展覧会遠征 長野・甲府編
夏休みもたけなわであるが、お盆期間も仕事に励んでいた私は、そろそろ夏休みを取ることにしたいと考えた。さてそうなると問題となるのは遠征先であるのだが、目的地はまず東京であるのは既に決定していた。とは言うものの、ただ単に東京に行くだけでは芸がない。そうなった時に私の脳裏をよぎったのは長野である。元より長野は私の好きな地域の一つであるが、さらに長野周辺には大糸線と上越線の糸魚川−直江津間がJR西日本最後の未視察路線として残っている。さらには中央本線上諏訪−甲府間もやはり未視察路線である。これで本遠征の骨格はほぼ固まったと言える。
さて交通機関だが、体力も暇も余裕があるとは言えない現状では、無難に新幹線とワイドビューしなのを乗り継ぐことにした。確かに金銭的な余裕も皆無なのであるが、さすがに長野まで普通列車で丸一日かけているというわけにもいかないという苦渋の決断ではある。
当日は毎度のごとくの早朝出発である。ただ最近は仕事がキツいせいか、朝起きるのが非常につらい。眠い目をこすりつつ新幹線に飛び乗る。寝過ごさないように用心しつつ名古屋までウトウトすると、名古屋でワイドビューしなのに乗り換える。ワイドビューしなのと言えば、かつてのシルバーウィークでの悪夢を思い出されるが、あれを教訓にした私は、無難に指定席を押さえている。指定席乗車率はざっと6割というところで、平日にしてはやはり結構混雑している。
関西はカンカン照りだったのだが、空模様は関ヶ原で急転、名古屋は一面黒雲で覆われており、日本一の灼熱都市として名を馳せている多治見に到着する頃には雨が降り始める。山間を突っ走る振り子特急しなのの乗り心地は相変わらずで、伊達にゲロゲロ特急などとは呼ばれていない。寝不足気味の身には少々過酷。もっとも伯備線特急やくも(別名・吐く備線特急吐くも)ほどではないが。
善光寺平の風景
列車は山間を快調に疾走、中津川を過ぎて車窓風景が進行方向左側のワンサイドの様相を呈し始める頃には天候も晴天に変わる。しばらく山間部を走った後にようやく塩尻に到着。次の松本までは数分、松本で車内はガラガラになる。松本を出ると列車は山岳部を登っていく。やがて三大車窓の一つとも言われる姨捨周辺から見下ろす善光寺平の壮観が目の前に広がってくると、後は車両は急激な下り坂を下りていき、その先が長野である。
長野に到着
久しぶりの長野は灼熱地獄だった。4年前に初めて長野を訪れた時は、この灼熱地獄のせいで熱中症になりかけた記憶がある。とにかく長野は内陸で夏が厳しい地なので、給水には気をつけておく必要がある。トランクをロッカーに放り込んでから、直ちにお茶を補給しておく。
まず最初の目的地は長野の美術館。ここはもう私にとっては行きつけのようなものである。
「心のふるさとを描く 原田泰治の世界」長野県信濃美術館で8/22まで精緻でありながら大胆で図案的。独特の絵画で日本の原風景を描いてきた原田泰治の作品を展示した展覧会。日本及び世界の各地を描いたいかにも彼らしい絵画から、彼が作成した絵本の原画も展示してある。
とにかく懐かしいという言葉が浮かぶのが彼の作品。彼の風景シリーズは、私も現地を知っている場所がいくつかあったので、現地の風景を思い出しつつ眺めていると、彼が風景のどこに興味を惹かれているかが分かって興味深かった。なお海外を描いている作品も数点あるのだが、彼の手にかかるとなぜかブラジルの風景が日本の風景のように見えてしまうから不思議でもある。
どことなくノスタルジックな彼の作品は、果たしてこのような日本の風景が記憶にないような若い層にはどう映るだろうか。その辺りが少々私としては気になったりするのであるが。
予定では長野で昼食を摂るつもりだったのだが、美術展で結構見入ってしまったせいか当初の予定よりもスケジュールが遅れてしまっており、まともに昼食を摂る間もなくお焼きを一つかじっただけで次の目的地へと急ぐことになる。次の目的地は戸倉。温泉地として有名であるが、私の目的は温泉ではなく「荒砥城」。荒砥城は村上氏の配下であった山田氏の居城だったが、武田、上杉といった強豪の勢力が交差する要衝という位置から、諸勢力の間を転々とした結果、最後には廃城になったという。今日では史跡公園として整備され、中世の山城の雰囲気を伝える施設となっており、ドラマ「風林火山」のロケが行われたという。
戸倉駅
