展覧会遠征 広島・下蒲刈編
さて三月に突入。いよいよ青春18シーズンであるが、どこに繰り出そうかと考えていた時に一つ大事なことに気づいたのであった。今年はまだ広島に行っていない・・・。ここ数年、必ず冬の牡蠣シーズンには広島を訪問するというのが私の年中行事になっていたのだが、今年のシーズンは未だに広島を訪れていなかったのである。思えば本来は昨年末に広島訪問の予定を組んでいたにのだが、直前になって風邪を引いてダウン、そのまま広島行きは中止になってそれっきりになってしまっていたのである。これはどうしたものだろうか。私は熟慮を重ねて一瞬で決断した(?)。ギリギリ牡蠣に間に合うこのシーズンに広島に行くしかない。これがその結論であった。
なお予算不足のために当初は在来線を使用しての広島日帰り日程を想定していた。しかしそれは体力的にきつすぎる上にスケジュール的にも全く余裕のないかなり無理のある計画であった。どうしたものかと悩んでいた私だが、一通のメールが事態を変えた。それは私の広島での定宿候補の一つであるアークホテル広島からの案内であった。それによると3月第1週限定の特別プランがあるとのこと。これは広島に一泊しろというお告げに違いないと判断した私は、急遽一泊日程に予定を変更したのであった。
当日は生憎の雨天。当然のように早朝出発で、在来線を乗り継いでの広島行きである。岡山から三原行きに乗車して糸崎で乗り換え。ここでちょっとした席取り合戦があるが、基本的には二両編成から四両編成への乗り換えであるので座席には余裕があり、米原や敦賀のような壮絶な席取り合戦にはならない。
列車は三原を過ぎると山岳地帯に突入。山陽本線の中では比較的ローカル線風情のある地域にさしかかる。本郷では新高山城跡という看板を眼にする。見上げるような断崖の山であるが、かつてここに小早川氏が城郭を築いたらしい。いずれは訪問したいと思っているが、その時は車でないと何かと不便であろう。吉田郡山城訪問も風邪や雪のせいで順延になってしまったし、いずれ広島地域の城郭をまとめて訪問する必要がありそうだが、山城の連チャンになるだけに体力がもつだろうか? やはり身体を鍛えることと体重を減らすことが最優先課題のようだ。
途中で空港へのアクセス道路の建設現場にさしかかるが、連絡橋が恐ろしいほど高いところにかかっている。一体どれだけ高地の空港なんだ? 途中の西条からは大量の乗客が乗り込んできて、スカイレールのある瀬野を越えると快速は広島に直行する。なおこの快速、どうやらこの春のダイヤ変更で廃止されるらしい。在来線利用者にはより不便を強いることで新幹線に乗客を誘導しようというJR西日本の悪意を感じずにはいられない。
広島を物語る風景
ようやく広島に到着したのは昼前である。久しぶりの広島駅に降り立つとまずは今日の活動のために広電の一日乗車券(600円)を購入。これでホテルに移動して、とりあえずチェックインの手続きだけを先に済ませ、荷物を預けておく。
広電一日乗車券
トランクを預けて身軽になるとまずは最初の目的地に移動。と思ったが、路面電車に乗ろうと的場町まで移動したところでうどん屋を発見。今日はまだ何も食べていなかったことを思い出し、とりあえず昼食にすることにする。
入店したのは「乃きや」。讃岐「仕込み」うどんと書いてあるが、多分商標の関係で讃岐うどんとは書けないのだろう。なお話が脱線するが、この「讃岐うどん」という言葉が中国で香川に何の関係もない現地の企業に商標登録されてしまって、後で出店した讃岐うどん店が商標違反で訴えられるというとんでも事件が起こったそうな。以前に「クレヨンしんちゃん」を作者に全く無関係の現地会社が登録してしまって(そもそもそれがパクリなんだが)、本家がグッズを販売できないなんておかしなこともあったが、いかにもあの国らしいいい加減さである。
