展覧会遠征 大阪編2

 

 さて先週は突然に高知まで突っ走ったのだが、これで体力も財力もしばし尽きた。と言うわけで今週は例によって遠征ならぬ近征である。

 


「ウフィツィ美術館自画像コレクション」国立国際美術館で2/20まで

 

 フィレンツェのメディチ家ゆかりの美術館であるウフィツィ美術館は、著名な画家の自画像コレクションでも知られているという。「自画像はその時代の芸術を写す」という考えで蒐集されたコレクションは展示するスペースがないほどの量になっているとか。その中から70点ほどを選んだのがこの展覧会とのこと。

 自画像と言えばお約束のレンブラント辺りから展示は始まるが、確かに自画像にその時代の芸術家のトレンドが反映しているのは感じられる。もっとも個人的に笑えたのは、かなり尖った作風の画家でも、なぜか自画像となると比較的無難に古典的技法を駆使した作品になっていることが多いこと。ズラリと自画像が並んだ時にあまり浮いても嫌だと感じるのか、それともさすがに自身の肖像となると、あまりに奇妙奇天烈な肖像が後々まで「○○の顔」として引用されたりするのが嫌なのか。

 企画としては面白くはあるのだが、個人的にはズラリと自画像ばかりが並ぶのは「画家の顔を見てもな・・・」という気がするのが本音。

 


 美術館を出ると近くの京阪渡辺橋駅から二駅先のなにわ橋まで乗車する。先頃開通したこの路線だが、どうも苦戦が続いているとか。確かに中之島で終わっている路線はあまりに中途半端な気がする。もっと野田なと西九条なとにつながればもう少しマシになる気はするのだが。

 

 なにわ橋駅は何やら開放的なスペース。ギャラリーと銘打った一角があり、そこで京阪絡みの鉄道展が行われていた。何やら叡山電鉄の昔の路線風景図のようなものが壁面に飾ってあったのだが、東の果てには富士山の先に東京が見えていて、西の果てには神戸の先が下関でついには朝鮮の表示まである壮大さにはズッコケタ。

 次の目的地はこの駅から地上に出るとすぐそこにある。入館すると意外なほどに多くがやって来ている。今日が初日ということもあるかもしれないが、かなりの人気である。

 


「ルーシー・リー展」東洋陶磁美術館で12/11まで

 ウィーンに生まれてロンドンで活躍した陶芸家の展覧会。ウィーンの豊かなユダヤ人家庭に生まれた彼女は、陶芸に魅せられてそれに一生を捧げる。最初は20世紀初頭の先進的芸術が華咲くウィーンで活動していた彼女だが、やがて戦争の足音が近づいてきて社会に不穏な空気が漂い出した頃にはロンドンに亡命する。その後も活動を続け、今やイギリスを代表する陶芸家と呼ばれているのだが、その彼女の生涯に渡る創作を追うことが出来る展覧会。

 ウィーン時代の作品については、いかにもヨーロッパスタイルの優美な作品というイメージが強い。この頃から色彩感覚にかなり鋭いものが感じられる。ロンドン時代には当時のイギリスの陶芸界で大きな影響力を持っていたバーナード・リーチに評価されなかったことから、かなり作風の模索を行ったようで、東洋の影響をもろに受けていたリーチの作品のようなやや重厚な作品が登場するが、彼女にしてはいささか野暮ったいような印象を受ける。その後、彼女は結局はその模索を突き抜けて、彼女本来の洗練された軽やかさを持つ作風を確立するようであるが、この時に当初に見られた色彩感覚の鋭さが発揮されている。

 展覧会の表題にも「都市に生きた陶芸家」と銘打っているのだが、彼女作品の一番の特徴はその都会的な洗練である。素朴さを押し売りしてくるような民藝派などとは対極にいるような部分があり、当初にリーチが彼女の作風を認めなかったというのも何となく理解できる。しかし彼女の作品を見ていた一人の観客が「これ使ってみたい」と呟いたことに見られるように、彼女の作品は「実際に使ってみたい」と感じさせるような美しさを持っている。美しいが押しつけがましさがない。これが一番の人気の理由であろう。

 


 これで今日の予定は終了だが、大阪に来たついでに「大阪城」でも行ってみようかと思い立つ。考えてみると大阪城には中学生ぐらいの頃に来て以来である。子供心にもエレベータ付きの鉄筋コンクリート天守にはゲッソリとして、それ以来訪問をしていなかったということがある。ただ先日に同じく以前にゲッソリとした名古屋城を訪問して、天守はともかくとして他に見るべきところはいくらでもあると感じたことから、大阪城も訪問しておく必要があるだろうと思った次第。

 

 美術館を出た後、エイヤとばかりに適当に方向に目星をつけて歩き出す。とにかく大きな建造物だから、南東方向に進めば通り過ぎるということはないだろうとの目論見。しかし思っていたよりも遙かに距離がある。今の大阪市街はほとんどかつての大阪城の城域だというが、確かにとんでもない規模であることを身体で痛感する。

 やがて谷町二丁目の表示が見えたところで、ようやく大阪城という表示が見える。そこでその方向に向かって歩くと、ようやく大手門が見えてくる。

 大阪城内図(天守での配付資料より)

 大手門のところからは外堀が見学できるのだが、とにかく幅は広いし深そうだしというとんでもない堀で、これだけの規模の堀は余所では見たことがない。これは家康が後世に嘘つきだの狸親父だのの汚名を残してまでも豊臣方を騙して堀を埋め立てさせたはずだと妙に納得。

