展覧会遠征 神戸編4
今週は梅雨の合間を縫って車で神戸まで遠征。とにかくここのところ天気は悪いし、体調は悪いし、懐具合は悪いしで週末は家にこもっていたと思ったら、今度は精神状態が悪くなるしというわけで、どっちにこけても八方塞がり。精神が崩壊する前に気晴らしが必要だろうというわけで日曜日に晴れたのを幸いと繰り出したわけである。
とは言うものの、まだ今一つ元気が出ないので出かけたのは昼過ぎ。正直なところ山城に登る気力もないし、美味しいものを食べに行く財力もないというわけで、久しぶりの美術館onlyの遠征である。まずは久しぶりの西宮の美術館から。
「パラモデルの世界はプラモデル展」西宮市立大谷美術館で8/1まで
誰もが、特に男子の場合はほぼ間違いなく、子供の頃にプラレールなどに憧れた経験を持っている。実際にその夢をそのまま大人になるまで持ち越して、家の中にNゲージのレールを巡らせているなんて強者もいるようだが、そこまでは行かなくてもなぜかこの手の玩具には魅力を感じるものである。
そのような玩具をモチーフに使ったアートが本展。パラモデルというのは二人のアーティストユニットらしいが、彼らが用意したのはとにかくプラレールやら塩ビ配管などが「つながっている」世界。どうも人間はこの「つながっている」というものには潜在意識のそこに訴えかけるものがあるようである。これは不完全な群体生物として生を受けたとされる人類の宿命なのか。
おもちゃ箱をとっちらかしたような世界は面白くはある。ただ果たしてこれがアートなのか・・・アートなのだろう。デュシャンが便器をひっくり返した時から、作者がアートだと言い張れば何でもアートになる便利な時代になったのだから。
何やらほぼ全館+日頃は使わない和室まで使用しての大規模展示。もっとも内容が内容だけにトイザらスかホームセンターみたいになっちゃってたけど。
次は神戸に戻ってくる。ここも久しぶりのような気がする。六甲アイランドの美術館である。それはともかく、相変わらずこの人工島は殺風景で好きになれない。
「画家 岸田劉生の軌跡」神戸市立小磯記念美術館で9/12まで
岸田劉生と言えば油絵中心のイメージがあり、代表作と言えば半ば妖怪化している麗子像が真っ先に浮かぶという画家であるが、実際には晩年には独学による日本画を多数描いており、初期の劉生のイメージを一新するような軽妙な作品がある。本展は笠間日動美術館のコレクションによって劉生の軌跡を追いかけている。
初期の重厚な油絵はまさに劉生のイメージそのままの作品。また作品によってはセザンヌの影響が露骨なものも含まれている。しかしだんだんと志向が東洋よりになってくると共に水彩画が増えてきて、タッチも非常に軽妙なものになってくる。このような時期に登場するのが寒山拾得に見立てた麗子像。この絵を見ると、あのグロテスクな麗子像がなぜ誕生したのかがなんとなく理解できる。
日本画になると自由闊達・軽妙洒脱でかなり奔放な作品が増える。非常に楽しげな印象を受けるのが特徴で、富岡鉄斎などと通じるような境地が見える。恐らく作者の心境の変化を反映しているのであると思えるが、興味深いところ
次はもっと神戸中心部に近い美術館。海岸筋を車で移動。やはり街並みが私が知っている神戸とは大分変わっている。いつの間にやら私もこの地にとって異邦人になってしまったようだ。
別に神戸で岸田劉生祭をやっているというわけでもないのだろうが、なぜかこっちの展覧会も岸田劉生絡み。もっとも看板に反して、劉生の作品はそんなに多くないのだが。
「麗子登場!名画100年美の競演」兵庫県立美術館で7/19まで
兵庫県立美術館と神奈川県立近代美術館のコレクションから、近代日本洋画作品を中心に展示した合同展。ただ「近代日本洋画展」では集客的に不利と考えたのか、あえて「麗子登場」とキャッチーなコピーを使用したようである。必ずしも岸田劉生の作品が多数あるというわけではない。
明治から昭和にかけての日本洋画を時代に分けて紹介しており、大まかな流れがつかめるようになっている。まだ堅苦しさの残る明治は、独自の存在感のある油絵の高橋由一や女性画が抜群の岡田三郎助など。大正からまさに時代の空気を反映して百家争鳴となってくるが、ここで小出楢重や梅原龍三郎などが台頭してくる。昭和になると戦争の時代の重苦しさを反映するようになってしまうが、ここでは小磯良平と松本竣介が登場、戦後になると一気にモダンアート花盛りとなる。
まさに花開いたという印象であるのだが、個人的には明治の油絵が最も好ましく思えてしまったりするところが、私の感性が保守的たる所以であろうか。
美術館を出た頃にはもう既に夕方。やはり今一つ気力が出ないし、明日は仕事だしということでさっさと帰宅の途につくのであった・・・。まだやや低調。
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