話がそれてしまったが、とりあえず「天ぷらうどん(610円)」と「あさりご飯(170円)」を注文。10分ほど待つように言われる。どうやら注文を受けてから麺をゆでているようだ。手打ちもしているようであるしなかなか本格派。
出てきたうどんはかなり腰の強い明らかな讃岐うどん。出汁が淡泊めなところも讃岐うどん。なかなかにうまい。まさか広島で本格的な讃岐うどんに出会おうとは予想外であった。またCPも悪くない。
ようやく腹がふくれたところで最初の目的地に移動する。目的地は広島県立美術館。八丁堀で乗り換えて縮景園前で下車である。
「タンペレ市立美術館・ムーミン谷博物館所蔵 ムーミン展」広島県立美術館で3/28までフィンランドのトーベ・ヤンソンが生み出したのが、世界的に有名なキャラクターであるムーミンである。ムーミンの物語は世界40カ国以上で出版されているぐらいの人気作品であり、日本でもアニメ化されたことでとりわけ人気が高い。本展はこのムーミン全9話からオリジナル原画やスケッチなどを展示したものである。またこれらの資料を基にした立体模型なども合わせて展示してある。
いわば絵本原画展の類に近いと言えるのだが、かなり初期のスケッチもあるために、ムーミンが今日知られている形態に落ち着く過程も分かる。当初のムーミンのスケッチはもっと長細い感じてあったのだが、種々の模索を経て今日の「カバ」とも言われるスタイルに落ち着いたようだ。細長い形態から徐々に丸い形態に移行するのは、洋の東西を問わず人気キャラクターのバターンであるようで、同様の経過を経た「オバケのQ太郎」を思わず連想してしまった。
なおムーミンは完全なファンタジーだと思っていたのだが、そもそもの原作は社会風刺的なネタも含んだ作品だったらしい。また新聞連載マンガバージョンまであったというのはさすがに驚きであった。
ムーミンと言えば日本ではなぜか岸田今日子の声のカバというイメージがあるが、あの作品自体はあまりに原作から遠すぎると原作者が激怒したという噂もある。ただ日本でのムーミン人気はあのテレビアニメがあってのことというのは否定できない。ちなみにかなり後により原作に近いムーミンがリメイクされたが、旧作ファンにはむしろ不評で「前の方が良かった」という声もあったりする。
次の目的地はひろしま美術館であるが、直接移動する前に少し寄り道をする。今回は広電の一日乗車券を購入したので、ついでだから広電乗りつぶしもやってしまおうという考え。とりあえずは八丁堀に戻る前に白島の方に向かう。白島まではすぐに着くが、そこは本当に道路の中間というイメージの場所で、特に何があるというわけでもないのですぐに引き返し、まずは先にひろしま美術館に向かう。
白島駅は何もないところ
「ロートレック・コネクション」ひろしま美術館で3/22までポスター作品で知られているロートレックだが、彼が活躍した時代はまさに新しい芸術が花開こうとしていた活発な時代であった。そんなロートロックを取り巻く時代を象徴する作品を展示。
ロートレック展ではなくて、ロートレックコネクションになっているのがミソ。つまりはロートレックの作品だけでなくてそれを取り巻く画家達の作品も併せて展示してある。
展覧会冒頭ではいきなりロートレックのイメージとは似ても似つかないアカデミックな精密絵画が登場して驚くが、これはロートレックの師匠筋にあたる画家の作品である。実はロートレックは当初はアカデミズム派の大家の下で古典絵画の修行を積んでいたらしい。この時代の彼自身の作品も展示されている(さすがに師匠の作品よりは落ちるが)。後にポスターなどで見せた、最小限の描線で対象の本質をえぐるような彼の描写力は、この時代に培われた基本技術があってその上に確立したものであることがよく分かる。
