展覧会遠征 郡上八幡編

 

 夏休みも終わったが、私の青春18切符はまだ2回分残っている。となればこの週末に一泊二日というのが通常に思いつくところである。ただ問題は目的地。青春18切符でとなると、一泊二日でも常識的な行動範囲は西は広島、東は名古屋ぐらいがほぼ限界。しかし名古屋、広島共にこの時期はめぼしい展覧会がない。困ったところで浮上した目的地が郡上八幡である。郡上八幡には郡上八幡城があるし、長良川鉄道もいつかは視察したいと思っていた。この際だからこの懸案を解決しておこうということである。とは言うものの、郡上八幡だけではいかにも中身が薄い。そこで周辺地域を検討したところ、浮上したのが岐阜と多治見である。岐阜には岐阜城があるが、以前に訪問した時は城郭に対してほとんど興味がない時で、ザッとしか見ていないということがある。そこで今回、改めて訪問してみようという気になった次第。また多治見については美濃太田−多治見間の太多線がJR東海エリア最後の未視察路線となっていたために、その視察ついでに訪問しようと考えた次第である。

 

 当日は例によっての早朝出発。米原まで新快速で移動する。夏休みは終わったというものの、青春18シーズン最後の週末ということでか乗客は非常に多い。親子連れはあまりいないが、ハイキングスタイルの年配客が多い。青春18切符が今では年配層の利用者が増えているということを反映しているようである。

 例によって米原での第四次スーパー席取り大戦・・・のはずだったが、不覚にも私は大失敗をおかしてしまう。何と列車内にトランクを置き忘れたまま車外に出てしまったのである。気が付いたのはエスカレーターを登っていた時、慌てて階段を駆け下りて列車からトランクを回収したが(幸いにして列車は切り離し作業中で数分の停車をしていた)、これが致命的な出遅れとなってしまい、特別快速での座席を確保することに失敗してしまう。どうも注意力が散漫になっているようで要注意である。今回の目的地は名古屋ではなくて岐阜なので、立っていくことが不可能な距離ではないが、かなり無駄な体力の消耗をしてしまう。

 

 ようやく岐阜に到着すると、トランクはロッカーに放り込んでバスで岐阜公園を目指す。昔来た時にはもっと駅から近かったような気がしていたが、いざバスに乗ると意外に遠い。もしかして間違ったバスに乗ったのではと不安になった頃にようやく目的地に到着する。

 それにしても岐阜は灼熱地獄である。「現在の気温35℃」という表示が早くも町中に出ており、熱中症に注意するようにとの呼びかけが放送されている。岐阜城は見上げる山の頂上にある。さすがにかなりの高地である。やはりこの山を登るだけの気力も体力も到底ないので登りはロープウェーを使用することにする。ロープウェーの駅に到着したところで、次の発車時刻まで余裕があるので隣の美術館に立ち寄っておく。

 


加藤栄三・東一記念美術館

 日本画家と言いつつ、最後には抽象に近いところまで行ってしまったのが彼らであるが、今回は鵜飼いの絵を特集している。テーマがハッキリしているだけに具象画の世界にとどまっているのでどちらかと言えば見やすい絵が多い。明快な色遣いがらしいといえばらしい。

 


 美術館を手早く一回りするとロープウェーの発車時間が近づいたので駅に戻る。ロープウェーはかなりの急角度で山の頂上まで一気に登る。ロープウェーの山上駅を出るとかなりゴツゴツとした岩山である。天守はここからしばらく登ったところ、以前に来た時にはそんなに遠い印象はなかったのだが、改めて歩いてみると意外と登りがキツイ。これは私が年を取って体力が落ちたということか。実際、以前に比べてかなり足が弱っていることを感じる。

 

 以前に来た時にも思ったが、この山上はかなりスペースが狭い。そう言う点で、「岐阜城」は堅固ではあるが手狭な城である。だから天下を狙う者の城としては良くても、天下を治める者の城ではない。信長が勢威が拡大するに伴って拠点をより低地の安土に移し、その後は岐阜を省みなかったことも納得はいく。また徳川の天下が定まった後は、この城は廃城になって、この地を治める城は平城の加納城に移されている。そういう点で、この城は徹頭徹尾戦国の城である。