しなの鉄道で戸倉駅まで移動するとそこからタクシーで現地に向かう。地図で見た時は「時間に余裕があれば歩けるかも」と考えていたのだが、いざ現地に到着してみると思っていたよりも距離があるし、何よりも現地はかなりの高台で、急坂をタクシーがエンジン音も高く登っていく。とてもではないが私の体力では歩くなんてことを考えるだけ無謀。結局はタクシー代は1710円。かなり高くついた。これは最初から車で来るべき場所だと計画の甘さを痛感する。
荒砥城入口
現地配付資料より 入場料を払って内部に入ると、薄い石を積み上げた特徴的な石垣が目に飛び込んでくるが、これはどう見ても最近に整備されたもので遺構とは考えられない。さらに本丸周辺には木の柵が建てられ、門や小屋、さらには見張り台なども整備されているものの、どうにも手が入りすぎで映画のオープンセットのような印象。時代考証に基づいて中世の山城を再現したのだろうとは思うのだが、綺麗すぎるように感じられる。遺構の大まかな構成を踏まえているだろうが、細部についてはかなり加工していると考えた方が良さそうである。「風林火山」撮影のために組まれたセットですと言われるとそのまま納得してしまいそうである。
左 二之郭の門 中央 門を入ると見張り櫓 右 兵舎 左 兵舎の奥に本郭への通路 中央 本郭の門 右 本郭内の兵舎と館 帰りのルートで道から外れたところに古びた石垣を見つけたが、これが当時の遺構かどうかも何の説明もないので判断のしがたいところ。とにかく「どこまでが本物なのか」がさっぱり判断がつかないので、何となく全体が嘘っぽく見えてしまうのはマイナス。立地的には川を見下ろす要衝だが、背後にはここよりも高い山があって尾根続きになっているから、その尾根筋には何らかの防御施設があるべきだが、それも見あたらないし・・・。なお私がこの地域を治めるなら、ここから北東方向に見えるやや低めの独立峰に居城を築くところである(こちらには背後を守るための砦を築いておく)。
左 櫓より南方の風景 中央 同じく東方の風景 右 帰りに見つけた謎の石垣 荒砥城の見学を終えた後は、タクシーを呼び出して戸倉駅まで帰還、そこから上田を目指す。やはり山城見学で汗をかいたら温泉に行きたいというのがお約束。近くに戸倉温泉もあるのだが、ここではあえて別所温泉を目指すことにする。と言うのも、かつて上田電鉄の視察のために別所温泉を訪れた際、時間がなかったために駅近くのスーパー銭湯並みの施設で烏の行水をしただけだったのに、その泉質のすごさに衝撃を受けたことがあったからである。塩素入り循環で温泉マニアからボロクソに言われているこの施設でさえこれなのだから、評判の高い外湯はいかほどのものだろう。これは絶対に再訪しなければと常に頭の片隅に残っていた。今、ようやくリベンジと相成ったわけである。
久しぶりに訪れた上田はまだ「サマーウォーズ」一色だった。米沢の「天地人」といい、どうもこういうご当地ものは引っ張れるだけ引っ張るというのがお約束らしい。上田は以前にも訪れているので勝手が分かっている。上田電鉄の乗り場に行くと、外湯入浴券と別所温泉への往復切符がセットになったセット券を購入する。
上田駅前はまだこれ
列車の発車時間までやや余裕があるので昼食を摂ろうと考えたが、どうも適当な店が見あたらない。そこで駅内のそば屋で間に合わせの食事を摂る。冷凍そばを湯がいて出しているような店なので何の期待もしていなかったのだが、出てきたそばは太さが不揃いで腰もある予想外にまともなそばで驚く。さすがに信州はそば処。こんな店でさえあまり下手なそばを出すわけにはいかないのだろう。
やがて列車の発車時間が近づいたのでホームの方に入る。到着したのは二両編成の昆虫列車である。この列車に揺られて眺める上田電鉄沿線は相変わらずののどかさである。信州のこういう風景は心が和む。終点の別所温泉までまったりと移動すると、まずは外湯の一つである大湯を目指す。
のどかな沿線を走り抜けて終点の別所温泉駅に到着する 大湯は別所温泉の中心部からややはずれた位置にある。建物は意外と立派、内部は銭湯のような構造でロッカーでなくて脱衣かごである。荷物をどうしたものかと思ったが、私の他には入浴客は一人しかおらず、しかも脱衣所は浴室から丸見えなので、盗難に遭う心配もないだろうと判断、そのまま入浴する。
大湯