ちなみにやはり同時代にポスターで名を馳せたミュシャの作品も展示してあったが、この両者の人物の描き方は対照的であった。ミュシャはサラ・ベルナールのポスターで名を上げたが、彼女はミュシャのポスターは気に入ったが、ロートレックのポスターは気に入らなかったというのはよく知られている。ミュシャは彼女をまさに女神として描くのに対し、ロートレックは単なる一人の女性(それも既にピークを過ぎた)として描いてしまうので、女性ならロートレックよりはミュシャに描いて貰いたいと思うのは至極当然だろう。
本展では当然のようにロートレックのポスターも多数見ることが出来るが、つくづく彼のポスターは人物の内面を「精密描写」しているのだと思わされるわけである。結局は彼流のデフォルメも、人物を忠実に描写するための手段なのである。
これで今日の美術館の方の予定は終了。後は「21世紀の地域振興と交通について考える市民の会代表(自称)」としてのサークル活動である。早速広電の視察と行きたいところだが、その前にアストラムラインの視察を行うことにする。アストラムラインは広島中心部の本通と郊外の広域公園前駅までをつなぐ新交通システムである。大町でJR可部線と接続しているため、以前に大町−県庁前間は乗車したことがあるが、その先は未乗車であったのでそれを片づけておいてやろうという考え。
本通駅は広電のターミナルでもある紙屋町をやや下ったところにある。繁華街の近くではあるのだが、乗車客は県庁前に比べるとあまり多くないようだ。車両は6両の固定編成で短縮は不可らしい。また新交通システムと言っても、ポートライナーなどと違って運転士が乗車しており、無人運転は行っていない。
本通駅と車内風景
県庁前を抜けると大きくカーブしながらやがて地上に出る。地上に出ての最初の駅は白島。広電に同名の駅があるが、あちらはJRの南でこちらは北。かなりの距離があるので接続しているわけではない。
左 沿線風景 中央 途中で対向車とすれ違い 右 長楽寺の車庫 しばらくは可部線と距離を置きながら併走するイメージで北上するが、沿線は結構人口が多い。ただその割りには乗降客が今ひとつのような・・・。大町はJR可部線の駅と接続しており、ここで多くの下車があって車内の人口は一気に減る。ここから先はやや山手めいてくるが、一応は沿線の開発も進んでおり、新興住宅地といったイメージである。長楽寺に車庫があるらしく、運転士もここで交代する。アップダウンしながら到着した終点の広域公園前はいかにも何もないところ。また軌道も突然プツッと切れており、これは今後の延長にも含みを持たせているようである。
終点広域公園前は何もありません
さて終点まで乗車しての感想だが、正直なところ「かったるい」というのが本音。鉄道並みには速度が出ないという新交通システムの弱点と、さらにはバス並みに多い駅のために距離の割には時間がかかるという印象が強い。ちなみに終点からはバスで戻ったのだが、グルリと大回りするアストラムラインと違って、バスは広島高速4号線を使って一気に広島中心部に接続するので、横川駅まで10分ちょっと。本通−広域公園間が30分を越えるアストラムラインに勝ち目はあるんだろうか? 長楽寺周辺の宅地開発の進展如何にこの路線の将来はかかっていると思われる(この辺りの地域だと、バスでも大回りする必要があるので、広島北部の道路の渋滞のことを考えるとなんとか勝負になりそう)。
横川駅まで戻ってきたところで今度は広電の視察である。まずは広電の横川駅に移動。ここは先ほどの白鳥駅などと違ってしっかりとターミナルになっている。ここからまずはまっすぐ南下して江波に向かう。
横川駅はターミナル
江波には広電の車庫とバスの駐車場があり、広電の拠点の一つになっているようである。正面に見える小高い丘は江波皿山公園。元々は広島湾に浮かぶ小島の一つだったが、湾の埋め立てによって陸続きになってしまったらしい。
江波駅の車庫の背後が皿山
