展覧会遠征 湖南・比叡編

 

 ついこの間に長浜を訪問したところだが、再び琵琶湖周辺を訪問することにした。というのも、まだこの地域に数々の宿題が残っているからである。まずはこの地域の城跡訪問。実は以前の長浜訪問の時に膳所城跡を訪問しようとしたが、その時には異常な疲労と事前調査の不足のために頓挫している。またその後には比叡山訪問を計画したものの、突然の雪で挫折。これもまたリターンマッチの必要がある。それにこの地域に以前からある懸案事項の一つが木下美術館の訪問。この美術館が比叡平に移転したのは知っているが、足の弁の悪さのために未訪問のままである。以上のようにこの地域における宿題は山積みの状況。ここは手堅く近場の宿題の解決から取り組もうという考えで、石橋を叩いても渡らない(笑)と言われている私らしい計画でもある。

 日程なのだが、場所柄通常なら日帰りが妥当なところなのだが、内容が盛りだくさんになりそうなので1日に収まるかかなり怪しい上に、ここのところは風邪で倒れたりなどと体調が不調で、日帰り強行軍を行う気にならなかったことから思い切って一泊することにした。

 

 出発は土曜の朝。高速道路を名神の京都東出口まで突っ走る。まず最初の目的地は「宇佐山城」。宇佐山城は織田信長が臣下であった森可成に浅井・朝倉への押さえとして築かせた城であり、ちょうど琵琶湖方面から京都への入り口を押さえる要衝に建設された山城である。なお森可成は、信長が本願寺鎮圧のために出兵した際に浅井・朝倉連合軍が背後を突くべく出兵したのを迎え撃ち、大軍を数日に渡って釘付けにしてその意図を挫くことに成功したが、その戦いの中で彼自身は討ち死にしている。その後、この城は明智光秀が支配することとなったが、後に坂本城が建設されたことで廃城になったという。

 

 宇佐山の中腹には宇佐八幡宮があり、そこまでは車で行けるとのことなので宇佐八幡宮を目指すが、この道が曲がりくねっているうえに極めて狭いとんでもないもの。しかもいよいよ宇佐八幡に登る山道は、かなりが舗装されてはいるものの、車が飛び跳ねるほどバンビーな上に、アクセルを緩めると車がそのまま後ろ向きに走り出してしまうぐらい急斜面。途中で道を間違って急斜面をバックするというとんでもない事態になりながら、ようやく車を数台停められる場所に到着する。

左 宇佐山城登城口  中央 地元小学生が立てた看板が励ましてくれるが  右 見上げた先は道なき道

 ここで車を停めると後は徒歩で登城。登城路は非常に分かりにくいのだが、数年前に地元の小学生が立てたというプレートが立っているので、それを辿れば良いようになっている。ただいざ歩き始めると予想していたよりも急斜面で足にきついし、突然に辺りが真っ暗になってきて雨がぱらつき始める。傘を持ってきていないので山上で雨に出くわすことは避けたいところ。それにやはりまだ病み上がりで体調が万全ではないのは明らか。これは出直したほうが良いかと手前で引き返して宇佐八幡宮に立ち寄る。

 宇佐八幡宮に参拝

 宇佐八幡宮に参拝を済ませたところで、宮司?管理人?素性は不明だが地元の方に出会う。話を聞くと宇佐山城の上までは大した距離はないとのこと。それに宇佐八幡の霊験があったのか、雨も完全に止んで辺りもまた急に明るくなり始めたので登城を決行することにする。

左 意を決して再び山道に挑む  中央 本丸手前で曲輪跡らしき平地が  右 本丸には放送施設が建てられている

左 本丸奥に一段低い二の丸が  中央 ここにもアンテナが  右 二の丸の反対側に曲輪っぽい平地があったが・・・

 大した距離はないとの話だったが、いざ登り始めると、やはり体力不足の私には少々厳しい行程である。それに登山ルートは一応の整備はされているが、登山道と言うよりはあくまで獣道のようなものであって足にかなりつらい。数分歩いただけで、足元はよろめき、息は切れ切れという惨状になる。それでも10分強ぐらいでようやく本丸にたどり着く。