浴場は内風呂と小さな外風呂が一つ、浴槽には温泉がダバダバと惜しげもなく注がれている。浴室に入った途端にむせかえるような硫黄の匂いに驚く。これがそこらのスーパー銭湯なら、ここで塩素の臭いに襲われるところなのだが、当然のように塩素の臭いは微塵もしない。浴槽に浸かってみるとさらにその湯の質に驚くことになる。肌あたりが非常に柔らかい。浴槽の温度が結構高いにもかかわらず、肌を刺すような刺激が全くない。湯に優しく包み込まれるような感触である。確かにこれは並大抵の湯ではない。
大湯を堪能するとしばし別所温泉内を散策。平日のせいか観光客の姿はあまりないが、それにしてもひなびたという言葉が一番しっくり来る温泉である。別所温泉では「信州の鎌倉」と銘打ってアピールしているようだが、鎌倉のようなミーハーな雰囲気は全くなく、正直なところこっちの方が本家よりも雰囲気がよいと思うのだが・・・まあ活気がないと言えなくもないが。
大師湯 石湯 別所温泉の中心地区までフラフラと歩いていくと、後二つの外湯の大師湯と石湯が並んでいる。上田で購入したセット券は、外湯入浴券がもう一枚付属しているので、石湯と大師湯を見比べて、よりマイナーそうな大師湯の方に入浴する。
大師湯内部 非常にシンプル
大師湯は大湯以上に銭湯っぽく、いかにも共同浴場というイメージ。入浴客は私一人である。浴槽は小さい内湯が一つあるだけ。しかしやはり泉質はすごい。ここも大湯と同じ硫黄泉であり、泉質的にはほとんど同じなのだが、こちらの方が若干マイルドな気がした。
外湯のはしごをしたわけだが、驚くのはもうこれだけであからさまに肌がスベスベとしていること。前回に別所温泉を訪れた時にも、その効果の一端は感じたのであるが、今回は正真正銘の本物の湯だけに、効果の方も桁違い。そもそも私は烏の行水タイプで、今回でも実のところ実質入浴時間は一カ所あたりせいぜい2〜3分というところである。それでもあからさまに効果を感じられるぐらいに肌に変化が現れている。別所温泉恐るべき。その実力のほどは底が知れない。
温泉を堪能すると上田電鉄としなの鉄道を乗り継いで長野に帰還する。しなの鉄道の乗客はかなり多く、なぜJR東日本がこの路線を切り捨てたのかは私には解せない。どうもJR東日本は、収益の高い新幹線の経営だけをやりたがっているように見える。同様の傾向はJR西日本にも見られており、民営化の悪しき側面(利益のみを追求して、公共性は無視される)が現れてきているように思われる。
一日走り回った疲れからウトウトしている内に長野に到着する。今日は長野で宿泊する予定。宿泊先は以前にも利用したことがある「長野リンデンプラザホテル」である。
ホテルにチェックインすると荷物を置いて夕食に繰り出す。とは言うものの当てはなし。駅前まで出ていくのもしんどいので、結局はホテル近くの「鮪神楽」で夕食を摂る。
注文したのは「マグロの漬けにぎり」と「宮崎地鶏のすき焼き」。長野でマグロと宮崎地鶏というのも疑問だが、あまり贅沢は言わないことにする。
漬けにぎりはやや辛めの味付け。バランスとしては悪くない。すき焼きの方は鶏肉がやや硬めなのがいかにも地鶏。味は非常に濃くて強いのですき焼きに合う。すき焼きを食べた後はうどんを鍋に加えて頂いたが、これが実に美味。
長野という土地柄か、全体的に味付けが濃いめに感じられたが(メニューのせいもあるだろう)、嫌味に感じるレベルではなくまずまず。約3000円だった支払いもそんなものというところで妥当。特に大きな不満のある店ではなかった。
ホテルに戻ると軽く入浴、原稿の執筆などをしつつ疲れてきたところで床につく。
☆☆☆☆☆
翌朝はホテルで朝食。ここのホテルの朝食は質量ともに十二分であり、これが私がこのホテルを選択する理由。ホテルで朝食を終えるとチェックアウト。長野駅を目指す。今日の予定は長野周辺大巡回ルート。この際にこの辺りの路線の視察を終えておくつもりである。
出典 JR東日本HP さて本日登場するのはこの時期の定番・青春18切符。まずは長野から妙高で信越本線を経由して直江津へ。この列車は特急型車両を使用して名前までついているが、中身は普通列車と言うことで青春18切符を使用できる。6両編成で自由席は2〜6号車。私は2号車に乗車したのだが、これは失敗。と言うのは、なぜか1号車が指定席であることを知らずにここに乗り込む素人が多く、これらが乗車後に一斉に2号車に流れ込んできたため、無意味に混雑する羽目になってしまったのである。多分最初から6号車を陣取っていたらガラガラだっただろう。
妙高内部