特に江波に用があるわけではないので今度は広島港方面に向かうことにする。紙屋町西で広島港行きの列車に乗り換えるが、これは満員状態。先ほどの江波行きとは明らかに次元の違う混み方である。列車はそのまま市街の中心部を抜け、広電本社前を通って皆実町六丁目に到着。ここには巨大商業施設があるようで、大量の下車がある。列車はここから南下すると海岸に近づいていく。海岸通りを過ぎた頃から神戸出身の私には見慣れたいかにも港周辺の風景になっていき、終点の広島港駅はこれも立派なターミナルである。
広島港駅
広島港まで来たついでにフェリーターミナルを見学しておく。ここからは島嶼行きのフェリーや松山行きのフェリーが出ているが、松山便は例の高速1000円の悪影響をかなり受けたようだ。島嶼行きにはそんな影響はないと思うのだが、どうもフェリーターミナル自体が何となく閑散として今一つ活気を感じない。二階が飲食店街になっているのだが、こっちも何となく開店休業状態に近いし・・・。辺りはいかにも埋め立て地らしく大きな公園があったりなど綺麗な感じなのだが、それがかえって閑散とした雰囲気につながっているようにも思われる。なお海を行く船を見ていると、ふとフェリーで松山に渡りたくなった。これはいつか実行したい。
松山行き高速船
広島港からは比治山経由で広島港まで戻る。この沿線は雑然とした印象があっていかにも生活感が滲んでいる。個人的には好きなタイプの街並みだったりする。17時過ぎ頃に広島駅に帰還。これで広電完乗である。アストラムラインと合わせて長年の広島地区での懸案解決となった。こうして回ってみると、やはり都市においては路面電車というのは極めて便利で有用な交通機関だと感じる。今後低床式車両がもっと増えれば高齢者に対しても便利になろう。またやはり旅行者には路面電車はバスの数倍利用しやすい。ただ新交通システムの方については、広島での使い方が非常に中途半端な気がして、今後にやや不安を感じないでもない。
比治山付近の風景
広電車両あれこれ さて広島駅に戻ってきたところで夕食にしたいと考える。やはり広島に来た以上は夕食は牡蠣だろう。私が今まで広島で牡蠣を食べた店は三軒。「KAZUMARU」と「ASSEかなわ」と「柳橋こだに」なんだが、この中で「こだに」は人気店なのでまず予約なしには無理だろうし、私には味の好みが合わないことが分かっている。味の点で行けばやはり「KAZUMARU」なのだが、あの店の最大の難点は店舗が狭いのに分煙していないこと。前回の訪問時に酔っぱらいの喫煙バカに両側からタバコでいぶされて、胸が悪くて料理を楽しむどころでなくなった苦い記憶がある。タバコに制限のないのは「ASSEかなわ」も同様だが、まだあちらの方が店舗が広い分逃げようもある。と言うわけで消去法で「ASSEかなわ」に決定する。ところで広島というところはつくづくタバコに関しては後進地域である。やはり飲み屋が基本的に多いことが影響しているのだろうか。
店が決まったところで早速入店。座敷は予約客で一杯なのでカウンターしか空きがない旨を伝えられるが、現在はカウンターは客が皆無。喫煙バカに遭遇する可能性がある座敷よりもこの方がありがたいのでカウンターに席を取る。
今まではここで大体6000円前後のコースを頼むことが多かったが、今回はとにかく予算不足である。とりあえず「牡蠣づくしコース(2940円)」を注文することにする。
まずは生牡蠣から。なかなかに濃厚な味。口の中に海の風味が広がるが嫌味はない。これこそが広島の牡蠣である。なおここの牡蠣は塩分の濃い中で育てたのでやや小振りとの説明があったが、確かに大きさ自体は若干小さめで味が濃い印象。
この後お膳とやや遅れて焼牡蠣が到着する。お膳は定番の牡蛎フライに牡蠣の酢の物、牡蠣のサラダに牡蠣ご飯といったところ。牡蛎フライがうまいが、牡蠣の酢の物もなかなかにいける。どうやらここの牡蠣はどちらかいえば焼きよりも生に合っているバランスのような気がする。私としては牡蠣は焼牡蠣が一番好きなのであるが。