 本丸下の石垣跡 ここが一番城っぽいところ

 本丸及び二の丸には完全にNHKの放送設備に占拠されていて遺構と言えるものは残念ながら全く残っていない。唯一の明らかな遺構は本丸周辺のほとんど崩れた石垣である。この規模から見ると石垣を多用したかなり本格的な城郭だったようである。ただその割には山上の遺構は小さく、また周りにも曲輪と思われるような削平地はそう多くはない。要衝を押さえる城にしてはあまり大兵を入れられたようには思えない。何となくバランスの悪さを感じさせる城郭である。

 

 宇佐山城の見学を終えると、足下に気を付けながら獣道を車のところまで引き返すと、再び車でバンビーな坂道を用心しつつ山を降りる(もしブレーキが故障したら一巻の終わりである)。ようやく山道と路地地獄を抜け出すと、次の目的地を目指して比叡山への山道を走る。次の目的地は木下美術館である。この道は先ほどの山道とは比較にならないほど整備されているが、それでもかなり急傾斜の上にコーナーもキツイので、私の老カローラ2ではかなりしんどい。ようやく斜面を登り切った辺りに来ると、急に住宅街が眼前に広がる。ここがいわゆる比叡平らしい。雰囲気はまさに新興住宅地。目的地はその住宅街のど真ん中にある。

 


木下美術館

 こじんまりとした美術館で展示点数は10点強だが、コレクションとしてはなかなかに名品あり。私の訪問時には尾形光琳の屏風に竹内栖鳳、橋本関雪、堂本印象などが展示されていた。各人いかにもそれなりで面白い。なお個人的にはもっとも収穫は伊藤小坡の作品が一点展示されていたこと。例によってなかなかに品があって可憐な美人画である。


 木下美術館の見学を終えると再び山を下る。比叡平からは比叡山ハイウェイで延暦寺にたどり着くことができるが、比叡山は明日にケーブルを使用して登るつもりであるので今日はパス。再び山道を下ると次の目的地の坂本城跡を目指す。湖岸道路にたどり着くと、道路沿いの湖岸公園に坂本城跡の碑があり、十数台の駐車場がある。しかし私が到着した時には駐車場は満杯。どうも釣り客などが結構来ている模様。諦めるかと引き返しかけた時に、幸いにして一台が駐車場を出て行ったのでなんとかその後に駐車する。

 

 「坂本城」はこの地を治めるために明智光秀が宇佐山城に代えて築いた湖岸の城である。浅井・朝倉の脅威が去った後となれば、山上の宇佐山城よりも湖岸の坂本城の方が何かと好都合なのは明らかである。坂本城は琵琶湖に突き出すような形で本丸を持つ水上要塞で、安土城と並んで湖岸の名城として知られていたということで、それなりに大規模な城郭だったようである。

 坂本城址の石碑はあるが・・・

 しかしそれも過去の話。現在となってはかつての本丸跡は既に湖の底に沈んでしまっており、ここの公園にも城跡の石碑が立ってはいるものの、遺構らしい遺構は当時の石垣の残骸と言われる石が湖岸に転がるのみ。後はあまりご本人に似ていると感じられない明智光秀の像が立っている。とにかく見事なまでに何も残っていない。

左 こうして見ると普通の公園  中央 あまり似ているように思えない明智光秀像  右 桜は綺麗なんだが・・・

左 本来の城跡はこの沖にあるとか  中央 この石は石垣の名残だとか  右 もっと町中にも坂本城址の碑が立っている

 しかしさすがにこれでは寂しすぎる。とりあえずは遺構の一部でも見ておこうと思う。向かった先は西教寺。ここは明智一族の菩提寺であるが、ここの門が坂本城のものが移築されたものと言われている。

 西教寺にある移築城門

 確かに城門であって不思議がないほどの堂々とした巨大な門である。なおここまで来たついでに寺院の見学もしておく。比叡山ふもとの斜面に建造された寺院であるため、奥に行くほど高度が上がる構成になっている。奥の高いところに本堂があり、そこからさらに高いところに創始者の墓所があるようである。これらを本丸、詰の丸と考えると、やはり寺院の構成は城郭に類似している。明智光秀一族の墓所は、本堂の傍らにある。