とにかく堀の幅が広い

 大手門をくぐると巨石が鎮座している。この石を運べただけでも権力の誇示になりそうだが、これは瀬戸内海を海上ルートで輸送されたものだという。江戸幕府による再建の時に運ばれたもののようなので、幕府の権力の誇示か。

大手門をくぐるといきなり巨石がお出迎え

 その奥にあるのが多聞櫓。これは大阪城の数少ない現存建築だとのことで重要文化財となっているが、現在のものが建造されたのは1848年とのことなのでほぼ幕末。この門を抜けると二の丸になる。

左 多聞櫓  中央 千貫櫓  右 奥に見えるのが西の丸庭園の門

 左手には西の丸庭園があるが、庭園にはあまり興味がないので本丸の桜門を目指す。右手には豊国神社があり、その対面が本丸の桜門。この辺りの内堀は空堀になっているが、これもまた幅は広いし深い。ここを越えると正面に天守の天辺が見えるのだが、その下にこれまた超巨大な石。これが蛸石と呼ばれる城内一番の巨石だとか。

左 二の丸を進むと深い空堀  中央 南仕切門・太鼓櫓跡を抜ける  右 奥に見えるのが六番櫓

左 本丸桜門  中央 振り返ると豊国神社  右 桜門を抜けたところにある巨石・蛸石

 桜門を抜けるといよいよ天守が姿を現す。この天守は派手好みだった秀吉の居城らしく、鉄筋コンクリート造りでエレベータ付きという斬新なものだ・・・なんて与太話はともかくとして、今の天守は豊臣天守、徳川天守の次の三代目の昭和天守である。ただ戦後にバタバタと作られたお手軽鉄筋コンクリート天守と違い、これは戦前からあるものなので、鉄筋コンクリート天守の中でも文化財価値が出てきそうな代物(笑)。実際、豊臣天守も徳川天守も建造後間もなく戦火や火災で焼失しているので、この昭和天守が一番長く建っていた天守となるそうな。ただその外観は豊臣天守とも徳川天守とも違う折衷型なんちゃって天守なので、城郭マニアには至って評判が悪い。

 とりあえずは天守に入城。中は完全に博物館である。なおここにも名古屋城同様に後付のバリアフリー用のエレベータという悪趣味なものがついているが、歴史に基づいた再現建築ならともかく、単なる博物館ならバリアフリー用のエレベータも仕方ないか。なお一番の撮影ポジションで醜悪なエレベータが丸見えのマヌケな名古屋城と違い、大阪城の場合は一応は木などでエレベータを隠して撮ることもできるようになっている。

 入城するとエレベータで5階まであがり、そこから最上階の8階までは階段。昔は最上階まで一気にエレベータで上がったような記憶があるのだが、今は8階行きのエレベータは障害者限定になっている模様である。最上階からは大阪市街を一望できるが、この城がとてつもなく巨大なものであることも実感できる。

左 南方の風景  中央 東方には大阪城ホールが見える  右 北部は川で守られている

左 西方の水堀と空堀の境目  中央 西南方向には歴史博物館の建物も見える  右 内部に展示してあった鯱と虎

 下りは展示を見ながら階段で下りてくるパターン。途中には秀吉の生涯を説明するジオラマやら夏の陣図屏風を説明する映像などの凝った展示がある。これらをじっくりと見ていると予定していた以上に時間を食って、閉館10分前のホタルの光で慌てて天守閣を降りていくことになる。

 外に出るともう辺りは暗くなっていた。帰りは天守の北側に回って極楽橋経由ルート。この橋は現在工事中とのことで狭くなっている。元々は木橋がかかっていたようだが、恐らく本丸に立て籠もるという段になると(その場合は落城寸前だが)、引き上げることが可能な橋になっていたとか。場合によってはここから逃げ出すのだろう。その先の青屋門を抜けた先は本来は三の丸なんだろうが、今は大阪城ホールなどがある地域になっている。ホール回りには何やら人だかりがしているので何かのイベントがあるのかと思えば、どうやら矢沢のライブらしい。確かに見渡せばいかにもそれ系の連中が集まっている。どちらかと言えば平均年齢は高めで「昔はやんちゃもやってましたが、今は一応は社会人です」という雰囲気の連中が多い。その間を「チケットあるよ、チケットあるよ」と叫びながらうろついているダフ屋が。こんな絵に描いたようなダフ屋は初めて見たな・・・。

左 極楽橋の枡形  中央 極楽橋は現在工事中  右 青屋門

 それにしても大阪城の巨大さをつくづくと感じたのであった。ただ一回りした印象としては、鉄筋コンクリートのなんちゃって天守はともかくとして、城壁や櫓などの建物類をもっと復元しても良いのではないかという印象を受けた。熊本城などは鉄筋コンクリートのなんちゃって天守はとりあえず目をつぶって、周囲の建物類を着々と復元していっている。大阪城もそれをすればさらに立派になる気がするが、そういうところには金はかけたくないのか。多分橋本知事の趣味には合わないのだろう(何しろすべての政策を個人的趣味だけを根拠に決定する人物なので)。

 

 結局この日は大阪城公園駅から帰途についたのである。帰りの新快速が大混雑していたのだが、これは神戸のルミナリエがあるからだそうな。それにしても大阪市内を歩きすぎたせいでとにかく疲れた。帰宅してみると、この日一日で1万6千歩を越えていたのである。

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