とにかく登り坂が多い

 天守は明治になって一度建設されたが、これは戦時中に失火で焼失、現在のものは昭和31年に鉄筋コンクリートで再建されたもので、当然であるが「なんちゃって天守」である。一応形態は岐阜城の天守が移築されたとの噂のあった加納城の御三階櫓の図面などを参考にはしているとのこと。

 なかなか絵になる天守である

 天守はしばし歩いた高台の岩盤の上に建っている。なんちゃって天守ではあるが、なかなかに絵になる天守ではある。また立地的にこの周辺一帯から見えることになるので、心理的な効果は大きい。

思わず天下を統一したくなっちゃいそうな壮観

 内部はどこでも同じような展示物。ここの一番の売りは最上階からの展望である。ここからは濃尾平野をはるばると見渡すことが出来、今日は天気がよいのでナゴヤドームまで見えている。やはり信長が「天下布武」などとたわけたことを考えたのもこの眺望あってのことであろう。ここに立つと私でさえもそのような大きな考えが浮かぶ。「キルヒアイス、俺は銀河を手に入れたいんだ・・・。」

  信長像と資料館

 天守を見学した後は徒歩で下山することにする。やはりこの城の堅固さを実感するには歩くのが一番だろうという考え。さすがに登る体力はないが、降りるぐらいなら何とかなるだろう。さてルートの選定であるが、何種類かのルートがあるが、岐阜公園に降りようと考えたことから、直坂ルートである馬の背道を通ることにした。ルートの入口に来ると何やら注意書きがある。崖などの難所があるので健脚向きのコースであるから要注意とのことである。とは言うものの普通に観光案内に記載されているルート。まあ馬鹿をやって怪我をした者でも出た時のためのアリバイだろう(警告はキチンとしてましたよというやつ)と高を括ってこのコースを取ることにした・・・のだが、これがとんでもない間違いであったことはすぐに判明する。階段があったのはほんの最初だけ。これがほどなくただの「崖」になる。後はこの崖を木などに掴まりながら降りていく。とにかく足場を考えつつ慎重に降りていかないと、もし足を滑らせたりしたら洒落にならないというルートである。足に対する負担が半端でなく、すぐに体が悲鳴を上げるのが情けない。高校の時に行かされた六甲縦走ルートなんかよりもはるかに厳しい。足下が岩場でゴツゴツしているので足の裏が痛くなる。こんなところを歩くのなら、今履いているようなウォーキングシューズではなく、もっと本格的なハイキングシューズが必要である。鳥取城の天守ルートも大概とんでもないと感じたが、ここのルートに比べるとまだあちらの方がとりあえずは道になっている。

入口にある警告看板を抜けると、直に道はただの崖へと変貌していく

 しかし驚くのは私がこのように降りるだけで大変な状況なのに、ここを登ってくる人が結構多いこと。とにかくここは私のような城郭マニアが通る見学ルートではなく、歴とした登山ルートである。私も高校生ぐらいの頃ならヒーヒー言いながらでもなんとか登れたかもしれないが、あのころに比べると体重は30キロ以上増えている上に、体力年齢は多分40歳以上老化しているだろうし、しかも今は装備の重量が軽く10キロを超えているはず。とにかく体重が増えすぎたことが致命的に足の負担になっている。コース選択を誤ったことを感じたが、今更戻るわけにもいかないし、結局はヒーヒー言いながら下まで降りたのである。今まで私が下山で「キツイ」と感じたのはこれが初めてである。ようよう下まで降りてきた時には40分ぐらいを要していたし、ひざがガクガクになってしまっていた。