信越本線は元々は高崎から長野経由で新潟を結ぶ長大路線だったが、長野新幹線の開業に伴って横川−軽井沢間が廃線、軽井沢−篠ノ井間は第3セクターのしなの鉄道として切り離されてしまい昔日の面影はなくなっている。また長野−直江津間も長野新幹線延長の折には第3セクターとして切り捨てられることになっている。
妙高高原が近づく
沿線は最初は長野郊外の風景だが、飯山線から分かれた頃から本格的な山の中に移行する。車窓風景もひたすら山の急斜面が見えているだけという状況がしばらく続く。それを抜けると辺りの風景はいかにも高原のものとなり、やがてこの列車の名前の由来ともなっている妙高山が見えてくる。間もなく妙高高原に到着。ここで大きなリュックを背負った乗客が多数降車していく。駅前もそれなりに賑わっており、観光の拠点のイメージである。
二本木のスイッチバック
妙高高原を過ぎるとしばらく高原地域を走行、二本木ではスイッチバックで標高を下げ、新井に到着。ここでは新潟行きの「くびきの」に乗り換えると思われる乗客が大量に降車する。新井から先は市街地が続く。以前に訪問した高田、春日山を過ぎると直江津に到着である。
直江津で乗り換え
直江津からは高崎行の普通列車に乗り換え。しかし乗り換え時間が数分しかないのに、ホームは一番遠い1番ホーム。かなり駅の端の方に隔離されており、これはJR東日本の嫌がらせじゃないかという気さえ起きてくる。ホームで待っているのは寝台車を改造した食パン列車こと419型の3両編成。北陸本線では直江津の手前で直流から交流に切り替わるため、交直両対応のこの車両が運用されている。
車内はほぼ満員。直江津を出た列車は最初は海沿いを走るが、すぐにトンネルに入る。その後はひたすらトンネルの連続。突然にトンネルの途中で停車するから何事かと思えば、それは筒石駅。ここはトンネルの中にある駅である。地上の駅舎から延々と階段を下りていかないといけないとんでもない駅だとか。北陸本線の私の未視察区間は糸魚川−直江津だったのだが、結局はこの区間はほとんどトンネルだけだったということを確認した次第。そう言えば以前に車で直江津を訪問した時も、北陸道は直江津手前で長いトンネルの連続だったような気がする。この地域がいかに地形で分断されているかということである。もっともここまで分断されていても、かつて上杉謙信は何度もここを越えて富山にまで出張っているが。
糸魚川で大糸線に乗り換え
糸魚川駅に到着すると大糸線に乗り換える。これから大糸線で松本まで移動しようという計画。大糸線は松本と糸魚川を結ぶ単線路線で、南部の松本−南小谷間がJR東日本の管轄で電化路線、北部の南小谷−糸魚川間がJR西日本の管轄で非電化路線である。なお北陸線完全視察が終了した今、JR西日本エリアで残されている未視察エリアはこの大糸線のみである。
大糸線のホームにはキハ120型の2両編成が停車している。この路線ではかつて年代物車両のキハ52型が運行されていたが、老朽化が著しいことから今年の3月に定期運行からはずされることになった。最後にイベント運行され、別れを惜しむ鉄道マニアが押しかけたと聞くが、鉄道マニアではない私には興味のないところである。私としてはキハ120のパワフルな走りは好きだし、キハ120になったことで初めてトイレ付き車両が運行されることになったことから(キハ52にはトイレがなかった)、この方が快適になったと考えている。
糸魚川駅は工事中
乗り込んだ車内は既に8割方座席が埋まっている状態。そこに乗り換え組が殺到したので、あっという間に乗車率は100%を超えてしまう。迅速に行動をした私は座席の確保に成功したが、出遅れた者はこれから長時間を立ち通しになる。なお私はここの乗り換えに10分ほどの余裕があることから、あわよくば昼食に駅弁でも購入しようと考えていたのだが、とてもそのような状況ではなかった。なお糸魚川駅ではキハ52型の引退と共に、かつての煉瓦造りの車庫も解体しており、以前に訪れた時とはかなり駅の印象が変化していた。
糸魚川を出た列車は、すぐに深い山の中に入っていくが、とにかくトンネルやら半トンネル(急な崖に沿った軌道で、落石防止のための屋根が付いている)の連続するルートである。よくまあこんな路線を通したものだと感心することしきり。しかし利用者はかなり多く、各駅々で乗客が増えていく。乗客は大きなリュックを背負った一見してハイキング客と分かる連中が半分、後は大きなカメラを持ったこれも一見して鉄道マニアと分かる連中(脚立を持参している猛者もいる)である。ハイカーでも鉄道マニアでもない客ってもしかして私一人か?