左 西教寺参道は桜並木  中央 勅使門  右 宗祖大師殿の唐門

左 手前本堂(重要文化財)奥が鐘楼堂  中央 この石段上が宗祖の本廟  右 明智光秀と一族の墓

 歴史上では反逆者として名を残してしまった明智光秀であるが、武将としては有能であったうえに、坂本においても善政を施したと言われている。信長の延暦寺焼き討ちに絡んで坂本の住民もかなり殺されているので住民の信長に対する恨みはあったはずにもかかわらず、光秀の統治は比較的無難に行われていたようであることから、これは光秀の手腕と人望を裏付けるものだろう思われる。とにかく彼は石田三成と共に不当に後世の評価が低い武将の一人ではないかと感じられるところである。なお未だに光秀の謀反の理由は不明とされているが、私が思うには光秀のように真面目なタイプには、信長のような人間的に壊れたところを持った上司は仕えにくい相手ではなかったかと考える(典型的なパワハラ上司でもある)。結局はその辺りが積もり積もったのでは。なおNHK日8ドラマでは、信長は光秀を後継者と考えて愛の鞭を振るっていたのだが、それに耐えられなくなった光秀が勝手にテンパって暴走という、斬新というよりもグダグダな解釈をしていたとか。しかもその光秀の心情を10才の江が独占インタビューするというトンデモ展開だったようだ・・・確かに日曜お笑い劇場である。

 

 西教寺の見学を終えると、同じく坂本城の城門が移築されたという聖衆院来迎寺にも立ち寄るが、こちらの方はその城門が保存修理中とのことでどうやら解体されたらしく見学ができなかった。

 聖衆院来迎寺の門は工事中

 これで湖西の方での予定は終了。ここからは佐川美術館を目指す。しかしこの湖西を北上する道路は万年渋滞道路であって一向に先に進まない。仕方ないので途中で昼食を摂ったりしつつ焦らずに進むことにする。ようやく琵琶湖大橋を渡って目的地に到着した時にはかなりの時間を要していた。

 


佐川美術館

 

 企画展は「平山郁夫展 日本の美を描く」と題して、彼が日本各地でスケッチした画を展示していた。ただ個人的には彼の水彩でサクッと描いたスケッチは特別には面白いと思わない。

 また最近に建造された樂吉左衞門館に初入館。ここは樂吉左衞門の制作した茶碗類を展示してあるのだが、地下の展示が独特の空間を形成していて施設として非常に面白い。また彼の作品自体も、質感や色彩などが非常に変化に富んでおり、陶磁器に対してはほとんど興味のない私でもなかなかに楽しめた。


 ここからは湖東の道路をひたすら南下する。しかし琵琶湖岸を走行していた時はまだ良かったのだが、大津に近づくにつれて道路が混雑し、瀬田駅の手前で渋滞で全く動かなくなってしまった。刻々と閉館時間が近づくのに気持ちが焦る。結局は美術館に飛びこんだのは券売所が閉まる直前であった。

 湖岸をひた走る


「名画につつまれる贅沢 珠玉のヨーロッパ絵画展 −バロックから近代へ−」滋賀県立近代美術館で6/12まで

 

 印象派など近代フランス絵画という人気どころをあえてはずして、それ以前の時代のアカデミズム系の絵画を収集するという一風変わったコレクションである「長坂コレクション」の作品を展示した美術展。

 作品の核が17世紀頃のバロック美術ということで、一般的にはほとんど知名度のない作家の作品ばかりが並んでいる。ただ一貫しているは精密描写系の技術のしっかりした絵画が集められていること。これがコレクターの美意識の反映であるようである。