たっぷりと牡蠣を堪能。本当は不足があれば後で追加しようと思っていたのだが、精神的に満足してしまったのか追加の必要を感じなかった。よくよく考えてみると、このメニューでも一連の牡蠣料理の大体は含まれている。含まれていないものの最大のものは土手鍋なのだが、そもそも私は牡蠣料理の中で土手鍋はあまり好きな方ではない。そういうことを考えると、実は今回はベストのメニューだったのでは。
夕食を堪能した後はホテルに帰還。チェックインすることに。ところで先にアークホテル広島は「定宿候補の一つ」と言ったが、実際のところ広島での定宿は私の中ではまだ決まっていない。私がホテルに求める条件は、1.安価な宿泊料 2.大浴場付き 3.朝食付き といった条件であり、概ねこれが揃ったところが定宿に決定されいる。もっともこれは絶対というわけではなく、あくまでトータルでのバランスがある。たとえば私の東京での定宿「ホテルNEO東京」は3の条件は満たしていないが、1の宿泊料の安価さで他を圧倒的に凌駕している。また「ドーミーイン金沢」の場合、1はやや厳しいのだが、2.3の質で他を圧倒している。
そういうことを考えると、アークホテル広島が定宿になっていないのは、何か以前に不満点があったからのはずなのだが、それが何だったかを思い出せずにいた。しかし部屋に入った途端、それが何だったのかをはっきりと思いだした。実は私のホテル選択の基準には上記の3つ以外に隠れ条件として 4.部屋の照明が明るいこと というのがあったのである。このホテルはその点で少々難がある。やはり部屋で作業の多い私の場合、白熱電灯の間接照明は暗すぎるのである。やはり照明は蛍光灯にしてもらいたい。
やや早めの夕食の後はホテルでまったりとこの日は過ごしたのである。
☆☆☆☆☆
翌朝は6時起床。このホテルの朝食はメニュー的には若干寂しいところもあるが、6時半から食べられるので早朝に活動開始できるのはメリットである。
7時台に早くもチェックアウトすると早速活動を開始。今日は呉線沿線に出る予定である。呉線自体は以前に視察済みでマリンライナーに乗車しているのだが、この沿線で一カ所、まだ立ち寄っていなかったところがある。それは下蒲刈島。ここは瀬戸内の要衝としてかつては朝鮮通信使が立ち寄ったりもしていたらしいが、現在は蘭島閣美術館という美術館があることで知られている。やはり「美術館遠征」である以上、ここはいつかは立ち寄っておくべき場所である。そういうわけでこの機会にその長年の懸案を解決しておこうと考えた次第。
広島を出た呉線車両は海田市で山陽本線と分かれると単線区間に突入する。ここからは海沿いをずっと走行することになるが、やはり明らかにショートカットコースの山陽本線よりは沿線人口が多い。途中で何度も対向車とすれ違いながら呉に到着。ここでかなりの乗り降りがあり、そこから数駅で広である。
広駅
広駅からはバスで移動することになる。広駅前にバス停があるのでそこで待つ・・・のだが、何やら様子がおかしい。よく見てみるとバス停の時刻表がJRバスのものしかない。もしかして・・・慌てて広駅から表の国道に出て辺りを見渡してみると、少し向こうにバス停らしきものが見える。「やばい!」慌ててトランクを引っ張りながら走る私。私が乗るバスは瀬戸内産交のバスなのだが、この路線の「広駅前」バス停は駅前のバス停ではなくて、こちらの国道にある方のバス停だったのである。実のところ、この手のことはよくあるのであるが、とんだトラップである。危うくバスに乗り遅れるところであった。JRにそこまでする義理はないとは言うものの、特にJRバスと競合している路線というわけではないのだから、やはり「瀬戸内産交バスのバス停はあちらです」の表記ぐらいはあって欲しいところである。
安芸灘大橋を渡る 何とかバス停トラップをくぐり抜けて目的のバスに乗車、後はそのまま三之瀬バス停を目指すバス旅である。となりの駅の仁方を過ぎるとバスは安芸灘大橋を渡っていよいよ下蒲刈島へ到着である。この島も瀬戸内の島の例に漏れず、小さいのに結構山が険しい。バスはその麓を巡るようなコースで三之瀬に到着する。見上げると隣の上蒲刈島へ渡る大きな橋が架かっており、そのたもとになる。