 麓では信長館を発掘調査中

 結果として下山に想定外の時間を費やしてしまった上に、下までたどり着いた時にはすぐには動けないような状態。とにかくロープウェーの駅でジュースや茶を飲み干して水分の補給及び体の冷却。しばしの休憩でようやく動けるようになったのである。これは確かに岐阜城は難攻不落であることを体感した次第。重たい甲冑をつけてこんな道を登ることなど私には想像できない。そもそもエッチラオッチラ登っていたら、上から石でも落とされたら一発で終わりである。

 休憩を終えて意を決して立ち上がると再び灼熱地獄の中へ。とにかく暑さが半端ではなく、これも消耗が異常に激しい理由。実はこの時、既に気温は37度を越えていたのだが、私がそれを知ったのは宿泊ホテルに到着してからである。

 バスで岐阜駅に到着すると何やら東海道線のダイヤが滅茶苦茶になっている模様。私は名古屋経由で多治見に行くことを考えていたのだが、急遽高山本線と太多線経由のルートに切り替えることにする。もう既に事前に組み立てていた予定は滅茶苦茶である。なおこの東海道線の混乱が、暑さのためのレールの膨張に伴う徐行運転が原因だったということを知ったのも、ホテルに到着してテレビニュースを見てからである。

   扇風機全開運転中

 ホームに上がると高山行きの二両編成のキハ48形が停車している。高山本線は非電化単線路線なのでディーゼル車である。この路線は以前に高山からの帰りに乗車しているが、鵜沼までは名鉄と並んで比較的民家の多い地域を通るが、そこから先は突然に長良川沿いの山の中になる変化の極端な路線である。なお名鉄と比較した場合、停車駅が少ないので速達性にアドバンテージがありそうに思えるのだが、単線であることに由来する通過待ちの多さがそのメリットを相殺してしまっており、名鉄に対して決定的なアドバンテージがない。

 車内はほぼ満席の状況であるが、とにかく暑い。冷房搭載車であるが扇風機もフル稼働している。しかしそれでも灼熱地獄を完全に解消するには至っていない。やがて列車は重々しく出発。美濃太田までの区間では各駅で乗り降り共にありつつ、徐々に乗客数が減っていくというイメージ。

 

 美濃太田に到着するとここから太多線に乗り換えである。太多線は美濃太田と多治見を結ぶ単線非電化路線であり、ここが実は私のJR東海エリアの最後の未視察路線である。列車はキハ11形の二両編成。この編成が往復運転されているようである。

  

 列車は高山本線と分かれると大きくカーブして南下していく。途中で山の中の風景になると木曽川を渡り、再び民家が見えると可児駅。ここは名鉄との乗換駅でもあり、多くの乗客が乗り込んでくる。ここからしばし南下するとまた風景はのどかなものとなっていく。姫駅周辺辺りはかなり山間の農村というイメージだが、そこからさらに南下すると徐々に市街化が進んできて、やや大きな集落に到着したと思えば終点の多治見である。

   多治見駅に到着

 これでようやくJR東海エリアも完乗である。先の長野方面遠征でJR西日本エリアを、今回の遠征でJR東海エリアを征服したわけであるが、この先にはあまりに広大すぎるJR東日本エリアがある。そろそろいい加減にしていないと泥沼が待っているような・・・。それにそもそも私は鉄道マニアではないはずだし。

 

 多治見は陶器を前面に打ち出した観光都市であるが、駅前はごく普通の中規模都市というイメージ。どうやら観光の拠点はやや離れた位置にあるようだ。なお当初の予定では、ここから岐阜県現代陶芸美術館まで行くつもりだったが、岐阜城で想定を遙かに超える時間を要してしまったこと、さらには陶芸美術館が極めて交通アクセスが劣悪であること(バスが1時間に1本)、噂にたがわず多治見の灼熱地獄が想像を超えていたこと(さすがに日本一暑い都市と言われるだけのことがある。ちなみに後日に確認したところ、この日は最高39℃まで上昇していたとか。)などから予定を放棄して、駅前のショッピングセンターに逃げ込んで間に合わせの昼食を食べる。