南小谷駅でキハ52と再会
南小谷に到着した時には、車内は通勤ラッシュ並みの混雑である。しかも到着した南小谷駅のホームでは明らかにそれと分かる鉄道マニアが大量にたむろしている。一体何があったのかと思えば、彼らの後ろにキハ52の姿が見える。どうやらイベント走行か何かがあって、鉄道マニアが殺到したらしい。おかげで駅内は大混乱。私はここから松本行の普通列車に乗り換える予定なのだが、その列車がどのホームに入るのかを駅員もよく知らない状況。やがてキハ120はホームに群がっていた鉄道マニアとここまで乗車して来た鉄道マニアの一部を乗せて糸魚川へと引き返して行き、空いたホームに松本行の普通列車がやってくる。
到着したのは面白味のかけらもない新潟版走るんですことE127型。片側がロングシートで反対側がボックスシートという変則構成であるが、二両しかないのでボックスシートは瞬時に埋まり、私はロングシートの方に腰掛けることになる。糸魚川駅で弁当を購入できなかった時は南小谷でと考えていたが、結局はなんだかんだでここでもそんな暇はなし。最悪の事態を想定して長野駅で買い込んでいたおにぎりが臨時の昼食になるというあまり歓迎すべからざる状態になる。
白馬の山は見るも無惨
沿線はとにかくスキー場が多い。スキー山はまだらに木が刈られていて醜悪である。「スキー場とゴルフ場は自然破壊の最たるもの」との自然保護活動家の言を思い出した。白馬で大勢の乗り降りがあるが、ここがまさにスキー場の中心。この辺りの山は見るも無惨である。
風景が面白くなるのは海ノ口駅前後。この辺りは湖面に映える山の緑が美しく、東山魁夷の絵を思い出す。そう言えば彼の絵って白馬でスケッチしたという話を聞いた記憶がある。それで私の脳裏にも白い馬が浮かんだのか・・・。
海ノ口周辺の風景
しかし風景を楽しめるのも信濃大町駅まで、信濃大町に到着するや大量の乗客が乗り込んできて一気に車内は通勤列車状態に。さらに穂高でも大勢乗り込んできて、車内の不快感が増すこと著しい。これだけ多くの乗客が利用しているにもかかわらず二両編成の運行しかしていないのはJR東日本の嫌がらせだろうかと考えてしまう(実際、特急あずさを利用しろという嫌がらせなのだろう)。糸魚川駅を出てから約3時間半、ようやく松本駅へと到着したが、その頃には疲労でぐったりしてしまっていた。
しかし今日の行程はこれで終わりではない。まだここから中央線の普通列車に乗り換えて、甲府まで移動する予定である。所要時間2時間。この状態で体が持つだろうかと考えた時に気が重くなる。いっそ松本で休憩を取ってから、特急あずさで一気に甲府まで行こうかとも考えたが、それも何やらJR東日本の嫌がらせの前に屈したみたいで不愉快である。意を決して普通列車に乗り込むことにする。
ホームに待っていたのは6両編成の115系。セミクロスシートタイプの車内は乗車率8割程度で座席は確保できる。また塩尻で多くの下車があり、幸いにもクロスシートを確保できる。先ほどまでと比べて座席はゆったりしたし、車窓には私の好きな諏訪湖が見えてきたしとでようやく私も生き返ってくる。
上諏訪を過ぎればいよいよ未視察地域である。次の茅野までは市街地が続いている。茅野では特急あずさを待つために10分以上停車、その間に伊右衛門を補充する。茅野を過ぎれば路線は急に高度を上げていき、高山列車の趣になってくる。進行方向左手には八ヶ岳が見える・・・というところで私はふいに強烈なデジャヴに襲われる。おかしい、ここは初めてのはずなのに・・・。しばらく考えていると、この路線が信越本線(しなの鉄道)の小諸−軽井沢間に酷似していることに気づく。あの区間も左手に浅間山を見ながら、路線が急激に高度を上げていく区間である。そしてかなり登ったところで軽井沢ならぬ小渕沢に到着。小渕沢で大量の降車があり、車内はかなり空く。小渕沢からはこれも未視察路線である八ヶ岳高原線が出ているが、とりあえずこれは今後の宿題として先に進むことにする。ここから先は信越本線の横川−高崎区間を思わせるようなひたすら下りの経路。
小渕沢駅に到着 停車しているのは八ヶ岳高原線の列車 途中の新府駅には「新府城」があるとのことで、場合によっては甲府駅にトランクを置いてから引き返すことも考えていたが、新府駅に到着するとそこは山間の秘境駅のような雰囲気で、しかも遠くに見える山はどれが新府城かは判然としないが、いずれもそう容易な山に見えなかったことから、瞬時にパスすることに決定する(はっきり言ってもう気力が限界)。さらに進んだ韮崎は飯田と同様の典型的な河岸段丘の町。ああいう河岸段丘の上には城があるというのが相場なんだが・・・などと思いつつぼんやりと風景を観察。目的の甲府はここから3駅目である。
この山のいずれかが新府城のはずだが・・・