バス停の真上には巨大な橋が見える
目的地到着でバスを降りる私。しかし他に誰もバスを降りる客はいない。しかも辺りは閑散として人気がない。しかも今朝から寒さが戻ってきたようで、島を吹き抜ける風はやけに冷たい。「もしかして、来てはいけないところに来てしまったのか?」疑問を感じつつも仕方ないのでトランクをゴロゴロと転がしながら蘭島閣美術館を目指す。
松濤園の前を通過して少し進むと蘭島閣美術館に到着する。木造という建物は美術館というよりは老舗の日本旅館という趣。ここで島内の四施設で通用するセット券を購入する。
和風旅館のような蘭島閣美術館
展示は棟方志功の版画作品と地元ゆかり画家の作品。棟方志功の版画については、今まであちこちで眼にしているので今一つ興味なし。それよりも絵画の方に秀作あり。一瞬抽象画と見まがうほどの絵具厚塗りだが、よく見ると写生画である岡崎勇次。モネのルーアン大聖堂を連想させる其阿弥赫土の作品。写真と間違うほどの精密描写の野田弘志。いずれも私には初めての画家であるが印象深かった。
街並みもなかなか風情がある
蘭島閣美術館を見学した後は、さらに北上して三之瀬御本陣芸術文化館に向かう。ここは当時、朝鮮通信使を接待するための藩の要人が宿泊した本陣を復元したものとか。目の前には当時からも続く港の風景が広がる。ここでは須田国太郎の作品を常設展示してあるが、これ以外にも梅原龍三郎や里見勝蔵の作品なども展示してあった。島の美術館と少々なめてかかっていたところがあったのだが、どうしてどうして、先ほどの蘭島閣といいやけにレベルが高い。ただ全体的に絵具厚塗り系の作品が多いのはコレクションを主導した人物の趣味なんだろうか?
本陣とその前の港 本陣の次は松濤園を見学することにする。松濤園は各地から移築した古民家と復元した番所など4つの建物からなる複合施設で、古伊万里や有田などを展示している「陶磁器館」。朝鮮通信使がらみの資料を展示してある「御馳走一番館」。古いランプや照明器具などを展示してある「あかりの館」。そして江戸時代の建物を復元した「蒲刈島御番所」からなっている。
松濤園入口
陶磁器は私の専門外だが、朝鮮通信使がらみでは当時の接待料理の三汁十五菜の膳を復元していたのが面白かった。当時の幕府がいかに丁重に使節を迎えていたかが分かる接待ぶりである。また当時の使節の服装なんかも興味深い。
左 御馳走一晩婚 中央 あかりの館 右 蒲刈島番所 さらに意外と面白かったのが「あかりの館」。ランプだけでなく行灯などの日本古来の照明器具なども展示してあって楽しい。じっくりと見ていけば意外と勉強になるかもとも思ったのだが、残念ながらそれだけの時間はなかったが。
松濤園の次は蘭島閣美術館別館に向かう。この施設は急斜面を石段などで登り切った先にある。さすがにトランクをぶら下げた状態でのこの行程はつらい。上までついた時には息が上がってしまう。
蘭島閣美術館別館
展示してあるのは裸婦像の画家として知られる洋画家・寺内萬治郎の作品。先ほどまでかなりあくの強い作品ばかり見てきたせいか、比較的オーソドックスな画風という印象を受ける。なお美術館内には再現アトリエなども展示されている。
風景は抜群だが、ここまで登るのは大変
この美術館を少し降りたところにあるのが白雲楼。由緒正しい建物を移築したものらしい。ここで抹茶を頂いてから内部を見学。二階からの見晴らしが素晴らしいとのことだが、今日は風が強すぎるので雨戸を閉めてあって薄暗いし、また冬のせいで外も殺風景。桜の春か紅葉の秋がよいらしい。やはり島が混雑するのはこのような気候の良い時か、もしくは海水浴の夏ということになるらしい。つまりは私は完全にシーズンオフに訪問したことになるようだ。道理で閑散としていたはずである。もっとも美術品主体の私の場合は、他の客に煩わされなくて好都合であったが。
