展覧会遠征 伊丹編
先週の九州大遠征の疲れがまだ癒えておらず、壊れた足の方も回復とは言い難いのが今の私の状況。これは今週の遠征は見送りというのが理性的判断と言うものである。しかしそうもいかない状況が迫っていた。と言うのは、この春シーズン用のスルッと関西3day切符が、まだ1日分を残したままこの週末が使用期限となってしまったからである。現実にはもう既に2日で十二分に元は取っている。これはこのまま見送っても良いところなのであるが、どうもそれは私の理性は許しても、私の貧乏性が許さないようである。ここはどうあってもこの切符を使用する必要がある。と言うわけで浮上したのが伊丹。実のところを言うと、伊丹は九州以前に訪問する予定が、先の千葉遠征以降に体調を崩したことなどから延び延びになってしまっていたのである。
とりあえずは山電と阪急を乗り継いで塚口へ。考えてみると、阪急に乗るのは久しぶりである。さすがに阪急特急は阪神特急よりも速い。西宮北口にすぐに到着すると、そこから普通に乗り換えて塚口。ここのホームは三角形になっていて裏側が伊丹線のホームになっている。
伊丹線は複線路線だが、西宮北口駅の構内に入るところだけが単線になっている。かなりカーブして駅を出ると後はひたすらまっすぐ。終点の伊丹駅の直前で路線はカーブするとともに高架になる。なお伊丹駅は以前から高架駅だが、あの阪神大震災ではこの高架が崩落する大被害を受けたことでも知られる。おかげで駅ビルは新しい綺麗なものになっている。
伊丹駅と造り酒屋の建物 伊丹駅に到着するとここから目的地までは歩いて5分ほど。旧造り酒屋の建物などが残っている風情のある町並みである。目的の美術館はその中にある。
「プチファーブル熊田千佳慕展」伊丹市立美術館で5/23まで
驚くべき細密描写で虫や植物などの絵を描き続けた画家・熊田千佳慕氏の作品を展示した展覧会。熊田氏はその徹底したリアルな描写によって図鑑などを手がけただけでなく、絵本やファンタジーの類も手がけている。
その描写の細かさと正確さには驚くばかりである。もっともあまりにリアルに過ぎるが故に、虫嫌いの私などからすればかなり「気持ち悪い」と感じる作品が多々あるのが事実。実際、特に彼によるあまりにリアルな「ミツバチマーヤの冒険」(実際のリアルなミツバチがリボンを付けているイメージ)などは、絵本と言うには私にはあまりに気持ち悪いと感じずにはいられなかった。花の絵などの場合は単純に楽しめるのだが・・・。
目的の展覧会を終えると伊丹駅まで戻って昼食にする。昼食を摂ったのは駅ビル内のそば屋「純白そば月山本店」。私が注文したのは「カツ丼セット(910円)」。
ここのそばの特徴は白い和そばであること。一般に和そばは黒い色をしているが、これは主にそば殻の色であり、そばの身の芯の部分だけを使用すれば白いそばが出来る。このタイプのそばは淡泊な風味が特徴であるが、そば好きには「風味が薄い」と好まない者も少なくない。食べてみると確かにそば自体の風味はかなり淡泊であるが、私はそばの風味を強く好むという者ではないので、これはこれでうまいという印象。
なお入り口付近でかなり臭いたばこをふかしていた女性がいたので、それを避けて店の一番奥まで行ったのだが、それでもたばこの臭いは漂ってきていた。こんなに臭いたばこを吸っていたら、白そばの風味など分かろうはずもないし、黒そばとの区別はおろかラーメンとの区別さえ出来ないんじゃなかろうか。
伊丹から塚口に引き返すと、西宮北口まで移動。今日は体調がまだまだなので長居する気はないが、もう一軒だけ寄っていくことにする。西宮北口からは今津線で甲東園まで。次の目的地はこの駅の最寄り。
「春期展 四季の山水」穎川美術館で5/20まで水墨画を中心とした山水画を展示。展示作は長沢芦雪、呉春、渡辺崋山、円山応挙など蒼々たるところ。特に印象に残ったのが芦雪の「月夜山水図」。墨のにじみを巧みに利用した独特の立体感、影絵のような印象を受ける画面が非常にインパクトがあった。
美術館鑑賞後は西宮北口でさらに乗り換えて今津を目指す。そもそも今津線は今津と宝塚を結んでいる路線で、大昔には今津で阪神と線路がつながっていたという。また西宮北口では神戸線を直行して横切っていたと言うが、今日の神戸線の輸送密度ではとてもそんな荒技は不可能だし、阪神との接続も切られたので、西宮北口以南が完全に孤立した路線となっている。今では阪急と阪神は同資本化されているが、そもそもは犬猿の仲と言われている関係であり、その両者を結ぶ微妙な路線である。
左 今津線ホームは西宮北口駅のはずれ 中央・右 行き止まりの今津駅から陸橋を渡って阪神の駅へ 西宮北口からはほぼ直線に南下しており、二駅で今津に到着する。今津では陸橋づたいで阪神の駅に移動できるようになっており、ここで乗り換えを行う乗客はそこそこいるようである。私もここで乗り換えると、隣の西宮駅に移動、そこから特急に乗り換えて帰途についたのであった。
半分壊れていた足の方は大丈夫だったのだが、全身の疲労が未だ抜けていないようで、大した遠征でもなかったにも関わらず、帰宅と同時にバタンキューになってしまったのだった。やはり私ももう若くないのか、体力の限界がすぐに見えるようになってきた。悲しい次第である。
戻る