ようやく甲府駅に降り立った時には精根尽き果てていた。とりあえず今日の宿泊予定ホテルである「ドーミーイン甲府」に向かうが、このホテルが私の想像よりも駅から遠い。公称「駅から13分」ということになっているが、実際には20分を要してようやく到着する。ホテルは甲府の繁華街の真ん中。どうやら甲府では中心繁華街が駅から離れているようである。なお繁華街にしてはやけに活気がないのが気になるところ。
ホテルにチェックインするとまずは屋上の温泉大浴場でさっぱりと汗を流す。地下から汲み上げたナトリウム塩化物泉とのこと。若干の着色があり浴感もなかなか良い。私はこのためにわざわざドーミーインを選んだのである。これでようやく生き返ってくる。
生き返ったところで夕食を摂りに出かけることにする。遠くまで出ていく気力がないので、近くで郷土料理が食べられそうな店と言うことで選んだのが「銀座江戸屋」。なぜ甲府なのに「銀座」なのかが疑問なのだが、実はこの辺りの商店街のネーミングが甲府銀座(地方都市ではよくあるパターン)というわけで、実はこの周辺の店には「銀座○○」というパターンが多い。
内部は普通の居酒屋といったところか。まだ時間が早かったせいか客はあまり多くない。とりあえず「馬刺」と「猪豚ほうとう」を注文。まずは馬刺だが、これが私の好みの赤身。やっぱり馬刺は霜降りよりも赤身の方があっさりとうまい。まずは出足は上々。
次に出てきたのが「ほうとう」。ここのほうとうはやや太めのきしめんというイメージ。味噌味でこれが絶妙。具は肉とゴボウがメインだが、ほうとうに不可欠のカボチャもしっかり入っており、野菜類が結構多い。これが非常に良い取り合わせ。つくづくゴボウの偉大さを思い知る。ボタン鍋に麺を加えたような感じで、これはもろに私の好みのツボ。
これで大体の実力が確認できたので、「鳥のモツ煮」と「鮎の塩焼き」を追加注文する。実は私は鳥のモツはあまり好きではないのだが、この地域の名物と聞いていたのであえて冒険である。しかしこの冒険が大成功。やや濃いめの味付けなのだがそれが嫌みでなく、何よりもモツ系で一番抵抗がある臭みが感じられない。このモツなら非常においしく食べられる。
最後は鮎の塩焼きを頭から丸ごといただいて終了。これで締めて3540円。納得の夕食を堪能したのであった。
夕食を堪能してホテルに戻ると原稿執筆・・・しようとしたが身体が疲れ切っていてまともに机に向かっていられない。仕方ないのでとりあえず洗濯の方を済ませるとテレビを見ながらまったり、その内に強烈に眠気が襲ってきて、結局はこの日は10時になる前に眠ってしまう。
☆☆☆☆☆
翌日も朝から蒸していた。昨日かなり早く床についたことから、5時半頃に目覚めるとまずは朝風呂。屋上の露天でゆったりとくつろぐ。荷物をまとめてから朝食をたっぷり摂るとチェックアウト。ドーミーインはこの朝風呂や朝食が良いのだが、いつも私の朝はせわしなくて、これをあまり堪能したことがない。この日もチェックアウトは7時過ぎである。前回訪問したときから、甲府とは何となく相性の良さを感じていたが、良いホテルとうまい飲食店が見つかったことで、これで私のお気に入り都市が一つ追加である。
途中で甲府城を眺めたり、土産物を買い求めたりしつつ甲府駅へ。今日はとりあえず東京方面の美術館を攻略する予定で、そもそもはこれが今回の遠征の最大目的。まずは横浜まで移動だが、八王子までは特急を使用することにする。
甲府城天守台
特急の自由席券を購入するとホームへ。次に到着するのはスーパーあずさだが、とにかく混雑することで有名なのが特急あずさ。もし込みすぎているようだったら、次の特急かいじを待つことも視野に納めている。
スーパーあずさが到着
遅れが常態化しているあずさだが、さすがに時間帯が時間帯なのかダイヤ通りに到着する。ざっと自由席を眺めたところ、自由席乗車率は2〜3割というところで、席の確保には全く問題がないことを確認して乗車する。乗車して座席を確保してしまえば、後は八王子までノンストップである。甲府に名残惜しさもあるものの、人生後ろを振り返っていたら前には進めない。とは言うものの、一度ここを拠点に数泊しつつ周辺を攻略するというパターンもありかなという考えは頭をよぎる。
このルートを通るのは二回目。沿線は相変わらず深い山の中である。以前の時は特急球児・・・じゃなかった、特急ふじかわで身延線経由で甲府入りしたので気がつかなかったが、中央本線経由で甲府入りした今回は、この山岳地帯が長野から延々と続いてきたものであることが感じられる。途中で「岩殿城」という表示を断崖に発見。いかにも城がありそうな山で難攻不落。一度行ってみたいという気も起こる。
岩殿城はこの上らしい
岩殿城は武田家家臣であった小山田氏の城であったという。織田信長との戦いに敗れた武田勝頼はここの城主・小山田信茂を頼って落ち延びようとしたのだが、信茂は織田に帰順することを決めており、進退窮まった勝頼は自刃に追い込まれている。しかし武田の敗勢が決してから帰順を申し込んできた信茂は信長に許されず、斬首されてしまったという。信茂にすれば一族郎党の生き残りのための必死の行為だったのだろうが、結果としては後世に裏切り者の汚名を残しただけという皮肉な結果になってしまっている。
