したところでさっさと山から降りてくる。せっかちな私の場合、このまま山上で日没を待つなんて選択肢はなしである。山を下りると赤煉瓦倉庫の辺りを散策するが、いかにもチャラい観光地というイメージで私向きではない(やはり良くも悪くも神戸に似ている)。その赤煉瓦倉庫の奥にそびえ立っているビルがラビスタ函館ベイ。ドーミーグループではあるが、ドーミーインとは違って高級ホテルである(そもそも私の位置づけではドーミーチェーン自体が高級ホテルだが、ここはその中でもさらに一段レベルが高い)。実は私は宿泊ホテルを調べる時にここも調べたのだが、宿泊料がとても私の予算に合わなかったため、ドーミーイン函館五稜郭の方に宿泊になったというのが真相。外から見るだけでも高そうなホテルである(料金だけでなくて建物も高い)。

赤煉瓦倉庫街に「高級ホテル」ラビスタ

 さてそろそろ夕方になってきたしホテルに一端戻る。ホテルの話によるとドーミーイン函館五稜郭には大浴場はないのだとか。しかしそれでは大浴場を売りにしているドーミーインとしてはまずいので、同じ系列のラビスタの風呂を使わせてもらえるとのこと。しかも往復はタクシーの送迎付きらしい。これは利用しない手はないので早速申し込む。

 

 20分ほどするとタクシーの時間になったのでフロントに行くと、どうやら行きの乗客は私一人の模様。そのままタクシーでラビスタまで送ってもらう。ラビスタのフロントで手続き。帰りのタクシーの申し込みをしてからタオルを受け取る。やはりこちらのホテルはフロントから高級イメージで同じドーミーチェーンでもかなり雰囲気は違う。大浴場は最上階で展望風呂とのこと。これが笑ってしまうほど眺望の良い風呂。湯は含マンガンのナトリウム塩化物泉とのことで、浴槽の湯を見るとやや赤っぽい色をしている。塩分は強いが肌あたりの優しいなかなかに良い湯。身体を温めて外に出ると吹きさらしの露天風呂がある。大浴槽の湯は内風呂と同じ色をしているが、3つある小浴槽を見ると湯が白い。含マンガンの湯は最初は白いが塩素などと反応すると赤くなるということを思い出し(同様の泉質の広島「見晴らし温泉夢の宿」で書いてあった知見)、恐らくここの浴槽の湯の方が鮮度がよいのだろうと判断し、この浴槽で函館の夜景を鑑賞しつつタップリ楽しむ。なおこれは後で分かったのだが、どうやらその小浴槽だけがかけ流し浴槽だったらしく、私の判断は正しかったようだ。とにかく「高級ホテル」の湯をタップリと堪能したのである。湯上がりには休憩所から函館の夜景を鑑賞しつつ無料のアイスバーを頂いてと至れり尽くせり。私は安ホテルの方にしか泊まってないのに(しかも私は安ホテルの廉価プランである)、送迎付きでこの待遇は申し訳ないぐらい。次に函館に来ることがあれば、少し奮発してこっちに泊まりたいなということも考える。

    

笑っちゃうような夜景

 入浴を終えると赤煉瓦街の回転寿司屋で夕食。しかしこれが観光地価格でやけに高い回転寿司(一皿400円ぐらいから)。確かにものは悪くはないが、これでは支払いが気になって食欲が落ちる。目の前の皿の枚数を暗算しつつ、とりあえず一渡り腹を満たした頃に帰りのタクシーの時間になったので、ホテルに戻るとタクシーで送迎してもらう。

 

 ホテルの部屋に戻ると部屋でマッタリ。原稿でも書こうかと思ったが、今までの疲労がかなり蓄積していて精神が集中できない。結局はテレビをボーっと見つつ、眠くなったところでさっさと寝てしまう。

 

☆☆☆☆☆

 

 

 翌朝は6時に起床する。さて今日の予定だが、実は事前のプランでは2案あった。第一案は午前中に函館市内を回り、午後に北海道を後にするプラン。第二案は朝から松前に向かうより欲張ったプランである。実は第一案は前日に札幌を出るのが昼過ぎになって、函館に夕方に到着したケースのプランだったのだが、予想以上に札幌に見るところがなかった(笑)というか、プランが前倒し前倒しになって函館到着が昨日の昼過ぎだったため、もう既に函館で最低限の押さえるべきポイントは押さえていることから、より意欲的な第二案の方を採用することにする。

 