 謎のキャラクター「うながっぱ」

 なお駅前でオレンジ色のうなぎ犬のような怪しいキャラクターを目にしたのだが、これは多治見のマスコットキャラクターの「うながっぱ」とか。なんでうなぎとカッパなのだか・・・理解に苦しむキャラクターである。

 可児駅と新可児駅は隣接  新可児駅の二重改札

 昼食を終えると早々に多治見から逃げ出すことにする。多治見はいずれもっと涼しくなってから車で再訪することにするつもりである。とりあえず今回はこの暑さでは身体がもたない。再び太多線で引き返すことにする。とは言うものの、このまま美濃太田まで戻ったのでは芸がなさ過ぎる。この際だから名鉄の視察をしておこうと考える。可児駅で下車すると、向かいの新可児駅へ。この際だから名鉄の広見線を視察しておいてやろうという考えである。広見線は犬山から御嵩を結ぶ路線であるが、運行上は新可児で完全に分離している。御嵩行きの発車時間を見るが、ちょうど出た直後。どうやら御嵩線のダイヤは、御嵩方面からJRに乗り換えることは想定しているが、その逆は全く想定していないようである。結局は次の列車までまる30分待つことになる。

 新可児−御嵩間はワンマン運転になっている関係で、新可児での改札は二重改札になっている。その奥のホームで待っていると、犬山方面行きと御嵩行きの列車が同時に入ってくる。御嵩行きは二両編成の車両だが、いかにもローカル線ムードが漂っている。どうやらこの一編成がピストン運転しているようである。なおここで乗車したのは私を含めて3人。

 犬山方面行きの列車と分かれると、ひたすら田園風景の中を進むことになる。次の明智駅はここからさらに山側に行ったところに明智城があることで知られている。実はここは明知鉄道の明智駅と共に、明智光秀の出生の城と言われている。果たしてどっちが本当にそうなのかは未だに決着がついていない。

   終点の御嵩駅

 明智を抜けてさらに田園地帯を奥に進むと終点が御嵩である。御嵩は特に何があるというわけではない集落。こんなところに用はないのですぐに折り返す。復路は往路よりも乗客が多くて十数人が乗車。しかし明らかにのどかなローカル線という風情で利用者もあまり多くはなさそう。果たして将来まで存続が可能かは微妙なところである。

 新可児に到着すると改札を通って犬山方面行きの列車に乗り換える。新可児からしばしは可児市の市街を走行するが、途中からかなり山の中という雰囲気の沿線となる。再び民家が見えだすのは犬山の手前から。ただ先ほどの区間に比べると乗客はそれなりの人数はいる。

新鵜沼から地下道と陸橋を経由してJR鵜沼へ 窓からは犬山城が見える

 犬山で乗り換えるとここから新鵜沼まで移動、ここでJRに乗り換えて美濃太田に到着する。これで本日の予定は終了。とりあえず宿泊ホテルにチェックインするだけである。今日のホテルはルートイン美濃加茂。美濃太田周辺は今一つピンとくるホテルがなかったのだが、このホテルが最近にオープンしたのも郡上八幡遠征が浮上した一つの理由。言うまでもなく、大浴場付きのホテルである。

 美濃太田に到着

 ホテルに荷物を置くと夕食のために街に出て行くが、とにかく美濃太田周辺はこれと言う店が全くない。それどころかコンビニもない。結局は適当にラーメンを食べてこの日の夕食は終わりとなったのである。どうも昼・夕共に間に合わせになってしまった。

 この日は大浴場で限界まで来ている足をほぐすと、とにかく異常に消耗していることから早めに就寝したのであった。

  

☆☆☆☆☆

 

 翌朝は6時前に起床。恐れていたとおり両太ももがパンパンに張っていて激痛がする。とりあえず風呂に入って足をほぐしておくがほとんど気休め。朝食を済ませると足を引きずりながらチェックアウト。

 