 展示はさらに19世紀の近代絵画をも含んでいるが、こちらもとにかく無名作家の作品ばかりということは共通しており、やはりアカデミズム系のやや保守的に見える絵画ばかりと言うところは一貫したところである。もっともこちらの方になってくると、時代柄かやはり印象派の影響は垣間見える。ただこのような作品を見ていると、印象派の手法というのは確かに光の煌めきを表現するには適しているが、対象物の質感は全く表現できないということに気づかされたりするのである。質感表現に関してはアカデミズム系の絵画の方が圧倒的であるのは認めずにはいられない。


 これでようやく今日の予定は終了である。後はホテルに入るだけである。予約しているホテルはニューびわこホテル。天然ラジウム温泉の温泉ランドに隣接しており、宿泊客はここを使い放題なのが売りである。

 ホテルにチェックインするとただちに温泉の方に向かう。施設自体は典型的な健康ランド。お湯は恐らく加熱循環だろうが特別に悪いというほどではない。ここでゆったりとして疲れを抜く。

 

 温泉を済ませると夕食だが、この温泉ランド内の飲食店は今ひとつピンと来ない。とは言っても周囲の飲食店も今ひとつ。結局は面倒になって向かいの丸亀製麺に入る羽目に。定番の釜玉と簡易天丼(ご飯に天ぷらを載せて天丼のたれをかけたもの)で済ませることになる。合計で1000円以下。しかもこれでも下手なうどん屋よりもうまかったりするのが何とも。そう言えばよくよく考えると、長浜に行った時も夕食は丸亀製麺だったような・・・。

   

 夕食から帰ると就寝前に再び風呂へ。露天風呂に浸かっていると、風呂の中でタオルで体をこすっているマナー違反客を発見。よくよく様子を見ていると外国人(中国人か?)の模様。そこで日本の風呂では浴槽内でタオルを使ってはいけない旨を片言の日本語(笑)で説明。彼は特に悪気があったわけではなくて、単に日本の風呂のマナーを知らなかっただけの模様(最近は日本人でさえこれを知らない者もいる)。現在各地で特に中国人団体客のマナーが問題視されているが、要は日本の風習を知らないことが一番の問題のようである。そう言えば、かつては日本人観光客も外国で「風呂の使い方を知らない」とよくボロクソに言われていた時期があった(ユニットバスでかかり湯をして、部屋をビショビショにする事例が多かったという)。世界標準から見ると、浴槽内で体を洗わない日本の風呂の入り方の方が特殊な部類に属するので、外国人が来る可能性もある施設では彼らにも分かる形での入浴法の説明が必要に思われる。

 入浴を済ませるとこの原稿を少し執筆。しかし昼間の山登りの疲労は残っているし、頭のギヤは切り替わってしまっていて落ち着かないしで、作業効率はサッパリ。諦めて就寝することにする。

  

☆☆☆☆☆

 

 

 翌朝は6時半に起床(自然に目が覚めた)。昼食はホテル内の喫茶で和定食。簡素ではあるが結構うまい。「今日も元気だご飯がうまい」というやつである。ただし全身に若干のだるさがあり、さらに両足がやや重い。食事を済ませてシャワーを浴びて体を温めると、しばしまったりしてから9時過ぎにチェックアウトする。まずは膳所城を目指す。

 

 「膳所城」はかつては琵琶湖の浮城と言われた水城である。関ヶ原の合戦に勝利して事実上の天下人となった徳川家康が、東海道を押さえる城として大津城を廃して代わりに築かせた城郭である。この城もいわゆる天下普請として建造され、縄張りは築城の名手・藤堂高虎ということで、水の中で石垣に囲まれた4層の天守を持つ壮大な城郭だったという。その後、この地域は代々譜代大名が治めることとなるが、湖に突き出た特異な構造の城のために侵食による損傷の修復予算に、歴代藩主は苦しめられる羽目になったとか。明治になって廃城になった後に建物等は解体され、今日ではその跡地が公園化されている。

 膳所城模擬城門

 城跡と言っても全く何も残っていないのは坂本城と同じ。ただこちらの方は模擬城門が建造されるなど、一応は城郭としての面影を出そうという演出はされている。ただ遺構は全く何も残っておらず、天守閣跡の碑が立っている部分は完全な湖岸。その奥に辛うじて石垣の石だと思われるものがあるだけである。城の面影は全くないが、ここが東海道と琵琶湖の水運を両方を一手に押さえられる要地であることは現地に来れば分かる。やはり城というものはしかるべき理由を持って造られるものである。