 となったら行動を急ぐ必要がある。第二案では8時には函館を出ることになる。とりあえずホテルのチェックアウト手続きをすると、ホテルの簡易朝食(ホットサンドなどが中心で確かに普通のドーミーインよりは簡素なので「簡易朝食」と名乗っているのだろうが、結構うまかった)を摂ると、路面電車で函館駅へと急ぐ。

 

 とりあえずの目的地は木古内。ここまでスーパー白鳥で移動である。車内の混雑は4割ぐらい。車内で発車を待っていると、となりの線路にSL用の客車が入線してくる。昔の車両を修理しているらしく、綺麗にペイントはされているが、近くで見ると結構傷みも目立つ。

左 スーパー白鳥  中央 車内風景  右 隣に入ってきたSLの客車

 列車はしばし海沿いを走行し、40分程度で木古内に到着する。ここから松前まではバスでの移動となる。なお以前はこの木古内から松前までは国鉄松前線で行けたのだが、例の赤字線切り捨ての際に廃止となっている。なお実は木古内−松前の方が、木古内−江差よりも乗客が多かったのだが、木古内−五稜郭間が江差線になっているために、乗客の多い松前線の方が切り捨てられてしまったのだとか。例によってアホな基準によるアホな結論になってしまっている。

   

木古内駅はとにかくホームの幅が狭い

 木古内駅は北海道南端の乗り換え拠点駅ではあるのだが、その割には駅がショボイというのが本音。ホームなんかも無理矢理造った印象で、とにかく幅が狭い。列車が横を通ったら歩くのが恐いぐらいだ。またここでトランクをロッカーに置くことにしたのだが、このロッカーが想像を絶してボロい。ここまでボロいロッカーは九州の田川後藤寺駅以来である。北海道新幹線が開通したら(本当に造るの?)、ここが停車駅になるらしいのだが・・・大丈夫なのか?

左 山を越え  中央 海を抜け  右 ようやく松前に到着

 松前までは木古内から路線バスで1時間半ほど。前半はひたすら山の中、後半は海沿いを走るという変化の多い路線である。たださすがに路線バスで1時間以上はツライ。やはり列車とは疲労の度合いが違う。よくやく松前(松城バス停)に到着した時にはもうクタクタである。

 

 さてはるばると松前までやって来た目的はハッキリしている。それは「松前城」を見学するため。松前城は蝦夷地を差配する松前藩の居城であり、100名城に指定されている。なお城自体が建造されたのは新しく、幕末の1849年になってからとのこと。それまでこの地には陣屋しかなかったのであるが、ロシア艦隊の来訪などによってにわかに北方情勢が緊迫してきたことから、北方警備のために幕府がこの地を治める松前崇広に築城を命じたものである。

 幕末に建てられた城だけに一応は砲台などは備えているが、「日本最後の古式城郭」と言われるぐらいで基本的には天守閣を備えた古い設計の城である。なおこの城は建造されて間もなく実戦を経験することになる。それは戊辰戦争。蝦夷地に上陸してきた土方歳三率いる軍勢と激戦となったが、鳥羽伏見の敗戦で近代陸軍指揮官として脱皮した土方の率いる軍勢の前にわずか数時間で落城している。海からの艦砲射撃と、防備の弱い搦手口を攻められたためとのことだが、やはり城の基本設計も時代に対して古かったのではなかったかと感じられる。五稜郭のような徹底して近代戦に対応した城郭ではなく、機能的に中途半端であったのだろう。

  町並みの向こうに天守が見える

 なお天守などの建物は戦後まで現存していたものの、国宝に指定された直後に火災で焼失してしまったとのこと。現在の天守は鉄筋コンクリートによる「なんちゃって天守」で、本丸御門は現存の重要文化財である。

   

天神坂門と搦手二の門

 松前城は町を見下ろす小高い丘の上にある。ここから復元された天神坂門と搦手二の門を通る搦手方面から登城する。正直なところ、確かにあまり堅固な城郭との印象はない。なお落城後の松前藩士は江差方面に撤退して抗戦するも、藩主を本土へ逃走させてから降伏したとのこと。なおこの逃走した藩主一行も冬の荒海に小舟でこぎ出したためにかなりの苦難を極め、その過程で5才の姫君が死亡、病弱だった藩主もしばらく後にこの世を去ったとか。

  正面に見えるのが天守の入場口

 入場料を払うと天守に入場。なぜかここは地下道を通っていくことになる。天守内部自体はいわゆる普通の博物館で面白味はない。天守の見学を終えると裏手に出る形になる。柵の向こうは公園であり、その奥がお寺。これらがいわゆる旧本丸になる。本丸門をくぐって城の正面に出ると、本丸門と天守の並んだ撮影ポイントになる。