 今日はいよいよ長良川鉄道で郡上八幡を目指す。長良川鉄道はそもそもJRの越美南線を第三セクター化したものである。この越美とは越前と美濃。つまりは福井と岐阜を接続する路線として建設されたものである。しかし開通する前に国鉄再建の絡みで建設が中断。しかも越美北線の方は辛うじてJR西日本に残っているが、越美南線の方は国鉄分割民営化の際に切り捨てられて廃線の危機に瀕し、第三セクター化で辛うじて生き残ったという状況である。その第三セクターの会社が長良川鉄道という次第。長良川鉄道は単線の非電化路線だが、JR東海は非電化路線が嫌いで切り捨てたんだろうかという気もしたりする。

 

 元々国鉄の路線であるからホームはJRの駅と隣接している。トランクは美濃太田駅のロッカーに放り込んでおいてから、とりあえず一日フリー乗車券を購入して・・・と思ったら券買所に誰もいない。どうやら車内で購入しろという話。駅では結構な人数が列車を待っているが、郡上八幡まで往復するならフリー切符の方がお得などという話が見知らぬ間で飛び交っている。郡上八幡が目的の観光客が結構多い様子。

 

 しばらくすると一両編成のディーゼル車が到着する。典型的なJRローカル線型車両だ。内部はボックス型セミクロスシートでよく見かけるタイプ。形式はナガラ○○という形式になっているようだが、基本的にはJRローカル線や他地方の三セクと共通するタイプの車両と思われる。なお長良川鉄道の車両にはトイレが付いていないため、途中でトイレのある駅(関、郡上八幡など)で数分のトイレ休憩がある。

 

 美濃太田を出てしばらくは比較的沿線人口の多いところを通る。この区間で高校生が大量に乗車してきてしばし車内は満員になる。線路がほぼ90度曲がって北に向かうようになるとまもなく関。どうやらここがこの路線の中心駅のようで、車庫もあって多数の列車が留置されている。また乗車も多い。ここでしばし停車の間に駅員が一日乗車券の車内販売を行うので私もこれを購入。さらに進んで美濃市を通過し、次の梅山で高校生が大量に降車して車内は一気に乗客が減る。駅を見るとすぐ裏に高校が隣接しており、どうやらここの生徒が大量に乗車していた模様。どうもこの鉄道の経営を支えているのは、ここの学生と郡上八幡に向かう観光客の模様。ただ前者は最近の人口減少で学生も減っているだろうし、後者は東海北陸自動車道の開通でかなり高速バスに食われているようなので、この路線もかなり苦しいだろう。

 沿線の風景は梅山を過ぎた頃から一変する。車窓から長良川が見えるようになり、一気にローカル線モード。常に川が見える車窓は変化があって風光明媚で楽しめる。ただ線路が川沿いのために線形が悪くどう考えてもスピードが出そうにない。これではもし福井まで全線開通していても、高速対応している北陸本線とは勝負にならなかったろう。

 

 沿線の駅ではたまにカメラを構えた鉄道ファンと思われる者を見かける。列車に乗る様子がないことを見ると、車で来ているのだろうか。そう言えば「撮り鉄は車を使って鉄道に乗らないから、鉄道の運行を邪魔するだけで鉄道会社の利益にならない」「乗り鉄は座席を独占したりキモイ奴が多い」と撮り鉄と乗り鉄でケンカになっているサイトがあったっけ。不毛な争いである。そもそもどちらもマナーの悪い奴はほんの一握りなのだが、互いにそれを全体のように拡大してケンカしているのだから意味がない。それに非鉄の連中からは、このようなごく一部の輩を鉄道マニア全体に拡大して「キモイ、迷惑」と括られているのだから、内部で争っている場合でもなかろうに。

 

 なお鉄道マニアではない私の場合、マニアが集まるような修羅場に行っていないせいか、顔をしかめるようなマナーのひどい撮り鉄というのは見たことがない。旅行のついでに写真を撮っているような平和な輩が大抵である。普通と違うのは列車に乗っている間中、時刻表を読んでいるようなことぐらいか。

 

   夏の最中の長良川 上り下りで鉄ちゃんが

   列車来るたび写真撮る 眺めを何に喩うべき

 