左 一応は城っぽくはしてあるが  中央・右 内部は完全に普通の公園

左 膳所城址の碑  中央 天守閣跡とあるが先には湖のみ  右 湖岸のこれらの石が石垣の名残とか

 城跡としてはともかく、この公園は桜の名所としてはよく知られているらしい。ちょうどこの日曜は葉桜状態で美しく、花見の場所取りらしきシートもあちこちに敷いてあった。多分今夜は盛り上がるのであろう。とりあえず公園としては非常に重宝されているようである。なお辺りを見渡すと、中途半端に城を意識した微妙な建物が多い。

左 かつての櫓跡・・・のわけはない  中央 このなんちゃってお城は浄水場設備、元は二の丸  右 膳所市民センター

 琵琶湖南部は古来より要地であるために多くの重要な城があるが、人口も多い地域だけに開発が進みやすく、やはりまともに遺構の残っている城郭はないようである。まあ市街地に近い場所にあった城郭の運命である。

 

 膳所城の見学を終えるとさらに車で浜大津まで走行、浜大津駅の公共駐車場に車を入れる。これからいよいよ比叡山に向かう予定だが、車はここに置いてあえてケーブルを使って登るつもりである。またこの浜大津に車を置いたのは、ここの駐車場ではパーク&ライドが可能であるため。京阪石山坂本線と京津線が一日乗り放題になる湖都古都・おおつ1dayきっぷを購入すると、駐車場の一日駐車券を合わせて購入する。

 浜大津名物、路面を走る地下鉄

 まずは浜大津から京津線で京都方面に向かう。浜大津近辺では京都地下鉄に乗り入れる巨大な車両が路面を走行するという姿を見ることが出来るのだが、この列車でそのまま京都入り。JR東海道線が京都との峠をトンネルで抜けるのに対し、京阪は左右にうねりながらかなりの傾斜を登って峠越えをする。京阪山科を抜けると地下に潜り、御陵を過ぎると京都地下鉄に相互乗り入れ、そのまま三条京阪で下車。ここから京阪本線で終点の出町柳、そこで叡電に乗り換えて終点の八瀬比叡山口というのは先日にも通ったルート。ただ先日と違うのは叡電の車内がハイキング姿の中高年団体であふれかえっていることである。

 

 終点での風景も前回と一変している。前回は山に雪がかかり、足下にも一部雪が残る状態だったが、今回は桜が咲いている中を進むことになる。叡山ケーブルの八瀬駅にはケーブルの到着を待つ乗客が。私もケーブルとロープウェイの片道券を購入すると、ケーブルカーの到着を待つ。数分後に上からケーブルカーが到着する。

左 八瀬比叡山口駅  中央 ケーブル八瀬駅  右 叡山ケーブルカー

 小さな車内は程なく満員となる。ケーブルカーは間もなく発車するが、とにかくこのケーブルで驚くのはその急角度。確かにここまで急なルートを登ることが出来る交通機関はケーブルカーかロープウェイぐらいしかない。急角度なケーブルカーと言えば高野山ケーブルもかなりのものであったが、ここのは角度はそれに匹敵して長さが倍以上あるという印象。高所恐怖症の人間にはいささか恐怖が感じられるぐらい。もっともその分、眺めは抜群によいのであるが。

左 ケーブル比叡駅を降りると  中央 向かいにロープウェイの駅  右 叡山ロープウェイ

 ケーブル比叡駅に到着すると、ロープウェイの駅は隣に見えている。その間は展望台になっているのだが、その風景を楽しむ間もなくいそいそとロープウェイに乗り換え。ゴンドラ内はすぐに満員列車状態。外国人観光客なども多い。ロープウェイはここから5分程度で比叡山頂へ。途中で谷を越えるような箇所があったので、これがケーブルではなくてロープウェイにした理由なのだろう。