 

 石垣が緑色をしているのが印象的だが、これは緑色凝灰岩を使用しているからとか。なお天守下の石垣がそこだけやけに傷んでいる気がしたが、これは後で調べたところによると弾痕が残っているらしい。

左 緑色凝灰岩の石垣  中央 天守石垣にある弾痕  右 移築された本丸御殿玄関

 かつての激戦の跡も、五稜郭同様に今では桜の名所である。五稜郭が染井吉野中心であったのに対し、こちらは種々の桜が咲き誇っておりそのバリエーションも売り。

左 二重太鼓櫓跡  中央 堀と土塁 右 大手付近

左 城内は桜公園  中央 いろいろな種類の桜があるこれは「南殿」  右 桜が絵になる

 松前城の見学を終えると、城下を散策、土産物(名物・あわび最中など)を買い求めたり昼食を摂ったりする。なお昼食は現地のそば屋でニシン蕎麦を食したが、味はともかくとして価格が明らかに観光地価格。

 

 再びバスで木古内まで戻るとスーパー白鳥に乗車、青函トンネルをくぐる。木古内以南の海峡線は複線だが、木古内−函館の江差線は単線なので、この木古内で上下線が車両交換をする。木古内を出ると列車はトンネルの連続に突入し、その内に青函トンネル入り。青函トンネルはとにかく長い。途中で海中駅らしいところを通り過ぎるが、後はひたすら闇の中。これは九州新幹線と同じで面白くはない。

  青函トンネル入りの瞬間

 海中の長いトンネルを抜けると本土上陸。この後もしばしトンネルを出たり入ったり、その内に山の中を走行するようになる。中小国を過ぎるとJR東日本エリア入りでここからは津軽線。この津軽線も江差線と同様に単線なので、蟹田で車両交換になる。なお蟹田−木古内間は特急列車しか走行しないため、青春18切符でも特急列車に乗れる特例区間になっているのは有名である。

  蟹田で白鳥と入れ違い

 蟹田を抜けると今度はしばし海沿いを走行。やがて青森駅に到着する。ここで一端途中下車。次の列車までに1時間以上の余裕があるので以前に青森に来た時の宿題を解決しておくことにする。それは棟方志功記念館の訪問。一端トランクをロッカーに放り込むと、観光案内所で記念館行きのバスの系統を聞いてからバス停に向かう。記念館にはバスで10分ほど、さらにそこから10分ほど歩いて到着。

  久しぶりの青森駅


棟方志功記念館

 

 私が訪問時には書に関する展示が中心。棟方志功に関係する人物の書らしいが残念ながら書には全く無関心な私には今一つ。棟方志功の作品についても、文章と関連した作品が展示されていたが、こちらの方は文字自体がいかにも彼らしい形態になっていて、デザインとして面白かった。

 


 

 棟方志功記念館は庭園などもついた落ち着いた雰囲気の建物。また立地自体も青森の市街地からは若干離れかかった位置にある。ただそれだけにアクセスは不便。帰りは最寄りのバス停にバスが到着するまでに時間があるので、大通りまで出て青森駅行きのバスを拾う。

 

 青森駅まで戻ってきたところで夕食にする。入店したのは以前にも立ち寄った「おさない」。ここで「ホタテフライ定食」「ひらめの刺身」を頂く。醤油をつけて頂くホタテフライは相変わらず美味。腹が膨れたところでキオスクで飲み物と食べ物を買い込むと、次の移動と宿泊のために駅へ。

   

 この日の宿・・・というか、今晩は寝台特急あけぼので上野を目指す予定。6時過ぎにあけぼのが入線してくるので乗車。私は個室ソロを押さえているが、車両に入った途端に感じたのが「狭い!」というもの。中央通路の両側に個室が並んでいるのだが、この中央通路が人のすれ違いが不可能なほどの幅。私は一階個室だが、そのドアは直接にこの通路に面しているが、これがまた思わず「ここ通れるの?」と感じたぐらいに狭い。

左 寝台特急あけぼのが到着  中央 女性専用ゴロンとシート  右 機関車(FE81 137)

 中に入ってみるとこれまた狭い。よくカシオペアなどの個室シングルが「走るビジネスホテル」と言われるが、その感覚で言えば「走るカプセルホテル」。広い部屋を狭く使うのが得意技で、すぐに穴蔵にこもるので前世がハムスターに違いないと言われている私の場合は良いが、閉所恐怖症の気があるものなら間違いなく息が詰まるだろう。なお室内スペースがかなり狭いので、恐らく飛行機の機内持ち込み可サイズのトランクしか室内には持ち込みは出来ないだろう。