白雲楼
ここまで回ったところで帰りのバスの時間が来たので慌ててバス停に舞い戻る。再び安芸灘大橋を渡って、今度は乗り換えの都合で仁方駅前で下車。仁方駅は小さな無人駅。10分ほどで三原行きのワンマン普通列車が到着する(広まで行っているとこの列車に間に合わないのだ)。
仁方駅
海沿いをゴトゴトと揺られること1時間あまり、三原に到着する。今日は昼食を下蒲刈で摂るつもりだったが、いざ現地に着いてみると適当な店が見あたらない上に時間も足らなかったので、今日は昼食を摂っていない。そこで三原で昼食を摂ることにする。しかし駅前商店街の飲食店は閉まっているところばかり。どうも三原の飲食店は日曜日は休みというところが多いようだ(田舎と言うことだろうか・・・)。そんな中でようやく営業している店を見つけて入店。入店したのは「一億」というステーキ店。ステーキランチ(1260円)を注文。
やや肉が少な目に思われるのは価格を考えると仕方ないか。モヤシが圧倒的なボリュームを持っているため、ステーキランチと言うよりは、モヤシ炒めランチという気もしないでもない。味は悪くないが、可もなく不可もなくというところか。
昼食を終えたところでもう一つ目的がある。それは「三原城」を見学しておいてやろうというもの。前回に三原に来た時は、乗り換え待ちの合間に本丸をざっと見て回っただけだったので、今回はもっとじっくりと見学しようと言うもの。
三原城は小早川隆景が整備した水軍の城である。かつてはもっと海岸線が近かったため、まさに水に浮かぶ水城だったようである。明治に廃城になったが、なんと東海道線の駅が本丸上につくられてしまい、それによって遺構のかなりの部分が破壊されることになってしまった。確かに山と海の狭い間を線路が通っているためにコース選択の余地は小さいが、それにしてももっとましな場所はなかったのかと思ってしまう。
左 船入櫓の石垣西から 中央 同東から 右 入口のスロープ 左 入口の表示 中央 石垣上は公園 右 井戸跡 三原市街地の一角に当時の船入櫓跡の石垣が残っている。船入櫓とはその名の通り軍港の役割をなしており、以前はここはまさに海に突き出した構造になっていたらしい。しかし現在では周囲は完全に埋め立てられてしまっており、公園の中に石垣が突き出しているようになってしまっている。かすかに当時の面影をとどめるのは東方の小さな水路だけか。なお石垣上は公園化しており、北方からスロープ状になった通路を通って上がることが出来る。ただ石垣上には井戸が残っているがそれ以外には遺構らしきものは何もない。
駅が石垣上に乗っかっているのが分かる 線路をくぐると本丸へ向かう。新幹線三原駅の下に投資の石垣の遺構らしきものが見える。これを見ただけで駅がまともに城の上に乗っかっているのが分かる。以前に来た時には石垣の上から見下ろしただけだから今一つイメージ出来なかったが、下から見上げるとかなり立派な高石垣である。また周囲の堀の幅も広く、この城の南方は海だったことを考えると、かなり堅固な構えだったことが伺われる。
北方から見た本丸石垣
三原城の見学を終えたところで列車の時間が来たので帰途につくことにする。隣の糸崎で乗り換えて岡山まで。倉敷を過ぎたところでなぜか大量の阪神ファンらしき連中が乗車してくる。倉敷で試合でもあったんだろうか。この一円の虎ファンが集まってきている感じで、鬱陶しくて仕方ない。結局は帰途はこの混雑に煩わされる羽目になってしまったのである。
当初から牡蠣を食べに行くのが主目的のような遠征だったが、終わってみると広島地区の宿題を一つ一つ片づける遠征というような内容になった。しかし宿題を一つ片づけると新たな宿題が現れるような状態で、未だに広島地区の宿題がすべて終わったという状態ではない。私の旅に終わりはないのである。
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