左 ロープウェイからの笑ってしまうような風景  中央 比叡山頂に到着  右 山頂駅

 ロープウェイの比叡山駅で降車すると、すぐ真向かいにガーデンミュージアム比叡の入口(ローズゲート)がある。ここはモネなどの作品の陶板複製画を展示すると共に、その絵のイメージに合わせた庭園を造った施設である。もっとも最大の売りは比叡山からの風景でもある。内部には展望台もあり、ここからは琵琶湖から京都市街までの風景を一望に見下ろすことができる。また展望レストランもあり、ちょうど昼時だったことから私もここで昼食を摂ることにする。ビーフシチューセット1000円はCPはそう良くもないが、こういう施設内にしては特別に悪くもない。また味の方も普通に旨かったので驚いた。

左 ローズゲート  中央 正面に見えるのがレストランと展望台  右 陶板複製画
 昼食のビーフシチューセット

 ガーデンミュージアムは風景も良いし、花も綺麗し、まあ観光施設としては悪くない。ただミュージアムとしてはあまり。所詮陶板複製画は単なる複製画だし、同じ陶板複製画でも徳島の大塚国際美術館くらいの物量があれば見応えもあるが、ここのは単に庭園の飾りレベル。初詮は観光ミュージアムである。

左 大津方面  中央 京都方面  右 竹生島も見える

ガーデンミュージアムの風景

 ガーデンミュージアムの見学を終えると、裏手のプロヴァンスゲートからミュージアムを出る。ここを出るとすぐ駐車場になっており、ここには比叡山シャトルバスが発着するバス停がある。比叡山延暦寺といっても実は根本中堂などの中心がある延暦寺バスセンター周辺、瑠璃堂などがある西塔地区、さらには横川中堂などがある横川地区に分かれており、これらは徒歩で行き来するにはかなりの苦労を要する距離があるので、バスがこれらをつないでいるわけである。一日乗り放題のチケットも販売されており、一日で800円。横川まで行くのならこの方が安くなる計算であるが、正直なところもう既にかなり身体がへたってきているので、横川までは行かない可能性が高いと考え、チケットの購入は見合わせる。

  ミュージアム裏側の比叡山頂バス停

 延暦寺バスセンターはまさに延暦寺の中心。バスはここまで数分で下ってくる。かなり高低差があり距離もある。ここで入場券を購入するのだが、とにかく大観光地というイメージ。高野山は信仰の場という空気があったが、延暦寺に関してはそのような空気は皆無で、完全に観光地に徹している雰囲気。まあ私にはこの方が抵抗はないが。

  

比叡山バスセンターと国宝館

 構内に入場するとまずは国宝殿に入館。ここには仏像・仏画・書跡などが展示されている。なかなかに造形として興味深い仏像も多い。国宝殿の次は大講堂に立ち寄る。かなり巨大な建物で内部には法然、親鸞、栄西などの肖像画が展示されており、日蓮のものまで含まれている。みんなここで修行したということらしい。 

左・中央 大講堂  右 この鐘は一撞き50円

 ここを参拝していると鐘の音がひっきりなしに聞こえてくるのだが、これは隣にある開運の鐘の音。この鐘は参拝者が撞くことができるのだが、これが一撞き50円。やはりとことん商売に徹している寺院である。思わず笑ってしまったが、ここまで商売に徹しているとむしろ清々しいぐらい。私もついでに一撞きしてきた。これで私も少しは運が開けるだろうか。なお鐘を大きく撞く時のポイントは、当然ながら撞木の扱い。やたらに力を入れて振り回す者がいるが、力よりもタイミングがポイント。最初に鐘の側にゆっくりと押し出して、その反動で大きく後ろに引いてから、その折り返しでゴーンである。無理に力を入れても空振りになるだけ。適度に力を抜くというのは、実は人生の極意の一つでもあるのである・・・などと強引な解釈。