左 通路は滅茶苦茶狭い  中央 個室シングル(一階室)内部  右 枕元に空調・照明及びBGMのスイッチ

左 二階室階段の出っ張りがあるので荷物を置くと足下が狭い  中央 二階室入口  右 二階室もかなり狭い

 列車の内部や周りを鉄オタと見受けられる連中がウロウロしているが、鉄オタでない私はそういうのは興味なし。その間に「当列車には車内販売や自販機はありません」との放送が何回も流れる。つまりは事前に十分な量を持ち込んでおけということである。

  窓の外が真っ暗になるうちに自然に眠気が・・・

 やがて列車が発車。しかしこうなってしまうと何もすることがない。最初は車窓の風景を眺めていたが、それも7時を過ぎると真っ暗で何も見えなくなってしまう。そうなるとテレビもない分、カプセルホテルよりも始末が悪い。せめてネットでも出来ればと思うがその手段もない。結局はボケーとしている間に眠気がやってきてしまって、8時頃には眠ってしまったのである。

 

☆☆☆☆☆

 

 

 そのまま完全に意識をなくしてしまって、次に何やら外のドタバタ騒ぎで目が覚めたのが11時(酒田に到着した頃らしい)。その次に目が覚めるのは夜中の2時。この時は急に列車の振動モードが今までのパターンと変わったから(長岡で機関車交換があるので、それが影響しているのかもしれない)。この頃から風にでも煽られるように横に細かく揺れるようになり、「気持ち悪い」と感じて目が覚めたのだった。しかしそのままウトウトと浅い眠りが続き、本格的に目が覚めたのは朝の6時前だった。やはり列車はホテルで眠るようにはいかないが、それでも高速バスなどとは違って一応はキチンと寝られる。まだ若干の眠気は残るものの、7時の上野到着に備えて準備をするのだった。

 

 上野到着時には機関車が替わっていた

 朝の7時の上野駅に降り立つと、ホームは鉄オタのカメラの砲列だった。どこかで機関車を入れ替えたらしく、先頭には出発時と異なる機関車がつながっていた。

  鉄オタによる大撮影大会

 とりあえず上野駅のロッカーにトランクを入れて身軽になるが、困ったのはこれからである。国立博物館が開館するのが9時半(本来は9時開館なのに、省エネ対応でなぜか9時半になってしまった)。それまでの時間のつぶしようが全くない。しかも上野公園の中心部は工事中だし(大阪の天王寺公園のようにホームレスの締め出しでもする気か?)、東京はやけに暑い。暑いし疲れるしで、上着と背中のカバンもロッカーに放り込んでしまう。

 

 結局は上野公園で何をするでもなく9時半までプラプラしてから、ようやく博物館へ入場する。

 


「写楽展」東京国立博物館で6/12まで

 

 江戸時代に彗星のように現れ、世の中に強烈なインパクトを与えて突然に去っていった謎の絵師・写楽。その生涯の作品の大部分を展示したのが本展とか。

 一般的には役者の大首絵で知られる写楽だが、彼は何度か画風が激変している。有名な一連の大首絵は最初期の第一期にあたり、その後は全身像を描き始めた第二期、さらに第三期、第四期とつながっていくが、後になるほどに初期の強烈な個性と才能のきらめきのようなものが影を潜めて行っているのは明らかである。

 写楽の正体については諸説あるようだが、私はあえて写楽複数人説を採りたい。つまり写楽とは一人のクリエイターではなく、蔦屋がプロデュースした創作家集団であり、今風に言えばProject SHARAKU とかスタジオ写楽などと言うところだったのではないかと感じるのである。そして最初期の中心的人物が何かの理由によって途中で去ったのではないかと考えている。と言うのも、第三期、第四期の作品などは「一見かつての写楽のスタイルに準じているが、才能の煌めきが感じられない」という印象が強く、まるでジブリの「ゲド戦記」を見た時のような悲しさがあるからである。

 なお展示内容で面白かったのは、同じ役者を描いた写楽と歌川豊国らの絵を並べて展示してあったコーナー。特徴をかなりデフォルメ気味に捉えている写楽の絵と、やや格好よく美化もはいる豊国の絵の違いが分かって面白かった。ちょうど同じサラ・ベルナールを描いたロートレックとミュシャの絵の違いのようである。

 


 