とにかく断崖上の要塞であり、遠くからでもその堅固ぶりは伺える。徳川家康は江戸幕府に変事が起こった場合には甲斐に避難することを考えていたというから、その時にはここは防御のための拠点となる。また最悪の事態の際にはここに将軍と供廻りの者だけでも救援が来るまで立てこもるという事態も想定されていただろうと思われる。
行ってみたいのはやまやまだが、とりあえず今回はそんな時間も体力もないのでこれは今後の課題ということにしておく。列車はさらに山間を抜けて先に進む。
やがて突然に沿線風景が一変して都市化するとそこが八王子。外から来た者にとってはここからが東京エリアという印象である。実際にここは昔から要地で、関東を支配していた北条氏はここに重要な城を置いていた。しかしその城は秀吉の関東攻めで大群に包囲され、主力が小田原方面に出払っていたこともあって呆気なく落城している。その際には城兵のみならず家族も犠牲となってて多くが命を落としたという。その八王子城は今でも100名城の一つとして城郭マニアを集めているが、オカルトマニアの間では心霊スポットとして人気があるとか。八王子城については私も一度訪問したいが、今回はその時間的余裕も体力的余裕もないので、これも次回以降の課題である。
八王子であずさを下車すると、ここからは相模線で茅ヶ崎を目指す。目的地は横浜なのだから横浜線の方が近道だが、これは未視察路線の視察を兼ねている。
行き止まりホームに到着した4両編成の車両は、橋本までは横浜線と同じルートをたどる。この辺りは沿線も住宅が多い。しかし橋本を過ぎるとドアが自動では開かなくなり、沿線もいきなり田舎めいてくる。沿線が再び都会めくのはオバQ線・・・じゃなくて、小田急線との乗換駅である厚木周辺。しかしそれを過ぎると沿線は再び郊外。そして再び住宅が増えると終点の茅ヶ崎はすぐそこである。
茅ヶ崎では東海道線に乗り換えて横浜を目指す。車内は押し合いへし合いの混雑。これらの乗客が一斉に降車するのは藤沢で。ここを過ぎると横浜は間もなくである。
横浜に到着するとみなとみらい線でみなとみらい駅まで。しかし到着した現地は灼熱地獄。やはり東京近辺の暑さは普通ではない。長野も甲府も灼熱していたが、それとは次元の違う不健康な殺人的暑さである。これはやはり東京圏が人間の住める土地としての限界を迎えていることの反映のように思われる。やはり東京の解体が急がれる。
「印象派とエコール・ド・パリ ポーラ美術館コレクション展」横浜美術館で9/4までポーラ美術館のコレクションから、日本人にとっては一番のウケ線である印象派及びエコール・ド・パリの画家達の作品を集めた展覧会。
出展作品はモネを初めとして、ルノワール、ゴッホ、ゴーガンといった有名どころがズラリであり、いかにも夏休み向けの企画とも言える。
私個人としては、ポーラ美術館は未訪問であるにもかかわらず、あちこちでここのコレクションに触れる機会が多かったせいか、かなりお馴染みの作品があったという印象。特にルノワールの作品については、先の「ルノワール展」にも出展されていた作品が多かったようで、非常に見覚えがあった。まあ良い絵は何度見ても良いのではあるが。
展覧会の見学を終えた時にはもう昼過ぎ。昼食はこの近辺で摂ることにする。とは言うものの店のあてはなく遠くに出張るのも面倒、それにどうせ東京周辺の店のレベルはたかが知れてるし・・・というわけで手近なビルの地下に潜ったところ「軽井沢 とりまる」なる唐揚げ専門店を見つけたので入店。「ぶっかけ丼(800円)」を注文する。
丼に入ったご飯に唐揚げが4個乗っかったものとスープが一緒に登場する。最初はサクサクの唐揚げを楽しんでから、途中でスープをかけて頂くとのこと。ワサビはその際の薬味。そのまま頂く唐揚げはごく普通の揚げたての唐揚げ、格別な特徴はない。面白いのはスープをかけてから。不思議なほどにあっさりとして脂っこい唐揚げもスムーズに食べられる。また薬味のワサビが非常に合う。何かこれによく似たメニューを食べた記憶が・・・と考えてみると、まさに名古屋のひつまむしと同じ原理。脂っこいものをあっさりと頂く日本人のお茶漬けの知恵である。日本人は偉大である。
昼食を終えると東海道線で東京に移動。とりあえず東京駅でロッカーにトランクを収容して・・・と思っていたのだが、なぜかロッカーコーナーの前に大行列ができている。なんだと思えば、なんとロッカーがすべて塞がっているために、手荷物預かり場に行列が出来ているようである。今日はやけに東京に人が多いと感じていたが、想像を超える事態が発生していたようである。これも夏休み所以か。
仕方ないので上野駅までトランクを引っ張っていく。これで上野のロッカーまでいっぱいだったら目も当てられないところだったが、幸いにて上野駅のロッカーは常識レベルの使用率にとどまっていた。荷物をトランクに放り込むと美術館を目指す。しかしそれにしても「殺人的」という形容詞をつけずにはいられない暑さである。これは東京で熱中症による死者が続出しているわけである。