 長良川の風景を眺めながらぼんやりしていると、みなみ子宝温泉駅に到着する。ここは駅舎に隣接して温泉施設があるというか、駅舎そのものが温泉施設として有名なところ。ただまだ営業が始まっていない模様。興味はあるのだが、残念ながら立ち寄る余裕はなさそうだ。

  みなみ子宝温泉駅

 みなみ子宝温泉を過ぎるとさらに山間を列車は進む。それにしても線形がやたらにうねっていることもさることながら、路盤も良くないのか列車がよく揺れる。正直少々気分が悪くなりかけた頃にようやく郡上八幡に到着。ここで乗客のほとんどが下車する。

沿線はかなり風光明媚

ようやく到着した郡上八幡駅はなかなか風情のあるところ

 郡上八幡からは市街循環バスのまめバスで中心部まで移動する。郡上八幡は車で行きにくいところと聞いているが、確かに道が狭い。それにも関わらず大型観光バスなどもやってくるから、かなり大変である。ちなみにまめバスはマイクロバスなのでかなり狭い道路も入っていく。十数分で市街中心の城下町センターに到着する。

  まめバス

 さてここからは目的の「郡上八幡城」までは徒歩で斜面を登ることになる。完全に観光整備されている城郭なので道は険しくはないが、標高は結構高いところにある。体調が万全なら何と言うことはないのだが、現在は足がかなり痛い状態で、とにかく階段が足に非常にこたえる。

  現地案内図

 城下町センターから石段を登ると、旧二の丸跡という神社にでる。ここも鳥取城などと同じく、麓の二の丸+山上の本丸という構成の城郭のようである。山上への登城口はこの奥にある。

左・中央 二の丸跡はこの上  右 二の丸跡にある神社

左 神社の奥にある公園  中央 ここには山内一豊夫妻の像がある  右 その奥が登城口

 登城口には山内一豊とその妻・千代の像が建っている。功名が辻であるから、ここは数年前の大河をまだ引きずっているんだろうか。まあ千代の像が仲間由紀恵に似ているということはなかったが(笑)。

 ここから山上の天守まで車で5分、徒歩で12分との表示がある。やけに徒歩と車の時間差が少ない気がする。なお道がかなり狭いらしく「狭い道の運転に慣れていない方山上駐車場側のルートを通ってください」の表示が。

 

 登城路を登り始めると、先ほどの表示の意味が分かる。確かに道が狭い。車の通行が困難というほど狭いわけではないが、とにかく急斜面をうねうねと七曲がりで登っていくので、小回りの利かない大型車をド下手ドライバーが運転していけば、対向車がきたら進退窮まる可能性がある。また歩行者はこの七曲がりの舗装路をショートカットしていく山道もある。これが車と徒歩の時間差がやけに少なかった理由。ただ今の私の足の状態では、このルートの存在は大してありがたくない。

登城道をウネウネと登っていくと、ようやく本丸の石垣が見えてくる

 足の激痛に耐えながら、ヒーヒー言いつつ急斜面をしばし登っていくと、ようやく石垣やら白壁が見えてくる。天守はもうすぐなのだが、その前には石段が。通常の状態なら特に問題はないのだが、今の私には階段が一番の天敵。これを登る前にしばしの休息をとる。

 やっとここまで来た 

 膝が抜けそうになる足をなだめつつ、その石段をようやく登りきるとやっと天守に到着する。郡上八万城の天守は後に復元されたなんちゃって天守であるが、珍しい木造復元天守である。それだけにさすがに風格がある。特に木造復元と鉄筋コンクリート復元では、築年数が経ってからの趣がまるで違う。木造の場合は年月を経た風格が出るのに対し、鉄筋コンクリートの場合はただ単に古びて汚くなるだけである。これが天守は木造でないとと言う最大の理由でもある。

     

天守の内部は木造で、かなり風格がある

 天守はかなりの高台にあるので、周辺の地形を一望することが出来る。この地は今では単なる山の中の田舎に思われるだろうが、中世においては内陸水運の中心であった長良川を押さえる要地であったはずである。この地にこのような堅固な城郭があることは理にかなっている。