 続いて同じく上野公園にある美術館へ。

 


「レンブラント 光の探求/闇の誘惑」国立西洋美術館で6/12まで

 

 17世紀を代表するオランダの画家のレンブラントは、光と闇の表現に長けたことで知られる画家である。その彼の陰影表現を最も端的に理解するには版画作品が最適ということで、版画を中心としてレンブラントの光の表現にこだわる展覧会。

 とにかく手が込みすぎているために模倣が出来ないと言われたレンブラントの版画であるが、確かに闇の表現一つとっても非常に手が込んでいる。線の一本一本が微に入り細に入りで計算されているようである。また闇を描きこむことで対照的に光を浮かび上がらせるなど非常に巧妙。

 また彼は細かい表現を追究して紙の検討なども行っており、当時は貴重であった和紙なども試していたらしい。確かに紙を変えることで刷り上がりも変わるのだが、ここまで来ると私のような素人には細かすぎる世界。

 とにかくレンブラントが「ただ者ではない」ということだけがよく分かった展覧会である。

 


 

 これで上野での予定は終了。とりあえず上野で昼食を摂ってから新宿方面へと移動する予定。久しぶりに「天国」に寄って馬肉でもと思っていたら、どうやら閉店の模様。東京はまともな店が少ないのに、そのまともな店から消えてしまう・・・。やむなくアメ横辺りをウロウロして、結局は「松ずみ」で「カツ重」を頂くことに。

 

 新宿に着くと、悪趣味なコクーンタワー(さすがに悪趣味なデザイナーばかり養成するあの学校のビルだけのことはある)の地下にある書店で「するっと関西2day」の実券を購入。ここでは引換券でなくて実券を販売しているので便利である。その後、損保ジャパン東郷青児美術館の「セガンティーニ展」に行くつもりが、いざ現地に到着すると「地震の関係で延期」の張り紙が(例によって日本丸ごと汚染地域扱いである)。仕方ないので渋谷へと移動する。

  ああ無情


「フェルメール《地理学者》とオランダ・フランドル絵画展」BUNKAMURAで5/22まで

 

 タイトルだけで大体想像が付くが、内容は「フェルメールとその他大勢展」。フェルメールの「地理学者」が展示されるのが一番の目玉。後はオランダフランドル絵画で、いかにもオランダ絵画らしく隠喩を含んだ作品。あえて静物画の中に腐りかけの果実や枯れかけの花を加えるあれである。

 フェルメールの作品は相変わらずであるのだが、こうして見てみると、確かにフェルメールの技術だけが傑出しているというわけではなく、あの時代のあの背景があってのフェルメールの出現ということも分かったりする。

 


 

 正直、もうかなり疲労が来ているようでどうも見方が雑になってしまっているのを感じざるを得なかった。当初計画ではまだ数件寄るつもりだったが、既に体力が限界まで来ていることを改めて自覚。これ以上強行しても鑑賞に身が入らないことが確実なことから、予定を早めて帰宅することとした。PHSからエクスプレス予約の変更手続きを行うと、上野で荷物を回収してそのまま帰途についたのである。今回はエクスプレス予約のグリーンポイントが貯まっていたことからグリーン車を使用。快適なシートでほとんど爆睡状態で目的駅まで行ってしまった。

 

 さて今回初めて北海道に足跡を記したのだが、北海道の印象としてはとにかく原野の光景だけが脳裏に強烈に残った。後はテレビをつけたらとにかく日ハム関係の番組ばかりだったことも。何しろ北海道では菅総理の顔を見るよりも、ダルビッシュの顔を見ることの方が多かったぐらい。北海道では日ハム−ソフトバンク戦を「首位攻防の天王山」と大騒ぎしていたが、関西に戻ってくると阪神−横浜の最下位攻防戦の方が盛り上がっていた(笑)。

 

 今回は10日間をかけてタップリと北海道を回ったが、さすがに北海道は広くてこれでもすべてを回れたわけではない。いずれは再訪もすることなるだろう。特に函館に関してはかなり私に波長が合う町との印象を受けたので、いつか再訪したいところである。

 

 ただ同時に私の志向では北海道には意外と見所がないと感じたのも事実。やはり北海道の売りはその大自然であるので、これはナチュラリストでエコロジストな者ならいくらでも楽しむ余地があるのだろうが、私のようにナショナリストでエゴイストな者にはあまり楽しむ余地がない。何しろ釧路湿原に2時間で厭きが来てしまうぐらいなので・・・。次回のプランニングにはその辺りも考慮に入れておく必要がありそうである。 

 

 

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