そのまま灼熱の上野公園を国立博物館まで歩くが、博物館に到着する頃にはフラフラに近い状態になってしまう。このまま展覧会に参加する気力が出ないので、例によって博物館内に出店していた鶴屋吉信であんみつをいただいて一息つくことにする。
あんみつと冷たいお茶でようやく気力が復活してくると展覧会会場へ。
「誕生!中国文明」東京国立博物館で9/5まで
中国では太古より多くの文明が興亡を繰り広げてきたが、そのような中国文明の歴史を物語るような品々の展示である。
工芸品の類が多いのであるが、驚くのはその細工のレベルの高さ。加工技術の高さは一重に文明レベルの高さを物語っている。夏王朝となると紀元前17世紀といった日本の歴史などからは想像のつかない時代であるにもかかわらず、既にかなり高い技術レベルを持っていることには驚かされる次第。
かの国の奥の深さを感じさせる見応えのある展示である。かなり楽しめた。
展覧会を終えると次の目的地へ。とは言うものの、灼熱地獄の中に再び踏み出すのはつくづく精神エネルギーを消耗する。とにかく逃げ込むように次の目的地に駆け込む。
「シャガール ロシア・アヴァンギャルドとの出会い」東京藝術大学美術館で10/11まで
ロシア生まれのユダヤ人であるシャガールは、20世紀初頭のロシア・アヴァンギャルドと密接な関係があったという。ジョルジュ・ポンピドー国立芸術文化センターの収蔵品でシャガールとロシア美術との関連を示すというのが本展の主旨。
展示作はロシア・アヴァンギャルドに属するナターリヤ・ゴンチャローワなどの作品が多いが、確かに彼らの作品は併せて展示されている同時期のシャガールの作品と表現様式に類似性が見られ、シャガールがロシア・アヴァンギャルドの影響を受けたのは間違いないようである。ただ我々が一般的にシャガールの作品と言った時に連想するのは、彼がロシアを出てからの作品であり、これらの時代には彼の作風はまた一変しているので、ロシア・アヴァンギャルドとはまた異なる世界になってしまっている。
プリミティブアート的なロシア・アヴァンギャルドの世界はそれなりに面白くはあったが、やはりシャガールの柔軟性と進化には及ぶところではないような印象を受けた。なお本展ではシャガールの秀品を複数見られるので、それは貴重。
美術館を出た頃には日が少し西に傾き始めて、ほんのわずかだが灼熱地獄がマシな状況になるが、所詮はまだまだ気休め程度。とにかくなるべく日影を探しながら次の目的地へと。次が本遠征の最終予定となる。
「ナポリ・宮廷と美―カポディモンテ美術館展」国立西洋美術館で9/26まで
ナポリのカポディモンテ美術館は、16世紀にファルネーゼ家が蒐集した一級の美術品を中心としたコレクションで知られるイタリア有数の美術館だという。本展では同館のルネサンスからバロックに至る作品を展示している。
非常にレベルの高い作品が多く、特に目を惹くのは同館の看板作品の一つともいうパルミジャニーノの「貴婦人の肖像(アンテア)」。高級娼婦をモデルにしたとも、どこかの貴婦人だとも言われている謎の多い絵画であるが、その表現のすごさには目を見張らされるばかりである。またバロック作品では効果的な光の表現で一世を風靡したカラヴァッジョの一派の作品が多数登場するが、とにかく構成が劇的なので楽しませてくれる。
なかなかに楽しませてくれる作品が多いのだが、個人的には笑ってしまったのはジョルジョ・ヴァザーリの「キリストの復活」。その名の通りの内容の絵画なのだが、復活したキリストのあまりに生気溢れて見える様子に「おいおいキリストさん。いくら復活したと言っても元気すぎだろ。」と思わず一人ツッコミを入れてしまいそうになった。
これですべてのスケジュールが終了した。後は東京駅に移動すると、エクスプレス予約で確保した新幹線の時間までまだ余裕があるので、地下で夕食を摂ってから東京駅の待合室に逃げ込むように入り込んで暑さをしのいだのである。終わってみると、東京での灼熱地獄が一番体力の消耗につながってしまい、帰ってからもかなりのダメージが身体に蓄積していた。
今回の遠征により、JR西日本エリアは完乗。また中部地域の宿題もかなり解決したのであるが、やはりこの地域にはまだまだ中小の城郭が様々あり、西関東も含めて車を使用してのこまめな攻略が必要なように思われる。ただ険しい山城が多いので、体力の方もかなり問題となる。また今回パスした八ヶ岳高原線は今後に残る宿題になっているし、新潟地域はまだほとんど手つかずという状況である。また富山地方鉄道なども含めた立山地域をどうするか。正直なところハイカーでない私は、黒部立山アルペンルートには興味はあるものの、何か少し方向が違うような気がして躊躇してしまう。何にしろまだまだ先は長いようである。
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