 なおこの郡上八幡城は100名城候補に挙がっていたが、最終的には落選したのだとか。多分、往時の遺構があまり残っていないことがマイナス要因となったのであろう。しかし確かに100名城に準ずる価値のある城郭であり、私の続100名城には余裕で当選である。

 

 天守の見学を終えると再びヒーヒー言いながら城下まで降りてくる。昼食を摂りたいところであるが、その前にこの体の火照りをなんとかしたい。とりあえずかき氷とご当地サイダーでクールダウンを行う。郡上八幡の名水を使用したと謳っているご当地サイダーは、サイダーと言うよりはラムネと言った方が良いようなやさしい味わいである。

    まずはクールダウン

 ようやく体をクールダウンしたところで、昼食を摂ることにする。事前に調査をしていた店があったのだが、なんと行列が出来ている。馬鹿らしくなったので別の店に行くことにする。訪れたのは「新橋亭」。注文したのは天然鮎を使用しているという「鮎定食(3700円)」。昼食としては完全に予算オーバーであるが、昨日の昼・夜が完全に間に合わせのものしか食べていなかったのでやけくそである。

   

 メニューは鮎の塩焼きにフライ、味噌焼き(?)に小鉢など。天然鮎というだけあって顔つきから精悍である。まずは塩焼きを頭から。正直、私は味覚はあまり敏感な方ではないし、鮎の善し悪しを云々出来るほど経験を積んでいない。印象としては養殖物よりは身のしまりが良くて、よけいな脂っ気がないかなというところ。意外とあっさりした印象。フライについては、鮎の風味を活かすという意味ではどうかなと若干疑問のある調理法。味噌焼きに関してついている味噌が絶妙で、これが鮎の風味ともマッチしており美味であった。

 

 窓の外を眺めると新橋が見えるが、その上から茶髪の兄ちゃんが次々と川に飛び込んでいる。外は灼熱地獄だし、水の綺麗なところだし、度胸試し兼暑気払いというところか。観光客の視線が集中するので、若者にとっては格好のアピールの場でもある。

 正直、のどかな良いところだなという思いがする。何か我々がどこかに忘れてきたものがここにはあるような気がする。私が映画監督なら、ここを舞台に映画を一本撮ってみたいところである。ネタとしては懐かしさと一抹のほろ苦さのある青春ムービーあたりか。 

  郡上八幡の街並み

 郡上八幡は車では動きにくいところと聞いていたが、確かに路が狭いせいで車があちこちでつかえている。こういうところに限って、下手くそなドライバーが大型車に乗ってやってくるので渋滞が起こる。しかし間違っても川を埋め立てて道路を通すなどと鞆の浦のような馬鹿なことだけは言い出さないで欲しいところである。

 まだまだ名残惜しいが、今後の予定を考えるともうタイムアップである。郡上八幡の近くには鍾乳洞もあるとのことだし、いずれは再訪することもあるだろう。どうも津和野や郡上八幡のような町並みは私の吟線に触れるようである。後ろ髪を引かれつつもまめバスで駅に戻ることにする。途中で見た道路の混雑に「もしバスが大幅に遅れたらどうしよう」と不安になるが、バスは時刻通りに城下町センターに到着する。ここから駅まで、バスは風情のある市街を巡回しつつ10分ほどで駅に到着する。

 

 さてこれからの予定であるが、長良川鉄道の一日乗車券を購入していることもあるし、終点の北濃まで視察してやろうというものである。北濃行きのホームに向かうが、そもそもこちらのホームに来る客が少ない。なおこちらのホームへは跨線橋があるのだが、地元民と思われる女子高生たちは「線路に入らないでください」の表示を普通に無視して線路を横断してホームに移動している。田舎ならではの風景ではある。

 

 やがて南から単両編成の車両が到着。同時に北からも車両がやってきて、この駅で行き違いである。列車が到着すると共に大半の乗客が降車して車内はガランとする。やはりこの路線は学生と郡上八幡の観光客が利用者のほとんどの模様。彼らと入れ違いに乗車した私は、そのまま北を目指す。