左 根本中堂は一段下がったところにある  中央 とにかく大きい  右 文殊堂から見下ろした根本中堂

 ここから二段ほど下がったところにあるのが国宝の根本中堂。これかかなり巨大な建物で、延暦寺の総本堂である。さすがに総本堂だけあって神聖な雰囲気はいくらかあるが、それでもやはり基本は観光地施設であることは否定できない。高野山の奥の院なんかとは空気が違う。ちなみに信長の延暦寺攻めの際には、僧兵等がここに籠もって徹底抗戦した模様だが、結局はなで切りにされた上に建物も灰燼に帰している。

   

目眩のしそうな階段を登ったところに文殊堂が

 ここからは恐いぐらいの急な石段を登って文殊楼へ。ここの内部も見学できるとのことだが、中を覗いてみると現存天守を思わせるような急な階段に入ることを諦める。実のところ、先ほどの石段でもう足にはほとんど終わりかかっている。それにしても延暦寺は内部の起伏が激しく、そういう意味では城砦を思わせる造り。確かにこれで純粋な兵力である僧兵も擁していたわけであるから、信長としては無視できない武力集団だったのだろう。

左 またもや階段を登る  中央 正面には阿弥陀堂  右 これが東塔

 東塔及び阿弥陀堂まで登ると風景もやや開ける。しかしここへの登りが私の足腰には完全にトドメになってしまい、予想通り横川方面はおろか西塔まで行くのも不可能な状態になってしまった。そもそも私は神社仏閣マニアではないし、これ以上の見学は不可能かつ不要と判断し、下山のために坂本ケーブルの乗り場に向かうことにする。

坂本ケーブル乗り場へと急ぐ

 坂本ケーブルの乗り場までは意外と距離があり、しばし歩くことになる。道のりはやや長目だが高低差がないのが救い。それにしても見下ろすとかなりの急崖である。やはり比叡山は全山が要塞である。

   

ケーブル延暦寺駅とケーブルカー

 坂本ケーブルの山上乗り場(ケーブル延暦寺駅)に到着した時にはケーブル発車の数分前だった。湖都古都・おおつ1dayきっぷを持っているので、ケーブルの割引乗車券を発行して貰うと乗り場に急ぐ。車内は既にほぼ満員状態だったので、最前列の立ち席を陣取る。

 

 坂本ケーブルは全長2025mとのことだが、これは日本最長とのことである。高低差は484mとのことで、561mある叡山ケーブルよりは少ない。1.3kmの全長でこの高低差を登り切る叡山ケーブルに比べると、坂本ケーブルはかなり緩やかな印象であり、またケーブルカー自体も叡山ケーブルのものよりも一回り大きくてやや洒落たデザイン。叡山ケーブルの方は「ちょっと大きなエレベーター」という印象であったのに対し、坂本ケーブルの方は鉄道にイメージが近く、比叡山鉄道線という正式名称がしっくりくる。

左 前面の軌道と運転席  中央 途中の駅は通過した  右 前方に琵琶湖が見えてくる

左 琵琶湖の風景  中央 トンネルもあります  右 対向車とすれ違い

 坂本ケーブルは10分ちょっとをかけて比叡山の東斜面を下っていく。途中で谷を橋で越えたりなどやはり鉄道のイメージである。前方には琵琶湖が広がって風景的にも大パノラマでなかなか絵になる。

  

ケーブル坂本駅に到着

 ケーブル坂本駅はややレトロな駅舎という印象。ここからは路線バスで京阪坂本まで移動する。昨日に車で走ったが、坂本はとにかく寺院の多い町。ぶらりと散策するのに良さそうである。ただ私にはとてもそんな体力的余裕はなく、坂本駅に到着すると直ちに京阪で浜大津まで引き返すことに。浜大津で車を回収するとそのまま家路についたのである。

 

 湖南及び比叡を2日かけてゆっくりと回ったのが今回。これでこの地域の宿題もあらかた解消と言うところか。ただ木下美術館に関しては、かなり良質のコレクションを持っていそうでありながら、展示スペースの関係でほとんど展示されていないという印象。また展示替えがある頃に再訪したい気もするが、問題はどうしようもないアクセスの悪さ。鉄道+バスだと不便だし、車もこの地域ではあまり使いやすいとは言えない。そう考えるとやはり敷居が高いんだな、あの美術館は。

 

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