 列車は郡上八幡を出ると長良川を右に左に見ながら北上。この辺りは河川も風光明媚である。沿線の住宅は少なく、最後の集落が美濃白鳥。ここからはかつて越美北線の終点の九頭竜湖駅とを結ぶバスが出ていたそうだが、あまりの乗客の少なさにかなり前に廃止されてしまったという。山のかなり高いところを道路が通っているがこれが東海北陸自動車道。これを通ると白川郷に行くことが出来る。

    美濃白鳥からは高速道路が見える

 美濃白鳥で数人が下車して、ここから先の乗客は7人程度になってしまう。終点手前の白山長滝で親子連れが下車して、終点にたどり着いたのは5人。しかし終点に到着するなり、全員がカメラを構えてあちこちで写真を撮り始める。どうやらここまでやって来たのは鉄道マニアばかりだったようだ。しかも一人はかなり人生のベテランである鉄子さん。土産物などぶら下げて、いかにも普通の観光客というなりの私は浮くこと甚だしい。

北濃駅は最果ての駅というイメージ

左 北濃駅駅舎  中央・右 手動式の転車台

 北濃駅の先を見ると途中分断された無念を伝えるかのように線路が鬱蒼とした藪の中に消え入っている。さび付いた切り替え器が悲しげである。駅舎にはかつてはラーメン屋が開業していたというが、それも大分昔に閉鎖されて今では廃墟となっている。駅前にはバス停があるが、ここを見ると路線廃止の案内が貼り出されている。かつてはここからバスに乗り換えて白川郷・高山方面を目指す乗客もいたようだが、東海北陸自動車道の開通で高速バスが岐阜や名古屋から直接運行される現状では、このバス停の重要性も著しく低下しているのだろうと思われる。何やらわびさびの情緒の漂う悲しげな駅である。

  バス路線廃止のお知らせ

 なおここには転車台が据えられており、これは手動式で最古級のものであるという。かつてはこれがSLの方向転換に使用されていたとのこと。今では文化遺産級である。しかし残念ながら、この文化遺産も鉄道マニアの心には訴えるものがあっても、一般客を引き寄せるものではない。

  ただ朽ち果てるのみか・・・

 しばし北濃駅周辺を見学してから折り返すべく列車に戻る。結局は先ほどのメンバーがそのまま全員乗車して折り返すこととなる。

 

 帰りはまたも右に左に長良川を見ながらの道程だが、郡上八幡からは大量の観光客が乗り込んできて車内が一気に混雑する。さらにみなみ子宝温泉駅からも大量の観光客が乗り込んできて車内は一気に満員状態。そして梅山駅では今度は高校生が大量乗車してくる。これらの乗客のかなりの部分が下車するのが関駅。後は終点までの各駅で高校生がパラパラと降りて行き、終着の美濃太田に到着した時には3割程度にまで乗客が減少していた。

 美濃太田駅でトランクを回収すると長い帰途につくことと相成ったのである。正直なところ長良川鉄道は風光明媚でかなり良い路線であるし(路盤の悪さのせいで揺れて気持ちが悪くなりかけたのは難点だが)、郡上八幡はかなり魅力的な町であった。ただやはり青春18切符でここまで来るのは、今の私には少々キツイというのが本音。もう名古屋や広島まで普通列車で往復するような体力は年齢を考えると残っていないか。

 

 なお岐阜城馬の背ルートで完全に破壊されてしまった足は、予想通りこの後にかなり悲惨なことになってしまった。帰宅した翌朝は下半身の異様な重さと共に目覚め、いきなり両足が全く思い通りに動かないことに気づかされることになってしまったのである。私の仕事はデスクワークであるので仕事には差し障りはないが、通勤にかなり不自由する羽目になってしまったのであった。やはり体力強化が喫緊の課題であるということが改めて明らかとなったのである(というか、体重を減らすことも大きな課題だが)。

 

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